fc2ブログ
2019 02 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. »  2019 04

玉庭の雛巡り

kage

2019/03/27 (Wed)

玉庭の雛巡り
 各地で雛人形を展示する催しが開かれているが、玉庭は今年で21回を数える。町民パワーで21年も続けてこられた事は敬服に値する。
 庄内や河北でも雛人形の展示会が催されるが、玉庭に今も存在する背景は前者とは少々趣を異にする。

 各地で展示され、評価の高いのは享保年間(1716年~1736年)に京都で製作された「享保雛」だが、それは全国的に人気を博し、庄内・河北へは北前船で運ばれ、紅花や米などの交易で潤った商家などが大金をはたいて求めたと伝えられる。
 反面、玉庭の場合は、米沢藩下級武士の家に伝わったもので、薄給の彼らがどうして高額な「享保雛」を求めることが出来たのだろうか?
 言い伝えによると、当時の米沢藩は江戸屋敷の警備のため、玉庭からは数十人で100日間の奉公を課していた。
 務めが開けると、節約して貯めた禄で1~2体の雛人形を買い求め、担いで当地まで運んだという。当然ひな壇を埋める程の人形の数は数年、あるいは何代かに渡って集められた物だろうし、それに新品を揃えるには困難で、中古の品ではなかろうか。
 いずれにしろ、苦労して雛人形を運んだ、子を思う親の愛がヒシヒシと感じられる玉庭の雛祭りである。

 写真のおひな様は立ち膝をしているが、これは雛人形が朝鮮より伝わった名残で、大変貴重な一体である。大概は膝の部分に綿を入れて膨らませ、足の状態が分からない仕様となっている。
 飾り方は、古来の日本文化では、男性は向かって右、女性は向かって左とされてきた事から、男雛は右に女雛は左だが、文明開化以後の西洋化(西洋は向かって男左・女右)が影響してか、近代のひな壇では左右が逆になっている。


00000003.jpg 00000002.jpg 00000005.jpg

00000001.jpg 00000004.jpg 00000006.jpg 



この差は何だ!!

kage

2019/03/10 (Sun)

この差は何だ!!

 一昨年、鍛冶川が重油で汚染されている事から、市民のS氏は環境生活課に善処方を申し入れたが、「何もしないのが米沢市職員の務め」とばかり問題解決の為の行動は見られなかった。
 そこで中川市長宛に「ボーリング調査を行い、汚染源の特定と重油の残量を調査してほしい」旨の要望書を、市民20余名の署名を添えて提出した。
 それに対して、中川市長もこれ又問題解決を放置したため、議会宛に「請願書」を提出したが、これも何故か議員の反対が強く、請願が採択されたにも関わらず未だに何の方策も取られていない。

 一方、30年9月に北部小敷地内で灯油漏れした事故では10カ所のボーリング調査を実施し、汚染土壌の入れ替えを議会に報告した。議員は職員の対応の遅さを「危機感がないのではないか」と叱責した。

 この対応の違いは何処に有るのだろう。小生なりに憶測する。
 前者の担当部署は「環境生活課」で、後者は「教育委員会」であるが、第一に考えられるのは職員の資質の差ではなかろうか。

 環境生活課の職員とは一般廃棄物・資源物の問題で数年間散々やり合ったが、その質の悪さ程度の低さには辟易したものだ。市井では「ゴミを扱う部署だからゴミみたいな職員の集まりさ」と揶揄される始末である。
 そのゴミの集団と揶揄される当時のG部長は、副市長に次ぐポストの総務部長に現在栄転している。
 
 鍛冶川油汚染での、中川市長の対応も問題だ。 課の職員が問題解決の行動を起こさないため、市民より市長宛に要望書が提出されたにも拘わらず、「職員に任せている」との態度は環境生活課職員同様、市長としての資質に問題がある。

 明石市の泉房穂市長は、道路拡張問題で立ち退き交渉の際、職員の不甲斐無い態度に「火を付けてこい」と暴言を吐いたとして辞職に追い込まれた。
 この暴言だけを切り取って取り上げれば、泉市長に非があるように思えるが「火を付けてこい」とまで言わなければならない程、担当職員の勤務態度が悪かったと小生は判断する。

 泉市長の行政能力はかなりのもので、市の人口を増やした実績に、婦人層から「出直し選挙に是非出馬してほしい」と、5,000名の署名を添えて要望書が出された程である。

 報道によると泉氏は出馬表明をしたとのこと。
 是非当選して職員に厳しく、市民に貢献する市長は有権者に指示される事を実証して貰いたいものだ。


斜平山(なでらやま

kage

2019/03/03 (Sun)

斜平山(なでらやま)

 米沢市の西方に「山形100名山」に選ばれた、標高660mの斜平山がある。
 米沢から見る山肌は急な斜面で、雪崩が起きる事から「なだれ山」が変化して「なでら山」になったと言う説がある。 そう言えば小さい頃「ナデこけっから軒下を歩くな」と親に諭されたが、雪崩を当地では「ナデ」と呼んでいた。 しかし、何故「ナデラ山」に「斜平山」の字を当てはめたか不明で、難読度に於いてはAクラスだ。

 米沢では「斜平山」の斜面が雪崩で山肌が現れると「ああ冬が終わったなぁ」と春の息吹を感じるが、例年それは3月中頃の時期である。 それが今年は2月中頃に起こったので、春の訪れは例年よりかなり早いのではないか。(写真は2/24撮影)

 春と言えば何と言っても「桜」だ。「斜平山」の麓には市指定有形文化財の「笹野観音堂」が有り、山門前のしだれ桜は見事なので是非観て貰いたい。
 桜と言えば「斜平山」の麓の元愛宕小跡地に、昨年「ようざん桜の杜」が整備され、17代当主「上杉邦憲」手植えによる桜(楊貴妃)数本が植樹され、数年掛けて200本程植えられると言う。「斜平山」が桜の山となるのは、楽しみだ。
春のなでら 笹野観音の桜