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2025年1月6日月曜日

学長くんガチョーン. 楠本修二郎さん

■学長くんガチョーン. 楠本修二郎さん


カフェ・カンパニー、楠本さん。政府・クールジャパンの場でご一緒していました。食の分野でニッポンを引っ張るカッコいいおにいさん。ここにきてまた「保存」でイノベーションを起こそうと突き進んでいる。走るのがスキだなぁ。

 

 

◆食×テクノロジー・ZEROCO

今年(2023年)4月に発表した食のワクワクする未来を作るラボ。そのためには、農業から外食まで一気通貫したソリューションになるテクノロジーが必要。それを考える中で、鮮度保持と分子調理という概念に着目し、ZEROCO(特許技術)という会社を立ち上げた。

 

ZEROCOは冷蔵庫・冷凍庫でもない第三の技術。雪下野菜の技術は日本特有。徹底的に0℃に近い状態でなおかつ超高湿度状態。湿度が100%に近ければ近いほど長期保存と旨味を増す環境ができる。細胞が完璧な状態で保存されてスリープした状態。

これができると、飲食だけじゃなく、海運で世界中にMADE IN JAPANを届けることができる等、食の業界における物流や農業などやれなかったことがやれるようになり、面白い。

 

◆ごちゃまぜ

なぜ、ごちゃまぜか。

ひとつは博多。屋台文化。ごちゃまぜ好き。博多そのものが中国や朝鮮半島や様々なところから物が届く。昭和の時代は視点経済。色々なものが混ざっている。

そして、世界史だけを勉強していた。とにかく世界へ行きたかった。どうやったら行けるんだろうという好奇心から世界中を知りたくなった。文化融合に興奮した。アレキサンダー大王の統制やヘレニズム文化など、混ざっていて大好き。そういう気質がある。

 

◆学校・学生時代

世界史の勉強は高校時代に徹底的にやった。自分が好きでやっていた。

大学は経済学部で、財務のゼミなど入っていたが全く勉強をしなかった。学生のときからサークルをやり、起業していた。企画会社をつくった。場作りが好きだった。

いろんなヒット店舗・場を作っていく師匠に習って、そういう人間になりたいというのが学生時代からの夢。

 

学校では仲間づくり。真空管みたいな中身のない人間だが、これいいんじゃないかというのを引っ張ってきて、相手のいいところを引き出すのが好き。周りに変態じみた得意技を持った人たちが男女問わずいっぱいいたので、この人とこの人を繋げるとこういういいことができる、と。いまでいうコラボレーション。

当時は専門職を身につけようという時代だったが、いろんな異能が重なり合って、なにかやったら今までなかったものを作ることができるということが師匠からの教えでなんとなくわかった。それが楽しかった。

 

世界史は役に立っている。これとこれを繋げるのは妄想や直感だが、なんでそうおもうのかをなにかから引っ張ってきたときに、論語やアリストテレスの言葉などを関連付けることができる。コンテクスト。

 

◆経験を積む

企画・提案し、イベントやいろんなことをやり少しでもお金を入ると分配するようにしていた。みんなで経験値を高めるためにバックパックで旅に出たり。そうすると文化に触れて、またなんでだろう、となる。その繰り返えし。それが最終的に雑学になる。

新しい業態をカフェ・カンパニーでつくろうとなったときに、あの時のあそこの国のあれだ!というような仲間同士の暗黙知となる、あれあれ経営。そのように経験則からシェアしていく。

 

◆キミたちへのメッセージ

気が付かないうちにすべてのモノにリスペクトしてすべてものに感動していた。そうなればなるほど、自分がものすごく楽になった。

自分探しなんかいらない。自分のインナーに向かうのもいいのかもしれない。しかし、それよりもありとあらゆる自分と違う人達と同じところを喜んだり、違うところを否定するのではなくリスペクトしたり、というのを若いうちに繰り返している方が、結果的に自分が大きくなっている・知識が増えている・経験が増えている。ということが20代で多かった。大変なこともあるが、それも全部ネガティブに考えず、次の場面をクリアしようとやっていると、すべての関係ないとおもっていたドットが30代になったときに気がついたら線で繋がった。

繋がりの結果自分はこれをやろうということが後出しじゃんけん的にみつかってきた。今も変わらずそんなことができている。

20代はとにかく違いリスペクトして、同じことをおもいっきり喜んで、どんどん世界を広げていってほしい。

2024年12月12日木曜日

名前のない仕事。

■名前のない仕事。


鎌田和樹著「名前のない仕事」。

UUUM創業者、来年からiU教授。

ぼくよりうんと年下だし、成功者でお金持ちだし、ずいぶん違う。

けれどラジオ番組で話したりすると、だよね!って一致したり教えられたりする。

で、読んで改めて思った。似てるわー。

 

鎌田さんの「まとめ」質問。


・「つらい体験が、あなたにはあるでしょうか?」

 鎌田さんは最初に入った会社がブラックで地獄だったという。ぼくもそう。1週間で睡眠10時間という黒体験が社会の入口。あのおかげで今がある。

 

・「スペシャリストとゼネラリストだったら、どっちになりたいでしょうか?」

 鎌田さんはゼネラリスト志向だったという。ぼくも強みがなかったので官僚=ゼネラリストを歩んだ。鎌田さんは「総務」を極めたという。ぼくも役所では「総務課」だった。今も「なんでもやります」が口ぐせです。

 

・「組織や集団に、一度でも染まったことがありますか?」

 なので、ぼくは「組織人」を自認している。ピンのように見せても常に組織仕事を心がけている。

 

・「知らない人や年下の人に、「教えてください」と言えますか?」

 得意技。なので鎌田さんにも教授になってくださいとお願いするわけ。毎日、学生に教えてもらっているし。

 

・「仕事への愛着が捨てられますか?」

 捨てられない。愛着を捨てていいような仕事はしない。

 

さらに本書に登場する鎌田さんの主義。似てるわー。

 

・「挨拶ができる人と仕事する。」

 挨拶、大事。

 むかしぼくは挨拶ができないやつだった。大事だとも思っていなかった。無駄だと思っていた。変わったのは2つきっかけがある。

 まず30歳のころ、郵便局長となりいきなり60人の部下ができた。全員年上で、歓迎されてはいない。まずできることは、全員の名前を覚えて、毎日、一人ひとりに挨拶すること。コミュニケーションをとりにいく。少しずつ、ほぐれる。無駄ではない。

 次に数年後、パリに赴任した。言葉のできない東洋人である。コミュニティに、街に、同化しないと、差別され排除され危害も加えられかねない。私は怪しくない。順応し従属する市民である。ことを示す。エレベーターでも公園でもメトロでも、知らない人にも子どもにも、ニコリとしてボンジュールと声を出す。無駄ではない。

 声を出す。バカにしてはいけない。あんがい大事な通行札なのだ。ということが大人になるとわかる。なので学生にも、挨拶は大事だよと伝えている。

(もう一つ大事だよと伝えるのは「食う」こと。これもパリで学んだ。なんでも食う、ことが、社会の中で、他者と生きるうえで、のしていくためにも、重い価値を持っていることを。挨拶とメシ。コミュニケーションと身体維持。他人との関わりと、自分のからだ。ぼくが教えられるのはこの程度なのだけれど。)

 

・「イヤなことをさっさとやる。」「感情を無にしてさっさと終わらせる。」

 これも似てる。困ったことが目の前に転がってきたら、四の五の抗ったり、理屈で勝ち誇ろうとしたりしない。自分でチャッチャとやったほうが時間的に効率的なことならば、ゴメンナサイ言ってすぐ収めたり、手を動かして終わらせたりする。で、さっさと次に行く。

 そして鎌田さんは、失礼で鬱陶しい相手、場面に出くわしたとき、カネ払って静かに手を切って、「この会社とは仕事しない」と決めたというエピソードを紹介している。あぁ、似てる。ぼくもそんなやりかた。黙って心で怒ってニコニコして、その相手とは絶対にもう一緒しない、という落とし前。

(そんなぼくの性格を知ってるひとは、「京都人」は怖いなぁ、という。でも鎌田さんは東京人だよねー)

 


 鎌田さんとご一緒したのは、大阪人・大﨑洋さんのラジオ番組。大﨑さんも吉本興業というかつてブラックだった会社に入って、ゼネラルに活躍した組織人。挨拶の達人。ずいぶん違う、ようで、似てるわー。

2024年10月17日木曜日

PhoenixからLAへ

PhoenixからLAへ

アリゾナについた。Phoenix。

どいなかだ。

腹が減った。

サンド買った。

16ドルだった。2300円。

来るまえ銀座で食った特製濃厚絶品つけ麺たった2杯分じゃねえか。

早く帰りたい

 



いや仕事だ。

アリゾナ州立大学Thunderbird校。

Griffy-Brown新学長、Lena副学長とお話。

・共和党の強いアリゾナは大統領選後どうなる?

・ガザを巡る学生ストと大学の混乱はいかに?

・50度の気温が向いてるからと誘致したTSMCが人の問題でうまく行かないのをどうする?

という3大質問を察知したスタッフが事前にやめて頂戴と言うのでつつがなく終了。

 


PhoenixからLAへ移る。

アリゾナ州立大学LAキャンパス。

1913年、ヘラルド新聞社が建てたミッション+スペイン植民地様式。

6-70年代の労働争議で振るわれた暴力の跡と、89年廃刊時のモニュメントが残る美しい建物。

カリフォルニア州に別州の大学が出張るにはかなり政治が必要で、1年半前にようやくスタートした。

 



Thunderbird校のクリエイティブ産業MBAのほか、シドニー・ポワチエ映画校、ジャーナリズム、ファッション、エンタメ法学などASUの各種プログラムが走っている。

iUとしても使いたい。

 



しかし

LAってこんな街だっけ。

ダウンタウン、人どおりがない。

ロボットのほうが多い。

仕事はだいたい在宅だと。

危ないから出歩くなと現地のヤツが言う。

数百mでもUberしろと。

 


ビバリーヒルズもサンタモニカも店が閉まっている。

コロナ後まだ立ち直っていないと。

ホテルの部屋はポットもないんで水飲むか。

目覚めて、ああ東京だ、ああ京都だ、と幸せにひたる訓練と思うことにする。

 

ここに来る前にいたパリは街中が祝祭だった。

4年後ここで五輪?

無理がありはしまいか。

 



あぁ でもドジャースがある!

スタジアム行ってみた。

オータニさん 5タコだった。

2024年10月10日木曜日

まぁええわ済んだことやし。

 まぁええわ済んだことやし。


パリのテレビで、トムピリビが流れてきた。

https://www.youtube.com/watch?v=7AozapCttk8


そうか元はフランスの曲なんや。

2つ城や船を持っている大金持ち、おともだちになりたい。

小学校の音楽で、けったいなうた歌わされてるなぁと思てた。

女性がホラ吹きの恋人のことをさえずってたんや。

ええ曲やん。長生きは、するもんや。

 

トムピリビのせいで、小学校のころ歌わされてたけったいな曲を思い起こした。

おおブレネリ。

ブレネリなんちゅう娘に会うたことないし。

キレイな湖水のほとりゆうて、琵琶湖でそんな場所しらんし。

フニクリフニクラ。

行こう行こう火の山へ、て怖いし。

登山電車で行くのって比叡山延暦寺で、それも怖いし。

おお牧場はみどり。

牧場って近所にないし。

牧場といえば伴大造をメリケンサックで闇討ちしたうんち春彦やし。

 

授業ではそんな歌ばかりやったけど、校門出たら帰り道、四つのお願いとか、天使の誘惑とか、フランシーヌの場合とか、いいじゃないの幸せならばとか放吟していたわけで、教育効果としては、どちらのほうが高かったんやろう。

 

もしも学校で、わたしゃ音楽家やまのコリスとか、秋の夕日にてるやまモミジとかと違て、骨まで骨まで骨まで愛してほしいのよとか、ネオンぐらしの蝶々には優しい言葉がしみたのよとか歌わされてたら、それはそれでどんな人間に育ったんやろう。

 

まぁええわ済んだことやし。




2024年10月3日木曜日

りんごにカルバドス、それから。

■りんごにカルバドス、それから。

ノルマンディーのカルヴァドス県にて。

カルヴァドスとシードルの造り酒屋を訪ねたところ、ポモ(Pommeou)を飲めという。

おや貴様、これはうまいではないか。甘くて。

りんご酢とカルバドスを混ぜて熟成させたものだという。

メロンに合わせろという。

イヤだ、りんごに合わせる。りんご酒でりんごを食う。

ぶどう酒でぶどうを食う。日本酒でコメを食う。そば焼酎でそばを食う。

だろ?

にしても、カルヴァドスをずっと隠し持っていたフランス、まだこんなものを隠しておったか。

けしからん。

 





星付きレストランにゃ興味はないが、

場末の食堂で、臓物や脳みそや正体不明の代物は

とりあえず手を伸ばし口に入れ、それで満足する。

円安だろうとユーロ高だろうと、日本じゃ食えないんだから、実に安い。

 


それより吾輩は、村のマルシェやモノプリやカルフールで、

苦い草と、ヤギのチーズと、トマトのトリコロールができりゃ、

何日だってごきげんです。安くできております。

 



フランスでテレビをつけていたら、arteでルイ・マル「Lacombe Lucien」が始まった。

初めてみた。これまでみられなかった。美しい。感涙。

仏独共同芸術テレビ局arteには開局したころ愛のコリーダ無修正版はじめ見たことのない映像をたくさん見せてもらった。テレビ番組国営アーカイブINAと並んで日本にないものねだりの大切な存在。

 

こちらのひとはこんなのを毎日観てるんだよな、タダで。これ観ておきなさい、と教養として教えてもらってるんだよな。映像の教養は大事だが、コレのch観とけで済むのはうらやましい。

(トルコの無課金おしさんは、arteで観た北野「ソナチネ」エレベーターでチャントリのカシラ南方さんらがやる普段着の銃撃を思い起こさせた。)

 



翌日もarteをつけていたら、これもみたことのない映画。

どうやら先の五輪のころの東京を描いたけったいな映画だが、何だろうこれは。

この手のアメリカ映画になると、とんと教養がなくて、でも困らない。




ノルマンディー、激戦地の近くを歩いていたら立派な墓碑。

フランスのために死す、とある。

一次大戦でたおれた人たちが上段にあり、二次大戦は中段。

目に止まったのは、インドシナ戦争(1939-54)。

その下にはアルジェリア戦争(1954-62)の墓碑。

ぼくが生まれる頃まで戦争を抱えていた。

このあたりもわかってないと、会話を間違えます。