私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

愛の讃歌

2018-01-25 18:58:36 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 昔から私は坂東玉三郎の大ファンです。私と同じ気持ちの人々は世に溢れていると思います。随分前(1996年?)にカナダのテレビで観た坂東玉三郎とヨーヨー・マの共演のパフォーマンスも私の記憶にはっきりと残っています。数年前までは、いろいろなところに出かけて歌舞伎の舞台での玉三郎さんの数々の至芸に接してきましたが、外出が難しくなってからは、もっぱらテレビで観ています。
 1月2日にNHKで『坂東玉三郎が愛した女~越路吹雪に魅せられて~』というドキュメンタリーを観て、玉三郎さんが一層好きになり、尊敬の念を深めました。越路吹雪や岩谷時子といった人々についても沢山のことを知ることができました。
 中心的な話題の一つはシャンソン「愛の讃歌」でしたが、これについては、番組の枠を超えて、いろいろな想念、雑念が胸に浮かびました。「愛の讃歌」は越路吹雪の生涯の持ち歌になったそうで、彼女の「愛の讃歌」を玉三郎さんの番組で聴いて、それはそれなりに見事な歌唱だと感じましたが、私がこれまで無数回聴き続けてきたエディット・ピアフの「愛の讃歌」とは違う歌と思えました。越路吹雪の歌った歌詞が岩谷時子の筆になるものであり、ピアフその人の原詞の激しさが取り除かれていることにその理由の大半はあるのでしょうし、また、この二人の歌手の人生経験の相違だとする安直な説明もあり得ましょう。しかし、私には、ピアフの「愛の讃歌」と越路吹雪の「愛の讃歌」の違いは、歌手の声という楽器とその演奏、つまり、音楽としての違いから出ているように思えてなりません。さらに言えば、音楽家、芸術家としての力、資質とそれを磨き抜く心構えの違いの問題でしょう。
 ピアフの墓はパリの東部にあるペール・ラシェーズという広大な(パリで最大の)墓地の中にあります。1871年のパリ・コミューン革命に参加した市民が追い詰められてこの墓地に立てこもり、147人が銃殺されました。墓碑の石板にある1871年5月21日〜28日は“血の一週間”と呼ばれます。5月28日で革命は終焉しました。私がこの墓地を訪れたのは2005年5月27日、ここで虐殺された市民たちの冥福を祈りました。ピアフの墓、ピアフが見出したと言われるイヴ・モンタンの墓(シモーヌ・シニョレと一緒)、その他にもお参りして、美しい5月のまる1日を楽しんだ憶えがあります。
 イヴ・モンタンといえば「枯木」、玉三郎さんのCDアルバムにも「枯木」が含まれているようですが、私は彼の「ル・ガレリアン(漕役囚)」の最初の二行をよく口ずさみます。“Je m’souviens ma mér’ m’aimait Et je suis aux galères(母さんが僕を愛してくれていたこと、よく思い出す。でも、僕は今ガレー船漕ぎの囚人だ)”これは、ぐうたら息子の母恋しの歌です。讃歌と言っても良いかもしれません。私はこれを口ずさみながら、一人の並みの女性として精一杯に私を育ててくれた私の母を想います。母への愛の讃歌としては美輪明宏の「ヨイトマケの唄」があります。美輪明宏は、岩谷時子の歌詞よりもピアフの原詞に忠実な訳詞で「愛の讃歌」も唄っていて、これも感動的な歌唱ですが、原詞への思い入れが強すぎて、セアトリカルに傾き過ぎたかもしれません。私の好きな米良美一さんも「ヨイトマケの唄」を唄っていますが、ピアフの「愛の讃歌」も唄ってみて欲しいと思います。芸術家は表現の為に実際の体験を必要とはしないはずです。
 歌唱力という日本の言葉があります。Singing abilityなどと訳してみてもはじまりません。万人がその意味するところを知っていると思います。坂東玉三郎さんは、行くところ可ならざるは無き多面的天才芸術家で、我々にとって実に貴重な存在ですが、シャンソン歌手としてはどうでしょうか? ここに来てシャンソンの歌唱を試みた理由として、玉三郎さんは、年をとると歌舞伎の舞台で必要な高音の声が出にくくなるので、その対策の一つとしてシャンソンを歌うことを思い立ったという意味の発言をなさっていたと思います。玉三郎さんらしい、誠に見上げた心がけで感服します。しかし、今回の「愛の讃歌」の歌唱は、まだ一種の素人芸にとどまっているような気がしてなりません。私の知る限り、プロを含めて、すべての人々が坂東玉三郎さんの「愛の讃歌」を絶賛していますが、それでいいのでしょうか? 坂東玉三郎さんは稀代の大芸術家です。あくまで芸を広め、高めることをやめない偉大な芸術家です。彼の芸に対する率直正当な評価こそ坂東玉三郎さんが最も求めるところではありますまいか。

藤永茂(2018年1月25日)

ベネズエラはどうなっているか

2018-01-18 21:28:30 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 皆さんに是非読んでいただきたいコメントを海坊主さんから戴きましたが、『ベネズエラのコミューン運動』(2017年5月17日)というかなり以前のブログ記事に対してなので、ここに転載します:

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ベネズエラ人民の闘いは続いています。 (海坊主)
2018-01-12 21:30:48
下記ブログにこの2017年におけるベネズエラの人々の闘いが要約されております。

鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽 
「2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか①〜③
http://shosuzki.blog.jp/archives/74449281.html
http://shosuzki.blog.jp/archives/74452865.html
http://shosuzki.blog.jp/archives/74465087.html

西側世界の視点から報じられるベネズエラのニュースは偏見に満ちたもので、私には読むに耐えられません。マドゥロ大統領が覚悟を持って自らに課した使命(故チャベスの後継者たれ)に最大限の努力を払って人々を導いていることがこの記事から伺い知れます。

西側世界から異端視されるベネズエラ。闘い続けることを運命づけられたチャベスの子供達。
かなり贔屓目には思える部分は感じますが、私はこれらの記事に触れ、久々に嬉しくなりました。ベネズエラ人民の闘いは続いています。 (海坊主)

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私(藤永)にとって、鈴木頌さん、海坊主さんのような方々が、チャベスの子供たちを、我が事として熱い気持ちで見守り、声援を送っている事実を確認させていただくのは、実にありがたいことです。
 鈴木頌さんの「2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか①〜③」は、中に書いてあるように、もと「モンド・ディプロマティク」の編集総長であったイニアシオ(イグナシオ)・ラモネの筆になる記事:

https://www.telesurtv.net/english/opinion/The-12-Victories-of-Venezuelan-President-Maduro-in-2017-20180102-0009.html

に基づいています。この記事は、私の贔屓のAlexandra Valienteさんの (Libya 360)にも早速(同じ日付けで)アップされました:

https://libya360.wordpress.com/2018/01/02/the-12-victories-of-venezuelan-president-maduro-in-2017/

 鈴木頌さんの三部作は、ラモネの筆になる記事の内容を解きほぐし、まとめ直して、昨年1年間のベネズエラの人々の闘いとその成果を分かりやすく解説した内容で、必読の記事です。ラモネの筆の走りすぎへの注意も込められています。鈴木頌さんの結びの文章は
「残忍な攻撃と果てしない暴力に耐えたこの英雄的な1年に、チャベス主義は強さと生存力を発揮しました。それは支持の基盤を拡大し、革命に有利な政治的および社会的な力を増やすことができました。そこには、これまで以上に強固な確信を抱くに至っています。
2017年におけるベネズエラ革命の勝利と前進はラテンアメリカ全土の救済と希望を意味します。今やベネズエラ革命は決して倒すことのできないものとなっています。」
となっていますが、ラモネの原文は
「In this heroic year of brutal attacks and infinite aggressions, Chavismo has showed its strength and capacity to overcome. It has been able to amplify its base of support, increasing the political and social forces in favor of the revolution. There it is, more solid than ever before. Which means a great relief and a luminous hope for all of Latin America. Whether his enemies like it or not, President Nicolás Maduro has confirmed – with his twelve brilliant victories of 2017- that he continues to be, as his admirers say, “indestructible.”」
です。
 2017年で、チャベス革命を推進する一般人民の力を断然明白に示したのは、二つの地方選挙の結果でした。それは鈴木頌さんの記事②の中で説明されていますのでコピーします:
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11.二つの選挙での勝利
制憲議会とともに「平和の季節」がやってきました。それはベネズエラ革命が反革命主義者に政治的反撃を加えるチャンスを与えました。
その反撃は一斉地方選挙で2つの驚異的な選挙勝利をもたらしたのです。
(ベネズエラの一斉地方選挙は日本と同じで4年に1度行われます。前半と後半の2回に分けて行われ、はじめが州知事と州議会の選挙、次が市町村の長と議員の選挙です。制憲議会選挙と違いこちらの選挙は野党も参加しています)
まず最初が10月15日の地方選挙です。州知事選挙では23人の知事のうち19人が与党PSUVの勝利に終わりました。
そこにはこれまで野党が知事を務めていたミランダ州とララ州も含まれていました。また大きな人口学的重要性を持つ戦略的州であり、石油とガスの重要な資源があるスリア州(マラカイボ湖)でも勝利しました。
ついで12月10日の自治体選挙でもチャベス派が圧勝しました。首長選では335の市区町村のうち308で勝利しました。これは市町村の93%を占めています。
大カラカス首都圏は24都市よりなっていますが、チャベス派はこの内22都市を確保しました。いっぽう反政府派は得票数が激減し、21万票を失いました。彼らの行動は多くの国民から非人道的と認知されました。そのことが投票行動によっても確認されたといえます。
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これは、米欧(日本を含めて)のマスコミだけに接している人々には何とも理解できない結果です。ベネズエラを崩壊寸前の状態に追い込んでしまったマドゥーロ大統領の破滅的失敗政府への支持がこれほどまでに強いという事実を説明する手がかりは、マスコミの何処にも見当たらないからです。
 しかし、私はこの地方選挙の結果に特別驚きはしませんでした。この地方選挙圧勝の理由はベネズエラのコミューン運動の盛り上がりにあると私は考えます。ベネズエラのコミューン運動については、海坊主さんから今回新しくコメントを戴いた『ベネズエラのコミューン運動(1)』(2017年5月17日)というブログ記事の中で論じました。その部分を次にコピーします:
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次の『Venezuelan Revolutionaries Demand ‘Truly Communal State』と題する記事をぜひ覗いてみて下さい。ベネズエラのコミューン運動の最近の動きが分かります。ビデオもあります。

https://venezuelanalysis.com/news/13123

現在、人口3100万のベネズエラに、約4600の生活共同体協議会(communal councils)と約1600のコミューン(communes) があります。communal council というのは、ある地域社会の生活上の必要事項を、行政からの指図ではなく、住民たちが相談し、対処するための協議会であり、こうした協議会を持つグループがいくつか集まって、より大きな生活共同体が出来ると、一つのコミューンが成立します。このコミューン運動に参加している人々の数はおそらく総人口の1割ほどでしょうが、私には、この運動の盛り上がりは、ベネズエラの政局の将来を左右する力を秘めているように思われてなりません。
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 これまで私は「もう一つの世界」が実現される希望を「ロジャバ革命」にかけてきましたが、米国は私の夢を打ち砕く方向に決定的に踏み出しました。ISの勢力地域をそっくりSDFの占領地にすり替える形で米国の支配下に置いたシリア北東部の広大な地域を制圧し続ける軍隊として3万人に及ぶ border security force(境界警備部隊?)を創設することを、米国は言明しました。これで、シリア紛争という悲劇はまだ延々と続くことになりましたが、その結末がどうなるにしても、これは、私の「ロジャバ革命」の死刑宣告以外の何物でもありません。ここにあらわにされた米国の全く悪魔的な残忍さについては、機会を改めて取り上げますが、クルドのロジャバ革命に替わって、ベネズエラのコミューン運動の興隆が私の「もう一つの世界」の夢を支え続けてくれるかもしれません。ちなみに、“もう一つの世界は可能だ”という言葉はイグナシオ・ラモネ(Igunacio Ramonet)が1998年に発したもののようです。

藤永茂(2018年1月18日)

1ドルで人を殺せる世界がやってくる

2018-01-14 23:00:17 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 2018年1月10日の日本経済新聞(電子版)によれば、2017年11月、人工知能(AI)が判断して動かす兵器に関する初の国連公式専門家会議がスイスで開かれて、そこで「「殺人ロボット」を防げるか」という問題が議論され、「野放図なAIの開発競争は1ドルで人を殺せる世界をもたらす」ことに危惧が表明されたそうです。
 「1ドルで人を殺せる世界」とは妙な表現です。「お手軽に人を殺せる世界」ということでしょうか? そうではありますまい。一人当たりの費用が大変安上がりな殺人手段を実行するのに人工知能(AI)の力を借りる必要は全くありません。現在、すでに可能であり、実行されています。気に入らない外国に対して米国が率先して実行する経済制裁、貿易封鎖はそのもっとも身近な手段の良い例です。米国の国連大使、続いて、国務長官を務めたマデレーン・オルブライトがイラクに対する経済制裁という手段で50万人のイラクの子供達を殺したのはよく知られた事実で、これについては以前にこのブログにも書きましたが、以下にはウィキペディアの記事の一部を転載させて貰います:
“1996年、CBSテレビ『60 Minutes』に出演して、レスリー・ストールから対イラク経済制裁について“これまでに50万人の子どもが死んだと聞いている、ヒロシマより多いと言われる。犠牲を払う価値がある行為なのか?”と問われた際「大変難しい選択だと私は思いますが、でも、その代償、思うに、それだけの値打ちはあるのです」(“I think that is a very hard choice, but the price, we think, the price is worth it.”)と答えた。なお、オルブライトのこの発言を腹に据えかねた国連の経済制裁担当要員3名(デニス・ハリデイ、ハンス・フォン・スポネック、ジュッタ・バーガート)が辞任。このうちハリデイは「私はこれまで(対イラク経済制裁について)“ジェノサイド”という言葉を使ってきた。何故なら、これはイラクの人々を殺戮することを意識的に目指した政策だからだ。私にはこれ以外の見方が出来ないのだ」とコメントを残している。”
オルブライトは国連内での外交的根回しにいくばくの事務的費用を費やしたかもしれませんが、50万ドルはかからなかったでしょう。1人当たり1ドル以下の殺人です。核弾頭についても、この安値レベルはとっくの昔に到達済みです。
 兵器の開発製造に関与している専門家が心配しているのは、人工知能(AI)を使用した安価で高性能な暗殺用ロボット(キラーロボット)の出現でしょう。しかし、公式には、この問題は表面化されていません。例えば、次の記事をみてください:

https://thebulletin.org/don’t-fear-robopocalypse-autonomous-weapons-expert-paul-scharre11423

この中で、兵器の持つ抑止力(deterrence)についての議論が行われていて、「When you think about deterrence, I think of the general concept of, "I'm stronger, more powerful," and that may deter you.」といったことが述べられていますが、北朝鮮の核兵器保有の問題だけを考えても、これは無内容の擬似的常識論に過ぎません。
 現在、世界的に見て、「殺す側」と「殺される側」との間には、相手を暗殺することの難易に絶大な隔たりがあります。現在、支配権力側は、その意向に反抗する人物を抹殺する充分の手段と実行力を持っていますが、被支配者側にはそれが殆んど全く欠如しているのが実状です。しかし、人工知能(AI)技術を応用して、遠隔操作あるいは自己判断で正確敏捷に行動する高知能の超小型ロボットが比較的安価に出来るようになれば、暗殺の実行は「殺される側」にとって大幅に容易さを増します。つまり、「殺す側」の個人が「殺される側」によって暗殺される可能性が大幅に増大するということになります。この形で、弱者は強者の恣意な殺人行為に対する貴重な抑止力(deterrence)を入手することになります。
 2016年3月3日、ホンジュラスの先住民環境保護運動家ベルタ・カセレス(Berta Cáceres)さんが生地ラ・エスペランサの自宅で暗殺されました。殺し屋は早朝に乱入してベルタ・カセレスさん(43歳)を銃殺しました。彼女は環境保護運動家として既によく知られた存在でしたが、殺された直接の理由は有力な電力会社の水力発電ダムの建設への熾烈な反対運動の先頭に立っていたことにあると考えられます。彼女は殺害される1週間前、彼女の属するレンカ族先住民共同体の指導者4人が殺害されたことに対する告発を行い、また、彼女自身もやがて暗殺される予感を語っていました。
 2016年5月8日、ホンジュラス裁判所はベルタ・カセレスさん殺害の実行犯容疑者の名前を発表しました。この事件についてはDEMOCRACYNOWのサイトその他に多数の資料があります。下の記事は

https://www.democracynow.org/2017/11/1/shocking_new_investigation_links_berta_caceress

ダムの建設を進めている電力会社の最高幹部が暗殺の指令を出したことを示唆しています。次の二つの記事も参照してください:

https://www.democracynow.org/2016/3/4/remembering_berta_caceres_assassinated_honduras_indigenous

https://www.pambazuka.org/land-environment/¡berta-lives-life-and-legacy-berta-cáceres

ホンジュラスに限らず、南米の先住民の居住地域は米國を主とする国際資本による強引な資源開発が行われ、それに抵抗する先住民の反対運動の指導者たちが、これまで総計すると数百人のオーダーで暗殺されているようです。
 ここで「殺される側」である先住民たちの環境破壊反対運動組織が、「殺す側」の目ぼしい連中を確実に暗殺できるキラーロボットを安価に入手し、安価に使用できる状態がAIテクノロジーの飛躍的発達のお蔭で実現したらどうなるか、想像して見ましょう。ベルタ・カセレスさんに率いられて無法なダム建設に反対の運動をしている先住民レンカ族の中に気性の激しい人工知能オタクの若者がいて、ベルタ・カセレスさんの暗殺の命令をしたと推定される電力会社の幹部をAIキラーロボットで殺します。あるいは、若者は現在のホンジュラスの諸悪の元凶、責任者として、2009年のクーデターを率いたロメオ・バスケス将軍を暗殺することを実行するかもしれません。今まで、自分の方は全く危険にさらされることなく、邪魔者を消すことが出来た「殺す側」の有力者たちは、“これはまずいことになった。こちらも簡単に殺されるかも”と思って怯えるに違いありません。つまり、「殺される側」は強力な「抑止力」を持つことになります。これはまさに“貧者の原爆”と呼んでよいでしょう。
 このように使用される高性能のAIキラーロボットは、「殺される側」に襲いかかる理不尽な暴力に対する抑止力として、極めて有効に働くと思われます。それに比べて、核兵器の持つ「抑止力」は全く役に立っていません。核兵器の「抑止力」は第二次世界大戦後、“戦争”の勃発を抑止してきたという戯言を口にする人もいますが、それは全くの嘘言です。第二次世界大戦の後、戦争は間断なく行われていて、世界で数百万の無辜の生命が失われてきました。いや、それでは余りにもの過小評価というもの、コンゴだけでも、死者は六、七百万人に上り、殺戮は今も進行中です。殺され続けているコンゴの一般民衆側が、このような暗殺手段を入手して、コンゴ大統領カビラ、ルワンダ大統領カガメ、ウガンダ大統領ムセベニの三人の同時暗殺に成功すれば、その衝撃で、コンゴ・ジェノサイドは終りを迎えるでしょう。
 しかし、説明するまでもありませんが、そのような超小型ロボットの研究開発を大々的に進める傾向は世界の兵器産業界では全く見られません。秘密裡に開発していることもない筈です。むしろ、その開発を制御扼殺したいのが本音でしょう。世界中のSHITHOLE COUNTRIESの貧者たちが“貧者の原爆”を持つことになったら大変ですから。

藤永茂(2018年1月14日)

トルコにも負けず、アメリカにも負けず、・・・

2018-01-07 22:29:07 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 ロジャバ革命については、これまでHitoshi Yokooさんから数多くのコメントを頂いています。ロジャバ革命への強い支持のお気持ちとロジャバ革命に関する重要な情報が読み取れますので、皆さん是非Hitoshi Yokooさんのコメントを読んでください。ご自身の言葉を少し引用させて頂きます:
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ロジャバ革命の特長は、女性の解放を優先し、民族や宗教の共存を求めるところにあります。「女性の解放」と「共存の思想」に基づくロジャバ革命もまた、旧来の革命運動に見られない雰囲気を醸し出している様に感じます。「反革命であるブルジョア階級を打倒しプロレタリア独裁政権を打ち立てる革命運動」とは、何か根本に於て異質ではないかと感じられるのです。彼らは、ISISとの死闘を演じながらも、彼らの内側では大きな抗争を起こす事なく革命運動を持続しています。外から参加しているトルコのマオイストやアナキストも内部抗争を起こす事なく連帯し続けています。「共存の思想」は、革命運動参加者の中にも浸透して、革命観を異にする参加者同士の共存さえ可能にしているのかも知れません。スペイン革命は内部抗争によって内からも崩壊していきましたが、ロジャバ革命にはその様な兆候は見られません。

「幼児性の復権」、「女性の解放」、「共存の思想」、「環境の維持」等、現代の注目すべき変革運動は、旧来の勇ましい男性原理の運動とはまるで異質な運動なのではないでしょうか。クルド人が横一列に並び手を繋いで踊る動画をよく見ますが、ロジャバ革命の性格は、あの踊りのなかに体現されている様に思われます。
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Yokooさんが紹介してくださった記事で重要なものの一つはErcan Aybogaという人の書いた長い解説記事:

https://anfenglish.com/features/geopolitics-of-syrian-kurds-and-military-cooperation-with-the-us-23467

です。著者は『 Revolution in Rojava: Democratic Autonomy and Women’s Liberation in the Syrian Kurdistan 』(Pluto Press, 2016)の三人の著者の一人で、自らもロジャバ革命を推進している人物のようです。この本は、今、本屋で入手できるロジャバ革命関係の本で最も詳しい著作で、著者たちは革命の成功を願っているに違いありませんが、宣伝のための美化歪曲は決して度を過ごしたものではないと、私は判断しています。上掲の記事についても同じことが言えます。この記事と単行本『ロジャバの革命』の内容的な違いの一つは、米国とSDFの関係についての説明です。共著ではほぼ一頁が当てられただけですが、Ayboga単名の記事では冒頭に、“critics think that the SDF is already instrumentalized by the US and has betrayed the revolution.”と書いてあり、この重要問題が全面的に取り上げられています。
 Yokooさんが紹介してくださった『ROJAVA: A Utopia in the Heart of Syria’s Chaos(ロジャバ:シリアの混沌のど真ん中のユートピア)』というタイトルのTouTube動画;

https://www.youtube.com/watch?v=uQh8aRVJnY4

も我々がロジャバ革命を知るために有用なドキュメンタリー(45:34の長さ)で、最後の三分間にはクルドの女性軍団YPJの司令官が米国との関係を論じているインタビューが含まれています。その女性司令官(Nasrin Abdallah)の発言を要約すれば、次のようになります:
「今のところ、米国から受けているのは軍事的援助に限られていて、経済的な援助も、政治的援助も全く受けていない。ダマスカスがロジャバ革命を受け入れるかどうかは不明だが、どんなことでも起こりうると思う。もし、アサド政権が民主的になり、選挙への道を開き、シリアで民主主義的政策を実行すれば、我々は戦争の手段を選ばない。しかし、不幸にも今までのところアサド政権から何の前向きのジェスチャーも示されていない。我々の主要な目標は民主的連邦制(democratic federalism)を成就することだ。そうなれば、誰もが解放され、その権利を享受できるようになる。我々はこの計画を国民国家(a nation state)の中で遂行するつもりはない。何故ならば、現在の中東ではすべての国民国家が崩壊しつつあるからだ。革命を経験した国の一つが將にシリアなのだ。もし、民主的な連邦システムができていたのであったならば、戦争など起こらなかっただろう。」
クルドのこの女子司令官の意気軒昂たる発言を私は好意的に受け取りたいと思います。そして、ロジャバ革命が究極的に成功することを祈る点で人後に落ちないつもりです。このYouTubeのフィルムにはHitoshi Yokooさんから寄せられた一連のコメントを中心に勇気付けられるやりとりが展開されています。ぜひお読みください。
 しかしながら、この記録映画の全体のトーン、特に終末のYPJ司令官の発言で、「現在の中東ではすべての国民国家が崩壊しつつあるからだ。革命を経験した国の一つが將にシリア」という件りはちょっと引っかかります。崩壊に瀕している国々とは、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、イエメン、・・を意味するとすれば、尚更です。私の個人的危惧はこの『ロジャバ:シリアの混沌のど真ん中のユートピア』というドキュメンタリーの制作がフランスの「モンド・ディプロマティク」であることから発しています:

https://mondediplo.com/2017/09/05rojava

昔、イニアシオ・ラモネが編集長であった時代の「モンド・ディプロマティク」誌を私は好んで読んだものでした。しかし、現在の「モンド・ディプロマティク」はラモネの路線上にはありません。明らかにNATO-USA路線上にあります。そのことは、上記ドキュメンタリーの制作の元である記事の記者(二人)と同じ人たちによるシリア報告:

https://mondediplo.com/2017/09/12kurds

を読んでも見当がつきます。簡単に言えば、フランスを含むNATO-USAは、依然として、アサド政権のシリアがカダフィ政権のリビアと同じように崩壊することを今もなお望んでいるのであり、「モンド・ディプロマティク」は、米国のニューヨークタイムズやワシントンポストほどではないにしても、NATO-USAのご機嫌を損ねないように心がけている報道機関に成り下がっているように、私には思われます。
 ANFはオランダのアムステルダムに本社のある報道機関でPKK(クルド労働党)との結びつきが強いと考えられます。その英語版サイトを私は毎日のように覗いています。Yokooさんが紹介してくださったErcan Aybogaの長い記事もANFの英語版サイトに出たものです。最近(1月2日付)このサイトに
『PKK’s Engin: “We will continue to be Che’s followers”』
と題する記事が出ました。PKKの中央委員会のメンバーであるKasım Engin氏がキューバ解放記念日(1月1日)を機にANFに語った談話がその内容です。キューバ革命を支えた精神を讃え、チェ・ゲバラの伝統に従って、クルド人の若者たちがゲリラ戦に進んで身を投じることを促しています。次の文章でこの記事は結ばれています:
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PKK Central Committee Member stated that Öcalan and the PKK movement he leads are followers and comrades to Che. He stressed that the guerrilla tradition of Kurdistan is the same as the guerrilla tradition of Che Guevara, and adding that the guerrilla is the only solution to fascism, imperialism, capitalism and all forms of regressive ideologies, called on the youth of Turkey and Kurdistan to join the guerrilla to create a free life, the free human being and a world without exploitation.
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ここに披瀝されたオジャランの精神をPKKが燃やし続ける限り、米国のシリア政策(中東政策)遂行のためのinstrument(道具、手段、手先)としてのSDFの現在の役割をSDFが米国に対してきっぱりと拒否する時点が必ず到来するはずです。ロジャバ革命の推進者たちが強調するように、SDFの支配地域はSDFの武力によって拡大しているのではなく、土地の住民たちがロジャバ革命の理念とその実践に賛同し、参加することによって拡大しているのであれば、SDFとUSAの連帯決裂の時点で、我々は世界史的な大事件に立ち会うことになります。その規模において、これはパリ・コミューンの比ではありません。意識的に民族主義を排している点で、このコミューン思想はバスクの自治体運動を大きく凌駕しています。
 もう一度、このブログ記事の冒頭に引用させていただいたHitoshi Yokooさんの発言を読んでください。新年の初頭に当たって、我々の頭上にのしかかってくるニヒリズムの暗雲を振り払うものとして「ロジャバ革命」に勝る話題はありますまい。

藤永茂(2019年1月7日)