はてなキーワード: 摂津とは
かなりテキトーに書いてるので、もしこれを読む人がいてもあまり信用しないでください
・室町〜安土桃山の後半の大河ドラマラッシュは特に順番間違えてる可能性が高い
・魔性の子が1991年刊行なので魔性の子と月の影を平成に入れたけど、昭和の終わり頃の可能性もある。
・十二国記の小松尚隆は瀬戸内海に面した国の出身、六太は京都出身。東の海神では村上海賊が関わってくる。
忍たまの乱きりしんは摂津/摂津/堺の出身、土井半助は摂津の福原の辺りの出身。忍術学園は近畿地方のどこか。兵庫水軍のモデルは村上海賊らしい。
東の海神と忍たまってまあまあ時期と場所が近い…と言えなくもない。東の海神の少し後に忍たまって感じかな。忍たまは安土桃山より前なので、長く見積もって東の海神から100年以内。たぶん。
ちなみにどろろ(東の海神と同時期?)は北陸、能登半島の辺りが舞台。
・1783年、アイスランドではラキ火山が、日本では浅間山が噴火した。そのほかにも色々あって北半球が異常気象に見舞われた。この異常気象が、1787年の天明の大飢饉や、1789年に始まったフランス革命の要因の一つであるともいわれる。1789年は恋川春町の亡くなった年でもある。べらぼうとベルばらは割と時期が重なっている。
・スマホが普及している様子から、羅小黒戦記の映画1作目を2010年代以降と仮定する。藍渓鎮開始時点で清凝10歳?11歳?くらい。無限は清凝の8つ上なので18歳前後(18歳の無限は登場しないけど)。羅小黒戦記映画1作目で無限437歳。つまり映画1作目の419年ほど前に藍渓鎮開始。映画1作目を一旦2010年と仮定すると、2010−419=1591。計算に自信がないけど、藍渓鎮は1591年より後の話だと思う。とりあえず室町〜安土桃山に入れてみたけど江戸初期かもしれません。
国際ルールの変更を考慮しようとするその政治的姿勢は、昨今の混迷を深める世界情勢を俯瞰する際に、非常に意義深い視点を含んでいるといえます。
大局的に見れば、覇権争いの勃発であり、中国とロシアがアメリカ中心の秩序体制を転覆させようと挑戦を始めました。まさに私たちはいま、世界政治のターニングポイントに立ち会っています。常任理事国のうち三カ国が武力を介した現状変更を試み、その他の国々が壊れ始めた国際ルールに対応しようと懸命に向き合い、より正しく、より柔軟な、この変化する現実に適応するための新しい現状認識を模索しています。
こうした国際社会の現在を日本史で例えるなら、信長包囲網こそが最も参照すべきサンプルとしてふさわしいでしょう。
天下を取りかけていた織田信長(アメリカ)を各地の有力な戦国大名たち(中国・ロシア・イラン・北朝鮮 等)が手を組み、織田家を包囲下におき、討ち滅ぼそうと試みました。当時は伊勢長島・摂津・加賀など日本各地で本願寺が反信長を錦の御旗として掲げて立ち上がった一向宗門徒らによる一揆も頻発、信長はかの有名な金ヶ崎の戦いを筆頭に、生涯最大の危機に幾度となく陥ります。
この包囲網の結果がどうなったか……それは、今後の世界情勢の行く末を占う上でとても参考になる筈です。
因みに、この時の織田信長にとって最も強い同盟関係にあった戦国大名は、かの徳川家康です。織田家と徳川家、両者の同盟関係を考察すると、日米同盟との間にいくつかの類似点を見出すことができるかもしれません。とはいえ、歴史上の事例とは過去の出来事にすぎません。現在起きている困難に決断を下すのは、この時代を生きる私たち自身に他なりません。
激動の時代を生き抜いた先人たちの知恵は、きっと秩序が崩れゆくいまの世界を生きる私たちの手によき糧をもたらしてくれることでしょう。
まず兵庫を一括りにしてる時点で間違い。
兵庫は摂津、播磨、丹波、但馬、淡路の五国からなりいまだにバラバラなのが実情。
摂津(阪神間)は大阪の付属品。山口組の本拠地でもある。そもそも港町として異国に売られた地域。当然治安は悪い。六甲山と瀬戸内海の間の狭い平野を無理やり埋め立てたりして住んでるので、閉塞感とかすぐそこにある山の圧迫感とかは感じると思う。増田が語ってるイメージはここのイメージ。
播磨は姫路を中心とした歴史が古い地域。特有の閉鎖生と保守性があり、祭りが激しくガラが悪い。ヤンキーしか住んでない。
丹波は京都。農産物を京都に提供するための地域。黒豆おいしい。
但馬は山。そして日本海。山陰地方と同じ文化圏。城崎温泉がある。カニおいしい。夏は暑く冬は豪雪。神戸に行くには山をいくつも越えないといけない。
出羽 人気の守
常陸 たまに守出るでしょ
上野 すけでよく出る
上総 守人気高し
越中 惜しい
信濃 まあまあ
甲斐 人気薄
駿河 人気薄
伊豆 守人気高し
遠江 人気なし 全くありえない
若狭 ありえない
尾張 まあまあ
伊勢 ありえない
紀伊 ありえない
飛騨 ありえない
加賀 ありえない
三河 まあまあ
志摩 ありえない
近江 人気あり
山城 まあまあ
丹後 あり
摂津 なし
和泉 なし
河内 あり
淡路 なし
大和 なし
因幡 あり
伯耆 なし
石見 なし
美作 なし
安芸 なし
周防 なし
長門 まあまあ
阿波 あり
讃岐 なし
伊予 なし
土佐 人気
筑前 あり
筑後 あり
豊前 あり
豊後 あり
肥前 なし
日向 なし
薩摩 あり
大隅 なし
琉球 あり
| 6/2 | 本能寺の変 |
| 6/3 | 光秀が近江へ出兵 |
| 6/4 | 家康が岡崎城に帰還 |
| 6/5 | 光秀が近江を平定 |
| 6/7 | 秀吉が姫路城に帰還 |
| 6/8 | 光秀が坂本城に帰還 |
| 6/9 | 光秀が秀吉迎撃に出陣 |
| 6/12 | 秀吉が摂津富田まで進出 |
| 6/13 | 山崎の戦い |
| 6/14 | 家康が尾張熱田まで進出 |
| 6/16 | 秀吉が近江を平定 |
| 6/18 | 勝家が近江長浜まで進出 |
| 6/22 | 秀吉が美濃・尾張へ出兵 |
| 6/25 | 秀吉が美濃・尾張を平定 |
| 6/27 | 清洲会議 |
山崎の戦いから秀吉が近江を平定するまで3日、そこから美濃尾張を平定するまで9日、
というスケジュールを仮に光秀に当てはめたとすると、
6/2に本能寺の変、6/5に近江を平定、6/14に美濃尾張平定、ということになる。
実際には、織田家本領の尾張・美濃での抵抗は激しいだろうから、もっと時間がかかるはず。
家康が進出してくるまでに、尾張平定を完了したうえで迎撃態勢を整えるのは難しいだろう。
さらに、その背後には勝家が迫ってきているわけで、光秀は尾張で家康と睨み合っているわけにもいかない。
なので周辺の地固めといっても、戦力的に重要な美濃・尾張はどうやっても確保できず、
そうなったときに細川や筒井がいきなり明智に味方するとも思えない。
下手すりゃ近江勢まで離反する。
あるいは、近江平定から今度は大坂方面に軍を向けていたとすると、
中国大返しが無いというのが、
https://anond.hatelabo.jp/20211212125107
おそらくはありえない。
簡単に言わないでほしい。
あのとき中国大返しと言う大胆な機動を見せた秀吉以外の誰があれほど鮮やかに明智を滅ぼせるのか。
一番近い摂津にいた信孝?
変の報せだけで逃亡兵が相次ぐぐらい求心力のない男だ。
秀吉が中国から帰ってこないなら兵力は自前の5,000程度しかない。
信孝軍団からはより多くの逃亡兵が出るし反対に明智の勢力は膨らむ。
信雄?
信孝より更に遠いところに居て兵力も更に少なく合戦の腕も似たり寄ったり。
はっきり言ってこんな奴等では光秀の動きを制限することも出来ない。
光秀は勝家が戻ってくるまでの3週間近くを京での政治的運動や宣伝に使えることになる。
明智側勢力が大いに動揺したし、明智の与力や姻族まで様子見を決め込んでしまった。
そういうファクターが一切なくなるということは
・遺された信孝信雄は弔い合戦を挑むことも出来ない
と言う状況が現れるわけで、
これを見たら筒井順慶だって洞ヶ峠から這い出てきて明智に従う。
そもそも光秀に与えられてる畿内軍団は信長に冷酷に追放された佐久間の与力で
信長を討って主替えすることにいまさら抵抗感なんかない。利害が合えばついてくる。
それぐらい勢いが出たら細川すらやっぱり明智側に来るかもしれない。
これまで織田家の軍団に圧迫されて存亡の危機に立ってた各地の大勢力は
事情わかってる毛利に追いすがられながら撤退なんかそうそうできない。
毛利の追撃で散り散りにされたらどこで再起すればいい?姫路城まで戻れてもそこは安全か?
信孝を討って光秀助けに京までのぼってくる。
そこまで織田の情勢が悪いとわかれば
例えば滝川なんか史実では北条と一当たりして敗れたあと真田に諏訪まで送られてるけど
「もう織田の再起の目は薄いな」と思われてたら同じ待遇になると思う?
昌幸「滝川を首にして光秀に送ってご褒美に上野を安堵してもらお」ってなるでしょ。
もともと主家を滅ぼした織田に好感情持ってるやつなんか甲斐信濃にはいないんだから。
史実ですら河尻とか逃げ帰る事すら出来ずに殺されてる。
光秀の主殺しに公的な認可が下る。
鞆まで逃れてた将軍様が戻って来て「大義である」って言い出すかもしれないし
もともと朝廷と繋がりが強い光秀だから帝の内意があった説すらある。
「よくやりました」「各地の大名に号令を出して織田残党を討ちなさい」なんて宣下が来る。
英雄秀吉は中国から出られないまま肝心の時に決断しなかったことを悔いながら殺されていくし
柴田は雪の中で滝川は信濃の山中で状況が分からないまま討ち死にして
ただ高齢でデカい子供もいない光秀はどうやっても次世代に残す基盤は作れない。
衰え次第天下は再度荒れる。
毛利かな。
大政治家が出現することはなかっただろうから織田家が存続する形になる。
そうなったとしても結局は信長の統率力を失った家臣団によって
(どうやるんだかわからないが)信孝が光秀を討って信長の葬儀をやれば
信孝という当主がいるのにそれを蔑ろにするほど抜きん出られる家臣がそんな必ず現れるの?
なんか全体に言えるのは
秀吉の中国大返しをめちゃくちゃ過小評価してるってことなんだよね。
あれは素晴らしく冴えた勝負手であって、
あれ以外のルートで光秀があんな早く打ち滅ぼされるなんてことはあり得ないし
その光秀成敗がなければ有力家臣に過ぎなかった秀吉があそこまで強引なイニシアチブ取れることもあり得ないんだよね。
ただそんなことを時間をかけて長々と展開してる間に
織田豊臣や徳川の支配とは比べられないってことをわかってないよね。
秀吉の四国九州関東東北の成敗がどんなだったのかもわかってないんじゃないの。
フワフワしたイメージでモノ言わないでほしいんですよね。
織田勢力と地方勢力の生産力や兵力をちょっと数字で比べてみたらいいと思います。
秀吉であれ信孝であれ信雄であれ、あれを相続されちゃ勝ち目なんかないから。