はてなキーワード: スパイとは
先ず言いたいのは、国にとって一番大切なのは安全保障だという事。
国民の生活の全ては安全があって初めて成り立つ。そこをあえて無視・軽視させようとする政党は反日・諸外国のスパイと疑われても仕方がない。スパイするような国こそ、それを一番分かっていてそこを狙ってくる。中国共産党の活動を見ればよく分かる。100年先を見据えて自国の安全保障を高める為に資源や経済活動に対する投資・対策やマスメディアからSNSまで活用した世論誘導を長期的な計画で非常に良くやっている。(戦狼外交などの自滅的な失敗もあるが)
某テレビ局の番組で、自民党・維新の会・参政党を「強くてこわい国」を目指す勢力として分類したフリップが炎上しているらしい。「偏向報道だ」「レッテル貼りだ」とネット上では大合唱が起きているわけだが。
正直、何に怒っているのか全く理解できない。
あれ、ただの「事実陳列」だろ?
誹謗中傷でもなんでもない。彼らが掲げている政策、語っている未来像を素直に解釈すれば、どうあがいても「強くて(軍事力マシマシで)こわい(国民を統制する)国」にしかならないからだ。
むしろ、オブラートに包まずによく言ったと褒めるべきレベルなんじゃないの?
まず「強い国」の部分。これ、彼らが一番やりたいことの筆頭だろ。
「国を守るため」という美名のもとに、数兆円単位の金が兵器に消えていく。ミサイルを買います、戦闘機を作ります、敵基地攻撃能力(反撃能力)を持ちます。
やってることは完全に「軍拡競争への参加」だ。
周辺国との対話を諦め、「力には力で」という思考停止に陥っている。生活が苦しい国民からさらに金を吸い上げ、それを火薬に変える国。これを「強い国」と言わずしてなんと言うのか。
維新なんて核共有(ニュークリア・シェアリング)の議論まで持ち出しているし、かつての「非核三原則」なんて、彼らにとってはただの邪魔な足かせでしかないらしい。
「強い日本を取り戻す」なんて勇ましい言葉に酔っているようだが、その強さを維持するために痩せ細っていくのは、我々一般市民の生活だ。
そしてもっと深刻なのが「こわい国」の部分だ。ここを否定する奴は、彼らの政策の危険性を本当に分かっているのか?
名前だけ聞けば聞こえはいいが、その実態は「国家にとって不都合な情報を漏らす人間、あるいは探ろうとする人間をしょっ引く法律」になりかねない。何が「機密」で何が「スパイ行為」かを決めるのはお上だ。
ジャーナリズムや市民活動が「国益を損なう」と判断されれば、監視対象になり、逮捕される。そういう社会を目指していると公言しているようなもんじゃないか。
これも「有事の対応」を隠れ蓑にしているが、要は「内閣が国会を無視して法律と同じ効力を持つ命令を出せる」という独裁へのフリーパスだ。
一度発動されれば、人権なんて簡単に制限される。「国の安全のため」と言われれば、言論の自由も集会の自由も消し飛ぶ。
そして、その先に見え隠れするのが徴兵制だ。
少子化で自衛隊員のなり手がいない。でも軍拡はしたい。兵器はあるけど人がいない。じゃあどうするか?
「まさか現代で徴兵なんて」と笑うかもしれないが、彼らの「国を守る義務」への執着を見ていると、経済的徴兵制(奨学金返済の免除と引き換えに入隊など)も含めて、国民を戦場に送り込むシステムを作らない保証なんてどこにもない。
異論を許さず、監視し、国のために命を投げ出すことを美徳とする。
これを「こわい国」と呼ばずに、なんと呼ぶんだ? 「美しい国」か? 冗談も休み休み言えよ。
今回、この3党がセットにされたのも至極妥当だ。
・自民党:既得権益と結びつき、長年の政権維持のためにタカ派政策を推し進め、憲法を変えて「戦争ができる国」の仕上げにかかっている本丸。
・維新の会:自民党以上のタカ派であり、新自由主義的な「強者生存」を是とする。改革という名の切り捨てと、勇ましい外交安保論がお家芸。
・参政党:ナショナリズムを煽り、さらに極端な復古主義的・排外主義的な思想で「日本を守れ」と叫ぶ。
アプローチや支持層に多少の違いはあれど、目指しているベクトルは完全に一致している。
「個人の権利」よりも「国家の都合」を優先し、軍事力と統制力で国を維持しようとする点において、彼らは間違いなく同類だ。
「強くてこわい国」というレッテル貼りに怒っている人たちに言いたい。
「強くてこわい国」をガチで実現しようとしている政治家たちと、それに無自覚に賛同してしまっている現状に対して怒るべきなんじゃないのか?
テレビ局は、ただ単に「あなたたちが投票しようとしている先は、こういう国を目指していますよ」と、分かりやすく要約してくれたに過ぎない。
その未来図を見て「それは嫌だ」と思うなら、批判すべきはメディアではなく、その政策を掲げる政党であるはずだ。
盗聴・監視・徴兵・言論統制。そんな「戦前トリバック」な社会がお望みなら、まあ、そのまま支持すればいいんじゃないですかね。
まず台湾への武力侵攻が10000%無い前提は共有されてるとして、高市政権が続くと、
軍備増強 → 中国も軍備増強しないといけなくなる
結果lose-loseの関係になる。
とりあえず思ったことを書いていく。
正直、開始一秒で「しゃらくせえ」と思った。
立ち回りがやたら小狡い。
そんな捜査官Aに呼び出され、単身Aの車に乗り込む詩織さん。そのまま連れ去られてもおかしくないような状況に見えたのでハラハラした。
というのもこの捜査官A、公の場で証言して欲しいと頼まれるたびに「そんなことをしたら失職してしまう。責任とって結婚してくれるんですか?」「私が無職になって、生活の面倒を見てくれるなら考えますけど」と、2人の共同生活にやたら前向きなことを言ってくる。冗談めかしてはいるものの、声だけ聞くに、圧倒的中年男性のそれである。キモすぎやしないか? お上に不利な証言をしたとて、クビになる前に自分で辞めればいくらでも潰しがききそうなものだが、自分の証言と引き換えに全力で縋ろうとしてくる姿には違和感がある。とても信用できない人物に見えるが、この人間臭さ(=小物臭)がスパイ疑惑を打ち消す効果として作用しているようにも見える。
捜査官Aのことはどうにもずっと怪しいと思って見てしまっていたが、詩織さんは普通に信頼できる相談者として、常に気遣う言葉もかけてくれるので涙を浮かべたりする。私の心が汚れているだけだった。
この人に比べると、ドアマンはもう少し人が良さそうに見える。
映画の始まりで詩織さんは「証拠がないんです」と警察からはっきり言われている。山口のDNAが付着したという下着くらいしかなく、それだけではレイプの証拠にはならないのだ。
正直、ここでもう勝敗は決していると思った。過去の強姦、強制わいせつに関する刑事事件においても「被害者の申告」だけではなかなか起訴まで持っていくことは難しいのはわかっている。
この薄い証拠で山口が逮捕されていたら、それこそ人権派の弁護士が不当逮捕と噴き上がっていただろうし、即不起訴になる。安倍と友達であろうともなかろうともだ。そのくらい、証拠が弱い。
しかしドアマンがいくら証言しようとも、密室で行われたことであり、和姦か強姦かを証明することはもっとハッキリした証拠がなければ難しい。世の中では、市長の女性が部下の男性とラブホテルに行って業務に関する入念な打ち合わせが行われることもあるのだ。
捜査官Aが語るところによると、山口の逮捕を中止するよう指示を出したのは中村格という現・警察庁長官で、当時は警視庁の偉い人だった。真意を問いただすため、詩織さんは仲間たちと共に彼の出勤前を狙って自宅付近に張り込む。
小学生の通学路にもなっている、見通しの良い閑静な住宅街。そこに車で乗り付けて仲間たちと張り込む詩織さん、明らかに不審車両である。
案の定、登校中の小学生が車を怪しみ、何度も振り返って確認する様子を見て、彼らはくすくすと笑う。昔のこととはいえ、2人の小学生の顔はバッチリ映っている。もう彼らも成長して顔も変わっているだろうが、親がこれを見たら憤死するのではないだろうか。プライバシーの侵害についてよく語られる本作だが、登校中の子供の顔を無断で晒すのはさすがにあらゆる権利を侵害しすぎである。
表向きは防犯カメラの映像の無断使用と言っているが、彼らが本当に見られて困るのは終盤に出てくる国会議事堂前で抗議活動を行っている高齢の女性たちの明らかにアウトな言動の方じゃないだろうか。
普段は韓国の従軍慰安婦から辺野古基地の返還まで幅広く抗議活動を行っている活動家の皆さんである。詩織さんの告発は、山口が安倍晋三と親密な関係であることも含めて国会で取り上げられる問題になったので、彼女たちはそこに乗じてさっそく詩織さんの名前も挙げてアジりだす。
そこへ詩織さんが通りがかり、声をかけた。
最初は不審そうな顔をしていた2人の女性は、「伊藤詩織です」と詩織さんが名乗った途端、態度を一変させた。顔も知らずにアジテーションのネタにしていたとわかる、インパクトのあるシーンだ。詩織さんが去った後、2人はテレビで見るのと印象が違ってすぐに気づけなかった、とカメラの前でしどろもどろになる。
だがまだこの2人はマシである。問題はその後、2人と詩織さんのやり取りを近くにいながら関わろうとしなかった女性である。詩織さんが立ち去った後、さっきこちらにきたのはあの伊藤詩織さんだよと伝えられた彼女は驚いてこう言った。
「強姦された伊藤詩織さん? さっきの、強姦された伊藤詩織さんだったの? もう行っちゃったの、だったら話せばよかった!」
映画では、ここで画面が切り替わる。
映画が公開されるや否や批判的な立場を表明した北原みのり氏によると、彼女らのやりとりには続きがあり、ここで切るのは悪意ある切り取りだという。ここから入れる保険があるって本当ですか?
その後のやりとりとやらを確認したところ、やはりとても入れるような保険ではなかった。「みんなで民事訴訟の傍聴に行って応援しましょう」という意思確認をしただけだった。アジテーションのネタにしたのに本人が来なければ傍聴すら行く気がなかったのか?
なお、さらなる彼女らの擁護者によると「強姦された○○さん」という呼び方は、従軍慰安婦界隈では「売春していた人」と区別するために使う言葉なので、特別に性被害者を貶める言葉ではないらしい。つまり、売春していた人は区別してもいいようである。それはそれでものすごい職業蔑視をしているように見えるが、自覚は薄そうだ。
しかし、元草津町長(先日の選挙で負けた)には絶対に謝らない北原みのりが、「昔から知っている間柄だから」と無神経な高齢女性たちを庇う姿は、長年親密な間柄故に山口を守ったとされる安倍晋三にそっくりである。
最高裁まで進んだ山口との訴訟の一つは、安倍晋三が撃たれ、その死が公表された日に判決が出た。ただの偶然なのだが、二つのニュースをタクシーの中で聞いた詩織さんはある時代の終わりを感じ取り、音楽をかけて友人と小躍りして映画は終わる。この安倍晋三の死によって、もっととんでもない箱が開いてものすごい化け物が飛び出してきたことなど、当時の彼女には知る由もない。監督の意図しないところではあるのだが、物語の終わりは、奇しくも新しい物語の始まりを思わせる。
2017年に出版された著作「Black Box」を読んでいなければわからないことが多すぎる。
エンドロールも全部英語、しかも文字が小さく読みづらい。たぶん読ませる気がない。
つまり、一つのストーリー性を持つドキュメンタリーとしてBBDだけを見たらちょっとわかりにくい。原作(本「Black Box」)、映画、そして映画パンフレットの3点セットをもって、全ての情報が補完できるメディアミックス作品なのである。チェンソーマンでいうといきなりレゼ篇を見せられているようなものだ。
ドキュメンタリー映画としては、やはりそれ一本だけで完結させて欲しかった。ふらりと映画館に立ち寄って見られるのが映画の良さでもあるのだから。
ちなみに強姦した人こと山口が現在どうしているのかと思って調べてみたら、元気に参政党の連中と共に陰謀論界隈に出入りしていた。
「スパイを防止すべきではない」と主張するやつはさすがにおらんと思うから、問題なのはあくまで運用の懸念だよな?
政治家の選挙運動にうまく取り入って日本の政治を意のままに操ろうとする統一教会のスパイ行為なんて、本来、いの一番に取り締まられるべきだよな?
野党はそういう方向で責めていけばいいんじゃないかと思うんだけどな。「スパイ防止法に反対するやつこそスパイだ」という、字面だけ見れば大正義の反論をいちいち誘発させないでほしいわ。
「国論を二分するような大胆な政策、改革にも果敢に挑戦していく」
高市早苗首相が総選挙に向けて放ったこの言葉、背筋が凍る思いがした。
具体的に「何を」するのかは言わない。詳細は選挙後に決める。でも、私に任せろ。
これ、完全に白紙委任状(カルト・ブランシュ)を求めてるだけだろ。
歴史を少しでも知っている人間なら、この手口に既視感を覚えるはずだ。
危機を煽り、「強い指導者」を演出し、具体的なプロセスはすっ飛ばして全権を掌握しようとする。
かつてドイツで全権委任法が成立した時も、最初は「決断できる政治」が歓迎されたんじゃなかったか?
「ヒトラーのやり方と同じ」と言われても反論できないレベルで、構造が酷似している。
本当に恐ろしいのは、この「中身のない強権」に対して、諸手を挙げて賛成している支持層だ。
お前ら、本当に大丈夫か?
「高市さんなら日本を良くしてくれる」「サヨクが発狂してるから正解」とか、思考停止もいい加減にしろよ。
例えば、徴兵制。
「国を守る気概」とか美しい言葉で飾って、若者を戦場に送り出すシステムができない保証なんてどこにもない。
「まさかそんなこと」って笑ってる奴、その「まさか」が起きた時にお前の子供や孫が取られても、同じように笑ってられるのか?
「スパイを取り締まる」という大義名分があれば、一般市民のLINEやメールを政府が自由に覗き見てもいいと思ってるのか?
「やましいことがなければ堂々としていればいい」なんて言えるのは、権力が絶対に暴走しないと信じているお花畑だけだ。
そして、言論統制。
放送法の解釈変更をちらつかせた過去を忘れたわけじゃないだろう。
政府に都合の悪いニュースは「偏向報道」として潰され、大本営発表しか流れない世界。
そんなディストピアが、もう目の前まで来ている。
「高市早苗という人間に、白紙の小切手を渡して、好き勝手に国を改造させる権利を与えるかどうか」を問う選挙だ。
保守を自認するなら、本来は権力の暴走を誰よりも警戒すべきはずだろう。
それなのに、思考停止して「高市親衛隊」になり下がっている現状は、滑稽ですらある。
独裁への道は、いつだって「熱狂」と「無関心」、そして「思考停止した信者」によって舗装されるんだよ。
後になって「こんなはずじゃなかった」と泣き喚いても遅い。
昨日のニュースウォッチ9を見ていたら、消費税軽減は高市首相のずーっとの意思で、自民党内で反対されたので前の国会では出せなかった。
維新との提携でも確認した政策で、これを今回選挙の争点にしている、という説明だった。
それにしても、維新はまだ、大阪都構想という具体的に賛否が分かれる政策を出しているけど衆議院選挙というのは、
安全保障だの、財政だの、スパイ防止だの、具体的な話が出なければ賛否をいいようもないような話がその具体的なところは記者も聞かないので、
NHKだけじゃなくて、ジャーナリストがこの国には不在なのか?
高市氏に対する信任投票とはいえ、それで押し切られたら自民党の議員もみんな政策にも賛成しないといけなくなるの?それでいいのかなあ?
というひとたちはみんな中道にでていけばいいのになあと思う。
正直に言うと、今までずっと避けていた。流行っている作品とか皆が褒めているって、だからこそ観ないようにしていたんだ。
そういう斜に構えた態度こそが自分の矜持だと、そう思っていたのだと思う。
だが四十歳が見えてきて、ふと思ったわけだ。このまま何でもかんでも距離を取る人間でいいのか?って。
だから意を決して観てみた。
フリーレンは時間の話だった。失ってから気づくもの。後から効いてくる感情。
若い頃なら退屈だと切り捨てていたであろう間や沈黙が、今はやけに沁み入った。
スパイファミリーはもっとずるい。笑えるのに時にちゃんと感動する。仕事とか家庭とか、昔なら安っぽいと思うような話でも今に観るとちゃんと面白い。
気づいたら一気見していた。
正直言えば悔しかった。みんなが面白いって言ってたものが、本当に面白い。
たぶん今まで作品を避けていたんじゃない。
自分が変わっていくことを、避けていただけなんだと思う。
負けを認めるみたいで癪だけど…それでも今は観てよかったと思えている。
来週、四十になる。四十歳。子供の頃からすればおっさんで、四十といえばもう立派な大人だと思っていた年齢。
あの頃思い描いていたような大人になれているのかは正直疑わしい。
それでも一歩、前に踏み出すことができたような気がする。
前に「バトル・オブ・バンガス」というロシア産のプロパガンダ映画を見たけど、今度はウクライナ産のプロパガンダ映画だった。こっちの方が面白かったかな。66点。
環境派で平和主義者で教師の主人公は(おそらく)少数民族の嫁と自給自足生活を送っていたがドンバス戦争が勃発。ロシア派の過激派に襲撃され家は燃やされ妻は射殺。ウクライナ軍に拾われた主人公はキャンプで軍事訓練を受け、スナイパーとして開眼。いろいろあって敵の凄腕スナイパーと対決し勝利するのであった。
ちなみにタイミングがタイミングだし、ドンバス地方の話なのでロシアのウクライナ侵攻の話なのでは!?ってなるんだけど、実際にはそのもっと前の話。冒頭で2014年って出てくるし、桜木花道よろしく「これはクリミアのぶん!」つって相手を撃つシーンもあるので。
で、映画としてはまぁ典型的な一般人が訓練を経て才能が開花して神スナになってキルレを稼ぐ話なんだけど、全編を通して近距離アクションがほとんどないのが印象的で、この映画の良かったところだと思う。遮蔽物を挟んでお互い撃ち合うけど全然当たらないみたいな展開がほとんどない。
主人公がスナイパーだからって言うのもあるけど一方的に撃つ、もしくは撃たれる。最終盤に相手の隠れ家に乗り込むアクションがあるんだけどそこでも基本的に撃ち合いにはならない。一方的に殺す、相手の隙をついて殺す。ドタバタアクションに逃げないのはいいと思った。戦争ってそうだと思うんだよな。あとC.A.R.システムを導入してめちゃくちゃコンパクトなスタンスでいるのもプロっぽくていい。
特に最後、隠れ家で敵の神スナとの直接対決になるんだけどなんと天井に隠れてた主人公が舞い降りてナイフで神スナを刺し殺して終わる。いやお前、サイレンサー付きの銃持っててそれで侵入したやんけと思わんでもないんだけど、主人公のコードネーム"ボロン"=カラス(レイヴン)を象徴したんだろうなと、まぁ、やりたいことはわかる。
ただァ↑↑
その後に残ったスナイパーを手りゅう弾で爆殺するんだけど、この建物、ガスとボンベがあって大爆発したらエラいことになるから銃撃ができないから隠密侵入して制圧するって話だったよなァ!なに爆殺しとるねん。死ぬど。ここよくわからんポイント。
新兵訓練描写はアメリカの新兵ものよろしくしっかりしてるし(逆に言えばもう何回も見た展開ではある)、最初は一般人としてなにするにしてもモタモタモタモタ馬鹿にされていた主人公がAK-47の組み立て訓練をめっちゃ頑張って、テストでは目隠しして新記録を樹立する成長描写はテンプレながら嫌いになれない。
機銃の解体組立が早いからスナイパーになるは正直意味わからんなぁとは思ったけど。
惜しいポイントとしては、そこを深堀ったら逆に安っぽくなっちゃうかもしれないんだけど、主人公って物理の教師だったのね。で冒頭で学校の授業パートで射出されたガムの着弾時間と飛行距離から速さを導き出す授業なんかをしてて、それが活きて新兵訓練で射撃対象との距離を爆速で導き出す展開があってその後、急にスナイパーとして開眼するんだけどさ。
ここで「あ、スナイピングって物理なんやな」って気づいて覚醒したっていうのは伝わるは伝わるんだけど、ここもうちょっと力入れてよかったところじゃない?物理のこの知識がこういう感じでスナイピングの命中精度に関わってるっていうのがもっと伝わったらオモシロポイントとして高得点だったのに。そういうのなくて「物理計算めっちゃ早い」どまりなのがちょっと不満でした。
あとは主人公の妻が死ぬ展開。主人公と妻がロシア派過激派からスパイ疑惑を立てられてボコボコにされて家を燃やされるんだけど、結局そいつらは「こいつらスパイちゃうかぁ」ってなって開放するのね。なのに妻はやおら起き上がって平和の象徴を模っていた石を掴んで雄叫びを上げて過激派に殴りかかって撃ち殺される。ナンデ。寝てれば助かったのに。
ここはなんかもうちょっと説得力のある展開を作れなかったんだろうか。
作品としてはアメリカンスナイパーにめっちゃ影響受けたんだろうなって感じのごく普通のプロパガンダ映画ではあるんだけど、ドタバタアクションをほとんど排除したちょっと冷たい感じの作風が凡百の戦争アクション映画とは一線を画していたという意味でよかったかな。
藤原敗訴
・概要
カルピス「(画像を転載しながら)こんな画像つくるなんてサイテー」
暇アノンB「画像の無断転載するな、俺の名義で削除依頼するわ」
カルピス「正当な引用なので、この削除依頼は無効です、異議申し立てします」
信仰していると言えるほどディープな者から、一時的に好意的な発言をした者など全部ひとまとめにそう呼ばれる
被保険者2名の零細企業で、金持ちのボンボンが無職の肩書を回避するための、かりそめの会社疑惑が漂う
藤原はネット上ではゲーム実況を載せるなどしていたが、再生数は2桁でショボかった
しかし、暇空騒動が勃発し、暇アノンとなり暇空を持ち上げる配信をするようになってからは数十万再生を叩き出す人気Youtuberへ上り詰めた
暇空本人の配信が冗長かつ声が独特なので、最新情報を知りたくても視聴が耐えられないという層に需要があったのだ
人気ものになった藤原は、自身のマスコットキャラであるアルパカを印刷したパーカーやマグカップなどのグッズ販売もした
しかし、人気になりすぎたが故に暇空に「スパイ」認定され追放され、藤原をフォローした者はブロックするとの暇空の勧告により再生数は激減した
追放さえなければ売れ続けるはずだったグッズの在庫に圧迫され、今では暇空への恨みを日々語っている
名称の由来は、暇空の弁護士である垣鍔晶が「カルピス」と名乗りながら仁藤夢乃叩きやネトウヨ発言していたこと
「カルピスかきつば」など垣鍔を揶揄した名前にするのが暇空批判派の間で一時期流行り、批判派はカルピス軍団と暇空に呼ばれるようになった
カルピス軍団は特に示し合わせてアカウントを作ったわけではない、ただ暇空に批判的なだけの匿名の集まりだが、中には政治的にガチな人たちもいた
そのガチな人が木野寿紀である。しばき隊にいた界隈で有名な人らしく、現在では北欧で学生やってるそうだ
匿名で活動していたが別に身バレしてもいいよスタンスであったらしく、特徴的な声で配信するなどして特定された
暇空気に食わねー!と気軽にカルピスやっていた人の中にはガチ勢がいることに引いてカルピスアカウントを消す者などもいた
それにはもう一人の人物が関わってくる
neko800だ
neko800は暇アノンで、ゲームクリエイターなので暇空のターゲットになっている仁藤夢乃や堀口英利を揶揄するようなブラックなミニゲームやイラストをよく制作していた
堀口を中傷する画像を頻繁に公開し、その中で堀口は全裸にされたり滅多刺しにされたり自殺したりしていた
岩下の新生姜社長はneko800と相互フォローで、新生姜を購入するお客様たちが見るアカウントで堀口凌辱画像をRTしていた
カルピス軍団は、neko800の画像を転載してその内容を批判的に取り上げることがあった
なんで転載かというと、neko800にブロックされているからだ
neko800は批判転載を封じたいが、著作権侵害で削除依頼を出すと、依頼者の実名が公開されてしまう仕様がある
そこで、既に実名を出して活動している暇アノン仲間の藤原が、代理で藤原名義で削除依頼をするようになった
削除依頼に異議申立をすると、申立した者の実名が相手方に伝わる仕様がある
それは嫌なのでカルピス軍団らは削除されてもそのままにしていたが、しかし木野は実名開示済みなので異議申し立てをした
要するに今回の裁判は、木野がneko800の画像を批判的に転載し、それを藤原が自分の名義で削除依頼した件の正当性についてのものだ
そして藤原が負けた
あとneko800は中傷画像について堀口に訴えられており、画像のキャラは堀口ではないので濡れ衣だと主張しているが、今回の裁判で「キャラのモデルは堀口」と認定されてしまった
neko800裁判に響きそうだ
https://digital.asahi.com/articles/ASTBG22C1TBGUPQJ004M.html
失った構想力と想像力 高市新総裁と「漂流する日本政治」はどこへ?
新しい自民党総裁に高市早苗氏が選ばれた。初の女性首相となる公算が大きいと見られていたが、公明党が連立を離脱し、先行きの不透明感は増している。一方の野党も一枚岩となれず、政権交代の好機をつかみ取るのに苦心している。漂流する日本政治。さて、どうすれば――。憲法、政治、歴史を専門とする3人が語り合った。
杉田敦・法政大教授 高市早苗氏が、女性として初の自民党総裁に選出されましたが、その後、公明党が連立離脱を宣言し、政界は大混乱となっています。自民党総裁がそのまま総理になるという構図が崩れました。そこで高市氏についてですが、女性がトップリーダーになるのはいいことだと、ひとまずは言えます。しかし、日本の政界では、極端に強硬な女性しか活躍できない構造になっているようで気になります。圧倒的な男性中心社会で認められるには、マッチョでコワモテでなければという「圧力」が女性にかかっているようで、そうした圧力がある限り、真の女性活躍には必ずしも結びつかないのでは。
加藤陽子・東京大教授 自民党という家父長制的な政党、端的に言えば男性世襲議員が多いということですが、その中で、中産階級出身の女性がトップに立つことは時代を画する慶事である。これは間違いありません。ただ、1986年に社会党委員長となって「マドンナブーム」を巻き起こし、女性初の衆議院議長を務めた土井たか子さんとの連続性で高市さんを捉えることは難しい。この30年余の間に起きた……というよりも、まさに今回、高市さんを支援した方々が中心的役割を担った男女共同参画に対するバックラッシュを経たうえでの、初の女性総裁だということは踏まえておくべきです。
総裁選出時の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言が問題視されましたが、これは軍隊の中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。とても残念です。女性のリーダーシップを考える時、少なくともバックラッシュ以前の社会には、今の高市さんのようなありようは選択肢として存在しなかったはずです。
長谷部恭男・早稲田大教授 「教育勅語大好き人間」を自称する高市さんは、「企業体国家」への憧憬(しょうけい)を抱いておられるのでは。戦前の日本はまさに企業体国家でした。国民全体の共通目標があり、国が個人の生き方を決める。一億火の玉となって公私の別なく朝から晩まで天皇のために尽くす。そうであればこそ、富国強兵の旗のもと、あっという間に世界の「一等国」となりましたが、「天皇陛下のため」が暴走して勝てるはずのない戦争に突っ込み、国家滅亡の淵に立った。その結果できた日本国憲法は、企業体国家から「広場としての国家」へと国家像を転換させました。革命的な変化です。
広場としての国家では、国民全体の共通目標なんかない。国家は、広場に参加する人たちが守るべきルールを策定し、違反する人がいたら制裁する。それしかやらない。ルールの中でどういう生き方をするかは国民一人ひとりが決めます。ところがトランプ大統領の出現によって、広場のお手本だったはずのアメリカが企業体に変貌(へんぼう)しつつある。日本も広場のままではだめなんだという焦りや気負いが、高市さんの言葉の端々ににじんでいます。
杉田 広場で個人として生きるのは結構大変です。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決められない、決めたくないという人にとっては「企業体国家」の方が暮らしやすい面がある。結局、輸出向けに自国の為替を極度に切り下げて、輸入食料やエネルギーの価格に苦しみながら、隊長の号令に従って倒れるまで残業するのが日本の繁栄の道だという程度の想像力しか、自民党とその周辺にはなかったということでは。
今回、公明党から、歴史認識や外国人政策と並んで、政治とカネについての要求を突きつけられ、連立離脱に至りました。しかし、この連立が壊れたら、自民党の議席にかなりの打撃となることは、以前から知られていました。組織票が減って、小選挙区でも連敗となる。それでも高市さんを選んだということは、非常に狭い視野でしか「戦況」を判断できなくなっていたのでしょう。もはや解党的出直しをするパワーすら残っておらず、身内を固めて古い自民党に戻ることしかできなかった。目を覆わんばかりの没落ぶりです。
長谷部 石破茂首相をスケープゴート(贖罪(しょくざい)のヤギ)にしたことからすべてつながっています。ヤギさんは別に悪いことをしていない。だから「石破おろし」に対して「辞める必要ない」と内閣支持率が上昇したわけですが、悪いことをしたか否かは実はどうでもいい。「こいつが全部悪いということにしよう」とみんながまとまることにこそ、スケープゴートの意味があります。解党的出直しなどハナから誰も真剣に考えておらず、総裁選の候補者はこぞって「党内融和」を唱え、論戦も低調でした。そして、「自分たちの罪はすべてヤギさんが背負ってくれた。みそぎは済んだ」と、裏金議員が支える高市さんを総裁に選び、「傷もの」が党の要職につく。とても自然な流れです。しかし、あまりにも得手勝手な「身内の論理」はさすがに通らなかったということでしょう。
杉田 「石破おろし」の中心にいた人たちが、いわゆる「安倍政治」の復権をもくろんでいたことは明らかです。安倍晋三さんが敷いたレールから石破さんが外れてしまったから、従来の支持層が参政党に流れた、復権させれば支持層を引き戻せる、昔の強い自民党に戻れるという夢を抱いて、5人の候補の中では最も安倍さんに近い高市さんを選んだと。高市さんは積極財政を打ち出していますが、安倍路線で膨らんだ国の借金をさらに増やせるのか。
長谷部 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている「日本人の意識」調査を見ると、安倍政権時代の2013年と18年は9割以上が生活に満足していると答えている。選挙をやるたびに自民党が勝ったのも当然です。しかし、その「ツケ」がいま本格的に回ってきて、円安による物価高で国民の生活が痛めつけられている。今さら安倍政治に戻るなんてできるはずがないし、やってはいけない。国が潰れます。
加藤 安倍さんは岸信介の孫、安倍晋太郎の息子ということで、自民党内での「正統性」を無条件に担える。しかし高市さんにはそれがない。ないのに、安倍さんと同じように振る舞おうとするから危うい。最もまずいのは、彼女の言葉の定義が非常に狭く、射程も短いことです。たとえば、総裁選出後の記者会見で靖国神社参拝について問われた際、笑顔をつくって「靖国というのは戦没者慰霊の中心的な施設で、平和のお社だ」。平和のお社? それは高市さんの勝手な定義で、国際的にはまったく通用しません。アメリカは靖国ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑の方を正当な慰霊の場だと考えている。日中共同声明や日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか、外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね。これまでのようにアメリカ一辺倒では立ち行かなくなっている中で、日本はアジアと付き合っていかねばなりませんが、そのアジアの横っ面を張るようなひどい発言です。
杉田 総裁選の中で、排外主義的風潮をあおりかねない外国人政策が前面に出てきたことも見過ごせません。19世紀イギリスのウォルター・バジョットは、政治には「実務」と「威厳」の二つの機能があると整理しています。法律をつくって政策を動かす「実務」は当然やらなければいけない。しかしそれだけでは人民はついてこないから、「大英帝国はすごい」というところを見せて忠誠心を獲得し、国を統合していかなければならないと。ところがいま、世界的に実務がほとんど機能していない。移民という、まさにスケープゴートを仕立てて「威厳」を無理やり演出し、人びとを統合することしかできていません。日本においても「日本人ファースト」を掲げる参政党の伸長と、それに動揺して引きずられる自民党によって、外国人排斥的な流れが一気に加速しました。
加藤 高市さんを総裁に選んだことで、自民党は包括政党であることを諦めたと言えるのでは。党内外のコンセンサスを意識した経済的利益配分に留意し、「大きなテント」を張って幅広い考えの人たちを包摂してきましたが、ついにテントをたたみ、党内の一部の「無責任なポピュリズム」にくみした感があります。
長谷部 昨今の日本政治の特徴はニヒリズムだと思います。権力を握ることが自己目的化し、何のために権力を握るのかという目標や価値が蒸発してしまっている。先の参院選で議席を伸ばした小政党の党首は人気取りにはたけていますが、あるべき社会像を描けてはいない。ただ権力ゲームが面白くて、夢中になっている。しかも政党助成金という多額の「賞金」までついてくるのだから、これはもうやめられません。
杉田 衆参で自公が少数になったにもかかわらず、野党もメディアも自民党中心の発想からなかなか抜け出せなかったことが、日本政治停滞の大きな要因です。憲法や原発などの政策で完全に一致しなければ連立できないかのように言われていますが、世界を見渡せば、かなり考え方が違う政党が争点を限定して連立している。意見が異なる問題については基本的に現状維持とし、たとえば減税を中心的な課題として内閣をつくればいいだけです。これまでそうした発想がなく、今回、公明党が離れても野党の動きが鈍いのは、政党政治への理解が浅いからであり、もっと言えば、依然として自民党を過大評価しているからでしょう。
加藤 石破さんは10日、戦後80年の所感を出しました。戦争が避けられなかった理由を、国内の政治システムの不全から考察した声明です。国務大臣単独輔弼(ほひつ)制や統帥権独立等の制度的な穴を前提とし、その穴を補完し、「政策の統合」に任じたのが日露戦争までの元老であり、1930年代までの政党だったとの理解は、最良の学知の裏付けある解釈です。
しかし、政策の統合を図れるはずだった政党は、英米との軍縮、中国との戦争終結方針をめぐり、軍部の統御に失敗し続けました。その過程を、吉野作造、美濃部達吉、斎藤隆夫等、軍部批判者の名を挙げつつ裏面から書いた点に特徴がある。所感が一見、日本の対外的過誤に言及していないように見える理由はここでしょう。戦争を止められなかった理由を歴史から真摯(しんし)に学び続ける国民がいて初めて、平和国家の礎を築けると首相は述べました。日本の今後の針路を注視する世界に向けてのこの言明は、日本国民全体の利益と福祉にかなうものと思います。
杉田 石破さんが閣議決定を伴う戦後80年談話を出すのに反対した政治家たちは、何を守ろうとしたのか。彼らは安倍70年談話の「あの戦争には何ら関わりのない先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」を、もう謝らなくていい宣言だと捉えていて、80年談話でこれを上書きされたくなかったようです。ドイツの哲学者ヤスパースは、戦争の罪には四つあると言っている。①刑事的な罪――戦犯が負う。後の世代は関係ない②政治的な罪――国民全体が負う。後の世代も継承する③道徳的な罪――戦争への加担あるいは傍観といった個人の行為に対して良心がその行為を裁く④形而上(けいじじょう)的な罪――災厄を引き起こす人間という存在そのものが抱える罪。戦後40年にあたる1985年、西ドイツのワイツゼッカー大統領はこの整理を踏まえ、①は後の世代は負えないとしつつ、「罪の有無、幼老いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と罪を継承すると宣言した。ところが安倍談話は①だけをつまみ食いし、他の罪はないと言っているに等しい。今回、石破所感で、先の戦争に至る統治機構の不備という論点が出されたのは私も良かったと思いますが、安倍談話で無視されたままの、他の罪が気になります。
長谷部 ④を哲学者ハイデガーの言葉で言い換えると「負い目」です。それは否定のしようがない。なかったことにはできないし、それから解放されることもありません。「職業としての政治」を著したマックス・ウェーバーは、政治家は行為の結果に責任を負うという「責任倫理」を説いていますが、行為の結果が良かったか悪かったかの判断は結局、選挙に依拠するしかない。責任倫理を問われないためには選挙に勝って政権に居続けなければならないから、そのためなら公文書を改ざんするし、国会でうそをつく。安倍さん本人がどこまで指示したか知りませんが、そうやって安倍政治は維持されていました。自民党内にそのことへの反省はないし、企業献金も、旧統一教会の問題だって別に解決する必要はないじゃないかと、高市さんやその支援者はおそらく本気で思っている。ウェーバーが言う、悪い意味での職業政治家になってしまっています。
杉田 政治とは何かについては、大きく二つの考え方があり、一つはドイツの思想家カール・シュミットが述べたような、政治とは「戦争」であるという考え方です。最近は、世界にこのような政治観が蔓延(まんえん)しています。トランプ大統領はその典型で、政敵はもちろん、大学と闘い、さらには立憲主義を否定して裁判官とさえ闘う。外国人は皆、潜在的な敵として扱う。日本でも、その亜流のような政治家たちが人気を集めています。しかし、政治についてはもう一つ、多様な考え方を前提に、話し合いを通じて何とか合意して妥協するという考え方もあります。本来の保守とはそういうものだという考え方もありますが、石破さんを含めて、今はファイティングポーズをとらないと人気がないようです。
加藤 ファイティングポーズを取ること自体を否定はしませんが、立憲主義は守ってもらうことが最低条件です。立憲主義を破壊しておいて将来のビションを語ってもらっても何もなりませんから。
長谷部 政治とは可能性の芸術などと言われますが、現在の党派の枠を超えた想像力や構想力を取り戻し、停滞する日本政治を抜け出す方途を探るべきです。法の支配を守り、事実は事実として認めるといったミニマムな規律をもちろん維持した上でのことではありますが、単に税制や社会保障負担をいじるといったことを超えた、日本社会の大きな展望をやはり描いてもらわないと。
杉田 今後のことは予断を許しませんが、もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能な経済政策に加えて、この間の産業や学術の軍事化の流れが一層強まる心配があります。高市さんは「スパイ防止法」への意欲も繰り返し語っていますが、こうした法律がいったんできれば、報道機関や海外とつながりのある団体が根拠なくスパイ扱いされ、人権状況が悪化しうる。「戦争」としての Permalink | 記事への反応(0) | 08:55
失った構想力と想像力 高市新総裁と「漂流する日本政治」はどこへ?
新しい自民党総裁に高市早苗氏が選ばれた。初の女性首相となる公算が大きいと見られていたが、公明党が連立を離脱し、先行きの不透明感は増している。一方の野党も一枚岩となれず、政権交代の好機をつかみ取るのに苦心している。漂流する日本政治。さて、どうすれば――。憲法、政治、歴史を専門とする3人が語り合った。
杉田敦・法政大教授 高市早苗氏が、女性として初の自民党総裁に選出されましたが、その後、公明党が連立離脱を宣言し、政界は大混乱となっています。自民党総裁がそのまま総理になるという構図が崩れました。そこで高市氏についてですが、女性がトップリーダーになるのはいいことだと、ひとまずは言えます。しかし、日本の政界では、極端に強硬な女性しか活躍できない構造になっているようで気になります。圧倒的な男性中心社会で認められるには、マッチョでコワモテでなければという「圧力」が女性にかかっているようで、そうした圧力がある限り、真の女性活躍には必ずしも結びつかないのでは。
加藤陽子・東京大教授 自民党という家父長制的な政党、端的に言えば男性世襲議員が多いということですが、その中で、中産階級出身の女性がトップに立つことは時代を画する慶事である。これは間違いありません。ただ、1986年に社会党委員長となって「マドンナブーム」を巻き起こし、女性初の衆議院議長を務めた土井たか子さんとの連続性で高市さんを捉えることは難しい。この30年余の間に起きた……というよりも、まさに今回、高市さんを支援した方々が中心的役割を担った男女共同参画に対するバックラッシュを経たうえでの、初の女性総裁だということは踏まえておくべきです。
総裁選出時の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言が問題視されましたが、これは軍隊の中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。とても残念です。女性のリーダーシップを考える時、少なくともバックラッシュ以前の社会には、今の高市さんのようなありようは選択肢として存在しなかったはずです。
長谷部恭男・早稲田大教授 「教育勅語大好き人間」を自称する高市さんは、「企業体国家」への憧憬(しょうけい)を抱いておられるのでは。戦前の日本はまさに企業体国家でした。国民全体の共通目標があり、国が個人の生き方を決める。一億火の玉となって公私の別なく朝から晩まで天皇のために尽くす。そうであればこそ、富国強兵の旗のもと、あっという間に世界の「一等国」となりましたが、「天皇陛下のため」が暴走して勝てるはずのない戦争に突っ込み、国家滅亡の淵に立った。その結果できた日本国憲法は、企業体国家から「広場としての国家」へと国家像を転換させました。革命的な変化です。
広場としての国家では、国民全体の共通目標なんかない。国家は、広場に参加する人たちが守るべきルールを策定し、違反する人がいたら制裁する。それしかやらない。ルールの中でどういう生き方をするかは国民一人ひとりが決めます。ところがトランプ大統領の出現によって、広場のお手本だったはずのアメリカが企業体に変貌(へんぼう)しつつある。日本も広場のままではだめなんだという焦りや気負いが、高市さんの言葉の端々ににじんでいます。
杉田 広場で個人として生きるのは結構大変です。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決められない、決めたくないという人にとっては「企業体国家」の方が暮らしやすい面がある。結局、輸出向けに自国の為替を極度に切り下げて、輸入食料やエネルギーの価格に苦しみながら、隊長の号令に従って倒れるまで残業するのが日本の繁栄の道だという程度の想像力しか、自民党とその周辺にはなかったということでは。
今回、公明党から、歴史認識や外国人政策と並んで、政治とカネについての要求を突きつけられ、連立離脱に至りました。しかし、この連立が壊れたら、自民党の議席にかなりの打撃となることは、以前から知られていました。組織票が減って、小選挙区でも連敗となる。それでも高市さんを選んだということは、非常に狭い視野でしか「戦況」を判断できなくなっていたのでしょう。もはや解党的出直しをするパワーすら残っておらず、身内を固めて古い自民党に戻ることしかできなかった。目を覆わんばかりの没落ぶりです。
長谷部 石破茂首相をスケープゴート(贖罪(しょくざい)のヤギ)にしたことからすべてつながっています。ヤギさんは別に悪いことをしていない。だから「石破おろし」に対して「辞める必要ない」と内閣支持率が上昇したわけですが、悪いことをしたか否かは実はどうでもいい。「こいつが全部悪いということにしよう」とみんながまとまることにこそ、スケープゴートの意味があります。解党的出直しなどハナから誰も真剣に考えておらず、総裁選の候補者はこぞって「党内融和」を唱え、論戦も低調でした。そして、「自分たちの罪はすべてヤギさんが背負ってくれた。みそぎは済んだ」と、裏金議員が支える高市さんを総裁に選び、「傷もの」が党の要職につく。とても自然な流れです。しかし、あまりにも得手勝手な「身内の論理」はさすがに通らなかったということでしょう。
杉田 「石破おろし」の中心にいた人たちが、いわゆる「安倍政治」の復権をもくろんでいたことは明らかです。安倍晋三さんが敷いたレールから石破さんが外れてしまったから、従来の支持層が参政党に流れた、復権させれば支持層を引き戻せる、昔の強い自民党に戻れるという夢を抱いて、5人の候補の中では最も安倍さんに近い高市さんを選んだと。高市さんは積極財政を打ち出していますが、安倍路線で膨らんだ国の借金をさらに増やせるのか。
長谷部 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている「日本人の意識」調査を見ると、安倍政権時代の2013年と18年は9割以上が生活に満足していると答えている。選挙をやるたびに自民党が勝ったのも当然です。しかし、その「ツケ」がいま本格的に回ってきて、円安による物価高で国民の生活が痛めつけられている。今さら安倍政治に戻るなんてできるはずがないし、やってはいけない。国が潰れます。
加藤 安倍さんは岸信介の孫、安倍晋太郎の息子ということで、自民党内での「正統性」を無条件に担える。しかし高市さんにはそれがない。ないのに、安倍さんと同じように振る舞おうとするから危うい。最もまずいのは、彼女の言葉の定義が非常に狭く、射程も短いことです。たとえば、総裁選出後の記者会見で靖国神社参拝について問われた際、笑顔をつくって「靖国というのは戦没者慰霊の中心的な施設で、平和のお社だ」。平和のお社? それは高市さんの勝手な定義で、国際的にはまったく通用しません。アメリカは靖国ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑の方を正当な慰霊の場だと考えている。日中共同声明や日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか、外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね。これまでのようにアメリカ一辺倒では立ち行かなくなっている中で、日本はアジアと付き合っていかねばなりませんが、そのアジアの横っ面を張るようなひどい発言です。
杉田 総裁選の中で、排外主義的風潮をあおりかねない外国人政策が前面に出てきたことも見過ごせません。19世紀イギリスのウォルター・バジョットは、政治には「実務」と「威厳」の二つの機能があると整理しています。法律をつくって政策を動かす「実務」は当然やらなければいけない。しかしそれだけでは人民はついてこないから、「大英帝国はすごい」というところを見せて忠誠心を獲得し、国を統合していかなければならないと。ところがいま、世界的に実務がほとんど機能していない。移民という、まさにスケープゴートを仕立てて「威厳」を無理やり演出し、人びとを統合することしかできていません。日本においても「日本人ファースト」を掲げる参政党の伸長と、それに動揺して引きずられる自民党によって、外国人排斥的な流れが一気に加速しました。
加藤 高市さんを総裁に選んだことで、自民党は包括政党であることを諦めたと言えるのでは。党内外のコンセンサスを意識した経済的利益配分に留意し、「大きなテント」を張って幅広い考えの人たちを包摂してきましたが、ついにテントをたたみ、党内の一部の「無責任なポピュリズム」にくみした感があります。
長谷部 昨今の日本政治の特徴はニヒリズムだと思います。権力を握ることが自己目的化し、何のために権力を握るのかという目標や価値が蒸発してしまっている。先の参院選で議席を伸ばした小政党の党首は人気取りにはたけていますが、あるべき社会像を描けてはいない。ただ権力ゲームが面白くて、夢中になっている。しかも政党助成金という多額の「賞金」までついてくるのだから、これはもうやめられません。
杉田 衆参で自公が少数になったにもかかわらず、野党もメディアも自民党中心の発想からなかなか抜け出せなかったことが、日本政治停滞の大きな要因です。憲法や原発などの政策で完全に一致しなければ連立できないかのように言われていますが、世界を見渡せば、かなり考え方が違う政党が争点を限定して連立している。意見が異なる問題については基本的に現状維持とし、たとえば減税を中心的な課題として内閣をつくればいいだけです。これまでそうした発想がなく、今回、公明党が離れても野党の動きが鈍いのは、政党政治への理解が浅いからであり、もっと言えば、依然として自民党を過大評価しているからでしょう。
加藤 石破さんは10日、戦後80年の所感を出しました。戦争が避けられなかった理由を、国内の政治システムの不全から考察した声明です。国務大臣単独輔弼(ほひつ)制や統帥権独立等の制度的な穴を前提とし、その穴を補完し、「政策の統合」に任じたのが日露戦争までの元老であり、1930年代までの政党だったとの理解は、最良の学知の裏付けある解釈です。
しかし、政策の統合を図れるはずだった政党は、英米との軍縮、中国との戦争終結方針をめぐり、軍部の統御に失敗し続けました。その過程を、吉野作造、美濃部達吉、斎藤隆夫等、軍部批判者の名を挙げつつ裏面から書いた点に特徴がある。所感が一見、日本の対外的過誤に言及していないように見える理由はここでしょう。戦争を止められなかった理由を歴史から真摯(しんし)に学び続ける国民がいて初めて、平和国家の礎を築けると首相は述べました。日本の今後の針路を注視する世界に向けてのこの言明は、日本国民全体の利益と福祉にかなうものと思います。
杉田 石破さんが閣議決定を伴う戦後80年談話を出すのに反対した政治家たちは、何を守ろうとしたのか。彼らは安倍70年談話の「あの戦争には何ら関わりのない先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」を、もう謝らなくていい宣言だと捉えていて、80年談話でこれを上書きされたくなかったようです。ドイツの哲学者ヤスパースは、戦争の罪には四つあると言っている。①刑事的な罪――戦犯が負う。後の世代は関係ない②政治的な罪――国民全体が負う。後の世代も継承する③道徳的な罪――戦争への加担あるいは傍観といった個人の行為に対して良心がその行為を裁く④形而上(けいじじょう)的な罪――災厄を引き起こす人間という存在そのものが抱える罪。戦後40年にあたる1985年、西ドイツのワイツゼッカー大統領はこの整理を踏まえ、①は後の世代は負えないとしつつ、「罪の有無、幼老いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と罪を継承すると宣言した。ところが安倍談話は①だけをつまみ食いし、他の罪はないと言っているに等しい。今回、石破所感で、先の戦争に至る統治機構の不備という論点が出されたのは私も良かったと思いますが、安倍談話で無視されたままの、他の罪が気になります。
長谷部 ④を哲学者ハイデガーの言葉で言い換えると「負い目」です。それは否定のしようがない。なかったことにはできないし、それから解放されることもありません。「職業としての政治」を著したマックス・ウェーバーは、政治家は行為の結果に責任を負うという「責任倫理」を説いていますが、行為の結果が良かったか悪かったかの判断は結局、選挙に依拠するしかない。責任倫理を問われないためには選挙に勝って政権に居続けなければならないから、そのためなら公文書を改ざんするし、国会でうそをつく。安倍さん本人がどこまで指示したか知りませんが、そうやって安倍政治は維持されていました。自民党内にそのことへの反省はないし、企業献金も、旧統一教会の問題だって別に解決する必要はないじゃないかと、高市さんやその支援者はおそらく本気で思っている。ウェーバーが言う、悪い意味での職業政治家になってしまっています。
杉田 政治とは何かについては、大きく二つの考え方があり、一つはドイツの思想家カール・シュミットが述べたような、政治とは「戦争」であるという考え方です。最近は、世界にこのような政治観が蔓延(まんえん)しています。トランプ大統領はその典型で、政敵はもちろん、大学と闘い、さらには立憲主義を否定して裁判官とさえ闘う。外国人は皆、潜在的な敵として扱う。日本でも、その亜流のような政治家たちが人気を集めています。しかし、政治についてはもう一つ、多様な考え方を前提に、話し合いを通じて何とか合意して妥協するという考え方もあります。本来の保守とはそういうものだという考え方もありますが、石破さんを含めて、今はファイティングポーズをとらないと人気がないようです。
加藤 ファイティングポーズを取ること自体を否定はしませんが、立憲主義は守ってもらうことが最低条件です。立憲主義を破壊しておいて将来のビションを語ってもらっても何もなりませんから。
長谷部 政治とは可能性の芸術などと言われますが、現在の党派の枠を超えた想像力や構想力を取り戻し、停滞する日本政治を抜け出す方途を探るべきです。法の支配を守り、事実は事実として認めるといったミニマムな規律をもちろん維持した上でのことではありますが、単に税制や社会保障負担をいじるといったことを超えた、日本社会の大きな展望をやはり描いてもらわないと。
杉田 今後のことは予断を許しませんが、もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能な経済政策に加えて、この間の産業や学術の軍事化の流れが一層強まる心配があります。高市さんは「スパイ防止法」への意欲も繰り返し語っていますが、こうした法律がいったんできれば、報道機関や海外とつながりのある団体が根拠なくスパイ扱いされ、人権状況が悪化しうる。「戦争」としての政治観に一気にかじを切ることになりかねません。 Permalink | 記事への反応(2) | 08:48