■Buenos 10年前のプレゼン -9 「永遠のフロンティア」
「Digital Punk 21 in東京大学 2001年1月 MITメディアラボ客員教授 中村伊知哉」の問題提起21点、No.19とNo.20。
8. 産業革命よりルネサンス
・アナログの千年→デジタルの千年
・文字言語→映像ネットワーク=OSのバージョンアップ
・ 現実→バーチャル=永遠のフロンティア
この連載の初めのころ、さんざIT革命とあおっていたくせに、ネットバブル崩壊で「革命は終わった」などと転ずる論調に反発した、と申しました。過去の革命家たちからすれば、なんともチョロい革命だったのだねと冷やかされそうで。
つまりIT革命というのは、ITを十年に一つ現れる新規ビジネスの類と見ていたので、ビジネスがポシャれば革命もおしまいという見方なのです。そんなもんじゃないでしょう。
これに対し、ITは第三次産業革命であるとし、百年に一度のビジネス構造の変化だという考え方もありました。農業から軽工業へ、軽工業から重工業へ、そして重工業から情報産業へというわけです。
だけどぼくは、これが2000年ごろに本格化した、つまり千年紀に現れた現象であるという偶然にも心を寄せておきたいんですよね。9世紀の作とされるドイツ・ロルシュ修道院のステンドグラスや、11世紀のバイユーのタペストリーにみられるように、1000年前は画像で意思表示し表現していた。15世紀の活版印刷により文字が大衆化された。そして今また映像で大衆が表現を始めた。これは頭のOSを切り替える作業であり、アナログの千年からデジタルの千年への移行期に当たるのではないかと。
しかも同時に、バーチャル空間という無限の領域を人類は手にしつつある。土地を切り開き、海洋を開拓し、20世紀終盤には宇宙空間に飛び立って行った。だがその限界を悟ったとたん、今度は永遠に開発し続けることができる空間を得たのです。
現実をいかに再現するか。そのころ日本の企業は、高精細や3Dの技術を追求し、大画面での表示を求め、リアルに表現することに血道を上げていました。が、アメリカの企業は、ネットというバーチャル空間を、まるで西部開拓時代のように、砂金を求めて掘り進めていたのです。その空間は、カリフォルニアにとどまらず、太平洋の、そのまた向こうの、うんとうんと大海原に広がっていることを知りつつ。
9. おとなよりこども
・バーチャルの作法:おとなは千年失敗してきた
・映像ネットワークの様式美:新メディアの表現は新人にしかできない
・ グーテンベルクの3世紀、ぼくたちの3世紀
そこでぼくの話は、やはり子どものことに戻ります。これから千年かけてバーチャルの作法を作っていくことになるのですが、アナログのリアル社会の作法を大人がきちんと作れてきたかというと、別にそんなことはなくて、格差も貧困もなくならないし、平和が訪れたわけでもない。フロンティアの設計が今の大人たちにできる保証はないわけです。若い世代、こどもたちがデジタル社会を担います。
当初テレビは映画屋が作り、ネットはゲーム屋が作りました。でもその後、テレビはテレビオリジナルの人材が育って発展したように、ネットもモバイルもそのジャンルからデビューする新人が担っていくことになります。そろそろ、そうした世代が仕切るようになる、それがプレゼン当時の状況。
今もときどき話します。グーテンベルクが活版印刷を発明し、宗教革命が起こり、産業革命が起こり、市民革命が起こり、近代が成立するまで3世紀。グーテンベルクらは自らの技術が3世紀後に起きる変化を予想していなかっただろう。ではデジタル革命の最中、ぼくらはこれから3世紀後に何が生じているか想像しているだろうか。それを想像することは、今を生きるぼくたちの特権。
そんな雰囲気で、当時ぼくたちは、デジタルと子どもに関する活動を進めました。95年ベルギーで開催された情報G8の場で日本が提案した「ジュニアサミット」を足がかりに、ぼくは98年に役所を飛び出し、その秋にMITで第二回ジュニアサミットを開催したことが活動の第一歩。
MIT Okawa Centerというメディアと子どもの研究機関を作るプロジェクトがスタートし、このプレゼンの半年後には「100ドルパソコン」構想を西和彦さんをサポートする形で発表。京阪奈学研都市にCSKの子どもワークショップセンター「CAMP」を開設するかたわら、2002年にはNPO「CANVAS」を設立しました。以来、1300件を超えるワークショップを内外で提供し、2010年「デジタル教科書教材協議会」の設立につながっていったわけです。
でも、まだまだ。デジタルの千年は幕を開けたばかりです。