はてなキーワード: 摂津とは
まず兵庫を一括りにしてる時点で間違い。
兵庫は摂津、播磨、丹波、但馬、淡路の五国からなりいまだにバラバラなのが実情。
摂津(阪神間)は大阪の付属品。山口組の本拠地でもある。そもそも港町として異国に売られた地域。当然治安は悪い。六甲山と瀬戸内海の間の狭い平野を無理やり埋め立てたりして住んでるので、閉塞感とかすぐそこにある山の圧迫感とかは感じると思う。増田が語ってるイメージはここのイメージ。
播磨は姫路を中心とした歴史が古い地域。特有の閉鎖生と保守性があり、祭りが激しくガラが悪い。ヤンキーしか住んでない。
丹波は京都。農産物を京都に提供するための地域。黒豆おいしい。
但馬は山。そして日本海。山陰地方と同じ文化圏。城崎温泉がある。カニおいしい。夏は暑く冬は豪雪。神戸に行くには山をいくつも越えないといけない。
出羽 人気の守
常陸 たまに守出るでしょ
上野 すけでよく出る
上総 守人気高し
越中 惜しい
信濃 まあまあ
甲斐 人気薄
駿河 人気薄
伊豆 守人気高し
遠江 人気なし 全くありえない
若狭 ありえない
尾張 まあまあ
伊勢 ありえない
紀伊 ありえない
飛騨 ありえない
加賀 ありえない
三河 まあまあ
志摩 ありえない
近江 人気あり
山城 まあまあ
丹後 あり
摂津 なし
和泉 なし
河内 あり
淡路 なし
大和 なし
因幡 あり
伯耆 なし
石見 なし
美作 なし
安芸 なし
周防 なし
長門 まあまあ
阿波 あり
讃岐 なし
伊予 なし
土佐 人気
筑前 あり
筑後 あり
豊前 あり
豊後 あり
肥前 なし
日向 なし
薩摩 あり
大隅 なし
琉球 あり
前回、虹とヘビとウナギの話を書いた(anond:20221107182649)が、その際『蛇の宇宙誌』(東京美術)を読み返していたところ、意図せずして漫画『鬼滅の刃』に関連しそうな小ネタを見つけてしまったので、ここで書き留めておくことにした。なお、漫画『鬼滅の刃』のラストに触れているので、未読でネタバレが嫌だと言う人は、この文章を読むのはここで止めにして、まず漫画『鬼滅の刃』を読み終えてからにした方が良い。
どのページを開いても面白い名著『蛇の宇宙誌』であるが、その第4章は、ズバリ「栗花落左衛門(つゆざえもん)の蛇性―日本の水神としての蛇信仰―」と題されている。余計なことを書くのは止めにして、この章の冒頭から引用する。
「栗花落」と書いてツユと読む。栗の花の落ちるころが、ちょうど梅雨の時期になる。それでこの当て字がある。後の兵庫県の武庫郡山田村の原野(神戸市兵庫区山田町原野)、昔の摂津国矢田部郡の丹生山田庄原野村の栗花落(つゆ)理左衛門の屋敷に「梅雨井(つゆい)」と呼ばれる井戸があった。昭和七年ごろまでは、原野には、壊れかけた白滝明神の社祠と、白滝姫の墓という墓石が残っていたそうである。栗花落(つゆ)の井戸は社の前にあった。いつもは水が干からびているが、栗の花が落ちる五月ごろには、こんこんと水が湧き、附近八町歩の水田をうるおすと伝えていた。
(中略)
岡田ケイ(注:彳に奚)志の『摂陽群談』(一七〇一年刊)巻八には、この「梅雨井」のことがくわしく見えている。(中略)地主の姓もツユといい、世間では栗花落左衛門(つゆざえもん)と称したとある。
この不思議な井戸について、栗花落家には伝えがある。始祖の山田左衛門尉真勝は、淳仁天皇(四十七代)の時代に、朝廷に仕えていた。そのとき真勝は、横荻右大臣豊成の息女、白滝姫に恋をする。姫と歌の贈答があって、真勝の真心を知った姫は、その妻になる。やがて姫は亡くなるが、それが五月であった。屋敷の東の境に葬り、叢祠を建てて弁財天をまつった。そこから水が湧き、今に至るまで、その水が梅雨を知らせるという。この弁財天社が白滝明神であろう。
島根県の出雲地方とその周辺には、栗花落左衛門と同名のツユザエモンと呼ばれる蛇の伝えがある。ふだんは岩肌の割れ目などに姿を隠している蛇が、梅雨の期間中には、かならず胴体を現わすという。分布は、出雲から、備後の比婆郡、双三郡、石見の安濃郡、邑智郡一帯と、広島県北部から島根県西部に及んでいる。斐伊川沿いの地方では、これをツユジンと呼んでいる。ツユ神(じん)と解釈しているが、出雲の能義郡ではツユザイと称しているから、ツユジンもツユザエモンからの転訛であろう。
(中略)
蛇はしばしば水の神の姿である。梅雨期に蛇の挙動に注意したのは、稲田を耕作する農民にとって、水の恵みが一番気になる季節だからであろう。(中略)ツユザエモンが梅雨の時期を示すという観念は、水と蛇の違いはあるが、摂津の栗花落左衛門とまったく同じである。
(後略)
―引用ここまで―
引用したとおり、本来の『栗花落』の読みは「ツユ」であって「ツユリ」ではないと考えられる。しかし、摂津の梅雨井があった屋敷の所有者の名前が「栗花落理左衛門(つゆ・りざえもん?)」なのである。これは私の個人的な推測でしかないのだが、竈門炭治郎の彼女・栗花落カナヲの姓を「ツユリ」と読ませる設定にしたのは、作者・吾峠呼世晴による元ネタの示唆なのではないだろうか。
そして、鬼殺隊が鬼舞辻無惨を倒した後日談で、伊黒小芭内の遺した愛蛇・鏑丸(かぶらまる)を、栗花落カナヲが受け継ぐ流れになっているのも、水神・雨神である蛇神をツユザエモンと称する歴史的・民俗的事例と関係しているのではないだろうか。
最終的には日の呼吸を使うようになったとはいえ、竈門炭治郎は水の呼吸を使っていたのだから、その彼女である栗花落カナヲが、水神と縁の深い蛇(それも白蛇!)を受け継ぐのは似合っていると思える。
6/2 | 本能寺の変 |
6/3 | 光秀が近江へ出兵 |
6/4 | 家康が岡崎城に帰還 |
6/5 | 光秀が近江を平定 |
6/7 | 秀吉が姫路城に帰還 |
6/8 | 光秀が坂本城に帰還 |
6/9 | 光秀が秀吉迎撃に出陣 |
6/12 | 秀吉が摂津富田まで進出 |
6/13 | 山崎の戦い |
6/14 | 家康が尾張熱田まで進出 |
6/16 | 秀吉が近江を平定 |
6/18 | 勝家が近江長浜まで進出 |
6/22 | 秀吉が美濃・尾張へ出兵 |
6/25 | 秀吉が美濃・尾張を平定 |
6/27 | 清洲会議 |
山崎の戦いから秀吉が近江を平定するまで3日、そこから美濃尾張を平定するまで9日、
というスケジュールを仮に光秀に当てはめたとすると、
6/2に本能寺の変、6/5に近江を平定、6/14に美濃尾張平定、ということになる。
実際には、織田家本領の尾張・美濃での抵抗は激しいだろうから、もっと時間がかかるはず。
家康が進出してくるまでに、尾張平定を完了したうえで迎撃態勢を整えるのは難しいだろう。
さらに、その背後には勝家が迫ってきているわけで、光秀は尾張で家康と睨み合っているわけにもいかない。
なので周辺の地固めといっても、戦力的に重要な美濃・尾張はどうやっても確保できず、
そうなったときに細川や筒井がいきなり明智に味方するとも思えない。
下手すりゃ近江勢まで離反する。
あるいは、近江平定から今度は大坂方面に軍を向けていたとすると、
中国大返しが無いというのが、
https://anond.hatelabo.jp/20211212125107
おそらくはありえない。
簡単に言わないでほしい。
あのとき中国大返しと言う大胆な機動を見せた秀吉以外の誰があれほど鮮やかに明智を滅ぼせるのか。
一番近い摂津にいた信孝?
変の報せだけで逃亡兵が相次ぐぐらい求心力のない男だ。
秀吉が中国から帰ってこないなら兵力は自前の5,000程度しかない。
信孝軍団からはより多くの逃亡兵が出るし反対に明智の勢力は膨らむ。
信雄?
信孝より更に遠いところに居て兵力も更に少なく合戦の腕も似たり寄ったり。
はっきり言ってこんな奴等では光秀の動きを制限することも出来ない。
光秀は勝家が戻ってくるまでの3週間近くを京での政治的運動や宣伝に使えることになる。
明智側勢力が大いに動揺したし、明智の与力や姻族まで様子見を決め込んでしまった。
そういうファクターが一切なくなるということは
・遺された信孝信雄は弔い合戦を挑むことも出来ない
と言う状況が現れるわけで、
これを見たら筒井順慶だって洞ヶ峠から這い出てきて明智に従う。
そもそも光秀に与えられてる畿内軍団は信長に冷酷に追放された佐久間の与力で
信長を討って主替えすることにいまさら抵抗感なんかない。利害が合えばついてくる。
それぐらい勢いが出たら細川すらやっぱり明智側に来るかもしれない。
これまで織田家の軍団に圧迫されて存亡の危機に立ってた各地の大勢力は
事情わかってる毛利に追いすがられながら撤退なんかそうそうできない。
毛利の追撃で散り散りにされたらどこで再起すればいい?姫路城まで戻れてもそこは安全か?
信孝を討って光秀助けに京までのぼってくる。
そこまで織田の情勢が悪いとわかれば
例えば滝川なんか史実では北条と一当たりして敗れたあと真田に諏訪まで送られてるけど
「もう織田の再起の目は薄いな」と思われてたら同じ待遇になると思う?
昌幸「滝川を首にして光秀に送ってご褒美に上野を安堵してもらお」ってなるでしょ。
もともと主家を滅ぼした織田に好感情持ってるやつなんか甲斐信濃にはいないんだから。
史実ですら河尻とか逃げ帰る事すら出来ずに殺されてる。
光秀の主殺しに公的な認可が下る。
鞆まで逃れてた将軍様が戻って来て「大義である」って言い出すかもしれないし
もともと朝廷と繋がりが強い光秀だから帝の内意があった説すらある。
「よくやりました」「各地の大名に号令を出して織田残党を討ちなさい」なんて宣下が来る。
英雄秀吉は中国から出られないまま肝心の時に決断しなかったことを悔いながら殺されていくし
柴田は雪の中で滝川は信濃の山中で状況が分からないまま討ち死にして
ただ高齢でデカい子供もいない光秀はどうやっても次世代に残す基盤は作れない。
衰え次第天下は再度荒れる。
毛利かな。
大政治家が出現することはなかっただろうから織田家が存続する形になる。
そうなったとしても結局は信長の統率力を失った家臣団によって
(どうやるんだかわからないが)信孝が光秀を討って信長の葬儀をやれば
信孝という当主がいるのにそれを蔑ろにするほど抜きん出られる家臣がそんな必ず現れるの?
なんか全体に言えるのは
秀吉の中国大返しをめちゃくちゃ過小評価してるってことなんだよね。
あれは素晴らしく冴えた勝負手であって、
あれ以外のルートで光秀があんな早く打ち滅ぼされるなんてことはあり得ないし
その光秀成敗がなければ有力家臣に過ぎなかった秀吉があそこまで強引なイニシアチブ取れることもあり得ないんだよね。
ただそんなことを時間をかけて長々と展開してる間に
織田豊臣や徳川の支配とは比べられないってことをわかってないよね。
秀吉の四国九州関東東北の成敗がどんなだったのかもわかってないんじゃないの。
フワフワしたイメージでモノ言わないでほしいんですよね。
織田勢力と地方勢力の生産力や兵力をちょっと数字で比べてみたらいいと思います。
秀吉であれ信孝であれ信雄であれ、あれを相続されちゃ勝ち目なんかないから。
「Dr.STONE」といえば科学監修の名目で毎回名前がクレジットされている「くられ」氏ですが、この「くられ」氏も90年代は鬼畜系カルチャーでならした人物です。
しかしこの「くられ」氏はいじめや差別ネタなんてレベルじゃございませんでした。
実際にこの人が作った本で本物の爆弾テロリストを生んでるんですよ。
「くられ」氏が編集長を務めた「危ない28号」という雑誌に爆弾の製造方法を詳細に書き記され、それをテキストに実際に爆弾を作って街中で爆発させた事件がありました。
以下、ここ参考
https://ameblo.jp/7ninblog/entry-11047336229.html
JCO臨界事故に怒りを感じた男が,JCOを爆破しようとして,爆発物を作成,JCO近くの住宅街にそれを放置した事件.
2000.1.6 07:00頃,東海村のJR東海駅から北へ300mほどの住宅街の,踏み切り脇,東海駅東口タクシー乗り場のベンチ前に,赤い液体が入った,清涼飲料水のペットボトルや,金属製と思われる銀色のボンベなどの不審物が,黒いバッグに入れられて放置されているのを,通行人が見つけて茨城県警ひたちなか西署に通報した.
同県警は,爆発物の可能性もあると見て,重装備の機動隊爆発物処理班を派遣.
処理班がバッグをX線で調べたところ,中には塩化ビニール管が2本,鉄パイプが1本入っており,これらはリード線で乾電池などとつながっていた.
また,真鍮管,タイマー,アルミ缶,百円ライターなども見つかった.
鑑定の結果,これが殺傷能力のある爆発物であること,爆発物の一部は,安全装置を解除して,タイマーをセットすれば,すぐに爆発させられる状態だったことが判明した.[1][2]
塩化ビニル管や鉄パイプ、アルミ缶などに、アセトン系の爆薬が詰められ、起爆装置の雷管に鉛筆のキャップを使用。「グロープラグ」と呼ばれる模型の飛行機などのエンジン用点火プラグが装着されていた。[2]
この爆発物は,前年末に発生した,2件の爆弾事件の遺留品などと似ていた.
1件目は1999.12.24,大阪府摂津市のJR東海・新幹線車輌基地「大阪第1車輌所」にて,新幹線から回収したばかりのゴミ袋が爆発.
大阪府警摂津署の調べによれば,爆発物のアルミ缶の中に,有機溶剤をしみ込ませた粉末が詰められていた.
爆発した後の現場には、乾電池4個と充電池、小型のアルミ缶、リード線のついたふたのようなものが落ちていた。[2]
2件目は,その3日後,JR浦和駅のコインロッカーで,その点検中,ロッカー内にあったアルミ製の箱が爆発,管理会社従業員(当時53)が指に1カ月のけがを負った.
埼玉県警浦和署の調べによれば,箱は持ち上げた途端に爆発する仕掛けになっていた.
アルミケースから外にひもが出ており、その先端がロッカーの内壁にテープで固定されていた。
また,発泡スチロール製の球状の不審物は、直径約6センチの半球状のものを2つ重ね合わせて作られていた。
これら2件の事件について,大柴は
「ロッカーの管理がずさんで、警告のために仕掛けた。爆発で死者が出てもいいと思った」[2]
などと供述した.
警察によれば,大柴は同年11月から12月までの間、東京や埼玉などのホテルを泊まり歩きながら、アルミニウム容器に火薬を詰めた上で導火線をつないだ爆発物を製造。
同月20日に,浦和駅西口にあるコインロッカーに仕掛けたという.[2]
「東京駅で新幹線に乗り、小田原駅で下車する際に爆弾を置いた。1時間以内に爆発するようタイマーを仕掛けていた」
と供述した.[3]
大柴が、爆弾づくりのテキストにしたとされる雑誌は,データハウス社(東京都新宿区)発行の雑誌「危ない28号第三巻」(99年3月発行、定価1400円).
特集「危険物!」と題して、爆発原料の入手方法、市販材料や身近な家庭用品を使った爆薬、火薬の作り方などを図解入りで詳細に解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%8428%E5%8F%B7
『危ない28号』(あぶない28ごう)は、データハウスから1998年から1999年まで季刊誌として発刊されたアングラ雑誌である。不定期刊誌『危ない1号』の実質休刊後、インターネット系のアングラ・ライターを中心に編集され、第5号まで発行された。現在(2021年7月)では全5巻ともに絶版となっている。
日本がまだコンピュータやインターネットの黎明期だった1998年、KuRaReを編集長にサブカルチャー、アングラ本として発刊される。ハッキングや兵器、ドラッグなど、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載の雑誌であったため、全国18都道府県で有害図書指定されることとなった[1]。
2000年1月に浦和駅、東海村、大阪で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため[2]、刊行済みだった第5巻を最後に廃刊を余儀なくされた。
こっちはくられ氏の本でガチの爆発物テロが発生し、負傷者も出し、下手をすれば死者もでていたかもしれないんですよ。
そんな人間に集英社の週刊少年ジャンプ編集部は漫画の監修をさせ、毎週のように名前を載せ、特集記事に写真付きで掲載してるんですけど、その事をジャンプ編集部や集英社の人達は理解してるんでしょうか?
こっちは本当の死者が出ている可能性があったんですよ??
くられ氏は「実際に作るとは思わなかった」「真似してもらうために書いたものじゃない」とか言い訳してたみたいですが、「どのご家庭にもあるものでカ~ンタンに爆弾が作れちゃいマス♪」なんて事細かに実用性のある爆弾の製造方法を記しておいてそれは無いんじゃないすかね。
真似してもらいたかったんでしょ?実際に爆弾作ってもらいたかったんでしょ?だから書いたんでしょ?
そんで本当に作ってテロ起こっちゃったから慌てて保身に走ったんでしょ???
つうかさ、くられに限らずこの辺の鬼畜系ライターが心底みっともないのって、鬼畜ブームが去った途端みんな言い訳を始めたところなんだよね
「ある種のジョークでやってました、まさか真に受ける奴が出てくるとは思いもしませんでした」ってさ
根本敬も唐沢俊一も自殺した青山正明も殺害された村崎百郎もみ~んな同じような苦しい言い訳をしていた。
村崎百郎なんて殺された時まわりの連中「まさかこんな恐ろしい事になるとは・・・!」って悲しむフリしてみせてたけどさ、ほとんど自然の摂理のようなもんだろ。キチガイ煽ってキチガイに殺されたってさ
そんで追悼本なんか出したりして、ダッセエの。
話は逸れましたけど、最近の小山田圭吾を発端とする90年代鬼畜ブームを断罪する流れでいうならくられ氏も当事者であり、こっちはいじめ差別どころか死者も出てたかもしれない爆発物テロ事件が実際に起きましたから。
その流れで言えばくられ氏が関与している週刊少年ジャンプ連載漫画「Dr.STONE」は即刻連載中止、絶版回収にするべき
良くてもくられ氏が監修した部分は全面的に削除するべきです。