はてなキーワード: 生主とは
まだ病気と知らない奴いたのか?
教えても教えても次から次へと下の世代から無知な奴が湧いてくるからきりがねえ。
反出生主義を支持したくなるわ。
dorawiiより
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悔しい。流産した。稽留流産。染色体異常。はじめての妊娠だった。
どうしようも無かった。
それなのに「辛かったですね」と言ってきた助産師に心底腹が立つ。
仕方がないことだって言うなら、
私が辛い状況にあるって決めつけるなよ。
いや、私が捻くれてるだけで、
子供を産みたいとは思っていなかった。
夫は「子供は欲しい。でも、子供を産むのは僕じゃないし、体の負担は全て嫁ちゃんが負うから、嫌なら無理強いはできない」と言っていた。
夫に人生を救ってもらったから夫の喜ぶようにしたかったし、夫の優秀な遺伝子は後世に残さないといけないと考えて、子作りにいそしんだ。全て夫のためと思っていた。
検査薬の陽性反応を伝えると、とびきり喜んでいた。
本当に嬉しそうだった。
「流産手術のために、娘ちゃんを預け…」と書かれていて、二人目以降を流産した人間だったかと分かると、これもまた腹が立った。
2の予定が1に留まった人間と、1がゼロになった人間の悲しみが同列なわけがない。
今晩は、夫が不在でひとりで寝る。
流産後はじめての、ひとりの夜。
こんな日に限って、母と会ってしまった。
精神疾患で障害者の母。幾度も傷ついた。それでも、母を助けなければ、なんとかしなければと、もがき、何も変わらず、諦めた。距離を取らなければ私が壊れる、私の家族が傷つくと、連絡手段を断っていた。叩かれ、水をかけられ、非難され、恥をかかされ、見捨てられた日々が、トラウマになっている。だから、今日は事故のような形で会ってしまった。
吐き気がしていた。帰ってから吐いた。ストレスなのだろうが、つわりを思い出す。
流産手術が終わってからは、空腹時に胃酸の味がしなくなった。炊きたてのご飯の匂いがあまりにいい匂いだった。
思い出して泣いた。まだ泣けるらしい。
私が親になることで、母が私への関与を諦めてくれるのではないかと期待してたのかもしれない。私が親になれるのには、最低あと1年はかかる。うまくいけばだけど。
もし、夫と二人だけで生きることになっても、十分に幸せに生きていけると思う。今回の経験含めて悲しみは背負うけれど、我々なら糧にできるんじゃないかと思う。
手術で取り出された胎児だったモノ、夫は見たらしい。
私は見ていないのだが、それは小さく、身体を丸めた人間の形をしていたらしい。
その話を聞いて、夫が泣くほどに、分かりやすく人間の形をしていたのかと驚いた。私は流産手術を異物の除去だと考えていた。
私はその胎児だったモノを見なかった。供養もしなかった。調べたら産業廃棄物として焼却処分のようなので、それでいいかなと。私はきっぱりと、今回の件を終わりにしたと思っていた。
本当は、産まれてきて欲しかったよ。なによりも夫を悲しませてしまって、辛い。こんなにも愛してる人を泣かせてしまって辛い。
子供を持つことを「考えが足りない」と非難することが許される世の中。私も非難する側の意見、反出生主義に近しい。
でも、夫を喜ばせたい。夫に幸せを与えたい。結局、この悲しみは子供を持つことでしか埋められないのではないか。
産めなかった子、ごめん。
いつか産まれてくる子、ごめん。
私は、子供が欲しいよ。
出生主義とは「産まないより産んで虐待する方がマシ」という思想である
にもかかわらず、そう認める人を見かけない。
だってそうでしょ。産んで、その内何割かが不幸になって、何割かが犯罪者になって、そうやって回ってきてるんでしょ社会は。
虐待被害者も犯罪者も障害者もみんな生まれてきて社会を回してる。犠牲者を出しながら。そういう世の中を持続させようという思想なんだから、「産んで死なない程度に虐待する親の方が産まないより偉い」とハッキリ言うべきなんじゃないの。
もし言われたら「ふざけんなテメーが虐待されてみやがれ」って思うけど。
でも、言わないんだよな。産まない女は苦しめとほざく、小山晃弘とか花つ葉とかのアンチフェミ系反出生。女は平気で敵に回して、少子化解決の為に女の人権を制限しろ、女子教育をなくせ、と言うくせに、子供に関しては「虐待されても仕方ない」とは決して言わない。むしろ虐待親を叩く。虐待親を擁護する女を叩く。小山晃弘は母親の虐待被害者だから尚更。
あいつら、「可哀想ランキングに立ち向かい、みんなが言いにくいこと、見ないふりをしている事にズバズバ切り込む反ポリコレ」を気取っておきながら、ダサいやつだなと思う。自分らだって都合の悪い事に切り込んでない。
あいつらは「可哀想ランキング上位」であるらしい女性のことは積極的に敵に回すし虐げる。そうすればミソジニー信者達が持て囃してくれるから。
一方、もっと可哀想ランキング上位である「子供」のことは虐げられないし、敵に回せない。虐待が増えてもいいから子供を産め、なんて言わない。誰もがかつては子供だったからな
現代社会では、誰もがうっすら反出生だと思う。
虐待事件が起きれば、虐待するなら産むな、出産免許制にしろ、と騒がれる
10代前半の出産、逆に60代とかの高齢出産、貧しい未婚女性の出産、DQNやメンヘラの出産、不倫や托卵の子の出産、障害者の出産に否定的な意見ばかりが溢れる。子供が不幸になる可能性が高いからだ
ちなみに障害者の出産は、親が障害者のケースと子供が障害者のケース両方を指す。親が障害者だと子供がヤングケアラーにされると非難が殺到するし、発達障害者界隈では「発達障害で生きづらい、生まれてきたくなかった。障害のある子供を産まないで。産むことを美談にしないで」という声が大きい。「発達障害で生きづらい女性が理解ある彼くんを得て同じ障害を持つ子供を産みました」漫画の作者は、発達障害界隈に「発達障害者は子供を産むな!遺伝する!」と叩かれていた。
ともかく、子供が不幸になる可能性が高い出産は反出生主義者でなくとも反対する。「子供が不幸になる可能性が高いなら産まない方がいい」というのは「うっすら反出生」だと思う。反出生とは「この世に生まれた時点で不幸になる可能性が高い」というものだからだ。
そして、とにかく産め産め言う出生主義者達は、これらの出産、もっと悲惨な背景の出産も全て肯定できるのだろうか。
その結果生まれる不幸は全て、社会持続性のために仕方ないと言えるのだろうか。
悲惨な虐待の連鎖も、凶悪な毒親も、犯罪者に育ってしまう子供も社会持続性のために仕方ないのだと。
もっと言えば、旭川いじめ事件やコンクリ事件の被害者の苦しみすらも、社会持続性のために仕方ない、子供が被害者や加害者になってしまっても産まないよりマシだから産め、と言えるのか。
性被害のトラウマにより異性との性行為ができず子供を産めない女は子供のいる性犯罪者より蔑まれるべきだと、
そう言えるのか。
反出生主義かわかんなくね?これだけじゃ
フェみいちゃんを使う人はキャラクターのみいちゃんをフェミとしては見てないでしょ
フェミをみいちゃんみたいな感情的な池沼と同レベルだと罵倒するのに使ってるだけで、みいちゃんをフェミだと思ってるわけじゃない
むしろフェミの意識高いセルフイメージを毀損するために、その対極の衝動的で知性の低いみいちゃんを本質は同じだと引き合いに出してるんだからフェミとは違うものであるという認識から来ているとすら言える
『みいちゃんと山田さん』における主人公・みいちゃんは、作品内外で極めて対照的な解釈を突きつけられている。作中では「大家族のママになることが夢」と明言し、二つの瞳にそれぞれ新生児を映すほどの出生主義の象徴として描かれる一方、ネット上では「反出生主義のフェミニスト」という真逆のレッテルを貼られ、ミーム化の対象になっている。この乖離はなぜ生じるのか? ここには、作品解釈の三つの層が重なり合っている。
みいちゃんは「子供を産みたい」と繰り返し発言し、その願望はキャラクターの核を成す。にもかかわらず、「反出生主義者」という解釈が生まれるのはなぜか?
作中の明確な描写(例:瞳の新生児、多産願望の台詞)を意図的に切り捨て、都合の良い断片だけを拾い上げる。「読んでいない」または「読みたくない」という態度が透けて見える。
解釈者自身の反出生主義やフェミニズムへの嫌悪が、みいちゃんというキャラクターに向けられている。『みいちゃんと山田さん』は、読まれないまま語られ利用されている。
一部の議論では、「みいちゃんは近々死ぬことが確定しているが、もし現代まで生きてたら反出生主義になっていただろう」という話が持ち出されている。しかし、これは根拠のない空想に過ぎない。
作中の時間設定(2012年)から14年後を想定しても、みいちゃんの出生主義が反転することを匂わせるような描写は一切ない。この「もしも」は、「何でもあり」の妄想である。
「大家族のママになりたい」という核心的な願望を持つ人物を、「反出生主義に転向する可能性がゼロではない」という論理的飛躍で覆い隠すことは、キャラクターのアイデンティティを消し去る行為だ。これは、「男女カップルが作中で成立して結婚したとしても、別れてゲイになる可能性がゼロではないので、私の推しのBLカップルはほぼ公式みたいなものである」と言い出すのと同レベルで、情報の重みづけを無視した狂気的な解釈である。
「みいちゃん=バカな女」という認識が定着すると、作品の文脈は関係なくなる。これは、進撃の巨人においてはっきりと反出生主義的な思想を口にして行動にまで移した「ジーク・イェーガー」ではなく、不自然にもみいちゃんが反出生のアイコンとして選ばれる理由でもある——「バカな女」というイメージを利用したいからだ。
ここでは、みいちゃんはもはや『みいちゃんと山田さん』のキャラクターではない。彼女は、ネット上の「バカな女」を象徴する記号と化している。
読者が作品をどう受け取るかは、その人の経験や価値観に左右される。しかし、テキストを無視した解釈は、「自由」ではなく「暴力」に近い。
一度記号が独り歩きすると、元の作品は関係なくなる。これは、文化的な消費の在り方を問う問題でもある。
ここで問うべきは、
「私たちはいつ、なぜ、作品を『読む』のをやめて『利用する』ようになるのか?」
「キャラクターは、『サンドバッグにするための記号』であってよいのか?」
「『考察』と『妄想』の境界線は、どこにあるのか?」 である。
「自由な解釈」とは、テキストと向き合う責任を伴う。みいちゃんを「反出生フェミニスト」と呼ぶとき、私たちは何を無視し、何を強調しているのかを自覚すべきだ。
https://x.com/i/status/2034173433622483153
POPOPOは、全自動操縦メタバースという、「メタバースの身体性はオート操作でよくね?」という、すごい荒ぶったコンセプトなので、行けるところまで突っ走ってほしい。
この深津氏のPOPOPO評を見て思ったんだが、俺らはVTuberやメタバースに、フェイストラッキング! モーションキャプチャー! HMD! って感じで、とにかく現実の身体とシンクロした体験をすることを夢見ていたけど、結局世間が求めていたのは基本雑談であって、それにキャラクターが喋ってる風の映像がついたら嬉しいね、くらいだったのである……ってことが、POPOPOが流行ったら証明されてしまいそうなのである。
なんかこれ、VTuberでも、「バーチャルならではの可能性を期待してたのに、結局みんな生主と同じじゃん!」って嘆きがあったのに近いものを感じる。(3D配信とかで面白いことやり出す人も増えたけど)
あと、VRChatでも、「酒場やチルワが多すぎ! 仮想空間ならではの体験をもっとしようとしないのか」的な議論が起こったことがあったのだが、それにも何か通じると思う。
「反出生主義はインフラのない世界で生きる覚悟のあるやつだけが言える」みたいなブコメがあったので補足しておきたい
反出生主義がある程度浸透して進むと、インフラが維持できなくなって不幸、苦痛にまみれた世代が出てくると言う話。
これ反出生主義的にはどう解決されるかと言うと「最後の世代の不幸はしゃーなしのコスト」と言うことになってる。
反出生主義者って生きていられないはずなんだよな
すべての苦や不幸を消すべきと言う思想なわけだが
人間関係についてもそう、何を言っても他人に害なす可能性がある、何も言わないことが害なこともありえる
自分の存在自体が誰かにとっての害であり、死ぬことも誰かにとって害となる。