番組開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 02:29 UTC 版)
番組の開始は1981年4月で、MTVの開局より4ヶ月早い。開始当初は、アメリカのアーティストでも誰もがビデオクリップを作っていたわけではなく、日本のテレビ局では23時台に放送する番組作りに総じて力を入れていなかった。 前例のない番組でスタートは「ワケ分からない状態」。それまでの日本人の洋楽の聴き方は独特で、「ミュージック・マガジン」のような雑誌を読むインテリ層と「ミュージック・ライフ」などを読むミーハー層のどちらかのような狭い層に分かれていて、そこへ『ベストヒットUSA』がビデオクリップといういきなり映像でアーティストが分かるという新しいメディアを持ち込んだため、一気に一般の層にまで洋楽を浸透させることになった。小林は「スタート直後は、ラジオみたいなことをテレビでやってどうすンだ」などと周囲から言われ、当の小林自身も「どうせ半年くらいで終わるんだろう」と思っていたという。番組開始から半年後、小林がテレビ朝日のディレクターの結婚式へ招かれたところ、同席していた社長(当時)の高野信から「小林君、あの番組ちょっと続くよ」と言われ、耳を疑った が、実際には人気にたちまち火が付いたばかりか、洋楽入門的な番組として定着。小林は「放送開始から1年ほど後で他局から対抗番組が出て来た時に、人気を実感した」という心境に至る。ちなみに、ブリヂストンは番組の全盛期に、ショーン・コネリーを起用した1分間のCMを当番組向けに出稿している。 『ソリッド・ゴールド(英語版)』という番組の口パクライブやダンサーが曲に合わせて踊ったりしている映像を使うように指示されたが、このビデオクリップ使用に当たり、洋楽レコード各社が一致協力して応援した。しかし音がよくなくレコードの音に差し替えた。当時はタワーレコードもHMVのような店もまだなく、スタッフが南青山の「パイド・パイパー・ハウス」や「新宿レコード」などでレコードを探し回った。 ラジオも含めて、海外の情報はまったくないような時代で、小林やスタッフは「ラジオ&レコーズ」の他、企業に頼むと早く取り寄せられることのできた「ビルボード」を読み込み情報を拡げた。「ローリング・ストーン」は当時月刊誌で「NME」も役に立たなかったという。番組で紹介していた「ラジオ&レコーズ」のチャートはアメリカで発売されて東京でオンエアするまでに2週遅れ。国内の遅れネットの地方では3〜4週遅れとなった。 1983年にマイケル・ジャクソンの「スリラー」が出たあたりから飛躍的にビデオクリップのクオリティが上がり、ほとんどの紹介楽曲をビデオクリップでオンエアできるようになった。 アルバムジャケットがドミノ倒しのように流れるオープニングのタイトルバック映像は、下谷の依頼で、当時『ソウル・トレイン』日本版などを制作していたSpirit enterpriseによって制作された。次々とレコードジャケットが倒れてくる、という映像に用いられたレコードは同社ディレクターの上津原伸介の私物だった。番組開始当初のテーマ曲(後述)も上津原の選曲で、自ら当時の輸入レコード店「cisco」にて発掘し使用を決定した。
※この「番組開始」の解説は、「ベストヒットUSA」の解説の一部です。
「番組開始」を含む「ベストヒットUSA」の記事については、「ベストヒットUSA」の概要を参照ください。
- 番組開始のページへのリンク