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2013年8月29日木曜日

1人1年1万円でデジタル教科書を


■1人1年1万円でデジタル教科書を



 デジタル教科書教材協議会を設立して3年になります。

 当時、「2015年には一人一台の情報端末とデジタル教科書」を標榜するぼくたちには、絵空事という批判がありました。その後政府が決定した目標も、2020年。5年前倒しを叫ぶぼくたちには、ムチャだというお叱りがありました。関係の学会の重鎮には相手にされませんでした。

 昨年、デジタル教科書を正規教科書にすべく法改正せよという提言を発したときには、身が危ないぞという声も聞こえました。重い発言力をもつかたが「デジタル教育は日本を滅ぼす」という本を書いたり、その後文科大臣になられるかたが「デジタル教科書はいらない」という書を出されたりしました。



 それがどうやらこの1年で、転換したようです。

 大阪市橋下市長が2015年度に域内の小中学校で一人一台を実現すると宣言。次いで東京都荒川区の西川区長が2015年内に実施する、と若干の前倒し。今年の6月には佐賀県武雄市の樋渡市長が2014年度の実施を宣言しました。首長が宣言するというのは、予算措置のめどがつき、地方議会が合意することを意味します。とても大きなことです。しかも、東京・大阪と地方都市とが揃いましたので、全国の都市が「ウチはできない」とは言えなくなりました。弾みがつくことを期待します。

 政府では、「知財計画2012」で制度改正を「検討する」と明記されたことが嚆矢となり、IT戦略本部、産業競争力会議などでも一人一台が論議されました。「知財計画2013」では、検討のうえ「必要な措置を講ずる」、つまり法改正を含む実効策に移すという踏み込んだ表現がなされました。

 与党も議員連盟が「教育のICT化に関する決議」として、一人一台タブレットPCの導入等5項目を提言したところですが、この決議作成にはぼくらも協力しました。

 ゲリラが正規軍になった模様です。



 ぼくらとしては、「デジタル教科書法案概要」を準備したり、先導100地域・100教員を募ったりして、運動を強化しているところです。

 そんな中、6月17日、DiTTシンポを開催しました。慶應義塾大学三田キャンパスです。パネル登壇者はベネッセ新井健一さん、立命館大学陰山英男さん、韓国ITジャーナリス趙章恩さん、東洋大学松原聡さん、衆議院議員山際大志郎さん、CANVAS石戸奈々子理事長とぼく。

 実は当初ぼくは「デジタル教育反対派への10の質問」というのを用意していまして、学力向上の効果不明、デジタルは紙のよさに勝てない、わかりやすさは思考力と無関係、画一的になる、読まなくなる、目が悪くなる、先生が使えない、コストがかかる、教育を産業にすべきでない、といったぼくらがよく受ける(けどやすやすと反論できる)デジタル反対論に対し、「じゃあアナログはどうなのよ?」という逆質問を、反デジタル派のかたにぶつけたいと思っていました。

 やるだのやらないだの、いいだのよくないだの議論しているのは日本だけで、早くそこから卒業したい。やるリスクについて説明させられてきたのですが、もうデジタルを「やらないリスク」を問い返す場面であろう、と。


 でも、国会議員の集まりでは声を荒げるようなかたに声をかけてみたのですが、ご登壇いただけませんでした。

 まあ、そういうことなのでしょう。もう、そういう場面は過ぎていて、とっとと実効策を煮詰める地点に来ていたということなのでしょう。



 で、パネルで出された議論が「要するに、いくら?」。一人一台を想定すると、一人いくらなの?という、ごく基本ながら、企業の思惑もあり、なかなか議論のテーブルに乗らなかった話です。

 実は、これも直前の与党議連の席上で、「メーカは7万円というが、あり得ない」「タイは80ドルだぞ」「せいぜい1万円じゃないか」という、日本メーカが聞くと卒倒しそうな議論がたたかわされていたのですが、ようやくリアルな話になってきたわけです。

 パネルで出された提案が「1人1年1万円」構想。それで端末と基本アプリが調達できるなら、ウチも一人一台を整備できるんだが、というある市長の申し出があったということが紹介されたのです。

 どうでしょう。wifiタブレット+アプリ+サポートのセットを年1万円でリースする。1台1万円で売り切るのと違って、通信会社が提供するようなサービスモデルで、設計することはできないでしょうか。通信会社様、メーカ様、アプリ会社様、教材会社様、リース会社様、商社様。

 このサービスモデルがいくつか揃えば、恐らくですが、いくつもの自治体が乗ってきて、地方の予算措置が進み、面的な整備が広がるのではないか。

 「1人1年1万円」。これが次の運動アイコンになりそうです。

2013年8月26日月曜日

「不格好経営」の格好よさ


■「不格好経営」の格好よさ


 DeNA創業者、南場智子さんの著書「不格好経営」。

 DeNA立ち上げ期の壮絶な失敗、技術陣の集結、父親との確執、マッキンゼーでの失敗、ヤフオクへの広告出稿、ダイエットの顛末、モバゲーの誕生、実におもしろい。

 フィルタリング騒動、ロワイヤル登場、アシスタント原さんのスゴ腕、3.11、退任の決定、守安さん(社長)の歯がない、春田さん(会長)の球団話、コンサルタントと事業リーダーの違い、実におもしろい。

 お父上との確執、そんな荘厳な家庭に育ったとは、全く存じませんでした。だって、想像できないっしょ。ちょっとでも本人を知ってれば。反動で弾けて成功したチョー希有な例。

 その他、だいたい情報として知ってるエピソードが多かったのですが、実におもしろいのは、当人でなければ描けないディテールのリアリティーと、常人なら潰れている危機や水圧の中でも鼻歌交じりに黒コマを白にひっくり返し続けた軽やかな手腕。

 「こんなに文章書くのが大変だとは思わなかったよ〜」と本人は言うものの、いや実際、コレは本人しか書けないからですね、代筆じゃムリだ、この本は。登場人物たちへの愛で満ちています。

 ぼくも読んでから思い出しました。この方はエッセイを書く力もスゴいのでした。そもそも不格好経営の最後に掲載された「DeNA社長メッセージ」を以前拝見した際、「この文章スゴいよ」と周りに宣伝していたのを忘れていました。

 すったもんだの起業と経営、それに対するノウハウではなくパッションを、類い希な観察眼と愛情と、確かな筆致でくるんだ書。ヘタな経営学の本やビジネス解説を10冊読むより、この1冊。

 (南場さん、宣伝、こんなところでひとつ。)



「不格好経営」を上梓された直後、授業にお越しいただきました。

 KMD始まって以来、毎年ぼくの授業に来てもらってます。DeNAがウナギ上りのイケイケ時もあれば、野球に参入する苦しみの時もあれば、家庭の事情で社長を降りて人生を変えると宣言した後のこともあります。

 そのときどきの熱いテーマをぶつけてもらうのですが、毎度それが全く異なり、つまりいつも新しいことに燃えていて、そしていつも寄らばケロイドの熱さ。必ず強烈な南場ファンを生むだけでなく、その後KMDを卒業して晴れてDeNAの門をくぐる者もおります。

 昨年、ステップバックして家に入り、家族の病気に立ち向かうが、「仕事で圧勝したから今度も圧勝する! I’ll be back!」と言い残して去った南場さん。果たして職場に復帰され、本も出し、学生の前にも戻って来てくれました。

 ぼくが南場さんに来てもらうのは、その話の内容以上に、学生たちに、動く本人を肉眼で見て、オーラを感じて欲しいから。いつも「ぼくはこの世に尊敬する人が3人いる。その一人が南場さん。あとの二人は、ナイショ。」と学生に紹介するのですが、それは本当のことです。ぼくのほうが年は一つ上ですが、同時代を拓くリーダーとしてまぶしく拝見しています。

 南場さんは起業まもない頃から存じ上げています。ビッダーズでお悩みのころから。その後、ムリをお願いして知財本部の委員になってもらったりもしました。ファンになったのは、そのころ。食事いかがと誘われ、ここがいいね、すっとラーメン屋に入られ、イスの上にちょこんと正座して、ズビズビ食べ始めた。不格好!カッコいい!

 

 今回、学生には現役のコンサル、コンサル出身者、コンサル志望者がいました。KMDはどちらかというとコンサルよりアントレプレナー志向であり、調査・分析より実行・創造を重んじます。偉そうに言うてますが、ぼくはなろうと思ってもコンサルにはなれません。自分でやりたいことが多すぎて、他者をどうにかしてあげる能力はおろか、興味も愛情もないせいです。

 その点、南場さんはコンサルから起業したひと。どう見ますか。

 「コンサルになるよりDoer、事業家になるべし。」ぼくもそう思います。でもそれは南場さんの自己否定でもありますよね。「コンサルになるならいいコンサルになってほしい。でも、Doerになるためにコンサルになる、って道は、ないな。タイガーウッズになるためにレッスンプロになるヤツはいないでしょ。」

 じゃあDoerになるには?「目の前に濁流が流れている。それを測量したり、渡る橋を設計したりするのがコンサル。だけどDoerは、濁流に、まず足を突っ込む。熱湯かもしれない。底に剣山が仕込まれているかもしれない。だけど、ずぶずぶと、足を運ぶ。」

 おっしゃることが、よくわかる。だけど、よくわかる、のと、やる、のとでは、0と1の間の永遠、がある。

 話の端々に、ハルタが、モリヤスが、という固有名詞が飛び出します。ぼくはご両名を存じているので、おかしさがよくわかります。学生にとっては、DeNAの会長や社長のおもろ哀しい話題が振られても、リアリティーは薄いかもしれない。でも、不格好経営を彩る愛くるしく優秀な主役たちとして、ごく自然にストーリーに配置されています。南場さんは経営者であり、組織人であり、DeNAへの思い入れが深いなぁとしみじみ感じます。



 だけど、そうなると、難しいですね。一度ステップバックした創業者が、また現場に復帰したものの、組織は次世代に継がれていて、さて、そこで創業者はどうあるべきか。ジョブスや柳井さんが戻った例とはいわば逆ですもんね。

 南場さんには次のステージが見えてるんでしょうか。抑圧された学生時代、超優秀なコンサル時代、そして起業家・経営者の時代、その次のステージに移られるのでしょうか。そんなことを聞こうか迷っていたら、逆に振られました。

「中村さんが一番やりきったと思ったことって何よ?」う〜ん、バンド。と答えました。自分として持ってるモノを出し切って、すっからかんになったのは、バンドです。持ち物が乏しかったので、パンク道で生きることはできず、公務員になりました。

 ただ、仕事として考えれば、公務員を辞める契機となった省庁再編でしょう。政権から解体を申しつけられた郵政省を自治省・総務庁と合体した総務省になだれ込ませることで、通信・放送行政を政府内に押しとどめる仕事。

 ああ、そう考えると、「不格好経営」は、鏡として、ぼくに進路を問いかけているのかもしれません。暴れた学生時代、日の丸を背負った役人時代、飛び出して個人で仕掛ける大学時代、15年タームで来ましたが、そろそろオマエ自身どうするのか。そのまま進むのか。戦地にでも赴くか。博徒になるか。出家するか。ヒモになるか。南場さんの行き方をテキストに、やったことのない自分探しとやらをやってみたらどうか。そんな問いかけ。

 あたしはこう生きてきて、こう生きる。以上。「不格好経営」は、あまたの自己啓発本と異なり、コンサル的に導いてくれる書物ではありません。でも、そんな問いかけを受け取る読者は多いはず。

 南場さんに聞こうとした問いは、自分の答えを決めてから、聞くことにします。

2013年8月22日木曜日

教育情報化八策

教育情報化八策



 デジタル教科書教材協議会(DiTT)は6月、新たな提言として、「教育情報化八策」をとりまとめました。



 自由民主党 教育再生実行本部は、「2010年代中に11台の情報端末を整備」「世界最高水準のICT教育システム・コンテンツの創造」に向け、

拠点地域を全都道府県に合計100程度指定し、先導的な教育システムを開発

利用しやすいデジタル教科書・教材の開発や、多様な情報端末で利用するための標準化

教育システムの普及・展開に向けた協議会(コンソーシアム)の形成

といった内容を提言しています。

 政府・知財本部では、デジタル教科書を正規の教科書とするための制度改正を検討し、必要な措置を講ずる政府方針を定めました。

 DiTTはこれらを歓迎し、その動きを加速的に推進するため、下記八策を提言するものです。

 なお、[  ]は数値目標です。



   -------------------------------------------------------------

教育情報化タスクフォースの設置   [1]

 文科、総務、経産、厚労、内閣府など関連する省庁横断のタスクフォースを総理大臣直轄として置き、目標の設定、計画の推進、課題の解決に当たる。その一元的な推進機関をタスクフォース直下に置く。産官学連携の協議会(コンソーシアム)を形成し、協力態勢を敷く。



「デジタル教科書法」の策定 [3]

 デジタル教科書を正規化するための3法(学校教育法、教科書発行法、著作権法)の改正を含む「デジタル教科書法」の策定に向けた検討を開始し、2013年度に結論を得て、必要な措置を講ずる。



・教育情報化計画の前倒し [5]

  「教育情報化ビジョン」の目標年度2020年を5年前倒しし、2015年に全ての子どもがデジタル教科書で教育を受けられるようにする。



デジタル教育システム標準化 [10]

 情報端末、クラウドネットワーク、デジタル教科書・教材のシステム標準化を図り、10地域のモデル自治体で検証を行う。2015年には標準スペックを決定する。



推進地域の全国配置 [100]

早急に全国47都道府県、政令市を含む100か所に推進拠点地域を設定し、施策を重点投下する。教育センター等による教員研修も重視する。



スーパーデジタル教員の支援 [100]

 世界で共有できるデジタル教材の開発を促進するため、各地域の教育情報化の実践で成果を上げている全国の教員100名を「スーパーデジタル教員」に選定・支援する。優良教材については産官学の協議会が全国への普及を支援する。



デジタル創造教育の拡充 [1000000]

 ICTによる創造力・表現力を育成するワークショップに年間100万人が参加できるよう支援する。(参考:20133月のワークショップコレクションには10万人が参加)



・教育情報化の予算措置 [300000000000

  教育情報化に使途を限定し、毎年3千億円規模の予算措置を行う。

  使途はハード、ソフト、人的サポートなど必要なものを広範囲に適応できるようにする。

   -------------------------------------------------------------



 3法律の策定、計画の5年前倒し、3千億円の予算措置といった内容は従来の提言を受け継いだものです。ポイントは、全国のリーダーとなる先導100地域・100教員を指定し、具体的な支援策を講ずるという点。


 2014-5年を目途に一人一台を達成しようという自治体が複数登場し、現場の先生方も勢いを増していることから、政府主導の運動よりも、地域や現場主導の運動へ、上からの指示でなく、下からの盛り上がりへ力を入れようということです。


 このため、DiTTでは、全国の自治体や先生方に自薦・他薦で名乗りを上げてもらい、登録する作業を進めています。ウチこそ・ワレこそという方は、事務局までご一報ください。

2013年8月19日月曜日

手塚は神、石ノ森は王


手塚は神、石ノ森は王

NHKが「手塚×石ノ森 ニッポンマンガ創世記」という番組を制作しました。
 爆笑問題、浦沢直樹さん、秋元康さんらが両巨匠について討論するものです。ぼくはビデオでコメントを寄せました。
 以下、話したコト。
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 世界に名だたるクールジャパンの表現様式と産業基盤を作り上げたのがこの2人。
 どちらも多くの作品を生み出しました。
 まず仕事量の面で巨人なのですが、その内容も幅広く、子どもから大人へ、ギャグからシリアスなものへとマンガやアニメの幅を拡張しました。
 そして、実験も重ねて、作風も変化を続けました。
 権威に止まることがなかったんです。マンガやアニメが古典芸術じゃなく、ポップカルチャーであり続ける源になりました。

 産業面では、プロダクション制という分業の仕組みを作りました。
 手塚さんが始めて、石ノ森さんが確立しました。一人だけで描くんじゃなくて、企業として生産する体制を作りました。
 そして、テレビを舞台に、アニメやヒーローもののビジネスを形作りました。
 手塚さんは鉄腕アトム=アストロボーイの権利の確保に努めました。石ノ森さんは仮面ライダーや戦隊モノというテレビシリーズを入口にして、マンガやおもちゃのビジネスを展開しました。
今のビジネスにつながるモデルを構築したわけです。

違いもあります。
 手塚さんはアーティストであり、孤高の神様です。石ノ森さんはプロデューサであり、チームを治める王様です。
 だから、手塚作品はもう完結していますが、石ノ森さんのは個人を離れたチームとして、仮面ライダーも戦隊モノも今に至るまで連綿と続いています。
 主人公にしても、手塚さんのはアトムとかブラックジャックとか一人ですし、石ノ森さんのは009もゴレンジャーもチームで戦います。

 日本のポップカルチャーの特徴は多様性にあります。
 それを作り出した巨人の2人が大きく違うモデルでした。だからこそ、その後、多様なものが生まれていくことになったんだと思います。
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 ところが、このコメントは、じぇーんぶカットされてしまいました。
 オンエアが参議院選挙期間中でして。それ以前に、ぼくがある国会議員のネット番組に出演した時、その議員にがんばってねとエールを送ったんです。当然ながらその映像がネットに残っていて、それが選挙の応援にとられかねないということでNHKがカットすることにしたんですよ。
 ネット選挙運動解禁に当たり、NHKが必要以上に配慮したということなのでしょうが、手塚・石ノ森先生に貢献できるチャンスだっただけに残念。ビバ、ネット選挙!

 両巨匠について話すべきことはまだまだまだまだあります。多少のマンガ読みなら一晩や二晩は語るでしょう。「ふしぎなメルモ」と「さるとびエッちゃん」の主題歌だけ取り上げてもそれくらい語りますぼくは。
 でも、ホントに強調したいのは、マンガ表現の開拓に果たした功績です。

 手塚先生はマンガの技法を変えました。「のらくろ」に代表される、セリフ回しによる舞台芸を同じ大きさの四コマでつづる手法に親しんだ読者が「新宝島」の冒頭、スピーディーなアクションをコマ割りと描画で表現した、その衝撃はトキワ荘の作家陣に繰り返し語られています。静的なマンガ表現にハリウッドを持ち込んだのです。クローズアップの技法は、国民栄誉賞作家・長谷川町子さんから批判されました。パンクだったわけです。
 それまで上から下へ、単純にタテに読むものだった文法も変えました。右から左へ、そしてまた右下から左へ、コマをなぞる時系列の法則まで変えたのです。

 子ども向けだったマンガの枠を一気に大人にも広げた功績もあります。悲劇、死、エロを、これでもかと持ち込みました。浦沢直樹さんはアトムを読んで「なぜこんなに悲しい物語なんだろう、と思っていた」と言います。ことさらにペーソスとアイロニーを求めていたとも思います。ただし、エロについては上流ではありませんでした。

 手塚先生が10年ないし100年先を切り開いたのに対し、石ノ森先生は常に2年先を開いていたと言われます。コマ割りやセリフの使い方など、いつも新機軸を投入する実験の人だったので、同時代のプロからは鏡と見られているが、時間が経つと皆がなぞっているので、後世には新しさが伝わりにくい、という評も聞きます。


 石ノ森先生は手塚先生の正統な後継者なんですよね。高校時代に手塚先生に見込まれ、手伝いをさせられながら、手塚先生が自由な表現を求めて創刊した「COM」で石ノ森先生がとても自由な作品「ジュン」を描いたことに嫉妬し、悶着があったことは有名です。浦沢直樹さんは「その嫉妬がマンガを創ったんだよ」とおっしゃっていました。

 描いて、描いて、切り開いて、切り開いて、どちらも60歳で亡くなりました。あと20年 生きておられたらどうだったろう。なんて、ふと思います。

2013年8月15日木曜日

なぜぼくが教育情報化政策の仲立ちを?

■なぜぼくが教育情報化政策の仲立ちを? 
 動き出しました。
 自民党情報化教育促進議連は6月、「教育のICT化に関する決議」5項目を採択しました。
 ●一人一台タブレットPC等の導入の促進:低価格化・標準化の推進
 ●ICT活用による21世紀型教育の推進:100程度の拠点地域を指定
 ●教師のICT活用指導力の向上:教師サポートと民間人材の活用
 ●デジタル教科書・教材の充実・普及:多様な情報端末での利用のための標準化
 ●情報モラル教育の充実


 どれも非常に大事な事項です。古屋圭司会長、遠藤利明会長代理、山際大志郎事務局長。ぼくが「学」の立場からアドバイザーとなって、策定に協力しました。議連の会議には文科省・総務省の代表も列席していました。
 これを受け、デジタル教科書・教材協議会(DiTT)も、政府の情報化推進計画の前倒し、推進地域の全国整備、スーパーデジタル教員の支援、デジタル教育システムの標準化、教育情報化予算の拡充などを内容とする提言をとりまとめ、政府・与党に申し入れました。
 政官と産業界とが連携し、「学」が仲を取り持つという構図です。

 しかし、その橋渡し役として、ぼくが正面テーブルに座っているのは、いかにも居心地が悪い。というより、不自然なことです。客観的にみて違和感があります。この分野を代表する学界の大御所や専門家は他にもたくさんおられるからです。ぼくは1995年のジュニアサミットに参画してから20年近く、この問題に携わっていますが、教育学や工学の専門家ではありません。
 ではなぜぼくが座っているのか。

 それは、本来そこに座るべき方々に断られたからです。
 

 DiTTが設立されたのは3年前のこと。MITで$100PCを提唱して以来10年、日本の動きの遅さに業を煮やしたぼくら有志は、そのタイミングがラストチャンスと考え、「一人一台の情報端末とデジタル教科書」の運動を起こすべく声を上げました。
 でも、その分野の権威ある先生方や学者のかたがたから参加を断られたのです。全員ではありません。当初から手を組んで進めている研究者のかたはおられます。でも少数。当初たいていは距離を取られました。推進するには問題が多い、教育現場や関係者の反発を招く、といったことを懸念されたからだろうと推測します。
 ムリもありません、3年前は「一人一台」というのは乱暴な要求でしたから。

 でも、動かなければいけないギリギリのタイミング。仕方がない、叩かれようと殺されようとかまわん、やるしかない、という有志で立ち上げることを決意しました。驚いたのはそれからのこと。東京大学の前総長である小宮山宏先生に相談したところ、私がやると即断していただきました。DiTTの会長に就いていただきました。
 その後、京都大学の長尾真前学長、慶應義塾大学の安西祐一郎前塾長も、DiTTに協力していただきました。3学長ともにエンジニアの王道を歩まれ、この分野には深い知見と問題意識をお持ちです。ですが、教育情報化を専門に研究してきたコミュニティとは所属が若干異なります。でも、3学長というボスキャラが立ち上がってくれたおかげで、ぼくらの運動は動きだしたのです。
 

 案の定、ずいぶん叩かれ、議論し、批判され、調整しました。そして3年たって、気がつけばこの運動は政府与党も多くの自治体も「推進」という立場が明確となり、政権に返り咲いた自民党の提言とりまとめの席に、本来の専門家の学者ではなく、DiTT事務局長のぼくが呼ばれたという経緯です。

 ぼくは日本のITは大学がネックだと自己批判してきました。MITやスタンフォード大学にいたころ目の当たりにした、学が産官を含むコミュニティのプラットフォームとして機能して新しいプロジェクト、サービス、商品、価値を生み出す構図。日本の学が生んだものは乏しい。その構図が教育情報化にも現れています。何とかしなければいけない。
 しかし、この分野については、もう学は必要ありません。もちろん、研究は必要です。情報化の効果検証や優れた教育法の探求、機材や教材の標準化など課題は多い。しかし、こと「運動」としては、学界が旗を振る段階は過ぎ、学校現場と自治体が自らの問題として動く時期が来ました。


 本件は動くべきプレーヤーが動き、あるべき状況に近づいたということで、特段の問題もなく、次は現場主導の新しいステージとなる。まぁそれでいいってことでしょう。でも、3年前に、立ち上がる暴れん坊の部隊が存在せず、3学長がリスクを取って参加してくれなかったら、今こういう状況になっていたかどうか。
 他にも、リスクを恐れてプレーヤーが動き出さずに停滞しているジャンルはいくつもあるでしょう。ITに限らず。そこで学が役立つことはないでしょうか。点検してみていただきたい。

2013年8月12日月曜日

吉本興業社長大崎洋物語「笑う奴ほどよく眠る」。

吉本興業社長大崎洋物語「笑う奴ほどよく眠る」。

 ぞうきんがけ、東京進出、ダウンタウン発掘、ネット・国際化、紳助引退・・怒濤の半生記。376ページを一気読みしました。

 起業した秘訣とか大学で学んだコトだとか、まだ成果も評価も未熟なできごとの若衆によるハウツー本があふれていますが、そんなんじゃない、泥にまみれた挑戦と、たどり着いた現在、それをドヤ顔ではなく等身大で語る、こういうのを読みたかったのです。


 ぼくが無闇なお笑い好きだからなんでしょうね。小学低学年の作文で、「将来よしもとに入りたい」と書いたことがあります。今もオカンにアンタよしもと入りたかったのになぁ、と残念そうに皮肉られます。


 そのころ通っていたお風呂屋さんには京都花月のポスターが貼ってあって、新喜劇と漫才さんの脇にポケットミュージカルズの出し物もありました。そこだけ大人の雰囲気で、誰が見んねんコレと思っていました。ぼくより8つ上の大崎さんはそのころ、その幕間ショーのファンで小屋通いだったといいます。大人やなぁ。


 ダウンタウンを発掘した話。ぼくが大学生のころ、無名の二人のステージを見てショックを受けたことがあります。それからすんなりとビッグになったと記憶していましたが、売れるまで苦労があったんですね。新喜劇を再生した話も、当たり前のことですが、部外のファンには見えていない苦闘があったんですね。


 仕事上の軋轢、バッシング、そして左遷。すさまじい。横澤彪さんや木村政雄さんとの確執も。闘いの連続。社長になってからの功績は、たったの20ページでさらっと触れるだけ。


 上司の木村さんのセリフ。「理詰めで取る仕事も、アホみたいに百回頭を下げて取ってきても、結果、それはひとつの仕事や。」で、大崎さんは百回足を運ぶ。これはウチの学生に聞かせたいな。大学教員が言うべきことではありませんが、アタマで仕事はできません。


 20年前、コンテンツ政策を立ち上げるため、郵政省で研究会を開催し、初めて吉本興業に入ってもらうことにしました。省内調整に手こずりました。委員になってくれたのが、東京事務所の木村政雄さん。一度、その代理で大崎さんが来られたのを覚えています。本書によれば、あのころは東京はお二人だったんですね。


 劇場とラジオ・テレビの会社だった吉本興業は、それから衛星、ネット、DVDへと展開。中国・アメリカに進出。地方映画祭を開催。そして非上場化。国際メディア企業の先端モデルです。20年たって改めて、知財本部の委員になっていただいています。


 でも、華やかで順風なことばかりではない。お家騒動もあれば、ウラ世界の脅迫もある。紳助に引導を渡さなければならなかった。いや、常人にとっては、そっちのほうがキリキリとつらい仕事。それこそ、創業100年で溜まった膿をそぎ落とす作業。おつかれさまです。--- にしてもラストの紳助さん引退後のやりとりは、沁みました。


 吉本興業には、郵政省と知財本部の委員要請のほか、もう一度、お願いに伺ったことがあります。十年前、子ども創作活動を始めようとしていたころ、難波の本社に飛び込みました。「子どもどつき漫才ワークショップをやってください。」そのとき対応してくださったのが、本書にも登場する竹中功さんと中井秀範さん。


 「ムチャいいまんな」と断られつつも何やかやと粘っていたら、10年たってみれば、「おもしろかし子大作戦」というプロジェクト名で、NPO「CANVAS」とのコラボでワークショップが開催されるようになりました。ペナルティ、ガレッジセール、レイザーラモン、キングコング、COWCOW、鉄拳、もう中学生、佐久間一行、大西ライオン、ジョイマン、トータルテンボス、多くの芸人さんたちが気合いの入ったワークショップを提供しています。


 大崎さんの同期エースとして本書に登場する田中宏幸さんと、竹中さんと中井さんは、吉本お笑い総研を編成しています。総研とぼくの大学院とでプロジェクトを作ろう、ということで、何度も会議を開くのですが、その3名が顔を揃えると、ぼくらのスタッフや学生を笑わせるのに血道を上げるため、オモロすぎて全く会議にならない。


 それでもプロジェクト名は、「よしもと慶應キッズ」か、「慶應よしもとキッズ」かでマジメな議論になり、そこはYKKよりKYKでしょ、ファスナーよりトンカツでっせ、という、関西人しかわからんノリで決まりまして、で、中味どないすんねん、というのが続いています。田中総研所長が「思いつきで100年ですわ」と真顔で話していたのが忘れられません。
 


 大崎さんと、岡本昭彦よしもとクリエイティブ・エージェンシー社長に協力を頼まれたのが「沖縄国際映画祭」。
 以来、スーパバイザーとして、あるいはイベント司会者として関わってきました。

 日本にとって、アジアにとって、とても重要なこのイベントのことは、これまでも何度か報告してきたので繰り返しません。ローカルから世界へ、世界からローカルへを体現するこの挑戦に協力を続けます。
  http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2010/04/blog-post.html
  http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/05/3_19.html
  http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/05/blog-post_26.html
  http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/07/2013.html

 ある吉本社員から、吉本は芸人との契約がない、と聞きました。へ?耳を疑いました。ないのだそうです。契約ではなく、「信頼」でつながっていると。そんなプロダクション、ありませんよ。契約はなくても、死んだら葬式まで出したる、という。社員ではなくて、家族というか、血縁なのですね。


 吉本の資産は芸人。しかし、その書面がない。外資系ファンドが上場していた頃の吉本の買収を企てたときも、それを知って腰を抜かしたとか。買ったって、何もないし、芸人さん散っちゃいますしね。

 この吉本式というのか、日本型家族経営のでっかい版というのか、そのモデルは100年のうちに何となくできあがってきたものなのでしょうが、国際的な経営を考えるうえで研究価値が大きい。いろんな面で気にかかる企業であります。

2013年8月8日木曜日

「みんな」と「ひとり」


■「みんな」と「ひとり」



 みんなの時代が来ました。

 2006年末、TIME誌はパーソン・オブ・ザ・イヤーを「You」とし、表紙にPCと鏡を掲載しました。鏡に映る読者一人ひとりがデジタルの力で威力を発揮する、だれもが主役になる時代。当時それはWeb2.0などと呼ばれました。

 その後、ソーシャルメディアが爆発的に普及しました。みんながつながって、みんなの声が社会に直接の影響を及ぼすようになりました。米大統領選を左右し、アラブの春をもたらし、ロンドン、NYCなど各都市の暴動を演出しました。

 コンテンツ産業は停滞気味ですが、ソーシャルメディアはソーシャルゲームも含め産業としても急成長。デジタル化が急進した95年からの10年間に、コンテンツの市場規模は5.8%しか拡大しなかったのに、情報発信量は20.9倍に膨張、その量はさらに拡大スピードを速め、ビッグデータと呼ばれるに至ります。



 日本はその「みんな力」「ソーシャル力」の高さを示してもいます。2011年末には秒間2.5万バルス!でツイート世界記録を達成して世界を驚かせました。ついこの間、8月2日には14万3199ツイート/秒で再更新しました。初音ミクという、みんなが作ったり描いたり、演奏してみたり踊ってみたりしながらソーシャルメディア上で育てたスターがロンドン五輪の開幕式を飾る国際アンケートの1位を獲ったりします。

 コミケやニコニコ動画というプラットフォームがみんなの創作・表現のプラットフォームとして磁場を形成しています。シスコが今年2月に発表した調査結果では、日本のモバイルユーザが発信するデータ量は世界平均の5倍で断トツ1位だそうです。

 みんなの時代は、日本のチャンス、かもしれません。



 その力を維持し、発展させるべきです。

 社会全体の底上げ、を図るべきです。

 そこで、今後10年を展望した政府・知財戦略を構築するための「知財ビジョン」では、コンテンツ人財の育成として、「子どもたちの発想力やコミュニケーション能力を養い、将来のクリエーターの育成を図る。」という方向性を明記しました。

 また、クールジャパン政策の一環として開かれたポップカルチャー分科会で、ぼくが議長となって作った提言は、「みんな」を最も強調し、以下のように盛り込みました。



○みんなで    ・・・「参加」(短期)

 世界中の子どもが知っているアニメもゲームも、海外の若者が憧れるファッションも、支えているのは消費者、ファンの愛情。クリエイター、キャラクター、事業者、そして何よりそれらを愛する国内と海外のファン。「みんな」の力を活かしたい。インターネットで多言語発信し、内外でイベントを開き、交流できる場や特区、さらには「聖地」を形作るなど、みんなが「参加」して情報を発信する仕組みを構築しよう。政府主導ではなくて、みんな。



 このあたり、もうコンセンサスってことでいいでしょうか。

 みんなが大事、ってことで。

 はい、ではそろそろ、次に行きたいと思います。



 先日、授業に来てくれた日テレの土屋敏男さんが、コンテンツに必要なのは「個の狂気」だと断じていました。コンテンツは、あくまで個の狂気がもたらす。

 コンテンツの魅力が欠けてきたのは、個が、狂気が、薄まっているせいもあるかもしれません。みんな、の中に、個が埋没しているのかもしれません。

 無名のタレント2名をだまして香港に連れて行き、イギリスまでヒッチハイクさせる、半年もかけて番組にする、なんて企画を思いつき実行する。電波少年のT部長は、プロデューサーという組織人でありながら、あからさまに狂気をたずさえた個であります。

 2000年から2001年にかけての、21世紀の幕を開けるカウントダウン。日本テレビの中継では、みんなで一緒に秒読みをして、「明けましておめでとう!」を迎えたものの、実は2分早く、ええ〜っガックン、となった事件。

 「現場の上司にも、その上にも、スタッフにも言わず、やっちゃった」と土屋さん。「やっていいですかと聞けば、現場の上司は面白いと言うかもしれないけど、局としては完全にアウト。でも、思いついたらやりたくてどうしようもなくなってる自分がいて、やっちゃった。」

 それは、狂ってます。今なら苦情が殺到したりコンプラ委員会が動いたりしてメンドくさいです。でも、それを押しのけて、クールポコ状態でやっちまった結果がコンテンツであり、やっちまうエネルギーを個の狂気と呼ぶ。

 みんなの力では、できない。「ひとり」のもつパワーだけが突破できる、未知の空間。クリエイターは、その魅力に引き寄せられて、創る。

 テレビが面白くなくなった、といいます。いろんな事情があるでしょう。でも、個がフルスイングする環境でなくなってきたことが大きな原因でしょう。



 みんなの底上げは、教育の領域です。でもウルトラな「ひとり」を生むにはどうすればいいんでしょう。ウルトラな「ひとり」がフルスイングできるようにするにはどうすればいいんでしょう。対策はあり得るんでしょうか。

 政府が唱えるように、高度コンテンツ人財を生むために、高等教育を整備する、コンテンツの制作を教える機関を充実することで、個の狂気が充満するか。そうは思えません。作れる「ひとり」は増えるでしょうけど、爆発する「ひとり」は別ルートから生まれそうです。

 ではどうする。わかりません。わかりませんが、新しい表現のジャンルを創り出してしまうほどの「ひとり」が生まれてくるのは、何らかの環境や土壌、何らかの環境の条件があるのではないかという気がします。

 近代絵画での印象派の出現。ファッション界でのココ・シャネル。映画でのゴダール。ポップミュージックでのビートルズやセックスピストルズ。マンガでの手塚治虫、つげ義春、大友克洋。ゲームでの宮本茂。

 そのジャンルの本場で、それまでに出来上がり膠着した表現様式を、ぺろんとひっくり返して新ジャンルを生み出す、つまりパンクですが、そういう「ひとりひとり」が生まれてくる条件ってのが、ありはしまいか。

 ソーシャルメディア時代のパンク、それはまずフェイスブックやツイッターやLINEを生み出したメディアイノベーターたちが当てはまるわけですが、その上での新しい表現を打ち立てる「ひとり」ってのはどういう人が、どこから生まれてくるんですかね。

 「みんな」の時代の「ひとり」を生む算段、それをこれから考えてみたいと思います。

2013年8月5日月曜日

ニューヨーク・キッズ出張報告

■ニューヨーク・キッズ出張報告

 3年ぶりのNYC。前回はサイネージの調査。今回はデジタルキッズのアップデイトです。
 4つの子ども博物館、子ども科学イベント、ブックフェアを巡ったフォト報告。



 

1 Chilren's Museum of the Arts
ここが主目的。
こういう創作系子ども博物館を日本にも作りたい。

 





 
ワークショップ、遊び、探検の空間。
世界にあって、日本にないもの。
 


 






お絵かき、ねんどワークショップに参加しました。

 







描く、こねる、作る、壊す、ほぼ自由。
こりゃ楽しい。これは、必要だなぁ。

 







みんなでタイコをたたく。大事なこと。

 








サンフランシスコのZOUMもそうだけど、デジタル創作環境もちゃんとあります。

 







クールジャパンは子どもの創造力に支えられているんだが、それを育むこういう施設がないんだよなぁ。



 
















2 Children's Museum of Manhattan

さわって、遊んで、学ぶ。
ボストンやシカゴの子ども博物館よりコンパクトでスマート。

 






胃の仕組みを多画面サイネージで体験。

 











サイネージ・トイレ。



 

















3 NY hall of science
Queensにある子ども博物館。
CANVASを設立する前に、参考にするため一度訪れたことがあります。

 






デザインゾーン:マルチスクリーンで科学を学ぼう。

 







デジタルは音モノが多く、充実しています。

 








10年前に来た時の方がデジタルものが多かった気がします。
実験期だったのかな。



 











4 Brooklyn children's museum
この子ども博物館は超アナログ。

 








こちらは自然体験コーナーが充実しています。

 







キッズのプレイコーナーがすばらしいしつらえ。

 











おやくそく、お絵かきワークショップ。

 











帰らないよねぇ、ぼくなら。

 











体験できる国はアフリカ、カリブ、メキシコ、中国、イタリアってとこがこの地区らしい。ボストンの子ども博物館は東京の銀座線を展示していたのと対称的。



 










5 World Science Forum
マンハッタンで分散して開催されている科学系のさまざまなイベント。
これは屋外のテント実験教室。

 






数学、天文、化学、生物、考古学、電気、物理。

 







大学、植物園、自然史博などいろんなセクターが出展。

 







ニューヨーク大学ビジネススクール前にて。
慶應がホストするワークショップコレクションのようなものです。


 












6 Book Fair America
書物の壮大な展示会。
デジタルえほん社として参加しました。

 







デジタルコーナーは、コンテンツではなくソリューションやアプリ開発の展示。

 







SAMSUNGのブースがいちばん大きかった・・・・

 







児童書コーナーは(悪い意味で)アメリカぽい画一的な展示。
ビジネス規模は大きいのだろうが、正直、ワクワクしない。

 





内容、しつらえ、行き交う参加者の風情、どれもボローニャやフランクフルトのほうがステキでした。


 












7 おまけ
MOMAにて。
デジタルえほんの同僚、季里さんのゲーム「ビブリボン」が展示されているのです!

 






MOMAのサイネージはSAMSUNG製でありました。

 







街のサイネージもこつこつと見回りました。
特記事項なし。

2013年8月1日木曜日

パンク! ウェザーニュース

■パンク!  ウェザーニュース

 ウェザーニュース。お天気放送局です。
 いや、放送局じゃないですね。メディア企業と呼ばなければ。日本型のメディア融合モデルであり、スマートテレビの観点からも注目される世界的なスタイルだと思います。なぜか。ポイントは3つあります。
 1) まず、マルチスクリーン、マルチネットワークであること。代表サービスのSOLiVE24は、衛星での放送と、地上波局との提携による放映に加え、PC向けブロードバンド配信、ケータイ向け配信のマルチ展開。テレビ、PC、ケータイ、スマホ、タブレットのマルチ端末に向け、衛星、地上波、有線・無線の通信網で伝達しています。
 2) 次に、ソーシャルメディアであること。全国の視聴者=ユーザがPCやモバイル端末でセンターに情報をアップしてきます。台風の到来時には6万件もの情報がリアルタイムで届けられる。これは海外ではできません。老若男女がネットに接続したモバイルを持ち歩き、写真や動画を撮って親指ひとつでメッセージを紡ぐ、その訓練を10年以上も続けている日本のユーザ力が発揮されているのです。海外でもスマホが普及しているとはいえ、市民全体のリテラシーが追いつくのはまだ時間がかかるでしょう。さらに、日本人は無類の天気好きという事情もあり、なかなかに濃いコミュニティができあがっています。
 このユーザ力は騒動も起こします。全国に散らばった人というセンサーが利いているので、気象庁に張り合う情報が発信される。予告や警報が打ててしまうわけです。だから気象庁から「やりすぎんなよ」と業務改善命令が発せられたりする。そして、そういうお触れが額に入れられ役員室に飾ってある!勲章なのですな。パンクであります。
 3) さらに、人だけでなく、気象を関知するセンサーをあちこちに埋め込み、ビッグデータにも進出しつつあります。そして、それらトータルなモデルで世界展開を狙っています。

 放送法には、放送局は番組審議機関を置けという規定があります。ぼくはウェザーニュースの番組審議会に参加しています。他にも2社の審議会に参加していて、それらはおごそかに、厳しく、番組や局の在り方を審議しているのですが、パンクなウェザーニュースは違います。審議会そのものを番組にして、ニコ生でも配信するというのです。ニコニコ動画のニワンゴの杉本社長はウェザーニュースの出身で、審議会にも参加しているのですが、なるほど、そういうノリなのです。オープンで、ユーザからの突っ込みが段幕で流れるので、審議会の委員側が審査されてるってかんじ。ソーシャルすぎるやろー。
 さて、昨年の審議会では、最後に委員たちはフリップにひとことメッセージを書かされました。ぼくは「PUNK」と寄せました。モデルをひっくり返して世に問う局であってほしい。で、今年の審議会では、いよいよPUNKが「PUNKER」になってきてる、と感じました。こちらもポイントが3つ。
 1) 進化していること。NOTTVでのオンエアやケーブルでの展開、さらにアプリ展開を進めるなど、マルチに深みがかかっています。今やユーザの8割はスマホ使いで、ソーシャル対応にも磨きがかかっているので、炎上も起きているそうです。ウェザー炎上。そして、文字・写真ベースだったユーザからの情報には、動画レポートも加わったそうです。さらに、3Dボーカロイドも開発・投入。どん欲であります。
 2) 番組評価のソーシャル化。天気予報は、けっこう外れます。だから番組への批判もあるわけです。それに正面から立ち向かおうってことで、当たったかダメだったかの評価を番組でアンケートを採るという怖ろしい取組を始めています。ニコ生の番組の最後にユーザから面白かったかどうかのアンケートを採りますが、あれを番組でやってるのです。ダメ出しが過半となることもあり、そんな日にゃあ、キャスターが「やっちまったなぁ」とつぶやく、クールポコ状態です。
 3) ビジネスモデルのソーシャル化。スポンサード企画のビジネスモデルを議論する番組もありました。ウェザーニュースは企業に対するB2Bビジネスとノン・スポンサード番組の組み合わせですが、そこに広告モデルや課金モデルをどう組み込むか、といったことを番組にして議論している。それって、経営の根幹じゃないですか。取締役会の機能じゃないですか。それをユーザ入れて番組でやってるって、どうよ。
 ネット連動で炎上起きてるとか、番組の評価を番組内で聞くとか、局の経営戦略を番組で問うとか、そんな放送局ありますか?おもろいなぁ。
 
 おもしろおかしく見えて、マルチスクリーン、マルチネットワーク、ソーシャルという、メディアの構造変化をきちんと押さえています。さらに、ビッグデータと国際展開というトレンドに向き合っています。
 今年、番組の最後に寄せたメッセージには、こう書きました。
「PUNKEST」。