私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オジャラン(7)

2015-09-30 22:25:16 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 シリアをめぐる情勢はますます緊迫の度を増しています。そしてクルド問題は単にそれに随伴した問題ではなく、その中核に絡まっている重要な問題です。
現地の情勢の展開に目を配りながら、オジャランの『Democratic Confederalism(民主的連邦主義)』の翻訳を始めます。原書はクルド語で、私の手元には、その英訳版が二つあります。私が使うのはTransmedia Publishing 2014 (ISBN 978-3942961172)という単行小冊子版の方です。もう一つはクルド労働者党(PKK)のホームページにアップされているのですが、このところ、エルドアン政府が邪魔をしているのかアクセス出来ません。

http://www.pkkonline.com/en/index.php?sys=article&artID=169

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目次
I. Preface
II. The Nation-State
III. Democratic Confederalism
IV. Principles of Democratic Confederalism
V. Problems and Solutions for the Middle East

I. 序言

30年以上にわたって、クルド労働者党(PKK)はクルド人の正当な権利のために闘ってきた。彼らの闘争、自由を求める彼らの戦いはクルド人問題を中東全体に影響を及ぼす国際的問題に変え、クルド人問題の解決を手の届くところまで持ってきた。

1970年代にPKKが形成された頃、国際的なイデオロギーと政治的状況は冷戦の二極化世界と社会主義陣営と資本主義陣営との対立で特徴付けられていた。その頃PKKは全世界にわたる非植民地化運動の勃興に勇気付けられた。この文脈において、我々は、我が母国の特殊の状況に応じて我々自身の道を見出そうと努力した。PKKはクルド人問題を単なる人種問題あるいは国家設立問題と見なしたことは一度もなかった。むしろ、クルド人問題とは、その社会を自由化し、民主化するプロジェクトであると我々は信じたのである。これらの目標は1990年代以来、時を追ってますます我々の行動を決定した。

また我々はクルド問題と現代資本主義体制のグローバルな支配との間の因果的関係を認識した。この関係を問い、挑戦することなしには問題の解決はありえないであろう。さもなければ、我々は新しい依存関係に巻き込まれるだけに終わるだろう。

これまでは、クルド問題のような人種性と国家性が関わる問題は、その根を歴史的に深く、その社会の基盤に持っているのであるから、現実的な唯一の解決策は国民国家の建設であると考えられてきたし、それが当世の資本主義的現代思考のパラダイムであった。

我々は、しかしながら、如何なる政治的設計図も中東における一般人民の状況を維持可能な形で改善することが出来るとは信じなかった。今日まで、中東であまりにも多くの問題を作り出してきたのは、国家主義と国民国家ではなかったか? したがって、このパラダイムの歴史的背景をもう一度良く見直して、国家主義の罠を避け、中東の状況により良く適合する解決策が展開出来るかどうかを検討しよう。

II. 国民国家

A. 基本的考察

一般人民が移動をやめて定住的になると、彼らは自分たちが住んでいる環境についての一定の考えを形成し始めるが、それはもっぱらその景観の性質や様相によって決められる。ある地域に定住しそこで長い間生活してきた氏族や部族は共通の同一性と故国の概念を発達させた。諸部族がそれぞれの故国と考えた境界はまだ国境ではなかった。商業活動や文化や言語は境界によって制限されなかった。領土的な境界は長い間柔軟なままに止まっていた。ほとんどあらゆる所で封建体制が優勢を占め、そして、時たま、絶えず変化する国境と多数の言語と宗教を持った、ローマ帝国とか、オーストリア・ハンガリー帝国、オットマン帝国、英帝国といった君主制王国や多人種帝国が勃興した。そうした帝国は長期にわたり、多くの政治的変化に耐えて生存し続けた。それは、封建制的基礎のお陰で、帝国の権力がより小さい二次的権力中心の広がり全般にわたって柔軟に分布されたからであった。

国民国家と権力

国民国家が出現すると、交易、商業、金融が政治的参加に乗り出してきて、その結果、彼らの権力を伝統的な国家構造に加えることになった。二百年以上前の産業革命の初期における国民国家の発展では、無統制の資本の蓄積とその一方での急速に成長する人口の歯止めのない搾取とが、手に手を取り合って進んで行った。この革命から生じた新しい資本家階級は国家の政治的決定と構造への参画を求めた。かくして、その新しい経済的システムである資本主義は新しい国民国家の内在的な成分となったのである。

この国民国家は、部族構造と世襲権力を基礎とした古い封建制秩序とそのイデオロギーを、すべての部族や氏族を国家という屋根の下に統合する新しい国家的イデオロギーで置き換えるために、資本家階級とその資本の力を必要とした。このようにして、資本主義と国民国家は極めて親密となり、どちらも他なしに存在することは考えられなくなった。その結果、搾取は国家によって是認されるだけでなく、奨励され、助長さえされることになった。

国家とその宗教的ルーツ

国家の宗教的ルーツはすでに詳しく議論した。(オジャラン著「文明のルーツ」、ロンドン、2007年) 現在の政治的概念や理念の多くはその起源を宗教的あるいは神学的概念や構造に持っている。実際、よく考察すると、宗教と神的想像力が歴史において最初の社会的意識をもたらしたことが判明する。それらは多くの部族や他の前国家的共同体のイデオロギー的な接着剤となり、共同体としての存在を意味付けた。

やがて、国家構造が発展を遂げた後、国家、権力、社会の間の伝統的なつながりは弱体化を始めた。共同体の始原にあった神聖で神的な考え方や実践は共同意識のための意味を加速的に失って行き、その代わりに、君主や独裁者のような権力構造へと移されて行った。国家とその権力は神的な意志と法則から導出され、その支配者は神の恩寵によって君主となった。君主たちは地上で神聖な権力を代表することになったのである。

今日では、殆どの近代国家は自身を世俗的国家と称している。宗教と国家の古い絆は断ち切られ、もはや宗教は国家の一部ではないと言明する。しかし、これは恐らく半分の真理だと言ってよい。宗教団体や聖職者の代表は最早政治的な、また、社会的な意思決定に参画しないにしても、彼らは、依然として、彼ら自身が政治的あるいは社会的思想や社会的発展の影響を受けるのと同程度に、政治的社会的意思決定に影響を与えている。従って、世俗主義、トルコでは laicism と呼ばれているが、は依然として宗教的な要素を含んでいる。国家と宗教の分離は政治的な決定である。自然に生じたものではない。これが今もって権力と国家は何か既にあたえられたもののような様相を呈する理由であり、神が与えたもの、とさえ言えるかも知れない。世俗国家とか世俗権力とかの理念は曖昧なものに留まっている。

また国民国家は、国家、祖国、国旗、国歌、などなどその他多数の象徴を、宗教に根ざした古い象徴に代わるものとして、振り当ててきた。とりわけ、国家と国民の一体性のような理念は物質的な政治構造を超越するのに役立ち、その意味では、前国家的な神との一体性を思い出させる。それらは神聖なるものの代替として持ち出されたものだ。

その昔、ある部族が他の部族を征服した時には、征服された方の成員は勝者の方の神々を敬わなければならなかった。このプロセスを植民地化のプロセス、あるいは、同化のプロセスとさえ呼んでも間違いではあるまい。国民国家は、その社会を完全に武装解除することに役立てた擬似の神聖な象徴の数々を備え、暴力の使用を独占する中央集権国家である。

********************(次回に続く)

現在、トルコ東部のクルド人が多く住む地域で、エルドアン大統領のトルコ政府がクルド人に対して大いなる暴力を振るっています。オバマ大統領は「自国の都市を爆撃して自国民を殺戮する独裁者アサド大統領は打倒しなければならない」としきりに主張しますが、エルドアン大統領こそその非難に値します。トルコの最東南部、シリア、イラク、の三國が境を接するあたりに位置する人口約15万の都市 Cizre (チズレ、ジズレ)は、トルコ政府軍と国家警察軍の厳しい封鎖と攻撃に晒されていて、双方の死者数は大きくなるばかりですが、この街と周辺を守ろうとするクルド人市民たち、特に女性たちの決意と意気はいよいよ高く、オジャランの教えに沿った自治集団の設立が盛んに行われています。興味のある方は、例えば、下記のサイトを覗いてください。

http://en.firatajans.com/women/women-lead-the-building-of-self-rule-in-cizre

http://en.firatajans.com/kurdistan/140-communes-formed-in-cizre-as-part-of-building-of-self-rule

https://syria360.wordpress.com/2015/09/15/turkeys-war-against-the-kurds/


藤永 茂 (2015年9月30日)

オジャラン(6)

2015-09-23 22:25:45 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 ジェレミー・コービンという社会主義政治家が英国の野党である労働党の党首に選ばれました。ウィキペディアには、「コービンは2015年6月6日に労働党党首選への出馬を表明した。最初は党首選において泡沫候補と考えられていたが、選挙のトップに躍り出、多くの世論調査で圧倒的支持を得たほか、労働党と提携する組合の多数及び提携のない組合3団体からも支持をとりつけた。2015年9月12日、コービンは初回投票において59.5%の得票で労働党党首に選ばれた。」とあります。以下に引用するのは、彼の2013年11月の発言の一部ですが、大変分かりやすい内容です。:
# If you want to live in a decent world, then is it right that the world’s economy is dominated by a group of unaccountable multinational corporations? They are the real power in the world today, not the nation-state. It’s the global corporations. And if you want to look at the victims of the ultimate of this free market catastrophe that the world is faced with at the moment, go to the shantytowns on the fringes of so many big cities around the world. Look at those people, migrants dying in the Mediterranean trying to get to Lampedusa. Why are they there? Why are they dying? Why are they living in such poverty? I’ll tell you this: It’s when the World Bank arrives and tells them to privatize all public services, to sell off state-owned land, to make inequality a paragon of virtue. That is what drives people away and into danger and poverty.
And I will conclude with this thought: Think about the world you want to live in. Do you want the dog to eat the dog, or do you want us all to care for each other, support each other, and eliminate poverty and injustice? A different world is possible. Thank you. #
「もしあなた方が真っ当な世界で暮らしたいと思うのでしたら、この世界の経済が無責任な多国籍企業の一群に支配されていてよいのでしょうか?彼らが今の世界の本当の権力であって、国民国家ではないのです。それはグローバルな企業体です。もし、この自由市場という災難の極の犠牲者をよく見たいと思うのなら、世界中の無数の大都会の周辺にある貧民街にお行きなさい。そこの人々をよく見てください。ランペドゥーサ島にたどり着こうとして地中海で溺死する人々を御覧なさい。なぜ彼らは死んで行くのか? なぜ彼らはあの様な貧困に中に生きているのか? それはこうなのです。世界銀行がやってきて、すべての公共サービスを民営化するように、国有地を売ってしまうように、不平等を美徳の手本とするように、人々に告げるようになると、それが人々を駆り立て、危険と貧困に追い立ててしまうのです。締めくくりに、私の想いを申し上げましょう。:あなた方が生きたいと思う世界のことをよく考えてください。食うか食われるかの世界を望みますか、それとも、我々すべてがお互いにいたわり合い、お互いに助け合い、そして貧困と不公平をなくしてしまうことを望みますか? 違う世界は可能なのです。ご静聴ありがとう。」#
 ロンドン在住の頼りになる論客タリク・アリによると、労働党からの下院(ハウス・オブ・コモン、庶民院)議員として、1983年から30余年一貫して、あらゆる戦争参加反対、反核、反ネオリベラル経済政策の立場を堅持して一度たりともブレたことはありません。虐げられた人々に接した時の彼の心の痛みは深刻にパーソナルなもので、深奥のその感性が政治家としての姿勢を決定しているからこそジェレミー・コービンは決してブレないのだと私は思います。政治家としての彼の「分かりやすさ」の理由もここにあります。分かりやすい政治家といえば、ウルグアイのホセ・ムヒカ(Jose Mujica)が思い出されます。(2013年12月3日の記事で取り上げました。)ムヒカは米国政府の定義に従えばテロリストとしての過去を持つ政治家ですが、心底に溢れる人間的優しさにおいてはコービンと同族です。そして、同じく“テロリスト”、オジャランも、“A different world is possible”と堅く信じて戦い続ける「分かりやすい」政治家の一人です。日本には底の見え透いた政治屋はいくらも居ますが、コービンやムヒカやオジャランの意味で「分かりやすい」政治家は見当たりません。
 日本では近頃テレビなどで「分かりやすいニュース解説」が流行のようですが、実際には、むしろ、致命的に「分かりにくい」解説、事の本質を隠蔽するための報道操作になっている場合が多いのではありますまいか。シリアやアフリカ諸国からの難民のヨーロッパ流入もその一例です。米欧の侵略行為が難民問題の原因だという事の本質を伏せる限り、分かりやすい解説は不可能です。もっと根本的には、難民たちの母国が貧しいのは米欧が彼らの富を強奪したからです。難民の一人が「本当の事を言えば、我々は移住しているのではない。我々は泥棒を追いかけているのだ。我々の持ち物を持ち去った先を確かめたい」と言ったと、何処かで読みました。痛烈な皮肉であり、事の核心を衝いています。
 「報道しない」という手も世論操作によく使われます。ロジャバ革命の原動力であるクルド人女性兵士たちが対イスラム國闘争で目覚ましい戦果を挙げている事、トルコのエルドアン大統領がイラク東部の山岳地帯のPKKのみならず、自国トルコの東部のクルド人地域の住民に対しても、軍事的暴力を振るって襲いかかっている事実を、米欧マスメディアは殆ど報じません。
 私が最も注目するのは、ロジャバ革命の地域でクルド人女性戦士とアサド政府軍が協力してイスラム国軍と闘っているという報道です。ソースはRT(ロシア・トゥデイ)で4分のムービーですが、信憑性は高いと思われます。戦闘の場所はシリア東部の端っこのハサカーです。米国の週刊誌「ニューズウィーク」も同じ戦闘が報じていますが、シリア政府軍の役割をなるだけ貶めようとする筆致は興味ふかいものです。

https://syria360.wordpress.com/2015/09/14/report-from-hasakah-kurdish-women-syrian-army-fighting-isis-on-the-frontline/

http://europe.newsweek.com/report-isis-ousted-syrian-city-hasakah-330957

もう一つ、オジャランの教えを奉じて不倶戴天の敵イスラム國と闘うクルド人女性たちについての感動的な報道記事を紹介します。

http://new-compass.net/articles/after-genocide-yazidi-women-fight-back

 2014年6月、イラク北部とシリア東部にまたがる地域で建国を宣言したイスラム國はイラク北部でイラク政府軍を容易に撃破してしまいます。しかし、首都バグダッドに向けては進撃を始めず、イラク北部のクルド人地域に兵力を向け、8月初旬、シリアとの国境に近い人口二十数万の都市Sinjarに襲いかかり、数千人を虐殺し、多数の女性を性的奴隷として捕獲しました。市民数万人は近くの山岳地帯へ逃げ込みましたが、イスラム國軍に道路を封鎖されて、餓死の危険に晒される事になりました。これがSinjar Massacreと呼ばれる事件です。
 Sinjarはクルド語ではShengalと呼ばれ、この小都市の住民の大多数はYazidiと呼ばれる独特の宗教を持つ部族の人々で、社会的習慣も独特の保守性を維持していました。上に掲げた報道記事『After the Genocide: Yazidi Women Fight Back』によると、シェンジャルの住民を守るはずであったイラク北部のクルド民主党(KDP)支配下のクルディスタン自治政府の軍隊ペシュメルガはISの侵攻の前に早々とシェンジャルを見捨てて撤退してしまいました。しかし、PKKのゲリラ兵士、ロジャバ地域からのYPG,YPJの男女混成部隊はISの封鎖を破って山岳地帯に閉じ込められたヤジディの人達一万人を西方に救出しました。
 それから1年、その間に、ヤジディの女性に大いなる覚醒、革命の時が訪ずれました。アブドゥッラー・オジャランの思想が彼女らの間にも力強く広がっているのです。それが“Yazidi Women Fight Back”というタイトルの意味です。

和訳する時間がありませんので、原文を移します。
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For an entire year, Yazidi women have been portrayed as helpless rape victims by the media. Countless interviews repeatedly asked them how often they were raped and sold, ruthlessly making them relive the trauma for the sake of sensationalist news reporting. Yazidi women were presented as the embodiment of the crying, passively surrendering woman, the ultimate victim of the Islamic State group, the female white flag to patriarchy. Furthermore, the wildest orientalist portrayals grotesquely reduced one of the oldest surviving religions in the world to a new exotic field yet to be explored.
Ignored is the fact that Yazidi women armed themselves and now mobilize ideologically, socially, politically and militarily with the framework laid out by Abdullah Öcalan, leader of the PKK. In January, the Shengal Founding Council was established by Yazidi delegates from both the mountain and the refugee camps, demanding a system of autonomy independent of the central Iraqi government or the KRG. Several committees for education, culture, health, defense, women, youth, and economy organize everyday issues. The council is based on democratic autonomy, as articulated by Öcalan, and met harsh opposition by the KDP, the same party which fled Shengal without a fight. The newly-founded YBŞ (Shengal Resistance Units), the all-women’s army YPJ-Shengal, and the PKK build the frontline against the Islamic State group here, without receiving a share of the weapons provided to the peshmerga by international forces. Several YBŞ and council members were also arrested in Iraqi Kurdistan.
On July 29, women of all ages made history by founding the autonomous Shengal Women’s Council, promising: “The organization of Yazidi women will be the revenge for all massacres.” They decided that families must not intervene when girls want to participate in any part of the struggle and committed to internally democratizing and transforming their own community. They do not want to simply “buy back” the kidnapped women, but liberate them through active mobilization by establishing not only a physical, but also a philosophical self-defense against all forms of violence.
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また、Sozdar Avestaという名のヤズディ女性の力強い発言も写しておきます。:
“It is not a coincidence that the Islamic State group attacked one of the oldest communities in the world. Their aim is to destroy all ethical values and cultures of the Middle East. In attacking the Yazidis, they tried to wipe out history. The Islamic State group explicitly organizes against Öcalan’s philosophy, against women’s liberation, against the unity of all communities. Thus, defeating the group requires the right sociology and history-reading. Beyond physically destroying them, we must also remove the Islamic State group-ideology mentally, which also persists in the current world order.”
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日本語の良い報道記事があることに気がつきましたので紹介させていただきます。遅きに失しました。

http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/09/08082015.php

藤永茂 (2015年9月23日)

オジャラン(5)

2015-09-16 21:49:57 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 離島の監獄独房に幽閉されているオジャランを指導者と仰ぐクルド人をめぐる情勢がいよいよ風雲急を告げています。オジャラン文献の翻訳の掲載を中断して近況を報告します。
 まず復習と予備的解説から。このブログの2015年8月5日の記事『クルド人を生贄にするな』で、
# このコバニと国境を挟んだトルコ側の町スルチの文化センターの庭で、7月20日、爆発があり、32人が死亡、103人が負傷しました。この文化センターの施設には、戦火でひどく破壊されたコバニの町の復興支援プログラムに参加する300人以上の青少年が滞在していました。ロジャバ革命に夢を託す、主にクルド人の若者たちが犠牲になったのです。
 トルコのダウトオール首相によれば、イスラム国の自爆テロだということで、トルコ国内でイスラム国がテロ行為に及んだので、それまでアメリカ主導の対イスラム国打倒の作戦への参加に不熱心だったトルコも、とうとう重い腰を上げてアメリカとの同調に踏み切った、というふうに伝えられることがありますが、これは、とんでもない誤報です。いや、誤報ではなく、為にする真っ赤な嘘です。#
と書きました。スルチでのISによる自爆テロで殺傷されたのは、オジャランの思想を信奉するクルド人の若者達ですし、このテロ行為を、トルコ政府による、いわゆる偽旗作戦(false flag operation)だったとする見方に、私は傾いています。
 同じブログ記事を私は次のように結びました。:
#一方、IS叩きの戦列に参加したはずのトルコは、ISに対する空爆はほんの言い訳程度で茶を濁し、クルド人に対してはイラクやシリア内の拠点に対する激しい空爆を実施し、トルコ国内では、危険分子と見做されるクルド人の大量逮捕投獄に踏み切りました。「ロジャバ革命」の全面的危機の到来です。#
 トルコは東南部国境でイラン、イラク、シリアに接しています。このトルコ東南部から南に向けてシリア北東部、イラク北部、イラン北西部にまたがる広大な(面積は日本全土とほぼ同じ)地域が、クルディスタンと一般に呼ばれるクルド人の“母国”で、その半分以上が山岳地帯です。トルコ部分を北クルディスタン、イラク部分を南クルディスタンと呼ぶこともあります。民族としての総人口は約3000万、トルコには約1000万、イラクには約500万、北クルディスタンの一部としてのシリア東北部には約100万のクルド人が住んでいます。例の小都市コバネを含むトルコ/シリア国境のシリア側地帯ではロジャバ革命が進行中です。
 北クルディスタンと南クルディスタンは、政治的にはっきりと区別して考えなければなりません。第一次世界大戦後、クルド人の独立国「クルディスタン」が出来かけたのですが、トルコの強い反対で夢と消えました。ブッシュのイラク戦争では、南クルディスタンは米国の厚い庇護を受けることになり、「クルド自治政府」が2006年に正式に発足しました。米欧がイラク国内で別格の自治権を行使するこの自治区政府に肩入れをするのは、南クルディスタン、つまりイラク北部のクルド人居住地帯が石油の産地であるからです。クルド人の自由と独立を思想的に支持するからでは全くありません。自治政府トップの議長マスード・バルザニはクルド民主党(KDP)の党首でもありますが、バルザニ氏は米国ともトルコとも密接良好な関係にあります。つまり、北部イラク(南クルディスタン)のクルド人全体の民意はともかくとして、自治政府自体は親米親トルコだということで、これは、クルド人問題を考える場合に重要なポイントです。
 上にも報じたように、米国主導の対IS戦闘に参加したかに見せかけて、トルコのエルドアン大統領は猛然とPKKに代表されるクルド人勢力に襲いかかりました。もともとのPKKの拠点は北クルディスタン(トルコ東南部)ですが、それと地続きのイラク北部の山岳地帯にも拠点があり、トルコ空軍がまず爆撃したのは、いわば、イラクのクルド自治政府の勢力圏内の山岳地帯のPKKでした。
 クルド自治政府は直ちにPKKの北部イラクから北クルディスタンへの転出を求めました。エルドアンのトルコ政府(警察、軍隊)は国内東南部(北クルディスタン)で、PKK所属のテロリスト撲滅の口実のもとに、戒厳令の乱発などを行って一般のクルド人の生活環境を悪化させています。トルコ国内では、内戦勃発の可能性が真剣に論じられ始めました。クルド人問題をめぐって、中東の風雲はまさに急を告げています。復習の一部として、ブクチンとPKKについて、2015年8月19日付の記事『オジャラン(1)』の中核部を再録します。
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クルド人抵抗運動

1970年代後期、米国でブクチンがソーシャル・エコロジーという彼の理論の価値と重要性を認めてもらうように苦闘を続けていた頃、それとは全く別の闘争が地球の反対側で頭をもたげつつあった。トルコの南東部の、クルド人が圧倒的に多い山岳地域で、一つの組織体が創設されたが、それが、やがては、ブクチンのソーシャル・エコロジーの考えを受け入れ、それに適応するようになったのだ。

その組織体はクルド人労働者党、あるいは、クルド語での頭文字をとって、PKK と自称することになった。そして、1984年に、トルコ国家に対して最初の攻撃を仕掛けたのだ。この最初の軍事作戦に続いて他の作戦も展開され、結局、30年間に及ぶ武力闘争に発展し、未だに解消されていない。

PKKはマルクス・レーニン思想に鼓舞され、社会主義諸原理に基づいた独立のクルド人国家建設のために闘った。伝統的なクルド人母国は現在のトルコ、イラン、イラク、シリアに跨るのだが、20世紀始めにフランスと英国の間で、中東の以前のオットマン-トルコの領土の分割に関する取引が成された際に切り分けられた。トルコ、シリア、イラクの国境は1916年の悪名高いサイクス-ピコ協定によって決定された。

いつの日か別々のクルド人居住地域の一体化に立ち会うというユートピア的希求にも関わらず、PKKの闘争は、もっぱら、トルコ国によって占領されている北部クルディスタン――またはバクール――の解放に焦点を絞っていた。しかしながら、1990年代に、PKKはゆるやかに一個の独立したクルド人國を建国する希求から離れ始め、それ以外の可能性を探り始めた。

1999年、PKKの創始者で指導者のアブドゥッラー・オジャランは、トルコとシリアの間の外交的大揉めごとに巻き込まれた。20年ほど前、彼がトルコから追い出されてから後は、彼はシリアからPKKの作戦を指揮していたのだが、もうシリアは反乱指導者を受け入れて保護することを拒否したため、オジャランは別の避難場所を求めてシリアを去る以外に選択の余地がほとんど無くなった。それから暫くして、彼はケニヤで捕らえられ、トルコに連れ帰られて、死刑の宣告を受けた――その刑罰は後ほど無期懲役に変更された。

オジャランの逮捕はPKKの独立闘争にとっての限界点であった。その直ぐ後、PKKは独立国の要求を取り下げて、地方レベルでの自治の増進を要求するようになった。監獄内で、オジャランはブクチンの著作に親しみ始め、社会の変換に関するブクチンの論考がオジャランに影響を与えて、独立国家の理想を断念し、むしろ、オジャランが‘民主的連邦主義(Democratic Confederalism )と名付けた別の道筋を追求することになったのだ。
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藤永 茂 (2015年9月16日)

オジャラン(4)

2015-09-09 22:19:58 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
オジャランの論考小冊子:
Liberating Life: Woman’s Revolution
 (生命の解放:女性革命)
の翻訳の続きです。興味を持たれた方は下記のサイトから全文を読み取ってください。単行本としても販売されています。

https://peaceinkurdistancampaign.files.wordpress.com/2011/12/ocalan-liberating-life-woman_s-revolution.pdf

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2. 女性の革命:新石器時代

父権制(男性優位制)はこれまで常に存在していたのではない。国家統制的文明の台頭以前の千年間、社会における女性の地位は大変違ったものであったという強力な証拠がある。 実際、その社会は女性中心的で、女性の周辺に構築されていた。
 ザグロス-タウルス地域系内(訳注:クルド人の古代からの母国地帯)では、中石器時代とそれに続く新石器時代の社会が第4氷河期の終わり、ほぼ2万年前に、発達し始めた。よく発達した道具と高度の集落システムを備えたこの見事な社会はそれ以前の氏族社会より遥かに進歩したものだった。この時期は我々の社会的特質の歴史における一つの驚くべき時代を形成している。いまだに我々と共にある多くの発展はこの歴史的段階まで遡ることができる:農業革命、村落の設立、商取引の根源、それに母親を基礎とする家族、はたまた、部族と部族組織体も含めて。
 我々が今日でも使っている多くの手法、道具、用品は、多分この時代の女性による発明や発見に基づいている。例えば、異なった植物のいろいろ有用な利用や、動物の家畜化、植物の栽培、住居の建設、育児栄養の原理、くわ、手動粉挽き、それに多分、牛車なども。
 私にとって、この時代の地母神崇拝はこれらの偉大な進展における女性の役割に対する尊敬を象徴している。それが抽象的な豊穣性の神格化だとは私は考えない。それと同時に、母親としての女性に基礎を置いた階級制は、この母親概念の歴史的根源であり、それによって、あらゆる社会が依然として母親というものを一つの権威として尊敬し、感謝の念を持つのである。彼女はこの権威を要求する:何故ならば、母なるものは、最も困難な条件の下でも、出産し、そして、栄養物を与えて生命を保つ最重要な生命要素だからである。まことに、この謝意に基礎を置いた文明と階級制は、必然的に、女性を崇めることになる。この母親概念の長続きの本当の理由は、母なるものは、人間という社会的存在の基礎を具体的に形成するという事実にあり;それは抽象的な出産能力によっているのではない。(訳注:これはフェミニズム論の重要なポイントだと思います。抽象的に‘母性’を祀り上げるのは一種のマヤカシだと私は思います。)
 新石器時代の間に、完全に共同体的な社会秩序、いわゆる“原始社会主義”、が女性を中心にして形成された。この社会秩序では、国家的秩序の強制執行はまったく見られなかったが、それにもかかわらず、システムは何千年もの間、存在し続けた。この永続した秩序こそが、人類の集団的な社会意識を形作ったのである;そして、楽園(パラダイス)という我々の概念構成へ導いたのは、このかつての平等と自由の社会秩序を取り戻し永続化しようという我々の終わるところのない希求でもある。
 平等と自由によって特徴づけられる原始社会主義は母権制秩序の社会的道徳性が所有権を許さなかったからであり、この所有権こそが社会的分裂の拡大化の背後にある主な要因である。原始社会主義では、男女の間の労働の分担と、この分担に関係する他の諸問題は、まだ所有権と権力関係に基づいていなかった。集団の内部での私的関係はまだ発達していなかった。採集した、また、狩猟した食物は全員に属した。子供達は一族に属した。男であれ女であれ、誰もある一人の人間の私的所有物ではなかった。これらすべての事柄について、いまだ小規模で大きな生産能力を持たなかった共同体が、確固とした共通の思想的、物質的文化を持っていた。社会を維持する基本的原理は分け合いと団結であったのであり、―― 生命を脅かす危険である所有権と暴力はこの文化を存続不可能にしたであろう。
 主流社会とは対照的に、新石器時代社会の自然との関係は、思想的また物質的文化の両方で、エコロジーの原理の遵守を通じて維持された。自然は人間たち自身と同じく、生き生きと活発なものと見做された。自然のこうした意識の仕方は、自然の中に多数の神聖なものや神格を認める心理を養った。もし我々が、集団的生活の本質は地母神を敬う気持ちに根をもつ神性の形而上学に基礎を置いていることを認識すれば、我々は集団的生活の最も重要な点をより良く理解できよう。
 理解しなければならないのは次のことである:何故に、また、如何にして、新石器時代の母権制(女性優位)システムが取って代わられることが可能だったのか?
 社会的集団が形成されるごく初期から、女性の食料採集と男性の狩猟の間には対立的緊張があったから、結果として、二つの異なる文化的進化が社会内で進展した。
 母権制社会では剰余生産物は、大量ではなかったが、蓄積された。(これが経済の始まりだった―― 概念としてではなく、実質として ―― そして、ここで我々は資本主義的経済とか寄贈経済といった、異なるタイプの経済の起源を見出す。) この剰余をコントロールするのは、養育者としての女性だった。しかし、男性は(多分、より成功率の高い狩猟技術を発達させることによって)その地位を向上させ、より高い社会的身分を獲得しその身辺に従者たちを集めるようになった。以前は有力者の集団に属していなかった“老賢者”やシャーマンは、そうした強者の男性(ストロングマン)に付属するようになり、男性優位支配のイデオロギーの構築の手助けをした。彼らは意識的に女性に敵対する大変組織的な運動を推し進めた。
 新石器時代の母権制社会では、制度化された階級構造はなかったが、今や階級制度が徐々に導入されてきた。シャーマンと経験を積んだ年長の男性との提携はこの面で重要な展開だった。この男性間連携が彼らの影響下に引き込んだ若い男性たちの上に打ち立てたイデオロギー的支配力は共同体の中での彼らの地位を強化した。重要なのは、男たちが獲得した権力の性質である。狩猟と一族を外的危険から防衛することは共に殺戮と傷害に依存することであり、軍事的性格を持っていた。これが戦争文化の始まりであった。
 共同体性はその上に階級制と国家権力が設立される基礎である。もともとヒエラルキー(階級制)という言葉は司祭、つまり、年配の賢者、による政府を指していた。はじめの頃には、それは前向きの機能を持っていた。自然発生的社会の有益な階級制を民主主義の原型と見做すことさえ出来るだろう。地母神と賢明な年長者たちが共同体の安寧と社会の運営管理を護った。彼らは、富の蓄積と所有権に基づかない社会における必要で有用な、基礎的要素であった。社会は自発的に彼らに尊敬を捧げた。しかし、自発的な依存性が権威に、有用性が自己利益に姿を変えると、それは常に、お呼びでなかった権力の機関に道を譲ってしまう。その権力の機関は、集団の安全と集団的生産という形に偽装して影に隠れる。この偽装こそがすべての搾取的圧政的システムの核心である。それはこれまでに発明された最も邪悪陰険な産物であり、それが、すべての形の奴隷制、すべての形の神話と宗教、すべての組織的な皆殺しと強奪をもたらしたである。
 疑いもなく、新石器時代社会の崩壊には外的な理由があったが、主な要因は司祭たちの神聖国家社会だった。低メソポタミア地域とナイル河流域における最初の諸文明の伝説がこのことを確証する。発達を遂げた新石器時代の文化は、新しい人工的な灌漑の技術によって、そうした社会の設立に必要な剰余生産物を供給した。その剰余生産物の周辺に形成された都市社会が一つの国家の形に組織化されたのは、ほとんどの場合、男性が新しく獲得した地位と権力を通してであった。
 都市化は商業化を意味した。それは商取引を生んだ。商取引は植民地の形で新石器時代の血管の中に浸透した。商業化、交換価値、所有権は急速に成長し、新石器時代の崩壊を加速した。


3. 最初の大きな性的決裂

歴史的唯物論の革命/反革命の図式と同じ調子で、私は女性男性間の関係の歴史における注目すべき転換点を性的決裂と名付けることを提案する。歴史上、これまで二つのそうした性的決裂があった。私は、将来、もう一つの性的決裂があるだろうと、予言する。
 文明に先立つ社会の時代には、“強い男性(ストロングマン)”の組織された力は動物を捕らえ、外敵に対して社会を守るという目的だけのために存在した。女性がその感情的労働の成果として打ち立てた家族・氏族集団を羨望したのが、この男性組織だった。家族・氏族の乗っ取りは最初の本格的な暴力の組織化であった。その過程において強奪されたものは、女性そのもの、その子供達と親族、それに、それまでの物質的、道徳的文化の蓄積のすべてであった。それは家族経済という最初の経済の略奪だった。原始司祭(シャーマン)、老練年長者、ストロングマンの組織された勢力は、宗教的統治という、初めてのそして最も永続性のある父権的司祭支配階層権力を構成するのに力を合わせた。これは類似の段階にあるすべての社会で見られることであり、社会階級、都市、国家が現れる段階以前までは、この司祭統治は社会的、経済的生活において支配的であった。
 シュメールの社会では、バランスは次第に女性に不利になっていったが、両性は紀元前二千年までは未だ大体のところ平等だった。女神を祀る多数の神殿とこの時期の神話的テキストは、紀元前4000年と2000年の間、シュメール人の文明の中心をなしていたが、女性-母性文化のシュメール人への影響は男性文化の影響と比肩していた。当時はまだ、女性をめぐる恥の文化は発達していなかった。
 かくて、母性-女性崇拝に対する優越性を発展させる新しい文化の始まりを我々はここに見る。社会的階級制度の出発以前の、この権力と司祭支配階層の発達は歴史における最も重要な転換点の一つを形成する。この文化は定性的に母性-女性文化と異なる。食物収集とその後の耕作という母性-女性文化の主要な要素は戦争行為を必要としない平和な活動である。圧倒的に男性の仕事であった狩猟は戦争文化と過酷な権威に基づいている。
 狩猟を主な役とするストロングマンが母権的秩序の成果蓄積を羨望したのは理解できる。男性支配を確立すれば、多くの利点が生み出されよう。狩猟を通じて獲得した権力の組織は、今や、支配し、最初の社会的な階級制度を打ち立てる機会を彼に与えた。この進展は悪質有害な意図を持った解析的知能のごく最初の使用だったのであり、それから先、それは全面的に使われるようになった。それに加えて、聖母崇拝から聖父崇拝への遷移は、解析的知能が神聖性の陰に本性を隠すのを許した。
 かくて、我々の深刻な社会問題の起源は、ストロングマンの周りにカルト化した、つまり、宗教化した父権的社会の中に見出される。女性の奴隷化と共に、子供たちのみならず、男たちの奴隷化の土壌もまた用意された。男性が奴隷労働を使って価値を蓄積(特に剰余生産物の蓄積)する経験を積むに従って、奴隷に対する統制支配が拡大した。権力と権威はますます重要性を増していった。ストロングマン、長老、シャーマンの三者は協力して特権的な集団を作り、抵抗し難い権力中心を形成した。この中心で、解析的知能は、一般大衆の心を統御するために、異常な神話的物語を作り上げた。シュメール人社会のために作成された(そして少々手を加えて長く後世に伝えられた)神話的世界では、男性は天と地の創造者として神格化されるまでに高められる。女性の神格と神聖さはまず品位を下げられ、続いて抹消されたが、その一方で、支配者で絶対権力者という男性概念は社会にしっかりと刷り込まれた。かくて、神話的物語の巨大なネットワークを通じて、文化のあらゆる面が、支配者と被支配者、創造者と被創造者(物)の関係で覆われることになった。社会はこの神話的世界にだまされて、次第にそれは人心を捉えていった。やがて、それは宗教の形をとり、人間の間に厳格な区別があるという概念が込められた宗教になった。例えば、社会の階級的分割はアダムとイヴの天国から追放され、苦役の罰を与えられる物語に反映されている。この伝説はシュメールの支配者-神に創造する力を授け、その従属者は下僕として作り直されることになった。
 シュメールの神話は人間の形をした神の肋骨からの創造の物語を含んでいた。――ただ、その創造を実行するのは女神ニンフルサグであり、それは男神エンキの命を救うためであった。時が経つうちに、物語は男性を利するものに変わって行った。エンキとニンフルサグ-イナンナの神話における対抗関係と創造性の反復性要素は二重の機能を担っていた:一方では、女性を貶めてその過去の創造性の重要さを減少させること、他方では、奴隷でも召使いでもない人間の形成を象徴することであった。(私が思うに、この最後のシュメールの司祭を作り上げる着想はそれ以後の神-下僕のジレンマのすべてに一役演じることになった。これについての真実をはっきりさせるのは大変重要なのだが、宗教的文献はそれに目を瞑るか、あるいは、そうした考え方を即座に退けてしまうかである。これは、神学者たちが真実を、つまり、彼らの利害が関わっているのを、隠す必要があると感じるからであろうか?)
 シュメール社会において立案されたそうした神性の個体は自然との新しい取り組みと新しい社会的権力の反映である。;いや、それ以上で、それらは人々の心理状態を新しくリセットする目的で配備されたと言ってよいだろう。自然の次元からの影響が減少するに伴って、社会的次元からの影響が重要さを増し;女性の影響は次第に減り、従者としての、下僕としての人類を際立たせることに関して顕著な事態の進展が行われる。社会で力を増す政治的権力が神々の中のある種の神たちに特別の地位を与えることになる一方で、その結果、消える神もあり、形を変えてしまう神も出てくる。かくて、バビロニア期の間、君主の絶対権力は神マルダックの隆盛に反映されている。このシュメール神話の最終段階は一神教宗教の誕生の発端に達したことを示唆している。
 子供が男性の持ち物であったこうした結社的集団では、父親はできるだけ沢山の子供を持とうとした(勢力の獲得のために、特に男の子を)。子供の支配は父親に母親-女性の蓄積したものを奪い取ることを可能にした。;こうして所有権システムが作り出された。司祭-国家の共同的所有権と並んで、私的な所有権が打ち立てられた。私的な所有権の方もまた父権の確立を必要とした。;父権的権利は、親の遺産が(主に)男の子に与えられるようにするために必要だったのだ。
 紀元前2000年前からこのかた、この文化は広範に広がった。女性の社会的身分は劇的に変えられた。男性優位社会はその支配が伝説的になるまでに強化されてしまった。男性の世界が賛美され、英雄化される一方、女性的なあらゆるものは軽んじられ、格下げされ、けなされた。
 この性的決裂は実に過激なものであったから、社会生活の歴史に、それまでに嘗て見られなかった最も顕著な変化をもたらした。中東文化内での、この女性の価値に関する変化を、我々は最初の重要な性的決裂、あるいは、反革命と呼ぶことが出来る。それは、社会の建設的な発展に何物も貢献しなかったから、私はそれを反革命と呼ぶことが出来るのである。建設的どころか、それと反対に、それは家長制による硬直した社会支配と女性の排除をもたらし、人間の生の極端な貧困化に導いた。中東文明のこの断裂は、まず間違いなく、中東文明の漸進的に悪化を続ける状況の最初の一歩であった。時が経つにつれて、この断裂の負の影響はひたすらただ増大するばかりである。二つの声を持つ社会の代わりに、それは一つの声の、男性社会を生み出した。一次元的な極端に男性的な社会文化への転移が行われた。女性の感情的知能――驚異を創造し、情緒に富み、自然と生命に強く関わる知能は失われた。それに代わって、自ら独断主義に屈し、自然から分離し、戦争を最高に高揚した価値あるものとし、人間の血を流すことを楽しみ、専制的に女性を取り扱い、男性を奴隷とすることを自己の権利と見做す一つの残酷な文化から、呪うべき解析的知能が生まれた。この知能は、人間にふさわしい生産と生き生きとした自然に重点を置いた平等主義的な女性の知能とは全く対照的なタイプの知能である。
 母親は古代の女神となった;彼女は今や従順、貞淑な女性として、家の中に鎮座する。男性神と平等どころではなく、彼女は発言することも顔を露わにすることも出来ない。次第次第に、彼女はベールに包まれ、ストロングマンのハーレムの中の囚われ人となる。
 アラビアにおける女性の奴隷化は(モーゼによってアブラハム伝説の中で強化されて)この歴史的展開につながって行く。

******(第3節おわり)******

 オジャランの論考小冊子:
Liberating Life: Woman’s Revolution
 (生命の解放:女性革命)
の始めの部分の翻訳を一応ここで閉じます。粗雑な翻訳で申し訳ありませんが、これでも、クルド人問題、女性解放問題などに興味をお持ちの方の食欲をそそる役は果たすことは出来たのではないかと考えています。
 次には、これもまた重要なオジャラン文献の一つである、
Democratic Confederalism(民主的連邦主義)
の翻訳を始めます。
 アブドゥッラー・オジャランの名に、なぜ私がこれほど拘るか? シリア北東部の小都市コバニをめぐるクルド人とIS(イスラム国)軍との死闘のことをやや詳しく知ったのは本年2015年の初頭で、それまで私はアブドゥッラー・オジャランの名を知りませんでした。いや、多分、この名を目にしたのは、1999年、オジャランの逃避行、逮捕、拉致のドラマが展開された時、カナダのマスコミを通じてであったと思われますが、このゲリラ指導者の名前は私の記憶の中にとどまっていませんでした。
 しかし、今は、私の心の中でオジャランの名は大きくなるばかりです。更に、現在のシリア情勢に関する私の読みも変わりつつあります。米国、 有力NATO諸国、トルコ、イスラエルなどにとって、ロジャバ革命と呼ばれるクルド人の革命的政治勢力は、アサドのシリア政権と同じほどに、打倒してしまいたい政治的軍事的勢力だと、私は見ています。離島の独房に閉じ込められているオジャランを偉大な思想的指導者として仰ぐ、おそらく、百万のオーダーの若く屈強なクルド人男性女性の革命志向のエネルギーは、今後の中東情勢を決定するピボットとなる可能性が十分あると、私は考え始めています。このクルド人男性女性集団とISテロリスト集団は全く対照的な価値観を信奉する集団です。この革命集団と反革命集団がコバネで激突し、クルド人の革命集団が、この春には、勝利を収めたというのが現状です。シリアのアサド政権を打倒して、米欧の言いなりになる政権に変換することに成功しても、あとにオジャランを指導者として固く団結するクルド人集団が生き残ることになれば、米欧と中東の保守勢力にとっては、中東問題は解決に向かうどころか、むしろ、これまでよりも、より根源的な問題を抱え込むことを意味します。英語に“Elephant in the room” という表現があります。知らない方は辞書をチェックして下さい。シリアで政権変換(レジームチェンジ)を企んで来た諸勢力は、これ以上、部屋の中にいる巨象(オジャランの革命思想を信奉するクルド人勢力)の存在を無視できないことを悟り、この邪魔者を殺しにかかっています。これがシリア問題の目下の要諦です。今回、エルドアンのトルコが、米国が引率する反イスラム国有志連合に加わって、本気でIS叩きに加わった、というのは全くの嘘っぱちで、すべての力は部屋の中の象を殺すことに向けられようとしているのです。

藤永 茂 (2015年9月9日)

オジャラン(3)

2015-09-02 22:16:09 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 オジャランの論考小冊子:
Liberating Life: Woman’s Revolution
 (生命の解放:女性革命)
の始めの部分の翻訳を始めます。興味を持たれた方は下記のサイトから全文を読み取ってください。単行本としても販売されています。

https://peaceinkurdistancampaign.files.wordpress.com/2011/12/ocalan-liberating-life-woman_s-revolution.pdf

Abdullah Öcalan:
Liberating Life: Woman’s Revolution first edition 2013
(c) Abdullah Öcalan
ISBN: 978-3-941012-82-0 Translation: International Initiative
Published by:
International Initiative Edition
in cooperation with Mesopotamian Publishers, Neuss
International Initiative
“Freedom for Abdullah Öcalan – Peace in Kurdistan” P.O. Box 100511
50445 Cologne
Germany
www.freedom-for-ocalan.com
目次

International Initiative (新国際構想)による紹介  7
1. はしがき    9
2. 女性の革命:新石器時代 13
3. 最初の大きな性的決裂 18
4. 父権的権威深く根付く 23
5. すべての奴隷制は家庭主婦化に基づく 26
6. 第二の大きな性的決裂 30
7. 家族、王家、国家 35
8. クルド社会での女性の立場 40
9. 資本主義    43
10. 経済      47
11. 支配的男性の抹殺:支配的男性に対する第三の大きな性的決裂 50
12. 女性の科学としてのジネオロジー 55
13. 民主的現代感性:女性革命の時代 59
著者について      63
International Initiative (新国際構想)について 64
アブドゥッラー・オジャランによる出版物    65
書籍         65
小冊子       65
オジャランに自由を       66


International Initiative (新国際構想)による紹介

これは新国際構想が用意したこの種類の小冊子の第三冊である。これらの小冊子は特定の話題についてのアブドゥッラー・オジャランの見解の短い梗概を知っていただくために、彼の筆になるあれこれの書物から編纂したものである。
 1999年、オジャランが拉致され、投獄される以前に、彼の女性男性問題についての講演に基づいた何冊かの本が出版されていたが、その中に“如何に生きるか(英語訳‘How to live’)”というタイトルの三冊があった。また、彼のインタビューを本にした“男性を抹殺する(英語訳‘Killing the male’)”は、クルド人の間ではよく知られる格言になっている。オジャランは他にも幾つかのスローガンを作ったが、例えば、“女性が自由でなければ、その国は自由でない”、は国家の解放が、何をおいても先ず女性の解放でなければならないと規定し直したスローガンである。彼の獄中での著作で、女性の解放は、歴史、現代社会、政治活動についてのオジャランの議論の中で数多く触れられている。この小冊子はこのトピックについての彼の書き物からの抜粋から、特に彼の最近の、まだ英語に翻訳されてなかったものから、編纂されている。
 アブドゥッラー・オジャランは単に理論家であるだけではなく、クルド人の解放のみならず、どうすれば意義ある人生を生きることができるか、その答えを見出そうと励む運動の指導者でもある。彼の著作が極めて多くの人々の人生に大きな影響を与えた理由はここにある。
 彼はこれまでの人生で、とりわけクルド解放闘争に従事しながら、女性の解放問題に関わり続けてきた。彼は、その家長制度批判を通してインスピレーションを与えながら、男性の支配に反対する闘争に立ち上がることを女性に強く奨励した。彼のような影響力のある指導者からの語りかけと指揮は運動の目覚ましい進展に貢献した。
 長年の間、彼は女性と男性の構築された役割を超克することの重要性について語るだけではなく、女性たちが自分自身、彼女たちの生活、男性たち、社会について疑問を投げかけ、再構成することが出来るように、女性運動とその組織を設立することを励ました。かくて、クルドの自由解放闘争と互いに手を取り合って、クルディスタンでは、並外れて強力な女性の参加が生活のすべての面で湧き上がった。実際、クルディスタンにおける女性運動の目覚ましい精力と生命力は、どちらかと言えば男性優位的と見なされる世界のこの地域でのこの盛り上がりを予期しない人々をしばしば驚かせる。
 これまで多年にわたって、アブドゥッラー・オジャランは、女性の自由のレベルはその社会の自由のレベルを決定すると度々語ってきた。これを彼はまた先日のBDP(平和民主党)代表団との会見で、“私にとって、女性の自由は母国の自由よりもなお貴重だ”と再び言明した。
 こうして女性の自由の問題に関する小冊子のアイディアが出てきたのだ。


1. はしがき

女性の自由の問題は私の人生を通じて私の興味を掻き立ててきた。はじめの頃は、中東での、また、一般的に、女性の奴隷化は封建的後進性の結果だと見ていたが、多年の革命的実践と研究の後、問題の根はもっと深いという結論に私は到達した。文明5000年の歴史は本質的に女性の奴隷化の歴史である。したがって、女性の自由は、この支配のシステムの基礎に対して闘争を挑むことによってのみ達成されるであろう。
 自由の問題に関して主流文明を分析すれば、文明はいや増す奴隷制によって圧迫されていることが明らかになる。この“主流文明”とは、シュメールからアッカド、バビロンからアッシリア、ペルシャからギリシャ、ローマ、ビザンチン、ヨーロッパ、そして最後にUSAへと伝承され、また、逆方向にも影響を与えた文明を指す。この文明の長い歴史を通じて、奴隷制は三つのレベルで永続されてきた。:はじめに、イデオロギー的奴隷制の構築がある(際立った、しかし、もっともらしい)恐ろしさを持つ支配的な神々が神話から構築される;次に、暴力の行使;最後に、経済の掌握が来る。
 この三段構えで社会を鎖で束縛するやり方は、シュメールの神官支配国家が設立した神殿であるジッグラトによって見事に例示されている。ジッグラトの上層階は心を支配する神の居所とされている。中層階は神官たちの政治的また行政的本部である。最後に、低層階はあらゆる生産部門で労働を強制される職人や農業労働者を収容する。本質的には、このモデルは今日まで変わっていない。かくて、ジッグラトの分析は、事実、綿々たる主流文明の分析なのであって、それは、我々が現行の資本主義的世界システムをその真の基礎に目をつけて分析することを可能にする。資本と権力の連続的で蓄積的な発展はメダイヨンの一面に過ぎない。その裏側は、そら恐ろしい奴隷制、飢餓、貧困、そして、獣群的社会への強制である。
 人間社会からその自由を剥奪して、それを家畜の群のように取り扱う事が出来ることが確かでなければ、中心的文明は、そのシステムがその本性に従って機能するその性格の故に、自らを保持し持続する事は不可能なのである。それを可能にするのは、さらに資本と権力の手段を増大させ、いや増す貧困と獣群的心理をもたらすことによってである。あらゆる時代に、自由の問題が鍵となる問題である理由は、文明のシステム自体の性格にあるのである。
 この自由の喪失の歴史は、同時に、如何にして女性がその地位を失い、歴史から姿を消したかの歴史である。それは、如何にして支配的な男性が、その神々としもべ達、支配者と家来、経済力、科学と芸術を用いて、権力を掌握したかの歴史である。女性の没落と喪失は、かくて、社会全体の没落と喪失であり、その結果が性差別社会である。性差別的男性は女性に対する社会的支配を構築することにあまりにも熱心なため、彼は、女性とのあらゆる接触を支配の見せびらかしの機会にしてしまう。
 女性の奴隷化の深さとこの事実の意識的な隠蔽は、かくて、社会内部での、階級制度的、国家統制的権力の勃興に密接につながっている。女性が奴隷制に慣らされると、階級制度(ハイアラーキーはギリシャ語起源で“大司祭による支配”を意味する)が確立されると;社会の他の階層の奴隷化への道が整えられる。男性の奴隷化は女性の奴隷化の後にやってくる。社会的性別奴隷化は階級的なまた国家的な奴隷化とやや異なる。その正当化は感情に働きかける虚言と組み合わされた手の込んだ熾烈な抑圧を通して達成される。女性の生物学的相違が女性の奴隷化に利用される。女性が行う仕事はすべて当然のこととされ、価値のない“女の仕事”と呼ばれる。公的な場所に女性が居ることは宗教が禁じているとされ、道徳的に恥ずべきこととされる。;女性は、次第に、すべての重要な社会的活動から締め出される。政治的、社会的、経済的活動の支配的権力が、男達によって乗っ取られるにつれて、女性の弱さはますます制度化されて来る。こうして、“弱き性”という考えは一つの共有信念になる。
 実際、社会は女性を単に生物学的に異なる性としてではなく、ほとんど、異なる種族、国あるいは階級として取り扱う –– それも最も抑圧された種族、国、あるいは階級として:どんな種族でも、階級あるいは国でも、家庭主婦化ほど組織化された奴隷化に曝されたことはない。
 闘争の失敗によって経験された失望は、それ自由とか平等を求めたものであれ、あるいは、民主的、道徳的、政治的、または階級闘争であれ、女性と男性との間の力関係の典型的な闘争の刻印を担っている。この関係から、不平等、奴隷制、独裁政治、ファシズム、軍国主義を育むすべての形の関係が生じる。もし我々が、平等、自由、民主主義、社会主義といった言葉の真の意味を理解したいと思うならば、我々は女性の周囲に張り巡らされた関係の古い網を分析し、そして、粉砕しなければならない。それ以外に、真の平等(多様性を然るべく許容する)、自由、民主主義、道徳性を達成する道はない。
 しかし女性の地位を曖昧さなしに明確化するのはこの問題のただ一面に過ぎない。それより遥かに重要なのは解放の問題である。;換言すれば、問題を解決することは、問題を明らかにし解析することより遥かに重要である。資本主義システムの現在の大混迷の最も希望の持てる点は、(限られてはいても)女性の地位が露呈されたことである。20世紀最後の四半世紀に女性解放運動(フェミニズム)は(十分ではないにしても)女性についての真実を何とか明るみに出した。大混迷の時に、何の現象に対してもその変化の可能性は、手の届くレベルの進歩あるいは明確化と歩調を合わせて増加する。;だから、そうした時には、自由のためになされた小さなステップも、積もれば大きな前進になることもあろう。女性の自由化は現在の危機から大きな勝利として姿を現わしうる。人間の手で作り上げられたものは、何であれ、人間の手によって取り壊すことが出来る。女性の奴隷化は自然の定めでも宿命でもない。我々に必要なのは取り壊しの理論、プログラム、組織、そして、これらを実行に移すメカニズムである。

***** 「はしがき」終わり *****

次は 2. 女性の革命:新石器時代 の翻訳に入ります。これから展開されるオジャランの「女性の歴史」は、大変ユニークなもので、アカデミックな専門的歴史学者がどのような学問的評価を下すか、私には見当がつきません。しかし、読み進むうちに、「これはオジャランという稀有な人間の声を聞いているのだ」という想いが昂るのを抑えることができません。そして、この男は、離島の独房の中から、「別の世界が可能なのだ(Another World is Possible)」と、何事にも何者にもめげず、15年間、叫び続けているのです。ただ事ではありません。
 アブドゥッラー・オジャランについては、沢山の記事がネット上にあります。日本語のものを三つ以下に挙げておきます。

http://reki.hatenablog.com/entry/2015/04/14/【抵抗者】クルドの生ける英雄・オジャランの戦

http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20150322_073201.html

http://sonegoronet.jimdo.com/イスラーム圏/


藤永 茂 (2015年9月2日)