2007.07.08 やめたい「唯一の被爆国」
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

外国人被爆者を忘却させ、「日本だけ被害」が浸透

「またか」。一度定着した表現はなかなか改まらないな、とつくづく思う。久間章生防衛大臣の「原爆発言」をめぐる動きや報道で氾濫する「唯一の被爆国」という表現である。 

原爆ドーム 周知のように、久間防衛相は6月30日、千葉県柏市での講演で「原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っているところだ」(7月1日付毎日新聞)と発言した。これに対し、被爆者団体、平和団体、野党、政治家らから一斉に「米国による原爆投下を容認するものだ」と抗議の声が上がり、マスメディアも批判的な論説を展開した。このため、当初辞任の意思はなかった久間防衛相も7月3日、ついに辞任に追い込まれた。

 ところで、私にとってやりきれなかったのは、抗議の談話や批判の論説の中で「日本は『唯一の被爆国』」という言い方が目についたことだ。
 例えば――7月1日付朝日新聞によれば、国民新党の亀井久興幹事長は6月30日の記者会見で「唯一の被爆国として核廃絶に向かって主張と行動を続けていくのが我が国のあるべき姿だ」と述べたという。テレビでは、与党の政治家が、やはり久間発言を批判する発言の中で「唯一の被爆国」という表現を使うのを聴いた。
 また、7月3日付朝日新聞によれば、全国保険医団体連合会などが安倍首相らに送った抗議文には「世界で唯一の被爆国政府の官僚がこのような発言をするのはあるまじきこと」とあったという。 
 
 メディアでは、7月3日付毎日新聞朝刊「クローズアップ2007」欄に載った、政治部編集委員による「『廃絶』と『傘』ギャップ」という見出しのついた記事の中に「『唯一の被爆国』としての歴史を踏まえ…」という表現が出てきた。
 「しんぶん赤旗」にもこの表現が使われていた。7月3日付の「首相がなすべきは久間氏の大臣罷免」と題する解説に「今回の発言は『唯一の被爆国』として核兵器廃絶の先頭に立つべき国の安全保障政策に直接責任を負う閣僚として、あまりにも無責任であり……」とあり、翌4日付の紙面でも「安倍内閣の重大な危機」「米核戦略にしがみつく歴代政権の姿勢背景に」と題する二つの記事にそれぞれ「唯一の被爆国」との表現が出てきた。
 新聞の読者にもこの表現は浸透しているようで、朝日新聞7月4日付「声」欄には、「被爆国の大臣 この認識不足」という投書が掲載されているが、その中に「唯一の被爆国の防衛大臣ともあろう方が」という言い方が出てくる。翌5日付同欄には「世界でただ一つの被爆国である日本」という表現が登場する。

 確かに、人類史上、原爆を投下された国は日本だけである。したがって「日本は唯一の被爆国」という表現自体、決して間違ってはいない。
 しかし、私は、原爆に関する報道に携わるなかで、果たしてこれでいいだろうか、と思うようになった。非核自治体宣言運動の関係者から、こうした表現に対し疑問が投げかけられたのがきっかけだった。それは、法政大学西田勝研究室が発行していた月刊のニューズレター『地球の一点から』の第14号(1989年12月発行)に載った「日本は『唯一の被爆国』でない」という一文だった。筆者は高校教員の石井和彦さん。
 この中で、石井さんは「日本は唯一の被爆国」との表現に対し、「第一に、このことばには事実の誤りがある。世界で初めて原爆の犠牲になったのは、史上初の原爆実験に立ち会った、ほかならぬ米軍兵士であった。また、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の際、数多くの朝鮮人や米軍捕虜も命を落とした」「第五福竜丸にしても、被ばくしたのは同船だけでない。太平洋の島のひとびとは、自分の生活の場で被ばくし、故郷を失い、生命を失った」「何の補償も得られないまま不安のうちに暮らす朝鮮や韓国のヒバクシャが『日本は唯一の被爆国』ということばを見てどう思うだろうか」と書いていた。 
 当時、石井さんは非核自治体宣言運動に加わっていた。それまでの宣言自治体の宣言文を読んでみたら、「日本は唯一の被爆国」との表現が入ったのが62%に達していて、驚いたという。
 
 石井さんの指摘を待つまでもなく、広島、長崎では多くの外国人が被爆した。朝鮮人、中国人、台湾出身者、東南アジアからの留学生、米国人・英国人・オランダ人らの捕虜らである。なかでも圧倒的に多かったのが朝鮮人で、「被爆者の約1割が朝鮮人」との指摘もあるくらいだ。その朝鮮人被爆者の数だが、広島では、当時5万人近い朝鮮人が居住していて被爆、うち2万人が死亡したと推定されている。長崎では、被災地内にいた1万2000~1万4000人の朝鮮人のうち1500~2000人が死亡したと推定されている。
 しかし、こうした外国人被爆者の存在は、長いこと、日本人の意識にあがることはなかった。ほとんど忘れ去られていた時代が長く続いたといってよい。
 被爆から50年たった1995年のことだが、私が広島で会った朝鮮人被爆者は「私たちが自分たちの被爆者組織をつくったのは1975年のことだが、私たちが組織をつくったので日本人は初めて私たちの存在に気づいた。それまでは忘れ去られていたも同然だった」と声を震わせ、やはり広島で会った韓国人被爆者は「日本人は被害者意識だけを強調し、外国人の被爆に無関心だ」と嘆いた。その後、外国人被爆者の存在に光があてられるようになったものの、今なお日本人の意識の中にこの事実が深く浸透しているとは言い難い。

 なぜ、こうしたことが長く続いてきたのか。私には、新聞報道に一端の責任があるのでは、と思わざるをえなかった。なぜなら、ビキニ水爆被災事件が起きた1954年以降、新聞は好んで「日本は唯一の被爆国」という表現を多用してきたからである。このため、これが、広島・長崎の原爆被害に言及する際の「決まり文句」として日本人の間に定着したものと思われる。その結果、「日本人だけが原爆の被害者」といった認識が広まり、日本人以外にも原爆の犠牲者がいたという事実が、多くの日本人の意識から抜け落ちたままきてしまったのではないか。
 こうした認識に至った私は、勤めていた新聞社を退職するにあたり、反省を込めて「被爆問題と報道」という続き物を書いた。その中で、「日本は唯一の被爆国」という言い方が、外国人被爆者の存在を忘却させてきたのでは、と問題提起をした。1995年3月のことだ。
 私ばかりではない。このころ、原水爆禁止運動の取材にあたっていた新聞記者や運動関係者にも同様な考え方が広がり、この人たちの間では「唯一の被爆国」という表現は使われなくなった。代わって登場したのは「被爆国」「世界最初の被爆国」だった。ただ、政府やNHKは相変わらず「唯一の被爆国」を使っていたが。
 それから12年。すっかり元に戻ってしまったような気配である。なんとも残念でならない。
Comment
国家の枠組みを離れてモノを考えることが最近多くなってきています。「唯一の被爆国」という表現には逆行を感じます。日本を押し出せばこそジョセフ米特使のような裏返しの発言も出てきます。人間被害の観点から核廃絶の運動を世界中の人と共有したい。写真の元安川は悲しいくらいに美しいですね。
管理人 (URL) 2007/07/08 Sun 21:18 [ Edit ]
厳密に検証したことはありませんが、「唯一の被爆国」という表現は、おそらく「第五福竜丸」以後、広めたのは新聞。「ヒロシマナガサキに加え、なぜ日本人だけが」という発想。要するに「一国被爆者主義」で、すでに事実の前に破綻しています。伊藤明彦。
(URL) 2007/07/19 Thu 23:05 [ Edit ]
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() 2007/08/06 Mon 09:27 [ Edit ]
高2女子さんコメントありがとうございました。

この記事の筆者は今日はヒロシマです。
メッセージは伝えておきます。
tiger21@リベラル21管理人 (URL) 2007/08/06 Mon 15:48 [ Edit ]
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() 2008/06/09 Mon 16:19 [ Edit ]
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岩垂弘さんの文章。http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-77.html#more こうしていいつづけることも、大切なんだろうと思います。「被爆」と「被曝」は違うとか、「被爆者は日本人だけ」ではないが「唯一の被爆国」には変わりないとか、はたまたどんな言葉を使おう
原爆のあと/台湾のいま-川口隆行研究室- 2007/07/13 Fri 11:10