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私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

『闇の奥』の曖昧さを減らすには (2)

2007-01-03 09:02:23 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 小説『闇の奥』の反帝国主義の筆誅がベルギー国王レオポルド二世とその手下の者たちだけに加えられたのか、それとも、英国を含むヨーロッパ諸国のアフリカ植民地経営の全体に加えられたのか。作品そのものを素直に読めば,レオポルドのコンゴに限られているのは明らかだと私には思われるのですが、「英国を含む」と強弁する批評家が沢山いますから、ここで、その無理な主張を否定する強力な情況証拠を提出したいと思います。
 ベルギーは1839年になってやっと独立を果たした比較的新しいヨーロッパの小国で、面積は日本の約12分の1、レオポルド二世(1835-1909)は二代目の君主で、明治天皇(1852-1912)とほぼ同時代人、遅ればせに海外に植民地を求めた点でも似ている君主です。「Scramble for Africa」という歴史上のキーワードを生んだ1887年のベルリンでのアフリカ分割の国際会議で、レオポルドはヨーロッパ列強の利害対立の間隙を巧妙かつ狡猾に立ち回り、アフリカの中央部にベルギー本国の80倍以上の私有植民地を見事手に入れて、これに「コンゴ自由国」の名を冠します。ヨーロッパ諸国には地域を自由貿易に解放することと未開先住民の文明化を約束したのですが、実際には、先住民を現地で奴隷化して苛酷極まる重労働を強制し、象牙やゴム原料の資源をとことん収奪して巨利を独占する政策を実行しました。そのためコンゴ河流域の先住民社会は急速に荒廃して、百万人のオーダーでの人口減少が始まります。詳しい事情は私の近著「『闇の奥』の奥」(三交社)にあります。英書ではAdam Hochschild の「King Leopold’s Ghost」が良書です。この残忍非情なレオポルドのコンゴ支配に終止符を打つのに最も功績のあった人物モレルについては、前に4回のブログで取り上げましたが、上の二著にも描かれています。ただこれまで十分言及していない重要な事があります。モレルの糺弾の対象はレオポルドの悪業に限られ、英国は完全に除外されていました。これが、モレルの運動が英国を含む欧米諸国の人々から強い支持を取り付けることの出来た根本的な理由でした。もしモレルの弾劾が大英帝国を含む帝国主義的植民地支配の悪業一般に向けられていると了解されるものであったならば、英国を含む欧米諸国の政界、実業界、一般人士からの支持を取り付けることは全く出来なかった筈であったのです。
 モレルの発言の具体例をいくつか拾います。1904年発行のパンフレット「コンゴのスキャンダル:英国の責務」では「文明世界はベルギーによるコンゴ支配によって被害を受け憤激している。悪業の源であるレオポルドの個人的支配は、道義的に、もはや文明国の範疇に属さないものとなった」としてレオポルド二世とそのベルギーをヨーロッパ文明世界から追放する立場を取り、文明国仲間から排除し撲滅すべき病原体とすら看做します。「イギリス,フランス、ドイツは、ベルギー国王レオポルドによって西、中央アフリカにもたらされた病癌がこれ以上広がるのを許すべきではない。いや、諸国の責務はこれに止まらず、病癌の根源を処分しなければならない。潰瘍は除去し破壊しなければならない。文明に対する犯罪としてコンゴ国は叱責処罰されなければならない」とモレルは書きました。また彼の「西アフリカ通信」(1905)には、レオポルドの行為は「befouling civilization and jeopardizing the whole future of European effort in the Dark Continent.(文明の名を汚し、暗黒大陸におけるヨーロッパの努力の全将来を危殆に瀕せしめるもの)」とまで書いてあります。ここまで来れば、これはもう文明国イギリスのアフリカ植民地経営の積極的是認、称揚と同じことです。モレルのレオポルド打倒の運動に参加し、自らも「コンゴの犯罪」と題するレオポルド糺弾の著作を出版したコナン・ドイルは、レオポルドの所業を史上最大の犯罪と極め付ける一方で、南アフリカの英国植民地経営政策を熱烈に支持し、ボーア戦争には従軍医として参加して英軍礼賛の従軍記を書き、その功績でナイトの称号を得て、サー・アーサー・コナン・ドイルと呼ばれる身分になりました。大英帝国の植民地経営の称揚、これは文学者、一般知識人を含む当時の英国の人士の圧倒的多数がとった精神的姿勢であったのです。
 1903年の暮れも押し詰まった頃、モレルのレオポルド糺弾のキャンペーンへの参加をケースメントから要請されたコンラッドは直接の参加を辞退し、代りにケースメントに宛てた公開書簡を書き送って、運動のために自由に使ってほしいと申し出ます。以下にその全文の翻訳を上掲の拙著から引用します:
   私が心底からあなたの運動の成功を祈念している事をお信じ下さい。富裕で
しかも破廉恥な国王、これは全くもって手強い相手です。この場合、人格という点では評判が悪いにしても、富というものは、困った事に、決して人の嫌がる香りは放たないものです?言い換えれば、この王の富はそれ自体のむせ返るような物語を展開することでしょう。
 70年も前に人道的立場から奴隷売買を廃止してしまったヨーロッパの良心が、コンゴの現状を黙認しているのは異常なことです。それは、あたかも、道徳的時計が何時間もぐるぐる巻き戻されてしまったかのようです。今日では、かりに私が私の持ち馬を酷使して馬の幸せや健康状態を損なったとすると、私は民事裁判官の前に引っ張り出されてしまいます。黒人?たとえばウポトの黒人?はどんな動物とも同じように人道的に配慮してやるに値するように私には思われます。黒人は神経を持ち、苦痛を感じ、身体的にみじめな状態になり得るからです。いや、実際の所、黒人の幸福と悲嘆は動物のそれよりも遥かに複雑であり、したがって、より大きな配慮に値します。黒人は我々が生きるこの世界を共々に意識しているわけで?これは小さな負担ではありません。野蛮であることそれ自体は重い天罰を受けるべき犯罪ではありません。それにも係わらず、ベルギー人たちのやり方ときたらエジプトの七つの天災よりももっと悪質です。それというのも、エジプトの天災ははっきりとした破戒に対して与えられた懲罰だったわけですが、今の場合、ウポトの黒人は何が悪かったのか分からないのですから、どうしたらその刑罰が終るのか見通せないのです。それは、黒人にとって、ひどく恐ろしく不可解に思えるに違いありませんし、私にもそう思えると言わざるを得ません。奴隷売買はとっくに廃止された筈なのに?コンゴ國は今もちゃんと存在している。これはまさに驚くべき事です。それを更に驚くべき事にしているのは次の事実です:奴隷売買はその昔ひろく行われた商業活動の一つであり、それは、国際条約を頭から拒否し、人道的宣言の数々をぬけぬけと無視して、他の文明諸国の迷惑を及ぼすような形で成立した一小国の独占事業ではなかった筈なのですが、つい先頃できたコンゴ国はまさにその通りの事をやって、しかも、そのまま存在を続けている。これは実に不思議なことです。こうなると(丁度あの哀れなティエールが1871年に叫んだように)“もはやヨーロッパは存在しない”と叫びたくもなります。しかし実際には、昔はイングランドがヨーロッパの良心をしっかりと護っていた。イングランドが率先してそれを唱えていたのです。でも今では、我々は他の事にかまけて忙しく、重大事件の数々に巻き込まれて、人間性とか、品位とか、公正さのためにひと肌脱ぐことはやめてしまったようです。しかし、我々の商業利益についても同じ態度でよいのでしょうか? モレルが彼の著書で至極はっきりと示しているように、我国の利益はひどい損害を受けています。彼が示した事実に本気で反論する余地などありません。つまりどんなに嘘をついてみても否定することは不可能です。それにも拘らず、あのとんでもないアフリカの呪術師の二人組が?もちろんレオポルドとティースのことですが?白人世界を呪文で金縛りにしてしまったように見える。いやはや笑うに笑えない話です。
 こうして、奴隷売買が(残酷だったが故に)廃止されてから60余年後の1903年の今にして、アフリカのコンゴにヨーロッパ列強の裁決で創られた一つの國があって、そこでは黒人に対する冷酷な組織的な残虐が統治の基本であり、また、他のすべての国家に対する裏切りがその商業政策の基礎になっているという事実が放置されているのです。
 あなたがお発ちになる前に是非お目にかかりたく存じます。あらためて改革運動のご成功を衷心お祈り申し上げます。申すまでもありませんが私がここに書きました事を如何ようにお使いになっても結構です。
敬白  ジョセフ・コンラッド
この書簡の詳しい注解は上掲の拙著にゆずりますが、一読して、モレルの見解と同じ波長のディスコースであることは明白です。「ヨーロッパの良心」であるイングランドは別格なのです。
 ここで、モレルの名誉のために急いで付け加えておかなければなりません。誠実直情の人モレルは、やがて英国の植民地政策が本質的にはベルギーのレオポルドのそれと同じであることを悟ります。それからのモレルの悲劇的に孤独な戦いの日々については拙著「『闇の奥』の奥」を読んで頂きたいと思います。

藤永 茂 (2007年1月3日)



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