私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

人が幸せに生きるためには

2024-11-22 18:34:52 | æ—¥è¨˜
 「人が幸せに生きるためには僅かなものしかいらない」というのは事実だと思います。大金持ちにならないと幸せにならない人がいるのも事実でしょうが。
 この「僅かなものでも人は幸せに生きることが出来る」という事実は、名もなき一般の人々にとっての福音であるだけではなく、大袈裟に言えば、人類の存亡に関わる重要な事実であると思われます。人類がこのまま消費文明に浸っていれば戦争と環境破壊によって破滅に追い込まれることは必定です。
 今日はそのことをゆっくり考えてみます。そのために古い拙著『アメリカ・インディアン悲史』(1972年出版)から長い引用をします:  
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 1968年春3月、私は家族をともなってカナダに渡った。その年の8月、私の住むエドモントン市の南80キロ程の所にあるインディアン保留地から、スモール・ボーイと呼ばれる老酋長が、白人のやって来る前のインディアン古来の生活に戻るべく、約140人ほどの人々を従えてクーテネーの山林に入ってしまったというニュースが報ぜられた。「飲む、盗む、喧嘩する、殺す、の白人文明はもうたくさんだ。子供達をあんな大人には育てたくない」。スモール・ボーイのこの簡潔な言葉に対する、ジャーナリズムの反応は、実に冷え冷えとした感じのものであった。「いま、カナダの社会で、飲み、盗み、喧嘩し、殺し合っているのは、白人たちではなく、お前たちインディアンではないか」、「白人文明がおいやなら、なぜトラックを使ってものを運ぶのか」、「ティピー(註:北米のインディアンが住居とした革や布張りのテント)では、とてもアルバータ州の冬は越せまい。・・・」
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 クーテネー高原のティピー村を訪れた最初の冬はことのほかきびしいものとなった。エドモントン市ではクリスマスのすぐあとから温度計の読みは華氏零度(摂氏マイナス18度)のはるか下に降り、ほぼ一ヶ月の間そのままだった。マイナス40度(摂氏でも同じく零下40度)に達する日もあった。その数十年来の厳冬をスモール・ボーイのインディアン達は見事に耐えた。そのニュースはふたたびジャーナリズムの取り上げるところとなった。大学の人類学者たちがにわかに「原始生活」の研究調査に興味を示しはじめたのもその頃であった。スモール・ボーイは六尺ゆたかな堂々たる恰幅の老人である。彼はその気になれば英語をたくみに操る。しかし彼はクリー語で白人たちに対応する。彼の言葉は通訳によって英語のなおされる。初夏のみどりに輝くクーテネー高原に立ってスモール・ボーイは次のような意味のことを言ったと伝えられた。「白人達よ。あなたがたの生活様式についての、愚かしいほどの自信はいったいどこからやってくるのか。あなたがたが、われわれインディアンの生活と、歌と、よろこびを無残にもふみにじってしまったとき、本当は、あなたがたの中にもあったはずの貴重なものを殺してしまったのではなかったか。あなたがたがやってきてから、空は日ましに透きとおらなくなり、草原に兎は遊ばず、湖に魚は絶えた」
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 アメリカの歴史の暗黒部に手を突っ込めば、いくらでも汚物を引き出してくることが出来る。私はおもに北米インディアンに話をしぼってそれをやってみたに過ぎない。しかしそれは、アメリカが日本と同じくらい汚い国だということを示すためでは決してない。「我々もひどいことをしてきたが、アメリカ人だって結構やっていたではないか」などというためではさらさらない。もっともっと差し迫った意味で、これは全く他人事ではないと思ったからである。北米インディアンの悲史には、アメリカに象徴される近代文明に対する重要な抗議申立てが、くっきりと書き込まれていると思ったからにほかならない。
 1976年はアメリカ建国200年の記念の年にあたる。その時、アメリカは、そして世界は”アメリカは可能か”という根本的な問いに直面するであろう。”アメリカ”の可能性に対して、最初から断固たる拒否を試みたのが北米インディアンであった。彼等は屈従よりも死を選んだ。彼等の幸福論は死をもって守るに値した。”アメリカ”によるジェノサイドを辛くも耐え抜いた生残りの不敵なインディアンたちはうそぶく。「悠久たる歴史の前には、200年などとるに足らぬ。やがてインディアンが必ず勝つ」このたわごとを笑ってすまされぬ日がもうそこまでやって来ている。エコサイド(ecocide)という新語がある。インディアンの皆殺しがはじまったとき、すでに我々はエコサイドを開始していたのである。
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 1972年4月、スモール・ボーイのインディアンたちはクーテネー高原に依然健在である。摂氏零下50度の酷寒が訪れても子供たちはティピーの中で笑いを失わなかった。人間が、人間の集団が、しあわせであるためには、実はほんのわずかな物しか要らぬのだと、彼等は私たちに告げているように思われる。人間がしあわせであるためには、限りない貪欲さで、自然を、また人間を搾取しなければならぬと考えるのは大間違いだと、彼等は私たちに告げているように思われる。
 インディアン問題はインディアンたちの問題ではない。我々の問題である。そして「インディアン」はいたる所にいる。素朴な親愛と畏敬を込めてクマをころすことを知っていたアイヌたちだけが我々にとってのインディアンではない。
 「かかよい、飯(まま)炊け、おるが刺身とる。ちゅうわけで、かかは米とぐ海の水で。沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな。そりゃ、うもうござすばい、ほんのり色のついて、かすかな潮の風味のして。
 かかは飯炊く、わしゃ魚ばこしらえる。わが釣った魚のうちからいちばん気に入ったやつの鱗ばはいで舷の潮でちゃぶちゃぶ洗うて、鯛じゃろうとおこぜじゃろうと、肥えとるかやせとるか姿のよしあしのあっとでござす。あぶらののっとるかやせとるかそんときの食いごろのある。鯛もあんまり太かとよりゃ目の下七、八寸のしとるのがわしどんが口にゃあう。鱗はいで腹をとってまな板も包丁もふなばたの水で洗えばそれから先は洗うちゃならん。骨から離して三枚にした先は沖の潮でも、洗えば味は無かごとなってしまうとでござす。
 そこで鯛の刺身を山盛りに盛り上げて、飯の蒸るるあいだに、かかさま、いっちょ、やろうかちゅうて、まずかかにさす。
 あねさん、魚は天のくれらすものでござす。天のくれらすものをただで、わが要ると思うしことってその日を暮す。
 これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。」(苦海浄土)
 こう、石牟礼道子さんに語った水俣の魚師の爺さまを、我々が殺したとき、我々はまぎれもなく「インディアン」を殺したのである。
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 インディアン問題はインディアンをどう救うかという問題ではない。インディアン問題はわれわれの問題である。われわれをどう救うかという問題である。
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古い拙著『アメリカ・インディアン悲史』(1972年出版)から長い引用を終わります。

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 石牟礼道子さんに語った水俣の魚師の爺さまの言葉を、私は、これまで何度繰り返して読んだことでしょう。しかし、この度の引用は、老人としての単なる感傷の故からではありません。このブログ記事の冒頭に述べましたように、「人が幸せに生きるためには僅かなものしかいらない」という、否定の余地のない事実に、人類を破滅から救う鍵を見出すからです。限りなく経済成長を続けなくても、我々は生存できるのです。自然を破壊し、戦争を続けなくても、我々には、結構、幸せに、その日その日を生きることが出来るのです。

藤永茂(2024年11月22日)

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Unknown (かわむらよういち)
2024-11-29 10:13:20
座して半畳 寝て一畳

痩せ我慢でなく そう思える 丁寧な暮らし を目指したいものです
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Unknown (山椒魚)
2024-12-04 22:54:22
私が学生時代,学業不振で苦闘しているときA.J.クローニンの自伝的小説「人生の途上にて」に出会い増した。そのなかの”神とその存在”言う節のなかに次のような文章があります。

私はまえに、オルグェンエア・ダイスのことを読者に語った。二十年以上にわたり堅忍不抜の辛抱づよさで、しかも穏和と快活とを失わずに、トリゲニーの人びとに奉仕してきた、あの中年の看護婦のことである。なにものにもまして、彼女の性格の基調とみられる、意識せざる無私の精神は、あまりにもむくいられることうすかったので、それが私の心を悩ましたのである。彼女は人びとから愛されてはいたけれど、彼女の俸給は法外に安いものだった。ある夜おそく、格別に骨の折れる治療のあとで、私はいっしょに一杯のお茶をのみながら、思いきって彼女に、議論をふっかけてみたことがあった。「看護婦さん」と私は言った。「なぜあんたは、もっと俸給をふやしてもらわないんだい。きみがあんな安い給料ではたらいているのは、ばかげているよ」彼女はかるく眉をあげた。だが、ほほえんでいた。
 「暮らしていくには、これで充分ですわ」
 「いや、ほんとにさ」
私は負けていなかった。
 「少なくとも一週にもう一ポンドは、余計にもらっていいよ。神さまだって、それくらい当然だということはわかっているもの」
彼女はすぐには返事をしなかった。微笑は消えなかったが、視線はおもおもしさを加え、そのはげしさが私を驚かせた。
 「先生」
と、彼女は言った。
 「もし神さまがわかっていてくださるなら、私にはそれだけで十分ですわ」
言葉かずはまことにすくなかったが、彼女の眸にこめられた意味は、明らかに読みとれた。これまで一度として彼女は、宗教的な女性であることをしめしたことはなかったが、いまは彼女の全生活、その奉仕と自己犠牲とは、一つの献身、「至純の存在」への信仰に、にいする不断の証明であることを知った。そして一瞬にして、私は彼女の生活の豊かな意義と、それに比較して、私自身の空虚さとを、理解したのである。

富貴と繁栄を追求めそれをつかむことも幸せになることでしょうが,この文章のなかの看護婦さんのような幸せのあり方は尊いものだと思います。
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幸せに生きるためには (藤永茂)
2024-12-06 09:52:04
>山椒魚 さんへ
誠に感銘深いコメントを頂き、有難うございました。なるだけ多くの人々に読んでいただくために私のブログ記事に転載することをお許しください。
藤永茂
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Unknown (藤永茂)
2024-12-06 12:11:17
> 藤永茂 さんへ
> 幸せに生きるためには... への返信
先生からそのようにいってもらって感激です
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Unknown (どんどん)
2024-12-07 01:01:54
藤永さんのアメリカインディアンに関する著書からの引用で思い出しました
ここのところ、昼間は風もなく初冬というのに暖かい日が続いています。日本では小春日和と言うそうです。
今から45年近く前、大学受験のために「英作文のトレーニング」で勉強してたところ、小春日和をインディアン・サマー・デイと表現することもあるのを思い出しました。
初冬なのにインディアンサマーとは不思議です
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Unknown (どんどん)
2024-12-09 08:58:58
インディアンサマーのことを投稿しました。
ここのところ、昼間は暖かい小春日和が続いていましたが、
昨日、シリアのアサド政権崩壊のニュースが流れておりました。パレスチナを支援したアサド政権崩壊、イスラエルがゴラン高原に侵攻、石油備蓄ゼロのイスラエル狙いなのでしょうか。
これから冬型の気候が強くなり寒くなりそうですが、ご自愛ください。
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