話せば話すほど、分裂する話題
最近、長年の経験を生かした話を伺いたいと、
サイエンスコミュニケーションとか、科学と広報とかのことを
個人的にお話しする機会があった。
(講演とかに呼ばれるほどの人間ではないので)
で、記憶をたどりつつ話していると、様々な断片が出てきて、
それはなかなかに面白い経験だったから、良く覚えているんだけど、
それが、連続した話題として収斂していかない。
まあ、私の記憶なぞ、多寡がしれていると言うこともあるのだけど、
実際に連続した活動だとか、企画だとかにならなかったことが多いのだな。
非常に断片的に、組織内部で完結したり、担当者レベルで終わったり、
雑誌1号分だけだったり、予算1年分だけだったり、してしまって、
組み合わされて大きなうねりになったり、新たな組織が立ち上がったりした覚えがない。
「サイエンスコミュニケーション」という言葉で無理矢理くくるけれども、
その対象と、実施機関と、担当者の立場と、向いている方向等々が、
いつも、ばらばらで個別事例ごとに、重なり合うものがないからではないのか。
いや、実際には、その動きを束ねたり、横串を刺したりしている「個人」というのはいるのだけど、
その個人の「孤軍奮闘」レベルに終わっていることが多い。
だから、個人的話題だけではないのにと思いつつ話しているウチに、
どんどん話が拡散し、分裂し、収拾がつかなくなる。
土曜日もそんな話をしていたのだけど、目の前にある焼き鳥の串のようなものがないなと。
煮込みといっても店によって違う味だけど、まあ、煮込みだよなと。
串が欲しくて、横串会を作ったはずだし、
煮込みの具だけじゃなくて、皿が欲しくて今年もサイエンスアゴラに場所を設けるのだけど。
どう動いていいのか、なんだかよくわからなくなる、秋の夕暮れなのだった。
サイエンスコミュニケーションとか、科学と広報とかのことを
個人的にお話しする機会があった。
(講演とかに呼ばれるほどの人間ではないので)
で、記憶をたどりつつ話していると、様々な断片が出てきて、
それはなかなかに面白い経験だったから、良く覚えているんだけど、
それが、連続した話題として収斂していかない。
まあ、私の記憶なぞ、多寡がしれていると言うこともあるのだけど、
実際に連続した活動だとか、企画だとかにならなかったことが多いのだな。
非常に断片的に、組織内部で完結したり、担当者レベルで終わったり、
雑誌1号分だけだったり、予算1年分だけだったり、してしまって、
組み合わされて大きなうねりになったり、新たな組織が立ち上がったりした覚えがない。
「サイエンスコミュニケーション」という言葉で無理矢理くくるけれども、
その対象と、実施機関と、担当者の立場と、向いている方向等々が、
いつも、ばらばらで個別事例ごとに、重なり合うものがないからではないのか。
いや、実際には、その動きを束ねたり、横串を刺したりしている「個人」というのはいるのだけど、
その個人の「孤軍奮闘」レベルに終わっていることが多い。
だから、個人的話題だけではないのにと思いつつ話しているウチに、
どんどん話が拡散し、分裂し、収拾がつかなくなる。
土曜日もそんな話をしていたのだけど、目の前にある焼き鳥の串のようなものがないなと。
煮込みといっても店によって違う味だけど、まあ、煮込みだよなと。
串が欲しくて、横串会を作ったはずだし、
煮込みの具だけじゃなくて、皿が欲しくて今年もサイエンスアゴラに場所を設けるのだけど。
どう動いていいのか、なんだかよくわからなくなる、秋の夕暮れなのだった。
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