■ 日本版KOCCA とは?
「セクシー田中さん」の件を踏まえた日経記事。
国の会議でもご一緒するテレパック沼田さんが指摘する。
「日本はクリエーター軽視 流通優先」。そして
「韓国コンテンツ振興院KOCCAのような機関が必要」。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78365480Z00C24A2BC8000/
このところ知財本部のコンテンツ会議では「日本版KOCCA」必要論が多くの委員から発せられています。
経団連が2023年4月に発した提言「Entertainment Contents ∞ 2023」でも「政府は一元的な司令塔機能を設置すべき」として、KOCCAを例示しています。これが待望論のきっかけになったかと。
https://www.keidanren.or.jp/policy/2023/027_honbun.html
日本スポーツ政策会議などにおけるeスポーツを巡る議論でも日本版KOCCAの必要性が論じられています。
2023年杭州でのアジア大会で、メダルゼロに終わった日本と対称的に好成績を残した韓国が、KOCCAを軸に国ぐるみで支援していたことがスポーツ関係者にも響いた模様です。
KOCCAは、ぼくのKMD時代の教え子である黄仙惠さんが日本代表に就いたこともあり、ポップ&テック都市を構築する民間団体としてぼくが代表を務めるCiP協議会の参考にもしてきました。
「Content Korea Lab訪問記」
https://ichiyanakamura.blogspot.com/2015/03/content-korea-lab.html
「拡張するコンテンツコリアラボに刺激を受けました。」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2015/12/blog-post_17.html
「韓国のコンテンツ・インキュベーション」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2017/03/blog-post.html
2017年4月にはソウルにてKOCCAトップの姜晩錫さんとCiP協議会との協定締結式を行いました。
両国のコンテンツ振興を共同で進めることとしたものです。
先方は政府であり、当方は民間団体。にもかかわらず協定を結んでくる韓国政府の本気度を感じました。
日本政府には何も響きませんでしたがw
コンテンツ政策には民間主導・産業政策のアメリカ型、国家主導・文化政策のフランス型、国家主導・産業政策の韓国型があります。
日本はこれらと別軸で、民間主導・文化政策の道を歩むべき。
これがわが博士論文「日本型コンテンツ政策の構築」の趣旨でした。
そしてそれを担う組織として、ぼくが日本に作るべしと主張してきたのは「文化省」です。
省庁再編を期に政府を出たぼくが次なる省庁再編に向けて提案し続けたものです。
「文化省をつくろう!」
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2009/10/1_25.html
http://ichiyanakamura.blogspot.com/2009/10/2_27.html
2018年、経団連は「情報経済社会省」を主張しました。
内容はぼくの「文化省」とほぼ同じです。
ぼくは著作権は主張していませんが、ネーミングセンスはぼくが勝る。
7文字の役所は二流じゃありませんか。
https://www.sankei.com/article/20180514-OPKBJY3QKJKL7HMACMPIW3XRP4/
ただ、省庁再編から25年たって、この構想は現実解ではないと思い至りました。
文化・デジタルの最小公倍数としての文化省ではなく、最大公約数としてのデジタル庁が先にできて、一段落したこともあり。
クールジャパン政策においても民間エージェンシーの中核組織を作ろうという声を上げてきたものの、それさえ政策テーマ化されませんし。
であれば、強いエンジンである経済産業省に、知財本部や文化庁、総務省に外務省のコンテンツ施策を寄せていく方式のほうが国家機能を発揮できそうです。
なお、文化庁には著作権や文化支援というコア行政があり、コンテンツ政策上重要なポジションを維持できるでしょう。
この点、気になるのは我が古巣、総務省の存在感です。
郵政省の官僚時代、ぼくはコンテンツ政策を旗揚げしました。
1993年「メディア・ソフト研究会」を立ち上げて、ブロードバンドの整備(インターネットはまだなかった)、通信・放送の融合、デジタル・コンテンツの生産促進(コンテンツという言葉もなかった)を展望したものです。
https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20070115/258617/
しかし郵政省も関係業界も、この議論を活かすことはしませんでした。
所管の「放送」にこだわり、コンテンツ政策もテレビ番組に集中しました。
通信・放送融合はノーで、業界は守りを固めました。
デジタルやネットのコンテンツは政策の枠外としたわけです。
その後枠外のコンテンツは3兆円の広告市場を生み、テレビを含む4媒体を上回る主役となりました。
政府を離れたぼくはNPO「CANVAS」を作り、デジタル創作ワークショップを展開するなど、「みんなで作るコンテンツ」を自分の仕事にしました。
それらコンテンツを流通させる「コンテンツ流通市場」の形成にも動きました。
が、このあたりは政策として汲み上げられてはいません。
さて、そこで冒頭の沼田さんの指摘に返ります。
日本はクリエイト軽視で流通優先だと。言葉を換えると、コンテンツ政策が弱く、メディア政策が目立つということでしょう。
そのきらいはあります。経産省・文化庁を軸とするコンテンツ政策と、総務省が強いメディア政策の連携やバランスが重要になっています。
文化省とまではいかなくとも、コンテンツ政策とメディア政策の連携により、産業文化力を強化する。
この方向は間違えないでいただきたい。