番組史
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「ミュージックステーションスーパーライブ」の記事における「番組史」の解説
第1回の放送は1992年12月18日。ゲストアーティスト15組が一堂に会し、当時千葉県浦安市にあった東京ベイNKホールから生放送された。 以後、継続して毎年12月第3 - 4金曜日に年末恒例で生放送されている(基本的には『ミュージックステーションスペシャル スーパーライブ』ではあるが、24日に開催される場合には、番組タイトルが『ミュージックステーションスペシャル スーパークリスマスイブライブ』、25日開催の時には、『ミュージックステーションスペシャル スーパークリスマスライブ』と名称が変わる)。 当初は2時間半でスタートし、その後年々放送時間も拡大され、1990年代後半に入ってからは4時間程度のコンサートとして定着。出演するアーティストも回を増す毎に20〜40組以上に増加している。本番組では、ゲストアーティストらがその年を振り返ったり、来年度の抱負について楽曲披露の前に司会者とトークを展開する。 2000年代頃からは、前座番組かつ報道番組『スーパーJチャンネル』の終盤(本番組放送開始直前)にその年の本番組に出演するアーティストから1 - 2組が出演し、本会場から『Jチャンネル』のスタジオと中継を繋いで、『Jチャンネル』の出演者と会話をするのが恒例化している。なお、2019年は放送時間の関係で『Jチャンネル』は休止。 1994年からは『ニュースステーション』の年内最終放送日の翌日(年末年始休止期間)に放送されていた。『Nステ』最終年となった2003年は、12月19日が年内最終放送日と一週間早く終了している。『報道ステーション』となった2004年以降は、『報ステ』の年内最終放送日を待たずに、その日の『報ステ』を放送休止してスーパーライブを放送するというケースもある。 2010年 - 2012年は、本番組がジャニーズ事務所所属アーティストが出演する年末音楽特番で、唯一ジャニーズ所属タレントが一切司会に関与しない番組となった。 2019年からは、秋に放送していた「ウルトラFES」(2015年 - 2018年放送)と合体した『ウルトラ SUPERLIVE』として放送。2019年はスーパーライブ史上初の11時間10分、2020年以降はコロナ禍による影響で時間短縮して6時間10分の生放送で行われている。
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番組史
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「MUSIC EDGE + Osaka Style」の記事における「番組史」の解説
2001年5月11日に毎日放送自主編成の深夜番組放送枠『フライデーエキスプレス』第2部の番組として、『MUSIC EDGE』のタイトルでスタート。このタイトルを冠していた頃には毎週金曜24:55 - 25:25(土曜0:55 - 1:25)に放送されていた。その後の2002年4月に現在の放送曜日・放送時間帯へと移動し、タイトルも現在のものへと変更された。また2002年11月からは『MUSIC EDGE + NEXT Style』の放送開始により、放送時間が10分拡大された。 番組スタート当時のオープニングは、T.REXの楽曲「20th Century Boy」に乗せて、犬を追いかけて走るU.K.が謎の地下基地にたどり着くまでの映像が流れ、そのまま白を基調とした、近未来的なデザインの地下基地を模したスタジオに切り替わるというものだった。その後、オープニングタイトルは何度か変更があり、2009年9月下旬からは、KISSのフェイスペイントを施したU.K.が「うたぐみライブスペース スミレ堂」のステージ上で「Rock and Roll All Nite」をエア・ギターで披露しているバージョンに変わっている。 当初は毎週一組のアーティストをピックアップするコーナー『HOT EDGE』と、U.K.とジョンさんが毎月それぞれオススメする楽曲を紹介するコーナー『POWER EDGE』、番組独自のチャートカウントダウンが行われていた。その後、新企画やコーナーの入れ替えにより、次第にU.K.やジョンさんがロケに出る機会が増えていった。また、開始当初から2004年頃までは、提供スポンサーの読み上げやリクエスト・メッセージを呼びかける時には、提供スポンサーや番組公式サイトのURL及びメールアドレスが記された茶色い透明のアクリル板をジョンさんがカメラの前に出していたこともある。現在ではテロップに切り替えられている。 番組開始より、U.K.とジョンさんが二人で番組を担当してきたが、番組が9年目に突入したのを機にリニューアルされ、2009年4月20日放送からはU.K.が一人で担当している。 2015年3月2日放送分のエンディングにおいて、同月30日放送分で番組を終了することが発表された。同月9日から最終回までは、4週連続でスペシャル企画を放送。最終回は久々に生放送であった。
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「松井咲子の気になる子さん」の記事における「番組史」の解説
2018年4月4日 - 毎週水曜日21:10 - 21:20に、『Nutty Radio Show THE魂』の内包番組として放送開始。 7月18日 - Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ対名古屋グランパスエイト戦を、埼玉スタジアム2002から生放送のため放送休止。 2019年5月15日・5月22日 - 初のスタジオゲストとして、大胡田なつき(パスピエ)、成田ハネダ(パスピエ)が出演。 2020年3月4日 - 放送100回を迎える。 3月25日 - 第103回放送分をもって、『Nutty Radio Show THE魂』内での放送終了。 4月1日(4月2日未明) - 第104回放送分より放送時間を毎週水曜日深夜24:00 - 24:30(木曜日0:00 - 0:30)に変更し、30分間に拡大。 4月8日・4月15日(4月9日・4月16日未明) - スタジオゲストとして、熊谷和海(BURNOUT SYNDROMES)が出演。 2021年12月22日(12月23日未明) - スタジオゲストとして、大胡田なつき(パスピエ)、成田ハネダ(パスピエ)が出演。松井は知らされておらず、サプライズ出演となった。 12月29日(12月30日未明) - 第195回放送分をもって、放送終了。
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番組史
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出演者変遷の詳細については「大喜利 (笑点)#歴代席順」を参照 1965年(昭和40年)3月12日:『金曜夜席』放送開始。放送時間は22:30 - 23:15。 4月23日:圓楽が大喜利の司会からメンバーに、談志が全てのコーナーの司会に。 1966年(昭和41年)4月22日:通常放送のまま『金曜夜席』最終回、『笑点』へ移行。
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この番組は、日本初の「女性が作る女性のための旅番組」をテーマに掲げてスタートした。当時はリポーターが女性であるのは勿論のこと、ロケ先へ同行するディレクター、カメラマン、照明担当、音声担当に至るまで全て女性ばかりで構成されていた。番組内でも彼女たちスタッフの映り込みがあり、また、スタッフロールの代わりに彼女たちの旅先での記念写真を映すなどの工夫を凝らしていたが、3年目からは「オール女性スタッフ」のコンセプトを解消し、以後は男性スタッフが増えていった。また、後に男性リポーターを起用するようにもなった。 番組は、放送開始から長らく土曜7:30枠で放送されていた。系列局各局で『ズームイン!!サタデー』の同時ネットが開始された頃、中京テレビは7:30から放送していたこの番組を動かせず、しばらくの間『ズムサタ』をこの時間で飛び降りていた。その際には、7:30直前に急に番組を中断するのではなく、7:25頃のCM明けに中京テレビローカルで独自のコーナー(CM前の日本テレビからのアイキャッチで取り上げた話題を中京テレビが伝える)とエンディングを設けることで出来るだけ飛び降りの違和感が生じないようにしていた。また、7:30以降の中京テレビからの中継は裏送りで行っていた。この状態は、1996年10月に番組が土曜17:00枠へ移動したことによってようやく解消した。 1998年10月からは土曜11:45枠で放送されるようになったが、番組は2003年3月に一旦レギュラー放送を終了。同年4月からは特別番組扱いになり、単発番組の放送枠である土曜10:25枠で2か月に1回ほどのスローペースで放送されるようになったが、その代わりに放送時間は55分と大幅に拡大した。特別番組と化してからはレギュラーリポーターの起用を中断し、毎回著名なタレントをゲストリポーターに迎えるようになった。2004年からは毎回片岡鶴太郎が1人の女性ゲストとともにリポーターを務める形式へ移行した。 2006年4月からは15分番組に戻り、再び元の土曜11:45枠で毎週放送されるようになったが、それから1年半後の2007年9月に番組は終了。合わせて22年6か月間にわたる放送に幕を閉じた。番組の終了後、同時間帯では同じく名鉄グループ提供の旅番組『ゴリ夢中』が放送されている。
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「大江千里のオールナイトニッポン」の記事における「番組史」の解説
1991年2月6日 - 第1回放送。番組スタートのお祝いのため、小室哲哉、渡辺美里、デーモン小暮らが電話出演。 1991年2月13日 - ゲスト:工藤静香 1991年5月1日 - ゲスト:小室哲哉 1991年6月12日 - ゲスト:渡辺美里 1991年8月21日 - 『吉田栄作のオールナイトニッポン』放送のため休止 1991年10月9日 - ゲスト:Qlair 1991年10月16日 - 『オールナイトニッポン25周年記念特別番組・タモリのオールナイトニッポン』放送のため休止 1991年12月11日 - ゲスト:奥居香(当時プリンセス プリンセス) 1991年12月18日 - ゲスト:織田裕二 1992年1月22日 - 名古屋から生放送 1992年3月11日 - 岩手県の温泉から生放送 1992年4月1日 - 番組最終回。ゲスト:渡辺美里
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「AV Music Channel」の記事における「番組史」の解説
2009年4月、木曜日枠にメインパーソナリティの二人塚本奈緒美(A-Channel(以下「A」)担当)・岩杉夏(V-Channel(以下「V」)担当)とアシスタント(アシスタントメイド)で放送開始。放送開始当初は、30分枠のため、2つの番組が週替わりにて放送。 2009年6月4日放送分より放送枠が60分に拡大し、リレー形式の放送体制となり井澤佳の実がV担当アシスタントとして出演し、岩杉夏は、A担当となる。 2010年3月25日放送をもって塚本奈緒美は降板。2010年4月、番組改編により水曜日枠に移動・リニューアルとなった。 2011年4月、MIDNIGHT RADIO PARKから独立、火曜日に移動。 2012年4月1日、MORY STAGEの後番組として日曜日に移動。 2013年2月6日、『エンタメステーションin札幌ド真中』でのコラボ番組を4丁目プラザのメガ・ビジョンやUSTREAMで動画配信(Ustreamは毎週水曜日17時15分配信更新) 2013年4月7日、「龍・W・F」と枠交換で土曜日に移動し放送時間開始時刻を繰り下げ、放送枠が90分に拡大。 2013年7月3日、スピンオフ番組「別冊AV Music Channel〜きたまえ↑EX〜」 放送開始。 2013年9月4日、スピンオフ番組「別冊AV Music Channel〜きたまえ↑EX〜」が、岩杉夏と井澤佳の実がアニメソングイントロ早押しクイズ形式で対決する音楽番組『別冊AV Music Channel』に改題リニューアル、2013年内に放送。 2013年11月23日、岩杉夏のA担当が休養(翌週復帰)、井澤佳の実が90分全編を担当。 2014年4月、A-Channelの一部コーナーの入れ替えが行われた。 2015年9月30日、『エンタメステーションin札幌ド真中』でのAVMCコラボ番組を終了。 2015年12月26日をもって番組終了。なお終了後の2016年1月以降も番組Twitterは主にこれまで番組に関わった歌手の情報発信を行う形で存続。 2016年1月23日 レギュラー番組終了後初のインタビューとして Chanty へのインタビュー音源をSoundCloudを用いて配信。
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「見たい! 行きたい! 話したい!!」の記事における「番組史」の解説
2014年4月5日 - 『docomo presents 見たい! 行きたい! 話したい!!』として放送開始(2015年3月28日まで)。土曜日12:00 - 12:30放送。 2015年4月4日 - 第53回放送分より現番組名に変更。 7月4日 - 松井のAKB48卒業直後の放送であり、倉持明日香(AKB48)、大家志津香(AKB48)、秋元才加よりメッセージが送られる。 10月 - 松井が2015年9月に埼玉県蕨市のPR大使に就任したことを受け、全編蕨市でロケを行う。 2016年2月27日 - 放送100回を迎える。 10月1日 - 第131回放送分より番組形態が「Startup Saturday」内のフロート番組となり、放送時間が土曜日7:05 - 7:35に変更。 11月5日 - 第136回放送分より放送時間が土曜日6:40 - 7:00に変更となり、20分に短縮された。 2017年1月21日 - 竹縄航太(HOWL BE QUIET)をゲストに迎え、サンシャインシティ噴水広場にて番組初の公開収録を行う(13:00 - 14:00)。公開収録の模様は2017年1月28日(第148回放送分)及び2月4日(第149回放送分)に放送。 8月19日 - ミドリのマルをゲストに迎え、さいたまスーパーアリーナにて公開収録を行う(13:00 - 14:00)。公開収録の模様は2017年8月26日(第178回放送分)及び9月2日(第179回放送分)に放送。 12月30日 - 第196回放送分をもって放送終了。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 19:19 UTC 版)
「タカアンドトシのどぉーだ!」の記事における「番組史」の解説
2007年4月7日 - 『タカアンドトシのどぉーだ!』放送開始。 2007年10月6日 - 特別番組『どぉーだ!秋の改編スペシャル』放送。 2007年12月29日 - 特別番組『大忘年会でどぉーだ!』放送。 2008年6月7日 - 特別番組『踊る!魅せる!YOSAKOIスペシャルでどぉーだ! 』放送。 2008年9月27日 - 札幌ステラプレイス内にあるUHBサテライトスタジオ「えき☆スタ」から公開生放送。 2008年10月4日 - 特別番組『どぉーだ!秋の改編スペシャル』放送。UHB北海道文化放送本社第1スタジオからの生放送に変更。 2008年12月27日 - 特別番組『大忘年会でどぉーだ!』放送。 2009年3月28日 - 『タカアンドトシのどぉーだ!』放送終了。 2009年4月26日 - 『どぉーだ!Presents タカトシ牧場』放送開始。 2009年9月12日 - 『タカトシ牧場感謝祭』を開催。(放送日:2009年9月20・27日)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 10:20 UTC 版)
「バカボン鬼塚 ABレコ」の記事における「番組史」の解説
2016年10月4日 - 番組開始。 2019年4月30日 - この日の放送がNACK5として、平成最後の番組となった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/22 07:41 UTC 版)
2001年10月6日、『ヘッチャラ平家★よろしくヨッスィ〜』(ヘッチャラへいけ よろしくヨッスィ〜)と題して放送開始。この当時は、平家みちよ(後のみちよ)と吉澤ひとみの「みちよしコンビ」がパーソナリティを務めていた。吉澤は、2001年9月1日のCBC50周年記念スペシャルに出演した際にこの番組の予告をしていた。 2002年10月12日放送分をもって、パーソナリティが稲葉貴子と吉澤の「いなよしコンビ」に変更。それに伴い、番組も『いきなりイナバ★よろしくヨッスィ〜』と改題した。
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「ニュース&ワイド マイユウ!」の記事における「番組史」の解説
それまで平日夕方に放送されていたテレビ東京系全国ネットニュース『TXNニュースアイ』が『速ホゥ!』へリニューアルするのに伴い、テレビ愛知は『ニュースアイ』の中で放送してきたローカルパートに『ニュース&ワイド マイユウ!』と独自の番組タイトルを付けてリニューアルさせた。放送開始から1年間は、『速ホゥ!』全国パートが終了した直後の17:25から放送されていた。 その後、2006年春の改編でそれまで18:00に編成されていたテレビアニメの放送枠が『アニメ530』と題して17:30から放送開始になったことを受け、テレビ東京以外の系列地方局はそれまで17:25以降に放送してきたローカルニュースの枠の確保を迫られた。17:00からの『速ホゥ!』全国パートはその後も放送時間を変えることなく放送され続けたため、テレビ愛知はそれまで16:55までフルネットしてきた『レディス4』を16:45で途中飛び降りし、この『マイユウ!』を16:45から16:59までと17:24から17:30までの2部構成にすることで対処した。つまり、2006年4月以降は『速ホゥ!』全国パートを逆内包する形になった。 さらにその後、2007年春の改編を機に系列局一律で16:54から『速ホゥ!』全国パートを放送し、17:13から17:15までのいずれかの時刻よりローカルパートを放送するよう定められたことを受け、テレビ愛知は『マイユウ!』の第1部と第2部を17:14からの16分枠へ一本化し、同時に番組タイトルもテレビ東京発のものと同じ『速ホゥ!』へと改めた。『マイユウ!』時代に実施していたコーナーの一部は、その後の『速ホゥ!』ローカルパートでも引き続き行われていた。
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番組史
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2000年4月5日 - 「いばらのもり」放送スタート。放送時間は水曜23:39 - 23:54(以下JST)。番組開始のきっかけはHTBのキー局であるテレビ朝日が、同局の深夜番組枠『ネオバラエティ』を45分に枠拡大することであった。しかし元々30分番組であった『水曜どうでしょう』はそれに倣った枠拡大を行わなかった。その残された15分間の穴埋め番組として急遽スタートしたのが「いばらのもり」である。 2001年12月5日 - 第64回放送。HTBにて放送された「森崎30歳記念 カート選手権 後編」の冒頭約43秒にわたり、音声のみの黒い画面が放送される放送事故が発生。その後「しばらくお待ち下さい」と静止画が25秒続き、提供画面やCM等も飛んでしまった。 2002年4月5日 - 直後の番組『トゥナイト2』終了と『Matthew's Best Hit TV』の時差ネットなどに伴い金曜24:15 - 24:45枠に移動。放送時間が15分拡大されて30分の枠となった。 2002年12月20日 - 「いばらのもり」全103回で放送終了。2003年から、後継番組として「ハナタレナックス」が始まる。 2010年4月5日 - 月曜24:15 - 24:45枠で「いばらのもりリターンズ 」として再編集の放送がスタート。同年8月23日まで続いた。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/06 20:18 UTC 版)
2008年11月 - ゲストに歌手の里アンナを迎える。 2008年12月 - 通販会社スクロール(2009年10月社名変更:株式会社ムトウ)が運営するブログサイト『ここぷり』とのコラボ企画をスタート。 2009年8月 - ゲストに音楽プロデューサー・吉岡一政をゲストに迎える。 2009年10月 - 1周年を機に番組改編。各曜日ごとに7人のパーソナリティが担当を受け持つ型に移行。 2010年2月 - 東急ハンズ銀座店とのコラボ企画「売れ筋情報」をスタート。 2010年3月 - ゲストに6代目三遊亭圓楽を迎える。 2010年8月 - ゲストにモデルの工藤裕生を迎える。 2010年12月 - ゲストに歌手のシータθを迎える。 2011年3月 - 真保とたまおが番組を卒業。 2011年4月 - 塙と砕牙が加入。また、一部の出演者の担当曜日が変更された。 2011年8月 - ゲストにモデルの工藤裕生を迎える。 2012年1月 - ゲストに映画監督の山崎貴を迎える。 2012年8月 - ゲストに歌手の里アンナを迎える。 2012年9月 - 相葉と棟方が番組を卒業。 2012年10月 - 4周年を機に番組改編。友利花と上山が加入。 2013年4月 - アンドロイド端末向け配信スタート。 2013年9月 - 塙が番組を卒業。 2013年10月 - 真保がレギュラー復帰。 2013年10月 - iphone向け配信スタート。 2014年1月 - ゲストに音楽ユニットの蓬(よもぎ)を迎える。 2014年2月 - ゲストに二胡奏者・賈鵬芳(ジャー・パンファン)を迎える。 2014年11月 - ゲストに声優・山川琴美を迎える。 2016年2月 - ゲストにアイドルユニット・山手壱番館を迎える。 2017年7月 - ゲストに声優・山川琴美を迎える。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/04 14:30 UTC 版)
2014年8月1日『バチっと!爆ハリ!』として放送スタート。2016年2月19日まで放送された。 2016年3月4日、『ジャルっと!爆ハリ!』がリニューアルして放送スタート。ジャルジャルとして初の関東レギュラーとなった。 2019年4月より23時台前半の通販枠と交換し、23:00〜23:30の放送となる。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 19:57 UTC 版)
「牟田悌三・あなたのための税金相談」の記事における「番組史」の解説
1980年10月12日に『牟田悌三の税金相談』(むたていぞうのぜいきんそうだん)のタイトルで放送開始。この当時はナイターオフ期間(10月から翌年3月)限定の番組で、TBSラジオでは日曜18時台に15分枠で放送されていた。1985年度・1986年度には『牟田悌三・税の質問箱』(むたていぞう ぜいのしつもんばこ)と題して放送。そして1987年度から現在のタイトルとなり、以後番組が終了するまで続けた。 1988年10月16日の放送再開後には通年放送となり、以来TBSラジオでは日曜夕方→土曜夕方→日曜朝と時間帯を変更しながらも放送が続けられた。番組は長らく15分枠で放送されていたが、2004年4月の改編で10分枠のミニ番組となった。途中放送のない期間が幾度かあったものの、番組は2005年4月まで25年間にわたって放送された。
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番組史
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「エバンジェリストスクール!」の記事における「番組史」の解説
2016年 4月3日 - 番組開始。 7月17日 - 番組初のゲストとして、Pepperが出演。 2017年 1月1日 - 特別番組『Human Conscious Special Next Future〜こどもたちの未来へ〜』放送のため休止。 1月2日 - 1月1日放送休止分の代替として、20:30 - 20:55に放送。 3月26日、4月2日 - 若月が体調不良のため、伊藤かりん(乃木坂46)が出演。 5月7日 - 『TOKYO FMサンデースペシャル』として、19:00-19:55に特別番組を放送。4月22日に「エバスク会社説明会2017 supported by 日経電子版」と題し行われた公開収録(17:30 - 19:30、TOKYO FMホール)の模様を放送した。ゲストとして秋元真夏(乃木坂46)が出演。 2018年 1月28日 - 『TOKYO FMサンデースペシャル』として、19:00-19:55に特別番組を放送。1月23日に「エバスク全社会議2018 supported by 日経電子版」と題し行われた公開収録(日経ホール)の模様を放送した。ゲストとして梅澤美波(乃木坂46)、阪口珠美(乃木坂46)、山下美月(乃木坂46)が出演。 2月4日 - ゲストとして梅澤美波、阪口珠美、山下美月(3名とも乃木坂46)が出演。 9月24日 - 『TOKYO FMホリデースペシャル』として、17:00-19:00に特別番組を放送。「エバンジェリストスクール! アイディアソン〜究極の会社とは〜 supported by 日本経済新聞 電子版」と題し行われた公開収録の模様を放送した。ゲストとして熊本浩志(amadana代表取締役社長)、古市憲寿が出演。 2019年 1月27日 - 日本酒造組合中央会及び『ジュグラーの波〜なぜ衛藤美彩はラジオで数字を学ぶのか?〜』と共同で、「TOKYO FM『&SAKE 20歳からの日本酒』」(15:00~18:00、東郷記念館)を開催。『ジュグラーの波〜なぜ衛藤美彩はラジオで数字を学ぶのか?〜』からは澤昭人が、当番組からは西脇資哲が出席した。 3月24日 - 『TOKYO FMサンデースペシャル』として、19:00-19:55に特別番組を放送。3月20日に「エバスク全社会議2019 〜平成のその先が見えてきた!〜 supported by 日経電子版」と題し行われた公開収録(北沢タウンホール)の模様を放送した。 3月31日 - 最終回。3年間の放送に幕。
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番組史
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「どぉーだ!Presents タカトシ牧場」の記事における「番組史」の解説
2007年4月7日 - 『タカアンドトシのどぉーだ!』放送開始。 2009年3月28日 - 『タカアンドトシのどぉーだ!』放送終了。 2009年4月26日 - 『どぉーだ!Presents タカトシ牧場』放送開始。 2009年9月12日 - 『タカトシ牧場感謝祭』を開催(放送日:2009年9月20・27日)。 2010年9月11日 - 札幌で『タカトシ牧場感謝祭』を開催(放送日:2010年10月3・10日)。 2011年3月27日 - 『どぉーだ!presents タカトシ牧場』放送終了。 2011年4月21日 - 『タカトシ牧場+(プラス)』としてリニューアルされ放送開始。 2012年3月22日 - 『タカトシ牧場+(プラス)』放送終了。 2012年4月21日 - 『タカトシ牧場』としてリニューアルされ放送開始。 2014年4月19日 - 放送時間が変更。
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番組史
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「ジュグラーの波〜なぜ衛藤美彩はラジオで数字を学ぶのか?〜」の記事における「番組史」の解説
2017年10月8日(7日深夜) - 放送開始。 2019年1月27日 - 日本酒造組合中央会および『エバンジェリストスクール!』と共同で、「TOKYO FM『&SAKE 20歳からの日本酒』」(15時 - 18時、東郷記念館)を開催。『エバンジェリストスクール!』からは西脇資哲が、当番組からは澤が出席した。 2019年3月31日(30日深夜) - 放送終了。
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番組史
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2018年 3月下旬 - サカエチカや市営地下鉄名古屋駅・栄駅(デジタルサイネージ)、あおなみ線全駅(ポスター)、新聞(中日新聞、中日スポーツ)で広告を展開。 4月2日 - 「報道を扱う情報番組」として、当番組が開始。 4月6日 - 「最新映画情報」のコーナーロゴに、本来「STRIKE!」と表示すべきところを「catch! branch」(前番組の英称)と表示したまま放送。 4月30日週 - ゴールデンウィークのこの週、観光名所から天気情報を生中継で伝える。4月30日 - 名古屋城 5月1日 - 名古屋港水族館 5月2日 - 東山動植物園 5月3日 - 刈谷ハイウェイオアシス 5月4日 - ノリタケの森 5月7日週、5月14日週 - 期間限定コーナー「あなたにどストライク!プレゼントキャンペーン」を実施(詳細後述)。 5月25日 - この日発行の「名古屋フリモ 中村版」で当番組が取り上げられる。 6月7日 - 天気コーナー内で「今週のはな名鑑」を開始。 6月11日 - 天気コーナーで、磯貝が「雑節の入梅」と伝えるべきことを「二十四節気の入梅」と説明(放送上での訂正はなかったが、公式サイト内「きょうのどストライク!」で訂正を行なった)。 7月2日週 - 松岡が夏季休暇を取得(代理は下記参照)。 7月5日 - 平成30年7月豪雨に関連して、天気情報をより詳細に伝えるため、天気コーナーを拡大し「ストライク!cooking」を休止。 7月6日 - 前日と同様、「最新映画情報」を休止。 7月9日週 - 前田が夏季休暇を取得(代理は松岡が務めた)。 7月9日 - 7月5日に休止した「ストライク!cooking」を振替放送。 7月19日 - 磯貝が、この日放送の「ストライク!cooking」で紹介したプリンを作り、番組終了間際、翌日が誕生日の佐藤に差し入れた。 7月23日 - この日よりオープニングから磯貝が出演する。また、「ズバッとストライク!」(OPトーク後→ローカルニュース後へ)「ストライク!ゾーン(「ストライク!cooking」含む)」(全国ニュース後→OPトーク後へ)「東海地方のニュース」(天気情報後→全国ニュース後へ)の順番を替える(8月3日まで)。 7月26日 - オウム真理教による一連の事件で、教団元幹部ら6名の死刑執行に関するニュースを伝えるため、「ストライク!cooking」を休止。 7月30日 - 7月26日に休止した「ストライク!cooking」を振替放送。 8月6日 - この日より3日間、「ストライク!cooking」を放送し、「ストライク!ゾーン」は休止 (OPトーク後に「-cooking」、全国ニュース後に「ズバッとストライク!」を放送)。 8月9日・10日・13日週 - 磯貝が「おでかけお天気中継」と題して、お盆休みで賑わう場所から中継で天気情報等を伝える。9日 - 中部国際空港 10日 - ジェイアール名古屋タカシマヤ 13日 - 河川環境楽園オアシスパーク 14日 - 東山動植物園 15日 - 大垣ひまわり畑 16日 - ハーバーガーデン 17日 - 久屋大通庭園フラリエ 8月17日 - 放送開始から100回を迎える。 8月20日〜29日 - 神が夏季休暇を取得。 8月20日週 - 8月25日・26日に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』が放送されるため、佐藤・磯貝が番組専用のTシャツ(通称:チャリTシャツ)を着用し、8月23日を除いて佐藤は当番組内で初めて中京テレビ本社前から放送を始める。 8月20日 - 新コーナー「磯貝メソッド」が開始。 8月23日 - 平成30年台風第20号の情報を詳しく伝えるため、天気コーナーを拡大。また、全国ニュース、天気情報を除いて画面右下に台風の23日午前10時現在の推定位置を表示。 8月24日 - 全国ニュース、ローカルニュースを除く全編が、中京テレビ本社前から放送される。 9月7日 - 松岡が産前産後休業前最後の出演となった。 9月14日 - 松岡の後任として、望月杏夏アナががレギュラー初出演。 9月17日週 - 佐藤が夏季休暇を取得。 9月19日 - 平山雅が松坂屋から生中継。ニュース以外のコーナーで出演者以外が出演するのは初めてのこと。 9月24日週 - 磯貝が夏季休暇を取得。 10月3日 - 「はなちゃんのおでかけ天気」と題して、東山動植物園より中継で伝える。 10月4日 - 「ストライク!cooking」に横山だいすけがレギュラーで初出演。 11月1日 - これまでニュースを担当していた前田が、アシスタントとして出演。ニュースは、望月をはじめとする中京テレビアナウンサーが、日替わりで担当。 12月21日 - ぐっとの時間拡大により、休止 2019年 4月1日 - 新元号発表に伴う報道特別番組放送のため休止 5月1日 - 新天皇即位に伴う報道特別番組放送のため、休止 11月7日 -望月がキャッチ!サブキャスター就任に伴い、料理コーナー「ストライクcooking」を卒業。 11月14日 -上山元気アナが「ストライクcooking」アシスタントに就任。 2020年 3月27日 - 前田がアシスタントを卒業。 3月30日 ~ - 3代目アシスタントに平山雅、稲村沙綾、阿部芳美が就任、尚 各日3人のうちの1人が担当する形に移行。稲村は、産休復帰後初レギュラーとなる。 4月13日 - 新型コロナウイルスの流行に伴い、4月10日に愛知県が発出した緊急事態宣言(独自)を受け、この日の放送から当面の間、MCの神・佐藤が交代で出演する措置を取ることが番組オープニングで発表された。これに伴い、月曜日は佐藤・平山、火・水曜日は佐藤・稲村、木・金曜日は神・阿部が担当する。 6月4日-この日の放送から、MCの神・佐藤を1週毎(木・金曜日と翌週月〜水曜日)の出演に変更。 7月6日 -4月13日から7月3日の放送まで、MCの神・佐藤が交代で出演する措置がとられていたが、この日の放送から2人そろっての出演となり、緊急事態宣言前の放送体系に戻った。 8月10日〜21日-8月6日に発令された2度目の愛知県緊急事態宣言と翌7日に局内から新型コロナウイルス感染者が出たこと、東海3県の感染状況、同月22・23日に24時間テレビ「愛は地球を救う!」の生放送が控えていること等を踏まえ、この日の放送から再びMCの神と佐藤が2人揃っての出演を取り止め、交代で出演する措置を取ることが番組冒頭に発表された。 8月24日 -MCの神・佐藤が交代で出演する措置がとられていたが、この日の放送から2人そろっての出演となり、緊急事態宣言前の放送体系に戻った。 10月1日-MCの佐藤・神ともに隔週担当に正式に変更された。 2021年 1月-ぐっとの放送時間拡大に伴い、月〜木曜日の週4日放送に移行。 9月29日 -この日の放送をもって、稲村が人事異動のため、卒業。 10月4日 -稲村の人事異動・卒業に伴うアシスタントの担当曜日変更で平山(月・水曜)阿部(火・木曜)となる
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番組史
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2003年(平成15年)10月12日 『BS笑点』放送開始。放送時間は19:00〜20:00。 2004年(平成16年)4月3日 放送時間が19:00〜19:54に変更。放送形式が新作とその再放送をそれぞれ隔週に放送するという形式に変更。「神田山陽のはじめて物語」がスタート。 2005年(平成17年)1月8日 「使ってみよう!落語ことば」がスタート。 4月2日 「こいつは凄芸!師匠と呼ばせて!!」がスタート。 2006年(平成18年)5月27日・6月10日 セイラが仕事上の都合で休演。本家『笑点』に出演している山田隆夫が座布団運びを務めた。 2007年(平成19年)2月17日 新作放送での『BS笑点』最終回、『笑点Jr.』へ移転。 3月31日 再放送での『BS笑点』最終回。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:45 UTC 版)
『365日5時間の生放送、吉本興業所属のお笑い芸人が総出演』という触れ込みで告知された。しかし、明石家さんまやダウンタウン等の地上波テレビで特に活躍している様なお笑い芸人の出演は概ね無かった。週7日、毎日オリエンタルラジオとほっしゃん。が司会を担当するとされたが、実際には後に週6日、週1日と担当日数が減っていった。
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番組史
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「中京テレビニュースプラス1」の記事における「番組史」の解説
1988年スタート。放送開始当初の表題は『中京テレビプラス1』であり、『ニュース』が入っていなかった。日本テレビ製作の『NNNニュースプラス1』の放送時間の変遷に伴い、中京テレビニュースプラス1の放送時間も変化してきた。 2004年10月からは、タイトルロゴが『NNNニュースプラス1』と同じく『NEWS PLUS1』と英字表記になったが、『Chukyo TV Broadcast News』という表記が入っていた。 その後は毎週月曜 - 木曜の週4日間は17:39 - 19:00に、毎週金曜には17:43 - 19:00に放送されていた。CS放送・日テレNEWS24でも『ウォッチ・ザ・にっぽん列島』の中で深夜に放送されていた。 『NNNニュースプラス1』の終了に伴い、中京テレビニュースプラス1も2006年3月31日に終了。2006年4月3日からは『中京テレビNewsリアルタイム』となる。なお、番組は2005年11月にリニューアルしたばかりだった。
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番組史
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「水曜日のダウンタウン」の記事における「番組史」の解説
2014年 4月23日、放送開始。 2015年 7月15日放送の『徳川慶喜を生で見た事がある人 まだギリこの世にいる説』が、ギャラクシー賞・2015年7月度月間賞を受賞。 8月、番組ロゴを小変更。タイトル部分は変わらないが、松本を模したキャラクターの頭部が金髪に変わり胸部に大胸筋が追加された。 9月16日、初の番組DVDが発売された。 2016年 3月23日、総集編として『ランク王国』とのコラボSPを放送。TBS系列の番組とのコラボは初。 4月20日、『JNNフラッシュニュース』の1分拡大に伴い、開始時刻を1分繰り下げ(一部地域は3分繰り上げ)、21:57 - 22:54での放送となり、『フラッシュニュース』との接続はステブレレスからステブレ入りに変更。また、全局が全編同時ネットに移行する。 9月21日、総集編として『水曜日のダウソタウソ』を放送(通常の出演者は出演せずダウソタウソ、八木良、まねだ聖子らモノマネ芸人が出演)。 10月25日、番組公式のLINEスタンプを発売。 2017年 6月7日放送の『先生のモノマネ プロがやったら死ぬほど子供にウケる説』が、ギャラクシー賞・2017年6月度月間賞を受賞。 10月11日、『JNNフラッシュニュース』の3分繰り下げに伴い、放送枠を22:00 - 22:54に変更(3分縮小)。 11月1日は前座番組『SMBC日本シリーズ第4戦』(18:15 - 22:00)の中継が早く終了したため、21:55 - 22:00は当番組の直前枠として普段は放送していないオープニング映像などが放送された。 2018年 4月11日、2時間スペシャルとして丸ごと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に出てきたネタを検証する『水曜日のダウンタウン~『こち亀』検証SP~』を放送。オープニングのナレーションは本家アニメ版で両津勘吉を演じていたラサール石井が務めた。また、この日より月~木曜日22時台の番組の終了時間を同23時7分に延長に伴い、放送時間を13分拡大。 4月18日、通常回オープニングがリニューアル。 9月26日、『王様のブランチ』とコラボした総集編を放送。 10月1日、動画配信サービス・Paraviにおいて配信開始。放送日の午前0時に前回分が配信されるが、総集編や著作権がクリアできない説は配信されない場合がある。 2019年 2月28日、クロちゃん(安田大サーカス)の名場面のみを使用したクロちゃん〜モンスターハウス〜LINEスタンプが販売される。 3月20日、総集編として『しあわせ家族計画』のパロディ企画『しあわせあかつ計画』を放送。あかつに、これまでの放送の中で厳選された100個の説のタイトルを1週間の内に暗記させ、全て一言一句間違えずに答えられた場合のみ賞金100万円を獲得できるチャレンジをさせた。結果は成功で100万円獲得。 5月8日放送の『新元号を当てるまで脱出できない生活』が、ギャラクシー賞・2019年5月度月間賞を受賞。 5月8日より月 - 木曜日22時台の番組の終了時間が22時57分に変更されたことに伴い、放送時間を10分短縮。 2020年 4月8日、Paraviでの配信開始を放送終了直後(22時57分)に変更。 4月29日 - 7月1日 新型コロナウイルス感染拡大の影響によりスタジオ収録と検証ロケが困難になったため、過去の放送内容を再編集した特別編を放送。6月3日、新作企画として『リモート“コントロール”クロちゃん』を実施。生放送で、自宅にいるクロちゃんの行動を視聴者がデータ放送の4色ボタンで決定するというもので、番組のメインであるダウンタウンは一切登場せずクロちゃんのみの単独出演となった。 7月1日、特別編として『ADが語る"しんどかった説"座談会』を放送。6月3日の放送と同様、番組のメインであるダウンタウンは全く登場しなかった。 7月15日、スタジオでの新規収録回を再開。 7月22日、この日は21:00から2時間スペシャルを放送したが、北海道放送・東北放送・RKB毎日放送のみ21:57からの60分短縮版が放送された。 12月16日、TVerにおいて最新話の無料見逃し配信開始。 2021年 3月10日 - 同月24日、10日に2時間スペシャルで『まだ誰もやってないモノマネ王座決定戦』『CMホントドッキリ』、17日には『東大王』とのコラボで『知力×体力 ミックスルール対決』、24日には『30-1グランプリ』と「説」でない企画を3週連続で放送し、これが既存のモノマネ番組・ドッキリ・クイズ・お笑い賞レースの概念を破壊する企画として話題になる。 4月14日、番組8周年を機に通常回オープニングが2度目のリニューアル。 10月6日放送の『おぼん・こぼん THE FINAL』回が、ギャラクシー賞・2021年10月度月間賞を受賞。 12月22日、この日放送された『「帯番組」のMCということで喜んで受けたオファーが「着物の帯を紹介する番組」だったとしても「だったらやめます」とは言い出しづらい説』の検証番組として、『すてきに帯らいふ』を本番組放送約一時間後の0:26 - 1:25(22日深夜)に放送。この日の番組内容や「帯番組」の存在自体、放送内で発表されるまで完全に伏せられていた。 2022年 3月18日、2021年の一年間を通してより多くのユーザーに愛され、TVerの発展に貢献したコンテンツに贈られる「TVer アワード 2021」バラエティ大賞を受賞。TVerにおける番組の総再生回数は史上最多である2382万回を記録した。 6月6日、『おぼん・こぼん THE FINAL』回が公益財団法人放送文化基金主催の第48回放送文化基金賞においてテレビエンターテインメント番組部門の最優秀賞を受賞。「果敢な仕掛けと必死の説得から生まれる奇跡の展開は、予定調和をよしとしない同番組ならではの緊迫感に満ちていた。深まる溝、意地とプライド、修復と和解。心の奥底の感情をすくい上げ、赦(ゆる)しへの希望も描き出す、出色の人間ドキュメントにもなっていた。時にはバッドエンドもいとわず、テレビバラエティーの限界に挑むその姿勢が高く評価された」と評された。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:33 UTC 版)
2006年4月22日放送では、「サザエさん生誕60周年記念ツアー」(桜新町)のため、番組内では『アニメ版「サザエさん」』の世界に「もしツア」出演者がアニメで登場した(アニメ制作はエイケン)。アニメキャラとの共演はこれが初だった。 2008年4月12日放送では、3本のうち2本のロケでツアーガイド役の坂下千里子が欠席し、松尾翠と戸部洋子(両フジテレビアナウンサー)が代役としてそれぞれのロケを担当。その後、同月14日に坂下は第1子の妊娠を発表した。同月26日放送では正式に産休を発表し、以後2009年3月14日放送までの間は各回毎にタレントもしくはフジテレビアナウンサーがツアーガイド役を担当していた。 2008年5月3日の松尾がツアーガイド代役の回では、前々日放送の『めざにゅ〜』のコーナー「ココCHECKチアキアルキ」のロケ日とこの本番組のロケ日が重なり、松尾と当時『めざにゅ〜』木・金・土曜日のお天気担当の岩崎千明がロケ中に遭遇した。 2010年5月15日放送分でツアーガイド役の坂下が第2子の妊娠を発表。その為、同月22日放送より産休に入り、以降、ツアーガイド役は再びタレントもしくはフジテレビアナウンサーが担当していた。2011年5月7日放送にて、2度目の産休明けの坂下がゲストとして番組に復帰した。なおレギュラーからは降板したことを同日放送分の収録について記した坂下本人のブログで明かした。これによりツアーガイド役は正式に各回ごとにタレントもしくはフジテレビ女性アナウンサーが担当することとなり、同年9月24日まで続いた。 2011年10月1日放送から新レギュラーとしてはんにゃ、Kis-My-Ft2が、坂下に替わる2代目のツアーガイドに平愛梨が加わり、大幅リニューアルとなる。 2014年8月19日、「もしツア特別編 夏休みまだまだ楽しめる日本一だらけのお得ツアーズ」を『カスペ!』枠(19:00 - 20:54)にて全国ネット放送した。この特番は生放送で行われ、連動データ放送を使用した視聴者プレゼント企画が実施された。またナレーターは武田祐子と真地勇志が担当し、通常回で担当している柳原は休みとなった。 2017年2月4日、サッカー日本代表・長友佑都との結婚によるイタリア移住に伴い、平が番組を降板。以降は坂下の時と同様、ツアーガイド役は各回ごとにタレントが担当したが、フジテレビアナウンサーが担当することはなかった。 2017年4月15日放送より、3代目ツアーガイドに福原遥、週替わりレギュラーとしてフェアリーズの伊藤萌々香と平祐奈(平愛梨の妹)が出演。また、この回は18:30 - 20:54には、「もしもツアーズ 京都のお土産・セブンイレブン・ニトリ…3大日本一スポット! 今夜限定で攻略教えますSP」を2時間半スペシャルで放送された。 『FNS27時間テレビ』の放送開始が19:00だった時代は、例年その年の総合司会やコーナー出演者などが登場していた。2006年では高島彩(当時フジテレビアナウンサー)が冒頭のみ登場、中居正広がVTRでの出演、2007年では東国原英夫(当時宮崎県知事)が出演した。2008年では高島・中野美奈子(当時フジテレビアナウンサー)が冒頭から登場し終盤に明石家さんまが登場した。2009年では里田まい・スザンヌ・南明奈が冒頭から登場し、後半にはめちゃイケメンバーが登場した。2010年ではスザンヌがツアーガイドとして登場し、庄司智春(品川庄司)がゲストとして登場した。2011年以降は18:30開始との体制になったため、番組自体は休止となっている。 2019年3月30日、番組当初からのレギュラーである三瓶が長友の専属シェフに向けての修行によるトルコ移住のために番組を降板することを発表。これにより、番組当初から出演し続けているのはキャイ〜ンだけとなった。 2020年3月21日、3代目ツアーガイドの福原が卒業を発表。また、番組初期から使用を続けてきた「もしツアバス」も卒業を発表した。 2020年4月から7月4日の放送分では、新型コロナウイルス感染症の拡大による影響でツアーロケが行えず、急遽1か月間は総集編の放送で凌いだのち、改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法による緊急事態宣言が発令されている期間の収録となる5月放送分からは街ロケや屋内スタジオ収録を避け、フジテレビ社屋の屋外テラスにて各地のお取り寄せグルメや閉館中の水族館の様子などを週替わりレギュラー陣が持ち回りで紹介する番組構成となった。7月11日放送分よりツアーロケが再開された。 2020年9月5日放送分より、不在であったツアーガイド役に同年入社のアナウンサー・渡邊渚が4代目として就任。アナウンサーが正式にツアーガイド役として起用されたのは渡邊が初である。 2022年3月26日放送分で、4代目ツアーガイドの渡邊が卒業を発表した。 2022年4月2日放送分より、5代目ツアーガイドに小室瑛莉子(同局アナウンサー)が就任。 2022年4月23日放送分よりTVer・FODでの見逃し配信が開始された。 2022年7月15日付の複数のスポーツ新聞で、本番組が同年9月をもって放送を終了とするとの記事が掲載された。この記事について当初、フジテレビ側は「10月期の改編についてはお答えしておりません」とのコメントを出していたが、同月29日、9月でレギュラー放送を終了し、それ以降は不定期の特別番組として継続されることが正式に発表された。次番組は過去に2度特番が放送された『イタズラジャーニー』をレギュラーに昇格させて放送予定(関東ほかで放送)。
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番組史
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『金曜夜席』時代の歴史については「金曜夜席#番組史」を参照 出演者変遷の詳細については「大喜利 (笑点)#歴代席順」を参照 年日付出来事1966年(昭和41年) 5月15日 『金曜夜席』から『笑点』へ移行する形で放送開始。当初の放送時間は16:30-17:10の40分。 1967年(昭和42年) 1月1日 初の「師弟大喜利」を開催。 8月27日 初の「大喜利ゲスト大会」を開催。大喜利メンバーの1人として後の2代目司会者・前田武彦が出演。 10月8日 初の「若手大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として林家木久蔵(木久扇)が初登場。 1968年(昭和43年) 5月5日 放送時間が17:20-18:00に変更。 12月15日 石井が「毒蝮三太夫」に改名。この頃、談志とメンバー5名の間に番組の方向性についての深刻な溝が出来ていた。 1969年(昭和44年) 3月30日 5代目圓楽ら当時のメンバー5人全員が談志と対立したことに伴い、降板。翌4月6日から、メンバーを総入れ替えして大喜利を行う。 4月頃 この頃から談志がたびたび番組を休演。万が一の談志休演に備えて、一龍斎貞鳳を代理司会に起用。 11月9日 視聴率低下と衆院選への出馬に伴って、談志が降板。代わって前田武彦が2代目司会者に就任。一部メンバーを入れ替えて大喜利が8人制(各チーム4人編成の2チーム制)に(コーナー名も、一時的に「大喜利ナンバーワン」に改称)。「前武の何でも入門」が開始。 1970年(昭和45年) 2月8日 この日は北海道(具体的な場所は不明)で収録されたものを放送したが、収録日の大雪による欠航のため、スケジュールの関係により遅れて会場に向かう予定だった前田が急遽休演。当日の演芸ゲストがてんぷくトリオだったことから、三波伸介が急遽代理司会を務め、戸塚睦夫と伊東四朗が特別に座布団運びを務めた。 5月31日 放送200回を記念して、神田明神で神輿担ぎやバナナの叩き売りなどの「笑点まつり」を開催し、大喜利は境内の仮設舞台で行った。 6月21日 一部メンバーを入れ替え、大喜利が現在の6人制に定着(レギュラーでのチーム対抗制も、同時に廃止)。コスチューム大喜利を導入。 8月24日 初の「ちびっ子大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として山田隆夫が初登場。 12月20日 三波が3代目司会者に就任。「伸介の何でもコーナー」が放送開始。 1972年(昭和47年) 1月2日 初の「親子大喜利」を開催。 放送日不明 座布団の色がピンク色から現在の紫色に変わる。 4月30日 放送300回を記念して、歴代司会者3名によるスペシャル対談を行う。 8月27日 歌丸と小圓遊の手打ち式を開催。三波・5代目圓楽を仲裁立会人として仲直りさせる。 1973年(昭和48年) 8月26日 日本テレビ開局20周年を記念して、「笑点まつり」を浅草寺の境内で開催し、「座布団供養」を行った。談志がゲストで出演。 10月28日 ニールセン調べによる視聴率において、歴代最高の40.5%を記録(関東地区)。 1974年(昭和49年) 10月27日 ビデオリサーチ調べによる視聴率において、歴代最高の36.1%を記録(関東地区・世帯)。 1975年(昭和50年) 12月14日 一般販売用「笑点暦」第1号を披露。 1976年(昭和51年) 8月22日 『笑点』放送開始10周年を記念して、京王プラザホテルで特番を開催。 1977年(昭和52年) 1月2日 初の「東西大喜利」を開催。西軍のリーダーは桂三枝(現・六代桂文枝)、東軍のリーダーは5代目圓楽。 3月27日 5代目圓楽が再び降板することに伴い、「圓楽・笑点卒業式」を実施。これまでの功績を称え、三波が卒業証書を5代目圓楽へ授与した。大喜利レギュラーからは人参が贈られた。 1978年(昭和53年) 4月30日・5月7日 日本テレビ開局25周年を記念して、サンフランシスコにて「亜米利加寄席」を実施。番組で史上初となる、海外での大喜利収録を行った。 1980年(昭和55年) 10月5日未明 小圓遊が食道静脈瘤破裂のため急逝。 10月5日・10月12日 『笑点』放送開始15周年を記念して、ハワイ寄席を開催。 10月19日・10月26日 小圓遊追悼特集を行う。 12月28日 年1回の恒例となる「マジック大会」が初開催(1996年新春まで)。 1982年(昭和57年) 12月8日 三波が解離性大動脈瘤破裂のため急逝。 12月12日・12月19日・12月26日 この3週に予定されていた、三波が出演し、なおかつ収録済みの3回分の放送が収録日のテロップ付きで決行された。12日放送分は冒頭の挨拶など一部を差し替えて、こん平進行で残った笑点メンバーで三波との思い出を語る追悼座談会、及び同年10月30日収録分の1本目にあたる木久蔵の落語と大喜利、19日は同じく10月30日収録分の2本目で、演芸はこん平の落語、事実上の最終回となったなんでもコーナーは寿司屋入門、そして大喜利を放送した。26日は生前最後の収録ストックとなる12月4日収録の「年忘れマジック大会」と若手大喜利メンバーとの対抗大喜利を放送。テレビ欄には「三波伸介最後の笑点」の文字が並べられた。 1983年(昭和58年) 1月2日 司会者不在となった新春スペシャルの大喜利司会をこん平と愛川欽也がそれぞれ臨時に担当。 1月9日 5代目圓楽が4代目司会者に就任し、番組に復帰。 10月16日 「圓楽のよろずガイダンス」が放送開始。 1985年(昭和60年) 4月7日 寄席「若竹」にて、初の公開収録を実施。同収録には初代司会者である立川談志も特別演芸ゲストとして出演し、講談を披露した。 12月22日 間近となった『笑点』放送開始20周年と放送1000回突破を記念して、京王プラザホテルで特番を開催。初めてメンバー6名を3対3に分けて行うチーム対抗形式の大喜利が実施され、1999年以降の年末年始の恒例企画に引き継がれる。 1988年(昭和63年) 8月28日 24時間テレビにて、初の「チャリティー大喜利」を開催。『笑点』史上初の生放送となり、現在に至るまで『24時間テレビ』での恒例企画となる。 1991年(平成3年) 12月29日 大喜利で、メンバー全員が座布団10枚達成。賞品(いわしみず)の贈呈は、翌年5月の慰安旅行先にて行われた。 1996年(平成8年) 4月14日 放送時間が17:30-18:00の30分に短縮され、現在に至るまでの放送時間が確立する。 11月3日 若手芸人の登龍門「笑点の穴」が放送開始。 1997年(平成9年) 4月20日 『笑点』放送開始30周年を記念して、香港寄席を開催。 1998年(平成10年) 7月5日 - 7月26日 山田が休演。この間は、大喜利下克上でMVPに選出された若手落語家が座布団運びを務めた。 2001年(平成13年) 5月20日 『笑点』放送開始35周年。これを記念して、この日の大喜利の3問全てが35周年に関する問題が出題された。 2002年(平成14年) 11月10日 公式ホームページ『笑点web』が開設。毎回の大喜利の回答(2014年のホームページリニューアル後は問題のみ)や、座布団の枚数が放送後に更新される。web内で、視聴者が番組内で行われたのと同じお題に参加できる「web大喜利」が毎週開催された(その日出題された3問の中から1問抜粋)。 2004年(平成16年) 9月12日 こん平が休演。残りのメンバーで大喜利を行う。 12月26日 休養中のこん平の代役として、たい平がメンバーに加入。 2005年(平成17年) 10月23日 5代目圓楽が休演。たい平以外のメンバーによる交代での代理司会を経て、11月27日以降は代理司会者が歌丸に固定される。 11月23日 『笑点 大博覧会 DVD-BOX』発売。 2006年(平成18年) 1月1日 新春特別番組『大笑点』が放送される(2007年・2008年も放送)。 1月22日 『笑点』放送2000回を達成。しかし、当時5代目圓楽とこん平が療養中だった事情などから、スペシャルではなく通常放送だった。 番組の歴史を写真でたどり、出演者や番組製作に関わった人々のコメントで構成された本【笑点】が刊行。 3月26日 5代目圓楽が番組に復帰するも、体調の関係から冒頭の挨拶のみを担当し、大喜利司会は歌丸が引き続き代理を務めた。 5月14日 『笑点』放送開始40周年記念して、1時間のスペシャルを放送。この回をもって、5代目圓楽が勇退を表明。同時に、長期に渡って休演していたこん平も正式に降板(番組のラストにて、こん平が直筆したメッセージを歌丸が代読した)。 5月21日 歌丸が正式に5代目司会者に就任。こん平の降板に伴い、たい平が正式にメンバーに昇格。昇太がメンバーに加入。 10月19日 木久蔵が新高座名公募の募集を『笑点』を通じて行う。 2007年(平成19年) 9月23日 「ダブル襲名披露口上」を行い、木久蔵が新高座名「木久扇」に改名。 2008年(平成20年) 6月29日・7月6日 歌丸が腰の手術および療養のため休演。案内役は2週とも木久扇と楽太郎が担当。大喜利司会は6月29日がたい平、7月6日を昇太が担当。歌丸は翌週の7月13日(島根県での地方収録)から司会に復帰した。 2009年(平成21年) 10月4日 この日放送の第2184回から音声多重放送を利用した視覚障害者向けの解説放送を開始(一部解説放送を行わない場合もある)。アナログ放送とデジタル・ワンセグでは音声帯が2chなので主音声が従来の放送、副音声で解説放送。何れも従来のモノラル化された。デジタル・12セグでは音声帯が最大5.1chのため主音声はこれまで通りステレオ放送、副音声もステレオで解説放送を実施[要出典]。 10月29日 5代目圓楽が転移性肺がんのため逝去。 11月8日 5代目圓楽追悼特集を行う。 12月23日 DVD『笑点 ありがとう円楽さん! 〜五代目 三遊亭円楽を偲ぶ映像集〜』発売。 2010年(平成22年) 2月28日 「六代目円楽襲名披露口上」を行い、同日の放送より楽太郎が6代目円楽を襲名。 3月7日・3月14日 歌丸が肺炎のため休演。案内役は2週とも木久扇と好楽が担当。大喜利司会は3月7日が木久扇、3月14日が好楽が担当。 2011年(平成23年) 3月13日 前々日に当たる3月11日に発生した東日本大震災関連のNNN報道特別番組を放送したことに伴い、休止。 5月15日 『笑点』放送開始45周年。この回の大喜利は「45周年記念大喜利」として放送された。 8月5日 2代目司会者の前田武彦が肺炎のため逝去。 11月21日 初代司会者の談志が喉頭癌のため逝去。 11月27日 番組エンディングにて談志の追悼コーナーを放送。 2012年(平成24年) 5月9日 番組ブレーンの新倉イワオが大腸癌のため逝去。 2014年(平成26年) 3月18日 公式Facebookが開設される。 4月6日 大喜利に嵐の二宮和也がゲストとして登場し、座布団運び・回答者・司会補佐を1問ずつ担当。 4月28日 公式ホームページがリニューアルされる。その前の週の4月20日を以って、視聴者参加の「web大喜利」が終了した。 5月11日 - 6月1日 歌丸が慢性閉塞性肺疾患と肋骨骨折、帯状疱疹で入院したため休演。この間、冒頭の案内役を昇太とたい平が、大喜利の司会は5月11日放送分は木久扇、5月18日は好楽、5月25日は小遊三、6月1日は6代目円楽がそれぞれ司会を務めた。6月8日から復帰。 6月15日 大喜利で木久扇が座布団10枚を獲得。前週の6月8日はたい平が10枚を獲得しており、番組放送開始以来2週連続で10枚獲得という初の事態となった。 7月27日 - 10月12日 木久扇が、初期の喉頭癌のため休演。 2015年(平成27年) 1月25日・2月1日 歌丸が、インフルエンザ感染による入院のため休演。大喜利の司会は1月25日放送分は昇太が、2月1日放送分はたい平が務めた。 1月25日 この日の演芸は当初三宅裕司と小倉久寛(両名とも本業は俳優・タレント)による医者のコントを放送予定だったが、諸事情により急遽翌週2月1日に放送される予定だったビックスモールン(ゴン・チロ)のボディアートコントを前倒しで放送。同日放送予定だったコントは、2月15日に延期された。 動画配信サイト『Hulu』にて、過去に放送した大喜利(歌丸司会時代)を配信開始。 5月31日 - 7月19日、8月2日 - 10月25日、12月27日 - 2016年5月8日 放送50年目企画として、番組のエンディングにて『笑点おもいで写真館』→『笑点 こんな写真が!!』を放送、Facebookにて『笑点おもいで写真』を掲載している。 7月12日 - 9月6日 歌丸が、腸閉塞による入院のため、休演。この間は、大喜利メンバーが週交代で代理司会を担当。笑点の本放送は、9月13日放送分で復帰。その放送の前に、8月23日の24時間テレビ『チャリティー笑点』で復帰後最初のテレビ出演を果たした。 2016年(平成28年) 1月10日 大喜利に特別ゲストとして竹野内豊が出演。 1月31日 『笑点』放送2500回を達成。大喜利の1問目で、回号の「2500」に関する問題を出題した。 2月7日 OPの提供クレジット映像が、メンバーの似顔絵(絵柄はオープニングアニメと同じ物)のアニメーションから出演者の舞台裏や楽屋での様子に変更された。 4月3日 直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を開始。 4月17日 こん平が、真打昇進披露口上の三本締め発声役として、本編には2004年以来12年ぶりに出演。同年4月14日より相次いでいる熊本地震の影響で、一部CMがACジャパンに差し替え。 4月24日 正月開催の『第92回箱根駅伝競走』で総合2連覇を達成した、青山学院大学陸上競技部・長距離ブロック監督の原晋が特別ゲストとして出演。 4月30日 『笑点50周年記念スペシャル』(同年5月15日放送)の収録が行われ、歌丸が同年5月22日の生放送を最後に司会の降板を表明。降板後は番組初の『終身名誉司会』へ就任し、派生番組の『もう笑点』への出演を継続した。 5月8日 歌丸最後の通常回。大喜利の特別ゲストとして、2代目座布団運びを務めた毒蝮三太夫が46年ぶりに出演。またこの日は、昇太が座布団10枚獲得。さらにその後、6代目円楽、たい平、木久扇と立て続けに座布団10枚を達成。歌丸司会引退最後の座布団10枚は、4人が同じ日に達成するという珍事となった 5月15日 放送開始から丁度50年となるこの日に、『笑点50周年記念スペシャル』と題した1時間のスペシャルを放送。仲間由紀恵を特別ゲストに招いての記念大喜利の他に、笑点50年の歴史を歌丸を中心として振り返る企画が行われた。 5月22日 『笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル』を放送(17:30-18:55の拡大放送)。番組終盤に歌丸最後の大喜利を生放送で行い、歌丸が勇退。エンディングで、昇太が6代目の司会に就任することが歌丸から発表された。 5月29日 『新メンバー&24時間テレビランナー発表スペシャル』を前週に続き生放送で放送(オープニング後に第2515回と表示された)。新メンバーとして2代目三平が初登場し、生放送で大喜利を行った(前週で全員の座布団が全部(35枚)没収されたため、2代目三平を含め全員座布団0枚からスタート)。番組終盤には同年の24時間テレビ総合司会の羽鳥慎一・水卜麻美(水卜は日本テレビアナウンサー)が登場し、たい平が『24時間テレビチャリティーマラソン』のランナーを務める事が羽鳥から発表された。 8月27日 たい平が24時間テレビ39 「愛は地球を救う」のチャリティーマラソンに挑戦。スタート地点に昇太と好楽以外のメンバーが集合し、たい平の師匠であるこん平がスターターを務めた。 8月28日 24時間テレビ内でチャリティー大喜利を実施(マラソン中のたい平は不参加)。その後、メンバーはマラソンゴール地点の日本武道館に移動し、こん平とともにゴールの瞬間を見届けた。また、24時間テレビ終了直後の「行列のできる法律相談所」の生放送にも、メンバー全員が出演した。 2017年(平成29年) 1月8日 番組連動データ放送開始。 11月5日 6代目円楽が大喜利の1問目で座布団10枚達成。その後座布団を減らされたが、再度10枚達成した。このため、番組初の同一出演者が同一放送回での座布団10枚2回達成となった。 12月10日 11月26日・12月3日放送分の2本撮り収録時に、前回(11月19日放送分)大喜利終了時の枚数ではなく間違った枚数(11月12日放送分終了時の枚数)で収録をしてしまい、そのまま放送されたことを、大喜利冒頭で司会の昇太が謝罪。これに関しては「『笑点』史上初の不祥事」と説明された(なお、先だって当該11月26日放送冒頭においても、昇太から説明と謝罪がされていた)。 2018年(平成30年) 4月1日 放送日にちなんだエイプリルフール企画として、6代目円楽が特別に大喜利司会を務め、昇太が2016年5月22日放送回(『笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル』)以来となる回答者を務めた。なお、昇太はレギュラー回答者時代に座っていた4枠ではなく、6代目円楽とそのまま入れ替わって5枠に座り、前回までに6代目円楽が獲得した座布団の枚数を一時的に引き継いだ。 7月2日 終身名誉司会者の歌丸が慢性閉塞性肺疾患のため死去。 7月8日 歌丸追悼特集を行う。 7月22日 歌丸の肩書きが「永世名誉司会者」に変更。 大喜利でゆりやんレトリィバァがゲストとして登場し、山田の代わりに座布団運びを担当。ただし3問目はゆりやん自身のギャグを使った問題のため、通常通り山田が座布団運びを担当した。 9月30日 - 10月28日 演芸コーナーで5週にわたり『笑点秋のコラボ演芸祭り』を実施。9月30日(香川県での地方収録)はビックスモールンと山田、10月7日はヒロシと6代目円楽、10月14日はダチョウ倶楽部と木久扇&たい平&三平、10月21日はダンディ坂野と好楽、10月28日はボンボンブラザースと小遊三&昇太がそれぞれコラボでネタを披露した。 2019年(平成31年/令和元年) 6月30日 『歌丸1周忌スペシャル』を放送。前半はメンバーらで雑談を行い、後半は歌丸に因んだ大喜利を行った。エンディングで昇太が日本テレビ汐留本社から急遽生放送を実施し、自身の結婚を発表した。発表直後、福澤朗が登場し昇太を祝福、そのまま『真相報道 バンキシャ!』のスタジオへ案内するところで番組は終了。その後放送のバンキシャに昇太が生出演した。 7月28日 大喜利3問目に特別ゲストで菅田将暉が出演。 8月18日 - 9月15日 6代目円楽が脳腫瘍による入院のため、休演。8月18日・9月1日は代役を立てず、残りのメンバーで大喜利を行い(6代目円楽の席は空席で、8月11日放送終了時点で獲得していた座布団が積まれたまま)、9月8日は春風亭昇也、9月15日は立川晴の輔がそれぞれ代役を務めた(座布団の枚数は前週の代役からそのまま引き継がれた。)9月22日・9月29日は休止のため、6代目円楽の笑点本放送の復帰は、退院から1か月半後の10月6日放送分(福岡県での地方収録)となった。 11月10日 前日11月9日に木久扇がレギュラーに加入して50周年を迎えた事を記念して、『笑点出演50年記念 30分まるごと木久扇スペシャル』を放送。前半は『林家木久扇 笑点 満五十周年記念口上』、後半の大喜利は3問とも木久扇にちなんだ問題が出題された。 2020年(令和2年) 2月29日 新型コロナウイルス流行の影響で、3月22日放送分の収録を最後に後楽園ホールでの公開収録が当面の間中止となった。これに従い、翌週3月29日放送分以降は収録場所を日本テレビのスタジオに変更の上無観客で収録されることとなり、席のレイアウトも各席の間隔を離したりチーム対抗戦のような形式にしたりと試行錯誤された。 5月17日 - 7月19日 新型コロナウイルスの流行に伴い出演者に高齢者が多いことを配慮し、番組史上初の『リモート笑点』を実施。内容は過去の名場面集とリモート大喜利を回ごとに交互に放送する形で、司会の昇太のみスタジオから出演し、メンバー6人は各自宅から中継で出演となった。形式上、山田は出番が無いため休演となり、メンバーが映されているモニターの隣に等身大写真パネルが置かれていた。またリモート大喜利においては、座布団のやり取りはメンバーが映されているモニター内でのアニメーションで処理された。 7月26日 - 8月16日 舞台上での収録が再開され、一般観客の閲覧も少人数だが再開された。2020年当時の席順で司会の昇太から最も離れていたたい平のみがスタジオでの収録に復帰し、他のメンバー5人は引き続き自宅からリモートで出演。たい平以外の5人は映し出されているモニターの前に座布団が積まれ、山田も引き続き休演中(挨拶時のVTRでのみ出演)だったため、たい平が回答者と座布団運びの代理を兼任。放送は引き続き過去の名場面集と新規収録の大喜利を交互に放送し、演芸コーナーは新規収録を休止し、過去の映像からVTRを放送。 8月23日 - 9月20日 『24時間テレビ』及び8月30日放送分のレギュラー放送からは三平と山田も収録に復帰(23日の生放送パートは三平が欠席)し、70歳以上のメンバー4名(小遊三・好楽・木久扇・円楽)はスタジオの別室からリモート出演に変更され、実質全員が同じスタジオで収録する形式が復活した。なお、山田については座布団運びという役目上、座布団の増減や問題に使用する小道具配布の際にメンバーとの距離が近くなる時間が発生する関係から、感染防止対策として「山田」と書かれたマスク・手袋を着用して出演(挨拶の時は外す)。挨拶の際もたい平との並びになる定位置には座布団を敷かず、開始時からたい平の後ろに立ったまま挨拶をする形式に変更。名場面集の際には、アクリル板を設置した上で椅子に座っていた。 9月27日 - 小遊三ら4人が舞台上に復帰し、4ヶ月振りにメンバー全員が舞台上に揃う。座る位置をジグザグに配置した上で、メンバー間にはアクリル板が多数設置された。11月22日からは、『笑点のテーマ』に合わせての入場が復活。 12月17日 こん平が誤嚥性肺炎のため死去。 12月27日 番組冒頭にて、こん平の追悼コーナーを放送。 2021年 (令和3年) 1月31日 - 緊急事態宣言が都内に再び発出されたことに伴い、再び一般観客の観覧を中止(代わりに、番組スタッフやメンバーのマネージャーが観覧)。 5月9日 『笑点』55周年企画として、6代目円楽が特別に『大喜利』の司会を担当。昇太は回答者に回り、さらには6代目円楽の要望により、一回限りではあるが1992年以来29年ぶりにメンバーの大幅な席替えが行われた。 5月16日 『笑点』放送開始55周年。同日の大喜利では松井秀喜がVTRゲストとして登場し、大喜利の出題を担当した。 7月4日 - 7月18日 木久扇が骨折により休演。この間は様々な落語家が週替わりでピンチヒッターを務め、7月4日は木久扇の長男である2代目木久蔵、7月11日は春風亭小朝、7月18日は桂文枝が出演。 7月25日 木久扇が復帰。同日は体調の関係上、別室からのリモート出演となった。 8月8日 木久扇が舞台上に復帰。この時点では退院明けで歩行や正座が困難だったことから、最初の入場の際には木久扇のみ最初から着席しており、椅子に座って回答し手前に座布団を積み上げるという特殊な形式を採った。8月22日の24時間テレビでの「チャリティー大喜利」ならびに9月12日放送分以降は、再び歩行して入場するようになったが、引き続き椅子に着席して手前に座布団を積む形での出演となっている。 11月14日 - 11月28日 3週連続で特別企画「秋の演芸スペシャル」を実施。内容は笑点メンバーが選んだ過去の演芸からの再放送であり、この間は番組冒頭での挨拶ならびに進行を司会者の昇太に代わって、大喜利メンバーが週替わりで担当。 11月21日 初代司会者立川談志の命日から10年に因み、大喜利の1問目に談志に関連したお題が出題される。この日は連動データ放送が休止となった。 11月21日 新型コロナウイルスの状況が緩和されたことに伴い、メンバーの並びがジグザグから横1列に戻り、舞台上のアクリル板が少なくなった。 12月19日 同日のエンディングにて、三平が「自分のスキルを磨き直す」ことを理由に年内で番組を降板することを発表。 12月26日 『三平ラスト大喜利』を実施し、この日をもって三平が降板。 2022年 (令和4年) 1月1日 新春特番『お正月だよ!笑点大喜利まつり』を放送。同日のエンディングにて、三平に代わる新メンバーとして桂宮治が加入することが発表された。 1月23日 新メンバーとして桂宮治が初登場。同時に、(前述の特例を除けば)30年ぶりにメンバーらの席替えも実施された。また、この回以降は『大喜利』の最中は画面右上に常にお題の内容が小文字のテロップで表示されるようになった。 2月6日 - 6代目円楽が脳梗塞による入院に伴い休演。同日放送分は残りの5人のみで行い、翌週の2月13日放送分以降は当面の間、笑点メンバー以外の様々な落語家が週替わりでピンチヒッターを務めることとなった。さらに、円楽が休演しはじめた当初の1問目はエールも兼ねて、6代目円楽にちなんだ問題が出題されることが多かった。なお、この直前には昇太とたい平がそれぞれ新型コロナウイルスへ感染したことが公表されていたが、両者とも前日に行われた収録には回復した上で復帰し、番組に穴を開けることは無かった。 5月21日 2020年2月29日以降中止となっていた、後楽園ホールでの公開収録が再開された。再開後の初回放送は、6月5日から放送。
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番組史
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1990年代に同局で放送されていた深夜のミニ番組『茶屋町通信』(ちゃやまちつうしん)がその前身に当たる。それ以前には『MBS Event Information』(エムビーエス イベントインフォメーション)というタイトルで放送されていた。 その後、番組は『Daily GET!』(デイリー ゲット)と名を改め、当時同局で放送されていた深夜の情報番組『GET!』の関連番組という位置付けで放送されるようになった。その『GET!』が『GET01』へとリニューアルし、さらに『エンタメ・ニュースショー GET★』へとリニューアルした後も番組はしばらくこのタイトルで放送され続けたが、2002年10月8日放送分からは『でいりぃ げっと。』と題して放送されるようになった。本編の『GET!』シリーズは2004年10月をもって終了したが、この『でいりぃ げっと。』はその後も引き続き放送され、2021年3月28日(3月27日深夜)放送分をもって終了した。後番組は『よんタメ』で、2021年3月29日から放送中の報道・情報バラエティ番組『よんチャンTV』内エンタメコーナーの姉妹番組という位置付けで同コーナーでの未公開シーンも合わせて放送されている。 音声は長らくモノラルのままだった(つまり、ステレオ音声で制作された映像もこの番組に限りモノラル音声だった)が、2009年8月中旬からはステレオで放送されるようになった。さらに、2010年6月28日放送分をもってハイビジョン制作へと移行した。収録は『MBS Event Information』時代から長らく毎日放送本社のサブで行われていたが、2010年8月からはモニターが並んでいるスタジオで行われるようになった(いずれもスタジオのモニター画面には番組のロゴが映る)。その後、2017年度からは木目調のスタジオとなっていた。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 21:08 UTC 版)
NHKは1957年12月、NHKテレビ(現・NHK総合テレビ)の『冬休み家庭教室』枠で同名の番組を1週間限定で放送した。それから8年半後の1966年、今度はNHK教育テレビで夏休みと冬休みそれぞれの時期限定の放送を行った。この期間限定放送は1969年1月まで続き、そして2年後の1971年4月にNHK教育テレビでレギュラー放送を開始した。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 04:58 UTC 版)
『BS笑点』時代の歴史については「BS笑点#番組史」を参照 2007年(平成19年)4月22日 『笑点Jr.』放送開始。放送時間は15:00〜16:00。 12月2日・12月16日 愛知県中部国際空港セントレアホールで初の地方収録『笑点Jr. 第1回セントレア名人決定戦』を開催。 2009年(平成21年)10月25日 「お題の名人」「落語家への道」がスタート。 11月8日 「演芸」がスタート。 2010年(平成22年)4月11日 月1回、原則第2日曜(時間帯は同じ)の放送に変更。 2月13日 レギュラー放送としての『笑点Jr.』最終回。 3月13日 『笑点Jr.』最終回。大喜利メンバーによる新作落語を披露する「特選!落語祭り」を放送。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 13:42 UTC 版)
「DO-YO-DA!!」の記事における「番組史」の解説
2005年4月2日に放送開始。同日付の新聞1面には、本番組の宣伝広告が掲載された。 放送開始から半年後の2005年10月1日に番組はリニューアル。同日にリニューアルした『ステーションY』や『MIDNIGHT JAM』と同様に出演メンバー入れ替えを行い、新コーナーも開始した。 2006年4月1日に番組は再びリニューアル。2度目となる出演メンバー入れ替えと新コーナー開始を行ったほか、オープニングムービーとテーマ曲も変更した。 番組は2006年8月14日放送分からハイビジョン制作となったが、当初はスタジオカメラがハイビジョンに対応していなかった。同年9月16日にハイビジョン対応スタジオカメラを導入するものの、それから7日後に番組は終了した。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:29 UTC 版)
2013年(平成25年)4月3日 『笑点 特大号』放送開始。放送時間は22:00-22:54。 10月9日 放送時間が21:00-21:54に変更。 2014年(平成26年)7月23日から10月22日 木久扇が初期の喉頭癌のため休養。そのため本人が休養前に出演したコーナーには収録日のテロップが出る。また後述の通り7月30日放送分では、ディレクターズカット大喜利が放送されなかった。 10月8日・15日 日本エレキテル連合が前半の演芸に2週連続で出演。 2015年(平成27年)10月7日 放送時間が21:00-22:00に拡大。 2016年(平成28年)1月13日・20日 正月の大喜利SPを特大号内で放送するのは2016年が初となる。 9月7日 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内で放送されているチャリティー大喜利を特大号内で放送するのは2016年が初となる。 2018年(平成30年)4月5日 放送日が水曜日から木曜日に変更。放送時間は19:00-19:54に短縮。 7月19日 同年7月2日に逝去した桂歌丸を追悼する「歌丸師匠ありがとうSP」を放送。本来の放送予定分は20:00-20:54に繰り下げて放送したため、19:00-20:54の2時間で放送。
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番組史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 02:24 UTC 版)
1995年4月、番組は『ドラゴンズ&グランパスTODAY』と題してスタート。この当時は平日深夜の帯番組として放送されていたが、番組はわずか半年で打ち切られた。その後は半年間のブランクがあったが、1996年4月に『ドラグラサンデー』と題して日曜午前枠で復活。以来、番組は週に1回のペースで放送されるようになった。1998年4月に月曜深夜枠へ移動した後は、2007年4月以降のタイトルと同じ『どらぐら』の題で3年9か月間にわたって放送された。 同タイトルでの放送を終了した後は再び放送休止状態に入っていたが、2003年4月に『竜鯱2』(ドラグラデュー)と題して2度目の復活を果たした。また、放送再開から3年間は日曜深夜枠で放送されていたが、2006年4月以降は土曜午前枠で放送されるようになった。同タイトルでの放送期間中、同枠で『ようこそ親学』などの期間限定番組を放送するため、2006年のシーズン終了から2007年1月まで一時放送を中断していたことがある。 2007年4月からはタイトルが再び『どらぐら』に差し戻されたほか、放送時間も10分と短くなった。同時に、オープニングとエンディングの映像もクレイアニメを使用したものに変更されたが、その後も続けてドラゴンズ・グランパス両チームの所属選手たちへのインタビューを行うなど、放送内容そのものはあまり大きくは変わらなかった。 しかし、番組は2008年12月20日放送分をもって4度目の放送休止状態に入った。同日放送分のテロップで2009年2月頃から放送を再開することをアナウンスし、以後は『ハヤルンダモン宮殿』の放送枠を一時拡大することで間を繋いでいたが、期日を過ぎても放送は再開しなかった。そして、同年4月からは同枠で野球・サッカー以外のスポーツも取材対象にした新番組『スポーツに夢中!!ユメスポ』がスタートし、番組はそのまま終了する形になった。
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