城下町の情緒あふれる町並みづくり構想

2004/06/30 (Wed)
本日書込みの「凡人」氏の意見に賛成する。米沢市を訪れた観光客の多くは米沢市を「上杉の城下町」としての風情に期待してくるものだ。が、大半の観光客は期待を裏切られた形で帰省されるようだ。
城下町の風情が何処にも見当らないからである。
事実、米沢には風物は皆無だ。小生は古くから町並み保存協会員として、会員と一緒に遠くは竹富島、近くは「蔵の町喜多方市」で行なわれた全国町並み運動総会に参加してきた。特別参加として東京大学・京都大学学生の参加もある。
東京駅保存運動にはじまった「全国町並み保存」運動は各地立候補で行なわれ、妻籠・馬籠などの江戸宿場の再現家並み。萩の土塀、函館、栃木市などなど20年もつづいている団体である。米沢市からの参加は小生を除いてゼロ。酒田市から若い市職員が休暇をとって-人だけ参加している。
町の歴史は、古い建造物を保存することによって偲ばれるものだ。
敗者の会津は白虎隊自刃の飯盛山を滅びの美学として
観光客の涙を誘い、 若松城を再現して観光の拠点として発展してきた。
その点で米沢市に観光客を誘致する施設は唯一上杉謙信という武将を祀った神社だけで肝心の鷹山公はカヤの外におかれて参拝者もまばら。
米沢市の観光行政に対する取り組みの不味さだ。
凡人氏のお説のように、失った風情は作らねばならないだろう。ひとり中央商店街のテコ入れよりは観光客を向かい入れる努力の方が街の活性化に繋がることは必死だ。年間通して訪れる人ゼロの妻籠に、年間十万人の宿泊客が訪れる地域になった。宿場町構想を展開したのは南木曽役場の一係長だった。
米沢市の不況打破する方策は観光客の誘客しかない。そのためには日本人の深層に潜んでいる城下町米沢市の期待に応えうるには、町並みの改革がなによりも優先させねばならぬ政策だと考えるものである。
若い凡人氏のような役に立つ提言こそが、米沢市を再生させる唯一の道であることを信じている。

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