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城下町の情緒あふれる町並みづくり構想

kage

2004/06/30 (Wed)

 本日書込みの「凡人」氏の意見に賛成する。米沢市を訪れた観光客の多くは米沢市を「上杉の城下町」としての風情に期待してくるものだ。
が、大半の観光客は期待を裏切られた形で帰省されるようだ。
城下町の風情が何処にも見当らないからである。

事実、米沢には風物は皆無だ。小生は古くから町並み保存協会員として、会員と一緒に遠くは竹富島、近くは「蔵の町喜多方市」で行なわれた全国町並み運動総会に参加してきた。特別参加として東京大学・京都大学学生の参加もある。

東京駅保存運動にはじまった「全国町並み保存」運動は各地立候補で行なわれ、妻籠・馬籠などの江戸宿場の再現家並み。萩の土塀、函館、栃木市などなど20年もつづいている団体である。米沢市からの参加は小生を除いてゼロ。酒田市から若い市職員が休暇をとって-人だけ参加している。

町の歴史は、古い建造物を保存することによって偲ばれるものだ。
敗者の会津は白虎隊自刃の飯盛山を滅びの美学として
観光客の涙を誘い、 若松城を再現して観光の拠点として発展してきた。

その点で米沢市に観光客を誘致する施設は唯一上杉謙信という武将を祀った神社だけで肝心の鷹山公はカヤの外におかれて参拝者もまばら。
米沢市の観光行政に対する取り組みの不味さだ。

凡人氏のお説のように、失った風情は作らねばならないだろう。ひとり中央商店街のテコ入れよりは観光客を向かい入れる努力の方が街の活性化に繋がることは必死だ。年間通して訪れる人ゼロの妻籠に、年間十万人の宿泊客が訪れる地域になった。宿場町構想を展開したのは南木曽役場の一係長だった。

 米沢市の不況打破する方策は観光客の誘客しかない。そのためには日本人の深層に潜んでいる城下町米沢市の期待に応えうるには、町並みの改革がなによりも優先させねばならぬ政策だと考えるものである。

若い凡人氏のような役に立つ提言こそが、米沢市を再生させる唯一の道であることを信じている。

人の上に立つ人・立ってわるい人

kage

2004/06/28 (Mon)

 NHK大河ドラマ「新撰組」の劇中セリフの中に「不幸は人の上に立ってはいけない人が人の上にたった時、もっと不幸なことは、ひとの上に立つべき者が人の上に立たないことだ」平易なことだが含蓄のあるセリフだと受けとめている。

 スポーツの世界でよく了解できる言葉だと思われるが、かつて米沢商業高校は「体操競技部門」で県内屈指の高校で知られ、米沢工業高校は「駅伝高校」として全国的に知られた高校だった。が、伝統は断ち切れである。体操競技部門では、米沢一中に在職中の夫人に才能ある中学生を、亭主が指導している商業高校体操部に推薦してもらうという夫婦二人三脚での成果であった。

 米工駅伝部員は指導者のもと、松川河川敷に早朝から集合し鍛練に余念がなかった賜だった。小生は朝4:30分になると愛犬4頭を連れて松川河川敷に運動に出掛けていたから、部員たちの練習風景を眺めていたものであった。

 一転して両高校から名物クラブの活躍の模様が知られなくなった。スポーツに限らず、いつの時代も指導者の能力如何によって、生徒たちの力が引き出されるものなのである。

情操の世界では市街地のこども達よりは、町村のこども達の入選作品が多く見られるのは、のどかな環境の中にあるだけでなく、指導される先生達のなかには確かな色彩と豊かな構図が育てられているからに違いない。

いま、わが国に枯渇しているのは確かな指導者なのである。それは単に教育だけの問題に限らず、政治、経済全般にわたっていえることであろう。

 行政事務の怠慢だというだけでなく、年金の支払いを怠っていた党首たちが声を枯らして「国民年金選挙」を闘っているおかしさ。彼ら一様に年金問題に無頓着であった党首たちである。

いまさらのように年金問題を重要な闘いの中心にするなどの破廉恥さはどうだろうか。

人の上に立つに相応しい人物像といえるだろうか。

新撰組餓雇の時代ならば、彼らに粛正されていた人物群であったろう。

さて、米沢市長の場合はどうだろう。市政のリーダーとしての資質のほどは如何に。

言葉の乱れは放送業界にあり

kage

2004/06/27 (Sun)

 驚いたことにテレビに出演する大方のことば「すごい、おいしい」や「すごいき れい」「すごい可愛いい」などが目立つ。

日本語では「すごくおいしい」であり、「すごく綺麗」「すごく可愛いい」が正しい。 言葉の乱れに限らず、若者の化粧や服装の乱れに慨嘆する毎日だ。

ダブダブのズボンをだらしなく下げて地面を掃くかのようにガニマタ歩きの少年達。通常、だらしないとされる下着をわざわざ外に出してファッションだとする少女たち。

銀座を歩いていると必ず寝起きのまま出てきたかと見紛うような下着スタイルの女性たち。

一様にいえることは、おしなべてブスであることが共通しているようだ。

 自分というものをキチンと持っている女性には、服装のみだれがない。

女性の判定基準はまずそこにおいて間違いないようだ。渋谷のガンクロの時代は過ぎたようだがもっと汚い顔が流行のようである。

自己主張のあらわれであろうが、汚いものより清楚な美しさを女性に求めているのが古今変わらぬ男性の女性像というものだが。

いやなご時世になりやした

kage

2004/06/27 (Sun)

 日本女性の出生率が、昨年の1.32を下回り、1.29になった。この数字は絶滅危惧種のコウノトリの出生率にならぶ低率を示すものだと報道されている。

 時あたかも国民年金騒動の最中、ますます年金問題に影をさすゆゆしき問題のようだ。

1組の夫婦が3人のこどもを出生し育て上げなければ、迷わず人口は減りつづける原理だ。

なぜ出生率の減少がつづいていくのか、それには様々な理由はあるだろうが、夫婦ともに未来に明るさが見えてこないのではあるまいか。

以前は自分たちの老後は子供たちに託して問題のない風習がつづいてきた。その歴史的風習が核家族化という時代の波に洗われ、血のつながりを重要なこととされなくなってきた。したがって、老後は単独の暮らしも詮なく施設や病院が終焉の場となりつつある。

 60年前を考えてみるとて、戦後の貧困な時期でさえ大家族制度によって、つつがなく暮らしをエンジョイしてきたという日本人の歴史があった。

戦後の学歴重視の風潮から子供を育てるのに多額の費用が要求されてきた。それが出生率の低下につながる主な要因だと思えなくもない。

日本人がこぞって見た総中流家庭の夢は錯覚だったと気がついたせいであろうか。

小生の亡義父は内科医師で「よけいなことだと思うかも知れないが、子供の3人は産んでもらいたいな。そうでないと人類の存続が望めないことになってしまうという私の理論だ」この言葉の意味を今になって噛みしめている。

希望通り妻は3人の娘を産んだが、大病もせずに社会人になり嫁いで今がある。

鬼の会の提唱は「古紙で歳入を計るべし」

kage

2004/06/26 (Sat)

 他の市町村が素直に実行している行為を、なぜ? 米沢市だけが頑なに実行を拒みつづけているのか。小生は不思議でならない。しかも、最高裁判所が違憲だという判例を下しているのにもかかわらず、自由競争の原理を阻害しようとする行政とはいかなるものか。

 吉田環境生活部長は「随意契約は良いのだ」と法律を拡大解釈する不埒さ。議会の答弁にあたっては、訳のわからない法律論を延々と並べ立てて悦に入っている低能な感覚は見上げたものだが、鬼の会はどこまでも行政の思い上がりと市民を軽蔑した発言を追求する手は一向に休めない。

 行政は、高値で売れる古紙を業者に買い取らせることを考えなければならない一番の課題なのに、業者癒着を優先させる行政感覚は打破しなければならない。鬼の会の目的はそこにある。こんな単純なことが理解と実行に移せない担当部署の職員たちと、裁量権者の市長を弾劾するのは市民として当然の行為であり、哀れな闘いなのである。

 行政職員の無知さが一般社会から遊離していることさえも思い至らない哀れさ。こんな職員が在職しているうちは米沢市の未来は開かれるものではあるまい。

 加えて裁量権者の無能さは、いかばかりか。これに怒らない市民の体質とはどんなものであるか。市民よ、ともに行政の頑なな姿勢に怒りをもとうじゃないですか.

吉田茂と徳田球一との関係

kage

2004/06/26 (Sat)

 共産党議員の高橋ひさし氏なら知っていることだろうが、「共産党の活動資金はどこから出ているのか?」という素朴な疑問が国民の中にあったはずだ。

 古田茂は徳田球一を大変かわいがったことで知られている。ところで共産党の活動資金の出場所はというと意外にも株価操作によるものだった。労働組合最盛の頃、某会社の直系労働組合にストライキを命じる。ストライキに入れば、会社の株価は必然と下落する。下落したところで株を購入し、予定通りの購入をおわったところで、ストライキの中止命令を出す。ストライキがおわれば確実に株価は上がる。頂点に達したところで全株を放出する。そのカラクリで資金を作っているのだと聞いた。しかもその指南番が吉田茂だったという逸話を知っている。共産党といえども、実際には資本主義経済を巧みに操作して実益を得ていたということだ。また、「日曜版赤旗」の講読については故桐生元市議の豊かな人格が講読者を増やしたものだ。

 高橋ひさし議員に一言。

 貴殿は「議事録を読め」とさかんに言うが、議事録はどうして出来上がるものか、そしてその時期とは何時か?貴殿の意見は希薄すぎる。

 6月議会の議事録が出来上がるのは9月頃であること、その作成は議会事務局職員の手になるものでなく、なぜか外部への業者委託だということ、を熟知しておくことが大事である。

 共産党の元県会議員、鶴岡の小竹氏・山形市の元県会議員松浦氏とは親交があり、奨められて「文化評論」誌を廃刊まで読み続けた実績が小生にはあるのです。したがって、共産党とはなにか?ぐらいは教養の域を出ないまでも存じあげての批判であることをご承知おきくださるよう。

 政治の矛盾や汚濁などに対して純粋に闘う党であるべきです。その点で国民の支持があるのであって、貴殿のように与党側にスタンスをとるようでは魅力半減するものだということを肝に命じて行動されんことを、党の理念を尊重して日々活動に邁進していただくことを願うものです。

 そんな折り、鬼の会が提唱する行政側の古紙問題に矛盾に力を貸していただきたいと思うものです。全国の市町村がこぞって、古紙で歳入を計ろうと知恵を絞っている現在、なぜ行政は頑なに、一社との随意契約を継続し、米沢市に入るべき年間5~6千万円にものぼる収入の道を閉ざそうとしているのか。

 当会が住民監査請求をする前に、議員たちなかんずく共産党議員団が取り上られないのか不思議でならないのです。当該問題の裏側に何が、誰が、策動しているのか、それを暴くためにも我々は努力しているわけで、議員報酬を得ながらノホホンとしている人達とは一体何だろうかと疑心暗鬼が実情です。

 左翼思想も右翼思想も本来は人間がもつ自由な思想信条であるわけで、一般大衆が共産思想を嫌うにはそれだけの理由があるからです。それは党みずからの体質にゆらいするものだと考えるものです。公明党の思想も然りで、号令一発で右向く不思議を考えて見たことがあるでしょうか。それは統制主義ともいえる党理論であるに過ぎないものです。

 統制主義はひいては独裁主義に繋がっていく危険な思想だと考えるものであります。人類の本質は本来自由勝手主義であり、その証拠には確たる教育を受けていない小中学たちの行動からも伺えるものではありませんか。これでは困るので学校教育の実情を察知し、家庭教育いわゆるシツケなるものが第一義として認識しなければならないものと小生は実施しているつもりであります。

 人間の基本を疎かにして、その他に何を学ばせようとしているのか。教育長の思想信条がわからないまま議会は人事を承認した議員の無責任さに怒りを感じているのは小生だけであろうか。

「逢魔の時」という言葉がある

kage

2004/06/26 (Sat)

 逢魔の時とは、災いの起きやすい時刻の意味で薄暗い黄昏時を指していう。昔は黄昏に道行く者が、互いに声を掛合うのは礼儀のみでなく、自分が化物でないことを証明する鑑札も同然の行為だった。

 「たそがれ」は「誰が彼」からの言葉の変化したものだという。

 昔の旅人は行き違う入ごとに「もしや?」と用心の目を懲らしたのだろう。さびしい道で妖怪に逢いたくないが、白昼しかも繁華街でも堂々と、平然と出没する現代の魔物に比べれば、まだしも始末が良かったのかも知れない。

 現代の魔物の住む所といえば、まず永田町界隈を一にして官僚街に巣食い公金を食してのうのうと生き長らえている妖怪官僚、地方も同様に行政癒着で市民の血を吸う小型妖怪の群れたち。生血を吸われながらも体勢や権力に屈している哀れな市民たち。

 議会にも妖怪がはびこっているようだ。教育委員人事は前代未聞の採決によって議会を通過したが、議長の懇願によって賛成派にくらがえった会派もあって議員も支離滅裂の風情のようだ。

 議長にして見たら、議長在任中に前代未聞の人事採決は避けたかったのであろうが、あまりにも貧弱な議長であり会派の議員だとの謗りは免れまい。少数だが最後まで反対人事に撤した議員がいたことはせめてもの救いだった。

 これが市民の負託をうけた米沢市の議員たちの実情なのだ。議会にも時として妖怪は出没するのである。

「鬼の会」の代表者から

kage

2004/06/25 (Fri)

 数多い書込みに深謝いたします。いよいよ米沢市民も動き出したという感じをしております。書込みには一応、目を通しておりますが、熟読するに値する書込みの数が少ないと思っております。まず、批判と中傷の違いを認識なされていない方もおります。

 「足跡」氏が指摘されるように「鬼の会の堕落」は各自の思い込みだからゆるされる批判だと考えますが、ますます意気軒高に行政の批判を続けていく所存であります。

 「にゃんこ」氏の書込みのうち次の市長に立候補する意志は毛頭ありません。立候補もしない代表者が、行政批判をするのは筋違いだろうとの文言のように受け取れるものですが、それはにゃんこ氏の大なる間違いであります。ので、小生の真意を理解された上で貴殿の考えを述べるべきであります。

 「旅人」氏に一言。自分の意見が通らないと相手をアカ呼ばわりするのはいかがなものか。についてであります。小生は市民運動家ではありません。運動家ならば、もっと過激な動きをいたします。一市民として発言しているもので、むしろ意見を堂々と述べている小生の勇気を見習っていただきたいと思っております。米沢市民として故郷に珍事が起こっている以上、黙って見過ごすのは男子たる本懐だとは考えないからです。

 「善人」氏に各自それぞれの考えがあり、稚拙であろうが書込みする人たちを大切にする必要があります。端的に頭をパンクさせないでください。

 「おお~」氏に、意味不明で何が言いたいのか判読に難解さを感じます。鬼の会のホームページはつづきます。ご心配なく。せめて「凡人」氏ぐらいの論評を綴られる見識を書込んでください。 

 「おとぼけ」氏に、小生をよくご存じのような書込みですが「昔から都合のいいことだけ書く奴だ」という中傷めいた表現をされていますが、小生は書くのが職業なので、頼まれれば依頼者の自叙伝なども代筆いたします。これは小生の仕事であり中傷は的をえておりません氏の書込みに「金を貰って」の一項がありますが、このホームページにかぎり断じて金銭の授受はありません。曲解しないでいただきたいものです。

 「投稿日」氏に、小生の思想には「右」「左」は渾然として交わりあっております。青少年代に左翼説に傾き、猛勉強の結果、極端な左翼思想は消えました。世界の中の日本国を考えた時、祖国を失う悲劇を強く認識するにあたって封建的思想といわれようが、国旗・国歌をもった国民に憧れておりました。だから古いといわれようが「仰げば尊しわが師の恩」と歌って、惜別の涙を流しながら母校を卒業した思い出を、今もって大切にしている自分を限りなく愛しく誇りに生きているのですが、右翼思想なのでしょうか。

 最後に「議事録を読め」という高橋ひさし議員。その前に党員としてもっと勉強をなさい。「ひさしは勉強しなくて困る」と公言されているのは共産党の指導者です。確かに議会の発言力は議員中秀悦だとの賛美の声も耳にいたします。だが、惜しむらくは、視野が狭すぎる議員だとの評価も同時にあるのです。「公党に対する批判は慎重に」という言質の裏には、言論の封鎖さえ感じ不愉快極まるものであります。あなたに不都合であっても共産党批判は自由にさせていただく所存。

 小生の意見は不都合だとしても、共産党に対する市民の意見に耳を傾けてほしい。

「冬のホタル」発見。

kage

2004/06/25 (Fri)

 新潟在のホテルで「ホタル籠」を見つけた。生きたホタルを蚊帳の中に放し熱い夜に涼しさを求めた思い出もなつかしく買い求めてきた。無論、天然の生きたホタルではない。竹で編んだ籠に人口のホタルが2匹草の上で光っている。単3電池2本が光のエネルギーになっている。小生が名付けて「冬のホタル」。電池さえ替えれば文字通り冬でもホタルは光を放つ。名作「冬のソナタ」になぞらえた訳だ。

生きたホタルの寿命はせいぜい二日。しまいには光を放たなくなる。まして源氏ホタルはこの地では少なく、平家ホタルが主流の米沢では光が弱く風流に乏しいきらいがある。冬のホタルには十分に故郷を坊佛させるなつかしい光がある。 夏にかかせない風物として、義妹や孫に楽しんでもらおうと20コばかりメーカーに注文した。夏といえば風鈴・金魚・西瓜にホタルである。江戸のほうずき市もなつかしいが、全国随所に夏の風物詩が奏でられ故郷の郷愁をあおるものである。 

 新潟への行き帰りに多数の観光バスとすれ違ったが、長井のアヤメ・ドンデン平の百合園への客である。道の駅「めぎみの里」の駐車場が満杯で入れないほどの観光客で賑わっている。しかも手に持てないほどの買物がつづく。ああ、これが生きた行政の姿だと思った。それに比して、米沢市の行政感覚といえば再生不可能な中央商店街の再生に懲りもせず市税を注ぎ込んでいる愚行三昧。 

たとえば、会津若松の旅館・商店では、武家屋敷など観光施設の割引券を誰にでも配布している。いわゆる観光拠点を点から線と結び、面の観光策で施設間を結ぶ努力をしている。米沢市観光協会でも見習って、伝国の杜博物館や御廟所・林泉寺をはじめとする観光施設の割引などの旅館・ホテル配布は実行すべきだと思われる特に夏の季節から「冬の天元台」のリフト無料券の配布などは無駄なことにならないと思われるが実行方はいかがなものだろう。

いつも思うことだが、最上河河川敷で行なう「米沢牛のすき焼き祭り」は市民の参加人員を絞っても在京の旅行会社に委託したらどうだろう。旅行会社は業務が広がり歓迎するであろうし、米沢牛の拡販にも繋がることだろうと思われる。

画布にどんな絵を描くのであろうか

kage

2004/06/24 (Thu)

 「夢とは現実について、少しだけ知っているが、十分には知らない人たちが待ちえる特権である」と言ったのは、劇作家山崎正和氏である。

 画家はどう絵筆を振るうだろうかと、白い画布は人々の夢を誘うが、そこに現実の絵が描かれだすと夢の落差に首をかしげる人も出てくる。
山崎氏の言葉は有権者が政治に託す夢にも通じそうである。画布の余白に何を書き既に形をなした描線にはどう手を加えれば「夢の絵」に近づくのか。参議員選挙が始まる、せめて国民が聞きたいのは、かたくなな自画自賛でも紋切り型の罵詈雑言でもない。

 候補者は画布に「日本の未来」を、どのような構図でどのような色彩を持って描き上げようとしているのであろうか。すべての絵が名作であってほしいと願うものの深層では「またもや迷作では」と、候補者たちは国民に見透かされているような画家たちだけでは政治不信は募るだけのこと。
改選に国民の意気が上がらない理由はそこにある。

 国政から一転して我が米沢市政。
今朝早くある市議員から電話が入った。本日の本会議で教育委員人事が上程されるという。今までは人事に関するかぎり全員一致の採決が常識であった。したがって、前代未聞の教育長人事ということになる。2議員を除く26議員はなにがしかの党籍をもっている。ましてや自民党籍を持った議員の多い議会だが、教育人事にはいたって無関心だと言う。主義信条不明な人物に大事な教育の要を託して良いものかどうか。採決の結果はどうであろう。

 第七次総合計画の審議員の構成メンバーを見ると、いよいよ米沢市政が限りなく赤化傾向が強まってきたと慨嘆する。市長が職権で市長室入口に飾ってある「自由の風」旗、市民は自分のごとく歓迎の意を持って迎え入れたが、今にして思うことは、安部三十郎個人の自由奔放を表記した旗であって、市民の為の自由の表明ではなかったのだ。

 米沢市民の多くは故郷の赤化を望んでいる訳はない。崩壊したソビエト連邦の徹を踏む気持ちもなければ、ましてや北朝鮮に学ぶものはない。

 安部三十郎の趣味やひとりよがりの赤化思想が市民に蔓延することだけはどんな犠牲を払ったとしても防がなくてはなるまい。

 米沢市民にお伺いする。どうか議会を傍聴して頂きたい。そして正当な判断基準を育ててほしいと願います。米沢新聞紙上で鈴木吉郎は「市長答弁に重厚さ無し」と題した論説を書かれている。ぜひ拝読されたし。安部市長の能力欠乏さが浮き彫りされてくる。

 書き込みに感謝 -アクセス数 5万5千を突破!

 おかげさまで鬼の会のホームページのアクセス数は本日で55,230.   書き込みの数も増えてきた。感動させる書き込みをあれば、低脳丸出し、意味不詳の書き込みもあって賑々しいことしきりである。

クダラナイ「天下り」の厚生官僚

kage

2004/06/23 (Wed)

 年金問題が加熱化している現時点で、参議院議員の告示がなされる。国民のだれもが注目する年金選挙になるのは必至だ。今朝のテレビは厚生労働省の退職キャリアの天下りの実情をつぶさに放映していた。この番組を見た国民なら誰ひとりとして投票所に向かう人はいなくなるだろう。それほど高級官僚が使い込んだ年金の数値に目をまわし、呆れて物がいえなくなるものだった。

 現在、国家公務員の数は80万人いるが、その頂点に立つキャリアと称する人は1万人。キャリアのうち今年は110人が天下った。キャリアのトップともなれば20年間に2~6回もの渡り天下りをつづけて3億円もの退職金を受けているのだという。無論、民間企業に天下りする元官僚もいるが、民間企業側は荷が重いからと遠慮する企業が増えて、仕方なく官僚は天下り先を自ら創ることになる。それが特殊法人といわれるものだ。

 民間企業には縛りがあっても、特殊法人には規制がないことから無尽蔵に天下りや渡り鳥官僚が増え続ける巨悪の根源が潜んでいる。まさしく厚生労働省は年金を食物にさせてきた伏魔殿といえよう。グリーンピア計画の失敗によって巨額な不良債権を作った渡り鳥官僚たちに責任は全くない。

 この仕組みは年金資金運用基金からの資金で運用されるが、はじめから特殊法人だから、損益に無関係で借金は年金から返す仕組みになっているのだ。要するに退職キャリアのために、高給と多額な退職金が保証される天下り先を準備しておけばよいわけである。損得など治外法権の安住の場なのである。

 こうした公益法人は全国に42か所もある。財団法人「日本老人福祉財団」では、年金から資金を調達する見返りとしてキャリア3名の受け入れを要請されたが、受け入れるのはツライという理由で1人だけ受け入れたがその条件とは「何も働かない人、朝から新聞だけ読んでいればいい」だという。厚生省が持ち出した待遇とは「1800~2000万円の報酬に個室と専用車」だった。

 環境事業団が岡山県の山頂に建てたドエライ建物「王子アルカデア」は巨額の年金資金を投じたが完成を見ずして廃嘘となっている始末だ。

 年金を運用して株式操作をしているがこれも全くの赤字損失「株は長い目で見ると上がります」と平気の平左。「年金は動かさないで、そのままにしておけ」は識者の大合唱だ。国民から集めた未来の年金を手前勝手に運用して、多大な損失をだしながら責任は無く、多額な退職金を得ている高給官僚とは? 政治のメスさえ拒絶する縦割社会に巣食うまさしく蛇蜴の集団だといえよう。

 許認可権を握った人間たちのすざましい「国民軽視思想」である。小なりといえど米沢市においても許認可権を持った部課の「市民軽視思想」は同意語だといえよう。伝家宝刀を以て市民に優位感を示すのは下衆以外のなにものにも属さない。

市議会議員 高橋ひさし氏の書込みに答えて

kage

2004/06/23 (Wed)

 氏は安部三十郎市長の実弟であり、共産党所属の市議であることは市民の大方が認識しているものと思われます。氏の思想信条については自由社会の実情から申し上げる必要も感じないものです。しかし、今回の書込みについて、議席にいる議員の立場からとんでもない間違いを犯しております。

 当日は傍聴席に30名以上の傍聴者がおり、たしかに安部市長の答弁は小生が書いた通りの文言であったことを再度申し上げておきます。小島卓二議員の質問に答えて市長は「その場におらなかった人がどうしてそのようなことをいうのですか」卓二議員「人に伝え聞いたもの」これが「日の丸敬礼の論争」だったことで、氏がいう議事録を読まなくても30名からの傍聴人が証明されるものです。現に議会休憩時に傍聴者たちの会話は「市長は国旗に敬礼しないのか」「ほんとなら、とんでもない奴だ!」であったからです。

 兄弟愛は美しいものかも知れないが、兄弟同志の主義信条が異なるならば、議会では主義信条にかけて闘うべきものだと承知しているところです。

 事実を曲げた覚えはサラサラありませんので、小生には氏のいうウソなる論理が解しないのです。さらに申し上げておきます。小生は劇作家として「生きたコトバを探す生業に生きております。したがって、コトバには人以上、敏感に作用する習性が育っている者」だからです。議会での日の丸欠礼問題は事実です。

 その他、小生はデタラメな論旨を述べているとありますが、もっと具体的にどの部分がデタラメであるかをお示し願います。指摘があいまいでは、議員の書込みとしてどうも希薄さが目立ち論外だと言っておきましょう。

 蛇足ながら、兄弟なら国旗・国家論争を否定するような態度や文言は市長の立場として公平さを欠くとして、かばうよりは諌言することのほうが正常な感覚だと思われますが。

「鬼の会」は 市長のコキオロシ会ではない。

kage

2004/06/23 (Wed)

 市長は公人である以上、あらゆる批判を甘受しなければならない立場にある。それが苦痛とするならば公人たる職務を辞さなければなるまい。

 書込みを見ると、情けないことに物事の本質からズレた書込みが多い。小生は前市長をふくめ現市長を告発的な態度をもって、市民に訴えつづけているが、前市長に関しては「どんな人でも権力の座に長くつくと悪癖がでる。まして、後任を自分で決めるのは良くない」と諌言したが他に悪意はない。

 市民が選んだ現市長に期待するものが大であったが、現実に市長としての器ではなく、まして行政感覚・能力に著しい欠陥が見えてきたので、早急に市長を変えなければ米沢市政の遅滞がつづくものだとの判断からリコールの口火を切っただけのことだ。

 書込み氏のように無責任な発言「まだ就任6か月だとか、会長ならどうする」等の書込みは無視すべきだとの声も多いが、小生の責任として氏に反論する。書込みするなら、少しは人間として全うな知識をもって上で書きこんでいただきたいものだ。氏の意見はその辺にたむろしている無責任無頼の戯言としか思えないからだ。物事には真剣に立ち向かうことが男の仕事だといえるものだ。

米沢市役所に「山大課」を新設するのはどうか

kage

2004/06/23 (Wed)

 大学は等しく株式会社に変革した。山形大学も例外ではなく、今後経営手腕がためされることとなる。

 ただし工学部には世界に発進できるだけの研究人材が在職し、研究室の解放もある。

 産業人と共同で研究開発もできる人材と施設があるではないか。その点では他の学部と異なる優位さがある。問題は産業人が何をテーマとして開発を望んでいるかだ。おおいに研究開発に夢をはせてほしいものだ。
だが、大企業ならばいざ知らず、中小企業とくにゼロ細企業にとって、共同開発等の意向はあっても大学の窓口は遠いものだ。

 地元の企業が気軽に研究開発やその他の大学との交流が出来、大学側の市への希望が届くための課を新設すべきものだと考えるものだ。
大学と市民の市行政の交流を深めることの意義は大きい。また山形大学工学部が存在することによる経済的効果の大きさは市民の誰もが認識する事実である。

 今までの産官学交流の中で官(米沢市)の努力が一番伝わって来ない。
米沢市再生のためには、考えられるだけのあらゆる斬新な政策を策定し実行に移すべきだろうと考えられるのだ。

 問題は行政にその努力する知恵と勇気があるかどうかにかかっている。

こんな市長は要らない。

kage

2004/06/19 (Sat)

 「米沢市長はゴミ以下だ」と冷笑するのは隣町の住人だ。なるほど、自分本位で物事を考える市長ではある。が、ゴミ以下だと決めつけるのはいかがなものだろう。

 市長は6月の本会議場で、バカ丸出しの答弁をした。市長が選挙中に使用した旗「自由の風」なる旗物指しを市長室入口に飾って悦に入っているが、そのことを質問した議員に対していわく「市庁舎内には、いかなる旗物指しも持ち込んではならないと自治法では禁じているが、ただし市長が認めた場合には許される」と答弁し議員たちの失笑をかつた。

 これは独裁者が使う手段である。少なくとも自治法が禁止する法の根幹を解さないオロカさであり、市長たる権力者の思い上りの何ものでもない。正常な人間感覚からすれば、裁量権を持つ立場から遠慮するものである。

 あの旗の置き場所を比喩する人は少なくない。日ごとに失笑は米沢市に向けられて大になってくる。「あんな身勝手を許している議会も情けないが、職員幹部もだらしない。」結局は選んだ市民が笑われる結果となっている。市長よ、パフォーマンスもたいがいに止めてもらいたいものだ。再選はない市長だから、パフォーマンスも無駄なことだ。いかなる議案にも反対の立場を通してきた共産党が一転して全ての議案に賛成の態度を見せるのは、共産主義が徹底してきた証左であろうか。それとも兄弟仁義か兄弟愛の発露であるか。いくら兄弟であろうとも主義主張に違いがあれば、断固として闘うはずである。したがって、主義主張が同軸にあるとすれば、米沢市民が忌み嫌う共産市政の出発というところであるか。

 市民が選んだ市長だが能力に問題があるとわかった現在、4年間を待たずして米沢市政のためにリコールという市長罷免策を策定し実行に移し、首尾よく成功させねばならぬ時がきたことを認識しなければならない。通常、市長に就任すると同時に、夫人を退職させるのが通例だが、今以て市立病院に勤務している横着さはどうだろう。

 己れの力量や米沢市政に対する確かなビジョンもなく市長に立候補すること3度、思いは達したものの希薄な能力にも気づかぬノーテンキぶり。恥辱を知らぬ者の強みかと慨嘆しきり。小生の事務所はあたかも安部三十即リコールで盛り上がっている次第。あえて記載はしないが、ある精神病院長の恐ろしい談話もある。

凡人氏に

kage

2004/06/19 (Sat)

 二十代後半だという凡人氏の意見に小生の青年時代を重ねて見た。

 その頃の青年たちは時流に流されまいとして、自分たちなりの主張でゲバ棒を奮い時の政権に闘いを挑んでいた。結果は極左赤軍派による軽井沢山荘事件を最後に。社会から葬られることになってしまったが、同志の殺戮をも超越し、一途な国家論を持つ彼らを苛立たせていたのは一体何であったろう。

 米沢が生んだ英傑雲井龍雄の新政府転覆論を合わせて考えて見る。多くの雲井論者達は彼の歴史的動向を重んじるあまり雲井の生きざまに焦点を合わせることはない、が、小生は生きたままの姿を舞台上に再現しなければならぬ劇作家の使命がある。こう考えてくると赤軍派の青年らと同じ焦りが雲井を支配したものであろうか。志ざすところは青年達に共通した国家意識なのであったろう。青年達にとって、壁厚き国家権力に立ち向かうにはいわれなき己れの非力さに、さらなる苛立ちが知慮浅き暴挙と化したものであろう。

 小生は暴挙を否定しながらも、国民の苛立ちを増幅するような現政府および行政高官の奢りは、新政府時の薩摩藩に類似した自己優越主義に慨嘆するものだ。

 ところで「いかなる政治的自由があっても、それだけでは飢えたる大衆を満足させない」と言ったのはレーニンであり「議会に対しても私は、血と労苦と涙と汗の他は、私は何も提供するものを持たない」と、チャーチルは政治家というものの本質を説いた。封建的社会からドイツ国民を解放する運動に力を尽くしたベルネは、政府は帆であり、国民は風であり、国家は船であり、時代は海であると説いた。帆が追い風を受けたときに船が海の上を順調走るように、国民の支持を受けるならば政府はその時代を危なげなく乗り切っていけるという。結局、国家価値は、国家を組織する人民たちである。と、看破したイギリスの哲学者ミルの言葉に尽きるのであろう。

 さて、日本人の国家意識はどうであろうか。基本となる地方、なかんずく米沢市の国家意識はどうであろうか。凡人氏が慨嘆する公務員思考青年達の多さは国家ひいては米沢市の衰退を意味する。役人思考はいずれも後進国家の末路であり後進国家への滅びの道行きだとは思えないであろうか。 大河の流れを変革する担い手たる青年達に、そんな軟弱な思想を持った青年達がいくらいても米沢市の未来は暗い。青年達にあえて希望する。社会の不条理に対して闘う姿勢を持って青年という。若いだけで物分かりの良い老人になるなかれ。

 真のホームライフを構築しようと望むならば、社会人として良き働き手となることだ。ホームを形成しようとする男子の人格は社会生活の中で学ぶものだから。

 社会から逃避した青年から、未来を託せる人間が生まれてくるはずがない。 日本全体がB四版の狭い試験用紙に毒され、その成績如何にうわずった未来を想定しウロウロするような人間がいくら存在しても国家の安泰はない。青年達よ、なぜ汗を流すことを避けるのだ。自分で感じ取った社会の不条理に闘いを挑め。

 わがこよなき故郷は、限りなくアカの思想に染まった市長の唯我独尊によって市政が歪められようとしている。その危険性をいちはやく認識して世情にストップをかけるのだ。世界の歴史に目を向けよ。日本建国のために闘ってきた先人の精神に学ぶ努力をせよ。自分が如何に非力であるかを知るだろう。知るだけで一歩前進したことになる。そこから自分の成すべき目的が生まれてくるではないか。

日の丸論争は果たして、ガセネタであるか怪文書の類であるか?

kage

2004/06/18 (Fri)

 相当気にしている風情だ「日の丸」に対する市長の敬礼無視論は、アチコチから聞こえてくるところから事実であろう。小生が受けた言葉では「教育関係者の大物の怒りだ」と言っておこう。

 安部市長が議員の追求に「現場にいないあんたがなぜそんなことをいえるのかッ!」と議員を恫喝し、現在さかんに取り消しに狂奔しているようだ。パフォーマンスによって、一部の人間を納得出来るもとしても、実際に会場にいた人たちの声もあるゾ。

 国旗国歌法を否定する市長の見識を疑うものだ。「日の丸」は日本国旗であり、オリンピックで掲揚されるだけの旗ではない。同じく「国歌は大相撲の千秋楽にだけ演奏される歌ではない。戦中の経験から、小生は今もって国旗国歌に際して脱帽の上、威儀を正す習性がしみ込んでいる。あの北朝鮮でも、強国アメリカにしても、いな日本を除いた世界の国々の人々は国家への誇りを持っている。ひとり先進国と自認するわが国の国民意識を情けなく思う。

 その情けない人物が、わが市の市長であることに激しい嫌悪感を持つものである。

 さらに、その市長を擁護するあまり「ガセネタ」であるとか「怪文書」呼ばわりは卑怯だ。

 小生を誹謗するならば匿名のままガタガタ言ってないで、堂々と表舞台に出て誹謗するがいい。ついでながら、市長擁護軍団諸君に告ぐ。

 市長参与の二人の大学教授について、事情に詳しい福島市民は「完全に共産思想の持主」だと断言する。山大教授の参与は「大学では相手にされない思想の持主」だと断言するのは山形の事情通だ。

 ついでながら、教育長人事が議会で賛否半々で難航している原因は思想信条に疑わしさがあるからだと聞く。結論として、わが市長のアカ説が堂々と表舞台に出てきた理由には、弟議員が共産党員であること。そして常に態勢に反対しつづけた議員が、スンナリと賛成議員の仲間入りしていることだ。

 考えたくないが、米沢市はアカに染められた市政になるのか。市民が一番気になるところであろう。

「市民性悪説」が飛び出した議会に、傍聴席が激怒!

kage

2004/06/18 (Fri)

 16日の議会模様を伝えるのに、努めて冷静さを取り戻してからと1日遅れの議会傍聴記となってしまった。

 佐藤忠次議員の一般質問に対して、あろうことか吉田環境生活部長から「市民性悪説」が飛び出し傍聴席を騒然とさせ、関係市民はやり場のない怒りに震えていた。忠実に再現しよう。

 佐藤議員Q・「一般廃棄物収集運搬計画において、本市が経費節減を検討しないのはなぜか?」

 吉田部長A・「本市は経費削減よりは円滑なる事業遂行に重点を置いている」

 佐藤議員Q・「委託料は業務を遂行するに足る額を基準と定められているが、積算基準の明細は?」

 吉田部長A・縷々勘定明細を並べたてたが、積算基準の数値は返答無し、これについては議事録を入手した上で解説することにする。議場で筆記できないことを承知の上で部長が報告したような気配が強い。

 佐藤議員Q・一般廃棄物処理業の許可を出さないことを指して、「平成16年1月 に出された最高裁判判決は「違憲」だとされているが、米沢市が許可しない理由は?」

 吉田部長A・許可しないことは違憲だと認めながら、県の指導が無い事を理由に間違いを認めず 行政に都合のよい法律の条項を数多く並べ立て我田引水を決め込んだ答弁をしているが、法律資料が用意されていない以上、答弁とは受け取り難いものだった。

 これも議事録を入手した上で分析の結果記述する。が、自分に都合良い法の解釈を並べ、いずれも拡大解釈になるものであることは確実である。

 佐藤議員Q・「業務を委託するにあたり、なぜ随意契約なのか? 除雪・電算センター等随意契約が目立つので」

 吉田部長A・「随意契約はそこにしかないもの、そこでしか出来ないこと、がある場合、随意契約で良いと解釈されます」

 傍聴席の声・随意契約は諸悪の根源だとして、厚生労働省は全面的に禁止しているが、米沢市はザイゴで感覚がのんびりしているのかナ。

 佐藤議員Q・「競争入札制度を導入することによって、小国町は費用が1/10に減額。長井市に至っては、費用がゼロどころか、逆に行政が年間300万円の歳入が増カロすることになった。米沢市も入札制度を活用すべきだと思われるが」

 吉田部長A・「入札制度の導入を適用すれば、業者の収益が下落する。その場合、適正な業務遂行が出来なくなる恐れがある」

 佐藤議員Q・「新規に許可した場合、本市にとって何が問題か?」

 吉田部長A・現在委託している業者には長期経験者で問題はないが、新規参入者には経験と力量がはなはだ不明であり、信頼性の点で問題が残り、不法投棄などの弊害が起こりかねない」

 傍聴席の声・なんだとゥ。市民を犯罪者予備軍呼ばわりする気かッ!と、傍聴人達 は一様に激怒。ほんじゃ新規事業者は、みんな悪人で、土建屋・建築屋等、入札で仕事をしている市 民はすべて手抜き工事をしていることになるじゃないか。行政はそんな目で市民を見ていたのかッ!こんな暴言を許すべきでないッ!

 鬼の会の行動・議長に対して「厳粛なる議場で、行政担当者の口から市民を性悪説でなじった行為を議会は許すべきでない。と抗議した。議長はそれに答えて「オレは覚えていない。議事録を見てみる」議長にしてさえこんな具合だから、議会の運営はたんなる茶番的なセレモニーとしか市民には受け取れないのだ。

 傍聴席の声・眠りこけている古参議員もいれば、猫に小判われ関せずといわんばかりの議員もいて、議会はドっちらけ。市長の弛みっぱなしの笑顔と、助役のカメ虫潰したような顔との対比が不気味なコントラストを見せて、活力もなく形式だけの議会だったとして、期待が削られた思いだった。

 市職員にも性悪説を適用か?

 議会からの帰り道、駐車場で何やらメモしている女性が二人。何をしているのかと尋ねてみたら「市職員の車がお客様駐車スペースに止めてないかを調べているアルバイトです」と答える。「今日は見つからないが、昨日はありました」市職員の中にも不埒な人間はいるものだなと知って「市職員も性悪説の対象にされている」と、議会での忿懣やるかたない思いを和らげた次第だ。

限りなく臭い匂いがただようリサイクル問題

kage

2004/06/17 (Thu)

 ある議員からの告発。米沢市はなぜか「全国リサイクル協会」に加盟してない全国市町村の中でも数少ない市だという。例えば、ガラスビンの処理は近くには高畠町にあるが、米沢市は運賃の高い二本松市の処理場に運んでいるという理由は「前からお世話になっているから」ということらしいが、これも不純な話ではないか。運賃経費も税金からの支出である以上、削減するのが常識であるはず。

  昨日のゴミ問題について、これも議員の話だ。収集運搬業の許可を受けた株式会 社シグマは、許可業者13社中もっとも稼動率の低い会社だ。その理由は問題だが、それ以前に稼働出来ないわけがあったようだ。

 株式会社シグマ(情野和義社長)が一般廃棄物収集運搬業の許可を受けたのは 昭和63年8月のことである。許可以前にすでに10社が稼働していた。そこに参入するにあたって高橋前市長、武田誠県議の命令によって、当時の環境補佐吉田博(退職)氏が許可申請を受理したものである。新参入に激怒した厚生社(遠藤信幸社長)・原幸商店(原宏之社長)らが行政に圧力をかけたらしい。以後、米沢市は業界の息のかかった鷲尾商店(鷲尾正廣社長)以降、行政は頑なに許可を出さなくなったのである。結論としてシグマの許可については、前市長・武田県議・シグマの政治力による出来レースだとされているが、廃棄物収集運搬業界は行政がらみに蜜に仕組まれた巨額な産業だけに、根深く泥沼化していることは事実らしい。

 意外とこの辺から、行政と業界癒着の実態が尻尾を出すのかもしれない。市民はこれからの動きに注目することが大事なこととなってくる。

武士道にみるモダニズム

kage

2004/06/15 (Tue)

 大伴家持の和歌に「かきつばた衣に摺りつけますらおの競い狩りする月は来にけり」とある。

 長井市で求めたカキツバタの古来種が一輪、真紫の花をみせる。カキツバタの紫の花を小袖に摺りつけて、むら染めにした衣を身にまとい狩りに興じる馬上の男たち。古代のカキツバタは花を布染めに用いたことが知られている。露に濡れればたちまち消えてしまう紫、なんと斬新なおしゃれであったことだろう。

 明日の命もわからない武士たちにさえ、心に一瞬の美をとどめて息づいていたモダニズムは、現代人の乾いた心に活を入れられたような気がする。

 一面、明治維新前夜にはこんな戯れ歌が庶民の間に流れていた。トコノセ節だ(長くなるからその1節だけ)

 ♪七ツとせ 何をいうても 雉と鷹 上はわからぬ事ばかり この口惜しや。

 今世界中では、さかんに武士道が取り沙汰されている。生と死を紙一重に生きた武士達は、瞬時々々を研ぎ澄ませた感覚をもって生涯を全うしたに違いない。それは一枚の写実であり、連続する映像ではなかったはずだ。それに比して、現代に生きる我々は有り余る情報と映像に流されてきたとはいえまいか。だから我々には静止した瞬時の真実が捉えられなくなってしまっているのではあるまいか。

 この不幸が社会をわけもなく複雑怪奇な構造に仕立てあげているとしか思えない。数多い書込みの中にもそれらが見受けられる。

 付和雷同ということばがある。自分の考えをもたない人達が、無批判に人の言説に従うことだが、匿名であろうとも自分の考え方を素直に述べれば感動はある。だが、多くの書込みは始めに自分の立場を勘定に入れた書込みになっている。申せば男のヒステリックさを恥ずかしげもなく露呈した哀れな人たちの戯れ言である。言論には責任を持つことが大事であることは申すまでもないが、男ならば筆を労する以上、命を賭した文言を記すべし。時代は変わったが大和魂や武士道は人間の摂理として、己れを男子よばわりする以上は肝深く受け止めるべし。おのずと森羅万象が囁く声に真実を読み取る度量も備わってくるというものだ。

「米沢よ、亡びるのか」№5 安部市長の経済観念を突く

kage

2004/06/14 (Mon)

 鬼の会の提案が行政側に正しく捉えられていない感がある。
提案が闘争に変質させられたのには全くもって遺憾である。「行政が市民の提案に一々屈服していたのでは権威が崩れる。私が議会で発言し、問題を一件落着とする」と豪語するのは小島卓二議員で15日質問に立ち、16日の午後一番の質問には佐藤忠次議員が一般廃棄物処理の問題について質問に立つ。傍聴席を多数の市民が占めるだろう。

 一般廃棄物収集運搬業の許可や資源物回収の問題を突破口とした、鬼の会の提案は、あくまで市民サイドに立った運営をしない行政感覚と、実際に身をもって闘ったドキュメントで有ることの理解を強めたい。
過去に掲載した№を遡って目を通していただきたい。

資源物資収集運搬処理委託手数料 (各町内に出された新聞紙等の処分料を示したものです)
資源物収集運搬料金

鬼の会の質問に対する市当局の回答

【鬼の会】
 Q.米沢市が業者に支払った額は年4千万円の過払いであると試算する。5年間ならば実にその額は2億円にものぼる無駄な経費を投入した事になる。市は業者に返還請求(注1)をする考えはないかどうか?
【市当局】
 A.単年度契約のため過年度に遡及して利益を市に還元して貰えない。
 (注1-小国町では返還請求を行った。)


【鬼の会】
 Q.これだけの税をムダに使った担当職員の処分を行うべきでないか。
【市当局】
 A.懲戒処分事由に該当するとは考えていない。


【鬼の会】
 Q.特定業者だけとの随意契約(注2)は競争原理が働かないため、委託料が極端に高すぎる。なぜ競争入札による経費削減を考慮した「処理計画」を立てられないのか。
【市当局】
 A.業務を遂行するに足りる額である。 市は経済性より業務遂行の適正さを重視する。 いかに安く発注するかまで法は規定していない。 ごみ処理料は競争入札としなくても良いと考えられる。
(注2-随意契約 少額の場合に限ると法は定めている。厚労省は「随意契約」は悪の温床として全面廃止令をだし、公務員の不祥事を防ぐ考えである。現実には多くの公務員の逮捕がある)


【鬼の会】
 Q.現在市民は13社にしかゴミ運搬を依頼できない、新規にゴミ収集運搬業を希望するもの者に許可を与えないのは何故か?
【市当局】
 A.市は収集運搬に困っていない。(注3) ゴミ処理計画の量を運搬するのに現在の業者で間に合っている。
(注3:許可しないのは最高裁で違法である判決が出されている)


 市民よ、この回答に納得できるものかどうかだ。予算執行に当たって「いかに安く発注するかまで法は規定していない」と、平然回答する無神経さはいかがなものであろうか。あまりの非常識さに驚き呆れかえったが、以上の回答の中に、市長・助役の意見が加味されているかいるかどうかの確認をとったところ、市長不在で助役は「勿論、協議者全員の総意だ」と、せせら笑った。その笑いの奥に「たかが市民ごときの寝言に、行政は付き合っていられない」との奢りが見えていた。


 この助役らの態度から伺い知れるのは、主権在民を否定する時代錯誤的な行政感覚を更に貫こうとする恐ろしさだった。

危機感なき行政はノーテン熊やガラッ八集団だ!

kage

2004/06/12 (Sat)

 名を聞けば市民なら「はは-ん」と、だれもが知っているご仁のお宅でご意見を伺った。

 開口一番「行政に前向きな姿勢はないね。一様に行政感覚が濁っている。前市長には創意に欠ける不満はあったが、現市長には何も期待するものはない。見せかけだけの"市民との対話"で無意味な時間を浪費するなど、まったく無能なトップ感覚だ」2時間にわたって米沢の危機を訴える。

 書込みの諸君らは「市長の個人攻撃だ」とのたまい「きちんと提言をせよ」と小生からすればヒステリックな書込みが目立つ。市民のトップたらんと立候補するからには能力を自覚した上で願いたいものだ。有権者には表明した候補者の中からしか選ぶ方法はないのだ。だから、いたずらや気分で立候補されては迷惑な話だ。不幸にして米沢市民は、その弊害をモロに受けている感じだ。

 「誹謗している手前ならば、米沢市の財政難をどう切り抜けようとするのか。その試案はあるか」「私は私なりに試案はあるが立候補するなどの気持ちはサラサラない」「それは卑怯者のいうことだ」とのたまう人もいる。財政問題を解決する方法はだれが考えても同じことだが、まず、市民と職員の給与格差が2倍以上になったからには「給与を50%カットし、更に職員の数を60%に減らし、民間に入札によって外注策に力を傾注する。給与カットに不満な職員には退職願って、補充は一般公募する。人員確保に困ることは決してない」それらの禊ぎもしないで、市民への増税は許されるものではない。

 これが私でも考えられる試案だが、実行する英断こそが米沢市の未来を構築する手段だ。安部も参与も必要としない米沢市の再生論だ。職員たちよ、いつまでノー天気でいるつもりか。これは対岸の火事ではない。非情と思われようが、政府の政策は目前に迫っているではないか。またこの緊急時に役に立たない市長を擁護する諸君に腹ただしさを感じる。錯誤だと気づいた時こそ行動を起こす責任と覚悟がほしいと思う「明日では遅すぎるのだ」市民にホゾを噛ませないためにも、ここで立ち上がらないでどうする。いつまでガラッ八のままでいつづけるつもりなのか。

 主権在民の世である。主は市民であり、行政は市民のつつがなき暮らしをサポートする仕事だ。デモクラシーとはそういうものだ。強く正常な市民になるべき時はまさに今だ。故郷米沢市のすこやかな末来を望むならば、今こそ勇気ある決断と努力する知恵を出す時である。私は諸君の真意を問う。

「昔からの百姓」氏に一言。

kage

2004/06/11 (Fri)

 貴殿は米沢市の有権者を指して厭きやすいと決めつけられているが、その論理はまさに逆の論理だろうと考えるものです。

 選んだら責任をもって育てる義務が有権者には有ると言っておられます。が、これも逆の論理です。選んだ候補者に責任を持つならば、候補者の行動を常に掌握し、時には諌言もすべき義務だろうと考えます。現実には個人攻撃のように映っているのでようが、まずは提案から事は始まっていることをお忘れなく。

 提案の趣旨はいまさら申し上げるまでもありませんが、提案に対する市長の対応を知っていただきたいと願います。

 まず、鬼の会との面談を断りつづけ、逃げ回っていたことの事実。これを打開するために「内容証明」便で面談を申し入れねばならなかった不合理があったこと。

 しかも、本会を懇談会ということにしてくれと市からの要請で、会談を懇談会という骨抜きされた会合にされそうになったこと。しかし、市の要請とは別に会合を本会の質問事項に終始させたこと。質問に対して市側は一切の返答が出来なかった事実は、出席した40名全員が見届けていること。

 市民の提案を理由なくコケにして、今もって態度は「お上に逆らう不埒者!」扱いなのである。行政側に公平な市民感覚があるならば、本会の提案は平静に受けとめられて然るべき提案だった。

 正常な感覚を持った市長なら、電話一本で是正できる提案だった。大騒ぎする問題では決してないものだ。それを証明するかのように周辺市町村は実行したではないか。米沢市だけが実行できない裏には不純なものが存在してきたからに違いない。その陰湿さを断ち切れるのが、自由の風を表明した安部市長ではなかったのか。

 期待は大きく外れ、安部市長の正常な行政能力に疑義をもつのは、むしろ正常な市民感覚だとは思いませんか。本会の市長批判に中身を検索しない書込みが多いことは心外というもの。貴殿のように「お天道さま次第」というのどかな生活環境を羨ましく思いますが、問題は米沢市の浮沈にもかかわる基本的な行政の姿勢に是正の闘いを挑んでいるわけで、その点だけは理解していただけたらと願うものです。

 貴殿のごとく長い目で見て待てるほど時代はのんびりしてはいないのです。いたずらに個人の自由意志だけで立候補してはならないのです。「米沢市の方向づけは斯くのごとくすべし」という哲学を持ち、冗談にも「市長になってから考える」では市民が困惑するのです。「市長になったばっかりで何もできないのは当たり前さ」では、立候補の資格なしです。

 人の上に立とうとするならば、すぐにでも市長の職務を全うできる準備をすべきでありましょう。趣味や思い付きでこともあろうに米沢市のトップリーダーを目指すとは。―――

 安部の能力と主義信情を理解しないまま投票所に足を運んだことを、いまさらのように反省しているところです。

米沢に生まれた快男児・雲井龍雄に学ぶ

kage

2004/06/11 (Fri)

 維新を勝ち取り、新に政府が誕生その名は明治政府。長州、薩摩、土佐の合体政府であった。

 維新戦争のために徴用された兵士は使い捨てにされて、巷に大勢の浪人が溢れ出した。

 そんな時世の中で、薩摩は目に余る自己保身策を弄した、その横暴さを「討薩檄」なる漢詩をもって天下に号令を発した人物こそ米沢が輩出した英傑雲井龍雄がその人である。

 新政府の転覆を企てた雲井は、新政府の挙動に、怖れおののいていた当時の米沢藩の手によって捕縛され、新政府の手によって斬首された人物である。

 米沢市民にその名が知られていないのは後難を恐れた米沢藩が出した箝口令のせいであろう。 その流れから「お上に楯突くなどの行動は一切認めない風習」が、今もって市民の中に根強く残っているものと思われる。

 米沢が閉鎖的だといわれるゆえんであり、事なかれ主義に温存されて、骨抜きされた市民の末路なのだ。

 多くの書込みの中にそれが見られて哀れである。男子たるもの「大河の流れを変える度量」を持たねばならぬ。天井裏でコソコソ騒ぎたてる鼠族であってよいはずはない。たとえ市長であったとしても「過ちは糾さねばならぬ」

 本会の提唱する「古紙の公平な一般入札制度導入」に、頑なに否認する行政を議会が採り上げ、15日小島卓二議員、16日には佐藤忠次議員によって一般質問での追求がなされる。

 安部市長はどんな答弁をするのだろうか。 米沢周辺の市町では、すでに報道されているように入札によって歳出を押さえ、むしろ歳入を高める結果となっているではないか。

 政府の三位一体の政策によって、補助金や地方交付税が確実に減額されることが明らかにそれている現在、まして米沢市は経常比率が95%にも上っている破綻寸前の状態にあるにも関わらず、何たる無駄な支出をするのか。しなければならない理由はどこにある。一般企業では経常比率は25%が限度。

 米沢市がおかれた現実にあって、なお平然として問題意識を持たない市長をあなた達は同情心だけで包みこんで、男子といえるのだろうか。天下に向かい生命を賭して己れの真情を訴え続けた、若き先人の心意気に学ぶ気持を、少しはもって男子であり、大人の条件というものだ。

議会は教育長人事で難航

kage

2004/06/09 (Wed)

 かつて経験したことのない教育長の人事案件に議員達が揺れている。

 安部市長が議会に提案している教育長人事だ。本会議で賛否をとれる問題ではなく、否決でもされたら候補者の名誉にもかかわる大層な案件だ。

 学歴は立派過ぎるほどの大学教授退職者だが、年令が問題であり、それより何より思想心情に疑念があるのだと議員たちは語る。

 安部市長のように、日の丸に敬礼するのは避けたいとして卒業式の祝典に出席しない者がいるとしても、教育長となれば問題は別だ。今、日本で最も急がれるのは教育の正常化だ。左翼教員による教育がいかに日本の教育を駄目にしてきたか。だれでもが承知している大問題だ。

 したがって、議員達は助役に候補人物の思想心情を調べ、回答を寄せるよう働きかけているが、助役の回答はアイマイで肝心な点になるとボカシて真実が掴めないというのだが ---

 反対派の議員数は現在半数に近いのだという。したがって本会議の前半では議員の満場一致という場面でないから、議会の終盤までに議員を説得する必要が安部行政側にありそうだ。

 だからといって、現助役では能力不足から議員を説得する力は足らない。だからといって市長は説得に汗を流す努力はしない。これでは市民の行政不信は募るばかりだ。

 こと教育長にかぎり、地元の教育に実体験をもった人物がその職についてきて波乱はなかった。それは地元の教育関係者による厳しい眼が光っていたからに違いない。

 教育長不在はナント6か月を数える。不在中に佐世保のような小学校事件が起きたとしたら、任命権者の市長はどんな責任の取り方をするというのか。

 教育長問題「履歴書の立派さと、教育を任せられる人物であることとは別の問題だ」とする議員たちの声は正常な見識だと思われる。が、子を持つ親たちは切実な問題として、はたして捉えているのだろうか。

 謎の微笑を浮かべているだけで、行政を行なえるものではあるまい。

 「大学教授のような学者を三人も行政に加える必要があるのか。結局は安部市長の低能さのカバー要員としか思えないよ」と、怒りをこめて語るのは市民なら誰でも知っている学識経験者だ。

 まったく今の行政は前を向こうとしない。職員の全部が全部だ。三位一体の時代にノホホンと構えて危機感すら持ってない。

 国は補助金を減らし、地方交付税も減らす。そのかわり地方で集めた税金は、地方に使い方を任せるからといっても、米沢市は税金で賄えるだけの事業所はない。

 市職員の大幅なリストラと、職員の給料を大幅にカットする姿勢を見せないと、増税だとお題目をあげても市民が承知するわけがない。

 「私は鬼集団を米沢市の改革団体だと期待しているのだ」とエールも届く。

 鬼の会の闘いは行政不信の追求と解明で、ゴミ問題はその入り口に過ぎない。ソロソロ増税問題と職員の待遇問題を手懸けるはずの安部市政に、鬼の目をもって不合理に挑む覚悟である。

凡人氏と大市民氏に

kage

2004/06/08 (Tue)

 昨年の市長選挙時に「どちらが市長になっても米沢市の不幸だ」と書いた。

 大久保候補は前高橋市長時の行政経験豊かな助役であり、安部三十郎氏はあくまでも泡沫候補だった。大久保候補は高橋前市長の院政を継承する傀儡市長となり、高橋前市長の引いた路線を、背後に高橋が操る糸を感じながら、マリオネット市長になるのではあるまいか。これを市民か嫌った結果だった。

 高橋前市長は小生のクラスメートであり、何でも言える刎頸の友である。初めての選挙から、小生は力の限り応援してきたものの、さすがに4期目は「長期の市長職では、水が腐るから立候補は止めるように」と諌言してきたのが真実だ。以後、高橋の選挙には関係をもたなかった。

 野村の挫折によって、追い風が吹いたのは安部候補だった。野村支持者の票の大半が安部候補に流れた結果、安部市長誕生となったものである。安部であれば、野村の体調復活を契機に票は手元に帰ってくるという野村陣営のご都合主義であったのだ。

 だから、安部の再選はないと断言する人たちが多いのだ。加えて、トップとしての認識も薄く、指導力すらない。トップとしての第一の仕事は「米沢市を方向づける哲学」を持つことである。まず安部市長はその資質に欠ける。したがって再選はない。

 そこで凡人氏のいう「米沢市を託すに足る人物を育てる」という意見は正しいが、育てる過程を人に託すだけでは解決は望めない。凡人氏も行動を起こすことだ。

 大市民氏は、市民の投票によって選んだ市長だ。仕方なく選んだ、というのは当を得てはいるが、米沢市民の恥辱だったとは思えまいか。

 氏の言われる、展望無きリコールではなく、米沢市を託せる候補者は実際には存在する。
ところで大市民氏は米沢市の展望をどんな思いで描かれているのだろうか。

 展望は市民全員が描くものであり、それを首長に託し、首長はその負託に応える責務がある。もし付託に応えうる器に無き場合には、市民として男子ならずとも、時代の不合理に怒る度量があってこそ大人というものだろう。

 山形県内の多くの市町村では、すでに増税のプランが立てられている。米沢市政はやがて来る地方交付税の削減に何の策も立てず「合併問題、機はいまだ熟さす。期が来たら私の考えを話す」と、時流の速さを感知していないかの当米沢市長だ。呑気といえばたいした度胸だと思えなくも無いが、脳裏で葛藤しているような風情でもない。

 やはり、米沢市は滅びの道を選択するのか。

凡人氏の慧眼に脱帽

kage

2004/06/07 (Mon)

 米沢市民のレベルを熟知している行政感覚とは恐れ入った慧眼ですね。

 行政にいくら働きかけても、行政マンとはその資質と感性から、市民に舐められてたまるかという意識が強く感じられているところです。

 市長や助役にどんなに働きかけても、やはり糠に釘であり、暖簾に腕押しなのでしょうか。

 当該米沢市は早晩増税に踏み切ることになるでしょうが、手前たちの給料減額あるいはリストラをせずに増税では市民は踏んだり蹴ったりの市政になるでありましょう。

 能力に欠ける市長や助役が厳然として地位にしがみついている以上、米沢市の破滅は眼前に迫っているというわけです。あきらかにパフォーマンスだけの市長では、機を見て代える必要に迫られていくのは理の当然というものでしょう。

 自由の風という個人的な旗を、市長室の入り口に飾ってあるのを見た都会の友人は「市民も舐められたものだナ」と冷笑した顔が忘れられないものです。

 市長の地元では「地元だから票をいれたが、誤った選択をしてしまった」と責任を感じているところだと話す。「部落のどんな行事にも顔を見せなかった男で、部落では変り者で通っていた男だ。市長になっても無能ぶりを見せているのだば、来期は落選させるのだば」。

 某会社の総務部で係長にもなれなかった者が他の候補者の事情で市長に当選したはいいが、長靴を履いて登庁し市長室に入って、さすがに靴を履きかえたというドエライ田舎者市長である。

 鬼の会は8月をメドに500人の市民会議を開き、その決議によってはリコール運動が展開されることになる。

 経済性を考えた予算執行を提案する鬼の会の意見に目をつぶり、一部業者に加担して公平な入札を拒否するという行政感覚と、法律違反という最高裁の判決をも無視する行政である。

 米沢市といえども法治国家に属している以上、法律は守らねばならぬ。

 有名大学の法科を卒業してきた市長が、書込みにあるア ホウカでは酒落にもならないのだ。

 一部の反体制的論客を相手にしないのならば、市民運動を地道に起こすことに方針を代えたいが、しばらくは真正面から行政の悪癖に挑戦してみようと鬼の会同志は固く誓いあったものだ。

 米沢市民が全てにおいてサルに劣るとは思っていない一人だが、サルにも劣る行政トップに舐められたのでは、戦中派の人間として誇りが承知しない。

 時間は惜しいが米沢に育った者として、未来の米沢市の姿を見定める責任がある。

 徹底した行政との戦いを、凡人氏よやめる訳にはゆかないのだ。

ただ待つだけで良いのか、合併問題

kage

2004/06/05 (Sat)

 4日の読売朝刊は、山形県市長村の財政の実態を報道している。
無論、ご覧になった方も多いことだろうが、地方交付税の削減によって山形県下の多くの市町村が「赤字管理団体」に陥り歳入不足で予算編成が困難になる予想だ。

 他の町が合併を急いでいる裏には「合併特例債」の活用のみならず地方交付税の削減を視野に入れ、行政のスリム化を考慮した改革なのである。すなわち人口の少ない市町村ほど行政コストが割高であり市民サービスの質が低いのである。

 米沢市の税収は約130億、職員の人件費がこれまた約130億(特別職含む)、市税はすべて市 職員の給料に消えてしまい、国からの交付税がなければ肝心の市民サービスに使う金はゼロ円だということになる。

 したがって、今後交付税が減らされれば、市民への増税あるいは職員のリストラ・給料減額となるわけだが、行政マンが自ら身を削った話など聞いた試しが無い。

 ということは「市民への増税か」「何もやれない行政」しか選択の方法はないことになってしまう。

 安部市長よ、米沢市が合併をせず独自の道を歩むのも選択肢の1つと言うのなら、職員の大幅削減か給与の減額をはっきり表示する覚悟が必要なのではあるまいか。市民への増税だけは勘弁してもらいたいものである。

 ことは急を要する重大な問題だ。時世はまさしく風雲急を告げているこの時期に、「経済性より業務が適正に出来れば良いのだ」と特定業者オンリーに随意契約して、税金を無駄遣いし続ける事に何の疑問も持たない担当部・市長、助役を、市民として黙認することは出来ない。

 市町村の破滅はもう目前に追っているというのに「まだ期は熟していない」とトボケた市長の答弁。これでは米沢市民はたまったものでない。「最低の選択をした」として安部市長を罷免するべく、火の手はソチコチで上がりはじめている。大火になるのは確実だと断定していいのではないか。

安部市長よ、現実に目を向けよ!

謎めいた微笑などは確実に、市民によって乾いた笑いとされるだろう。

せせら笑う米沢市の助役さん

kage

2004/06/04 (Fri)

 米沢市長からの「建白書の返信」が、あまりにも稚拙であったので、当該返信には市長・助役の意見反映は無かったかに思えた。そこで助役に真意を糾したところ、真意を反映させたものだという。 

 そこで本会は「納得出来ない、あくまでも闘う」と宣言したのに対して助役は「受けて立つよ」と、せせら笑っていう。

 これが助役の市民に対する態度なのだ。米沢市の助役という名誉ある地位についた人物としては、いささか品格に問題があるのではないか。

 本会の懇談会席上では終始ニコニコと謎の微笑をつづける市長と反対に、助役の面相は「御上に逆らう不届き者め!」とばかり、カメムシでも食ったかのような奇妙な対比が印象に残っている。こんな陣容では、米沢市は明らかに滅びの街を選択したことになる。 -続く-

建白書に反発する行政のあくなき奢りの体制

kage

2004/06/04 (Fri)

[鬼の会が市長宛てに提出した建白書の内容]
 1.一般廃棄物の収集・運搬を業として行なおうと希望する者が、市に対して許可申請を行なった時、法律に無き文言をもって、許可を拒まないこと。

 市の回答:最高裁判所の判例により、不許可とすることは適法である。

 「解説」

 本年1月15日に出された最高裁小法廷の判決をもって、米沢市は適法だとしているが、法律上の解釈を甚だしく誤認している。(本訴訟は石川県松任市の判例)

 一審および高等裁判所・最高裁判所は「市町村が事業の推進が困難である時は業者に許可を与えなければならないと判決している」

 米沢市は自らの手で廃棄物の収集運搬を行なえない状態にあり、収集運搬が困難であることを立証している。この場合、業を希望する者の許可申請に際し拒むことはできないと法律は規定している。

 したがって、米沢市の不許可処分行為は法律に違反したものである。

 米沢市は自ら法を犯しながら、申請者に対し法律に適していないと嘘言を弄し、業を望む市民の夢を挫折させ、地域経済活性化を阻害してきた罪は重大であり、法を犯してまで既存業者を擁護しなければならない理由は何かと、本会は激しく建白したのである。

 2.建白の主軸は、特定業者との「随意委託」を廃止して、競争原理の働く「入札制度」を活用させ、公平さと経費の削減を計るべきである。

 市の回答:米沢市は「経済性よりも、事業の円滑化に重点を置く」。「費用を積算し、次にいかに安く発注するかまで、法は規定していない」

 「解説」

 事業を計画するにあたって、その中に経済性を勘案するのは一般社会において常識であるが、行政感覚では全く経済性を問題にしていないのである。

 しかも、特定業者1社だけとの随意契約をこれからも存続すると表明、競争原理の働く「競争入札」などは眼中にないのである。

 近年、小国町では同様の仕事に「競争入札」制度を導入した結果、収集運搬費用は現行の,年間1千65万円から140万円に経費削減された。

 過日の朝刊では、長井・白鷹・飯豊の場合を採り上げ、見積合わせの結果、3市町で資源物回収費処分費マイナス350万円となったとある。

 また、神奈川県内の某市では、入札にマイナス5千万円を提示するという業者も現われ、市が委託する、町内に出された資源物の収集運搬処分料は、業者からお金の貰える時代なのである。

 米沢市の行政感覚は驚くほど麻痺していて、頑なに競争入札に応じないという態度を固辞し、1社のみとの随意契約により年5千数百万円を払い続けようとしているのである。

 米沢市の行政は時代錯誤どころか、埴輪時代を祐佛させる市長であり助役であり担当部長である。

 特定業者との随意契約を続け、市民の税金を無駄遣いしなければならない事情の実には一体何があると言うのだろうか。