日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞の授賞式が10日、ノルウェー・オスロで開かれる。第二次世界大戦の終結から来年で80年。核兵器廃絶と平和を求めてきた被爆者たちの思いをどうつないでいけばいいのか。さまざまな分野で活動する人たちに自身の体験も交えて語ってもらった。
1回目は小中高時代を長崎市で過ごし、Jリーグの選手や監督として広島のチームにも在籍したサッカー日本代表監督、森保一さん(56)。
「自分は被爆2世だ」
日本被団協にノーベル平和賞が贈られると聞いたのはサッカーの2026年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選に臨んでいる時でした。日本代表の活動をしている間は世の中の情報を全て遮断しているのですが、日本サッカー協会の広報が教えてくれ、すぐにコメントを出しました。本当にうれしかった。被爆者の皆さんが勇気を持って未来のために発信し続け、素晴らしい賞につながったと思います。
私の父は3歳ぐらいの時に長崎の爆心地から南西約11キロの旧深堀村(現・長崎市)で原爆に遭いました。爆風で自宅の軒先の窓ガラスが割れ、すぐに防空壕(ごう)に逃げたそうです。被爆者健康手帳を交付される地域に指定されていないので、父は被爆者手帳を持っていませんが、私は「自分は被爆2世だ」と思っています。
長崎市の小・中学校に通っていた時、長崎に原爆が投下された8月9日は夏休み中の登校日でした。原爆に関するいろいろな資料を見たり、犠牲者に哀悼の意をささげたり……。小学生だった自分に本当に響いていたかは分からないですが、なんとなく心に染みついていて、年を重ねて(その大切さが)分かるようになっていったと思います。
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