■ドブロブニク、旅日記
アドリア海の真珠、「ドブロブニク」。
ジブリアニメ「紅の豚」の舞台だそうです。
正月に滞在しておりました。
クロアチア。キタロビッチさんが初の女性大統領に当選したばかりです。
中世のラグーサ共和国。かつてここはアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネチアなどとともに、五大海洋共和国の1つに数えられました。今も豊かなものを遺しています。
1317年開業の薬局。
いつか行こう、が、もう行こう、となったのは、「進撃の巨人」のせいです。
そのモチーフとなった城壁都市として、ドイツのネルトリンゲンが挙げられますが、他にぼくが訪れたところは、フランスのカルカッソンヌ、サンマリノ共和国、カナダのケベックなど。いずれも異界の緊張感をもたらします。
でも、進撃の巨人を身近に感じさせてくれるとすれば、血塗られた歴史がまだ生々しいドブロブニクではないか。壁に穴が空いて、巨人が進入することが、滅亡につながる恐ろしい事態であることを、少しでもリアルに体感するには、ここではないか、と。
壁の周囲は2km。案外上り下りの多い城壁は冬でもうっすら汗をかきます。住まい、行き交う人びとは柔和です。白、黒、白黒、グレイ、ミケ、トラ。とてもネコが多い。実に人懐こく、壁の中でぬるい時を過ごしています。
しかし、笑顔の背後には砲弾の跡が無数に散りばめられ、20年前の被害を示す写真やプレートもあちこちに見受けられます。
クロアチア紛争が終結して、ちょうど20年です。
民族浄化というおぞましい言葉を耳にして、20年を経た、に過ぎません。
でもそれが長い日常だったのでしょう。
フランク王国と東ローマ帝国に挟まれ、ハンガリー王国とオスマン帝国に攻められ、オーストリア・ハンガリー帝国、ユーゴスラビア王国を経て、1941年にクロアチアとして独立したのは、ナチスの傀儡としてです。
二次大戦を経て、ユーゴスラビアから改めて独立する際の紛争、ドブロブニク包囲と呼ばれる闘争と、それからの復興は、彼らにとって永代忘れがたき苦痛であり、栄光なのでしょう。
内陸の首都ザグレブは、光が注ぐドブロブニクと打って変わって灰色たれこめる底冷えの街でした。
EU入りを果たし、西側の一員たらんとするザグレブの虚勢と、城壁や海で観光客を引きつけるドブロブニクの姿勢とでは、生き様に違いが表れるのでしょう。
ドブロブニク界隈を崖の上から眺めると、ぽっこりぽっこり浮かぶ小島が瀬戸内海を思わせ、のどかです。陰は寒い季節でも、日がさすとぬくぬくしています。ひょいとポニョが現れても驚かない風情。
マニュアル車に苦闘しつつ、うねうねの海岸を進むと、ナポリ近郊のアマルフィを思わせます。反対側の丘を見やると、ごつごつした岩肌や糸杉はトスカーナを思わせます。イタリアとつながっていたんだな。眼下はアドリア海。いわしの大群が水面に上ってきたかのように、銀色に輝きます。
となり町のストンは、平べったいカキの養殖で知られ、海岸で白ワインと共にやっていると、それはそれは幸せです。
そのような村にも14世紀からのラグーザの要塞が5kmにわたって遺されています。そう、アドリア海の向こう岸はイタリア。ヴェネチアであり、ラヴェンナであるのですが、こちとらはバルカンです。つらい歴史を負っています。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入って、ネウムを訪れました。
国境の検問では、顔だけみると、パスポートも見ずに通しました。
隣国、仲良くしているのでしょうか。
モンテネグロのヘルツェグ・ノヴィも訪ねてみました。
こちらの国境は、突破するのに3時間かかりました。
20年前に、クルマでスロバキアからハンガリーに抜けるときに同じような目に会ったな。
さてぼくはどこに行っても郵便局に顔をだすようにしておりまして。
ドブロブニクではキティちゃんのぬりえとトミカを売っていました。
ありがとう。接点が、あります。
1941年に独立した際、ナチス傀儡クロアチアは日独伊三国同盟に参加しました。日本とは同盟国だったのです。
FIFAワールドカップに初出場したのは1998年フランス大会。日本と同じです。
同グループで対戦したんですよね。クロアチア1vs日本0。クロアチアは初出場で3位に輝いた!
2006年ドイツ大会でもぶつかって、0-0で引き分けました。
接点が、あります。
業務連絡。
おもてなしサイネージ、あります。
さて、途中、イスタンブールに寄りました。20年ぶり。
ブルーモスクとアヤソフィアが対峙する向こうにボスポラス海峡。変わりません。かもめの群れも、スピーカーががなるコーランの喧騒も、変わりません。
でも、20年前は、歩いていたらいきなり靴に墨を塗られ、5ドル、5ドル!とわめく。着いたとたんタクシーのアナログ・メーターがガチャッと1けた上がる、というぼったくり。今回はそんな目には出会わずじまいでした。
クロアチアやモンテネグロにEU入りの先を越されて、五輪はトーキョーに出し抜かれて、くやしくて、ちゃんとしようとしているのかな。ぼくは、ありの、ままの、トルコでいいんですけど。
アドリア海の真珠、「ドブロブニク」。
ジブリアニメ「紅の豚」の舞台だそうです。
正月に滞在しておりました。
クロアチア。キタロビッチさんが初の女性大統領に当選したばかりです。
中世のラグーサ共和国。かつてここはアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネチアなどとともに、五大海洋共和国の1つに数えられました。今も豊かなものを遺しています。
1317年開業の薬局。
いつか行こう、が、もう行こう、となったのは、「進撃の巨人」のせいです。
そのモチーフとなった城壁都市として、ドイツのネルトリンゲンが挙げられますが、他にぼくが訪れたところは、フランスのカルカッソンヌ、サンマリノ共和国、カナダのケベックなど。いずれも異界の緊張感をもたらします。
でも、進撃の巨人を身近に感じさせてくれるとすれば、血塗られた歴史がまだ生々しいドブロブニクではないか。壁に穴が空いて、巨人が進入することが、滅亡につながる恐ろしい事態であることを、少しでもリアルに体感するには、ここではないか、と。
壁の周囲は2km。案外上り下りの多い城壁は冬でもうっすら汗をかきます。住まい、行き交う人びとは柔和です。白、黒、白黒、グレイ、ミケ、トラ。とてもネコが多い。実に人懐こく、壁の中でぬるい時を過ごしています。
しかし、笑顔の背後には砲弾の跡が無数に散りばめられ、20年前の被害を示す写真やプレートもあちこちに見受けられます。
クロアチア紛争が終結して、ちょうど20年です。
民族浄化というおぞましい言葉を耳にして、20年を経た、に過ぎません。
でもそれが長い日常だったのでしょう。
フランク王国と東ローマ帝国に挟まれ、ハンガリー王国とオスマン帝国に攻められ、オーストリア・ハンガリー帝国、ユーゴスラビア王国を経て、1941年にクロアチアとして独立したのは、ナチスの傀儡としてです。
二次大戦を経て、ユーゴスラビアから改めて独立する際の紛争、ドブロブニク包囲と呼ばれる闘争と、それからの復興は、彼らにとって永代忘れがたき苦痛であり、栄光なのでしょう。
内陸の首都ザグレブは、光が注ぐドブロブニクと打って変わって灰色たれこめる底冷えの街でした。
EU入りを果たし、西側の一員たらんとするザグレブの虚勢と、城壁や海で観光客を引きつけるドブロブニクの姿勢とでは、生き様に違いが表れるのでしょう。
ドブロブニク界隈を崖の上から眺めると、ぽっこりぽっこり浮かぶ小島が瀬戸内海を思わせ、のどかです。陰は寒い季節でも、日がさすとぬくぬくしています。ひょいとポニョが現れても驚かない風情。
マニュアル車に苦闘しつつ、うねうねの海岸を進むと、ナポリ近郊のアマルフィを思わせます。反対側の丘を見やると、ごつごつした岩肌や糸杉はトスカーナを思わせます。イタリアとつながっていたんだな。眼下はアドリア海。いわしの大群が水面に上ってきたかのように、銀色に輝きます。
となり町のストンは、平べったいカキの養殖で知られ、海岸で白ワインと共にやっていると、それはそれは幸せです。
そのような村にも14世紀からのラグーザの要塞が5kmにわたって遺されています。そう、アドリア海の向こう岸はイタリア。ヴェネチアであり、ラヴェンナであるのですが、こちとらはバルカンです。つらい歴史を負っています。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入って、ネウムを訪れました。
国境の検問では、顔だけみると、パスポートも見ずに通しました。
隣国、仲良くしているのでしょうか。
モンテネグロのヘルツェグ・ノヴィも訪ねてみました。
こちらの国境は、突破するのに3時間かかりました。
20年前に、クルマでスロバキアからハンガリーに抜けるときに同じような目に会ったな。
さてぼくはどこに行っても郵便局に顔をだすようにしておりまして。
ドブロブニクではキティちゃんのぬりえとトミカを売っていました。
ありがとう。接点が、あります。
1941年に独立した際、ナチス傀儡クロアチアは日独伊三国同盟に参加しました。日本とは同盟国だったのです。
FIFAワールドカップに初出場したのは1998年フランス大会。日本と同じです。
同グループで対戦したんですよね。クロアチア1vs日本0。クロアチアは初出場で3位に輝いた!
2006年ドイツ大会でもぶつかって、0-0で引き分けました。
接点が、あります。
業務連絡。
おもてなしサイネージ、あります。
さて、途中、イスタンブールに寄りました。20年ぶり。
ブルーモスクとアヤソフィアが対峙する向こうにボスポラス海峡。変わりません。かもめの群れも、スピーカーががなるコーランの喧騒も、変わりません。
でも、20年前は、歩いていたらいきなり靴に墨を塗られ、5ドル、5ドル!とわめく。着いたとたんタクシーのアナログ・メーターがガチャッと1けた上がる、というぼったくり。今回はそんな目には出会わずじまいでした。
クロアチアやモンテネグロにEU入りの先を越されて、五輪はトーキョーに出し抜かれて、くやしくて、ちゃんとしようとしているのかな。ぼくは、ありの、ままの、トルコでいいんですけど。
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