はてなキーワード: 非科学とは
信仰心がない人間には気休め、非科学的どころか、狂信者、カルトに思われるかもしれないけど、
みんな想像力が足りないんだろうけど、砂漠とか何もない土地で羊飼いが…、って呑気な生活なわけないじゃん…😟
子供向けの絵本とか、まあ大人に対しての説明でも呑気な描写がされてたりすることが多いけど、
どう考えたって、大昔の人は死と隣り合わせの生活だったわけだ…😟
それはキリスト教だけじゃなくて、仏教とか、他の太古からある宗教はみんな同じ…😟
死が身近にある環境で、死をどう捉えるか、どう考えるか、が宗教の中には今もある…😟
ところが、今の時代は死が普段の生活から遠ざかってしまってる、
室町時代みたいに、その辺の道端に死体が転がってるわけでもない、
亡くなった人間だって、奇麗に死に化粧、エンバーミングされて、火葬されれば骨と灰になってる、
ゾンビで死体は歩いてるけど、あれはフィクションであって、実際の腐敗とは異なっていたりする…😟
今死ぬかも、明日生きてないかも、という環境下で、いわゆる神、神仏は機能するのだと思う…😟
増田さんの返答を読んで、私はこう理解しました。合っていますか?
1.私が提示した「制度記述(A)と政策含意(B)を切り分ける」という整理に対して、増田さんは違和感がある。
MMTの制度記述は価値中立な説明ではなく「国家という主体をどう定義するか」という前提そのもので、JGのような政策含意は任意の応用ではなく制度定義から論理的に導かれる帰結だ、という立場。
2.ただしそれは「JGを導入すれば常に成功する」「設計や条件を問わない」という主張ではなく、JGがどの設計でどの程度機能するか(賃金構造・インフレ制御・労働移動・行政能力など)は、歴史事例や制度比較、段階的導入によって検証・改善されるべきだ、という立場。
3.さらに、主流派が置いている「政府=家計型の制約主体」「失業=均衡調整」という制度前提そのものが現実の貨幣制度と整合していない、というのがMMTの問題提起であり、主流派モデルに翻訳したうえで「同じ形式の事前予測が出ないから非科学」と評価するのは、制度定義の対立を方法論の問題にすり替えているように見える、という主張。
――ここまでが私の理解です。
という整理になりますよね。
ただ、私が気にしているのは「検証は必要」と言いつつ、どんな観測事実が出たらMMT側の主張(少なくともJGを名目アンカーとする制度構造の優位)が誤りだと認めるのかという“負け条件”が固定されない場合です。
もし、制度記述から導かれる政策含意(JG・ゼロ金利固定・国債制度再設計など)まで含めて反証不能だと言うなら、それは科学というより規範(思想)の主張になると思うのですが、その整理で良いですか?
フリードマンの理論に忠実に日本経済を眺めれば、この結論は感情論でも陰謀論でもなく、単なる算術の帰結にすぎない。
貨幣は実体経済の上に外生的に価値を持つのではなく、供給量と需要、そして期待によって価値が決まるという貨幣数量説を出発点に置けば、インフレは常に貨幣的現象であり、財政赤字の規模や美辞麗句でごまかせる問題ではない。
日本は長年、国債発行で歳出を賄い、それを中央銀行が事実上吸収することで低金利と安定を演出してきたが、これは構造的には借金で借金を返すロールオーバーを続けているだけで、健全化ではなく時間稼ぎの自己放尿にすぎない。
合理的期待を持つ経済主体は、いずれ貨幣供給の増加が物価に転嫁されることを織り込み始める。
その瞬間、賃金交渉、価格設定、資産配分が同時に動き、インフレ期待が自己実現的に加速する。
政府は成長戦略を語り、日銀は出口論を先送りし、評論家は「日本は特別だ」と唱えるが、それらはすべて観測不能な奇跡に賭ける態度であり、フリードマン流に言えば政策当局自身の自己放尿である。
財政規律を失った国家が、インフレ税という見えない形で国民から徴収し、実質債務を薄めようとするなら、そのコストは通貨価値の毀損として社会全体にばらまかれる。
結果として起きるのは、財政放漫と金融緩和のダブル放尿であり、片方だけを批判してもう片方を免罪する態度こそが最も非科学的だ。
市場は期待で動き、期待は一度アンカーを失えば、理屈通りに暴走する。
日本経済が今立っているのは、奇跡を信じて延命するか、痛みを伴う調整で信認を守るかの分岐点であり、どちらを選んでも魔法はない。
自分は最近の選挙では立憲民主党に投票しているが、理想の党として熱烈に支持しているわけではなく、色々な欠点に目をつぶり鼻をつまんで我慢しながら「悪い中でも一番マシな選択」として投票している程度だ。
その立憲の大きな欠点の一つが非科学的な理由でワクチンに反対する反ワク議員・候補者の許容だ。
反ワク議員・候補者は立憲以外の党も抱えているが、なぜか公明党だけは奇跡的にほぼおらず、むしろ党としてHPV(子宮頸がん)ワクチンのアピールなど積極的に行っている。
宗教への信心で支持者を固めているので、さらに頭のおかしい陰謀論に引っ掛かる支持者を釣る必要が無いからだろうか。
そんな「ワクチン推し」の公明党が合流するとなれば立憲の反ワク議員・候補は反発するだろう。
大いに反発して喧嘩してくれ。
A. ゼロ金利制約に非伝統的金融政策で対応しようとした、という点でアベノミクス(クルーグマン流に言えばクロダノミクス)は海外の主流派経済学の知見に沿ったものだった。その前から日銀は非伝統的金融政策を進めていたが、半身で進めている面が目に付き、本腰を入れたのがアベノミクス以降、と言える。その点について例えばDell'Ariccia et al.(2018)(H/T 伊津野英克氏ツイート)では
the unconventional monetary policy measures adopted by the Bank of Japan between 2010 and 2012 had a muted impact on inflation probably because the central bank’s commitment to deliver sustained inflation was undermined by decades of mild deflation. Stronger effects were associated with the unconventional monetary policy measures adopted in 2013 when Prime Minister Abe provided political backing for the Bank of Japan to provide aggressive monetary stimulus.
(伊津野英克氏訳)
日本銀行が2010年から2012年にかけて採用した非伝統的金融政策手段は、インフレ率へのインパクトが弱かった。おそらく、持続的なインフレを実現するという中央銀行のコミットメントが、数十年にわたる穏やかなデフレによって損なわれていたからであろう。2013年に採用された非伝統的金融政策は、安倍首相が日銀に積極的な金融刺激策を提供するよう政治的支援を提供したため、より強い効果をもたらした。
と述べている*9。喩えるなら、ねじを外そうとしたが本腰を入れて取り組まなかったので何度も失敗し、ねじ山を擦り潰してしまって、その後の試みがやりにくくなった格好である*10。
なお、クルーグマンは流動性の罠を根絶したはずの疫病に喩えていた*11。その疫病に対処するためにクルーグマンが提唱したのがリフレ政策で、いわば疫病に対して経済学者が処方したワクチンに相当し、実際にそれを本格的に適用したのがアベノミクスということになる。そうした政策に対して賛否両論あるのは自然なことだが、本物のワクチンに反対するいわゆる「反ワク」と同様、非科学的な批判も散見される。コロナウイルスに対応するmRNAワクチンについては長期的な影響を過大評価している批判が良く見られるが、現在の円安やインフレをすべてアベノミクスのせいとする批判もそれに類似している*12。インフレについてはウクライナ戦争やコロナ禍、円安についてはそれらの要因に加えて上述のような日本経済のより幅広い構造に起因する面も大きいと考えられるが、アベノミクスにひたすら責めを負わせる人はその点を無視してるように思われる*13。
逆に言えば、(政府はまだ宣言していないが)最終的なデフレ脱却はアベノミクスだけでは十分ではなく*14、コロナ禍とウクライナ戦争によるインフレを要したということであり、それだけ流動性の罠の脱出は大変、ということを今回の経験は指し示しているように思われる。その点は、米国において大恐慌の影響を払拭するのがニューディールでは不十分で、第二次世界大戦を要した、という議論*15と同様と言える。