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2024年5月28日火曜日

日本版KOCCA とは?

■ 日本版KOCCA とは?

「セクシー田中さん」の件を踏まえた日経記事。

国の会議でもご一緒するテレパック沼田さんが指摘する。

「日本はクリエーター軽視 流通優先」。そして

「韓国コンテンツ振興院KOCCAのような機関が必要」。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78365480Z00C24A2BC8000/

 

このところ知財本部のコンテンツ会議では「日本版KOCCA」必要論が多くの委員から発せられています。

経団連が20234月に発した提言「Entertainment Contents ∞ 2023」でも「政府は一元的な司令塔機能を設置すべき」として、KOCCAを例示しています。これが待望論のきっかけになったかと。

https://www.keidanren.or.jp/policy/2023/027_honbun.html

 

日本スポーツ政策会議などにおけるeスポーツを巡る議論でも日本版KOCCAの必要性が論じられています。

2023年杭州でのアジア大会で、メダルゼロに終わった日本と対称的に好成績を残した韓国が、KOCCAを軸に国ぐるみで支援していたことがスポーツ関係者にも響いた模様です。

 

KOCCAは、ぼくのKMD時代の教え子である黄仙惠さんが日本代表に就いたこともあり、ポップ&テック都市を構築する民間団体としてぼくが代表を務めるCiP協議会の参考にもしてきました。


Content Korea Lab訪問記」

https://ichiyanakamura.blogspot.com/2015/03/content-korea-lab.html


「拡張するコンテンツコリアラボに刺激を受けました。」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2015/12/blog-post_17.html


「韓国のコンテンツ・インキュベーション」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2017/03/blog-post.html

 

2017年4月にはソウルにてKOCCAトップの姜晩錫さんとCiP協議会との協定締結式を行いました。

両国のコンテンツ振興を共同で進めることとしたものです。

先方は政府であり、当方は民間団体。にもかかわらず協定を結んでくる韓国政府の本気度を感じました。

日本政府には何も響きませんでしたがw

 

コンテンツ政策には民間主導・産業政策のアメリカ型、国家主導・文化政策のフランス型、国家主導・産業政策の韓国型があります。

日本はこれらと別軸で、民間主導・文化政策の道を歩むべき。

これがわが博士論文「日本型コンテンツ政策の構築」の趣旨でした。

 

そしてそれを担う組織として、ぼくが日本に作るべしと主張してきたのは「文化省」です。

省庁再編を期に政府を出たぼくが次なる省庁再編に向けて提案し続けたものです。


「文化省をつくろう!」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2009/10/1_25.html

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2009/10/2_27.html

 

2018年、経団連は「情報経済社会省」を主張しました。

内容はぼくの「文化省」とほぼ同じです。

ぼくは著作権は主張していませんが、ネーミングセンスはぼくが勝る。

7文字の役所は二流じゃありませんか。

https://www.sankei.com/article/20180514-OPKBJY3QKJKL7HMACMPIW3XRP4/

 

ただ、省庁再編から25年たって、この構想は現実解ではないと思い至りました。

文化・デジタルの最小公倍数としての文化省ではなく、最大公約数としてのデジタル庁が先にできて、一段落したこともあり。

クールジャパン政策においても民間エージェンシーの中核組織を作ろうという声を上げてきたものの、それさえ政策テーマ化されませんし。

 

であれば、強いエンジンである経済産業省に、知財本部や文化庁、総務省に外務省のコンテンツ施策を寄せていく方式のほうが国家機能を発揮できそうです。

なお、文化庁には著作権や文化支援というコア行政があり、コンテンツ政策上重要なポジションを維持できるでしょう。

この点、気になるのは我が古巣、総務省の存在感です。

 

郵政省の官僚時代、ぼくはコンテンツ政策を旗揚げしました。

1993年「メディア・ソフト研究会」を立ち上げて、ブロードバンドの整備(インターネットはまだなかった)、通信・放送の融合、デジタル・コンテンツの生産促進(コンテンツという言葉もなかった)を展望したものです。

https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20070115/258617/

 

しかし郵政省も関係業界も、この議論を活かすことはしませんでした。

所管の「放送」にこだわり、コンテンツ政策もテレビ番組に集中しました。

通信・放送融合はノーで、業界は守りを固めました。

デジタルやネットのコンテンツは政策の枠外としたわけです。

その後枠外のコンテンツは3兆円の広告市場を生み、テレビを含む4媒体を上回る主役となりました。

 

政府を離れたぼくはNPOCANVAS」を作り、デジタル創作ワークショップを展開するなど、「みんなで作るコンテンツ」を自分の仕事にしました。

それらコンテンツを流通させる「コンテンツ流通市場」の形成にも動きました。

が、このあたりは政策として汲み上げられてはいません。

 

さて、そこで冒頭の沼田さんの指摘に返ります。

日本はクリエイト軽視で流通優先だと。言葉を換えると、コンテンツ政策が弱く、メディア政策が目立つということでしょう。

そのきらいはあります。経産省・文化庁を軸とするコンテンツ政策と、総務省が強いメディア政策の連携やバランスが重要になっています。

文化省とまではいかなくとも、コンテンツ政策とメディア政策の連携により、産業文化力を強化する。

この方向は間違えないでいただきたい。

 

2024年5月25日土曜日

クールジャパン:縄文

 ■クールジャパン:縄文




NHKクールジャパン「縄文」の巻。


大英博物館で「The Power of Dogu」展が開催されたり、オークションで土偶がおよそ2億円で落札されたりして、世界が縄文に注目するようになって、日本でも縄文ブームが起きたという、外来のクールジャパン。

土偶や土器というデザインだけではなくて、1万年も争いの少ない時代が続いたという、超古くて新しい価値が見直されている。

ニッポンの古代、SDGsやコロナ後の社会へのヒントがあるのでは。


「狩猟・定住」

狩猟社会なのに定住というのは、世界的にも珍しい文明。

そして他の国や他の時代と比べても、暴力の死亡率が極めて低かった時代という研究もあります。

農業が本格化する弥生時代の前、土地や水を巡る争いが起きる前の、平和な1万年。

自然と共生していたサステナブルな時代だった。

SDGsが目指すのはこういう社会なのかもしれません。


「デザイン」

ヨーロッパのルネサンスは、古代のギリシャやローマの文化や芸術を復興する試みでした。

それは14世紀のペストの後に、教会の権威が落ちて起こってきたもの。

コロナの後に、どんな文化が起きてくるだろう、と考えると、案外、縄文の文化も再評価されることになるかもしれません。


「縄文大工」

人類の歴史は「道具」を手にした時から始まった、とも言われるが、縄文大工・雨宮さんはその道具を通して現代から縄文まで遡って行った。

ロボットと人工知能が急激に進化して、人の能力を超えて、道具が人の仕事を奪う可能性も見え始めた。

そのタイミングで、原始的な道具を使って人や暮らしを見つめるというのは大事な意味を持っています。

2024年5月21日火曜日

10年前のデジタル教育反対論を振り返って

■10年前のデジタル教育反対論を振り返って

 

デジタル教育が定着します。GIGAスクールでPC1人1台、デジタル教科書も導入となり、学校のウケはよく、増強が求められ 子どもたちも当たり前に使っています。課題はあるけど、順調、世界的にみても成功でしょう。


でも10年前は、反対派からボコボコにされていました。反対の大半は「悪口」なので無視できたけど、反対「論」には反論していました。1人で反論していました。できるだけ冷静に反論していました。


あまりに反対論が多いので、整理して10の公開質問を投げたら、よけい火を吹いて、毎晩ツイートしていました。ちょいちょいまとめて、ブログにもしました。

 

「デジタル教育反対派への10の質問」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/03/10.html


「デジタル教科書反対! その1」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post.html


「デジタル教科書反対! その2」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post_18.html


「デジタル教科書反対!への質問」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post_21.html


「デジタル教科書にサンセイのハンタイなのだ」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2013/09/blog-post_22.html

 

ご覧のとおり、反対派は、頭が悪い。それはいい。当時、腹が立ったのは、反対するくせに本気じゃないことです。最後のブログの最後に、「「反対するポーズ派」は、55年体制がいつまでも続くのを望んで体制を維持した昔の社会党のようなもので、ぼくからみれば「形を変えた賛成派」であります。」としたが、本気なら本気で潰せよ、安全地帯で四の五の言って、それが足を引っ張ってるのが鬱陶しかった。


当時ぼくは、10年たったら振り返り、反対派に敗戦コメントを求めてやろうと目論んでいました。絶対勝つので。だいたい中途半端な人は、自分が主張したことを忘れているはずで、当時の反対論をどう振り返るのかを聞いてやりたかった。取り分け、学者や研究者や教育者や学校関係者や政治家など、責任ある立場の人たちには、足を引っ張った責任を問いたかった。


それから当方も時間がかかりました。学校教育法が改正され、教育情報化推進法が制定され、デジタル教科書の制度化とプログラミングの必修化が行われ、コロナが来てGIGAが実現するまで7年かかりました。


で、自分も年取って忘れてたのですが、10年たってました。当時の反対派はほぼ黙ってます。逆に、当時「慎重な研究を」とか「時期尚早」とか「なぜ1人1台にこだわる」とか言ってた研究者で、さも自分がデジタルを担っているように振る舞ってるひともいます。終戦直前に連合国に寝返って多幸感に浸るイタリア人のようです。

みなさん、いまどうお考えですか。当時の主張は間違っていませんでしたか。ツイッターのアカウントは全部残してるので個別に聞いてもいいのですが。

 


なぜ今こだわっているのか。繰り返されるからです。


社会運動たるもの、推進にしろ反対にしろ、いずれも社会正義で、正しいと考えて運動するのです。運動自体はたいていの場合、清らかで、いずれの立場も尊重されます。悪口を除いて。


デジタルの分野だけを見ても、その後も、海賊版対策にしろ、マイナンバーにしろ、ライドシェアにしろ、AI規制にしろ、何にしろ、賛否両論あります。


で、幸いなことにこの国は、たいていの場合、行政需要に沿って、民主的な手続きで、政策決定されます。


ところが、民主的なものだから時間がかかり、その積み重ねで、デジタル敗戦です。そしてその遅れをもたらして負けた側が責任を負わない安全な国であります。


いや、安全すぎやしませんか?ちょっとは発言の責任を取ろうよ。

と思う10年後なのです。

2024年5月18日土曜日

学長くんガチョーン. 小耀さん

 ■学長くんガチョーン. 小耀さん





iU超客員教授、小耀さん。祇園甲部の芸妓です。

https://bit.ly/3WSTZGg


◆京都は新しいモノ・コトを生み出す

京都の人は新しいものが好き。祇園祭でペルシャ絨毯を飾るなど、その当時の最新のものを手に入れたい。新しいものを取り入れて、それを大事にする。今までにあるもの大事にすることと新しいものを取り入れることのせめぎ合いが京都の切磋琢磨に繋がっている。


◆京都は新しいヒトを生み出す

若い人は文化の大事さもわかるが、堅苦しい・古いとおもい、新しいものを探し外へ出る。様々なものを吸収し、先代から言われていることが正しいと気がつく。新しいものを知り、古いものを理解することで京都が続いていることがわかる。これが代々続く。若い人を否定せず、若い人たちがどう考えて動くかをみる心の広さはあるが、言わない。


◆映画やゲーム。パンクロックなどやんちゃで新しいものが生まれるのはなぜか

古いものがあるからレバレッジがきくのでは。反動でそういうところへ刺激を求めたり。古いものがあれば、その分新しいものへも興味が湧く。バランスが取れている。

京都は閉鎖的と言われているが、元々都なので様々な人が様々な場所から集まり、戦をして京都をずっと燃やしていた。燃やしてつくる繰り返し。新陳代謝がいい。


◆学ぶこと

父との約束で高校へ一学期だけ行って、16歳で祇園へ。八坂女紅場学園という芸事を学ぶところと置屋さんが教育してもらえる場所。今までの環境と考え方が全く違った。わからないことがあれば、自分で動かず、聞きなさいと言われた。祇園の明確なルールから外れてはいけない。先人をまねぶ。わからなかったら聞きなさい・まねびなさいの期間は一生。


◆学校づくり

「人にやさしく・強くある・美しくあること」を三本柱にした学校・教室を作りたい。芸妓だから伝えることのできるコミュニケーション・作法・会話術・知識などを学べる場所。祇園での後輩の育成にも。これからは調和。



★後記

祇園のパンクな芸者さんが学校を作りたいという。世界のどこにも真似のできない学校ができるでしょう。祇園に通う京都の旦那衆も協力しとくれやす。iUもお役に立ちたいです。

2024年5月14日火曜日

台湾と半導体と大学と。

■台湾と半導体と大学と。

総統選挙が済んでにぎやかな台北。

ASUアリゾナ州立大学Thunderbird校が開く台湾の産業界や学生向けセミナーに参加しました。

台湾の参加者たち、グローバル戦略の議論に鼻息が荒い。  

TSMC本社のかたがたも参加しています。

 

TSMCASUの本拠、アリゾナ州フェニックスに工場を建設するのだが、技術者不足でスタートは来年になるという。

米大統領選挙の雲行きも案じられ、米中ー米台関係はどうなる、アメリカは気が気でない。

ところが後から来た熊本が先に工場を開く。ソニーやトヨタも出資し、第二工場も決定したという。

ユーザが資金を出し、政府・自治体と組んで半導体を確保する。

日本は半導体の生産政策に失敗してきたが、利用政策にスイッチするのか。

日米台ともに面白い局面です。

 



ThunderbirdiUは連携し、大学院プログラムを提供する準備を進めています。

Thunderbirdが日本で展開したいのは、エンタメのMBA

日本の強みであるコンテンツやポップカルチャーなどのジャンルで、グローバル展開を担うマネジメント層を育成するものです。

iUはこの分野で数多くの有力企業と連携しているので、ハブとして機能したい所存。

 

 ブログ

 「アリゾナ州立大学、初見参。」

 https://ichiyanakamura.blogspot.com/2024/01/blog-post_30.html…

 

さて、台湾もうひと仕事。  

明新科技大学@新竹市。

昨年、iUと提携してからというもの、しょっちゅうメディアで拝見する大学です。

世界で初めて半導体学部を作った意義が認識されつつあります。

 ブログ 

 「台湾、6年ぶり。」

 http://ichiyanakamura.blogspot.com/2023/09/blog-post_19.html

 



今回は、大学内に4フロアにわたって設置した半導体製造ラインを見学。

設備費25億円は企業や国が多くを拠出しているとか。

地元の世界的半導体メーカーへの即戦力・即高給取りの人材製造ラインでもあります。

iUと交換留学の仕組みを作ろうとのお誘いをいただきました。

魅力的だなぁ。日本から台湾に人材を送り込む算段を致しますか。

半導体を軸に、米・台の大学を結ぶハブになれれば幸い。

 



おしごとおしまい。  

高雄に足を伸ばします。

ウォーターフロントをアートで再開発しています。

 


でもぼくはこういうもともとの雑然とした町並みの風情のほうがアートを感じちゃうので困ったものです。

 


九份に足を伸ばします。  

韓国の旅行客ばかりでした。

でもぼくはこういう日本のものらしきものと、エリンギ屋や臓物屋でごちゃごちゃしているのにほっこりしちゃうので困ったものです。