「逢魔の時」という言葉がある

2004/06/26 (Sat)
逢魔の時とは、災いの起きやすい時刻の意味で薄暗い黄昏時を指していう。昔は黄昏に道行く者が、互いに声を掛合うのは礼儀のみでなく、自分が化物でないことを証明する鑑札も同然の行為だった。「たそがれ」は「誰が彼」からの言葉の変化したものだという。
昔の旅人は行き違う入ごとに「もしや?」と用心の目を懲らしたのだろう。さびしい道で妖怪に逢いたくないが、白昼しかも繁華街でも堂々と、平然と出没する現代の魔物に比べれば、まだしも始末が良かったのかも知れない。
現代の魔物の住む所といえば、まず永田町界隈を一にして官僚街に巣食い公金を食してのうのうと生き長らえている妖怪官僚、地方も同様に行政癒着で市民の血を吸う小型妖怪の群れたち。生血を吸われながらも体勢や権力に屈している哀れな市民たち。
議会にも妖怪がはびこっているようだ。教育委員人事は前代未聞の採決によって議会を通過したが、議長の懇願によって賛成派にくらがえった会派もあって議員も支離滅裂の風情のようだ。
議長にして見たら、議長在任中に前代未聞の人事採決は避けたかったのであろうが、あまりにも貧弱な議長であり会派の議員だとの謗りは免れまい。少数だが最後まで反対人事に撤した議員がいたことはせめてもの救いだった。
これが市民の負託をうけた米沢市の議員たちの実情なのだ。議会にも時として妖怪は出没するのである。

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