私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

HARRY COLLINS のゴーレムとフクロウ

2021-07-08 18:12:20 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 私の二つのブログの両方とも読んで下さっている「山椒魚」さんから次のような重いコメントを頂きました:

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 è‡ªç„¶æ³•å‰‡ã®å¿…然性に関連して(山椒魚)

2021-07-02 20:12:32

先生はトーマスクーンの「ヒュームの問題」のところで,自然法則は必然性の下にあると述べていられ,物理学の発展の過程も必然的あるというように述べられていたように思います。今,世間はSRAS-COV19の問題で大変になっていますが(?)
 この感染症に対するワクチンが遺伝子操作によって作成され使用されています。このように生命科学が人類の遺伝子を自由に操作できるようになった過程も必然的であるとしたら,この先新たな生命を科学が産生できるようになるとしたらどのような社会が訪れるのだろうかとおもいます。
 「必然性」ということについても,物理学の発展の過程は必然的であったとして,人間社会の社会制度のあり方はどう考えたらよいのでしょうか。文明社会はその発展帰結として,どのようなところに収斂してゆくのか,それは必然的なのか。
 人間同士が殺戮を重ねているこの状態は,必然的で変えることはできないのか,いつも考えていますが

*********(コメント終わり)

じっくり考えてお答えしたいと思っていますが、実は、このコメントを頂いた私の前回の記事「君はトーマス・クーンを知っているか」の主題の唐木田健一さんの英語論文もこの問題と大いに関わりがあるのです。 トーマス・クーンの強い影響のもとで「科学知識の社会学」(SSK, sociology of scientific knowledge) と名付けられた分野が英国を中心に出現して、科学論に一騒ぎが持ち上がり、日本でも結構流行しました。米国ではハリー・コリンズの著書が大いに話題になりました。この人の著書の和訳としては『解放されたゴーレム』(ちくま学芸文庫、2020)がありますが、これは H. コリンズ、T. ピンチ共著『The Golem at Large: What You Should Know about Technology』(1998年)の翻訳です。ウィキペディアには「ゴーレムはユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。ゴーレムとはヘブライ語で胎児を意味する」とあります。私がカナダで読んだのはこの本の前身のただ『ゴーレム』というタイトルの本だったように思いまが、原本が手元にないのであやふやです。ゴーレムに例えられたのは、テクノロジーよりも、自然科学そのもので、ゴーレム、つまり、自然科学は力持ちの泥人形のようなもので、性質は悪くはないのだが、不器用で気が利かないので危険だから用心して扱わなければならないという話になっていました。分かりやすい例えなので一般向きの面白さはありましたが、ナンセンスな主張もなされていて、物理学者たちからの手厳しい批判をアメリカ物理学会の雑誌『PHYSICS TODAY』で読んだことを記憶しています。

  HARRY COLLINSはなかなか多弁な人で、読んで面白い多数の著書を出版していますが、最近(2017年)『WHY DEMOCRACIES NEED SCIENCE』と題する本を出版しました。その表紙にはゴーレムではなく、一羽のフクロウが描かれています。なぜフクロウか? フクロウは首を捻って180度違う方向を見ることができるという点がポイントなのです。

 日本で「科学知識の社会学」が大流行の頃、有力な一哲学者が「これまでは社会科学の自然科学化が主流だったが、これからは自然科学の社会科学化の時代だ」という意味の発言をしていました。これが180度の方向転換ということです。フクロウの頭の捻りの大きな角度です。この例えは、ゴーレムの例えと同じく、面白すぎます。社会学者も自然科学者も、フクロウのように、社会科学にも自然科学にも言い分の正しいところがある事を認めて生きて行こうという妥協提案です。

 かつて物理学者リチャード・ファインマンはクーン流の科学哲学に対して皮肉たっぷりの発言をしたことがあります:

「Philosophy of science is about as useful to scientists as ornithology to birds.(科学者たちにとって科学哲学の有用さは、鳥たちにとっての鳥類学の有用さとまあ同じようなものだ)」

これに対して、近著でのコリンズは、ファインマンのいうことは「新科学哲学」だけではなく「科学知識の社会学」についても正しい事を進んで認めます。しかし、ここでも、自然科学者がどのようにして実際の仕事をするかを、コリンズが未だよく理解していないことが露呈しているように私には思われます。自然科学者は、いわゆる、暗黙知(the tacit knowledge)に従って仕事をしている、とコリンズは云います。「暗黙知」という考えは日本でもよく知られていると思いますが、この創始者はマイケル・ポランニーです。前回のこのブログに登場した唐木田健一さんはマイケル・ポランニーについても深い考察を展開しています。ポランニの主著『個人的知識』(長尾史郎訳)は難解な書物で、私も読みこなせたとはとても言えませんが、コリンズさんは、クーンとポランニーを一括りにしている所から見て、ポランニーについての理解が、私よりなお不十分だと思われます。話が細かになり過ぎたので、打ち止めにしますが、私見として、英語圏の新科学哲学者や「科学知識の社会学」者は、マイケル・ポランニーや、もう一人の知的巨人チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)の業績をもっともっと真剣に研究すべきでしょう。

 ところで、コリンズの『WHY DEMOCRACIES NEED SCIENCE』にもっとも大きな興味を私が持つ点は、本書がSSK学者としてのコリンズの転向声明になっている事です。トーマス・クーンの悪影響を受け過ぎた学者たちに、コリンズの驥尾に付して、しかるべき転向声明を行なってくれるように私は希望します。過去に犯した誤りをはっきりと確認し、意識する、これが学問というものでしょう。唐木田さんが今の時点で「理論変化」についての英文論文を発表されたことも、米欧のこの学問領域での自己批判の不足と関係があります。また、私が山椒魚さんのコメントにしっかりとお答えしようとしていることにも関係があります。しばらくお待ち下さい。

 

藤永茂(2021年7月8日)


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