理系と経営者という言葉の溝
この辺は、前から私も考えているテーマ。
理系は経営者になりたいの?:Bサイエンスコミュニケーション
>ただ、一か所引っかかった。筆者の論点とは少し外れたところではあるが、
文系優勢への懸念。
理系には「企業のリーダ(経営者)」「政治家」「官僚」に占める割合が小さく、それは社会が理系を軽視している(正当に処遇していない)からだという点である。
社会の理系軽視という論点は、生涯賃金が低いとか,婚活に不利とか、
理系という存在への好奇の目とか,いろいろな転移を果たしている。
理系は社会で「差別」されているという意見まである。
でも、その問題を「理系側から見た」場合、話は変わってくる。
>そもそも理系の人は「経営者」や「政治家」「官僚」になりたいのだろうか?
もっといえば理系・文系に限らず「経営者」「政治家」「官僚」がいま目標になり得るのだろうか?
論理力があるばかりに、「経営者」「政治家」「官僚」に魅力を感じていなかったりしないだろうか?
理系が、社会を忌避しているという可能性もあるということ。
経営者/政治家/官僚に「魅力がない」というM322さんの指摘も全くその通りなのだけど、
それ以上に、理系を目指すときに、それが目標な人はあまりいないかもしれない。
だから、経営者/政治家/官僚になれない、もしくは「ならない」というのは正しくはない。
文部科学官僚とか、農水官僚などは理系もある程度いるし、
工学系は建設・運輸系の官僚にいるだろう。
でも、その人たちが「偉くなるかどうか」は別なんだよね。
一方で、研究者というのはある程度の「政治力」がないと研究を推進できない。
予算を取ってくるとか、学会でのポジションとか、国際的なバリューとか、
そういうことを忌避しては、大きな研究はできなくなっている。
理系政治家というか、理工系出身者の政治家は実は増えているし、
経営者でも「理系」の論理性を駆使した人が求められ、
さらにIT化がわからないと大きなプロジェクトがまとめられない傾向にあるので、
実は実質のリーダーとして理系が増えているのを実感します。
でも、「偉くなる」という思考に欠けるのが、これまでの理系の姿で、
それでは「偉くなれなかった」というのが社会の姿。
でも社会の方が変わってきているのではないかな。
いやがる理系を前に立てて進まないと、本当に遅れてしまうからね。
企業も、国家も。
理系を利用する時代は終わって、理系を活用する時代がきたことを、
優秀な「リーダー」たちはわかっているし、優秀な「リーダー」自身が理系だったり、
理系と文系の両方の大学院を出ていたりする時代が来ていると思う。
そうしないと本当に国際社会で取り残されますよ。
「出てこい」とか呼びかけている場合ではなく、
そうならないと「持たない」時代だと思う。
M322さんが最後に述べていることは、矛盾しつつも実態を示している。
>・まずは「経営者」「政治家」「官僚」の職に(その職でできることに)魅力を感じられなければね。
・でも「経営者」「政治家」「官僚」そのもので幅を利かすことに大した価値はないよね。
・理系の人は世間の価値観に縛られことなく、やりたいと思うことをやれるステージみずからつくりだせばよいのではないかな。せっかく身につけた理系の素養があるのだから。
魅力のない「経営者」「政治家」「官僚」という職につくのではなく、
理系の素養のある人が魅力のある「リーダー」になって、こうしたポジションについて欲しい。
それには、大きな目標を持って長期的な視点で論理的に進んで欲しい。
理系の人が活躍できるステージこそ「社会」にあると思います。
社会の方が、理工学抜きには語れない時代なのだから。
理系は経営者になりたいの?:Bサイエンスコミュニケーション
>ただ、一か所引っかかった。筆者の論点とは少し外れたところではあるが、
文系優勢への懸念。
理系には「企業のリーダ(経営者)」「政治家」「官僚」に占める割合が小さく、それは社会が理系を軽視している(正当に処遇していない)からだという点である。
社会の理系軽視という論点は、生涯賃金が低いとか,婚活に不利とか、
理系という存在への好奇の目とか,いろいろな転移を果たしている。
理系の人々 よしたに Amazonで詳しく見る by G-Tools |
理系は社会で「差別」されているという意見まである。
でも、その問題を「理系側から見た」場合、話は変わってくる。
>そもそも理系の人は「経営者」や「政治家」「官僚」になりたいのだろうか?
もっといえば理系・文系に限らず「経営者」「政治家」「官僚」がいま目標になり得るのだろうか?
論理力があるばかりに、「経営者」「政治家」「官僚」に魅力を感じていなかったりしないだろうか?
理系が、社会を忌避しているという可能性もあるということ。
経営者/政治家/官僚に「魅力がない」というM322さんの指摘も全くその通りなのだけど、
それ以上に、理系を目指すときに、それが目標な人はあまりいないかもしれない。
だから、経営者/政治家/官僚になれない、もしくは「ならない」というのは正しくはない。
文部科学官僚とか、農水官僚などは理系もある程度いるし、
工学系は建設・運輸系の官僚にいるだろう。
でも、その人たちが「偉くなるかどうか」は別なんだよね。
一方で、研究者というのはある程度の「政治力」がないと研究を推進できない。
予算を取ってくるとか、学会でのポジションとか、国際的なバリューとか、
そういうことを忌避しては、大きな研究はできなくなっている。
理系政治家というか、理工系出身者の政治家は実は増えているし、
経営者でも「理系」の論理性を駆使した人が求められ、
さらにIT化がわからないと大きなプロジェクトがまとめられない傾向にあるので、
実は実質のリーダーとして理系が増えているのを実感します。
でも、「偉くなる」という思考に欠けるのが、これまでの理系の姿で、
それでは「偉くなれなかった」というのが社会の姿。
理系白書 この国を静かに支える人たち (講談社文庫) 毎日新聞社科学環境部 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「理系」という生き方―理系白書〈2〉 (講談社文庫) 毎日新聞科学環境部 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
迫るアジア どうする日本の研究者―理系白書〈3〉 (講談社文庫) 毎日新聞科学環境部 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
でも社会の方が変わってきているのではないかな。
いやがる理系を前に立てて進まないと、本当に遅れてしまうからね。
企業も、国家も。
理系を利用する時代は終わって、理系を活用する時代がきたことを、
優秀な「リーダー」たちはわかっているし、優秀な「リーダー」自身が理系だったり、
理系と文系の両方の大学院を出ていたりする時代が来ていると思う。
そうしないと本当に国際社会で取り残されますよ。
「出てこい」とか呼びかけている場合ではなく、
そうならないと「持たない」時代だと思う。
M322さんが最後に述べていることは、矛盾しつつも実態を示している。
>・まずは「経営者」「政治家」「官僚」の職に(その職でできることに)魅力を感じられなければね。
・でも「経営者」「政治家」「官僚」そのもので幅を利かすことに大した価値はないよね。
・理系の人は世間の価値観に縛られことなく、やりたいと思うことをやれるステージみずからつくりだせばよいのではないかな。せっかく身につけた理系の素養があるのだから。
魅力のない「経営者」「政治家」「官僚」という職につくのではなく、
理系の素養のある人が魅力のある「リーダー」になって、こうしたポジションについて欲しい。
それには、大きな目標を持って長期的な視点で論理的に進んで欲しい。
理系の人が活躍できるステージこそ「社会」にあると思います。
社会の方が、理工学抜きには語れない時代なのだから。
- 関連記事