2021.06.30  国 恥 の 日
          韓国通信NO672

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 国恥とは国や民族が辱めを受けること、または受けたこと。「こくち」と読む。聞きなれない言葉だが、中国と韓国に「国恥の日」があるのをご存じだろうか。
 中国には4つの国恥の日。1915年日本によって「対中21カ条要求」を強要された5月9日。中国侵略の始まり、満州事変が起きた1931年9月18日、1937年7月7日の盧溝橋事件、さらに南京が陥落した12月13日が国恥の日として記憶される。
 最近、韓国から「国恥の日」という言葉が聞かれるようになった。日韓併合条約が発効した1910年8月29日がその日だ。併合は日清・日露戦争の勝利をうけて日本の圧倒的な軍事力によって断行された。ハンコが押されているから有効だと言われるが、強制された条約は当初から無効だという主張もある。以後、韓国は日本の植民地になった。
 少し歴史の勉強をすれば中国や韓国がどれほどの屈辱を受けたかわかる。
 韓国を例にとるなら、まず日本の侵略軍に対して素手同然で戦った東学農民戦争1894~1895が思い浮かぶ(「韓国通信」~続・続から国の記2018.10の旅行記で詳述)。日本公使三浦 梧楼が公使館員らと王宮に乱入して明正皇后(閔妃)を殺害した事件(1895)は国際的にみてもその狼藉ぶりは際立っている。3.1独立運動に対する苛烈をきわめた弾圧。土地と農産物の収奪。皇民化政策による言葉の収奪と創氏改名による氏名まで奪った植民地政策は世界史上例をみない徹底した収奪ぶりだ。それらはすべて国恥に値する。敗戦末期に労働力不足を補うため軍需工場で働かされ、従軍慰安婦にさせられた少女も多い。

国 恥 の 日 慰安婦のハルモニが記憶をもとに描いた絵。何枚かの組セットになっている絵はがきの1枚で、1997年留学時代に韓国の女子大学生からもらった。

<日本人がもし韓国人の立場だったら>
 日本政府が主張する日韓条約で、「すべて解決済み」という主張は納得できるのか。謝罪もなければ賠償もない日韓条約は多くの韓国民に猛反発を受けたが韓国軍政の非常事態宣言下で強行された。
 韓国には日韓条約も含め「国恥の日だらけと言ってよい。日本がえらそうに振る舞うたび、韓国では過去に受けた恥辱が思い出されるのは当然だ。
 韓国に「恨」(ハン)という言葉がある。韓国人の独特の感性と言われるが、辛い悲しみを心のひだにためるもので、単なる「恨み」ではない。「恨」には報復という心情はない。忘れないが、許すという未来志向があるとも言われる。日本が隣国として過去にきちんと向かい合い、平和国家として友好と礼儀を尽くすならそれ以上は求めない。韓国の人たちから得た私の確信なのだが、最近はますます日本に対する不信を強めているという現実がある。日本から傲慢な言葉が繰り返されるたびに積もった辛い思いが記憶として蘇える。
 1998年の日韓共同宣言(金大中大統領・小渕恵三首相)によって日韓は新時代を迎えた。友好親善の努力が約束され、草の根の親善も進んだ。過去にとらわれない未来志向によって政治・経済は言うまでもなく文化・スポーツの民間交流が活発になり相互理解も進んだ。植民地支配を正当化する考えも根強く存在し、教科書問題が再燃したこともあるが、日韓関係は揺るぎないものに見えた。

<壊したのは誰?>
 最悪といわれる日韓関係。週刊誌や書店に並ぶ嫌韓ヘイト本の山を見ると日本社会の急変ぶりにたじろぐばかりだ。「植民地支配はなかった」「従軍慰安婦はデッチあげ」「強制労働はなかった」「日本に感謝しろ」という荒唐無稽な主張に暗澹とする。
 歴史の改ざん、「歴史修正主義」が世界的に拡がっている。だが、わが国のように野放図なのは珍しいのではないのか。
 社会全体のゆとりのなさがヘイト感情を生み出している。不平等格差社会から生まれる弱者に対する「いじめ」の感情。在日外国人に憎悪を燃やす日本人がアメリカではアジア人として憎悪の対象となる構図。平和と共生から程遠い世界がある。
だが、憎悪の感情はその国の政治状況によって大きく左右されると言ってよい。
 かつて韓国に対する「妄言」で大臣を更迭するほどわが国の政治は矜持を保っていた。政府が嫌韓、嫌中の感情に火を点けて回るようでは排外的気分が燃え上がるばかりだ。日朝正常化交渉に官房副長官として小泉首相に随行した安倍晋三氏が拉致問題を利用して首相にまで上り詰め、北朝鮮敵視を煽り続けた。従軍慰安婦問題でNHKの番組に介入した彼は北朝鮮に続いて韓国にまで露骨な蔑視を続けた。その主張は書店に並ぶヘイト本とあまり変わらない。日韓正常化交渉でもたびたび中断の原因となった日韓併合の正当化を主張した右翼政治家の末裔たちの活躍が目立つ。
 「解決済み」「主権免除」を繰り返す日本政府に、積もり積もった韓国人の「恨」は怒りに変わる。賠償問題は単なるカネの問題ではない。反省と謝罪のない金銭の支払いはむしろ侮辱でさえある。日本が国恥の対象として記憶されることは、日本人にとっても韓国人にとっても不幸なことだ。真の和解のために何をすべきか明らかだ。同じ人間として凌辱された少女に涙ひとつ流せないのだろうか。日本の責任は大きい。

<オリンピック開催は世界の非常識>
 世界中がコロナにあえぐ中、「安心安全」の呪文を唱えながらオリンピックが強行されようとしている。露骨となった金儲けと政治利用。世界中の変異株を集めたパンデミックが予想される。「竹やり」「特攻隊」精神が垣間見えるが、責任者ははっきりしない。流れが決まったらどうにも止まらない。歴史は繰り返すのだろうか。
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