NO.2957 陶友通信 NO.137 を発行しました。
福岡市の桜はもう散り始めました。
北海道は新雪が積もったとか・・・。
日本列島長いですねえ。
年度末で、いろいろ…ですが、しっかり締められるように行きたいものです。
…ということで、
★陶友通信 NO.137 を発行しました。
障害について考える記事3本と2人の退任あいさつをアップします。
よろしければ、お読みください。
[鬼瓦]
「仲間たちはイキイキ働いて普通の人と変わりませんね」と実習生たちが感心します。▼それは、作業所内では、仲間たちの能力や適性など障害の状況に合わせて参加できるように支援しているため、障害があまり顕在化しない(見えにくい)からなのです。▼ところが、病院に行く、外出する、旅行に行く…、私たちは作業所以外の活動場面で仲間たちの様々な「困難」を目にします。障害は、能力など個人の属性で見るのではなく、仲間たちの生き方や活動を取り巻く「環境」との相互作用の中で見なければならない、というのはそういうことです。▼段差、音や光…さまざまな物理的環境はもとより、人々の理解やまなざしという環境までが生き方に影響を及ぼすのです。白い目で見られると、生き辛いし、優しいまなざしがあると元気が出ますね。そういう意味で障害は環境との関係での「生き辛さ」の問題なのです。▼人間は社会的存在としてこの社会で生きて暮らしています。社会的環境、分けても制度政策はもっとも深くその生き方に作用します。▼「障害がある人もない人もわけへだてのない社会を」。私たちが制度の改善とそれを支える予算の増額を求める所以です。この社会が生き辛いか、生きやすいかは障害のある仲間達だけの問題ではありません。▼・・・桜も開花しいよいよ春本番。仲間たちの春を引き寄せるために力をお貸しください。(友)
★仲間が一歩作業所を出たら・・・
病院から見えた社会の仕組み
「すべての会話を筆談する時間の余裕はない。大がかりな検査には、その分意思の疎通が必要になる。しかし聴覚障害を持っていてはそこに困難があるため検査ができない。」
聴覚障害の仲間が入院し、経過を観に行った時の医師の言葉です。
病院は、不自由なく過ごせるように配慮してくれ、医師も毎日病室を訪れ体の調子を診てくれていました。しかし、心のケアや体の細部の検査は「意思疎通に困難があるためできない」というのです。
仲間たちが一歩作業所を出ると、たちまち障害は顕在化しさまざまな困難が立ちはだかります。その1つに「意思の疎通」があります。
障害への十分な理解と支援がある場では、仲間たちは困難を感じずに活動することができます。
しかし世間はそういう訳にはいきません。病院でさえ、障害があるが故に他の人と同じ対応がなされないのが現実です。 これは「病院側の配慮が足りない」とか、「ひどい病院だ」という個別の次元の話ではなく、「社会の中で仲間たちがどのように捉えられているか」という問題だと思います。
現在、社会のルールは健常者の生活を基盤に考えられているものではないでしょうか。いくら「障害者に優しくしよう」と唱えられても、社会のルールが変わらなければ仲間たちは隅に追いやられていくだけです。
例えば、障害者自立支援法の下での「移動支援」では、「通院支援は〝病院の前まで“」とされています。しかし病院に着いてから、受診するのに様々な支援が必要なのです。支援を受け、皆と変わらない診察が受けられると言う事は、決して「贅沢」ではなく「人間として当たり前の権利」なのです。
今回の医師の言葉は「障害があるが故に、人間として当たり前の権利保障がされていない」と言う事を感じざるを得ないものでした。
★世の中おいてけぼり?
ボクらにとっては”便利”が不便利やけんねえ
クラブは社会体験が不足がちな仲間たちにとって、大切な余暇活動です。そんな活動だからこそ、陶友内では見られない新たな一面を知ることがあります。
昼食のため定食屋さんに入った時のこと。そのお店は入り口にメニューを展示し、食券を買う仕組みです。食券機はタッチパネルでした。仲間たちは順番に食券を買い店内に入っていきます。そのうちにカゴさんに順番が回ってきました。ですが、なかなか買えません。操作が分からないのです。操作を教えると、無事選ぶことができました。
一斉に注文して一番に来たのは「チキン南蛮」。カゴさんがおもむろに自分の前に置きます。次第に注文の商品が揃い、「肉野菜炒め」が運ばれてきました。ですが「肉野菜炒め」を注文した人が分かりません。確認するとカゴさんだという事が判りました。
食券購入時、文字の苦手なカゴさんは自分が何を注文したのか分かっていなかったのです。タッチパネルという難しさも相まって。…チキン南蛮を食べようとしたのはそのためでした。
タッチパネルなど一般的に便利なものであっても、障害のある仲間には必ずしもそうではありません。世の中が高度化するにつれ仲間たちの「知的障害」は顕在化します。
社会との関係の中に見えた「仲間の障害」の新たな一面でした。
★退任あいさつ
■深~い 第四の人生でした。
初めて訪ねた陶友で出迎えてくれたのは、門番よろしく玄関脇にどっかと座った大脇さんでした。「ドキッ!」。それまでの活動を主に、片手間で事務の仕事をこなそうと思っていた目論見は、その日みごとに霧消。それから9年、苦手なパソコンに向かいながら、下から聞こえる仲間と職員の声に励まされての仕事でした。
時には、街頭集会に向かう途中、自分の意に添わず自暴自棄になったHさんを一人で追いかけて、天神のど真ん中を1時間半走り回ったことも。怒りやら無力感やら後悔やら、その晩は眠れなかったことを憶えています。
高齢の母の介護で、陶友を辞めざるをえなくなりましたが、応援団ゆうゆうをはじめ、「声」だけでお付き合いくださった方、文書でお世話になった皆様、ありがとうございました。また、どこかで!(K)
■「あなたは あなたのままで」
大切なキモチをありがとう・・・
仲間の姿からたくさんのことを考えさせられた3年間でした。人間の生きる意味、働く意味。そして〝自分のまんまで物事にぶつかっていくこと〟が一番素敵な姿なのだと教えられた気がします。私はあまり頭がいいわけではないので、難しいことは言えません。しかし、人は生きる上で必ず誰かと繋がり、繋がることで自分を成長させることができる・・・と身を持って実感することができました。
仲間たちや周囲の人と真っ向からの真剣勝負。嘘もごまかしもきかない、まさに〝まんまの自分〟でぶつかりあうことはとても苦しい事でした。しかしそれが今の自分の軸となっていると思います。
これから結婚し、子どもができたとき、生まれてきた命に「あなたは、あなたのまんまでいいんだよ。」と胸を張って言えるかな・・・?それは、陶友を離れた後自分がどう生きていくかにかかっていると思います。陶友でもらった大切な気持ちをこれからも大事にしていこうと思います。
これまで本当にありがとうございました。(T)
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2013.03.26 | | Comments(1) | Trackback(17) | ・陶友通信