私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

良く生きる(VIVIR BIEN)(序)

2014-08-06 22:15:32 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 ボリビアは南米大陸の中西部の内陸にあり、人口約一千万、先住民がその約半分、白人との混血を加えると約8割を占めます。1500年代前半からスペインによるこの地域の植民地化が進められ、大きな銀山が発見されて莫大な富がスペインにもたらされました。1700年代の後半には、スペイン本国の苛烈な支配に対して現地生れのスペイン人たちの独立運動が始まります。1825年8月、ラテンアメリカ独立の父と仰がれるシモン・ボリーバルの名を冠した「ボリーバル共和国」の独立が宣言され、その翌年には憲法をボリーバル自身が起草し、国の名称も「ボリビア共和国」になりました。2009年に新しい憲法が出来て、現在の公式名称は「ボリビア多民族国(Estado Plurinacional de Bolivia, Plurinational State of Bolivia)」です。神代修著の『シモン・ボリーバル』(行路社、2001年)の帯には「愛馬を駆って南米大陸を駈けぬけた男、軍人にして政治家、思想家にしてラテンアメリカの解放者、ボリーバルの日本における初の評伝」とあります。この本には、世界中で一番多くの銅像が建てられているのは、ナポレオンでもワシントンでもレーニンでもなく、ボリーバルであろうと書いてあります。彼はベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアの五カ国のスペインからの独立をなしとげた人物で、米国では「ラテンアメリカのワシントン」と呼ばれるようですが、革命家としてはジョージ・ワシントンより遥かに上の人物でした。最近(2013年)米国のSIMON&SCHUSTER社からMARIE ARANAという著者による浩瀚な評伝(600頁)が出て好評のようで、決定的な評伝と持ち上げる声も大きいのですが、ざっと目を通した感じでは、私にはそう思えません。スペインの支配が衰退した後のラテンアメリカを、やがて、傀儡政権樹立という手段で残酷に牛耳り続けて来た米国の政策を基本的に是認する文筆家としての限界が明らかに読み取れます。ボリビアについては、もう一人の革命家チェ・ゲバラを忘れることは出来ません。彼は、1967年、ボリビアで捕われ、銃殺刑に処せられました。真正の独立国家を目指すボリビアの闘争の歴史はその後も延々と続いているのです。2000年2月に起った「ボリビアのコチャバンバの水騒動」については、この私のブログでも以前取り上げましたが、2012年3月14日付けの『民営化(Privatization)』(1)の一部を再録します。:
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 1999年、財政困難に落ち入っていたボリビア政府は世界銀行から融資をうける条件の一つとして公営の水道事業の私営化を押し付けられます。ビル・クリントン大統領も民営化を強く求めました。その結果の一つがボリビア第3の都市コチャバンバの水道事業のベクテル社による乗っ取りでした。民営化入札は行われたのですが入札はAguas del Tunariという名のベクテル社の手先会社一社だけでした。ボリビア政府から40年間のコチャバンバの上下水道事業を引き取ったベクテル社は直ちに大幅な水道料金の値上げを実行し、もともと収益の上がらない貧民地区や遠隔市街地へのサービスのカットを始めました。値上げのために料金を払えなくなった住民へはもちろん断水です。
 2000年2月はじめ、労働組合指導者Oscar Oliveraなどが先頭にたって,数千人の市民の抗議集会が市の広場で平和裡に始まりましたが、ベクテル社の要請を受けた警察機動隊が集会者に襲いかかり、2百人ほどが負傷し、2名が催涙ガスで盲目になりました。この騒ぎをきっかけに抗議デモの規模は爆発的に大きくなりコチャバンバだけではなくボリビア全体に広がり、ボリビア政府は国軍を出動させて紛争の鎮圧に努めますが、4月に入って17歳の少年が国軍将校によって射殺され、他にも数人の死者が出ました。紛争はますます激しさを増し、2001年8月には大統領Hugo Banzerは病気を理由に辞職し、その後、政府は水道事業の民営化(Privatization)を規定した法律の破棄を余儀なくされました。事の成り行きに流石のベクテル社も撤退を強いられることになりましたが、もちろん、ただでは引き下がりません。契約違反だとして多額の賠償金の支払いを貧しい小国ボリビアに求めました。
 このコチャバンバの水闘争が2005年の大統領選挙での、反米、反世界銀行、反民営化、反グローバリゼーションの先住民エボ・モラレスの当選とつながっているのは明らかです。モラレスはコチャバンバ地方を拠点とする農民運動の指導者でした。
 水道事業の私営化についてのベクテル社の魔手はフィリッピンやインドやアフリカ諸国にも及び、ベクテル社は今や世界一の水道事業(もっと一般に水商売と言った方が適切ですが)請負会社です。ローカルな反対運動は各地で起きていますが、今までの所それが成功したのはコチャバンバだけのようです。水資源の争奪は、人類に取って、今までの石油資源の争奪戦争を継ぐものになると思われます。石油事業におけるベクテル社の活動の歴史については是非 ネットでお調べ下さい。アメリカの兵器産業といえば、質量ともに世界ダントツです。その最高の研究施設であるロスアラモスもリヴァモアも今や実質的にベクテル社の支配下にあります。
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 今のラテンアメリカで最も面白い人物エバ・モラレスのことは、拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』(2010年)に既に書きました。その文章の一部は、このブログの記事『オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演』(2010年1月6日)にも転載しましたが、彼の事をご存じない方々の便宜のため、以下に、再転載します。世界中のいわゆる“先住民”のことが気になる、そして、彼らの持つ一種の精神的特性がどうしても気になる私にとって、エバ・モラレスは、とりわけ、気になる存在です。
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 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞については、もちろん、受賞が発表された直後から、世界中でしきりに議論がわき起こった。2009年10月15日の日付で、キューバのフィデル・カストロは『エボにノーベル賞を(A Nobel Prize for Evo)』と題する一文を彼の論説シリーズ「フィデルの省察録」(米国月刊雑誌「マンスリー・レヴュー」に連載)に発表し、彼の友人エボ・モラレスこそノーベル平和賞受賞にふさわしいと論じている。
 エボ・モラレスが大統領を務めるボリビア共和国は南アメリカの内陸国で開発水準は低い。人口の約60%は先住民(インディオ)、それに先住民と他の民族との混血者を加えると90%近くになる。エボ・モラレスはアイマラ・インディオ、農民運動の指導者として政界に登場、2005年に大統領になり、2007年には日本を訪れている。親しい友人としてのフィデル・カストロは次のように語る。:
■ 極貧の先住民百姓エボ・モラレスは、6歳になる前から、先住民のラマ(南米産のラクダ科動物)の世話をするために、父にしたがってアンデスの山々をほっつき歩いた。彼はラマたちを連れて15日間歩き続け、市場に辿り着いて彼等を売り、のために食料を買った。そうした経験についての私の質問に答えて、エボは「わたしは千のスターのホテルで夜を過ごしたものさ」と言った。天体望遠鏡の設置場所となることもあるアンデスの山々の澄み切った夜空の、なんと美しい描写であろう。
そうした彼の貧困の少年時代で、での百姓暮らしの唯一の代替は、アルゼンチンのジュジュイ州に出かけてサトウキビを伐採する仕事に出稼ぎすることだった。その場所、ラ・ヒゲラから遠からぬ場所で、1967年10月9日、無武装のチェ・ゲバラが殺害されたが、エボはまだ8歳にもなっていなかった。彼は両親と子供たちが住んでいた一室だけの掘建て小屋から5キロの距離にあった小さな公立小学校に歩いて通い、スペイン語の読み書きを習ったのだった。
彼の運任せの少年時代を通して、エボは師と仰ぐべき人があれば何処であろうと出かけたものだ。彼の種族からは、三つの道徳原理を学んだ:嘘をつくな、盗むな、泣き虫になるな。
13歳の時、彼の父親は、シニア・ハイスクールで勉強するためにエボがサン・ペドロ・デ・オルロに移り住むことを許した。これはとても重要なことだが、学費を払うために、エボは午前2時に起きて、パン屋でパンを焼き、建設現場で働き、その他、肉体労働は何でもした。学校は午後出席した。彼の級友たちは心を打たれて、彼を何かと助けた。小さい頃から、あれこれの笛を吹くことを覚え、オルロで名の知れたバンドのトランペット奏者をつとめたことさえあった。また、10代の若者として、のサッカー・チームを結成し、そのキャプテンだったこともある。しかし、大学進学は貧乏なアイマラ・インディオの望めることを越えていた。■
カストロは、さらに、社会運動指導者としてのエボ・モラレスの成長を辿るのだが、その部分は省略して、2005年に大統領に就任した彼の驚くべき業績について語った部分に移る。:
■ ボリビアは、一人のアイマヤ族の大統領の指導のもとで、アイマヤ族の人々に支えられて、素晴らしいプログラムを促進している。文盲は3年足らずで克服された。82万4千人のボリビア人が読み書きの能力を身につけた。ボリビアは(ラテン・アメリカで)キューバとベネゼラにつづいて、文盲者を根絶した三番目の国となった。ボリビアは、無料医療を、以前にはそんなものを経験したことのなかった数百万の国民にもたらしている。ボリビアは、過去5年間で、幼児死亡率の最大の低下を示した世界の7カ国の一つであり、45万4千人に眼科手術を行なった。その7万6千人は、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、パラグアイの人々である。ボリビアは、一年生から8年生までの生徒の学校関係費用を支払うという野心的な社会的プログラムを開始した。約2百万の生徒たちがその恩恵を受ける。また、60歳以上の70万人以上の人々は年342(米)ドル相当の手当を受け取る。すべての妊婦と2歳以下の子供には257ドル相当の手当が支給される。・・・・・2009年12月6日には総選挙がある。この大統領に対する国民の支持が増大するのは確実だ。彼の威信と人気の増大を止めるものは何もない。■
フィデル・カストロのこの予言は、12月6日、見事に実証された。エボ・モラレスは、OAS(米州機構)やEU (ヨーロッパ連合)などが送った選挙監視人たちも賞賛する完全に公正で平和な総選挙で、約65%の得票で圧勝して、大統領に再選された(2010年-2015年)。たしかに、このアイマラ・インディオの男はノーベル平和賞に値する人物の一人のようだ。
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 先々月、2014年6月14日と15日の2日、ボリビア多民族国のサンタ・クルスでG77(ジーセブンティセブン、77カ国グループ)のサミット会議が、ボリビア大統領エボ・モラレスの主宰のもとで行なわれました。「G7とかG8とかG20なら知っているけど、G77って何?」しかも、今年のG77会議はこのグループが結成されてから50周年の記念の集会なのだそうです。私は何も知りませんでした。G77は、1964年6月15日、ジュネーブでの国連の会合を機に、77の発展途上国が貿易経済の発展のため相互協力を目指して結成され、共同声明を発したことに始まりました。現在ではメンバー国は133に増加しましたが、象徴的にG77の呼び名を保存しています。今年の集会には中国が加わり、将来ロシアの参加の可能性もあります。今年の50周年記念サミットのタイトルは『良く生きるための新しい世界秩序に向けて(<スペイン語>HACIA UN NUEVO ORDEN MUNDIAL PARA VIVIR BIEN, <英語>TOWARDS A NEW WORLD ORDER FOR LIVING WELL)』、この些か妙なタイトルにも私は強く興味を刺激されました。“良く生きる(VIVIR BIEN)”とは一体何を意味するのか? この表現、あるいは標語が、今回の2014年G77サミットのために思いつかれたキャッチフレーズではなく、先住民の生活姿勢に深く根付いた思想として、モラレスが5年程も前から積極的に高唱していることを知って、私の興味は一層ふくれ上がりました。
 会議第一日(6月14日)の夕刻8時からモラレスの公式演説が行なわれ、15日には242の項目を含む宣言が採択されました。次回から、その演説と宣言の内容をかなり詳しく見て行くことにします。

藤永 茂 (2014年8月6日、広島原爆の日)



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長く更新なさっていなかったので、この更新を読ま... (若輩者)
2014-08-08 10:42:10
長く更新なさっていなかったので、この更新を読ませていただいて安堵いたしました。原爆、原発の問題を考えるとおちおちこの喜びにもひたれませんが…。私はアメリカ文学を志す若輩者で、先生のご著書、このブログには蒙を啓かれること大で愛読させていただいています。今回は、先生にぜひお聞きしたいことがあり筆を執りました。

先生は帝国主義に見られるような異常な残虐性や収奪への盲目の欲望を「ヨーロッパの心」と述べていらっしゃいますが、「アメリカ・インディアン悲史」で先生ご自身が示唆されたように、アイヌや沖縄に対する日本の本州の人間のこれまでの振る舞いを考えると、こうした収奪への欲望はヨーロッパに限ったことではないとも思えます。「帝国主義的なるもの」ははたして「ヨーロッパ的なるもの」だけなのでしょうか。そうでないとするなら、「帝国主義的なるもの」はどこにその根を持っているのでしょうか。先生は今この問題についてどうお考えでしょうか。“良く生きる(VIVIR BIEN)”とは正反対の内容の質問をしてしまい申し訳ありません。今年も酷暑ですが、くれぐれもお体を大事になさってください。先生がますますご健筆をふるわれることを心から願っています。乱文失礼いたしました。
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各人が本来持つ諸権利を明確に謳った世界人権宣言... (おにうちぎ)
2014-08-14 09:07:44
各人が本来持つ諸権利を明確に謳った世界人権宣言は、うち続くあまりに悲惨な歴史を深く省みての所産に違いありません。自由と平等、基本的人権とその実現のための政治的経済的社会的条件としての権利を掲げています。
それらの基本的な権利を国民の手に取り返すことが、キューバ革命以来の中南米の活動家たちの目標でした。合州国とそれぞれの国の傀儡支配層からの桎梏を離れて、まともな憲法とまともな政策を追求しつつあります。現代におけるその代表的な国がベネズエラであり、ボリビアということになります。ほかにもいわゆる反米的施策を行っている国は幾つもありますが、すこしふらついているかの印象を受けます。政治リーダーが信念として国民の安心と安全と福祉を目指して、機会あるごとに演説してアッピールし、国を運営している姿には、人を鼓舞するものがあります。
いわゆる先進国のリーダーたちにはそうした覇気は見当たりません。日本はその中でも基本的な路線自体がずれきっているようです。
G77の活動が成果を結ぶことを願っています。
歴史の現実は厳しくて、過去、主に冷戦期に第三世界と名乗っていたゆるい連合が何度か世界的な会合をし宣言を発していましたが、あまり成果を上げずに解体してゆきました。多くの魅力的なリーダーがいましたが、倒れて行きました。
合州国が途方もない武力と資本力以外の点では日々壊れつつあり弱体化している中で、それを暴発させないで、G77のような連合が上手にリーダーシップを発揮できたならば世界の悲惨の総量は大きく減るはず。どうかそうあってほしいものです。
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ご無沙汰しております。 (海坊主)
2014-08-23 23:25:22
ご無沙汰しております。
コチャバンバの水紛争のケースは多国籍企業、すなわち外圧に対して民衆が勝利を獲得した事例の中でも印象深いものです。でも、ある一つの勝利が次の敗北の始まりとなってしまうことはこれまで歴史が幾度となく証明してきたことでもあります。故マンデラ氏に対する藤永先生の御論考に対してコメントさせていただいたように、人種隔離政策との戦いの裏に隠れされていた経済格差是正の闘いにマンデラ氏率いるANCは見事に敗北しました。(欧米をバックに従えた)南アフリカの白人指導者層の巧みな戦略的勝利であったとも言えると思います。

若輩者様の「帝国主義的なるものははたしてヨーロッパ的なるものだけか」につきましては、ご自身が既にお気づきのように「そうではない」、というのが答えでしょう。「ヨーロッパ的なるもの」とはいわゆる「白人の重荷」のことを差していると了解します。キリスト教化され文明的に進歩した(と自負する)ヨーロッパには未だ目覚めていない世界を啓蒙する義務があり、その指導者としての責務を果たせねばならない、という傲慢で偏見に満ちた思想です。そこには他者に対する寛容さと敬意が欠けています。

「帝国主義的なるもの」の根底に流れているものは何でしょう。他者に対する優越性を正当化しようとする差別的思想ではないでしょうか。日本が「八紘一宇」「五族共和」を声高に主張して成立を目指した大東和共栄圏は大和民族がその指導的地位に居ることが大前提でした。家父長的社会が成熟していた日本にこの思想はさぞ馴染みの深いものだったでしょう。中国の冊封体制を支えた中華思想が周辺国を東夷、西戎、南蛮、北狄と称し蔑視したことも歴史から学べることです。
そして、大事な事だと私は考えているのですが「帝国主義的なるもの」はその帝国内においても差別を許容する傾向があるようです。帝国内部において差別を容認し弱者を周縁部へ追いやる、という構図は決してヨーロッパ的なものではなく、世界のあらゆる地域、時代において認められる共通した形態ではないか、というのが私の見解です。

乱文失礼しました。割り込んで勝手にコメントさせていただいたことご容赦下さい。
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