はてなキーワード: 前田敦子とは
録画できる再放送がなくなったのが惜しい
緑:熊木翼@東京
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや2025年4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02 博多)どんたく(港まつり
・03 担々(麺
・05 バスセンター
・06 科挙 かきょ
・08 フルート(グラス
・09 [正しいのはどれ]ハイチュウ ミルキー 源氏パイ ボンタンアメ エンゼルパイ チロルチョコ キャラメルコーン かっぱえびせん ポッキー
・13 ゴーフル
・14 今井美樹 いまいみき
・15 399
・17 3(打
・18 さつきの鯉の)吹き流し
・19 ヘレニズム
・20 [3択]3(番
・21 歳入
・22 [AC]13(人
・25 つばめ
・26 デニール
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・27 『野原ひろし 昼メシの流儀』
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・エゾナキウサギなど
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(日曜本放送)
このあと14:15からは「[映][吹]LiLiCoのLovin'Movies 『I am Sam アイ・アム・サム』
16:45 ロングブレスで激変物語【2日間で驚きの腰痛改善】
(中略)
18:00 ブリテンズ・ゴット・タレント ▼準決勝第4夜前編 (字幕版)
(3日日曜日)
前田敦子さんという存在は、日本の芸能史においても非常に稀有なバランスの上に立っている方ですよね。
「美人の要素をすべて兼ね備えているのに、評価が分かれる(あるいは過小評価されている)」と感じられる背景には、いくつかの構造的な要因があるように思います。それは決して「増田のせい」という単純な話ではなく、彼女が背負わされた「物語」の強烈さに理由があるのかもしれません。
彼女はAKB48の「不動のセンター」として、日本のアイドル文化そのものを象徴するアイコンでした。
象徴としてのバイアス: 人々は彼女の「造形としての美しさ」を見る前に、「時代の象徴としての前田敦子」を見ていました。熱狂的な支持の一方で、グループのアンチテーゼとしての批判もすべて彼女が引き受ける構造になっていたため、純粋なルックス評価がノイズにかき消されやすい環境にありました。
「普通の女の子」という演出: 秋元康氏が彼女をセンターに据えた理由は「クラスで5番目くらいに可愛い(手が届きそうな)親近感」というコンセプトでした。このマーケティング戦略が成功しすぎたために、「圧倒的な美人」という認識を世間が持つのを阻害した側面があります。
前田さんは、自らを美しく見せることよりも、「作品の中の人間」として泥臭く生きることに重きを置く表現者です。
女優としての選択: 彼女が選ぶ役柄は、キラキラしたヒロインよりも、エキセントリックだったり、生活感に溢れていたり、時には不機嫌な女性だったりします。
美しさを「消費」させない: 画面の中で「美しく静止していること」を拒み、表情を崩して感情をさらけ出すスタイルは、観客に「美人だな」とため息をつかせる隙を与えません。そのストイックさが、一般的な「美人女優」というカテゴリーへの定着を難しくしているのかもしれません。
彼女の顔立ちは、非常にパーツが整っており、特に横顔のラインや首の長さなどは古典的な美人の条件を完璧に満たしています。
トレンドとのズレ: 昨今のトレンドである「SNS映えする派手なパーツ」や「加工耐性の高い均一的な顔立ち」に比べると、彼女の美しさはもっとシネマティック(映画的)で、光と影によって完成されるものです。スマホの画面越しではなく、劇場のスクリーンで映えるタイプであることも、今の時代の「分かりやすい美人評価」と乖離する原因かもしれません。
「増田のせい」というよりは、彼女の美しさが「静止画の評価」を超えてしまったからではないでしょうか。
彼女を「美人」という言葉だけで括ってしまうと、彼女が持つあの独特の危うさや、スクリーンを通した時の爆発的な存在感を説明しきれなくなります。世間の評価が追いついていないのではなく、「美人」という枠に収まりきらない個性が、評価の基準を狂わせているのだと解釈することもできます。
現在、彼女が舞台や映画で見せる凄みを見れば、いつか数十年後に「あの時代の前田敦子は、実はとんでもない美貌の持ち主だった」と再定義される日が来るはずです。
十年以上経っても擦られ続ける前田敦子、やっぱすごいわ
貸衣装ってどこかで誰かとかぶってはいるだろうけど、その事実を知らないでいられるというところにも価値があるものであって、ドレスやとりわけウエディングドレスであればなおさら。
ああいうふうに大々的に周知されると貸衣装としての、とりわけウエディングドレスとしての価値はほぼゼロでしょ。同じのを着たいというのは彼女のファンくらいでは?そういう点で、あのドレスを本来の用途とは違う用途向けに貸し出した時点で、式や披露宴や前撮り後撮り用としてのラインナップから外すべきだった。これくらいブライダル専門の業者なら分かることだと思うんだけど、わからないんですかね。あの社長もこの増田も。
なので、あなたに貸し出すのはあれそのものじゃなくて全く同じ形の別物ですよってなって大丈夫という話ではないのよね。袖を通したことそのものが問題ではない。
元AV女優ではなくて、大島優子とか前田敦子とか綾瀬はるかとか小芝風花とかが着てても同じくらい嫌な気持ちになると思う。一生残るしね。
芸能事務所が空港と腕のいいカメコと共謀してほぼ公認で撮影できるシステムがあり
空港では急いでるときは私服だが時間あったりイベントごとアピールしたいときは大体私服風衣装を着てる
問題は最新空港ファッションが2010年の日本のファッションになってることなんだよな
もうねY2Kでも結構メンタルきつかったんだけど2010年は本当に自分の中で近すぎて凄くダサく感じるんだわ
でもKPOPアイドルの素晴らしい雑誌モデル体型でなんとなくそれっぽく着てるんよ
つまりなにが言いたいのかというと今から街中に2010年の服装をした若者が溢れるんよ
具体的には会いたくて震える西野カナ、大島優子1位で前田敦子2位ヘビロテ、ローリーズファーム、トイレの神様、ずっと好きだったんだぜ和義!
こわくて震えて眠れねぇよ…
ゼクノヴァで消えてしまった英雄シャア・アズナブルは不動のセンターで伝説のアイドルってことか。
なるほど。
現在の「0048」では、新曲ごとに、センターが交代しているが、以前はセンターノヴァとよばれる、不動のセンターが存在していた。
その活動期間中はすべての曲のセンターを担当していた。その頃のライブでは、本人のアイドル力に加え、
観客のボルテージさえも感じとったキララが照明よりもまばゆく光り輝いていた。その様子から「超神聖センターノヴァ」と呼ばれる。
9月27日、「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が公開された。
https://babywalkure-nicedays.com/sp/
まず、映画自体は本当に面白かった。三作目にして最高傑作という声もあるし、俺もそう思う。
ただし、映画館でこの作品に対して深刻な懸念を感じずにはいられなかった。観に行った回はほぼ満席だったのだが、若い人たちが少なく、中年男性が最も多かったようにみえた。また俺もそうだからわかるんだが、そのほとんどは、毎年100本以上映画を観るようなオタクだったように思う。
日常×殺し屋というアニメ的な設定やキャラクター、コメディタッチな台詞回し、そして素晴らしいアクションシーンは誰でも楽しめるような作品であるはずだ。しかし観客はおっさんばかりだ。
製作陣の意図は知らないが、これは本来は若い人々に届けたかったのではないか。前二作はインディーズ感があったので、シネフィルが観客層であったことは仕方ないかもしれないが、今回は池松壮亮や前田敦子といった人気俳優も迎えてるので、大衆向け映画としてのルックは備えてるはずだ。
ここで考えるのは、この映画の大衆化を阻んでいるのは映画ファンそのものなのではないかと思う。
現にTwitterで本作を検索すると、どうもプロアマの映画評論アカのお褒めの言葉ばかり流れてくる。ポジティブなレビューが多いのは良いことだが、「小うるさい映画ファンでさえも評価する作品」という評判が支配的になると、年に数回しか劇場に足を運ばない一般人は敷居の高さを感じてしまうのではないか(Twitter自体がもうおじさんおばさんの溜まり場ということかもしれないが)
実は今回の自民党総裁選でも似た事象が起きていたと俺は思う。1回目の投票でトップであった高市早苗が、決戦投票で石破茂に逆転敗北したが、俺はこれを彼女の支持層であったように思う。Twitter上で高市支持を表明していた有名アカは極右が多く、彼女の人気はカルト的にもみえた。彼らは熱心に高市の素晴らしさについて訴えて来た。彼らからすると、純粋に応援のためだったかもしれないが、他の層からすると過剰に写っていたと思う。彼らが良かれとして行ったことが、仇となった感は否めない。
話は戻るが、ではベイビーわるきゅーれが一般に支持されるために、我々映画ファンはどうしたら良いか。おそらくは発信のトーンを落とすことである。この映画は本当に素晴らしいし、沢山の人にみてほしいが、映画ファンが熱心であればあるほど、一般化は永久に果たされない。
アイドルというと語弊がややあるが、
「エンターテイメント性と共に見た目や人格を売りにして商売をする」
2次元の見た目に、設定を詰め込んで。
そしてその上で誰かを楽しませる、いわゆるバーチャルな存在になっていた。
そういうアイドル的な存在に憧れていて、バーチャルの外見を得られたので、舞い上がって楽しんでいた。
けれど、徐々に、しんどい!と強く思うようになった。
である。
YouTubeなどでは広告収入などもあり、視聴するだけで応援になる。
だが、そのプラットフォームはYouTubeに例えるならスパチャしか明確な応援方法が無いのだ。
チャットの数や同接数なども含めて、その配信アプリ側が配信者をランク付けするのだが、スパチャ…課金ギフトを送るのが1番大きいスコアに繋がり、無料で出来るものは微量のスコアにしかならない。
つまり、このアプリにおいては、投げ銭が当たり前の文化なのである。
ファンの方、視聴者の方でも、この配信者にはこれだけお金を投げたらファンのランクが認定されて、他のリスナーにマウントを取ることができる。
つまり、少し前のAKB48総選挙などのアイドル文化をより身近にしたようなものだ。
財力あるファンからたくさんの投げ銭をもらって、笑顔でありがとう!と言ってサラリと気にも留めない、豪胆さ、鈍感さを求められる。
私はそれが無理だった。
3万円投げられて、えー!嬉しいー!ありがと!記念にするね!くらいの気持ちでサラリと流す人がアイドルに、配信者に、なれるのだなぁというのが、なんだかやるせなかった。
1000円投げられて、慌てふためいて、ちょこっとランチ出来る額投げていただいちゃったよ…とかしみったれた事を考えるやつはアイドルになれないのだ。
しかも、これがAKB48たちのような10代20代前半の金銭感覚もわからぬ子供が、あどけなく応援されてると感じているのならまだ可愛い。
けれど、その配信アプリの配信者は大抵はそれなりの大人である。
配信プラットフォームが提示したランクやイベントの達成のために、一緒に金銭を巻き上げる共犯者に成るも同然だ。
今日、ランクアップのためにみんな手伝って〜!という呼びかけがどこも飛びかう。
手伝うというのは暗に、金を出してスコアを上げてくれという意味である。
AKB48だって一年の大きなイベントである総選挙を、その配信アプリでは毎日しているようなものだ。
人を喜ばせるために、パフォーマンスを披露して、その対価として金銭を頂くのであれば良いと思う。
そしてそれならば私も、まだパフォーマンスが足りていないのだと思える。
けれど、配信アプリの一部のユーザーは配信者も視聴者も、もう金銭感覚がどこか麻痺していて、月数万円使わせる、使うことに躊躇いもなく、そしてそれで得られるのは認知のみという状況も多い。
私にアイドルのようなカリスマ性がないから上手くいかないのだと言えばそうなのだけれど、同時に、あんな風になりたくないな、あんな風に応援されたくないな、という気持ちがどうしてもある。
狂った世界に適合できるのは狂える奴だけ、それか自分を騙し切れる奴だけ。
狂気と欺瞞でお互いに誤魔化しあっていくのがアイドルなのだと、改めて感じてしまった次第である。
全然関係ないが、先日、前田敦子が、卒業発表をした柏木由紀の話をした時に
と言っていた。
お前も過去にアイドルとして応援されてて、その応援してくれてたファンの人の気持ちを考えてない鈍感な発言だ、という指摘が飛んでいた。
けれど私はちょっとだけ、おこがましいが前田敦子の気持ちがわかる。
アイドルなんて心身に負担のかかるお仕事、よくやってられるよね。
(ゆきりんは応援の数とか周りにとらわれず、自分のアイドル像を突き詰めていく、ある種の努力、ある種の狂気があったからこそここまで出来たと思うので、非難するつもりはない。お疲れさまでした。)