私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(7)

2023-01-29 13:12:50 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 6年前、2017年2月、私は『オペ・おかめ』という擬似サイエンスフィクションのようなものを出版しました。その一部をコピーします:

**********

 五人が着地する新千歳空港には、かつては「キャンプ・千歳」と呼ばれる米軍の広大な空軍基地と電波通信施設があった。冷戦時代には大陸弾道ミサイルを探知追跡するレーダーシステムがあって、それは1975年に機能を停止して撤去された。しかし、最近は、世界核戦争に備えて、元の場所に新しいレーダーシステムが設置され、ミサイル迎撃ロケット発射装置も多数配備されたと、しきりに取り沙汰されていた。ピョンヤンやウラジオストクあたりから発射された大陸間弾道ミサイルを捕らえるには千歳は格好の位置にある。裏を返せば、千歳は先制核攻撃を受ける可能性が大きい。(コピー終わり)

**********

 近頃、政府は、相手の先制攻撃の食欲を鈍らせるために日本国内に自衛隊の地下基地施設を増設することを提案しています。過去に、沖縄は言うに及ばず、東京にも、いや、全国にわたって、我が国は大小あらゆる地下壕施設を設置していました。私の家でもいわゆる防空壕を掘り、福岡大空襲の時にはそれに潜り込みました。しかし、それが米軍に沖縄侵攻や本土都市空襲をためらう気をもたせたでしょうか? 馬鹿も休み休み言って頂きたい。千歳周辺の軍事施設の現状の報告こそ、首相の口から是非聞きたいものです。そして、私は、世界核戦争勃発を目前に控えるこの世界史的に重要な時点で、札幌のモエレ沼公園にイサム・ノグチ原爆慰霊碑を建設する決意を日本政府が世界に宣言することを強く求めます。これこそ、プロパガンダという卑しい見地からでさえ、「百利あって一害なし」のウイン・ウインの賭けでありましょう。賭け金は安いものです。広島原爆慰霊碑(正式称号:広島平和都市記念碑)の当初工費は三百万円。今のお金でも、30億円もあればイサム・ノグチ原爆慰霊碑建立は可能なのではありますまいか? この頃頻りに話題になっている戦車の値段は一台10億見当、まあ三台分、日本の軍事予算が40〜50兆と取り沙汰されている現在、30億は涙金です。何しろ「兆」とは一万「億」のことですから。

 小説『オペ・おかめ』の最初の事件は、アメリカ大統領の保養別荘地キャンプ・デイビッドで起こります。大統領とイスラエルの首相が、二人にこやかに並んで芝生に立ち、イスラエルの米国大使館のテルアビブからエルサレムへの移転設置が完了したことを世界に向かって宣言したその場に、色鮮やかな蜂鳥と見える敏捷な飛行物体が二つ飛来して、大統領と首相の顔面に迫り、両人の鼻の前の中空で停止して、強力な睡眠剤らしきものを吹きかけて飛び去ります:

**********

その直後、大統領と首相は、申し合わせたように、あの9・11の日、ニューヨークのツイン・タワーズが崩れ落ちた時と同じく、世界中で何千万か何億の人間たちが、今、テレビ・スクリーンの前に釘付けになって、二人の世界の権力者が並んで崩れ落ちる劇的シーンを凝視しているに違いなかった。(コピー終わり)

**********

 実際の、イスラエルの米国大使館のテルアビブからエルサレムへの移転は、私が小説を書いた時から1年後に実現しました。話の中の、蜂鳥の姿をした物体は今で言うドローンです。大統領と首相は72時間の昏睡状態から無事目を覚まします。

 2020年1月3日、イランの高名な将軍ソレイマーニーはイラクのバグダード国際空港のそばを車で走行中にリーパー(Reaper)と名付けられた米軍のドローンの攻撃を受け、同行者4人(8人という報道もあります)と共に惨殺されました。「リーパー」は、「死に神」のこと、しばしば、長柄、長刃の草刈り鎌を持つ姿に描かれます。ソレイマーニーの遺体は原形を留めないほどにひどく焼けただれ、本人照合は、常日頃、身に付けていた指輪によって行われました。将軍ソレイマーニーの葬儀の日には、イラン、イラクなど、中東の各地で計数百万の人々が街頭にあふれました。追悼と怨念の情は中東の人々の心中に、今も、脈打っています。ドローンによる要人暗殺の立案実施はバラク・オバマ大統領に発したものです。

 タイトル『オペ・おかめ』の“オペ”は“オペレーション”-手術、軍事作戦-にかけてあり、“おかめ”はイサム・ノグチの一つの彫刻作品のタイトルです。1990代、四国の牟礼にあるイサム・ノグチの旧居『ノグチ屋』を訪れた私は、その屋内にひそかに置かれていた“おかめ”を実際に見ました。今はどこにあるか知りません。私の胸には、このイサムノグチの「おかめ」の像と浦上天主堂の「被曝マリア」の像が焼きついています。それが小説『オペ・おかめ』を産んだとも言えます。これは小説と呼べるものではないかもしれません。プロからも親しい知人からも、「登場人物のキャラクターが作り上げられてない、薄っぺら」と批判されました。

 『オペ・おかめ』を小説呼ばわりすることが僭越であれば、イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進帳の一部をなすパンフレットとして読んで戴ければ幸甚です。

藤永茂(2023年1月29日)


戦争がはじまる

2023-01-25 20:07:57 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 福島菊次郎全仕事集『戦争がはじまる』(社会評論社、1987年)という本があります。もし、お近くの図書館にあれば開いてみて下さい。福島菊次郎さんは私より5歳年上、2015年に亡くなりました。私は終戦の年1945年の春に九州大学の物理学科の学生になりました。生き残れるとは思いませんでした。間もなく沖縄から九州に攻め上がってくる米軍を竹槍で迎える決心をした一人の愚かな愛国青年でした。

 戦争で、一番酷い目に遭うのは我々です。福島菊次郎の本を開かずとも、今では私もよく分かっています。我々は、これまでの歴史が示す限り、無辜の民ではありません。有罪です。戦争をしたという罪を犯しました。いつの世にも、罪がないのは赤ん坊たちだけです。

 我々は、もう戦争をしないと誓った筈です。この戦争を止めなければなりません。戦争を推し進めている人間たちは、確かに、我々よりはるかによく頭の回る人間たちです。彼等彼女等は実に巧妙な虚言で「この戦争は正しい戦争だ」と我々を説得します。しかし、我々にとって、正しい戦争、得をする戦争などありません。赤ん坊を含めて、我々は無残に殺され、苦しみに打ちひじかれるだけです。けれども、彼等とて所詮しがない人間たち、我々が、心を合わせ、力を合わせれば、彼等の愚行悪行を阻止できない筈はありません。一蓮托生は、もう真っ平ごめんです。

藤永茂(2023年1月25日)


生者の恥

2023-01-19 18:20:24 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 ブログ記事『コメント寄稿者の方々に』(2023年1月8日)の中で、読者のお一人から頂いた『死者の恨(ハン)・生者の恥辱(ツウルウ)』という小冊子について、稿を改めて書くつもりと記しましたが、まだ想が良くまとまりません。

 冒頭の「この小冊子を手に取ってくださった皆さんへ」の前半をコピーします:

「本冊子は2020年2月2日に京都市の東本願寺同朋会館にて、林 白耀(リンポーヤオ)さんに講義していただいた内容をまとめたものです。

 林白耀さんは1939年に京都丹波で在日華僑二世として生まれ、神戸華僑総会理事、旅日華僑中日交流促進会秘書長、南京大虐殺六十カ年全国連絡会共同代表、中国俘虜殉難者日中共同追悼の集い実行委員会など、長年にわたって、日本による侵略戦争の歴史を掘り起こし、被害者を支える活動を継続されてきました。

 私たち真言大谷派僧侶有志は2003年から毎年、中国・南京市を訪問し、南京大虐殺事件の受害者を追悼し、ご遺族と交流する「世界平和法要」に参列してきました。その中で林さんと出会うことが出来ました」(引用終わり)

 次に、この107頁の冊子の「目次」の見出しだけを書き出します:

    1.  ã¯ã˜ã‚ã«

 2.  å››ä¸‡äººã®ä¸­å›½äººå¼·åˆ¶é€£è¡Œè¢«å®³è€…

    3.  èŠ±å²¡äº‹ä»¶ã®æ­»é›£è€…

    4.  é–¢æ±å¤§éœ‡ç½ã§è™æ®ºã•ã‚ŒãŸä¸­å›½äºº

    5.  æ—¥è»æˆ¦æ™‚性暴力被害者

    6.  ç¥žæˆ¸ç¦å»ºè¡Œå•†äººå¼¾åœ§äº‹ä»¶

    7.   思い出すこと

    8.  ã¾ã¨ã‚

         æž—白耀さんのこと(墨面)

(目次書き出し終り)

 上の「まとめ」のところに、--死者たちよ、今こそ、死の淵からよみがえりて来て我らが退路を断て--、と書いてあります。いま断つべき我らの退路とは何か?

 不覚にも、私は「花岡事件」なるものを全く知りませんでした。栃木県の益子に「朝露館」という陶板彫刻美術館があるそうです。関谷興仁さんという陶芸家が世界の戦争による不条理な死を強制された人たちをモチーフにして作られた陶板の作品が展示されていて、その中に、日本に連行された中国人三万八千人余の名前が一つ一つ刻まれた陶板もあるそうです。紹介の5分間動画がYouTube:

https://www.youtube.com/watch?v=_n2xAHwSpEY

にあります。何とかして、この美術館を訪れてみたいと思っています。

 南京大虐殺の真偽や自虐史観をめぐる論争については私も十分意識しているつもりです。しかし、この小冊子が与えるものを、こうした陳腐なキーワードのレベルで受け取ってはならないと私は感じます。同時に、「生者の恥辱」という言葉が林白耀さんの言う意味とはやや異なった響きで私の中にこだましていることも申し上げておかなければなりません。これまで、のうのうと生きて来たことを恥ずかしく思う重い懊悩のようなものです。

 よく知られた中野重治の『雨の降る品川駅』という絶唱があります。

  ・・・・

  君らは出発する

  君らは去る

  さようなら 辛

  さようなら 金

  さようなら 李

  さようなら 女の李

  ・・・・

今、はっきりと、この詩が私の心中に蘇って来ました。

また、どこかで読んだか忘れてしまった中原中也の詩の中の、そこだけ憶えているただ一行:

  オント、オント、オント(honte, honte, honte)

の響きも浮かびます。この詩人は、何か、いま私が語っていることとは全く別の、やり切れない恥ずかしさに苦しめられていたのでしょうが。

 とにかく、この小冊子をお読み下さい。ご希望の方には、イサム・ノグチ関係のDVDと同じように、私からお送りします。直接に注文したければ

「日中草の根交流会」(電話:090-8829-2109)に申し込んでください。

ところで、イサム・ノグチ関係のDVDですが、こちらは、著作権侵害の行為のようなので、現在手元に残っているコピーがなくなれば、お送りするのをやめます。

 

藤永茂(2023年1月19日)


カタルニア民謡『鳥の歌』

2023-01-13 13:59:26 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 イサム・ノグチの原爆慰霊碑に関連した内容のDVDをご希望の方にお送りすることをしていますが、その中に、2005年のNHKの番組「平和巡礼 長崎:母と子、未来への祈り」と、その後に、ドウス晶代さん出演の日曜美術館番組「イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑」が入っています。始めの原爆60年記念の番組はとても立派な内容ですが、ウクライナ戦争と日本の軍備問題とを目の前にして、「この番組に出演している名の有る人たちは今どうしているかなあ」という想いが浮かび上がってきました。第九条堅持と反戦の立場を貫いておられるに違いないと私が信じる方々も確かにおいでですが。

 このブログでは、番組の中でミーシャ・マイスキーさんが演奏するカタルニア民謡「鳥の歌」のことを中心に、私の古い思い出などをお話しします。

 浦上天主堂の十字架のキリスト像のもとで行われたミーシャ・マイスキーのチェロ演奏はスイートな音色で始まりましたが、聞き進むうちに、美しすぎる、甘すぎる、という感じが募っていきました。聞き終わると、パブロ・カザルスの演奏が聴いてみたくなり、古いCDを探してプレーヤーにセットしました。チェロ曲「鳥の歌」は故郷の民謡をカザルスが編曲したものです。録音は1961年11月13日ワシントンのホワイトハウスで行われました。聴く者の心の芯に滲み入るような演奏ですが、ただ甘美という音ではありません。今回久しぶりに聴いて驚いたのですが、3分あまりの演奏の間に、グレン・グールドも顔負けのカザルスの唸り声が何度も入っているのです。この二つの「鳥の歌」が音楽として私に訴える力が、私にとって、どうしてこんなに違うのか、カザルスの演奏の方に断然心を惹かれてしまうのは何故なのか?

 年初のNHKの音楽番組に一つに、2022年10月31日、サントリー・ホールでのミーシャ・マイスキーのチェロ演奏会がありました。2005年の長崎浦上天主堂での「鳥の歌」から17年経っています。初めの2曲は、バッハの無伴奏チェロ組曲の第二番と第六番、私の大好きな曲です。マイスキーさんは1948年生まれ、豊かな白髪を振り乱しての熱演、二番と六番では、服装も変えてのステージ登場でした。しかし、第六番の終わりのガボット、ジーグまできた頃には、ああこれはマイスキーさんの音楽だがバッハの音楽ではない、という不遜で失礼な思いが膨れ上がってくるのを抑えることが出来なくなりました。そこで、手元の、カザルス、シュタルケル、フルニエ、ビルスマのCDを取り出して、この2曲、第二番と第六番を聴いてみました。それぞれに特色を持った演奏ですが、素人の私の思い込みか、どの演奏からも、確かにバッハの音楽が聞こえてきたような安堵の気持ちを味わうことが出来ました。

 三省堂の「新グローバル英和辞典」で“affectation”という単語を引くと、[名] 気取り、きざ(な態度)、without ~ 気取らずに、率直に、・・・、などと出ています。これで見ると、悪い意味の言葉のようですが、昔読んでいたレコード雑誌のレコード批評などでは、それほど悪い意味ではなく、「これが私の演奏だ」という自意識が強く出過ぎたレコードに与えられる評言でした。マイスキーさんの演奏で私が感じたのはこれだったと思います。

 バッハの『無伴奏チェロ組曲』の演奏などについて、以前、ブログに書いたことがあります。そのブログ記事には、素晴らしいコメントが寄せられました。

ぜひ読んでいただきたいと思います:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/9b529cc4812565ff950ca0311227fb7c#comment-list

 カザルスはフランコ政権支配下のスペインを嫌って、1939年以後、国外に移住し、戦後もフランコ政権を承認している国では、公式の演奏会を行うことはなかったのですが、ケネディ大統領のホワイトハウスでの演奏会は、ケネディの主催ではなく、当時カザルスが住んでいたプエルト・リコ(カザルスの母親の故郷)の総督がホワイトハウスで非公式に主催する演奏会に出演を求められたという形になっていました。CDのライナーノートによると、出演受諾の手紙には「人間性が、今日ほど重大な状況に直面したことは、いまだかつてありません。いまや世界の平和ということが、全人類の祈願となっています」とカザルスは書いています。彼は、晩年、好んで「鳥の歌」を演奏し、「カタルーニアの小鳥たちは、青い空に飛び上がるとピース、ピースといって鳴くのです」と語ったそうです。この言葉は、2005年のNHKの番組「平和巡礼 長崎:母と子、未来への祈り」の中でも引用されています。

 カザルスがケネディ夫妻の前で「鳥の歌」を演奏した時には私はシカゴにいました。その2年後、ケネディ大統領が暗殺された時にはカリフォルニア州のサンホゼ(サノゼ)にいました。その後、カナダのエドモントン市で、フルニエとビルスマの演奏を、シュタルケルの演奏はカナダロッキー国立公園内のバンフの街で聴くことが出来ました。私の大切な思い出です。

 1968年、私は九州大学からカナダのアルバータ州の州都エドモントン市のアルバータ大学に転職しました。エドモントンはチャップリンの傑作映画『黄金狂時代(ゴールドラッシュ)』に描かれた黄金狂たちのアラスカの金鉱との往来の拠点として発展を始めました。私の家族が生活し始めた頃は、郊外も含めて人口百万ほどでしたが、1981年の秋に、市の西部にウエスト・エドモントン・モールという大きな複合商業施設ができました。ウィキペディアによると、2004年までは世界最大のショッピングセンターのタイトルを保持していたようです。日時ははっきり覚えていませんが、多分オープンしてすぐの頃だったと思います。このモールの地下の広場でピエール・フルニエのチェロ独奏会があるというので行ってみたのでしたが、後日、フード・コートになった場所に、簡単な臨時ステージと数十の折り畳み椅子が置いてあるだけで、まず、びっくり、これは何かの手違いに違いないと考えるしかありませんでした。当時はインターネットもスマホも普及していず、私は土地の新聞記事を見てやって来たのですが、これでは、フルニエに気の毒で失礼だという気持ちになりました。しかし、フルニエは、眉一つ動かさない平静さで、見事な演奏を始め、誠に素晴らしい音楽を聴かせてくれました。その時の感動は、今も、熱く生き生きと胸に蘇って来ます。

 シュタルケルを聴いたのは、カナダ・ロッキー国立公園の中の町バンフのアート・センターでした。フルニエとは別の趣の思い出話です。シュタルケルがチェロを抱えて登場してステージ真ん中の椅子に座ったその時、かぶりつきの座席から赤ん坊の泣き声が立ち上りました。シュタルケルは弓を下げて座ったままの姿勢、赤ちゃんは泣き止みません。緊張の数十秒、最前列で赤ちゃんを胸に抱いた小柄な若い女性が立ち上がり、会場から出て行きました。シュタルケルは弓を構え、演奏を開始しました。

 その女性は私には日本人のように見えました。赤ん坊を抱いて演奏会の最前列の席に座るなんて非常識です。しかし、彼女はシュタルケルの生演奏をよほど聴きたかったに違いありません。赤ん坊の父親はどうして彼女を助けなかったのか。赤ん坊はシュタルケルのギョロ目に怯えたのかも知れません。母親は赤ん坊が泣かないでいてくれると賭けていたのでしょう。忘れ得ない思い出です。私がエドモントンに住んでいた頃カナダで活躍していたチェロ奏者堤剛はシュタルケルのお弟子さんで、今も日本で活躍しておられます。

 アンアー・ビルスマを聴いたのは、アルバータ大学の小さい室内楽同好会の主催した演奏会での単独演奏です。メンバーが100人そこそこの同好会でしたから、年会費から捻出できる出演料は低いものでしたが、いい音楽家は、本当に音楽が好きな聴衆には、低いギャラでも招待に応じてくれるものです。この同好会で、私は、エマ・カークビーや、ピーター・フィリップ率いるタリス・スコラーズの歌声まで聴くことが出来ました。懐かしい思い出です。

藤永茂(2023年1月13日)


コメント寄稿者の方々に

2023-01-08 18:26:50 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 これまでにこのブログに寄せて頂いた数多のコメントに、然るべきお答え申し上げてこなかったことをお詫びいたします。今回、ブログ記事「イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(6)」に山椒魚さんからコメントを頂いたのを機会に、私の所存を申し上げます。

 以前にも書いたことがありますが、ブログ記事を書くことは一種の自己顕示欲の現れであろうという後ろめたい思いを持ち続けていましたが、老齢のお陰か、その気持ちが消えて、いや、これは友を求める人間の自然な行動であって、やましいと思うことはない、と悟ることができました。そうなってみると、2006年2月以来、時につれ、折りにふれて、私の不明、蒙を啓き、さらには暖かい励ましの言葉を寄せて頂いた方々の存在がとても有難く思われます。山椒魚さんもそのお一人です。

 今度いただいたコメントに「イサムノグチについては、恐らく彼が亡くなったあとの頃ではないかと思いますが、NHKの日曜美術館で彼についての特集があったように記憶しています。そのとき、広島の記念碑の問題も確か取り上げられていたように思います。日本政府は中国との戦争に前のめりになって防衛費を増大させることを計画しています。戦争で死ぬのは庶民だけ。「過ちを繰り返しません」と誓った日のことを日本人は忘れてしまったようです。」とあります。

 私のブログへの直接コメント寄稿ではありませんが、時折、ご自分のウェブサイト『マスコミに載らない海外記事』で私のブログ記事などを引用してくださる方にもこの機会に感謝と尊敬の念を捧げます。しばらく前にこのサイトで「過ちは繰り返します秋の暮」という卓抜な一句が紹介されていました。山椒魚さんの憂慮と同じです。

 三省堂の「新グローバル英和辞典」で“armchair”を引くと、[名] 肘掛け椅子、[å½¢] 机上の空論的な、などとあり、an armchair politician (政治に携わらず批評ばかりする政治評論家)という例が出してあります。私などは「安楽椅子一言居士」と呼ばれても仕方がありません。

 最近、私のブログの読者のお一人から、『死者の恨(ハン)・生者の恥辱(ツウルウ)』という小冊子をいただきました。一読して、目から鱗どころか、深甚な衝撃を受けました。過去の戦争で我々日本人は朝鮮と支那(中国)の人々に対して何をしたか。生者の一人として深く恥じ入るばかりです。この冊子については稿を改めて書くつもりですが、もしご希望であれば、イサム・ノグチの原爆慰霊碑関係のDVDと同様にお送りします。この冊子を下さった女性の方は、今、街頭に身を挺して反戦運動を実践しておられます。

 反戦の女性といえば、今日1月8日は特別の日です。全く自分の良心の命ずるところに従って、キューバの独立維持のため、アメリカ国防情報局(DIA, Defense Intelligence Agency)の極秘情報をキューバ政府に伝達した罪で、21年間以上、米国の軍事刑務所の独房で過ごしたアナ・ベレン・モンテス(1957年2月28日生まれ)という女性が今日2023年1月8日に出所します。

私はこの名前、このニュースをほんの4日前に知ったばかりです:

https://libya360.wordpress.com/2023/01/04/ana-belen-montes-an-exemplary-hero-will-be-freed/

このアナ・ベレン・モンテスさんはアメリカ国防情報局の中で高い地位を占める優秀な官僚でしたが、米国軍部が新しい独立国キューバに侵攻を画策しているという情報を事前にキューバ政府に通告したのです。キューバ政府から鐚一文ももらったわけではなく、ただ自分の良心に従って米国の法律を破ったのだとはっきり発言し、国外逃亡の機会も求めず、米国内で罪人として21年間服役しました。2002年10月16日の裁判でアナ・ベレン・モンテスさんが行った自己弁護の内容を読むことができます。その冒頭の部分だけを訳出し、あと、原文を引用します:

「イタリアの一つの格言が、私の信じていることを多分最もよく言い表しています:世界全体は一つの国だ、というものです。この‘世界の国’では、あなたが自分を愛するのと同じようにあなたの隣人を愛するという原理が、我々の‘お隣の国々’の間での調和的関係を保つためにぜひ必要な導きの一つなのです。」

Ana Belén Montes’ Noble Defense of her Conduct

In her October 16, 2002 trial statement, she declared that she obeyed her conscience:

“There is an Italian proverb that is perhaps the one that best describes what I believe: The whole world is one country. In that ‘world country’, the principle of loving your neighbor as much as you love yourself, is an essential guide for harmonious relations between all our ‘nation-neighborhoods’.

This principle implies tolerance and understanding for the different ways of others. It mandates that we treat other nations the way we wish to be treated – with respect and compassion. It is a principle that, unfortunately, I believe we have never applied to Cuba.

Your Honor, I got involved in the activity that has brought me before you because I obeyed my conscience rather than the law. Our government’s policy towards Cuba is cruel and unfair, deeply unfriendly; I feel morally obligated to help the island defend itself from our efforts to impose our values ​​and our political system on it.

We have displayed intolerance and contempt for Cuba for four decades. We have never respected Cuba’s right to make its own journey towards its own ideals of equality and justice. I do not understand how we continue to try to dictate how Cuba should select its leaders, who its leaders cannot be, and what laws are the most appropriate for that nation. Why don’t we let Cuba pursue its own internal journey, as the United States has been doing for more than two centuries?

My way of responding to our Cuba policy may have been morally wrong. Perhaps Cuba’s right to exist free of political and economic coercion did not justify giving the island classified information to help it defend itself. I can only say that I did what I thought right to counter a grave injustice.

My greatest wish would be to see a friendly relationship emerge between the United States and Cuba. I hope that my case in some way will encourage our government to abandon its hostility toward Cuba and work together with Havana in a spirit of tolerance, mutual respect and understanding.

Today we see more clearly than ever that intolerance and hatred – by individuals or governments – only spreads pain and suffering. I hope that the United States develops a policy with Cuba based on love of neighbor, a policy that recognizes that Cuba, like any other nation, wants to be treated with dignity and not with contempt.

Such a policy would bring our government back in harmony with the compassion and generosity of the American people. It would allow Cubans and Americans to learn from and share with each other. It would enable Cuba to drop its defensive measures and experiment more easily with changes. And it would permit the two neighbors to work together and with other nations to promote tolerance and cooperation in our one ‘world-country,’ in our only world-homeland.”

 何という、非の打ち所のない、美しい文章でしょう。まるで、どこかのアームチェア反戦論者が書斎の机の上で書き上げそうな文章です。しかし、アナ・ベレン・モンテスはこうして堂々と自己を弁護し、実際に、一生の最良であるべき年月を牢獄内で費やしました。しかし、私には、この女性が一生を棒に振ったとはとても言えません。人生は一人にただ一つ、ただ一つの人生をアナ・ベレン・モンテスは見事に生きたとしか言いようがありません。この驚くべき女性の生き様に興味をお持ちの方は、上にアドレスを掲げた記事の全文をぜひお読み下さい。

藤永茂(2023年1月8日)