阿久悠が死んで考えたこと
いろいろ考えて、あれも書きたい、これも書きたいと思いながら、日々過ぎている状況です。
70年代歌謡曲(流行歌と言う言葉が似合う人だった)の頂点にいた人で、何といっても「スター誕生」の印象が強かった。
ピンクレディと沢田研二で二年続けてレコード大賞を取り、「北の宿から」、「舟歌」で都はるみ、八代亜紀を演歌に留まらない位置に復活させた人だった。
80年代に入って、松本隆の時代になり、松田聖子のブリッコ路線とシンガーソングライターの時代に入って、阿久悠のスケールの大きい歌謡曲の時代は省みられなくなる。
それでも、「熱き心に」(小林旭)、「時代遅れ」(河島英五)でおじさんの心を奮い立たせたりもしたけれど、作家として、「瀬戸内少年野球団」などの活躍が目立っていく。
90年代にはいると、小室哲哉が出てきて、ますます歌詞が薄っぺらくなる。
作詞家別の売上ランキングでは、ダントツが阿久悠で6818万枚、2位が松本隆4946万枚、3位が小室哲哉4216万枚だそうだ(オリコン調べ)
歌謡曲からJ-POPに変わったのかもしれないけれど、その分、歌える歌は少なくなた。歌詞を暗記できる歌はもっと少なくなった。
70年代歌謡曲(流行歌と言う言葉が似合う人だった)の頂点にいた人で、何といっても「スター誕生」の印象が強かった。
ピンクレディと沢田研二で二年続けてレコード大賞を取り、「北の宿から」、「舟歌」で都はるみ、八代亜紀を演歌に留まらない位置に復活させた人だった。
80年代に入って、松本隆の時代になり、松田聖子のブリッコ路線とシンガーソングライターの時代に入って、阿久悠のスケールの大きい歌謡曲の時代は省みられなくなる。
それでも、「熱き心に」(小林旭)、「時代遅れ」(河島英五)でおじさんの心を奮い立たせたりもしたけれど、作家として、「瀬戸内少年野球団」などの活躍が目立っていく。
90年代にはいると、小室哲哉が出てきて、ますます歌詞が薄っぺらくなる。
作詞家別の売上ランキングでは、ダントツが阿久悠で6818万枚、2位が松本隆4946万枚、3位が小室哲哉4216万枚だそうだ(オリコン調べ)
歌謡曲からJ-POPに変わったのかもしれないけれど、その分、歌える歌は少なくなた。歌詞を暗記できる歌はもっと少なくなった。
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