デザイナーはアーティストではない:プロフェッショナル佐藤卓を見た
夕べ、さとなおさんの講演会から急いで帰って(名刺交換とかしなかった)
この番組を見た。
プロフェッショナル仕事の流儀「自分を消して、ヒットを生み出す 佐藤卓」
見てよかった。
今自分が考えていることは間違いではないと思った。
>デザインといえば、センスや個性の世界。デザイナーらしさが最も大切だと思われがちだが、佐藤は正反対だ。目指すのは、“自分”を消すこと。商品デザインに“佐藤らしさ”なんて必要ない。デザインが目立ちすぎるのは禁物だと考えている。
デザイナーはアーティストではない。
デザイナーにはクライアントが必ずいるからだ。
そして、デザインすべきものは商品に関わるものでなくてはならない。
「自分のデザイン」にするために余計な物を付加したり、
「自分のデザイン」を押し付けてはいけない。
私はそう思う。だから、連載でもそんなことを書いた。
第8回 デザイナーからプロダクトメーカー(仮)へ(その3:完結編)@社長さんの知恵袋
>つまり、「誰かのため」がはっきりしているものは、アートではなくデザインではないだろうかということです。
佐藤卓さんは次のように考えている(プロフェッショナルHPより)
>デザインの役割は、客と商品を結びつける媒体だというのが佐藤の考え。佐藤は縁の下の力持ちに徹し、その商品のどんな魅力をデザインによって伝えるべきかを常に考え続けている
また、クライアントからの意見をよく聞くデザイナーは実は珍しい。
でも、デザイナーが本当にその商品の価値を理解して作っているとしても、
クライアントの意見は傾聴に価する。
なぜならば、その商品を一番良く知っているのは、
そして愛しているのは(普通は)クライアントだから。
>反対意見や修正意見の中には、時に自分では見いだせない発見やアイデアが隠れている。それをどうデザインに生かすかは、佐藤が決める。時にはデザイン案が大きく変更になる場合もあるが、それこそが面白いとさえ言うほどだ。自分の意見に固執するわけでもない、逆に相手の意見をうのみにするわけでもない。すべての意見の良いところを合わせて、デザインを作り上げていくのだ。
でも、デザイナーは雇われているからいいなりというのでもない。
言われたことは誰でもできる。
言われた課題を解決するのは、それはアタリマエのこと。
クライアントのほんとうの信頼をかち得るのは、
実は依頼された以上のことをやった時ではないだろうか。
>佐藤がクライアントから絶大な信頼を得てきたのは、依頼された以上の結果を残してきたからだ。
それが難しい。
>言われたことだけをやるのは、誰でもできる。それは仕事とはいわない、と佐藤は言い切る。
厳しいねえ。
あ、あれは誰々のデザインだ、とわかるものもある。
でも、佐藤卓の仕事は、すぐには佐藤卓だと分からない。
それは、一件一件について「新たに考える」からだという。
>同じ商品でも時代によって求められるデザインは異なる。前例にのっとって「こんな感じだろう」という気持ちで仕事をすると、必ず失敗し、そのデザインはすぐに世の中から消えてしまうという。
番組中で「つまらない仕事が来たらどうしますか?」というのがあった。
その答えは「つまらない仕事があるんじゃなく、その仕事を誰かがつまらなくしているから、
それを取り除くことを考える。どうしようか考えれば、どんな仕事もつまらなくない」
というようなものだった。
仕事をつまらなくしているのは、「つまらない仕事」だと思う自分であり、
その仕事の発注の仕方に誠意がないクライアントだったりするわけだ。
誠実に商品と向きあえば、その仕事に予算がなかったり、
展開が限られていたりすることはあっても
(そして、それを逆手にとったプランを考えることも含めて)
「つまらない」ということはないということだろう。
プロフェッショナルとは「さりげなく良い仕事をすること」だと佐藤卓さんはいう。
よく考えたらば、昨日は、二人のサトウさんからいい話を聞いたんだな。
この番組を見た。
プロフェッショナル仕事の流儀「自分を消して、ヒットを生み出す 佐藤卓」
見てよかった。
今自分が考えていることは間違いではないと思った。
>デザインといえば、センスや個性の世界。デザイナーらしさが最も大切だと思われがちだが、佐藤は正反対だ。目指すのは、“自分”を消すこと。商品デザインに“佐藤らしさ”なんて必要ない。デザインが目立ちすぎるのは禁物だと考えている。
デザイナーはアーティストではない。
デザイナーにはクライアントが必ずいるからだ。
そして、デザインすべきものは商品に関わるものでなくてはならない。
「自分のデザイン」にするために余計な物を付加したり、
「自分のデザイン」を押し付けてはいけない。
私はそう思う。だから、連載でもそんなことを書いた。
第8回 デザイナーからプロダクトメーカー(仮)へ(その3:完結編)@社長さんの知恵袋
>つまり、「誰かのため」がはっきりしているものは、アートではなくデザインではないだろうかということです。
佐藤卓さんは次のように考えている(プロフェッショナルHPより)
>デザインの役割は、客と商品を結びつける媒体だというのが佐藤の考え。佐藤は縁の下の力持ちに徹し、その商品のどんな魅力をデザインによって伝えるべきかを常に考え続けている
また、クライアントからの意見をよく聞くデザイナーは実は珍しい。
でも、デザイナーが本当にその商品の価値を理解して作っているとしても、
クライアントの意見は傾聴に価する。
なぜならば、その商品を一番良く知っているのは、
そして愛しているのは(普通は)クライアントだから。
>反対意見や修正意見の中には、時に自分では見いだせない発見やアイデアが隠れている。それをどうデザインに生かすかは、佐藤が決める。時にはデザイン案が大きく変更になる場合もあるが、それこそが面白いとさえ言うほどだ。自分の意見に固執するわけでもない、逆に相手の意見をうのみにするわけでもない。すべての意見の良いところを合わせて、デザインを作り上げていくのだ。
でも、デザイナーは雇われているからいいなりというのでもない。
言われたことは誰でもできる。
言われた課題を解決するのは、それはアタリマエのこと。
クライアントのほんとうの信頼をかち得るのは、
実は依頼された以上のことをやった時ではないだろうか。
>佐藤がクライアントから絶大な信頼を得てきたのは、依頼された以上の結果を残してきたからだ。
それが難しい。
>言われたことだけをやるのは、誰でもできる。それは仕事とはいわない、と佐藤は言い切る。
厳しいねえ。
あ、あれは誰々のデザインだ、とわかるものもある。
でも、佐藤卓の仕事は、すぐには佐藤卓だと分からない。
それは、一件一件について「新たに考える」からだという。
>同じ商品でも時代によって求められるデザインは異なる。前例にのっとって「こんな感じだろう」という気持ちで仕事をすると、必ず失敗し、そのデザインはすぐに世の中から消えてしまうという。
番組中で「つまらない仕事が来たらどうしますか?」というのがあった。
その答えは「つまらない仕事があるんじゃなく、その仕事を誰かがつまらなくしているから、
それを取り除くことを考える。どうしようか考えれば、どんな仕事もつまらなくない」
というようなものだった。
仕事をつまらなくしているのは、「つまらない仕事」だと思う自分であり、
その仕事の発注の仕方に誠意がないクライアントだったりするわけだ。
誠実に商品と向きあえば、その仕事に予算がなかったり、
展開が限られていたりすることはあっても
(そして、それを逆手にとったプランを考えることも含めて)
「つまらない」ということはないということだろう。
プロフェッショナルとは「さりげなく良い仕事をすること」だと佐藤卓さんはいう。
よく考えたらば、昨日は、二人のサトウさんからいい話を聞いたんだな。