2016.11.30  雨傘運動から2年の香港、変わる政治構図

藤本 隆 (ジャーナリスト)
     

9月4日投票の香港立法会選挙は、2014年の香港行政長官選挙の民主化を求めた雨傘運動以後、初めての大型選挙として注目された。58%という史上最高の投票率、220万人が投票した。
 香港立法会の定数は70。うち35議席を5つの選挙区での直接選挙、35議席を業界別の間接選挙で争う。「親中派・親政府派」は間接選挙で強く、今回も過半数を維持した。しかし、親中派は前回比3議席減の40議席にとどまった。
 親中派以外では30議席を占め、重要議案を否決できる3分の1超(24議席以上)を引き続き確保した。
 今回は香港の政治構図が大きく変わったことが特徴だ。「親政府派・親中派」と普通選挙など政治の民主化を求める「民主派」との争いが続いてきた香港政治に新たな勢力、「自決派」が加わり、計6議席を獲得した。

「自決派」の当選は、雨傘運動を経た香港人の心境の変化が背景にある。雨傘運動は14年9月末から79日間にわたり、学生や市民らのべ100万人が香港の幹線道路を占拠し、17年の香港行政長官選挙の普通選挙実現を求めた運動だ。中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会が提示した、候補者を選挙委員会(1200人)の過半数の支持を得た2~3人に絞った上で普通選挙するという「改革案」を「偽物の普通選挙」だと批判した。しかし、長期間の道路占拠は香港市民の支持を次第に失い、最後は警官隊に撤去された。世界にも大きく報道された運動だが、香港の多くの人々は雨傘運動を失敗ととらえ、大きな挫折感を味わった。

雨傘運動を取材し、香港の政治や社会に詳しいあるネットメディア記者は、「雨傘運動は何の結果ももたらさなかった。過去30年間、香港の進歩勢力が唱えてきた民主化は意味を失った。香港社会は大きな挫折感を味わった」と香港社会の状況を語る。
そこで、台頭してきたのが独立を求める動きだ。2月には春節(旧正月)の夜市でにぎわっていた九龍半島の旺角(モンコック)で、屋台を撤去する警官隊と若者との間で衝突が起きた。大陸の観光客への不満や香港の文化を守るという意思表示だが、排外的で暴力的な動きだった。

香港社会の挫折感を経て支持を伸ばした「自決派」だが、その主張は大きく二つに分けられる。
一つは、「民族自決派」で、「独立派」や「本土派」と呼ばれる。香港を自らの本土ととらえ、香港人と中国人は違う民族だと定義する。中国大陸からの移民や観光客を敵視し、ときには暴力的手法も辞さない、排外的な勢力だ。民主派からは右派、右翼と定義されている。
代表的人物は「本土民主前線」の梁天琦(りょうてんき)。旺角騒乱を主導した過激な活動家だ。9月の立法会議員選挙にも新界東選挙区から立候補し、高い支持率を得ていたが、独立を主張していることで、選挙管理委員会に立候補を無効とされた。ほかに立候補できなかったのは、6人に上った。

梁天琦は、同じ選挙区から立候補した「青年新政」の梁頌恒(りょうしょうこう)を支援した。梁頌恒は同じく青年新政から立候補した游蕙禎(ゆうけいてい)と共に当選した。10月12日の就任宣誓で、2人は、「香港は中国ではない」と書かれた旗を広げ、中国を「シナ」と言い換えるなどし、宣誓が不成立だとされた。その後、裁判で議員資格を取り消す判断を下された。その過程で、中国全人代常務委員会が宣誓について定めた香港基本法104条の解釈を示した。これに対し、独立を支持しない香港市民からも、一国二制度のもとでの高度な自治や司法の独立を破壊するものだとの批判が巻き起こった。
もう1人、「熱血公民」の鄭松泰が当選し、「民族自決派」は計3人が当選した。

もう一つは、「民主自決派」で、民主的な方法で、香港の未来を決めることを目指している。朱凱迪(しゅがいてき)、羅冠聡(らかんそう)、劉小麗の3人が当選した。雨傘運動に参加した学生や若者の多くがこの「民主自決派」を支援した。

とくに注目されるのが朱凱迪だ。彼は新界西選挙区選出で、8万4121票を獲得し、全候補者の中で最高得票を得た。今回の選挙を象徴する人物だ。10月上旬に朱凱迪を取材した。
 立法会にある朱凱迪の部屋は、議員とスタッフのスペースが一緒で、仕切りがなかった。いままであった壁を取り払った。議員専用の席もなく、議員は空いている席に座る。5人ほどのスタッフが働いていた。ほとんどが雨傘運動の参加者だ。朱凱迪によると、議員は特別な存在ではなく、一つのチームの一員という位置づけだ。
朱凱迪は香港中文大学を卒業後、主に国際問題を担当する記者として活躍した。その後、社会運動に積極的に参加するようになる。06年、香港島のセントラルから九龍半島を結ぶスターフェリーの埠頭取り壊し反対運動で一躍有名になった。そのときに「本土行動」という組織を結成した。開発優先の政策に反対し、香港の歴史的建造物を守ろうという運動だった。10年ころ、朱凱迪は社会運動に身を投じることを決めた。自分を社会運動家であり、一記者だと位置づけている。
11年、広州と香港を結ぶ高速鉄道の用地として取り壊しの対象となった農村の保護運動に参加する。朱凱迪は香港・九龍半島の山間部である新界地区の現状を初めて認識した。この農村が保守政治家や開発業者の食い物になっていることを知り、この地域に住み、土地を開発から守る運動を始めた。農民とともに農業をしながら環境保護運動を続けた朱凱迪の顔は日に焼けて真っ黒だ。
朱凱迪は11年、15年の2回、区議会議員選挙に立候補したが、保守的な土地であり、落選した。ただ、15年は前回より得票を5倍に増やした。
今回の立法会選挙に立候補したのは、雨傘運動後に強まる独立の動きと、支持を失った民主派の主張に対し、自らの道を示すためだったという。

朱凱迪が選挙で示した香港の未来図は、「民主自決、城郷(都市と農村)共生」の8文字だ。朱凱迪が言う「民主自決」とは、「中国に残るか、独立か、どちらを選択するかは、香港市民による民主的な方法で決めるべきだ。われわれにはその権利がある」というもの。そのために、香港の憲法に当たる香港基本法を改正し、香港の民意を反映させ、中央政府のコントロールを弱めることを目指している。
朱凱迪は香港の未来についてこう語った。「楽観はできない。中国の影響力は大きい。若者は暴力の路線に傾いている。しかし多くの市民が自分を選んでくれた。これは非暴力路線を選んだということだ。この民主自決路線をもっと大きくしていくことが重要だ」

香港の社会運動に詳しい嶺南大学の陳允中准教授は、朱凱迪が多くの支持を集めた理由として、「政府に失望し、民主派に失望した香港市民は、暴力的な独立派に投票するしか選択肢がなくなっていた。そのときに、朱凱迪は第3の道である『民主自決』を唱えた。香港市民は新しい道に希望を見た」と説明する。
その上で、こう強調した。「朱凱迪は、土地問題に一貫して、10年以上取り組んできた社会運動家であり、団結を重視し、行動力がある。議員が有権者にサービスを与えて票を得るという政治文化を変え、市民が主体的に社会運動に参加する政治を目指している」
香港で始まった新しい動きに注目したい。

<藤本隆氏の略歴>北京在住ジャーナリスト。1980年生まれ。長野県出身。2010年9月から1年間、北京大学に語学留学。中国大陸の政治や社会を中心に香港や台湾なども取材。