平和賞の足元で細る組織 被爆者なき時代に「あの日」どう語る
会の解散、一旦決めたが…
寝室には資料や折り鶴などが入った段ボールが積まれ、リビングの事務机には書類が所狭しと並ぶ。
鹿児島県伊佐市で暮らす被爆者、西上床(にしうわとこ)キヨ子さん(79)の自宅は、自身が会長を務める県原爆被爆者協議会の事務所を兼ねる。協議会の事務所は発足から約60年間、鹿児島市にあったが、事務局長が妻の介護で常駐できなくなり、大量の資料とともに2023年2月に西上床さん宅に移した。一時は1000人以上いた会員は現在135人。平均年齢は87歳を超え、会員が訪ねてくることはめったにない。
約3年前、協議会を解散することを一旦決めた。だが、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の九州ブロックの役員から「鹿児島が会を閉じれば、他の県も続きかねない」と引き留められ、存続させた。
西上床さんは日本被団協から毎月届く「被団協新聞」を折りたたんで会員に送り、時々かかってくる相談事の電話に対応する。「親が亡くなった。持っていた被爆者健康手帳はどうすればいいのか」といった相談もある。今のところ、会の運営を継いでくれる人はいない。「どこまでやれるか分からないけど、これが被爆者として私に残された使命かな」と語る。
関連記事
①世界が無知だった核被害の実態 海を越え、命削った証言に平和賞
②原爆投下後「空白の10年」 苦難乗り越え、日本被団協結成へ
かつては全国に組織
核兵器の廃絶を訴えてきた活動が評価され、ノーベル平和賞を授与されることになった日本被団協。かつては47都道府県に被爆者が運営する地方組織があり、被爆者手帳の取得や各種手当の受給などを支援してきた。だが、被爆者の減少や高齢化で活動の継続は年々困難になり、11県で既に組織が解散・休止した。
栃木県原爆被害者協議会も会員の高齢化に伴い、18年に解散した。毎年8月には連合栃木などでつくる委員会が原爆犠牲者の慰霊式を開いているが、24年は被爆者が誰も参列できなかった。最後の会長を務めた中村明さん…
この記事は有料記事です。
残り1610文字(全文2445文字)
【時系列で見る】
-
被爆者の通訳中に声失う よみがえった記憶 ロバート・キャンベル氏
27日前 -
ノーベル平和賞、代表団以外の被爆者もオスロへ 「力をもらいたい」
28日前 -
「遅すぎた」被団協ノーベル賞受賞の意義 ICAN・川崎哲さん語る
28日前 -
「平和の根幹は…」 森保監督、サッカーに重ねる「被爆2世」の誓い
28日前 -
神奈川、AI活用して戦争体験を語り継ぐ取り組み 質問すると…
29日前 -
「核兵器の恐ろしさ伝えたい」 被爆者の金本さん、オスロ訪問へ
29日前 -
一番悲しかったのは「被爆者であること」 苦しみの記憶を保管して
29日前 -
被爆者の小峰秀孝さん死去 83歳 長崎原爆青年乙女の会会長
30日前 -
「私は思い出したくないのです」 沈黙に込められた原爆孤児の苦悩
30日前 -
平和賞の足元で細る組織 被爆者なき時代に「あの日」どう語る
30日前 -
被団協「大きな運動起こるきっかけに」 平和賞授賞式前に意気込み
31日前動画あり -
若者がつなぐ平和のリレー 佛教大で5年ぶりの「原爆展」
32日前 -
原爆投下後「空白の10年」 苦難乗り越え、日本被団協結成へ
32日前 -
世界が無知だった核被害の実態 海を越え、命削った証言に平和賞
33日前 -
「黒い雨」岡山女性が提訴 新基準で被爆認定却下 広島県外では初 岡山地裁 /広島
34日前 -
「黒い雨」手帳申請却下 岡山の女性、県を提訴 新認定基準下、広島県外で初 /岡山
34日前 -
「手放しでは喜べなかった」 被団協・松浦さん、平和賞授賞式を前に
36日前 -
安野発電所へ強制連行された中国人被爆者 遺族らが追悼集会 広島
37日前 -
原爆、放射性降下物どこまで 「燃えかす」は大村にも 爆心地から15キロの地で松崎さん体験 /長崎
37日前