私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ハイチは我々にとって何か?(4)

2010-03-10 10:08:19 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 1915年から1934年まで約20年間続いたアメリカによるハイチの占領の後に残されたのは、外国(アメリカ)人がハイチの土地を取得することが出来るように書きかえた憲法(フランクリン・ルーズベルトの筆による)、侵入外国資本に奉仕するハイチ人富裕支配階級、その権力構造を維持する軍隊警察組織でした。大多数の国民は、惨めな貧困と安い労働力の提供を強いられます。当然、大衆の不満は国内に充満しますが、やがて、米ロ対立の冷戦時代が到来すると、貧困大衆の声を政治に反映させようと試みる人たちを一括して共産主義者として容赦なく弾圧する、米国迎合の政府が米国によって支持されます。それを最も端的に代表したのが、医師出身(ドクター)のフランソワ・デュヴァリエとその息子ジャン=クロード・デュヴァリエによる、1956年から1986年まで続いた極端な暴政です。パパ・ドック、ベベ(ベイビイ)・ドックと呼ばれた父子2代の余りにも無茶苦茶な行動に遂にしびれを切らしたレーガン政府が20年にわたる独裁政権を見限り、1986年2月7日、ベベ・ドックは米空軍機に乗ってフランスに亡命させられたのでした。デュヴァリエ父子が支配した20年間のハイチの歴史を上の数行で括るわけには行きません。本気でハイチの事を気にする方は是非ネット上や単行本でお調べ下さるよう、お願いします。
 さて、いよいよ問題の人物ジャン=ベルトラン・アリスティドの登場です。アリスティドは1953年生まれ、ハイチの国立大学大学院で心理学や哲学を修めた後、ポルトープランスのカトリック小教会の司祭となり、貧民の救済をキリスト教の使命として前面に掲げる、いわゆる、「解放神学(liberation theology)」の信奉者として、デュヴァリエ政権を批判する発言を始めますが、その激しさに辟易したカトリック教会組織から破門にされてしまいます。アリスティドは政治に身を投じ、1990年の選挙で、デュヴァリエ追放後、米国がハイチに押し付けた傀儡政治家たちを打ち負かし、67%の票を獲得して大統領に選出されました。この選挙は、一般に公正なものと看做され、彼はハイチの歴史上、最初の「民主的に選出された大統領」になったのです。当時、彼が用いた有名な喩えがあります。:
■ 私の国の人口のほんの僅かなパーセントを占める金持ちたちは、ダマスク織の白い絹布のテーブルクロスを掛けた広い大きな食卓について、溢れるような御馳走を楽しんでいるが、残りの同胞は、男も女も、その食卓の下にぎゅうぎゅう詰めに押し込められて、塵の中にうずくまり、飢えている。これは全くひどい状況であり、いつの日か、必ず、食卓の下の人々は正義に燃えて立ち上がり、特権者の食卓をひっくり返して、当然の権利として彼等に属するものを手に入れるだろう。彼等が立ち上がり、人間として生きるのを助けることこそ私たちの使命である。■(アリスティド著『貧民の教区にて』、p9,1990年)
こんな事を公言する人物が大統領になったのですから、国内の富裕支配層と、それに密着する米国がそのまま放っておく筈はありませんでした。
 1991年9月25日、アリスティド大統領はニューヨークの国連本部で、「民主主義の十の戒律」と題する講演を行いました。その中で、アリスティドは、先ず、アメリカ独立宣言の「生命、自由、幸福の追求」の三つの基本的人権を挙げ、食べる権利、働く権利、更に、貧困大衆が当然彼等に属するものを要求する権利を加えました。この講演からハイチに帰った途端に、アリスティド大統領はその地位を追われました。1991年9月29日、軍部によるクーデターによって、アリスティド大統領は国外に追放され、はじめベネズエラに、続いて、おかしな事に米国に亡命先を見出します。
 このクーデターの背後にブッシュ(父)政権(1989年-1993年)があったことは確かですが、次のクリントン政権(1993年-2001年)は、民主的に選出されたアリスティド大統領を、見かけの上では、支持するような欺瞞的態度をとり、1994年9月19日、アメリカ軍はハイチに侵攻占領し、10月15日、アリスティドはハイチに帰還して、大統領の座に戻りましたが、彼の大統領の任期はすぐに切れてしまいました。憲法によって二期続けての大統領は禁じられていたのです。これもアメリカは計算に入れていたと思われます。野に下ったアリスティドは Fanmi Lavalas という名の政党を立ち上げて巻き返しを試み、2000年11月26日、圧倒的得票数で再び大統領に選出されました。党名はクレオール語ですが、fanmi はファミリー、lavalas は洪水、または、奔流を意味するようです。名もない貧民たちが立ち上がる時の、洪水のような、洪水の奔流のような力の表現だと思われます。明けて2001年2月7日、アリスティドの2度目の大統領就任式が行なわれましたが、アメリカでは、1月20日、大統領がクリントンからブッシュ(息子)に代り、ブッシュ政権に後押しされた反アリスティド勢力は、ハイチ国内のみならず、隣国のドミニコ共和国内にも拠点を作って、アリスティド政権の攪乱、打倒を目指して醜い活動を始めました。その擾乱のただ中の2003年4月、アリスティド大統領は過去にフランスに支払った例の“賠償金”の、利子を込めた払い戻しをフランス要求するという、例え、理にはかなっていても、現実的には、無謀な挑発的行為に出て、その騒ぎの中の2004年1月1日、ハイチはフランスからの独立200年の記念日の祝祭を行ないました。その後、アリスティド大統領に対する武力反乱が大規模に発生し、2004年2月29日、アリスティド大統領は夫人とともに強制的に米国空軍機に乗せられ、中部アフリカ共和国に送られてしまいました。その直ぐ後の2004年3月、米国軍がハイチを占領します。1915年、1994年に続いて、3度目です。米軍は、ジェラール・ラトルチュを首相とする傀儡政権をつくり、2004年6月、国連軍に占領を譲って引き上げました。MINUSTAH (Mission des Nations Unies pour la Stabilizaton en Haïti, UN Stabilization Mission in Haiti ) と略称される国連ハイチ安定化特任部隊は、ブラジルからの出兵を主力とする約1万人の軍事勢力で、今度の2010年1月12日にハイチを襲った大地震の際には、積極的に救援活動に参加しなかったことで、ひどく目立ちました。
 この不可解さは、MINUSTAH という国連軍の「安定化」の任務が、具体的には、何を意味するかを理解すれば、たちまち氷解します。アリスティドのFanmi Lavalas に加わって政治的に目覚めた貧困層不穏分子は、すでに千人のオーダーで殺され、数千人のオーダーで投獄されていました。ここで、出来れば、2月3日のブログ『ハイチは我々にとって何か?(1)』の冒頭、特に、ポルトープランス発の共同通信による新聞記事からの引用を読み返して頂ければ幸いです。ここに報じられている5千人の脱獄囚の「ならず者」の中には、洪水を起こしかねない政治犯、思想犯が数多く含まれていたであろうと、私は想像します。脱獄した彼等が起こしかねない洪水の奔流をダムでせき止めることこそが、国連軍MINUSTAH の任務であったのであり、大地震の災害に苦しむ大衆の救援ではなかったのです。
 2004年2月29日にジャン=ベルトラン・アリスティドと夫人を乗せた米国空軍機の行き先は中部アフリカ共和国、フランスの旧植民地で、フランスが事実上支配している軍部独裁政権の下にありました。当時のアメリカ政府は、「身の危険を感じたアリスティド大統領から頼まれたのだ」と言い張っていましたが、アリスティドとフランスの関係を考えると、全く珍妙な亡命先の選択でした。アリスティド夫妻は、3月15日にはジャマイカに移され、そこに5月末まで滞在し、そこから又、南アフリカに飛び、その首都プレトリアに亡命者として落ち着き、今日に到っています。今度の大地震の後、アリスティドは「帰国して祖国ハイチのために役立ちたい。政治家としてではなく、一人の教育者として」と希望を表明し、ハイチでも、アリスティドの帰国を求めるデモが行なわれましたが、彼の帰国は未だに実現しません。アメリカ政府は、アリスティドの帰国によって、ハイチの政情が「不安定化」するのを懸念しています。
 貧民教区の小教会の司祭であったジャン=ベルトラン・アリスティドが、当時のデュヴァリエ政権の暴政に反抗して立ち上がった1980年代から2010年の現在まで、彼の身辺で、そしてハイチで、何が起ったか、その真実を確認することは至難の業と思われます。まず、この二十数年の年月の間に、彼の存在をめぐって起った事件がすごく多数にのぼるということがあります。表面的な事実の数々を、経時的にたどるだけでも大変です。つぎに、ハイチ国内の反アリスティド勢力とそれを支持するアメリカ政府、それに寄り添うマス・メディアが、嘘をつくことです。アリスティド支持派も、対抗手段として、嘘をつき、誇張をしていることでしょう。
 しかし、真実を探り出す手だてが無いわけではありません。ハイチに「嘘は浅くしか潜れない」という諺があるそうです。時が経てば、水面に浮上してきます。2004年のアリスティド大統領の中部アフリカ共和国への拉致追放を、時の国務長官コリン・パウエルは、「アリスティドの方から頼んで来た」と言いましたが、それが真っ赤な嘘だったことは、今では、明らかになっています。「イラクには大量破壊兵器がある」と証言したのもパウエルでした。1969年3月16日、ベトナムのソンミで起った、いわゆる、ミライ大虐殺で、米軍は、ほとんど老人、女性、子供ばかりの347人の村民を殺しましたが、始めは、ベトコン戦闘員128人を倒したと言い張っていました。当時、陸軍少佐としてベトナムで従軍していたパウエルもこの嘘を公言していました。彼はもともと嘘つき男なのでしょう。
 2008年6月25日のブログ『オバマ氏の正体見たり(1)』で、ハイチ関係の良著5冊を挙げました。この5冊は、今のシリーズの初回『ハイチは我々にとって何か?(1)』にも出しましたので、恐縮なのですが、また次に列挙します:
*C. L. R. James : The Black Jacobins (1963, 1989)
*Laurent Dubois : Avengers of the New World (2004)
*Paul Farmer : The Uses of Haiti (1994, 2006)
*Peter Hallward : Damming the Flood (2007)
*Eiko Owada : Faulkner, Haiti, and Questions of Imperialism (2002, Sairyusha)
実は、2008年6月の時点で読んでいたハイチ関係の本で、大いに気になっていた本がもう一冊ありました。それは、
* Alex Dupuy : The Prophet and Power (2007)
です。著者はハイチ出身で、今はアメリカのウェスリアン大学の社会学教授、ハイチ問題の権威者の一人とされているようです。この本の主張は「ジャン=ベルトラン・アリスティドは、初回にキリスト教司祭から身を起こして、民主的選挙で大勝して大統領となった時には、貧困大衆を救う熱意に燃えていたが、軍のクーデターでその地位を追われ、アメリカの力で又大統領に戻った後は、その地位を保つためには、デュヴァリエ父子と同じように、あらゆる暴力をふるう権力亡者に成り果てた。」というものです。『預言者と権力』というタイトルはそれを表しています。はじめから、何とはなしに、アリスティドという人物に好意を持っていた私は、デュピュイの本の主張は間違っているのでは・・・、と思ったのですが、その筆致はしっかりとしていて、反アリスティド派とブッシュ政権の代弁者の宣伝的著作とは考えられず、これまで思い悩んでいた次第です。しかし、それから2年の間に、上掲のピーター・ホールウォードの著書にあるデュピュイの本の主張に対する反論や、この2冊の本についての書評を幾つか読むにつれて、デュピュイの見解は正しくないと思うようになった次第です。ですから、大震災のあとの現在、私が信を置いているのは、ピーター・ホールウォードとポール・ファーマーの方です。
 しかし、アリスティドという一個人が、権力の味を覚えてから、堕落腐敗したかどうかは、ある意味では、大した問題ではありません。この200年間、ハイチという国が外部世界から、とりわけ、アメリカやフランスなどから受けてきた言語道断の取り扱いの方が、はるかに大きな問題です。世界中でもっとも苦しみに満ちていると言っても誇張ではないハイチという国を大地震が襲ったことに、私は、如何なる意味でも“神の意”を読むことを拒否します。これほど残酷なジョークはありえません。しかし、ハイチの大地震の故に、コロニアリズムの醜悪さが容赦なく白日の下にさらされました。アメリカ合州国によるハイチの軍事的占領は今回が四度目ですが、その本質が、私たちの目の前で、露呈しました。それから、私たちは何を読み取るべきか、次回(5)と最終回(6)で考えてみたいと思います。

藤永 茂 (2010年3月10日)



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読ませていただきました。 (kenshin)
2010-03-11 09:18:59
読ませていただきました。
ありがとうございます。
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やはりと言うか完全にちょっともやもやしていたこ... (佐々木恭治)
2010-03-11 22:26:07
やはりと言うか完全にちょっともやもやしていたことが氷解しました。先生の今回のブログのおかげです。
なんで国連職員がハイチみたいなところに数百人もうろちょろしていたかがです。
どうせアメリカのろくでもない仕業で派遣されたのでないかとは想っていましたが。国連職員の災難はまあ自業自得で藩総長が上っ面なハイチへのお悔やみ訪問など屁の突っ張りにもならないでしょう。
実態がクリアーになりましたのでハイチの救援はアメリカとフランスにやってもらいましょう。
日本は何もおおげさな援助することはありません。
最低限ね食糧援助くらいでよかったのに大型輸送機までロシアからチャーターして大型建設機械まで自衛隊付きで送り込むなどふざけています。
金もない国のやることでしょうか。
それにつけても本当に米欧諸国はならず者国家ばかりですね。
先生のこの論評で改めて、最大のテロ国家はアメリカであったことがまたまた証明されたようなものです。
佐々木恭治
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