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2025年1月23日木曜日

■経産省「エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」スタート。

経産省「エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」スタート。


座長を務めます。

委員は河島伸子同志社大学教授、栗田宏俊講談社取締役、齋藤精一アブストラクトエンジン代表、中山淳雄Re entertainment社長、村松俊亮経団連クリエイティブエコノミー委員長/SME社長、桃井信彦バンダイナムコ取締役。

 

ごあいさつ。

 

この分野の政策はもう結構な積み重ねがある。

20年前に政府に知財本部ができて、コンテンツに力が入れられ始めた。

当時、経産省もコンテンツを国家戦略の柱と位置づけて 産業の拡大を目指した。

ただ当時は国内のアナログ産業がターゲットで、なかなか成果が出なかった。

 

この10年ほど戦略は切り替えられて、国内のアナログから海外とデジタルの2本柱を重視するようになった。

ここにきてどちらも明確な成果となって現れている。

そしてこのところ、アニメやゲームだけではなく、音楽も実写の映像も含めコンテンツ産業全体が元気になっているようにみえる。

 

昨年4月に経団連が提言を公表して、政府も一段と力を入れ、今年6月に「新たなクールジャパン戦略」や「コンテンツ産業活性化戦略」が策定された。9月には官邸で「コンテンツ産業官民協議会も開かれた」という流れと承知する。

なぜコンテンツが大事か、ということを説明する必要がなくなってきた点が大きい。

コンテンツ産業にとどまらず、その波及効果を通じて、大きな広がりのある産業拡大が期待される。

 

しかし、コンテンツ産業を含むエンタメ・クリエイティブ産業の発展はまだ大きな潜在力がある一方で、海外展開もデジタル対応も課題は多く、

AIの爆発もあって、いかにクリエイターに適切に還元するかという課題もある。

必要なのは具体的なアクション。

アクションを取りまとめて、経産省の施策や政府全体の議論に接続していきたい。

 

 

論点としては、1.海外展開、2.人材育成、3.他産業への活用などが挙げられていて、ぼくも一委員としてコメントしました。

 

1.海外

 海外プラットフォームは世界への販路や製作資金を提供してくれる味方だが、売上が吸い上げられコンテンツが隷属させられる厄介な相手でもある。国産PFを目指す動きもあったが、クランチロールなどは例外で、作るのは至難。海外PFには公正なビジネスを国に求めてもらうこともあるが、縦割りのコンテンツが横連携してバーゲニング力を発揮する努力も有効。

 

2.人材

 人材育成はこういう会議で必ずテーマになる。政府でコンテンツ政策を議論しはじめたころ、日本にはフィルムスクールがないことが課題とされたが、その後さまざまな大学でコンテンツ制作コースができてデジハリのような学校もできた。

 今の課題は海外展開するマネジメント人材の育成だが、有効策は打たれていない。このところ総合商社がIPの世界展開に参入してきていて、心強いのだが、そうした仕事を担う人材はどういう学校でどう即戦力として育てるのか。

 私は自分の仕事として今それを進めている。LAにあるハリウッド直結のエンタメMBAを誘致して日本校を設立する計画。日本のコンテンツ業界とも連携したい。イタリア、フランス、イギリスのMBAも誘致する計画。

 

3.他産業

 コンテンツを振興する経済学的な意味は、波及効果・外部経済が大きいから。特に他の産業と融合して、産業全体の成長に寄与するから。ハードウェア産業に加えて、観光や食など日本の強みとする産業との連携・マッチングを強化してほしい。

 K-Popや韓流ドラマと家電・自動車を連携させてデジタルとリアルで世界展開することをコンテンツ振興院KOKKAが後押しした、韓国の成功モデルがある。この日本版を作ればよい。

 

 

会議は原則非公開で、固有名詞アリアリのリアリティー満載論議になります。第一回はまず海外展開がテーマ。日本の強いIP力を認識したうえで、経営・プロモーション、人材をどうする、という点が議論されました。

併せて、政府の司令塔機能が問題視されました。経団連も強く求めている点です。役所タテ割りを取っ払って施策を講ずる。これは同時にコンテンツ業界が横串を刺して取り組むこともテーマとなる。

プランと実行、進めたく存じます。




2025年1月20日月曜日

学長くんガチョーン. 岡部典孝さん

■学長くんガチョーン. 岡部典孝さん


日本円のステーブルコインで先駆けるJPYCを経営するギラギラ感はありません。ゲームにはまっていたドロップ組。だからか~。青ヶ島が合うんですね。iUも青ヶ島を拠点にして特区を仕掛けたい。一緒に遊んでください。

 

 

◆JPYC

日本円ステーブルコインという分野で日本のトップを走っている会社。

ステーブルコインとは、1ポイント1円の価値を持つコインをブロックチェーンの上で実装しているもの。取引を自動化するのに便利。

他のプリペイドやPayPayとの違いはプログラムがしやすく、世界の規格に合わせて作っているのが大きな特徴。

 

日本だけでも企業間決済が年間1000兆円ほどある。それを少しでも効率化して周辺で儲ける。資金移動業というライセンスでやろうとしている。1000万円買ってもらったら、1000万円分の国債を持つことになる。日本国債の金利はすごく低いが、それもちょこちょこっと入ってくる。

 

テクノロジー・法律・会計など様々な分野が融合する総合格闘技みたいな領域。規制がいままで厳しく、発行が認められてなかったが、今年(2023年)の6月から法改正され、真の意味のステーブルコインをこれから発行できそう。

いままでも準備はしてきたが、先駆けて出そうと最先端を突っ走っている。

 

◆青ヶ島

昨年(2022年)から青ヶ島に移住。そこでイノベーションを起こすための島にしようという活動もしている。

イノベーションを起こすときに反対する人をどう説得するかが鍵だとおもっている。反対する人が少ないところ=人口の少ないところがイノベーションを起こしやすい。反対がなければ突き進むことができる。

青ヶ島は人口150人で独立した村。特区もいける。村長さんがOKだったらできる。役場も学校もある。一通りの産業がやろうとおもったらできる環境。そこがおもしろいと思って移住した。法律上規制で難しいことがあれば、そこでやればいい。

 

銀行のライセンスが必要になる可能性があるが、金融機関の申請は現状スタートアップではほぼ無理。なので、地方自治を絡めて協同組合の金融機関を作ったらどうだということを地元の人とやっている。

 

スターリンク・光回線もあるので、東京よりもネットが速い。

 

村の周りを使えば特区を通しやすい。そういう自由に実験できる実証実験エリアを設定しようとしている。

 

◆学校

大学時代はほぼ学校に行かなかった。ドロップアウトし途中で起業。いまの会社は3社目。起業の準備をする期間が大学生。

一橋大学の経済学部。1997年入学。当時インターネットが走りの時代。ネットゲームにハマった。いまでいうメタバースのような仮想世界と現実世界が融合するんじゃないかとおもっていた。ひたすらゲームに打ち込み、ゲームの内部経済研究などをした。最終的には自分でやろう、と起業。

 

大学に入ったことは役に立った。大きな教室で受ける授業は好きじゃなかったが、ゼミは印象に残っている。起業する人のためのゼミに申し込んだが、起業しているからという理由でTAを任された。いきなり教える側。結果的には大学の先生からも出資いただいた。すごくいい影響があった。

学生のビジネスプランコンテストにも出て、賞をいただいた。いいスタートがきれた。

大学での縁を活かしつつ、大学には行ってなかった。

 

◆次のチャレンジ

今年(2023年)の6月から新しいライセンスが取れるようになったので、それに挑戦。

ステーブルコインは世界で15兆円以上発行されている。その大手のサークルという会社からも出資を受けている。

JPYCを持っていたら、それをそのままUSDCという外国のステーブルコインを使えるお店でそのまま使える・逆にUSDCを持っている方が日本に来たらそのまま使えるというように世界のステーブルコインの規格を全部統一して、0.1%くらいの低い手数料で簡単決済ができる世界を実現するとイノベーションを起こしやすくなる。これが、最終的に実現したい世界。

 

新しいことを実現したくてもクレジットカードの審査が通らないなど、そういうことをやっているとみんながわかるビジネスしか立ち上がらなくなる。

しかし、ステーブルコインは不特定多数の誰でも使える。プログラムもしやすい。自由にエンジニアがいろんな機能を組み込める。

イノベーションを起こすためには欠かせない。それの規格を世界で統一することが大事。

 

規制という意味では国を巻き込まないといけない。日本は規制を先行している。ヨーロッパ・アメリカでもどういう規制にしたらいいか話し合われている。日本はいま一番いいポジションにいる。その先端を走っているのがJPYC。世界のためにがんばっている。

 

◆キミたちへのメッセージ

イノベーションを起こす人は国の宝・世界の宝。イノベーションを起こそうとすると邪魔をされるが、そういうときには、仲間とみんなで乗り越えていかなければいけない。

反対する人とも対話を継続していかないといけない。責任あるイノベーション。

コミュニケーションをしながら、最終的には絶対イノベーションを起こして勝つという気持ちを持ち続けて。

2025年1月16日木曜日

PPP、スタート

■PPP、スタート


Pop Power Project、略してPPP、をスタートさせます。

マンガ・アニメ・ゲーム、J-Pop、映画、ドラマ。

この力を発揮するためのコミュニティです。

https://poppowerproject.com/


クールジャパンから20年、日本のポップが世界で爆発しています。

政府も産業界も 改めて注目しています。

文化経済のパワーを一段と高めるチャンスです。

でも人材育成やAI、海賊版、課題もゴロゴロ転がってる。

ジャンルや業界の垣根を超えて、乗り越えたいと思うんです。

クリエイターやプロデューサ、産業界や研究者、

政府や自治体、ユーザやオタク、

みんな集える場を用意して、取り組みたいと思うんです。




難しい問題を解決する。新しいビジネスを企画する。

素敵なイベントを目論む。大胆な提案を国にぶつける。

PPPはそんなアクションの増殖炉にしようと考えています。

コンテンツ業界がジャンルを超えてヨコ連携することで、内外への発言力を高める。

コンテンツ業界とテック企業や研究機関をマッチングして新サービスを開発する。

タテ割りの関係省庁に横串を刺して、民間のアイディアを実現する。

全国の大学や高校のゼミも部活もサークルも声をかけて産業界と交わる。

そんなことを目論んでいます。

iUとCiP協議会の共催です。




今メンバーは有力なクリエイターやプロデューサー、

業界団体、関係省庁、研究者など50名程度です。

みなさんに、もっと若いプレイヤーや、新しいジャンルの関係者などを

どしどし連れてきていただき、コミュニティを広げてくださることを期待します。

AIweb3などテクノロジーの研究・開発者にも参加いただきます。

ボカロ、VTuber、メタバースなど新ジャンルのクリエイターたちも。



協賛企業を募り、会員になってもらいます。

PPPの活動はひとまず2年の時限とします。

ぜひご参加を検討いただきますよう。よろしくどうぞ。


PPP協賛のごあんない

https://poppowerproject.com/join/

2025年1月13日月曜日

学長くんガチョーン. 佐藤裕久さん

■学長くんガチョーン. 佐藤裕久さん


同い年の京都人。それも西陣の、実に近い場の出。音楽にもハマっていた。だけど知り合ったのは最近。ピザ、中華、カフェ、そば。バルニバービはどの店も個性的で名も業態も違う100の食堂を運営する。パンクやの~。ホワイトヘアー、あこがれてます。

 

 

◆食の道へのきっかけ

食・商売人の家系。曽祖父がグリルオアシスというレストランをやっていた。祖父の代でお菓子屋に変わった。小学1,2年から店に立っていた。

大学は神戸へ。大きな挫折をした。4年間通って進級は1回。2年の学年で中退。同期の粟田貴也さんはトリドールホールディングス社長。丸亀製麺をやっている。粟田さんは大学を1年でやめた。

34歳のとき、阪神淡路大震災が起こった。人が生きていくギリギリの局面に遭遇。結果的に自分の奥の方にあったなにかに火がつき、食べ物屋を始めようとおもったのがきっかけ。

 

◆最初の起業

学生の動員力があったので、カフェバー・ディスコ・パブなどのプロデュースを学生の時からやっていた。その延長で24歳のときにファッションを手掛ける会社を作った。

当時ファッションが飲食に絡んでいた。コムデギャルソンなど初めて日本らしいかっこいいブランドができてきた。そういうところが、かっこいいカフェやレストランをプロデュースといったように、ライフスタイルにまで関わるようになった。

ファッションと飲食が近い中にあった。飲食のプロデュースをかっこいいサイドからやりたいとおもい、大学を中退しファッションに入った。

しかし、はじめるとなかなか飲食に踏み出すことができなくて、27までファッション界に身をおいていた。

 

◆倒産

27のときに会社をだめにした。

27-33の5年間は借金だけを返すために這いつくばって生きていた。ダイエーの社員運動会のフロアディレクターや企業社内旅行のアテンダー、お色気コンサートの台本書き、人のお店のプロデュース・グラフィック・デザイン・企画づくりなどなど、何から何までお金になることをやった。33で返しきった。

5年間のうち4年半は憂鬱。24で起業し、自分は才能があるという勘違いもあった。27でコテンパンにやられた。生きているのか死んでいるのかわからなかった。親に保証人になってもらっていたので、返済を滞らせるわけにはいかなかった。

 

◆二度目の起業

返し終わる残りの数ヶ月、4年半ぶりに生きる勇気が出てきた。

最初の起業はお金を追いかけた。お金を持ったら幸せになるんだとおもっていた。25,6で年収が同級生の10倍くらいあった。しかし振り返ると、そのときは幸せじゃなかった。

お金を稼いでも、幸せじゃないのはいったいなんなのか。

 

1994年の11月に借金を返し終わった。その2カ月後に阪神淡路大震災がきた。

自分自身がなにか役に立たないといけない。自分の街がぐちゃぐちゃにされて張り裂けそうだった。

南京町で炊き出しをした。

人生でそれっきりだが、涙が止まらなくなった。そこから記憶が曖昧でいつかはわからないが、希望を失い、家族を失い、仕事を失い、家を失い、何もかも奪われた人にさえ、食は生きる勇気や元気を与えるということに電撃を受けた。

 

生まれたときには閉業していたが、レストランを営んでいた家に生まれた。明治生まれの祖母はそのレストランの料理人だった。祖母の作るご飯は洋食。ハイシライス(ハヤシライス)・ドベ(デミグラス)・スカッチエッグ(スコッチエッグ)。祖母の洋食は興味深く、自身も小学3,4年でハンバーグを作ることができた、高学年では中華鍋を煽っていた。

父親だけがそれをよしとしなかった。男がはしり(台所)に立つもんではないと。父がいる日は封印していたが、父がいない日にご飯を作ると祖父・祖母・母がとても喜んでくれた。そのことが炊き出しのときに蘇った。

 

いままで自分がどうなったら幸せか、どうキャリアを積んでいけばいいかという計算の中で生きてきたが、人を喜ばせているときに、こんなに心が喜んでいるということに気がついた。これだ、とおもった。

こども心に祖父母が涙を流して喜んでくれたのが嬉しかったこどもの頃の自分と34歳の炊き出しのときの自分は一緒だった。

 

そこからはもう一目散。お金を借りる段取りと物件を探す段取り。1995年の12月13日に1号店をオープンした。

1号店のオープンから28年(2023年現在)経っているが、店作りのおもいは変わらない。

 

◆バルニバービの業態

人が喜んでくれるのは嬉しい。しかし、喜びは慣れてしまう。

初めてグラタンを食べたとき、こんなおいしいものがあるんだ!とおもった。10回食べたらその感動は薄れる。感動は進化し続けなければならない。

安定していいものを、クオリティを守って事業を成立させるという才能も見識もない。自分は1995年の1月末の炊き出しのときに絶望の淵にある人にほんのささやかでも感じてもらえた喜びのクオリティをいきつづけたい。

リピーターを増やしたり、SNSでバズらせたりすることに興味はない。たまたまたどり着いた、もう一生来ないかもしれない旅人に絶対的な感動を与えることを人生の是としている。

絶えず進化したい。デザインも場所も感動するなにものかの演出も。そうすると同じものが作れない。

 

◆学校

希望を持って大学に行った。神戸外国語大。かなりプラクティカルな英語を学べるとおもっていた。

しかし、外国人の授業は1週間のうち1コマだけ。アカデミックでいいが、あとは古史やシェイクスピアなど。先生の書いたものを一言一句メモし、同じことを書いたら100点を取れる先生もいた。自分は別の解釈もあるということに挑戦したかった。お前みたいなやつは死んでしまえという点数をつけられた。大学に幻滅した。

 

大学は授業を学ぶだけのものではないとなんとなく気がついてはいたが、1年でやめようとおもった。しかし、ふとやめて自分は何をするのかとおもい、いまやめてはだめだ、と進級した。

 

ラグビーもやっていた。そして、学生起業のときに出会った仲間たちは13人上場している。

学び舎であり、かつ出会いであり、ともに青春を過ごす仲間との貴重な時間であるというのが大学の位置づけだった。それの授業以外はクリアできた。

 

◆キミたちへのメッセージ

規制されたものや枠、常識を疑ってかかっていい時代がやってきている。

人が来ない場所、バッドロケーションで店を作ることは頭がおかしいのではないか?と言われる。しかし、店がないから人が来ないだけ。いいものがあればそこに人が来るということに気が付かない。人は見えないものは信じない。

 

iUの学生たちが日本の新しい既成概念に囚われない生き方や学び方、社会に向けてのチャレンジができることを楽しみにしている。

どんどん弾けて、社会からひょっとしてこぼれながらも面白いことをつくっていってくれることを期待している。