安部三十郎市長は アスペルガー障害か?
2011/08/29 (Mon)
アスペルガー障害とはあまり聞き慣れない言葉だが最近新聞でそれを知り、八年前より疑問を感じていた“常識を逸脱した市長の言動”はこの障害ではないかと思うようになった。アスペルガー障害とは、(大妻女子大学人間関係学部 内山登紀夫氏の文献より)
(1) 他の人との社会的関係をもつこと、
(2) コミュニケーションをすること、
(3) 想像力と創造性、
以上の3分野に障害を持つことで診断されると定義される。
この障害は広汎性発達障害に分類される病気であるが自分に関心のある分野の話題を饒舌に話したり、特定のモノに対してかなり強烈に興味を示し、芸術家や学者の分野で成功する例も有る。
安部三十郎市長の場合はどうであろうか。 老生は八年前市議を仲介に市長との会見を申し込んだ事がある。
“市民との対話”をマニュヘストに掲げ当選した市長なら会う事に問題は無いと思っていたが、案に相違し会見を拒み続けるのであった。
やむなく内容証明郵便にて半ば強引に話し合いの場を設ける手続きを取り、当日は当会より30名と市側の市長・副市長・担当職員間で話し合いが行われた。
話し合いの内容は“年間五千万円を超える市の財産(資源物)を特定の1社に無償提供する事の是非”である。
40分の間市長はこちらからの問いには“一言も言葉を発せず謎の微笑みを浮かべるだけ”で、事の内容は理解出来ないようであった。
その態度と表情を目にした老生はその方面に障害を持つ施設を訪れた時の児童の顔が重なり、今後の市政に大いなる不安を感じた事を記憶している。
当会との会見だけでは無い。ごく最近では定例記者会見の場で予定にない質問が有ったとの理由で会見席を立ち去った事が報道された。
しかも1度ならず2度もである。記者団の抗議を受け市長は謝罪を行ったが、他人との対話が出来ないコミュニケーションが取れない障害の顕著な例ではなかろうか。
約束を守ると言う事は他の人との社会的関係を保つ事には大きな要素であるが安部市長にはここでも問題が見られる。
“市民との対話”を掲げ当選した市長であるが地区を訪問する移動市長室では予め質問を提出させ、自分に都合の良い質問だけに答えている。
予め設定されていない質問が為された時には会場を途中退場する行動を取ってきた。
又、市民とは今後対話をしない旨の公文書を発行した事から議会において「市民との対話を掲げて当選した市長が市民との対話を拒むのは何故か」との質問が有った。
これに市長は「市民との対話を今後も続ける」と答えている。
このように言っている事と現実との矛盾に気がつかない状態は正にこの障害の特徴であろう。
想像力と創造性の無さについては“何もやらない市長”として評価を得ている事から正にその通りであろうが、この障害には特定の物事に異常に執着する特徴がある。
市長の歴史への拘りは良いとしても八年前に掲げた街中図書館建設をここで実行する事については市民に取って問題である。
現在は印刷書籍から電子書籍へと時代は動いている。
図書館の箱物存在価値を八年前の基準で判断するのはあまりにも能がない。
どうしても必要であるなら現在の社会情勢を鑑み、経済面・教育面・文化面等各方面での検討数値を市民に示す事が必要と思うが、その件の議会質問には「読解力がない」の一言を発するだけでまともな答弁も出来ない市長である。
市長の答弁は全てこの調子でまともな議論を交わした米沢市議会など見た事がない。
このままでは議会の存在価値そのものが疑問視される訳で、議員もこの障害を持つ市長への質問対策を取るべきである。
もう一つこの障害には人に騙されやすい・利用されやすいという特徴もある。 昨年までは米沢を代表する経済人・政治家が安部市長交代論を掲げていたが今年3月頃から安部続投論へと態度を変えたのは何故か。
3月と言えば街中図書館計画が議会に上程された月なのである。
ここで「御輿は軽くてパーが良い」を利用しようとする一部の権力者の筋書きが見えてくる。
図書館建設予定地の所有者は誰か、誰が建設を請け負うのか、そしてその金額が妥当であるか、市民は関心を持って注視すべきである。
8年前9万4千人の人口は現在8万8千人、八幡原工業団地に45社有った会社が今や28社という激減の状態で税収も減る中「図書館建設資金の返済は長期なので市の財政に問題は無い」と広報よねざわで述べているが、税収が減る中で新たな返済を行うに、他を減らさないで返済する方法など有る訳がない。
この様な市長を米沢市民は又しても選挙で選ぶのであるか。
せめてアスペルガー障害が無いとの診断を得てから立候補をして貰いたいものである。
| HOME |