私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

地獄の黙示録/ファイナル・カット

2022-09-26 20:08:17 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 NHKのBS放送で映画『地獄の黙示録/ファイナル・カット』を観ました。日本では、コッポラの『地獄の黙示録』の最初の版は1980年に公開されましたが、2001年に『地獄の黙示録(完全決定版)』が発表され、更に2020年になって『地獄の黙示録/ファイナル・カット』が公開されました。その長さは

1980年版(153分)

2001年版(202分)

2020年版(182分)

です。

 今度、『地獄の黙示録/ファイナル・カット』を観ながら、自分で、とても驚いた事があります。それは、観ながら、私の心の中で鳴り響いた音楽が、映画の中で鳴り響くワグナーの「ワルキューレ」ではなく、ドアーズの「The End」と米国映画「荒野の決闘」の「愛しのクレメンタイン」の一節であったからです。ファイナル・カットを観ながら、私の心中でしつこく鳴り続けていた二つの文句は“This is the end”と “You are lost and gone forever” でした。

「荒野の決闘」の歌のメロディーは、日本ではダーク・ダックスの雪山讃歌(西堀栄三郎作詞)で一時代昔にはよく口ずさまれたものでした。

雪山讃歌(西堀栄三郎:ダーク・ダックス)

https://www.youtube.com/watch?v=CEF6TfwkuLo

荒野の決闘(1964年)

https://www.youtube.com/watch?v=CEF6TfwkuLo

 一昨日、私のブログにNORIKO・Tさんからコメントを頂きました:

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遅ればせながら (NORIKO・ T)

2022-09-24 11:30:42

BSでの地獄の黙示録放映を機に、以前読んだ「ロードジム」の作者の「闇の奥」が原作と知り、図書館で予約。その検索の途次に「闇の奥の奥」に出会い、ここまで辿り着きました。分かり易く、読み易く、とても楽しく読ませていただいております。

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これに勇気付けられて、2006年に出版した拙著『「闇の奥」の奥』の冒頭の一節、

1 「地獄の黙示録」のエンディングをめぐって

の全文を以下にコピーします。少し長いですが付き合ってください:

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 フランシス・コッポラによる大作映画『地獄の黙示録』のシナリオは、ジョセフ・コンラッドの名作小説『闇の奥』(Heart of Darkness)を下に敷いている。

 米軍最高幹部への昇進を約束されていたカーツ(Kurtz)大佐は、その未来を自ら捨て、軍の指揮系統から逸脱してメコン河上流の密林の奥に入って先住民の王となり、プライベートな軍隊を組織してベトナム共産軍(俗称ベトコン)と激しく戦っていた。米軍司令部は軍の命令系統からの逸脱を許さず、カーツは気が狂ったと断定してその抹殺を決定し、暗殺の任務をウィラード大尉に託す。ウィラードは四人の部下と小型舟艇に乗り込み、メコン河の上流を目指す。途中、悪夢のような戦争の実相を目撃しながらカーツの王国にたどり着いたウィラードは、丸坊主の大男カーツを鉈でめった打ちにして殺害する。

 コンラッドの『闇の奥』の舞台は、中央アフリカのコンゴ河である。海の船乗りマーロウはアフリカで象牙の交易をしている商社に雇われて、小さな蒸気船の船長としてコンゴ河を遡る。目指すは奥地出張所の所長クルツ(Kurtz)。彼はコンゴ河上流の密林地帯で先住民から神のように怖れ敬われ、交易手段ではなく、武力を使って気が狂ったように象牙の強奪収集を続けていた。中央出張所の支配人はクルツの異常な象牙集めを不健全な個人プレーと考え、クルツを連れ戻してその失脚を謀ったのだった。クルツは、やがて、その商社のヨーロッパ本社幹部になると思われていた優秀な社員だったのだが、アフリカの密林の中でその妖しい原始暗黒の魔力に取り憑かれて正気を失ってしまったのである。熱帯の病に倒れたクルツは「地獄だ!地獄だ!」という言葉をマーロウの耳にのこして息絶える。

 映画『地獄の黙示録』はベトナム戦争の、小説『闇の奥』は白人のアフリカ侵略の核心に迫った優れた芸術作品とみなされている。『市民ケーン』や『第三の男』の名作映画で知られている鬼才オーソン・ウェルズはコンラッドの『闇の奥』をラジオドラマ化し、続いてハリウッドで映画化しようとした。彼の最初の映画になるはずだったが、予算その他で映画会社と折り合いがつかず、断念して『市民ケーン』を制作した。『闇の奥』の中心人物クルツに扮したウェルズの写真が残っている。小説のクルツは丸禿げだが、ウェルズのクルツには髪がある。当時(一九三九年)、世界の耳目を集めていたドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーをウェルズはクルツに重ねて考えていた。

 それから四十年後、コッポラは『闇の奥』を翻案して、名映画の誉高い『地獄の黙示録』(Apocalypse Now)を撮影した。その中でカーツ(Kurtz)大佐を演ずるマーロン・ブランドは丸禿げの大男として現れる。この翻案されたクルツは映画の終わりの三十分ほどの間に出てくるのだが、このエンディング、そしてブランドの演技が多数の映画批評家から「むしろない方が良かった」などと、散々にこき下ろされることになった。『ニューヨーク・タイムズ』の映画評がその代表例である。

 ほとんど全ての批評家が認めるこの映画の最高の見せ場は、ワグナーの「ワルキューレ」の音楽を空から大音響で鳴らしながら(これは映画の背景音楽ではない!)ベトナムの村落に襲いかかる米軍のヘリコプターの大群と、その指揮をとるキルゴア大佐の描写だ。一度見たら忘れられない鮮烈な映像である。『ニューヨーク・タイムズ』の映画評論家キャビーはこのキルゴア大佐をベタ褒めにする。「この男、息を呑むような迫力と魅力でロバート・デュヴァルが演じ切ったキルゴアは、この映画の中のカーツの馬鹿臭い仰々しさの中に全く欠けている優れた資質のほとんどを備えている。カーツの方と言えば、結局のところ、彼の行動もこの映画の他の部分とはおよそ何の関係も持っていない」。米国のベトナム戦介入を批判した著書『ベスト&ブライテスト』(浅野輔訳、サイマル出版会)で有名なハルバースタムも『地獄の黙示録』をベトナム戦争についてのベストの映画と呼び、ヘリコプター襲来のシーンを全てのベトナム戦争映画の中でのベストシーンとまで褒め上げるが、エンディングについては「マーロン・ブランドが出てくる終わりのところのたわ言はない方がいい」などと手厳しい。

 映画と小説ではジャンルが異なる。シネマトグラフィックな意味でコッポラの『地獄の黙示録』が記念碑的名作であることに否定の余地はあるまい。しかし、映画は映像だけで成り立っているわけではない。キャビーやハルバースタムの批判を受け入れて、ブランドが出てくるエンディングの部分を切り落としてしまえば、この映画はより良い作品になるだろうか?

 この映画の解説として日本でもっともポピュラーなのは立花隆著『解説「地獄の黙示録」』(文藝春秋)であろうが、その頁数の大部分が映画のエンディングを語ることに費やされているのはいささか異常である。本文の最初の部分の太字タイトルが「エンディングができない」となっていて、そこには「撮影は十七週の予定が六十一週に延び、編集もどんどん延び、公開予定日は何度も延び、“Apocalypse Now”は“Apocalypse When”といわれ、遂には“Apocalypse Never”とまでいわれた。なぜそれほど延びたかというと、台風でセットがつぶれたり、主演のマーティン・シーンが心臓発作で倒れたり、マーロン・ブランドがなかなか撮影にのらなかったり、いろいろあるにはあったが、主たる理由は、エンディングがうまくできなかったためである」とある。また、コッポラの夫人エレノアの著書『「地獄の黙示録」撮影全記録』(岡山徹訳、小学館)を「この映画を理解しようと思ったらまず第一に読むべき本である」と推奨し、「この本を読むと、はじめから終わりまで、コッポラがエンディングに悩みつづけたことがよくわかる」とある。『地獄の黙示録』は難産の末に一九七九年やっと日の目を見た。コッポラは二億円近い私財をつぎ込み、財政的にも精神的にも破綻の直前まで追い詰められた。エンディングが始めから終わりまで最大の難問としてコッポラにのしかかり、まさに七転八倒の辛苦をなめた。

 ところが、それから二十二年もたった二〇〇一年になって、コッポラは新しく編集した『Apocalypse Now Redux』を発表する。Reduxは“帰って来た”を意味する。日本では「特別完全版」。映画のエンディングの部分の変更は大きくない。しかし、この「完全版」の公開の後でもコッポラはまだ満足できず、ローリング・ストーン誌のインタビューで「あれは嘘のエンディングだ。僕の中には本当の結末がある」という奇妙な発言をしているのである。果てしなく続くエンディングの腰の定まらなさ一体何に由来し、何を意味するのか?

 アメリカの著名な文学評論家ハロルド・ブルームは、それを、コンラッドの『闇の奥』の意図的な曖昧性に求めている。ブルームによれば、コンラッドの作品の中で最も有名な『闇の奥』が最も出来損ないの作品であり、それは、「コンラッドも、彼に代わる語り手のマーロウも、クルツというものが一体何を意味するのか、意味すべきなのかについて、とんとはっきりしないからだ」と言っている。

 しかし、クルツにまつわる曖昧さ、晦渋さは読者向けのものであり、その創造者コンラッドの内心ではクルツの担う意味が明確に措定されていたとは、私は考えない。言い換えれば、多くの論者がヨーロッパの帝国主義的アフリカ侵略の核心を摘出する文学作品とみなす『闇の奥』には、本質的な曖昧さ、したがって、欠陥があると私は考えるのである。そして、この根本的な欠陥がそのまま『地獄の黙示録』に移植されざるを得なかったことが、コッポラの終わることのない懊悩苦難の源泉であり、この映画がベトナム戦争の本質の剔出に成功しなかった理由でもあると私は考える。

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 これで拙著『「闇の奥」の奥』(2006年)の冒頭の一節の引用は終わりです。今の私には、この映画について話したいことが沢山あります。

 まず、映画『地獄の黙示録/ファイナル・カット』を観ながら、頻りに私の中で鳴り止まなかった二つの歌の断片、“This is the end”と “You are lost and gone forever“は、私にとって、何を意味しているか。「終わり」が始まったのはこの500年間延々と続いた帝国主義であり、「You」とは、私が今でも愛しているコッポラもマーロン・ブランドも含めた「アメリカ」そのものです。「アメリカ」の終焉です。

 私は2006年8月、ブログに次のように書きました:

“ テリー・イーグルトンは近著『The English Novel』(2005年)の中で、帝国主義なるものが、『闇の奥』では「ただ一種の非合理な白日夢(a kind of irrational fantasy)」であるかのように示唆されていて、その結果、『闇の奥』に見られる帝国主義は「目的のはっきりした、歴史的に明瞭に理解され得る一つのシステムとしてではなく、一種の悪夢のような錯乱(a kind of nightmarish aberration)として見られている」が、実際はそれと正反対で、帝国主義ほど「不気味なまでに合理的なものは他にはありえないだろう(nothing could be more grimly rational)」と書いています(原著242頁)。この“grimly rational”な“システム”を押さえ込んでくれる小説は出来ないものでしょうか。”

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/m/200608

ジョン・ピルジャーが言うように、2005年にノーベル文学賞を受賞して2008年に78歳で亡くなったハロルド・ピンターあたりが、政治的真実の核心を把握して我々に告げてくれていた「おそらく最後の偉大な政治的賢者」なのでしょう。ピンターの衣鉢を継ぐ文学者はアメリカには見当たりません。

 コッポラは今度の「ファイナル・カット」でやっと満足したと言ったようです。しかし、これはコマーシャル的発言でしょう。『地獄の黙示録(完全決定版)』と『地獄の黙示録/ファイナル・カット』を比べてみると、それがよく分かります。フランス人の入植地の場面を大きくカットし、前線を慰問訪問した「プレイボーイ」誌のプレイメートの女性たちの悲しい後日譚をすっかり削除したのは良い決断ですが、マーロン・ブランドが出てくるエンディングの部分は、かなりの場面がカットされたため、観客にとって、より分かりにくく、誤った印象をさえ与えることになっているように、私は思いました。マーロン・ブランドは2004年に亡くなりましたので、撮り直すことは不可能でした。墓石の下でマーロン・ブランドは苦しい寝返りを打っているかもしれません。省略のない(完全決定版)のエンディングの方が良いと思います。 

 上述のように、コッポラは、「特別完全版」を世に出した後に、「あれは嘘のエンディングだ。僕の中には本当の結末がある」と語りましたが、「ファイナル・カット」のエンディングは「特別完全版」のエンディングをかなりカットしただけのものであり、マーロン・ブランドがなくなってしまったのですから、撮り直しはできなかったわけです。私にはこの「ファイナル・カット」のエンディングがコッポラの胸中にある“本当の結末”ではないと信じます。

藤永茂(2022年9月26日)


ジョン・ピルジャーの声を傾聴しよう

2022-09-13 18:08:07 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 人は歳を取れば必ず死にます。ジョン・ピルジャーも間もなく83歳、彼の声がこの乱世から消える日も遠くはありますまい。私たちは、この貴重な『荒野の声』に、今こそ、耳を傾けなければなりません。

 去る9月6日、ノールウエイのTrondheim World Festivalでジョン・ピルジャーは重要な講演を行いました。その内容が編集されて、彼自身のウェブサイト:

http://johnpilger.com/articles/silencing-the-lambs-how-propaganda-works-

や他の複数のサイトに掲載されました。私が訳出に使ったのは

https://www.counterpunch.org/2022/09/08/silencing-the-lambs-how-propaganda-works/

です。講演内容は皆同じです。その本文の全訳を以下に掲載します:

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羊たちを黙らせる:プロパガンダの絡繰り

ジョン・ピルジャー

1970年代、私はヒトラーの代表的なプロパガンダ担当者であり、ナチスを賛美する大作映画を制作したレニ・リーフェンシュタールに会った。総統の他の友人たちの運命から免れた彼女は、写真撮影の仕事でケニアの同じロッジに滞在していた。彼女は、自分の映画の「愛国的メッセージ」は、「上からの命令」ではなく、彼女が言うところのドイツ国民の「服従的な空虚さ」に依存していたのだと教えてくれた。

その中には、リベラルな教育を受けたブルジョワジーも含まれていたのですか?と私が尋ねると、「 そう、特に彼らがね」と彼女は言った。

いま欧米社会を席巻しているプロパガンダを見ていると、私はそのことを考えてしまう。

もちろん、今は1930年代のドイツとは全く違う。私たちは情報化社会に生きている。私たちはグローバリストだ。私たちは、かつてないほど色々なことを意識し、接触し、前よりもっとお互いに連結している。

だが、そうだろうか?それとも、私たちは、洗脳が狡猾に容赦なく行われているメディア社会に住んでいて、国家権力や企業権力のニーズや諸々の嘘にしたがって、知覚にフィルターがかけられているのではないか?

欧米のメディアを支配しているのは米国である。メディア企業の上位10社のうち、1社を除いてすべてが北米に本社を置いている。インターネットとソーシャルメディア(Google、Twitter、Facebook)は、その殆どを米国が所有し、支配している。

私の一生の間に、米国は50以上の政府(ほとんどが民主主義国家)を転覆させたか、転覆させようとした。米国は30カ国で民主的な選挙を妨害した。30カ国の人々に爆弾を落としたが、その殆どは貧しく無防備な人々であった。50カ国の指導者を殺害しようとした。 20カ国で解放運動を弾圧するために戦ってきた。

この殺戮の範囲と規模は殆ど報告されず、認識もされていない。そして、その責任を負うべき者たちが英米の政治生活を支配し続けている。

2008年に亡くなる前、劇作家のハロルド・ピンターは、沈黙を破って、2つの瞠目すべきスピーチを行った。

彼が言うには、米国の外交政策は「俺のケツにキスするか、さもなければお前の頭を蹴飛ばすぞ」という事だ。そのくらい単純で粗野なものである。面白いのは、それが信じられないほど成功していることだ。偽情報、美辞麗句の使用、言葉の歪曲などの構造を持っており、これらは非常に説得力があるが、実際には嘘八百だ。これは非常に成功したプロパガンダである。彼らはお金もあり、技術もあり、逃げ切るための手段もすべて持っていて、それを実行しているのである。

ノーベル文学賞の受賞に際して、ピンターはこう言った。「米国の犯罪は、これまで組織的で、一定不変で、悪質で、情け容赦のないものであったが、実際にそれについて語る人は殆どいない。米国は大したものだ。米国は、普遍的な善のための力を装いながら、世界中で極めて巧妙な力の操作を行ってきた。見事な、機知に富んだ、大成功の催眠術のような行為だ」。

ピンターは私の友人であり、おそらく最後の偉大な政治的賢者であった、つまり、反対派の政治が紳士ぶるようにされてしまう前の話だ。私は彼に、彼の言う「催眠」とはレニ・リーフェンシュタールの言う「服従的な空虚さ」のことか、と尋ねた。

「同じことだな」と彼は答えた。「洗脳が徹底しているので、私たちは嘘の塊を飲み込むようにプログラムされているということだ。プロパガンダを認識しなければ、それを普通に受け入れて信じてしまうだろう。それが服従的な空虚さというものだ」。

我々の企業民主主義のシステムでは、戦争は経済的に必要なものであり、公的補助金と私的利益の完璧な結婚である:金持ちのための社会主義、貧しい人々のための資本主義。9.11の翌日、戦争産業の株価は急騰した。さらなる流血が予想され、それはビジネスにとって素晴らしいことだったのである。

今日、最も収益性の高い戦争は、独自のブランド名を持っている。それらは「永遠の戦争」と呼ばれている。アフガニスタン、パレスチナ、イラク、リビア、イエメン、そして現在のウクライナである。すべては嘘八百に基づいている。

イラクは最も悪名高く、存在するとされた大量破壊兵器などありはしなかった。2011年のNATOによるリビアの破壊は、ベンガジで起きた大虐殺がその正当化の理由だったが、大虐殺など起きていなかった。アフガニスタンは、9.11への都合の良い復讐戦争であり、アフガニスタンの人々とは何の関係もなかった。

今日、アフガニスタンからのニュースはタリバンがいかに邪悪であるかということであって、ジョー・バイデンによる同国の銀行準備金70億ドルの窃盗が広範囲に及ぶ苦しみをもたらしているという事ではない。最近、ワシントンのナショナル・パブリック・ラジオはアフガニスタンについては2時間も費やしたが、飢餓に苦しむ人々については30秒を費やしただけだった。

米国が支配するNATOは、6月のマドリードでの首脳会議で、欧州大陸を軍事化し、ロシアや中国との戦争の可能性をエスカレートさせる戦略文書を採択した。この戦略文書では、「核武装した同業競合相手に対する多地域間戦闘」を提案している。言い換えれば、核戦争である。

その戦略文書には、「NATOの拡大は歴史的な成功を収めた」と書かれている。

私はそれを信じられない思いで読んだ。

この「歴史的成功」の指標がウクライナ戦争である。この戦争のニュースは、殆どがニュースではなく、超自国優位思想、歪曲、省略の一方的な羅列である。 これまで私はいくつもの戦争をリポートしてきたが、これ程までに全面的なプロパガンダに出会ったことはなかった。

ロシアは2月、国境にあるロシア語圏のドンバス地域で約8年間続いた殺戮と犯罪的な破壊への対応として、ウクライナに侵攻した。

2014年、米国はキーウでクーデターを起こし、ウクライナの民主的に選ばれたロシア寄りの大統領を追い出し、米国人の言いなりになること請け合いの後継者を後釜に据えた。

近年、アメリカの「防衛」ミサイルが東ヨーロッパ、ポーランド、スロベニア、チェコ共和国に設置され、ほぼ間違いなくロシアを目標にしているのだが、そうではないという偽りの保証がなされてきた。この手の保証は1990年2月にジェームズ・ベーカーがゴルバチョフに「NATOはドイツより先に拡大しない」と約束したことにまで遡る。

ウクライナはその最前線である。NATOは、1941年にヒトラー軍が突入してソ連に2300万人以上の死者が出た、まさにその国境地帯に事実上到達したのである。

昨年12月、ロシアはヨーロッパに対する広範な安全保障計画を提案した。西側メディアはこれを取り上げようとせず、嘲笑し、抑圧した。誰がその段階的な提案を読んだだろうか。2月24日、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、米国がウクライナを武装し保護しない限り、核兵器を開発すると脅した。 これがロシアの我慢の限界となった。

同じ日、ロシアが侵攻した。西側メディアによれば、これはロシアの先天的な破廉恥行為だという。歴史も、嘘も、和平提案も、ミンスクでのドンバスに関する厳粛な合意も、何ら意味を持たなかった。

4月25日、アメリカの国防長官ロイド・オースティン将軍はキーウに飛び、米国の目的はロシア連邦を破壊することであることを確認したー彼が使った言葉は「弱体化する」であった。米国は、望んだ戦争を手に入れたのであり、戦闘は、銀行が出資し武装した代理人で、使い捨てのきくお先棒によって行われている。

これらの事の殆ど何も、西側の聴衆に説明されてはいない。

ロシアのウクライナへの侵攻は無謀であり、許しがたい。主権国家を侵略するのは犯罪である。ただ一つの「しかし」を除いて、「but」はあり得ないない。

現在のウクライナ戦争はいつから始まり、誰が始めたのか。国連によると、2014年から今年にかけて、キーウ政権によるドンバスでの内戦で約1万4千人が死亡している。その多くの攻撃はネオナチによって行われた。

2014年5月以来のITVのニュースリポートを視聴して頂きたい。それらはベテラン記者ジェームズ・メイツによるリポートで、彼はマリウポルの街で市民と共にウクライナのアゾフ(ネオナチ)大隊から砲撃を浴びていた。

同じ月、オデッサの労働組合会館で、ナチスの協力者で反ユダヤ主義者のスティーブン・バンデラの信奉者であるファシストの暴漢たちに包囲されたロシア語を話す数十人が生きたまま焼かれたり窒息死したりしたのだ。 ニューヨーク・タイムズ紙は、凶悪犯人たちを「国粋主義者」と呼んだ。

アゾフ大隊の創設者アンドレイ・ビレツキーは、「この重大な瞬間における我が国の歴史的使命は、世界の白人種の生存のための最後の聖戦、すなわちセム人主体のUntermenschen(人間以下の人間)に対する聖戦を先導することである」と述べている。

2月以来、自称「ニュースモニター」(それらの殆どが米国と英国から資金提供を受け、両政府とつながりがある)のキャンペーンは、ウクライナのネオナチは存在しないという馬鹿げた立場を維持しようとしている。

かつてスターリンの粛清に関連した言葉であったエアブラッシュ(消却)は、主流のジャーナリズムの道具となってしまった。

10年足らずの間に、「良い」中国がエアブラッシュされ、「悪い」中国がそれに取って代わり、世界の物作り工場から新進気鋭の新サタンへと変貌した。

このプロパガンダの多くは米国に端を発し、兵器産業の代弁者である悪名高いオーストラリア戦略政策研究所などの代理人や「シンクタンク」を通じて行われ、また、シドニー・モーニング・ヘラルド紙のピーター・ハートチャーのような熱心なジャーナリストは、中国の影響を広げる人々に「ネズミ、ハエ、蚊、スズメ」などのレッテルを貼り、これらの「害虫」は「根絶」させるべきだと呼びかけている。

西側諸国での中国に関するニュースは、殆どすべて北京からの脅威に関するものばかりである。中国の大部分を取り囲む400の米軍基地、オーストラリアから太平洋、東南アジア、日本、韓国にまで及ぶ武装されたネックレスは無視されている。日本の沖縄と韓国の済州島は、中国の工業の心臓を至近距離から狙う装填済みの銃である。国防総省のある幹部は、これを「絞首縄」と表現した。

パレスチナは、私が憶えている限り、ずっと誤報の連続である。BBCに言わせれば、そこには「二つの語り口」の「衝突」があると言う。現代で最も長く、残忍で、無法な軍事占領だとは、口にしないし、出せないのだ。

イエメンの被災民はまるで存在しないかのようだ。彼らはメディアにとって人間ではないのだ。 サウジがアメリカのクラスター爆弾を雨のように降らせ、イギリスのアドバイザーがサウジの標的担当士官と一緒に働いている間、50万人以上の子供たちが飢餓に直面している。

この故意の省略による洗脳には長い歴史がある。第一次世界大戦の虐殺は、政府に追随した報道をした功績で爵位を授与された記者たちによって抑圧されたが、彼らの回顧録によって、明るみに出た。 1917年、マンチェスター・ガーディアン紙の編集者C・P・スコットは、ロイド・ジョージ首相に「人々が本当に(真実を)知ったとなれば、戦争はその翌日にもストップしただろうが、彼らは知らなかったし、知ることもできなかった」とその実情を打ち明けた。

他の国の人々が見ているように人々や出来事を見ようとしないことは、米欧のメディアの病原体のせいであり、コロナ・ウィルスと同じくらいメディアを衰弱させるものである。 まるで一方通行の鏡を通して世界を見ているようで、そこでは「我々」は道徳的で善良であり、「彼等」はそうではない。これは帝国的な尊大極まりない見方である。

中国とロシアに息づいている歴史は、ほとんど説明されていず、殆ど理解されていない。ウラジーミル・プーチンはアドルフ・ヒトラーである。習近平は朱蒙(チュモン)である。悲惨の極にあった貧困の撲滅といった中国における叙事詩的成果は殆ど知られていない。これは何と倒錯的で下劣なことか。

いつになったら我々は自らやっている事を理解するようになるのだろうか?工場生産式にジャーナリストを訓練することが答えではない。驚異的なデジタル道具も、一本指で打つタイプライターや、鋳造植字機械と同じく、手段であって目的ではないのだ。

近年、何人かの最も優秀なジャーナリストたちが主流から締め出されるようになって来た。「ディフェネストレーション」という言葉が使われている。窓から放り出すという意味だ。かつては一匹狼ジャーナリスト、時代に逆らうジャーナリスト、真実を語る人々に開かれていた空間が閉ざされてしまったのだ。

ジュリアン・アサンジのケースは、最も衝撃的である。 ジュリアンとWikiLeaks が、ガーディアン紙やニューヨークタイムズ紙や、その他の「記録する新聞」を自称する新聞紙に、読者や賞をもたらしていた間は、ジュリアンは称賛の的であったのだ。

闇の国家がこれに異議を唱え、ハードディスクの破壊とジュリアンの誹謗中傷、人格破壊を要求すると、ジュリアンは公共の敵に仕立て上げられた。時のバイデン副大統領は彼を「ハイテク・テロリスト」と呼んだ。ヒラリー・クリントンは「こいつをドローンで殺してしまえばいいのに」と要請した。

その後、ジュリアン・アサンジに対する虐待と中傷のキャンペーン(拷問に関する国連報告者はこれを「集団私刑」と呼んだ)は、リベラル派の報道機関を最低の状態に追い込んだ。我々は彼らが誰であるか知っている。私は、彼らをかつての「協力者」、つまり、ヴィシー政府のお抱えジャーナリストの類だと考えている。

真のジャーナリストはいつ立ち上がるのか?インターネット上には、刺激的な地下的出版組織がすでに存在している。偉大な記者ロバート・パリーが創設した Consortium News、Max Blumenthalの Grayzone, Mint Press News, Media Lens, Declassified UK, Alborada, Electronic Intifada, WSWS, ZNet, ICH, Counter Punch, Independent Australia, the work of Chris Hedges, Patrick Lawrence, Jonathan Cook, Diana Johnstone, Caitlin Johnstone、その他、私がここで言及しなかったことを許してくれるであろう人々のやっている事である。

さらに言えば、1930年代にファシズムの台頭に対して行こなわれたように、作家たちはいつ立ち上がるのだろうか。1940年代に冷戦に反対したように、映画人たちはいつ立ち上がるのだろうか。一世代前のように、風刺作家たちはいつ立ち上がるのだろうか。

先の大戦の公式見解である独善的正義の深い風呂の湯の中に、82年間も浸かってきたのだから、そろそろ記録を正すべき人々が独立を宣言し、プロパガンダを解き明かすべき時ではないだろうか?その緊急性はかつてないほど高い。

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以上が本文部分の和訳です。後にジョン・ピルジャーその人についての解説が付いていますので英文のままコピーしておきます。

John Pilger has twice won Britain’s highest award for journalism and has been International Reporter of the Year, News Reporter of the Year and Descriptive Writer of the Year. He has made 61 documentary films and has won an Emmy, a BAFTA the Royal Television Society prize and the Sydney Peace Prize. His ‘Cambodia Year Zero’ is named as one of the ten most important films of the 20th century. This article is an edited version of an address to the Trondheim World Festival, Norway. He can be contacted at http://www.johnpilger.comand @johnpilger

 ジョン・ピルジャーの発言の翻訳としては、以前(2017年1月22日)、yomodaliteさんのブログ『マイケルと読書と、、』に原英文付きの見事な翻訳がありますので、こちらもお読み下さい。ピルジャーさんについての解説も含まれています:

https://nikkidoku.exblog.jp/27460726/

 

藤永茂(2022年9月13日)


ザポリージャ原発に対する砲撃についてのIAEAの報告

2022-09-10 19:46:50 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 待っていた報告書が発表されました。

https://www.iaea.org/sites/default/files/22/09/ukraine-2ndsummaryreport_sept2022.pdf

全体で52頁、本文は45頁、後にAnnex(添付文書)が続きます。本文は175の区切られた文章からなり、通読して、これはウクライナ側(国連を牛耳っている米欧側)の意向に沿った文書であることがはっきり分かります。原発地域を占領しているロシア軍については、第13頁に

  1. The team observed the presence of Russian military personnel, vehicles and equipment at various places at the ZNPP, including several military trucks on the ground floor of the Unit 1 and Unit 2 turbine halls and military vehicles stationed under the overpass connection the reactor units.

とあり、同ページに三、四台のトラックの写真があります。ウクライナ側はIAEAの視察団が来たので重火器は撤去したのだと言っています。解明されることが最も期待された事項、即ち、どちらの側が砲撃しているのか?については全くはっきりした言及がありません。砲撃についてはAnnex I: Chronology of Events since 28 April 2022 に、8月5日に砲撃が再開され、6日には従業員1名が負傷したとあり、7日、11日、21日、22日、26日、27日、さら、9月2日、4日にも砲撃を受けたと記録されています。

 こうした砲撃については前々回のブログ記事で国連におけるロシア側からの抗議について記述しました:

https://libya360.wordpress.com/2022/08/23/evidence-of-ukrainian-shelling-of-zaporozhye-provided-to-un/

その後、米国政府だけでなくウクライナ当局も自分の側が砲撃した事を認める発表(ウクライナ語)を行いました:

https://www.rt.com/russia/562082-ukraine-admits-bombing-npp/

https://www.facebook.com/GeneralStaff.ua/posts/pfbid02r6DwaigbNXcMJvtZWwmXKj8u156prmugM6BGdur3xBv7sEwxvCR8kyXuJizURzw5l

IAEAの報告に対するロシアのコメントが国連安全保障理事会で述べられました。これは礼儀正しい態度で貫かれた言明で、一読に値します:

https://libya360.wordpress.com/2022/09/06/unsc-russia-comments-on-iaea-nuclear-plant-report/

この言明の中程に、IAEAのチームがウイーンに無事に帰着した時、国連側がロシア当局に“the Russian Federation did everything necessary to ensure safety of the IAEA inspectors who visited Zaporizhzhia NPP”と感謝の意を表したことも述べてあります。この事実は別の一般ニュースでも報じられていました。

 ザポリージャ原発周辺の事態の真相についての私に考えは、このロシアの国連代表が述べたことにほぼ一致します。私の判断はロシア側のプロパガンダに引きずられた結果では決してありません。

 ザポリージャ原発を巡って生起している事態を見守っているうちに、私は、恐ろしい可能性に気がつきました。軍事の専門家の大多数が、既に考えていることであろうと推測します。それは、核爆弾を使わなくても、敵国を核攻撃できるという事実です。通常のミサイルか、あるいは、お流行りの無人ドローンを飛ばして、敵国の原子力発電所を破壊すればそれで足ります。放出される放射性物質が敵国の人々を痛めつけてくれます。

 日本原子力産業協会のプレスリリース(2021年5月):

https://www.jaif.or.jp/cms_admin/wp-content/uploads/2021/05/doukou2021-press_release.pdf

に世界の原子力発電開発の現状 を示す一覧表があります。これによると大小の世界39カ国が原発用原子炉を持っています。その総数約600基。今の若い方々は戦争という物をご存知でない。今のロシアとウクライナの戦争というのは極めて普通でない様相の戦争だということが分かっておいででない。普通の戦争はこんなものではありません。戦時中の日本国内の空襲の事を覚えている老人たちに尋ねてみて下さい。

原子力発電は、この危険性だけでも、廃絶に向かわなければなりません。

 

藤永茂(2022年9月10日)


イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(1)

2022-09-05 15:48:19 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 8月初旬、『イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑』と題するNHK制作のドキュメンタリー番組を視聴して大きな感銘を受け、一つの発心に到りました。

NHKアーカイブにはこの番組の解説として、

「20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチ。日本人の父とアメリカ人の母を持つ彼が、生前、最も情熱を傾けた創作の一つが広島の原爆慰霊碑だった。しかしノグチのデザインは建設前に突如却下される。ノグチが原爆を落としたアメリカの国籍だったことが理由とされている。新たに公開されたノグチの肉声や関係者の話などをもとにノグチが“幻の原爆慰霊碑”に込めた思いに迫り、2つの祖国の狭間(はざま)で生きた芸術家の生涯を描く」

とあります。

 1950年、広島平和公園全体の設計を担当していた建築家丹下健三は訪ねてきたイサム・ノグチの熱意と才能に動かされて公園の両側にかかる二つの橋と設計を委ね、慰霊碑の設計も依頼しました。1951年、ノグチは心根を傾けて慰霊碑の設計を果たし、模型も作り上げましたが、その翌年1952年の初め、ノグチが米国国籍であることを理由に一方的に慰霊碑建立の契約が破棄されました。しかし、NHK制作番組『イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑』が詳しく伝えるように、イサム・ノグチはこの原爆慰霊碑の建立(こんりゅう)を希求し続けたまま亡くなりました。彼を最後まで駆り立てたのは、人間が原爆を作りそれを人間に対して使用したという重大な罪の意識とその罪に対する贖罪の想いであったのです。

私の大好きな歌舞伎『勧進帳』の中の見せ場の一つに弁慶の勧進帳読み上げがあります。このあたりの台詞(謡曲)は能『安宅』からそっくり引き継いでいます。イサム・ノグチの反核の志に感動して私が到達した発心の中身をお伝えする目的でこの謡曲をもじらせていただきます。

 「惟んみれば、大恩教主の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、生死長夜の長き夢、驚かすべき人もなし。ここに中頃、帝おはします、御名をば、聖武皇帝と、名付け奉り、最愛の夫人に別れ、恋慕やみがたく、涕泣眼にあらく、涙玉を貫く、思いを善途に翻して、盧舎那仏を建立す。

 我もまた、亡妻への恋慕やみがたく、日々涕泣に明け暮れしが、思いを善途に翻して、ここにイサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進を発心するに到れり」

 もちろん、老人ホームの一室に独居する私には、東大寺再建勧進の職を荷なった俊乗坊重源(ちょうげん)の役を果たす事は論外です。核兵器の使用をあげつらう政治家の存在する現世の暗黒を憂いて、イサム・ノグチの魂魄は未だこの世に留まっているに違いありません。俊乗坊重源の役は彼に演じてもらいましょう。私にできる事は、まず、出来るだけ多くの人々にNHK制作番組『イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑』の視聴をお勧めする事です。NHKオンデマンドやU-NEXTやアマゾンのprime video などで容易に観ることができます。BDプレーヤーをお持ちの人で、ご希望でしたら、私が放送から録画したディスクを、スマートレターに封入して無料でお送りします。私のメールアドレス:[email protected]を使って住所氏名をお知らせ下さい。この番組を制作したのはNHKの立派なスタッフに違いないので、版権侵害を理由に私のささやかな行為を妨害する事はありますまい。

 この勧進行為については、今後も継続してブログ記事を書くつもりです。

 

藤永茂(2022年9月5日)