「おい、大きいのを一本頼むよ」

2005/10/22 (Sat)
「おい、大きいのを一本頼むよ」翌朝には目白の田中邸に1億円の金が届いた。送り主は東京佐川急便の渡辺社長からだった。佐川急便が政界にバラ撒いた金は1000億円とも言われるいわゆるリクルー卜事件に続く佐川急便疑獄事件である。
日本歯科医師会からもらった1億円の小切手を懐に入れたはずの橋本元首相の裁判がつづいている。「記憶にない」と言い張る橋本元首相である。国民感情として権力者との間に変性の感が著しい。
佐川急便の黒い金に群がった政治家は無数だが、有り余る資金は佐川急便の窮場を救った政治家たちの報酬となっていった。
この実態を命がけで書いた著者は、読売新聞を退職し現在は政治ジャーナリストとして活躍をつづけているテレビでお馴染みの菊地久氏だ。
群がった人物はひとり政治家だけでなくヤクザや右翼が絡んだことでも命の問題は切実なものがあっただろう。
政界では佐川会長出の新潟同郷の田中をはじめとする竹下・金丸・三塚・福田・安部ら、政商として福島交通の小針など、変わったところではアントニオ猪木の東京都知事選辞退劇にまつわるダーティな資金が流れた。
著者の菊地氏は岩手県江刺市の出身。いまも永田町の預言者としてスクープを連続特報中の記者だ。著書を見ると、佐川マネーに群がった政治家は与野党含めて200人、佐川マネーによって政界は完全に汚染されていたのだ。
いかに権力者とはいえ資金が枯渇するようでは首相の座には座れない。佐藤栄作は「首相の座は戦って手にするものだ」と言って座を狙う者に資金量の必要を説いたという有名な話が残されている。現在の小泉首相はどうだろうか金にまみれた話は聞かない。歴史が示すように人の上に君臨するには資金の裏づけが介在している。
巷間では議員の報酬の高額さを羨んでいるが、当選するために必要とする資金量は想像もできない。したがって、議員職を維持するためにはダーティといわれようが、資金に群がりたくなるのは当然のことに思えるのだ。
ある市会議員は「議員に物を頼むのに手ぶらはないだろう。金かそれとも票をもってこい」と豪語したと聞く。ことほど左様に議員は金や票には目がないものだ。小生宅には結構議員たちが訪れてくる。が、「年金が出るから次回の立候補は止める」だとか自分本位のことだけで、米沢市の根幹に触れる政見をもった議員はゼロに近い。自然環境の破壊などに関心を示したふりはするが、具体的な意見はもたない議員が多い。まして、水質の問題や生活習慣病などの予防法などに関心は示すものの自分で実行する議員はまずゼロのようだ。
彼らは議員職につくことが最終の目的であろうから淋しい感性しか持てないのであろうが、多くの議員の目に輝きが見られないのだ。故郷米沢市に必要なものは何か?米沢市に活性をもたらす方法は何か?その方策とは?
選ばれた公人ならばそれなりの策を示すべきであろう。視察旅行では宴会は中止することにしたという。先年の野球拳批判の反省からであろうが、市民は宴会を批判するのではない。宴会だけが賑やかで市民に答える視察をしてこないからだ。あきらめて議員に託するものはないが、託されない議員という存在もおかしなものであり議員の存在すら無意味なことになってくる。

謙信公の後継ぎは景勝にあらずして「北条氏秀」が、その人だった。

2005/10/18 (Tue)
謙信公の後継ぎは景勝にあらずして「北条氏秀」が、その人だった。「座の文化伝承館」に隣接する土蔵は米沢市保有のものではなく、文化庁の管埋下に入っている。そのわけは上杉古文書の中に国宝指定の文書があるからだ。
かつて上杉隆憲氏がご在命の折りに隆憲氏に請われて米沢市を代表する史家三人「今泉、下平、井形」の三氏が調べた結果、歴史を覆すような文書に遭遇した。
コピー機を土蔵に入れ、時間をかけて貫重な資料を写したという文書の中から「謙信公の後継ぎ」に関する写しを拝見して、目からウロコが落ちる思いをした。
謙信公の後継ぎは景勝公であるが、文書によると謙信公は後継ぎを北条氏秀にすることを約束していた事実を示す文書だった。
謙信公はそれを約する証文と一緒に家老柿崎の子供を、人質として北条方に送り証文の担保とした。
それに答えて北条方からは「約束は守る」という起請文が上杉方に送られてきた。起請文とは神社のお札の裏を使って書かれたもので、その時代の証文としては最高のものとされていた。
実際には謙信公の後継ぎは景勝公となった。約束を破られた北条方は証文の担保とされた家老柿崎の子供を当然ながら殺害する。
そこで景勝は北条三郎氏秀の子供(道満丸)を殺害しようとしたが、上杉憲政や景勝の妹の懇願によって一命をとりとめ、米沢市の田沢地区に匿われていった。
と話は続いていくのだが「今もって米沢藩祖を謙信公とするのはおかしなことだ」「景勝公を米沢藩祖にすべきが歴史上正しい」というお説だった。
米沢の歴史を根底から覆す大事件である。それにして謙信公の証文と北条方の起請文の発見は歴史上において貴重なものである。多くの市民が知らないところで歴史の真実が浮かび上がってきたということだ。歴史の真実とは? かくのごとく後日創られたものも多いが、実在する古文書が証明する米沢藩にまつわる意外な歴史的事実である。

安部三十郎市長の政治手腕は現在のところゼロだという議員談

2005/10/17 (Mon)
安部三十郎市長の政治手腕は現在のところゼロだという議員談行政手腕の無さは市民の知るところだが、外交的政治手腕はそれに輪をかけたようにゼロ街道まっしぐらだという。
かく語るのは有力な市議会議員だ。
まず、市町村合併問題では米沢市は周辺市町村から「米沢とだけはまっぴらだ」と米沢市は蛇蠍のように嫌われた。ために合併問題は実らず。しかも、南陽市の佐藤病院の米沢市進出を阻むなど失政つづきの市政だ。
「市長は米沢にいることないから、東京にいて八幡原に優秀な企業を誘致することに専念してほしい。もし、一企業をも誘致できないようであれば来期の市長職は無理だと思え」と、膝つき談判をした議員がいた。
議員の保険料末払いだとして、議会が事実究明に動いたことは市民衆知の事だが、市民に多大な不安を与えた「個人情報漏」の責任を、市長が代表して市民に詫びる態度もない。
首長として詫びる姿勢をも持たないような人物を市長にしておくのは米沢市の恥ではあるまいか。
巷の安部市長評はすこぶる良くなく、来期の市長選挙を待って落選させようとする考え方が多いようだ。中には「一期だけでは可愛そうだべな」という同情論も年寄りには多いようだが、市民は次期市長選挙を待ちわびているのが実情のようだ。
市長室の入口に張りつけてある「自由の風」の旗は早急に撤去すべきものであり、呆れたことには遊説に訪れた元民主党首の演説中に、市長自らが自民党候補の旗を立てて市民の顰蹙どころか.永田町界隈の噂になっていったというが、マサカと思うのだが見た人たちは異口同音に「選挙常識を逸脱した行為だった」と語る。
たしかに選挙では遠藤陣営が彼を押したことは明らかだが、だからといって相手党首に対して儀礼を欠くものだったらしい。
地元の地区での評判「地元候補だというから義理で投票をしたが、それでもマサカ当選するとは思っていなかった。市長にしてみて地元の人たちは間違いを犯してしまった」と言っている始末だ。
次期市長選を狙っているのは前県議の野村研三氏だが、市民は立候補時の病気辞退を心配して、未だに踏み切れない部分を持っているようだが、本人は病気を克服した現在、元気に飛び回って運動を続けているようだ。
いずれにせよ、任期の前半は間もなく終わろうとしている。後の2年間をどのような働きで市民の信任を得ようとするものかが見物である。
市長ゴッコは痛快であろうが、それだけでは市民は不幸になるばかりだ。

川中島模擬合戦の創案者は「小野栄」氏にあらず

2005/10/16 (Sun)
川中島模擬合戦の創案者は「小野栄」氏にあらず新聞紙上で本年度の「市功績者・市功労者」のご芳名が発表されている。時間をおかず市の広報誌にも掲載されるであろうから一言。
「川中島合戦」の創案者は故上村良作米沢女子短期大学学長であり、小野栄氏ではない。
小生の思い違いであったのかと、手元にある上村良作氏の遺稿集で調べてみたら、本人のサインの入った「川中島合戦軍奉行指図覚」が克明に描かれているのを見つけた。武帝式の緻密な台本も書かれている。
「総務部の発表を紙面に載せたものだ」と記者はいう。そして「総務部の発表を鵜呑みにして書いたもので、精査しないで書いた自分にも責任がある」と女性記者は反省する。
一昨年の市功労者発表時に「保護司会の金を使い込んだ人物が、なぜ、功労者であるか!」と語気荒く飛び込んできた市民がいた。名誉を第一に尊守する保護司会は使い込みの実情を表沙汰にしないで済ましたようだが、ことほど左様に功労者表彰に関 しては、事前調査に欠けているようだ。
小生は表彰者を選定するメカニズムを知るよしもないが、一昨年の市民のごとく、川中島の創案者を小野氏に変えたのは、故人の名誉のためにもすべきことではあるまい。
まさか自称歴史家の小野氏の文言ではあるまいが、総務部は簡単に思い込みだけで発表するのは故人になんと言い訳をするつもりだろう。
かくして歴史は折り曲げられたままに伝えられていくのだ。小野氏は上村氏の遺稿集に「不肖の弟子」と題して、創案者の上村氏を褒めたたえているのである。また、小野氏は演劇集困ヨップネをして、米沢の演劇を伸張させてきたとあるが、彼の上演したものはすべて作者を無視した無許可上演(上演するに当たって作者の許可が必要)であり、演劇人の基本を欠いた演劇活動であった。
もはや指導者とはいえない存在であり、小生にとって迷惑至極な存在だった。だからいい加減な小野氏には迷惑だとばかりに、近づくことを避けていた。米沢市が演劇王国として全国に知られたのは小生が関与した昭和三十年代のたった二年間だけである。
小生は小野氏の表彰に文句をつけるつもりはないが、死人に口なしだとしても故上村氏の創案を自分私するのはどういうものだろうか。かつて、史々編纂室に在席中、その中の資料を他の本に自分の名前で掲載してお目玉を頂戴したことがあったとも聞く。創案者名はあくまでも大切にすることが肝要でありまして、米沢祭りの目玉として全国に知られるようになったからと言って、創案者は自分だと名のること自体が無礼極まる悪しき行為であり、少なくとも常識人のすることではない。
米沢市には小野氏と違い本物の歴史家はいる。彼らは一様に小野氏を侮蔑して語る「小野氏は脆弱な体ゆえに書籍から歴史を見て語る。本物の歴史家とは足で歴史を検証して歩くものだよ」という。
市の担当者も表彰しようとする入を、表彰するに値する人物かどうかを下調べすべきだと恩われる。表彰された後で「あのご仁は使い込みした人物だ」とか後世までいわれつづけるのも表彰ゆえの不幸にあたることになる。
総務部の担当者よ、すべてがお役所仕事だとは言わないが、米沢市を代表する人物の表彰である。事にあたっては緻密に精査することが望ましい。

市町村の数に指摘があった。

2005/10/07 (Fri)
市町村の数に指摘があった。「ば-か」氏と「勝手に増やすな」氏からの市町村の数に指摘が入った。小泉改革が始まり市町村合併が奨励された年の2001年度を基本にした当時の市町村数を3,220と書いたが、ご指滴のように現在の時点では詳細は分かっていないが、2006年の見通しでは1896市町村になるだろうと読売新聞は報じてある。
問題は、国が経済的未来を精査した「20万入口の町づくり」構想のために、国の方向を向いた市町村と、己れの立場だけを重視した市町村との差が、同じ日本人でありながら、政策の本丸を理解出来ずに方向転換できなかった市町村の首長および議員たちの政治的能力に一住民として多大な疑惑をもつものである。
前高橋市長時代はクラスメートという関係からばかりでなく、気さくに市民の声を聞いたものである。その高橋市政においても市町村合併は成立しなかった。
米沢イコール上杉藩は置賜一円の市町村から歴史的に忌み嫌われてきた歴史の流れがある。
現在、小生は「雲井龍雄」を題材にした舞台劇に着手しているが、その中で知れることは上杉藩がいかに周辺町村民に苛酷な税を課したかがわかる。
上杉鷹山公は米沢藩救世の祖と取り沙汰されているが、藩の借財をきれいに始末出来たのは、住民からの税の取り立ての上に成したことであろう。
小泉首相は国の財政建直しに「各種改革」を標榜してきた。考え方の基本は上杉鷹山公の思想と類似しているように思われる。
改革はつらいものであり不満分子が騒ぎたて反対闘争を展開するものである。このパターンはいつの世でも同じものである。
置賜地方は謙虚な気持ちで「大置賜市」を構築すべきだった。山形市、酒田市、鶴岡市とならんで置賜市(仮称)を誕生させるべきであった。
明治22年、わが国で市制・町村制が公布された時点で、東京、大阪など6大都市に並んで、米沢市は31の市の中に数えられていたものである。 人口数では津市に次いで2番目に低い市だった。が、いまでは津市に追い越されてわが国では最低の人口の市となっている。
市政が公布されてから1世紀と4分の1が経過した現在、10万の人口もない米沢市である。理由は種々あるだろうが、米沢市は人口が定着せず若者に魅力のない町として捉えられてきた証左なのであろう。
米沢市を再生させるためには、余程、感性の豊かなリーダーで、人の意見に謙虚に耳を傾ける人物が望ましいことに違いない。歴代のリーダーに米沢市は人物を欠いていたということになる。
しかし、リーダーを選ぶ手段として住民には選挙制度としかないのが現状だ。
立候補する人物にそれらの資質を備えた人物がいれば住民も幸せだが、立候補者がダメづくしの人物であれば米沢市は不幸の連鎖をたどるということになる。

10月馬鹿さんに

2005/10/06 (Thu)
10月馬鹿さんに確かに「お上からの上意下達で良くなったことがありましたか?」というご意見には一理あると思います。
小生の思いあたる「お上の選択の過ち」といえば、第二次世界大戦の勃発から終戦までのいきさつ、なぜ、空爆はおろか核兵器の投下を許して戦闘体制のない国民を犠牲に追いやったものであるか。
また、米沢市の場合、一方通行によって市民に多大な不便をかけた事実や、旧町名を廃止して城下町の風情を根底から埋没させたことなど、行政に対して不満は残ります。
それでは何故一方通行をやらなければならなかったかを検証してみたいと思います。
当時、車社会が訪れようとしていましたが、自転車を利用することによって大気汚染等の公害を防止しようとする「バイコロジー運動」が全国的に叫ばれていたのです。
米沢市は自転車が活躍していた頃で、財政は疲弊していました。
そこで、バイコロジー運動を取り上げることによって貰える多額の補助金を目当てに、米沢市はダボハゼの如く「バイコロジー運動」に食らいついたものの、道路の両側に規定の自転車専用道路の白線を引いたところ、車道の占める面積(道路幅)が狭められ、対面交通が不可能となり、一方通行という処置になったものだと聞いております。
目の前の補助金欲しさの政策であったことは今になって無駄な政策だったと考えられます。
旧町名の廃止は、上杉の城下町として観光行政を展開しようとするならば、今になって悔やまれる政策であったことは否めないと考えます。
このように「10月馬鹿」氏のお考えと一致するところは沢山ある小生ですが、「身の丈」に合った行政を行なっていくという考え方には賛成できない訳があります。
「身の丈」に合わせるとは、各市町村の収入の額に合う行政サービスの事と考えますが、現実には東京都以外の地域では成立しない問題だと思われます。
なぜならば米沢市の税収は年約100億円、人件費が約100億円、したがって地方交付金や各種補助金に頼らなければ、米沢市単独で住民サービスは不可能であるということです。
にもかかわらず国はその額を減らす政策を打ち出している事を無視することは出来ません。
以前は市職員の給与は安く、表現は悪いが「市の職員になろう」とする高校での同級生の中には成績の比較的芳しくない人たちが多かったものです。優秀な人材はみんな景気のよかった民間企業に職を求めていた時代がありました。
時代は変わり、今や市職員の人件費は米沢市給与所得者の約3倍となり市財政を逼迫する要因となったのです。
そこで小生は人件費の軽減が第一と考えますが、職員数を今のままで支払い給与額を3分の1にするには相当の問題があり不可能と思われます。
合併を行った市町村は、そのメリットに労務コストの軽減をあげていますが、それは一人当たりの支払い給与額を下げるのではなく、小さな町が合併によって、より大きな町づくりをし、職員数を減らす考えです。
何もやらない米沢市は、交付税・補助金の削減を、住民への行政サービス低下によって対処しようと言うのであるか。
川西町のように、税金で職員の給与を賄えない町も現実には見受けられるもので、今後の町運営をどうされるつもりなのか興味のあるところです。
各首長、各議員諸君らは、市町村の合併によって当然ながら議席を失う恐怖から、合併に反対しつづけたもので、田舎議員に期待するものはないのです。

市町村合併すら出来なかった置賜地方の為政者はことごとく無能集団だ!

2005/10/05 (Wed)
市町村合併すら出来なかった置賜地方の為政者はことごとく無能集団だ!国の財政危機と同じように、多くの地方自治体の財政も危機に見舞われつつあるのはご承知の通りだ。その最大要因は、殆どの地方自治体は独自の歳入で歳出を賄うことができず、地方交付税や補助金など、国から支給される資金を当てにした運営を続けてきたためである。
たとえば2000年度予算では、地方交付税の総額は20兆34398億円にものぼる。
この地方交付税の目的は、税収の大きな自治体と小さな自治体の住民サービスの格差を埋め不平等をなくすためのものである。この結果地方自治体は、国から交付金をもらうことに慣れて、一時は箱物行政に奔走した。
小泉改革は「自立しうる自治体」をスローガンに、できる限り国の関与を縮小する方針を打ち出した。これに伴って、従来の地方交付税の見直しも行なわれることになる。
これまで、地方のインフラ整備は公共事業予算のなかで、国の主導で行われてきたため、地方はいらないものでも、資金の心配が無いから作ってきたのである。
しかし、地方分権を推進するためには、地方が主導権を持たなければならない。
自治体は、政府が「口も出さない、カネも出さない」という状況で、独自に財源を探して住民サービスを行なうことが迫られている。
その改革の第一弾として、地方交付税の1兆円削減や、東京都のような外形標準課税の導入が提唱されている。
小泉改革では、2000年6月に地方分権推進委員会がまとめた地方分権推進法の最終案が実施に移されるだろう。
現在、日本の市町村は3220ある。町村合併は戦後の昭和20年代に行なわれたが、交通手段や情報伝達手段などが、十分に発達していない段階では、住民サービスに支障が出るという意見も多く、その後足踏み状態になっていた。だが、80年代になると旧自治省各地方自治体の行政サービスコスト削減のために、市町村合併の旗振りをはじめた。
交通アクセスや情報通信で支障となるものがなくなったからである。これは、東京・大阪などの大都会への人口集中を排除するための「地方中核都市づくり」ともリンクする考え方であったが、その一方では政令指定都市づくりも推進された。
政令指定都市になると、国から県並みに扱われるので、都市計画、福祉、衛生など17項目の行政事務を自由に実施することができる。しかも、独自の起債も認められるのである。
市町村合併はそこまでの特典はないものの、多くのメリットがある。「市町村合併特別法」によって、合併した自治体には国から支援措置がとられる。それは、補助金や特別交付税の付与である。
現行法では、人口が少なく、歳入が少ない自治体には高めの交付税を配布されているが、合併推進のためにこれが見直されることになる。つまり、人口が少なくて、税収も少ない自治体は合併しないとやってゆけない情勢を迎えつつあるのだ。
小泉内閣の経済財政諮問会議では「現在の地方自治体の数を2005年までに3分の1にする」との方針を打ち出している。これは地方財政を再建するためには、ある程度の規模の大きさが必要との考え方である。
人口5万の都市4つが個々に住民サービスするより、20万都市1つの方が人件費を含めてあらゆるコストを低くできるからだ。いま行政で一番コストが高いのは人件費である。そこで規模の小さい自治体はゴミ処理や下水道サービスなどで近隣の自治体と手を結んで、広域行政サービスを展開しているケースが多い。小泉改革は、これを合併まで踏み込ませる改革であった。
こうした国の改革に、置賜地方は合併を拒否し国の政策に遅れをとってしまった。米沢市に至っては市民の意見が第一だとして「合併のアンケート」を実施したまでは正解だとしても、行政はアンケートをとるだけで生かしきれなかった。山形市・鶴岡市・酒田市は国の改革を真っ正面から受け取り合併によって、さらなる人口増加市として発展を遂げてゆくことになる。
どんな事情があるにしろ国の政策に沿わなかった置賜3市5町である。少なくとも半世紀以上の遅れを覚悟しなければなるまい。
市長は頭数の削減や議員数の軽減が主たる議論の中心にするような為政者であれば、当初から改革とは縁の遠い国の改革である。今後、置賜3市5町は国の中枢から永遠に疎遠になることは否めないであろう。
ようするに置賜3市5町の為政者たちは、国家の存亡を賭けた行政改革に真剣に取り組もうとする意識に欠けた人たちであったという事実を住民はしっかりと頭に叩き込んでおく必要がある。
天下の形勢を読み取る英知もなく、義理を重んじるあまり西軍に味方して、120万石から一挙に没落の運命を辿らなければならなかった上杉藩を歴史にもつ置賜である。
またしても為政者の無能さから、時代にとり残される町となる運命であり、返す返すも無能な人物を首長に選んだ住民の無責任さの結果である。

自転車の無灯火走行と中年女性の車道横断

2005/10/04 (Tue)
自転車の無灯火走行と中年女性の車道横断秋も深まってくると、つるべ落としに日が短くなってくる。相生橋を通行中、左折しようとした時、橋梁の蔭から無灯火の自転車が車の前に飛び出してきた。慌てて急ブレーキをかけ事故には至らなかったものの洋服から商業学校の女子学生だとわかった。午後の8時過ぎだった。
クラブ活動などで、遅い帰宅を急いだものだろう。が、飛び出しも迷惑だが、無灯火の自転車はまことに迷惑の度合いを越している。
車の無灯火もたまには見かけるが、一様に自分が無灯火であっても、相手の車を確認できるからそれで間にあっているのだろうが、間に合わされている車はたまったものではない。トンネルの中での無灯火車、加えて黒塗りの車では何をか言わんやである。
小生が高校生の頃、警察は無灯火自転車の摘発に厳しかった頃を思いだす。
自転車の二人乗りと無灯火走行には、警察の柔道部屋に集められて取り調べを受け、あげくのはては延々と説教が続いたものである。
夜間の通行には無灯火自転車走行を禁止しなければ、事故の多発は増大することだろう。
それに中年女性の通行マナーに一言。半世紀前と道路情況が著しく変化していることを肝に命じて道路に出てきてほしいものだ。
職道路の主役はいまや車である。車に接触すれば即生命の危険につながるものだ。先日、自転車を引いて小走りに道路を横切る中年女性に出くわした。これも咄瑳の急ブレーキで事故を危うく回避したが、中年女性はこともなげに車の前を横切って自転車で過ぎ去っていった。その度に心臓が止まりそうになるのは車の運転手だ。
信号で停止していると後続の車がいる。信号が青になり、アクセルを踏んだ瞬間、後続の車がクラクションをけたたましく鳴らした。なにごとかと思って車を止め、クラクションの主である後続車に目をやったら、若い女性ドライバーが笑っている。
車を降りて後続車の主に「あのけたたましいクラクションを鳴らした意味は?」と問いかけたら「急いでいるので前の車が邪魔だったからだ」という。なんたる言い草であろうか。
シートベルトも締めず真っ赤なマニキュアの手に火のついたタバコを持っている。私は思わず「このガキッ!」と怒鳴りつけてから車に乗ったが、女性ドライバーには霹靂させられている。
まず、携帯電話やタバコを手にし片手運転で角を曲がる女性の通勤ラッシュを毎日のように見かける。
ハンドルは両手で操作するものだ。どうしても片手運転を満喫したいのなら、車の少ないバレーラインなどの危険な場所でスリルを楽しめばよい。
女性ドライバーを軽蔑するわけではないが中にはそうした不心得者が比較的多く目につくのだ。
まず、自転車および車の無灯火走行は危険だからやめてほしい。同時に車の片手運転をも慎むように願いたいものだ。

米沢市の町を活性化する名案はないか?

2005/10/02 (Sun)
米沢市の町を活性化する名案はないか?サティ通りの多くは米沢市以外の「外資」による繁盛ぶりのようです。が、それでも人口の少ない米沢市からの撤退を考えている企業もあるはずで、都市を構築しているのは人口だと考えます。
小生は歴代米沢市長に「町づくりに哲学をもたない」と断じてきました。
市議会議員たちは各地に視察という名で旅行を楽しんでいるようですが、「視察」と「旅行」とは根本的に違うはずです。
米沢市の実情を他市に学ぶというのであれば、米沢市と人口も風土も類似した場所を選び視察に出掛けるべきであると考えます。
小生は以前から「全国町並み保存協会」の会員として各地を見てまわりましたが、ご存じ「馬籠・妻籠」は観光客ゼロの地域を江戸時代の中山道を復活再現して、見事年間宿泊客百万人に変えた事実。
隣県の会津大内宿は、旧会津街道に位置する宿場町だった。が、道路が新設されたりして、旧街道を通る人はゼロの世界にまで落ちたが、会津復古会の強力な復活運動によって、現在は観光客がひきもきらない有様に蘇っているものだ。
小生も復活再生に動員されたが、まずその場に住む人たちの無理解から、時間を労したものの時間とともに民宿する家も増えはじめ、現在の大内宿の繁栄に繋がったものである。
おなじ会津でも尾瀬の入口「枝峡村」は、松平県政が道路を一本造ったことで、シーズンには民宿業は一晩10万円の収入になったことは事実である。
しかも、若い人は都会に出かけているから、民宿を営んでいるのは決して若いといわれる年代の人たちではないのだ。
米沢市の疲弊は上杉鷹山公を中心とした上杉文化に依存し過ぎて発展しないキライが見られる。米沢市を観光の町と位置づける哲学があるとするならば、上杉公園の周囲に「江戸情緒」豊かな観光客に喜ばれそうな町並みを造成することだろう。
米沢市全体を一時に潤いのある町に鞍替えさせることは無理だとしても、一点豪華主義をもって、まず、「観光の拠点」づくりをすべきであろう。
観光客が楽しめる景観づくりを主眼として、観光客を誘致して米沢地区の産物を販売することを念頭にした開発が必要で、新たな産業起しにも当然繋がるものだと推察される。
倉敷に「美観地区」が設定されているように米沢市の「伝国の杜」博物館周辺を何とか蘇らせる方策を考えてみるべきであろう。
サティ通りの混雑は「人は人の集まるところに寄る」原理で、あたらないことかも知れないが東京銀座では土曜日ごとに「歩行者天国」をして車を通さない政策をとっているが、米沢市の場合はどうだろうか。
仮に歩行者天国になっても、その場所までは歩いていけないという距離問題もある。
ともかく、米沢駅から歩いて観光している人たちも見かけるが、聞いてみると上杉の城下町を見物に来たのだという。が、その人たちを迎える姿勢もなければ施設もない。ないないづくしの米沢気質である。
会津の復古会など観光のプロの指導を受ける謙虚さもない。自分の知恵に限界を感じたら「成功者」の意見を聞くことであろう。
小生は会津の復古会の会長と懇意であるし、会長は全国町並み協会の会長でもある。謙虚に耳を傾ける態度が何より優先する態度だと思われる。
その態度こそ米沢市に欠けているものだ。

書込氏に告ぐ(タイガー・まあ・アホ)

2005/10/01 (Sat)
書込氏に告ぐ(タイガー・まあ・アホ)社会人として、普通の見識のある方々ではないと思いながらも一言反論させていただきます。
国保滞納議員というのはあたらず「遅滞議員」というのが正しいのです。
4議員は会計年度末までに「完納」していることから問題はなく、したがって完納した議員名を揚げるほど本会は「アホ」ではないということを御理解ください。
名誉殻損を覚悟して本名を揚げたのは、市職員による「個人情報漏洩」は、米沢市の情報管理の信頼を根底から揺るがす大事件であり、職員としてあるまじき犯罪行為だと考えられるからで、国保税を遅滞した議員たちとは問題点も重さも違うということです。
米沢市役所の見解はひどいもので「職員に聞いてみたが否定しているから、職員からの漏洩は無い」「委託している業者もいるから」とか曖昧であり、漏洩したのが職員でも委託業者でもないとしたら、市のコンピューターに外から情報が盗まれないガード対策がなされてあるかどうか、にかかってくるが、情報管理の問題の核心をつく調査は一切していないのが現状なのです。
本会が本人の名前を公表した真意は「漏洩事件の真相」を「うやむや」にしてしまおうとする米沢市の対応の無責任さと、多くの市民が、書込氏と同じレベルで「さわらぬ神に祟りなし」としている鈍感な市民性を情けなく思うからです。
本人からの名誉毀損の訴えをもって、朝日新聞の記者を法廷に引きずり出し、事の真相解明と、市職員の獲送船団的な「なあなあ主義」で事を済まそうとする体質を打破したいと思うツマラナイ正義感からだとご理解願います。
まず、行政改革の世の中です。内科的な治療ではなく外科的な処置によって「行政ならびに市職員の膿」を出さねば米沢市を正常に戻す方法はないようです。
正論も通じない書込み氏に、本会は迷惑だとしながら消去する仕事に追われているわけで、「売名行為」だとか「いんちき物販売者」とか、うがった書込み氏の嫌がらせにも動じず頑張り続けている71才の青年の行動を見守ってほしいと思います。
書込み氏に一言、パソコンを操作される頭脳を持っているのだから、その頭脳で正面から社会を見つめることが大切なことで、今のように社会を斜めにしか見ていないようでは、つまらない下劣な人間で終わってしまうと思うのです。
「構ねでケロ」が結論だと思いながらも、小生の青年時代とあまりにも隔世の感がありすぎるように思われます。こんな市民がいずれは米沢市の中枢を担うと考えてくると、何をか言わんやである。
本会のホームページに関心を寄せてくれるのは有り難いことだが「真面目さ」と「有能さ」に欠けているのはいかにも淋しいかぎりです。
どうせ匿名で、どこの誰ともわからないから勝手気ままでいい、と考えるのは「不法投棄」や「各種犯罪」に繋がる恐れのある人だと評価されても言い訳ができません。
真の社会人になりたいと願うならば、小生の目の前で議論しようではないか。その勇気もなく、陰でコソコソとしか行動できない陰湿な性格の人物なら人生を捨てたようなものだ。

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