本会の官製談合疑惑に南陽市議会が反応した
2007/08/30 (Thu)
本年6月、本会が全国に発信した[南陽市の官製談合疑惑]を問題視した南陽市議会が本会の発信内容を怪文書だと定義しながらも「産業建設常任委員会・協議会」の名で、7月11日会合を開いた。怪文書との扱いだけでは無視できないものがあったのだろうか対応は早かった。常任議員6名は市側から水道課長をはじめとする当該課職6名に説明を求め、会議は17年度の水道関係入札記録を提出させての質疑応答の形式ではじめられた。
17年度資料とは荒井前市長による執行の資料である。会議の記録文書を見ると会議の結論は「大道寺水道課長の文言に翻弄された内容」としか読み取れないものであった。
議員とはいえ「専門業務に無知な議員たち」であることから水道業務を専業とする課長らに反論するには議員たちの知識だけでははなから無理な会合内容となった。
問題となった水道工事談合疑惑は世にも不思議な「予定価格と落札価格が100%合致するパーセントの高さ」に大道寺課長は議員質問に答えた。「偶然の一致です」これに議員は「偶然というには、17年度に13件も100%の合致が見られる。これらの入札はいずれも偶然の合致であるか?」
課長はこれに答えて「市では予定価格を決めるためには設計価格を積算する。そのために専門のソフトを用います。業者の中におなじようなソフトを使用して積算すれば答えは同一となる。したがって偶然は当然ながら高率となる」
本会は業務用ソフトを扱う専門家に課長の文言の内容を尋ねてみた。ところが専門家の答えは「馬鹿なッ!同じソフトを使って積算したからといって入札価格が予定価格と100%合致することは絶対にありえない。」理由はつぎのようだ。
国交省・厚労省は国の基準として工種毎の歩掛を公表しているが各市町村は計算基準を公表していないため市販される積算ソフトは各地域の正確な歩掛を取り込んで業者への提供は不可能である。
材料費についても4月から翌年3月までの数字でありその間の材料費の高低はどのように計算する。無数にある材料販売店から仕入れる単価を役所と同じ単価でソフトに組むことなど不可能である。
水道工事であれば掘削する場所で土質や出水により作業に差が出てくる。これは積算担当者の感により計算されるものであるから役所担当者と業者の考えが100%合う確立は極めて少ない。
仮にソフトが示した積算が同じであっても入札には[予定価格の部切り]が常識だ。部切りの相場は3~10%の間が通例とされているが30%の場合もある。これがあるから偶然の一致はありえない。
もし役所の入札価格を100%当てることの出来る積算ソフトが実在するのなら、業者は全社導入し100%の入札者業者の数がもっと出るはずである。
一方、予定価格を策定するのは[執行人]と同一人であってはならないのだ。一般的には[予定価格」の設計積算は部下がするにしても「市長が精査した上で手直し(歩切り)」をした上で入札執行日に「執行人の助役」に渡すもので「予定価格」を決定する者と「執行人」は同一人はやらないのがシキタリである。したがって南陽市の大道寺課長が議員に説明しているように「水道関係の入札一切は私がやっている」と言い、それで議員らを納得させている行為は目の前の誤魔化しであり詭弁としか思えない。
仮に課長の文言通りに南陽市政が施行されているのであれば言語道断、入札の不正は今後も途絶えることはないであろう。早急に改めなければならぬ悪癖である。永年にわたって南陽市政の悪癖は継承され税金の無駄使いが続けられてきたのである。
自然の摂理とは「水は高きから低き所に流れる」ものであるが「金銭は低きから高きに吸い上げられる」という摂理に反した行為が疑われる南陽市の行政感覚なのである。議会のチェック機能の低さと、職員の批判能力の欠如が時の市政権力者の為すがままを見過ごしてきたものであろう。
南陽市の水道行政に官製談合疑惑濃厚
2007/08/29 (Wed)
既報、南陽市の水道工事入札において官製談合疑惑が濃厚となっているが、前荒井市長側も現市長側も「鬼の会の記事は怪文書であり、記事の内容はデタ ラメだ」として必死にもみ消しを図っているやの噂が南陽市民を通じて本会に入っている。デタラメな記事だとするならば無視すればよいだけのことだ。怪文書というからにはなおさらのことである。怪文書の定義は文書作成者が不明なことを指していう。本会は住所も明記してあり連絡事務所も列記してある。ゆえに怪文書にはあたらない。本会の情報にさしさわりがあるのであれば日本国には「名誉棄損」で訴訟できるとした法律がある。訴訟すればよいだけのことである。南陽市の水道工事入札に一部ではあるが、17件の入札に7件もの「予定価格と落札価格」が100%で落札された事実がある。
「万が一にもありえない入札行為」だと他の市町村では吹き出すほどの合致例の多さである。中には同じ業者が落札した物件すべてが100%の落札率であることに疑惑を抱かない者はいないであろう。老生は官製談合であろうことに疑問のはさむ余地はないとして、行政関係の長はじめ業界の人物に問うてみた。「南陽市にはお八幡さま、熊野神社という著名な神社がある。そこで神業とも思われる入札の奇跡が産制されるのではないか」と失笑されているのが実情だ。いずれにしても南陽市政の失態であろう。本会の情報は日本全国に流れるものだ。したがって、隣市政の恥部を曝すのは本意ではないが南陽市政の場合、どのような贔屓目でみても尋常な市政運営だとは思えない。議会のチェック機能がゼロに等しく、議員はすべて無投票当選になるものだと知るに及んで市政担当感覚は無きに等しいものだと市民は嘆くのだ。
以上は荒井市長時代の「官製談合」疑惑である。 庶民の目には「官製談合」以外に100%の落札はありえないと映るような事象であっても肝心な地元南陽警察署の目が節穴か近視眼であるかのように動き出す気配すらみられないのだ。警察本来の機能が夏枯れしているかのように南陽市民にはみえている中、勇気ある南陽市の一水道業者が「水道入札に官製談合疑惑の疑いがある」として南陽警察署に「告発」した。が、これを受けて南陽署がどう動くのかは南陽市民のみならず全国の関係者の注目するところであろう。全国警察の捜査主眼は「官製談合摘発」であることに言をまたないが、どのような結果を市民に示すのか南陽警察署の動きに関心を寄せてほしいもの だ。警察の捜査に最も必要なことは「職員による内部告発」であるが、市民による風評。噂なども捜査の参考に欠かせないものであろうから匿名であったとしても積極的に警察署に寄せるべきであろう。それが南陽市政の厳正な改革となり「南陽市政の恥部を払拭することになると思われるからである。恥部は南陽市だけに限られたことではないにしても南陽市の場合は極端過ぎるのだ。
悪代官も仰天! 南陽市の腐れ切った市政を撃つ。
2007/08/28 (Tue)
まず、事の起こりから説明検証する。① 平成10年、南陽市は土地開発公社よる「西工業団地」の開発に乗り出した。
② 造成工事は南陽市の「松田組」によるもの。
③ 株ヤマキチが西工業団地に工場敷地を求めて重量鉄骨一部2階建 280坪の工場を建設したのが平成12年10月。
[抗争の起因]
14年12月になって工場内のコンクリートが陥没し水が溜まるというアクシデントが起きた。年が明けた1月に開発公社に現場調査を数十回に及んで要請したが、なぜか公社側は応じようとはしなかった。★抗争第1の起因。
[造成工事以前の背景]
工事前の当該用地は民間の[養鯉池]で、地主は産業廃棄物の廃棄場所として容認していた経過があった。
工業団地造成地には厳正な縛りが要求されて然るべきである。造成地の「地耐力」が保障されること。「産業廃棄物」および「有害物質」らが埋没されていないこと等である。
開発公社は造成企画をするに際して、造成以前の当該土地利用の実態を厳密に精査すべきところこれを怠っていた。
工事関係者については利用情況を熟知していたと推察される。
[造成工事の問題点]
① 造成工事を担当した「松田組」はボーリングあるいは掘削などして埋設している産業廃棄物の完全撤去をすべき義務行為を怠った。
② 埋設する産業廃棄物の存在を熟知しながら「松田組」は撤去どころか10センチ程度の山土を盛り整地して工事を完了した。
③ 開発公社は工事完了と同時に当該敷地を工業団地用地として販売を開始した。
[[抗争発生]
① 株ヤマキチは工業団地進出を決定する前に、当該造成地に産業廃棄物が埋没したままの土地であるとは思いもしていなかった。
② 土地開発公社の対応に著しい疑念をもったヤマキチ側は法廷闘争に頼るしか解決のメドを計る手段は見いだせなかった。
[第一審判決]
株ヤマキチ側が土地開発公社を相手にした第1審の判決が下されたのは平成17年2月末だった。
内容は土地開発公社が2200万円を原告に支払えというものだった。
ヤマキチ側は判決を不服として公社の仮差し押え等の権利を担保していたことで実行方を検討していた矢先、芳賀某なる市民が開発公社理事長の懇願によって仲介人としてヤマキチ側に和解案を勧めに来た。
[和解案]
① 判決の2200万円を土地開発会社が支払うものとする。
② ヤマキチ側が担保していた「土地開発公社の仮差し押え」を実行しないでほしい。
③ 支払いは20日ヤマキチロ座に振込みとする。
和解の文言になる契約書は土地開発公社柴田理事長が作成、仲介人が署名捺印を求めた。ヤマキチ側は和解に応じ署名捺印した。ヤマキチ側には支払いの期日が迫っていたこと、手形決済日に間に合う支払い条件であることで異存ではあったが和解に応じた。
「公社側から申し入れた和解条件を遵守していれば問題は解決していた」
[抗争再発生]
① 公社からの申し入れた和解契約を一方的に公社側から破棄。
② 破棄に至った事由は公社理事会で渡部啓理事(通称:いろは屋)の発言「ヤマキチの経営実態は虫の息だ。圧力かけて会社を兵糧責めにしてヤマキチを潰せばええ。倒産に追い込めば野郎は夜逃げするしかねえべから、夜逃げした会社に支払うことはねえべ」この発言が理事会の総意」となった。
③ 和解破棄となりヤマキチは「弁慶の立往生」よろしく会社経営存続上最大の苦渋と絶体絶命の立場に追い込まれた。
④ 意を決したヤマキチ側は再度法廷闘争を決意して上告した。
[第2審控訴]
現在抗争中(仙台高等裁判所)
ヤマキチ側は、新に開発公社側が証拠申請として提出してきた当該土地の「地耐力」を証明する書類を精査し「証拠捏造」だとして、開発公社がボーリングした場所から、30センチの距離をおいた場所をボーリリングしたデーターをもって捏造の事実を反論した。
開発公社が調査を依頼した業者名:㈱新東京ジオシステム
㈱ヤマキチが調査依頼した業者名:㈱ピコイ
ヤマキチ側は開発公社側の調査報告には多大な捏造が発覚したとして両者の調査報告書を比較検討した結果を[反論]として提出。
[その他経済追込み戦略]
① 西工業団地造成に直接携わった「松田組」がヤマキチのメィンバンク山形銀行に指示「資金の貸し渋り、貸金の一括返済を強要する」など。ヤマキチ側では山銀行員3名を検察庁に告発を考慮中だ。
② 公社側が地耐力を証明するため業者を依頼してボーリングをした場所の地下から「コンクリ ―卜の固まり」「木材の幹および根塊」「長さ3メートルを越す水道管」などが大量に発見。いずれも掘削時の写真を添えて証拠書類として提出。
[常識的な見解として]
① 土地開発公社が第1審後に申し入れた和解案を反古にしたわけはなぜだ。和解案を実行しておれば抗争に終始譜をうてたはずだった。
② ヤマキチ側も和解案を受諾したらもかかわらず相手の反古によって著しいダメージを受け会社存続の基盤が揺らいだ。
以上が本抗争の経過である。結論は仙台高裁の判決の裁定に待つしかないが、なぜ?土地開発業者が和解案をヤマキチ側に求めながら、ヤマキチ側が承諾するや間髪を入れず、支払いを拒否し和解案の破棄に至ったのか疑問は残る。
結果として原告の事業継続中断という大事を巻き込むことになった。
なぜに土地開発公社側が裁判の引き伸ばしを画ろうとするのかそのわけは?
① 土地開発公社が造成した土地の恥部(あってはならない虚偽の土地造成であったことの隠滅)の喧伝に狼狽えたことによる。
② 弁護人の要請によるもの(原告には裁判が長期にわたれば取り下げがある)
行政側の弁護であれば長期にわたる弁護費用に心配がないこと。
③平成9年12月に[土地造成法]が改正され厳しいものになったことは土地開発公社側は熟知しての造成計画であったはずだ。南陽市政とはかくも法の遵守に無頓着な市であったのであるか。
葬式ご難時代
2007/08/22 (Wed)
葬儀は業者と導師の言いなりで苦慮するのは当然だが、親の葬儀すらできなくなる時代が見え隠れする今日此頃のようだ。理由の多くは経済的な事情による。まず、葬儀を司る導師のお布施が高騰したこと。そして便利との理由で葬儀屋にお任せすることが社会的な常識になっていることだ。老正の範疇でのことだが、知人が永年糖尿病で患ったあげくに死去した。病院から自宅に搬送安置し、坊さんの枕経をと待機しているところにやってきた坊さんの開口一番「伴僧はひとり85000円、おれは50万円な」こともあろうに枕経もあげないうちの発言である。葬儀屋は葬儀屋で葬儀の段取りから檀払いの話まで執拗に喪主となる未亡人に語りかけている。あえて言うが枕経を後回ししてである。商売熱心とはいえ場合を考慮する必要があるだろうと老生には人ごとながら耐えきれないものがあった。
結婚式と違って葬儀には準備する過程という間がない。したがって、互助精神によって近所の方々のお手伝いで無事済ましたのが葬儀である。と、聞いてきた。 ところが結婚式も派手になったが、葬儀もまたしめやかではあるが、業者の出現によって派手さが増してきたようだ。
弔問客の中には「忌中法要から壇払いまで呼ばれた」と言って故人との関係の密度を自慢気にする人たちも現れはじめている。忌中法要は別だとしても「檀払い」は葬儀中お手伝い頂いた近所(隣組)の人たちの労に感謝の意をこめて馳走する行事であろう。 「一般回葬」「忌中法要」「檀払い」の各行事に参加することが故人または喪主との付き合いの密度であると考えること自体が滑稽だと老生は思っている。
余計なことだったが、すでに送付済の100余名にも及ぶ檀払い予定者を削減するのに一役買ったが、結果は老生の処置は最悪の憎まれ役となった。しかし残された未亡人家族に膨大な経済的負担をかけないことと、檀払い本来の形を達成できたことで喪主および家族親族縁者が費用の面で胸を撫で下ろすことになった。
また、故人の意志によって「密葬」を執り行ったことがあった。菊花の献花と多少の会食で済ませる予定だったが、老生は献花する場を考え「月光の曲」を流し雰囲気を整えることに腐心して弔問客の賛辞をえた。
現在、知人家族から葬儀の相談を得ている。主な相談は「お布施」と葬儀屋の選択とである。
末期だとはいえ生存中に葬儀のことを考えるよりは手厚い看護をと葬儀屋は当たり前のように言うが、喪主および家族にとって葬儀一切にようする経済負担を知っておく必要があるのだろう。
派手な葬儀を希望する家族には老生の助言は不要であろう。が、言えることは米沢市内の葬儀を司る導師のお布施などの費用には理不尽なものを感じているのは老生だけであろうか。
南陽市のある場所では檀家がお布施を定めているのだと聞く。段式はあるにしても一般的には導師のお布施は5万円が相場だという。適確なお布施であろうと思った。50万円が相場だとする米沢市内のお布施であれば早晩、葬儀自体が負担となって新たな形の葬儀形式が生まれてくるのではあるまいか。
かくゆう老生は導師の関わりを断った「密葬」を考えている。ひっそりと母から受けた生である。
だれにも迷惑を掛けない終焉をと願っている次第だ。
安部市長と米沢信用金庫の関係?
2007/08/21 (Tue)
米沢市の組織を見ると副市長と同格の立場に一般市民から市長によって登用された役職の監査委員がいる。米沢市政における歳出の明細が適確であるかどうかを見守る役職であり、本市の監査委員は渡部繁雄氏、元米沢信用金庫職員からの任命である。安部市長による信用金庫職員からの登用にはケッタイな噂が囁かれている。
市と信用金庫のバーター人事だという噂である。事実、信用金庫側から監査委員を登用した裏に、市側から元建設部長が信用金庫側に就任している事実があるからだ。いわゆる公務員の天下り先のひとつが米沢信用金庫だとされている。これは今禁じられている官僚の天下りに類似しているのだ。
さて、信用金庫から市の監査委員に登用された渡部氏なる監査委員に対する巷の評価は著しく低いものだ。中学で同級だった某氏は渡部氏を評価して「なんで渡部ごときが市の監査役に抜擢されたのか理解に苦しむよ。学校の成績もはかばかしくなかったし、信用金庫でどんな職務に携わっていたか、一般市民も知らない。たとえば何処支店の長をしたとか、次長を努めたとか市民なら知っているはずだがな」と理解に苦しむ真顔で語るのだが、そう言われてみれば金庫での彼の顔を知る市民は少ない。
その渡部監査委員に本会は不当な監査結果を出されたことがある。本会が出した二度目の住民監査請求に対して「正当な支払いだ」として却下してきたのである。
本会の監査請求の骨子は「払うべきでない金員を環境生活課が予算に組み込み、事情認識の薄い議会をペテンにかけて業者に支払おうとした行為の是非について監査請求したのである。課も横着だが予算を通過させた議会にも責任がある。
要するに市の委託する資源物回収業者が入札制度になって実入りが少なくなったために不足分を補填すべく環境課が画策し、従来の業者にお手盛り金額を出したことの精査を監査委員会に要求したものである。
内容はこうだ。回収業者と市の契約は「収集してきた古紙類を台貫して米沢市の回収総量を計算することであったが、回収業者は契約にある所定の計量器で計らず、業者所有の台貫を使用して「手書き」によって回収総量を算出し市側に報告していたのだ。
手書きであるから如何様にも回収総量を増量できる仕組みだ。市は報告を鵜呑みにして「米沢市の古紙総量」を決めていたのが実情だった。
ところが入札制度が実施されたことにより、市が掴んでいた総量は業者によって勝手に水増しされた数字であった。入札によってナント4割り方減量していたのである。慌てた環境課は「それだけ古紙が減ったのは業者が増えた結果による」と弁明して立場を繕ってきた。
そこで本会は回収量が減量したのであれば回収費用も同時に削減して然るべきだと申し入れたが環境課は本会の申し入れに耳を傾けることなく逆に問題の「計量費用」を新たに予算に組み込んできたのだ。
今まで計量する契約を破棄しながら経費だけを甘受してきた業者に対して、これからは「計量するように」と計量費用を予算化するという業者保護を企てたのだ。本会は市との契約を反古にしてきた業者に対してさらなる保護政策を企てる課の悪癖を正し、本来あるべき業者との契約を厳守させる誓約こそが、監査委員の責務であろうと監査請求を行ったが、渡部氏が就任した経緯からも察せられるように市民側に立った監査結果を出さなかった。こうして大事な税金が無駄に使われているのだ。
監査委員が有能であれば困るのは、自由と隠し芸が効かなくなる市側である。行政に都合の良い監査委員を任命し、市民からの追求をかわす手法が堂々と罷り通っている安部市政である。
「一般廃棄物収集業」を願う市民に行政処置の問題あり!
2007/08/10 (Fri)
一般廃棄物収集業の許可権は「地方首長」の裁量によると定めがあるから米沢市では「安部市長」の裁量権によるものだ。実際の窓口は「環境生活課」の所管とされている。が、当該課は何年来と頑なに業者の出す許可申請に不許可として斥けてきた。
市民の総意である議会の「許可を出すべきである」とする決議すらも行政は一蹴した。行政の頑なまでの姿勢はどこから発生するものであろうか。この際、裏街道の理由は別論だとして数年前の最高裁判所の判例を基準としている。
最高裁判の判例の骨子は「法は、許可を出すことも、出さないことも各市町村長の裁量に任されているものであるから裁判所が判断することではない」としている。
平たく言えば「市町村長が判断しなさい」としていることである。他市と違い米沢市は高橋市政から安部市政に至までこの「悪癖」は依然として変わることはないのだ。
さて裏街道では「200万円献金すれば何んとか許可してやる方法がある」という黒い噂が県会議員サイドから流れたことがあった。市職員採用には200万円の政治献金が必要だとされた時期があった。噂を追ってみると採用された職員が自ら告白したのだ。
政治汚濁は永田町だけではない。山形県庁内でも「裏金」が発覚した。米沢市には絶対にありえない現象であるだろうか?
本会の追跡調査によって、米沢市が長年にわたって概算数億円にものぼる「古紙」を特定業者に無償提供していた事実があった。本会はその矛盾点を指摘し「業者同士の入札制度」を実現させ、結果は億の金が市の歳入となって現在がある。
さて、一般廃棄物業の許可を申請している業者は米沢市民であることに注視すべきである。現在、許可業者は市が新たな業者参入を許可しないため「高値安定を決め込んでいる」のだ。このリスクは一般市民の負担となっている事実を熟知しながら行政は希望する業者に許可を出すことを拒んでいる。理由は「米沢市が出す一般廃棄物の総量に見合った処理業者の数であり、なかんずく処理能力が余っている」と宣うのだ。
さらに「現在の許可業者に利益を与えなければ不法投棄が心配される」との2点に凝縮された不許可処分なのである。ここに行政の創意工夫が枯渇している証拠だと老生はだんじるのだ。
老生の提案を述べよう。
①いかなる業者も米沢市民であり平等な権利を有するものである。
②業を求める人たちに許可を出すことが行政の為すべき仕事である。
③規制業者に利益を与えないと不法投棄の恐れがある。とする行政の文言は論外の飛躍であり、業者保護であり、官の癒着構造にほかならない。文言の裏では不法投棄が為されている事実をどのように説明するのか。
④業者とは本来競争原理によって働くものである。したがって、許可業者が増えることによって収集運搬価格が調整され市民に恩恵が生ずる。
⑤許可業者を増やさない理由は、常に安泰な行政を願う職員たちのエゴによるものと、裏街道に君臨する業者の攻撃・恐喝に怯えているからだ。恐喝に怯えて撤回した事実が数年前に実際に市役所内で起きていたのだ。「部落解放同盟」による恐喝には市の助役はじめ担当職員たちが震え上がった事実がある。
⑥業者保護がつのると市民からあらぬ疑いがもたれ、ガラス張りの行政体制が崩壊してしまうのではあるまいか。まず、疑念の最たるものは「ワイロ」の授受であろう。
[提 案]
1.業を求める者に「厳選な資格審査」を行なって許可を与える。
2.許可業者には「一般廃棄物収集に関する条令」の遵守を励行。反業者にはただちに許可を取り消す。等を誓約させた上で許可を出す。これが行政のとるべき創意というものであろう。
以上の提案を実施できない裁量権者安部市長であるならば市民の発動による11月の選挙が示すだろう。米沢市だけはクリーンな行政であることを願って提案をする。
永田町の激震は国家公務員の堕落からはじまった!
2007/08/01 (Wed)
わが国の選挙事情は、わが国だけの事情でおわらないことは申すまでもない。世界中がわが国の選挙結果に注視しているからだ。予想をほるかに超した自民党の惨敗が国家に及ぼす結果はどれほどのものであるか。老生はこの度の選挙で、ことさらに「安部総理」に同情を禁じえないものがあった。敗戦を予知する中、孤立無援で戦った安部総理の姿が眼に焼きついている。
大方の評論家は自民党の敗因を「安部内閣の仲良し閣僚の弊害」をあげ、未成熟な閣僚の不用意な挙動が総理の足を引っ張る結果となったとしている。が、国民の激怒を増幅した原因は保険庁に勤務する国家公務員たちが犯した「保険庁の不始末」に第一の要因があったと老生はみる。水の流れとは恐ろしいものだ。はじめの一滴が時を経るごとに濁流となって有権者に危険を報せ、慢れる与党を飲み込んでいったものであろう。 テレビの画面で見るかぎり与党幹部の萎れた表情はあまりにも哀れだ。権力者が頼みの権力を剥脱された顔というものであろう。
本会のネットに寄せられたアクセツ数は30万数を越えた。ネットを企画した当時は予想もしなかったアクセツ数である。皆様から寄せられた御意見の中には、本会の狙い通りの投稿も少なくなかった。その度ごとに本会は「問題の核心に迫る聞き取り調査」による解決策を行なってきた。「学校教育の不備」「道路行政の怠慢」「地方行政の汚濁」あげればキリがないほどである。
先に南陽市の「官製談合」と疑われる入落札の実体を掲載した。識者のどなたに尋ねても答えは同じだった。行政の「予定価格」に対して普通の常識では、業者の「落札価格」は80~90%程度であるという。まして、100%の落札とは偶然とはいえ考えられない的中価格だとされている。しかも、17件中ナント100%落札が7件もあり、内3件の100%落札業者が同一業者だとくれば偶然が重なったではすまないことであろう。「官製談合」の疑惑はシロウトの市民でもわかるというものである。一部を掲載したものだが、精査すれば南陽行政にはどれだけ官製談合とおぼしき落札が行なわれていたのであろうか。17年度、荒井前市長時代に行なわれた灰色の入落札の実体である。 他市町村にも弛んだ部分もあるのだろうが、実体として投稿はない。
老生は「減反政策」を激しく糾弾してきた。少年の頃に飢えた時代を過ごしてきた戦争体験を味わってきたからだ。わが国は国民全体を養うだけの食料国ではないからだ。 現実には食料の危機感は国民全体に希薄であるように思える。が、それは他国からの輸入に頼って見かけは豊穣を装っているだけのことだ。以前、上京時に電車の釣り下げポスターに「日本は世界第一の食料輸入国でありながら、一日、10万食を捨てている不思議な国だ」と書いてあった。現代の日本人は真からの豊穣の意味を解していないようである。 戦中戦後は田んぼの畔道に豆を蒔き、各家の地面は畑となって食料の自給を図ったものである。
いま福島市を訪れてみて米沢市との違いを如実に見ることができる。 市内でも各家に庭がなく所狭しと果樹が栽培されている。松などの鑑賞植物に土地を奪われていないのである。その点ではウコギや柿の木を奨励された以前の教えは米沢市民からは消えた。恵みのある樹木を植えることが鷹山公の教えであったはずだ。「喉元を過ぎて熱さを忘れた市民」であることを恥としない市民性であってほしくないものである。 老生は前述のポスターを目にしたとぎ農業政策の貧しい自民党の政策に対して、ムシロ旗に象徴する百姓一揆を予想していた。農家は不思議と自民党の票田とされてきた。その反旗が与党を惨敗に追い込んだのだ。権力者よ慢る勿れ! 慢れる者久しからずだ。
百獣の王ライオンですらも蟻の集団に倒される例えもあるではないか。
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