敷地内には梅の木が五分咲き程度咲いていました
私以外に、4人連れのオバサングループがそれぞれカメラを構えて撮っていました
「中々狙ったところにピントが合わないのよ」なんてボヤキながら撮っていました
展望台をバックに
そろそろ帰ることにします
展望台から見えた水鳥狙いのカメラマンは500㎜位の望遠レンズを構えて水鳥を待っているところ
結構、見所が多かった考古博物館でした
古墳時代の武人も言っていました
「またワシに会いに来いよ」
またセリフを付けてしまった…
完
- 2018/02/27(火) 21:35:37|
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建物を出て、敷地内にある保存機関車を見に行く
敷地の端っこ「播磨町郷土資料館」の前に展示されていました「DC302」
かつてこの地を走っていた、現在は廃線となった「別府鉄道」の車両です
客車の側面を見ると何やら見覚えのあるマークだ
この辺りが発祥の「多木肥料」のマークでした、鍬をクロスしたシンボルマークは播磨地域の人なら見覚えがあるはず
後で調べたら、この別府鉄道は創業者の多木久米次郎が自身の多木肥料の肥料製品を積みだすために「別府鉄道」を創ったようです。ちなみに客車の側面の文字「ハフ5」の「ハフ」は形式称号で「車掌台付き客車」を意味しているそうです
客車に入ります
木製の内壁でレトロだ
何のためのハンドルだろうか…
次に機関車に入ります
機械・機構好きの私はチョイ興奮
座席の後ろ方向にも同じ計器が…
前後方向に進む為でしょうね
これは電球(照明)を取り付ける金具だろうか
このとき、操縦室から外を見ると、5、6歳くらいの小さい男の子が入りたがそうにしている、後ろにはその御祖父さんと思われるお方が…
「階段急だから気を付けろや」とその男の子と代わってあげました
今日は日差しが温かく「写真ブラリ日和」だなあ
続く
- 2018/02/26(月) 21:40:57|
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今日は次男の高校の卒業式でした
カミさんが参列してきました
私はカミさんと次男の同級生のお母さん(同じ町内、カミさんとも友達)を乗せて高校へ。
式の間は近くのショッピングモールで時間を潰していました
式が終わってカミさんから次々にLINEで卒業式後の最後のホームルームでの写真が送られてきました
そして最後に担任の先生から一人一人お土産として関西では有名な銘菓「月化粧」を渡してくれたそうです
この月化粧をカミさんから送られた写真を見ながら家で食べました
次男が先生や同級生たちと嬉しそうにフレームに入って撮られた写真
チョイ目頭が熱くなりながら…
やがて次男が遅れて家に帰ってきてすぐに「散髪に行ってきます」と出掛けた
2時間くらいして帰ってきた次男はオサレなデザインの髪型で戻ってきた
帰ってきて一言、「学校では出来なかったなあ、こんな髪型」
やれやれ…(笑)
- 2018/02/25(日) 20:26:11|
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展示ゾーンに入ります
受付のオネエサンに撮影OKポイントを確認しておきます
入ってすぐに古代船に乗ったお方がドーンと待ち構えていました
イイ表情だ
「新しい住処を求めていざ行かん…」
手前から「縄文人」「弥生人」「古墳時代人」
「弥生人」にピントを合わせる
私が子供の頃近所のオヤジにいそうな顔だ
明石象?を狩りしている古代人たち
あれっ、一人壁の外に逃げているぞ
「逃げてないで行けよ、古代人」と言いたくなりました
漁をする船を漕ぐ古代人
いかにも「海のオヤジ」だなァ…
占いをしている「シャーマン」のようだ
現代でも「べっぴんさん」ですね、私もこのお方に運勢を占ってもらいたい
このブレスレット、現代でもイケるんじゃないかな?未来を先取りしたファッションのようだ
古墳時代の武人です
この展示物が良かった
当時の戦を再現している
中々迫力がありました
時代は一気に飛んで平安時代
宋(当時の中国)との交易を表しているんでしょうね
「旦那、イイ水墨画が手に入りましたぜ」(悪徳商人か…)
これら展示物以外にも、体験コーナーとして古代人の衣装を着たり、発掘体験など子供も楽しめるポイントがたくさんありました
最後に展示室を出たところにあった案内ボードが凄かった
「石棺体験」か…
なんか怖くて私は遠慮しておきます
続く
- 2018/02/25(日) 07:37:34|
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兵庫県播磨町にある「県立考古博物館」に行って来た
「歴史は大好きです、しかし考古学は苦手だなァ」歴史好きの人の多くはそう思っているんではないだろうか、実は私もそうです。
でも考古学も歴史の一部ではないかと言われえれば反論はできませんね…
まあそんなことは関係なくこの博物館に行った人のブログなんか見てたら結構楽しめそうなので行って来た
駐車場と博物館の間には大きな溜池が
その溜め池の中央を貫くような橋を渡って博物館へ向かいます
溜め池には色々な水鳥達が泳いでいました
水鳥狙いのカメラマンも2、3人いました
博物館に到着
敷地内の広場には復元された弥生時代の竪穴式住居が
建物に入ります
まずは物見やぐらを模して造られたときく展望台に上がります
霞んでいますね、見通しの良い日には遠く小豆島まで見渡せるそうです
さっき渡ってきた溜め池には三脚を立てようとしている水鳥狙いのカメラマン
竪穴式住居のまえには親子連れ
いい眺めだ
この辺りは高い山は少なく平地ばかりなので、古代の征服者はこんな物見やぐらを建てて、遠くまで敵が侵入してこないか常に監視していたんだろうな
それでは展示室に向かいます
日差しを取り入れた回廊
休憩室も完備
縄文時代から江戸時代までの甕を並べたエントランス
それでは入場料200円を払って有料の展示エリアに入ります
続く
- 2018/02/24(土) 15:36:31|
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先日訪れた「奥播磨かかしの里」へ向かう途中にある「安富ダム」に立ち寄った
ダム管理用のボートが浮いている
風や波が無く、湖面に雲がきれいに写っていた
川下の放水側
安富ダムは発電用ではなく、洪水調整と河川維持が目的
こうやって河川の水量を調整して洪水対策をやっているんですね
ふと思い出したのは、江戸時代の封建制
支配階級の頂点である大名そして武士、底辺はもちろん農民
江戸時代は日本に三百近くの藩があり、各大名が大小さまざまな領地を統治していた
おもしろいことに、大名は農地を所有しておらず、農地は農民の持物だったのです。大名は租税を(米)を取る権利を有していましたが、行政を行う義務、そして農民(領民)を守る義務も持っている存在でした。
しかも大名の家来たちである武士の棒給はじつに安く、かれらの大半は中級の農民・商人と比較しても遥かに貧しかったと言われています。よく時代劇で、武士であるけど陰で「傘貼り」・「下駄直し」などの副業をやっているシーンがありますが正にその通り。しかし貧しくてもたいへん律儀で私心が無いということで、かれらより下の階級である、農民や商人たちから尊敬されていた。
たとえ一揆が起き、城を農民たちに囲まれても勝手に火縄銃の「水平発射」は出来ない。農民に対しての発砲は江戸幕府に伺いを立てて老中の許可を得ないと領民に発砲は出来ないことになっていた。しかも一揆が発生すれば幕府から「統治能力が無い」と烙印を押され、幕府から転封や領地取り上げなどの御咎めは免れなかったようです。そうやって上手く統治する側・される側のバランスを取っていたと言って差し支えないと思います。
まるで洪水調整ダムのように(例え方が変かな?)…
「士農工商」と学校で習いましたが。底辺の農民を持ち上げて「士」の次に「農」を上げていた所に心遣いを感じます
幕末にこの封建社会が「ダム決壊」するまでの260年間も、うまく機能していたのは「世界的にも珍しい」とある歴史家は言っていました
人間個人もそうだと思う
短気ですぐに「ダム決壊」するようでは周りにも迷惑だし、自分で自分が嫌になる
このダムのように時々ガス抜きする余裕を持たねば…
- 2018/02/21(水) 22:22:26|
- 歴史
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かかしの里でかかし以外に撮ったスナップ
懐かしい農協マークの脱穀機、これ私の母親の実家にもありました
錆びを見るとツイツイレンズを向けてしまう
右から読む看板、つまり戦前の看板だ。今となってはプレミア付き!
大八車の車輪。以前は田舎のアチコチで見かけましたね
この時期は冬眠中なので大丈夫だと思いますが…
もう田舎に行かないと見かけなくなった「火の見やぐら」
この屋根の形をみると最近まで茅葺だったんだろうな
という感じで奥播磨かかしの里でした…
結局生きた人間には一人も出会えず、かかしばかりに囲まれてチョイ寂しかったけど、桜の季節に再び訪れようと思います
終り
- 2018/02/20(火) 20:47:41|
- 写真散歩(姫路市内)
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更に奥に進んで授業参観が行われているというプレハブ小屋に行きました
中に入りきれないオジサン
「授業のじゃまにならないように窓からそっと見てください」か…
了解!
従って窓越しの撮影となります
4+7=12????
8+5=16???
先生、叱ってあげてください
後ろの「初代校長」の写真が笑えます
カメラを構える、丸刈りの不審人物(私)
そのプレハブの周りにも沢山のかかしたちが居られました
「火の用心は大事じゃのう」
「おや、どちらまで?」
「ちょっとそこの沢に息子と釣りに」
「漏れそうじゃ…早く出てくれい」
「じいちゃん、やっぱ冬は虫いないね…」
「ワシも気付いたわ、今」
「やれやれ夕べからここで寝ていたわい、凍死しなくてよかった、もう一寝するか…」
「婆さん、早く進まんと日が暮れてしまうぞ」
「もうとっくに暮れて朝になっちゃいましたよ」
8時過ぎ、やがて谷間の集落にも日が差し始まました
最後に雪を被った「哀愁」の漂うかかしさんを撮って撮影を終えました
雪が解けて春になって桜が咲き始めたら再び訪れようと思う
かかしさんたち、また来ますね
- 2018/02/19(月) 20:44:52|
- 写真散歩(姫路市内)
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今日の早朝から行ってきました
姫路市の最奥にある、四方を山に囲まれた安富町の集落にあるかかしの里
かかしの里を目指して早朝の山道を走る
ナビが突然故障
あとどれくらいで着くのだろうか…
路面に雪に積もったあたりで住民に遭遇、車を停めました
道を訊いてみようか…
オジイサン、すいません
あれっ、返事が無い、耳が遠いのかな?
おお!案山子じゃねえか!しかし臭い「三文芝居」だなあ…
ということで「奥播磨かかしの里」に到着
車を少し広い場所に移して散策を開始
昨日までの雪で、外に出ている案山子さんたちに雪が積もっています
「雪の中ご苦労さんです」と声を掛けますがやはり返事が無い…(当たり前)
ある民家にお邪魔します(もちろん公開されている)
オジイサンおトイレ中でした、スイマセン…
ひな祭り中です
コタツの上に置いているお酒を見ると…
「奥播磨」じゃねえか!
ワシの日本酒で一番好きな銘柄だ
「奥播磨かかしの里」だから「奥播磨」か…
しかし「奥播磨」を選ぶとは、かかしたちも通やなあ…
縁側ではオバアサンがミシンをかけています
こんな感じでかかしの不思議な世界が展開されていました…
この「奥播磨かかしの里」は地元出身のある人が過疎化が進むこの地区を盛り上げようと全て自費でかかしを作って設置してしているそうで、現在130体あるそうです。しかも年に2、3回の着せ替え、2、3年ごとにかかしの入れ替えもやっているそうな…
本当に頭が下がります
さらに進んで、かかしの「授業参観」があるみたいなので行ってきます
(続く)
- 2018/02/18(日) 13:16:23|
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最近、車の中で前川清をよく聴くようになりました
何故か聴き込んでしまうんだな前川清
独特なねっとりした唄い方、そして独特なコブシ…
これまでこの前川清のイメージをぶち壊そうと色々なアーティストたちが曲を提供していたが前川が唄うと「前川清の唄」なってしまうんだな…
中島みゆきの提供した「涙」
糸井重里作詞で坂本龍一作曲の「雪列車」
福山雅治が提供した「ひまわり」
等々…
特に福山雅治は、レコーディングの時に「その唄い方、やめてください」と大先輩である前川に何度もダメ出ししたそうな…
※徹子の部屋で前川が語っていた、でもその後意気投合してか前川は福山のことを「福山さん」と呼ぶようになったとか…
でも聴いているとやっぱり結局「前川清の唄」となってしまっている
友人に訊いたら「実はおれもよく聴いているよ、前川清」と意外と陰でみんな聴いているんですよね
ある人に話すと「〇〇さん(私のこと)、演歌を聴いているんですか?」と言われた
前川清は演歌か?
歌謡曲のような気もするが…
演歌と歌謡曲の違いって何だろう
カミさんの親父が以前言っていた「着物を着て歌うのが演歌で、背広を着て歌うのが歌謡曲だろうが」
確かにある意味当たっているような…
でも前川清は演歌や歌謡曲の枠をを飛び出して「ムード曲」としておこう
今日も会社帰りに聴きました「そして神戸」
サビの部分、「相手さがすの~~よ~」
コブシを効かせて信号待ちで小さい声で口ずさんでしまった
オヤジだなァ…
- 2018/02/15(木) 19:46:33|
- 独り言
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