山形県知事選挙・鬼のかわら版[4]

2008/12/31 (Wed)
「記憶にございません」などとく蚊の泣くような声で「とぼけ官僚らの声」を、悪魔の声として脳味噌を分解してみたいと常日頃考えてきた。事情を熟知している人物ほど知らない振りをする。たとえば権力者の取り巻きだとか関係官僚たちが使う手口である。
国民のだれもが胡散くさいと思うことも彼らの善意なき嘘によって事実の根源を霧消することになる。
国民が彼らに騙されないためにここで国会答弁でよく聞く「官僚・お役所ことば」を紹介しておくことにする。
■前向きに「遠い将来にはなんとかなるかもしれない。というやや明るい希望を
相手に持たせる言い方」
■鋭意「明るい見通しはないが、自分の努力だけは印象づけたいときに使う」
■十分「時間をたっぷりかせぎたいということ」
■努める「結果的には責任を取らないこと」
■配慮する「机の上に積んでおく」
■検討する「検討するだけで実際にはなにもしないこと」
■見守る「人にやらせて自分はなにもしないこと」
■お開きする「聞くだけでなにもしないこと」
■慎重に「ほぼどうしようもないが、断りきれないとき使う。だが実際にはなにも
おこなわれないということ」
わが国には「漢字の読めない総理」もいるが、笑ってすまされるものではない。国民は以上の「お役所ことば」を額面通りに受け取り、期待して待つだけ時間のロスだということを知っておくことだ。
世の中には「知らないでも知った振りをする」人と「知っていることでも知らないと言い張る」人物がいる。前者はだれしもが経験したことのユーモアで片がつくが、後者に至っては多少犯罪の臭いを感じさせるに十分な悪意がある。
権力の座にいる人物の不祥事を隠蔽する役目にいる茶坊主らの責務なのである。
問題は中央政界に限らず地方行政においても隠蔽せねばならない事項もあるようだ。地方行政の毒は選挙時に相手候補からの指摘によって噴出してくるものだ。
例えば知事にせよ、各市町村長にせよ一応「権力の座」に着くと、三日間は支持してくれた選挙民のお陰だと感謝する。が、四日目位からは不遜にも思いあがりが頭を持ち上げてくるものだという。
権力の座に着く前の候補者というものは支持者とともに、事務所で開票の推移を見つめる余裕などなく当選の確定を確かめてから支持者の前に顔を出すもののようである。
常に県民や地区民のための善政を貫き、後ろめたい行為の一切がないのだと自他ともに善政を認め合うのであれば改めて「選挙」の必要もないのだ。が、聞けば現職の致命傷は偏った政治手法と、あってはならない醜い一人舞台の県政がつづけられてきた疑いが県民にはあるようだ。
本会は県民の怒りの声を聞き、広く有権者に伝えながら「次期県政を任せ得る候補者」の選択のための参考になればと思う次第だ。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[3]

2008/12/30 (Tue)
人間は生まれたときは自由である。しかるにいたるところで鉄鎖につながれている。(ルソー)ルソーは「自然人」を子どもたちに見た。そして彼らがよき「市民」に成長するのを理想としたが、現実には専制政治や富の偏在などによって束縛される人間の多いことを認め「社会契約論」や「エミール」で詳しく論じ自由の享受を夢みた。
戦後を半世紀以上過ぎたわが国には「自由はあり余るほどある」が、大方の日本人は「自由の権利を」行使し、満足した社会をつくりあげているだろうか。
自由が示す最高の権利は「投票する権利」である。その権利を行使する最大の特権は投票によって「国家の政治」を変えることが出来ることである。
有権者の投票行為を称して、リンカーンを「投票は弾丸より強し」といわしめたことでも容易に理解できるように、国民一人々々の投票行動によって出処進退が確定される国会議員であり、地方では知事をはじめとする市町村長の為政者たちである。 だから改選間際の彼らのすることは、国民の投票権を己れの陣営が獲得することだけに専念するのである。
地方選挙は規模の違いはあるとしても、候補者の意識にある図式はまったく同様「名誉と権力の座を獲得」することである。ために愚者ほど「出来もしないことを喋りまくり」有権者の期待を平気で裏切ってきた。
したがって、有権者の投票離れは激しく「候補者に期待」することの阿呆らしさを嘆きつづけてきた長い過去がある。政治家たるもの有権者の期待を裏切る行為は断じて許されるものではないはずだ。
有権者側にも次のことを考慮すべきであろう。
■投票を拒否しないことである。(棄権行為は民主社会を否定する行為につな
がる)
■自分の判断で投票すること。(民主社会の一員であることの誇りを自覚する
為に)
■女性票が政治を変える?(女性パワーの決起が政治を変える起爆剤となる)
男子社会が優先する選挙は、ともすると混濁した裏面での取引行為が多いものだ。まず、金員が動き。義理・メンツが優先する。選挙ともなると大ボス・小ボスが「票集め」に騒ぎだす。組織はヤクザ組織の構造。
これらの弊害を壊すには、一に女性パワーの自覚行動以外にないのだ。
先人が専制社会から血を流してもぎ取った「民主主義」であり「婦人参政権」である先人から与えられた特権を「平和で自由」を享受するために行使して、嘆くことは止めようではないか。
「わが子や孫たちの未来のために」与えられた特権を行使しようではないか。「小さな火は足でも消せるが、大火となっては個人の手にはおえない」例えだ。
県政の未来を託す県知事選挙が年頭からはじまる。現斉藤知事に託すべきか、それとも吉村女性知事の出現を待って、県政の浄化を女性知事の手にゆだねるのか?地方政治とはいえ関ヶ原の一戦である。県民は東か西側の県政を選ぶのであるか?

山形県知事選・鬼のかわら版[2]

2008/12/29 (Mon)
「苦難の時に動揺しないこと。これは真に称賛すべき卓越した人物の証拠である」(ベートーベン)「不可能は小心者の幻影であり、卑怯者の逃避所である」(ナポレオン)
一仕官から身を起こし、ついに皇帝に昇り詰めたナポレオンにはまた「余の辞書に不可能という文字はない」との名言がある。
「投票は弾丸より強い」と言ったのは第16代米国大続領リンカーンだ。かのゲティスバークでの演説で「人民の、人民による、人民のための政治」という有名なことばを残した。 自由に投票権を行使できる国民は自分の意志を表明でき、望ましくない政府は排除できるのである。
以上は人物を表して大人物といい小人物という。
本会にある支持母体の長から投書が入ってきた。内容は山形ビックウイングで開かれた「吉村美栄子氏の決起集会」に肝心の民主党連会長の近藤洋介氏が出席しなかったことで近藤氏の真意を疑う文言で埋められている。
そのわけは某有力事業所から近藤氏が政治献金を受けているからだとまことしやかに書かれている。 朝日新聞の報道では近藤氏の考え方を以下のように書いている。
「斎藤県政には反対だが、個人として吉村を全面支援すれば次期選挙(近藤の)で斎藤知事支援者の票が逃げてしまう」とあいまいな態度を説明するのは民主党県連役員の見方だとしている。
近藤は今まで民主党の比例代表で代議士になった男だ。いわば天敵の遠藤武彦の引退表明によって「政権交替のかかった絶対落とせない一戦」と位置づけ「個人が勝手連的に支援する形」と述べるにとどまったとある。
これは近藤個人の保全策のなにものでもなく所属する党の県連会長の立場にある者の考えることではあるまい。
ナポレオンの言葉によれば語気強く「卑怯者ッ近藤!」となろうであろう。 このように大同につけない議員がいくらいても日本のためにはならない。このような弱腰の県連会長を抱えての知事戦では、選挙後にはじまる近藤の選挙は「裏切り者、近藤ッ!」の謗りはまぬがれるものではあるまい。
「世の中は澄むと濁ると大違い、刷毛に毛があり、ハゲに毛はなし」である。澄んだ心の持ち主は刷毛に毛があるように、世も中で役に立つが、毛もないハゲは駆逐されるだけだの例えだ。
エンタケには一本の毛もなく汚れたまま失脚する。が、近藤にみる自己本位の保身術のある人物に日本の政治を任せるわけにはゆくまい。
「名誉心は高潔なる心の最後の弱点である」(ミルトン・イギリスの詩人)
近藤民主党県連会長に告ぐ。
民衆にへつらうことは、お偉方にへつらうこと以上に卑劣で汚いことである」(ペギー・フランスの思想家)
近藤ッ!墓穴を掘るような思い上りは許せるものではないッ!

山形県知事選・鬼のかわら版[1]

2008/12/28 (Sun)
「生命を張って闘っている一人の女性」これこそ静かなる忍従の、果敢な女の英雄の姿ではあるまいか。(ヘルマン・ヘッセ)「車輪の下」の著者で知られるドイツの作家へルマン・ヘッセのことばである。
一般に大人物などいう時には有名な人物を考えるし、圧倒的に男性が多い。しかしヘッセは女性、しかも無名の平凡な女性の生きる姿に英雄をみているのだ。
昨今の政治を知るかぎり、地球上の人類が飢えからのがれ、殺戮のない平和な暮らしにいざなう政治家は、わが国はおろか世界の何処に隠れ住んでいるのであろうか。
人間を生み出すことの苦しみを経験したことのない男性社会による「悪の論理」は世界の強国によって展開されつづけてきた。世界の政治家たちは、自国中心の「豊穣な土壌」拡大のための殺戮による掠奪が強国によって展開されてきた。
わが国は世界大戦に破れはしたが、東南アジア諸国の独立によって諸悪の根源である植民地は地球上から根絶されたが、残り火は今もって燻りつづけているのは強国の未練というものであろうか。
このような闘争社会は集団ヤクザの世界にみられるショバ拡大の闘争というもので「メンツに生きる」男社会の醜い弱さである。
一般的に女性たちは男社会から隔離された社会を形成し「生きとし生けるものたち」を生み育ててきた自信と自負とがある。それは農家が豊穣な実りに酔いしれるハーベストを彷彿とした女性だけの感動というものであろう。
太古の昔、わが国には女王卑弥呼の女社会があり、天照大神で成立した女性国家であったはずだ。部族間に国取りがはじまると男社会の出番となって侵略・掠奪の闘争社会が永く歴史を刻んできただけの現在である。 したがって、女性本能が望む「安心して子育てのできる社会」を実現するために、男社会から女性社会への奪回が必要であろう。
かつてドイツは大戦に敗北した時点で男女の比率は「男子1人にトラック一杯の適齢女性」だったという。この男女の比率でさえドイツは世界に冠たる先進国となった。この奇跡は女性自身が祖国復興のために子育てに励んだことにほかならない。
わが国もドイツ・イタリヤと運命共同体となったが、女性の子育ての頑張りが見事な復興をはたす原動力であったことに論をまたない。
百獣の王ライオンは草原に住む「アリの大群」に決して手を出さないという。数百万ともいわれるアリの大群に勝ち目がないからである。
山形県に暮らしする女性たちが「一匹のアリとなって」男性隷属のDNAから脱けだし、山形県政ぐらいの身近な政治は女性候補にかえてみる「勇気と知恵」を持ちたいものだ。
常に「強い者に巻かれろ」では、夢の実現は遠いではないか。
「群れたがる無駄を止めて、一歩だけでいい! 夢に向かって歩き出す女性でありたい!」ものだ。

Xマスに政府の贈物は、世界的不況に名をかりた失業と大型倒産劇であるか?

2008/12/24 (Wed)
報道によると自民党の「餅代」は一律500万円、派閥の餅代が平均して300万円なぜか麻生派が100万円ポッキリだという。23日は祝日とあって街のオモチャ屋さんはXマスプレゼントの買物客でコッタ返しの盛況ぶり、これを見るかぎり世界的不況の最中とは思いもよらぬ親バカぶりだ。
さて、期末ボーナスに餅代を手にした議員さん達に「大量失業問題」の由々しき現実に真剣に目を向けろという方がおかしく思えてくる。小泉内閣による「大緩和政策に端を発した国内不況」に加えて、米国の大不況と重なった「100年に1度という世界的な不況」に関しては起きたことは現実である。
問題はそれを克服する政治力が世界や日本にはあるのだろうか。「ある!」というより歴史的な事実として「あったッ!」という方が正しいようだ。
かつて米国は1929年の「暗黒の木曜日」以後、未曾有の大不況に襲われた。失業率24.9%で4人に1人が職を失った。
33年に大統領に就任したルーズベルトは法改正で「政府紙幣」発行権を握った上でニューディール諸政策を展開、米国を大不況から救った。これはルーズベルト紙幣と呼ばれている。
日本では犬飼内閣の蔵相・高橋是清がいわゆる「昭和恐慌」のデフレ不況を解決した。
デフレ不況には「ルーズベルト紙幣」「高橋是清紙幣」に見られるように「平成の救国札」として壱万円札を大量に印刷して「国民1人あたり20枚ずつ配る」ことだと力説するのは異色の財務官僚・高橋洋一(現・東洋大学教授)らだ。
天から降ってくる札だから「経済用語でヘリコプターマネー」という。
1家族4人として20万円×4人=80万円となる。これで雇用・失業問題は一気に解決されるというという。政府紙幣をバラ撒けば、政府はコストをかけずに景気対策が出来る。通貨の流通量が増えデフレ対策にもなる。民間の消費や借入需要が増え心理的効果も含めてどれだけの影響が期待できるか知れない。
「今こそ政府紙幣の封印を解くべきである!」
「日銀券とは別に、財務省が新しく1万円札を刷って国民に配るわけだから、国債のような国の借金とはならない」 問題の平成札の印刷は25兆円程度。
一人12000円程度の振興券のバラ巻きでは不況を乗り切れるものではない。
立花証券執行役員の平野憲一氏は「資金が市場に流れでれば、機関投資家も買いを入れ相乗効果が期待できる。貨幣増加で為替が円安に振れれば出企業が息を吹き返す。こうした好循環により株価15000円という数字も期待できる」と話す。
貨幣供給量を増やせる体制をとった国ほどデフレ脱却が早いことが分かっているのだが。

【18日、本会ネット発信既報訂正】 斎藤知事は「ヤマザワ」「遠藤商事」「山形銀行」の使い走りが仕事ですか?!

2008/12/21 (Sun)
県政をわがもの顔に牛耳ってきた故服部山新社長亡き後、現県政に強力な影響を与えてきたのが「スーパー・ヤマザワ」の山沢進社長と「遠藤商事」の遠藤栄次郎会長の両氏だといわれつづけてきた。両氏ともに山形県を代表する大物実業家であり、斎藤知事の強力な選挙母体である。
県政の序列は 山沢進(知事)遠藤栄次郎(副知事)斎藤総務部長という県職員らの格付けにされているらしい。
[訂正箇所①]
既報中、「県職員共済組合基金」360億円を知事就任と同時に「山形銀行」に口座に移されたは、金額に誤りがあるとして指摘されたのでお詫びして訂正する。
誤・360億円 - 正・140億円
斎藤知事は山形銀行の出であるから、依怙贔屓の類いであるかも知れないが。
[訂正箇所②]
斎藤知事の選挙母体「ネクスト47」の支持母体本部はナント遠藤商事内部にある。
誤・ネクスト74 → 正・ネクスト47
■ 県のアンテナショップ構想の疑惑について 銀座に出店が決まり県費1億2000万円の支払いを、本年3月に不動産業者に支払い済であるのに、ビルの改装工事は勿論、肝心の開店準備に動いていないのは何故か? これは県費の無駄使いというのではあるまいか?
■ 山形空港~台湾空港を利用するチャーター便の燃料補給は「遠藤商事の独占事業」とさ れているが「遠藤商事・会長遠藤栄次郎」氏が「日華親善協会山形県会長」の立場にあることから「公金を使って飛ぶ・日中友好の翼」で見せた服部手法の再現と酷似する。
■ 後藤副知事の唐突な副知事辞任の疑問? 未だに県民は理解できないでいる。が、風説 によると「斎藤知事とはやってらんないよ」と辞任した噂があるが事実はどうであるか?
■ 県の出先機関施設「月山」は、知事らの上京宿泊施設とされ、巨額な経費をかけて改装 したが、改装後は知事の宿泊はない。黒い噂がひとり歩きする昨今だ。知事ともども夜の行動に留意したいものだ。まして連絡がとれない居場所の知事では「無責任な噂」も流されるというものだ。

議員の資質に期待する--今こそ「貧者の一灯」を

2008/12/19 (Fri)
未曾有の世界的大不況の最中、米沢市議会12月定例会は市長提案の「特別職および一般職員の期末手当支給率5%を引き上げる内容」の案件は18日否決された。東北有数の出荷率を誇る八幡原工業団地にも大型のリストラ風が吹きまくっている。報道では600名にのぼるリストラによって、この冬空に向かって失業者がドンと出ることになる。
市は失業者のうち450名ほどを市の臨時職員として道路補填工事や雪祭り誘導整理係などとして短期間採用することに決定したが、「職員の期末手当ての引き上げ」については市民感情を「逆撫でする議案」だとして議会が真っ二つに割れた。
議会最終日の18日になって「賛成議員になだれ現象」がおこって否決された。安部三十郎市長は賛成議員を求めて電話による議員の一本釣りを試みたものの採決の結果は否決されることになった。
市民は「社会情勢から議会否決は当然の倫理感によるもの、否決によって議会を少しは信頼できるようになった」という市民の声も聞こえる。
そこで本会は市民の要望により「手当て引き上げ」に賛成した議員の名前を公表することにした。
十分に精査した上での議員名の公表である。
■小久保 広信(団体役員) ■高橋 寿(共産党・安部市長の実弟)
■白根沢 澄子(共産党。党役員) ■佐藤 ひさし(獣医師)
■ 木村 政信(無職) ■高橋 義和(無職)
■ 我妻 徳雄(会社員・求職中) ■ 加藤 喜工門(農業)
公務員の給与体系と地元企業従事社員給与体系を比較すると、現実に大きな格差が見られる。
これを市民感情の文言から、公務員は恵まれた環境で暮らしているのだから、不況の時期には「貧者の一灯」をと暖かい心根を持ち続けてほしい。

斎藤知事は「ヤマザワ」「遠藤商事」「山形銀行」の使い走りが仕事ですか?!

2008/12/18 (Thu)
自分では意識していなくとも「権力の座」に腰をおろすと軽い人物ほど不遜な態度をとるようになるものらしい。元板垣知事を手足のように使い回した故山新服部社長を県民は「服部天皇、板垣(知事)総務部長」と呼び畏怖した時代が長く続いた時期がある。
さて、選挙を前に巷では「ヤマザワ知事・遠藤商事副知事」とまことしやかに囁かれ斎藤知事は「総務部長」格に過ぎないとする県政序列によって県政が動かされているのであれば、往年の板垣・服部の関係が蘇ってきたことになる。 これが事実ならば県民はたまったものじゃない。
知事選を前に問う。巷の疑問について説明を願う次第だ。
■ 県職員共済組合費(約360億円)は、知事に就任すると同時に山形銀行に移されている。理由は知事が山形銀行出身であることによる依怙贔屓だと推察できるが、共済組合費という公金が一地方銀行の手に移れば、融資は銀行サイドの審査となり当然ながら「貸し渋り」などもおきる。すでに自殺者を含めて4名の犠牲者が出ていると聞く。
山形銀行に預託前は「共済組合から気軽に借りられたものを」とする組合員の不平不満の声は募るばかりだが。
■ 人通りの多い銀座に県のアンテナショップを移転して、県産物の売り上げを伸張するという明るいニュースがテレビ報道されているが、実態はどうであろうか?
移転すべき銀座のビルオーナーに対して本年3月、1億2000万円の家賃等を支払い済であるのに、開店するための改装工事は勿論、開店のための準備がまるっきり動いていないと聞く。事実であれば県費の無駄使いということにはならないか。
■ 斎藤知事の支援母体「ネクスト74」の本部が「遠藤商事内」にあることは事実だが「日中友好協会」の本部が山新内部にあったことから知事はそれを踏襲しているのであるか。
この度、県は「山形空港~台湾空港」路線を新設したが、 山形空港の燃料補給は「遠藤商事の独占事業」となるが、この決定に疑惑はないのだろうか。
■ 県民の最大の関心事は、後藤前副知事の唐突な辞任であるが、辞任理由を知りたいことと巷に流れている「斎藤知事とはやっていられない」という文言が聞こえてくるが、理由の説明を県民に広く報せるべきであると考えるものだが。
■ 「月山会館」は県の出先機関として知事らの宿泊施設になっているが、改装後、知事は会館を利用しなくなった。東京での宿泊には疑問があり連絡がとれないことが多いのだと職員はこぼすのだが。
■ 知事は告示を前に「特定政党の支持は受けない」と有権者に約束したが、報道によれとはあらゆる政党に支持を願い出ている。釈然としない知事の奇弁に問題がある。

迷走するドタバタ日本列島

2008/12/16 (Tue)
不況風が吹き荒れると、人はその責任を誰かのせいに転化したい弱さを潜在しているものだ。自民党内部では自らの地位保全のために「選挙の顔」として麻生を自らの手で選んでおきながら国民の支持率の低下によって、身分の保全に危険が迫ってきたと見て「漢字の読めない総裁」だとして、あたかも天誅を加えるが如き迷走混濁の内部抗争を繰り返している。
このままでいけば政策合同による新党結成もあるかも知れない。
歴史とは為政者がひたすらに隠し通していたかった事実を、後世になって掘り返して見たとき、そこには「人間のいじらしさ」と「哀しさ」とか表れてくるものだ。
いつの世も天下人たらんとする者は、あらゆる謀略の手練手管に血眼になってきたことは申すまでもない。「たかが、漢字が読めなかった」ぐらいで天下人を失脚させようとする自民党も大人気ない政治家集団だが、未曾有の経済的激震時に党人一丸となり切磋琢暦して政局を乗り切るのが政治家としての資質であり器量というものであろう。
哀しいかな天下人を狙う者は多いが、昔から天下人は一人でなければ人心の統一はならなかった。政治家である以上望みは総裁の地位に君臨することであるに違いない。
歴史が証明するごとく天下人である条件は、器量と財に恵まれた者たちによって成立してきた。悪の論理からすれば、財や豊穣な土地は掠奪によって国取りが展開されてきた歴史から、現代の政治的葛藤は天下人を目指す政治家たちの武器なき政争だと考えられる。
麻生総理実現の裏面で何が介在したのか国民の知るところでないが、天下取りには巨額の金が動くものとされてきた。人間は権威や金力には群れたがる動物である。選挙地では「政治家」であっても、所詮は陣笠代議士であるから地位保全のためには金力のある派閥に属することになる。
民主議会であるから派閥の領主は数の論理からバカでもチョンでも懐に抱え込むことになる。
本能寺で信長を討ったのは定説では明智光秀であり、秀吉の軍勢が明智を討って天下を統一したということになっている。が、明智を匿ったのが徳川家康だという新説がとびだしてくる昨今である。
なじめない歴史上の新説ではあるが否定する根拠は私らにはない。いかなる歴史家といえども歴史上の人物に直接出会った人はいないからである。歴史は古文書と語りによって、後世に伝承されてきた仮定と想像の世界であるといえよう。
身近なところでは、川中島の伝承がある。床几に腰を下ろした信玄が軍配を構え謙信が馬上から大太刀を振りかぶって信玄を打とうとしている絵図は著名だ。が、信玄は兜をかぶっているが、謙信は行人包みという僧形の頭巾姿である。謙信が剃髪、入道したのは川中島合戦のあと、9年後のことであるから絵図による伝承は明らかに違っている。しかし歴史家だとするご仁でさえも、今以て信じて疑わないのは何故だ。
来春から米沢市期待の大河ドラマ「天地人」が放映される。主人公兼次の兜印が「愛」であることからラブと定義する歴史家たちの「ふくらまし」 を無作為に是とするに難がある。
「殺戮の場に向かう武将」が愛の心根をもって敵陣に乗り込んだというのであろうか。斯様に歴史的伝承は後世にあって都合よく曲げられた伝承でしかない。 そして彼は「先々を読める武将」として評価されているが、関ヶ原での敗北こそが上杉藩の命脈を断つ元凶になった事実をどのように説明するのだ。
主人謙信は毘沙門天を信仰し、兼次は愛染明王を武勇の信仰としたものであろうから「ラブ」という現代風の解釈では覚束ないものといえる。
小泉首相の規制緩和によって経済界の弱肉強食は戦国時代さながらに、街中から弱小小売店が姿を消した。「空中戦は戦闘機の数の原理で勝敗を決する」とする戦争理論は正しいのであろうが、「資本力の大小が業界を制覇する」という理論だけは社会から抹殺したいものである。人も動物であるが「弱肉強食の世界を否定してきた社会構築は人間の社会だけである」いまさらに小売商は大型店に隷属せよと政治は語るのであるか。
「漢字が読めない」と騒ぎだす政治家集団である。農水相の入れ代わりの激しさをみても、「漢字が読めなかった」ぐらいで総理を失脚させようとする政治的度量の欠如を反省してみよ。
テレビの画像は難解な漢字を羅列してタレントに読ませようとしているが、これを称してバカ番組だと老生は一蹴している。75年間一度もお目にかかったことのない漢字である。無論、当用漢字にも出てこない文字だ。こんなことが政治の世界に必要はない。むしろ当面の難題は雇用問題である。陣笠とはいえ税金で暮らしている不肖の政治家であっても私利私欲を払拭して己れの知恵を働かせる時である。
米沢が生んだ雲井龍雄は戊辰の役の終決によって、各藩が雇い入れた兵士たちは御用済となり浪人として東京市中に溢れ出ていた。雲井はそれら浪人たちを「明治政府の天兵」として雇いあげてもらうために奔走した人物である。が、明治政府は徳川方で名をはせた雲井を心情を曲解していた。
各藩の浪人たちは雲井の営む「帰順部曲点検所」に大挙して集まってきた。これを明治政府はクーデーターを計画する恐れありとして、雲井を捕縛のうえ小伝馬町の牢内で斬首の刑に処された知られざる英傑なのである。
ちなみに大政官布告によって斬首刑の廃止は、翌年1月1日と定められた。雲井の処刑は斬首廃止3日前の朝であった。明治政府がいかに雲井という英傑を恐れたかは年の瀬ギリギリの処刑であったことでも想像ができる。
米沢藩は明治政府の処置を恐れて以来、今以て雲井龍雄を明治維新における米沢藩出の英傑扱いするどころか、明治政府に楯突いた犯罪人であり米沢藩にとって「くたまな存在」だとして市民の永らく脳裏に植え付けてきたという為政者の闇があった。
歴史は時の為政者たちが隠し通しておきたかった米沢の恥部を、後世の歴史家の手によって明らかにされたものである。米沢藩には決定的な恥辱がある。
盟友会津鶴ケ城が官軍の手によって落城の危機に際して、米沢藩に援軍の派兵を懇願してきたとき、米沢藩から一兵の援軍を送ることなく、米沢藩は官軍の水先案内役を申し出ていたのであるこの歴史的事実をもって官軍側は「米沢藩武士道にあらず」と決め付けられたことを米沢市民は知らない。
米沢藩士の中にも「職を失った者の救済に立ち上がった人物」がおったことに誇りをもちたいものだ。

「私の「戦後は終わった!」

2008/12/05 (Fri)
よぎなく戦中・戦後を暮らしてきた私はようやく後期高齢者となった。昭和8年の生まれだから天皇と同年代ということになる。天皇は12月の生まれであるから、1ケ月ほど私が早く後期高齢者認定ということになる。小学2年生の12月に始まった大東亜戦争は、小学6年生の夏に敗戦という無念の形で終結した。以来、飢えとインフレの社会は格差を生みつづけ朝鮮動乱勃発によるわが国の好景気をよそ目に経済的格差はつづけられていった。
父や兄は近衛兵として皇居・伊勢神宮の警備に従事していたが、敗戦と同時に雑嚢を抱えて帰還した兄の青白い顔を覚えている。
母は「あとも3年も戦争が続けばお前だって死んでいたんだよ」と、兄の無事生還を喜んだ。母に言われた3年先の生死はとうに覚悟していた年代であったような気がする。現に少年航空隊員は南海の空に散っていった。
そのように生死を問われる緊迫した時代を過ごした少年時代である私にとって戦後から抜け出られない思いで暮らしてきた。
天皇より結婚は遅れたが確かに大和撫子風の妻がおり、嫁いだ3人の娘もいる。見た目はごく普通の暮らしぶりであろうが、私の戦後感は後期高齢者認定の今日までつづいていたのである。
「日教組教員が多い県の学力が低下している」と、発言してたった4日間で大臣を返上、麻生内閣の出鼻に水をさした前中山国土交通相の「日教組」発言。つづくように「日本は侵略国家であったのか」の懸賞論文の発表。 著者は現役の田母神航空幕僚長であったことで政府、マスコミは騒然とした。
結果、著者は定年退職という処分で現役から去った。立場をものともせず「真実を問う歴史観」は、正に命を懸けた勇気ある発言であり行動であることに「日本人の背骨として培われてきた武士道」が生きていることを知らされた。
そして、私の戦後が終わったという実感に浸っている。
日本人の多くと政府は「東京裁判史観の呪縛」から抜けきれないでいるのだ。勝者が敗者を一方的に裁くのは、もはや「裁判」とはいえないはずのものだ。ならば、あの2つの原爆投下の意味するものは、戦闘員・非戦闘員の区別なき無差別殺戮であり国際法に違反しない戦闘行為であったというのであるか。
東京に化物が出るという。「大東亜戦争肯定論」というお化けだ。戦後、日本とアジア諸国の権力が「このお化けを祓い、抹殺するため神聖な同盟に加わっている」のだ。
日本政府・自民党・公明党・民主党・共産党・中京政府・北朝鮮政府・韓国政府・台湾政府そして米国、これにNHKはじめ地上波のテレビメデア・読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・日経新聞の文字メデアなどだ。
権力の座にあるこれら全て戦後利得者たちから「軍国主義・右翼・反動・好戦論者」と罵られなかった「大東亜戦争肯定者」がどこにいるだろうか。
「村山談話」という政治家や政党の一見解をまるで「国是」であるかのように振りかざし、それに疑義を呈した航空幕僚長を解任した戦後日本版「大政翼賛会」参加者たち。
それを背後から検閲支配する外国勢力。「大東亜戦争肯定論」に悪魔の烙印を押さなかった政党、マスメデアが一体日本のどこにあっただろうか。
「大東亜戦争肯定論者」は公然と全世界の面前に、その見解、その目的、その性向を公表し「大東亜戦争は侵略戦争だった」というお伽話に対して、私たちの言葉で「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と宣言するのに最適な時期だということ。
11月11日、解任された定年退職扱いとなった田母神前航空幕僚長が、参院外交防衛委員会の参考人として質疑に応じた。「村山談話の正体が本日わかった。村山談話は言論弾圧の道具だ。自由な言論を闘わせることができないなら日本は北朝鮮と同じだ」と終了後、彼は報道陣に語った。
政府は田母神氏が参考人として「独演会」化するのを恐れた政府と民主党がテレビ国会中継をNHKに要請しなかった事実だ。参院側も民放からあった中継要請を受け入れていたが、民放各局は放送せず、NHKは中継要請さえもしなかったのだ。なぜか?
彼らは「大東亜戦争肯定論者」の田母神氏の言動をそのまま放送れば、視聴した国民が一挙に田母神支持に転換することを恐れたのである。それは政府与党も野党もテレビメデアも同様だった。
問題の田母神論文を一拳掲載した「WILL」誌には、わが国の代表的な評論家らがコメントを寄せている。
「村山談話」こそ更迭せよ! 西村真悟(衆議院議員)
「虚構の国防で国が滅びる」 荒木和博(拓殖大学海外事情研究所)
「何に怯えて正論を封じたか」 西尾幹二(評論家)
「田母神論文の歴史的意義」 中西輝政(京都大学教授)
「村山談話は外務省談話だ」 渡部昇一(上智大学名誉教授)など。

「よき市民の第一の義務は必要な時に怒ることである。そして、行動によってその怒りを示すことである」

2008/12/04 (Thu)
わが国の自由民権論者、中江桃民の言葉である。本会発足にあたり冒頭に掲げた本会の思想である。 そして、本会ブログに寄せられた44万3千強アクセス数のもとに成立する今も変わらない本会の理念である。
田母神前航空幕長の論文「日本は侵略国家であったのか」が、見せかけの太平の世に惰眠を貧ってきた政府内に激震を与えた。
この論文に対して政府は「辞職と国会喚問」という形をもって矛を治めようとしたが、NHKですら腰を引く中継だった。
無論、各新聞社の論評はマチマチであり、いつもの骨太さはなく、各社自ら「言論の自由」を封鎖するが如き懈怠さに老生は一種のおののきさえも感じた。
「平和憲法その他で雁字搦めに手足を縛られ、核は議論することさえ許されない。予算は削られっ放しで、武器調達さえままならぬ。これで士気を高め、国を守れという方がどだい無理な話だ。その上言論の自由まで奪われるのか。政治家も国民も、もう少し真剣に国防ということを考えてほしい」と、田母神前航空幕僚長は政府の処置に一歩も引かぬ態度で「田母神論文のどこが悪い!」と、本月1日有楽町の日本外国特派員協会に招かれて講演や海外メディアとの質疑応答をしている。
さらに20日(土)13時30分から東京丸ノ内東商会館に於いて講演会を開くことになっている。 たった2発の原爆投下によって日本は敗戦国となった。
米国による無差別大量殺戮の歴史的実証である。が、以来わが国の防衛は安保条約の締結によって米国の庇護のもとにある。が、わが国に一旦緩急の災事が起った場合、米国は血を流してわが国の安全を担保してくれるであろうか?
そして、わが自衛隊はいかなる防衛任務を与えられるものであるか?
国民のだれもが解けない難問である。
斯様に有事の備えに無関心なのは一般大衆に限られるものではない。その証拠が田母神論文に血迷った政府の対応ということになる。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているろからである。
わが国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、わが国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。(中略)もし日本が侵略国家であったというのであれば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
わが国は満州も朝鮮半島も台湾も日本国土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。わが国は他国との比較で言えば極めて 穏健な植民地統治をしたのである。
(中略)
満州国成立時には3000万であった人口が、毎年100万人以上の人口が増え続け、終戦時には5000万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行なわれるところに人が集まるわけがない。朝鮮半島も日本統治下の35年間で約2倍に人口が増えている。日本統治下の朝鮮半島も豊かで治安が良かった証拠である。 (中略)
わが国は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、朝鮮に京城帝国大学は6番目に、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が大阪帝国大学、9番目が名古屋帝国大学である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。(中略)
日本は第二次大戦前から「五族協和」を唱え大和・朝鮮・漢・満州・蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1次大戦後のパリ講和条約会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。(中略)
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し300万人もの犠牲者を出して敗戦を向かえることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかし、これも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリ力によって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。(中略)
大東亜戦争後、多くのアジア・アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし、あの時、大東亜戦争を戦わなかったなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかも知れない。(中略)
一方で大東亜戦争を「愚劣な戦争」などという人もいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと恩っているのであろう。当時のわが国の指導者はみんな馬鹿だったといわんばかりである。(中略)
東京裁判は戦争の責任を全て日本に押しつけようとしたものである。そしてマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する。だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は領域の警備も出来ない。集団的自衛権も行使も出来ない。武器の使用も極めて制約が多い。また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
このマインドコントロールから解放されない限りわが国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、雇用も司法もアメリカに近づいていく。改革のオンパレードでわが国の伝統文化が壊されていく。(中略)
今なお大東亜戦争でわが国の侵略がアジア諸国に堪え難い苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし、私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。(中略)
日本の軍紀は他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。わが国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。(後略)
この論文が政府を直撃したのである。

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