【考察】テレビが面白くないのは「正直な信号」なのではないか
私が子供の頃、テレビが有る家は珍しかったので、テレビを見ないときは布をかけたりして「日焼けから守る」とか言っていた。
田舎の祖父母の家には、扉付きの「家具調テレビ」というのがあって、TVを見るときに観音式の扉を開けるものだった。
その後も、脚付きのテレビが登場したり、テレビを乗せるテレビ台はおやじがたまにしか飲まない高い洋酒が入っているような場所だったり、テレビは自らが貴重な存在であることを、その体で現していた。
その頃、テレビ番組は熱狂と共に待ち焦がれるもので、崇め祀られもし、何ともアリガタイものだった。
テレビが庶民のものとなり、三種の神器から一人暮らしの必需品となっても、ブラウン管時代にはその大きさからワンルームの真ん中を占めるものだった。
その頃のテレビ番組は視聴者の「あこがれ」を映しだすものだった。
生活の中心であり、話題の中心であり、一人暮らしの寂しい心を満たすものだった。
テレビが次第に平面だとか存在を主張しない薄さとなり、プラズマや液晶となってくっきりハッキリ映るものとなって、なんだかテレビ番組がつまらないとか、ドラマに出る役者にカリスマ性が無くなったと言い出した。
漫画や小説のテレビ化ばかりで台本がつまらないとか、アイドルも小粒で、ドラマの主役はモデル上がりの基礎がない俳優・女優で、大根役者勢揃いだとか何だとか。
でも、それは、内容の問題だけではないのかもしれない。
動物行動学に「正直な信号」という用語がある。
動物が発する信号(鳴き声、羽の色など)は、その個体が性選択に有利な個体であること(つまりDNAの伝達に有利なこと)を示しているような、進化にとって「正直」でなければ長く固定しないという考え方だ。
これは、ザハヴィのハンディキャップ理論などで指摘されている。
つまり、進化に適応している「正直な信号」を動物は、その一見奇抜な形態や装飾や鳴き声などで発しているというのだ。
姿形が、その存在意義と密接な関係にあるというのは、「正直な信号」とはいえないだろうか?
そう考えると、テレビが、その形態を薄くするという「進化」を選択したのは、「正直な信号」だったのかもしれない。
過剰な情報量を提示する存在であるはずのテレビが、できるだけ人間の空間を所有しない方向に進化する(つまり体積が少なくなる)ことで、人間の情報処理に必要な量を所有しない方向(薄く、つまらない情報を発する)存在であるということを「身を持って示した」ということなのだから。
こういうどうでもいいことを風呂で考えている時間が楽しい。
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