インスタントラーメンは、ラーメンじゃなくていいんじゃないの
夕べ、某店で飲んでいて、たわいもない話をしていた。
「赤いキツネが好きなんだけど、麺が良くなったって言う宣伝やってるじゃない?
あれが気に入らないんだよね」
「インスタントらしい麺てあるよね」
「赤いキツネは、あのぼそぼそしたうどんらしく無い麺がいいんだよ」
まあ、どうでもいい話ですが、私も「禿同」ですね。
インスタントを超えた、とか、もはや生麺同様、とかいうけどさ、
結局はインスタントな訳だし、インスタントラーメンとかの初期の麺は
それはそれで独特の味わいがあって、
その食感に郷愁というか学生時代の記憶とかがあるわけで、
あまり勝手なコンプレックスで「良くなって」欲しくないなあと思う。
人造人間ベムが「早く人間になりたい」といいつつも、
自分たちらしさを追求することになるように、
インスタントラーメンは、
インスタントラーメンとしてのアイデンティティを持って、
生麺になりたいとか思わないでほしいなあ。
別の食べ物として、しっかりと生きてほしい。
そんなことを考えるほど、平和で平凡ないい天気の日曜日。
「赤いキツネが好きなんだけど、麺が良くなったって言う宣伝やってるじゃない?
あれが気に入らないんだよね」
「インスタントらしい麺てあるよね」
「赤いキツネは、あのぼそぼそしたうどんらしく無い麺がいいんだよ」
まあ、どうでもいい話ですが、私も「禿同」ですね。
インスタントを超えた、とか、もはや生麺同様、とかいうけどさ、
結局はインスタントな訳だし、インスタントラーメンとかの初期の麺は
それはそれで独特の味わいがあって、
その食感に郷愁というか学生時代の記憶とかがあるわけで、
あまり勝手なコンプレックスで「良くなって」欲しくないなあと思う。
人造人間ベムが「早く人間になりたい」といいつつも、
自分たちらしさを追求することになるように、
インスタントラーメンは、
インスタントラーメンとしてのアイデンティティを持って、
生麺になりたいとか思わないでほしいなあ。
別の食べ物として、しっかりと生きてほしい。
そんなことを考えるほど、平和で平凡ないい天気の日曜日。