安部市政の失態に立ち上がる
安部市長の責任を問う
2012/10/19 (Fri)
安部市長は現在三十郎と名乗っているが元の名は「善明」である。どんな理由があって改名したかは定かで無いが通常は親から授かった名前を変える事は無い。この事一つを取り上げても異常であるが、公人としての異常さは目に余るものがある。
当会の18日掲示板「心配性」氏の投稿のように、争われている立ち退き問題は安部市長の「まちの広場へ図書館建設決定」により「魚民」側に取ってはこの上ない有利な口実となった。
法を少しでも勉強した者であれば「借地借家法」で賃貸人(貸し手)は「正当事由」が無ければ再契約を拒否しても賃借人(借り手)に立ち退きを強制できない事は知っているはずであるが、事もあろうに市長自ら「正当事由」の1つを消し去った。
その安部市長のホームページには誇らしげに「早稲田大学・法学部卒」と明記されている。
【ここで小話】
八つぁん 「安部市長は法科卒だってねぇ」。
熊さん 「いや『ア』の付く法科と聞いたよ」。
虎さん 「いや『チ』の付く法科だよ」。
落語の世界なら笑って済ませるが市民の税金を行使する立場の「法科卒」なら特に法に沿った行動が求められるであろう。
しかしながら安部市長は就任早々、市庁舎使用規定の「何人といえども旗・幟等の掲示を禁ずる」とする定めを破り、議会で注意されても「市長は良いのだ」と自分にだけ吹く「自由の風」なる幟を市長室前に掲げ悦に入っている有様である。
このように法を軽視する安部市長が「ポポロ館と魚民間で立ち退きが合意されていない事」を承知の上それを隠匿し、3月議会に図書館建設の予算を計上して承認された事に、議員は「議会無視」と百条委員会の設置を発議したが何者かの議会工作により1票差で否決された事は記憶に新しい。
その結果二千数十万円の税金がムダとなった。
その責任を問われた安部市長は「市報と議会で謝った。市長報酬から18万円を差し引き残りの二千万円強は『市民に負担』してもらう」と9月議会に上程し、山村明・鈴木章郞市議以外の賛成により『市民負担二千万円』が可決された。
当ブログを閲覧の諸兄よ『市民負担二千万円』に納得するのであるか!!
老生は断固「安部三十郎」に責任を問う。
具体的行動としては先ず「住民監査請求」を行うが、行政のポチ高野欽一(信金天上がり)・佐藤弘司(議会選出)監査委員により「却下」されるであろう。
却下された場合「住民訴訟」を行うが「却下」より30日以内と定められている事から「住民訴訟」の提訴書類の体裁が整う目安を持って「住民監査請求」を行う予定である。
通常「住民監査請求」は議員(とりわけ共産党)が行う事が多いが米沢市に於いてはその事例は無い。
事例が無いばかりか、4億円が市の収入となった当会の「住民監査請求」3度に議員傍聴は一人として無かった。
「馬鹿な市長」「無能な市議」と愚痴を万遍唱えても事は好転しない。
老生は「住民は行動を起こすべき」と主張する。
閲覧諸兄の意見投稿を期待する!!
人間はとかく「権威・権力」、まして「金のもつ魔法」には無力なものだ。
2012/10/03 (Wed)
来年の誕生日で80才を向かえ、昭和8年生まれの現天皇と同世代の激動の昭和を生き抜いてきたから、政治家の善し悪しには敏感なものがある。あと2~3年も戦争が長引くようであったら老生も南国の孤島で一片の骸骨になっていたであろう。
「失うもの」が何もないという少年時代を過ごして来たから、人に媚びるような精神状態ではなく中学の卒業記念に「一直線に生きる」と書いた文集が今も手元に残っている。
年甲斐もなく、安易な妥協もできず面白くもない年寄りだと思われて来たに違いないが、物事を判断するにあたって「事の是々非々」にブレることのなかった自分が、たった一つの自慢かも知れない。
数日前からブログに寄せられてくる安部市長「リコールに賛成!」の声が増えているが熱意のほどを「一粒の麦運動」として地道な活動に期待するほかはないのであろう。
安部陣営には「金力を武器とした権力者」の存在と「金力にだらしなく屈折する人物たち」がいるということを知らねばならないからだ。
だが、市民が大挙してリコール運動を本気になって起こすならば「蟻の大群によってライオンが倒される」という諺があるように米沢の市政を許に取り戻すができるであろうが市長をリコールするなどの運動はよほどの決意がなければ、田舎町での成立した事例はゼ口に等しいものだ。
まして対抗馬の可能性も無く行動を起こしても徒労に終わるであろう。
考えてもみるがいい、共産党の議員といえば権力に臆せず政治的な不条理に敢然と闘ってきた歴史があるものだが、当市の共産党議員は市長の実弟として、すべからく市長擁護の立場にある。
止まれ!安部市長はアスペルガー症候群に罹患していないと医師の診断書をもってはっきりと示すのが市の責任あるトップがとる態度というものであろう。
かつて30年前、米沢市を二分する市長戦があった。
長市長のあまりにも無気力な市政に経済界が反発して起こした市長選である。
一回目は負けたが、二回目はわずかに18票の差で髙橋幸翁が勝って20年間市政がつづいて過ぎた。が、ここにきて現在の市長が唱える「自由の風」は市民には一切吹かず、自分に勝手に吹きまくる風である。
このような暴挙を許すような時代ではあるまい。今こそ市民が怒り狂うべきであろう。
「市長になってみたかった」という単純なアスペルガーによる発想も今では市を揺るがす悪政となって噴出してきた。
チェックする議会も朝飯談義で是非の判断にも狂い、就職先である議員の椅子だけは手放すまいと支持者に駄弁を奮うだけの毎日である。
市政のために県庁にも訪れたこともない市長が、ポポロビルから立退かない居酒屋本部に社長を訊ねていったが社長に合えずに玄関払いされて帰ってきた安部市長の情けない姿は米沢市民全体の恥とはいえまいか?
かつて「市長が会社を訪問するとなれば例外なく会社の代表者が出迎えてくれたのだ」と得意気に話していた市長だが、玄関払いされて帰ってきた現実をどう説明するというのだ。
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