衆議院選挙②
![kage](https://blog-imgs-55.fc2.com/c/o/o/coolsheets77/kage.png)
2024/10/31 (Thu)
衆議院選挙②【石原莞爾】明治26(1893)~昭和24年(1948)
ヨーロッパの列強が主導したアジアの植民地化は、16世紀から続けられ、これを危惧する石原莞爾は、1930年にアジアの自立を重視し、日本がアジアを指導して欧米列強からの独立を達成し、日本が中心となりアジアを統一することで、欧米の植民地主義に対抗するアジア独自の秩序が築かれるべきと考えた。
石原は満州を理想的な国家モデルにすべく「五族協和」(日本人、満州人、漢民族、朝鮮人、モンゴル人)による、各民族が協力し合い、欧米の植民地主義に依存しない独立したアジアのモデル国家となるべきとし、日本が倫理的で文明的な指導国として、武力によって支配するのではなく、道義的な指導によって他民族を導くことを理想とし、「共栄圏」の一環として満州を発展させようとした。
しかし、当時の日本は日清戦争や日露戦争の勝利に、「強い軍隊が国を発展させる」という軍国主義が浸透して軍が政治に直接関与する体制となり、日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破し、それを中国側の仕業とした満州事変(1931年)をきっかけに、日本は満州を占領して1932年に満州国を建国し、日本の植民地のように扱おうとする軍部指導者や日本政府によって、石原の理想的な共存国家の満州を築くべきだという理念とは異なる方向に進むのであった。
石原は、日中戦争や太平洋戦争が拡大する以前から、「アメリカやイギリスとの戦争は避け、アジアの平和的な指導者としての日本の役割を強調すべき」という考えを持って、無謀な戦争拡大には反対し、戦争を長引かせることは日本にとって致命的になると予測して、戦争を避けるための外交的努力と、経済的な安定を重視する姿勢を貫いた。
一方、東条英機は、軍事力の行使を重視し、中国やアジアでの領土拡大を推進する強硬派で、満州国の建設に深く関与し、日本の国益を広げるためには戦争も辞さない姿勢を示していた。
石原はアメリカとの戦争は日本にとって自滅を招くと東条に警告したが、東条は石原を軍から追放して太平洋戦争の開戦に踏み切った。これが日本の破滅的な敗北へとつながって、石原の懸念は現実となり、日本に壊滅的な打撃を与える結果となった。
このような考えの石原に心酔し、彼を師と仰いだのが「木村武雄」である。
【続く】
![](http://blogranking.fc2.com/ranking_banner/b_02.gif)
コメントフォーム
![kage](https://blog-imgs-55.fc2.com/c/o/o/coolsheets77/kage.png)
この記事へのトラックバック
![kage](https://blog-imgs-55.fc2.com/c/o/o/coolsheets77/kage.png)
この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)