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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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平和賞の足元で細る組織 被爆者なき時代に「あの日」どう語る

2023年2月から鹿児島県原爆被爆者協議会の事務所を兼ねる西上床キヨ子会長の自宅。机には協議会の資料などが所狭しと並ぶ=同県伊佐市で2024年11月24日午前11時54分、尾形有菜撮影
2023年2月から鹿児島県原爆被爆者協議会の事務所を兼ねる西上床キヨ子会長の自宅。机には協議会の資料などが所狭しと並ぶ=同県伊佐市で2024年11月24日午前11時54分、尾形有菜撮影

会の解散、一旦決めたが…

 寝室には資料や折り鶴などが入った段ボールが積まれ、リビングの事務机には書類が所狭しと並ぶ。

 鹿児島県伊佐市で暮らす被爆者、西上床(にしうわとこ)キヨ子さん(79)の自宅は、自身が会長を務める県原爆被爆者協議会の事務所を兼ねる。協議会の事務所は発足から約60年間、鹿児島市にあったが、事務局長が妻の介護で常駐できなくなり、大量の資料とともに2023年2月に西上床さん宅に移した。一時は1000人以上いた会員は現在135人。平均年齢は87歳を超え、会員が訪ねてくることはめったにない。

 約3年前、協議会を解散することを一旦決めた。だが、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の九州ブロックの役員から「鹿児島が会を閉じれば、他の県も続きかねない」と引き留められ、存続させた。

 西上床さんは日本被団協から毎月届く「被団協新聞」を折りたたんで会員に送り、時々かかってくる相談事の電話に対応する。「親が亡くなった。持っていた被爆者健康手帳はどうすればいいのか」といった相談もある。今のところ、会の運営を継いでくれる人はいない。「どこまでやれるか分からないけど、これが被爆者として私に残された使命かな」と語る。

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かつては全国に組織

 核兵器の廃絶を訴えてきた活動が評価され、ノーベル平和賞を授与されることになった日本被団協。かつては47都道府県に被爆者が運営する地方組織があり、被爆者手帳の取得や各種手当の受給などを支援してきた。だが、被爆者の減少や高齢化で活動の継続は年々困難になり、11県で既に組織が解散・休止した。

 栃木県原爆被害者協議会も会員の高齢化に伴い、18年に解散した。毎年8月には連合栃木などでつくる委員会が原爆犠牲者の慰霊式を開いているが、24年は被爆者が誰も参列できなかった。最後の会長を務めた中村明さん…

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