はてなキーワード: 和式とは
老人が使うかと言うと、足腰弱ってる老人にこそ厳しい。
母が言うには、和式の頃は外出先で赤ちゃんをおぶってふんばる地獄だったそうで、道路も整備されてないし乳母車はおしにくいし、物理的に無理なので皆さん家に赤ちゃん1人残して買い物していたそうだ。
Xでなるとか言うクソ男が女子便器は全部和式にしたら並ばないとか言ってるツイートに和式の写真がついて流れてきたが、和式時代の方が長蛇の列だったわボケ。
立ちションしろとか女にネチョネチョセクハラ絡みしてるキモいXの男達本当に気持ち悪いな。
てゆーか便座のコンセント抜いて充電とか発想すら無かったけど、個室でそれやってると言ってる男達って個室で充電やってんの?
んで、そうして長時間頑張らないとうんこ出ないタイプも割といるんじゃないのかな。
夫もトイレを長時間占有する時間があるので困っている。占有したい時は先に声をかけてくれ~とお願いしている。
まあでもデキストリンやイヌリンをはじめたらかなり改善はされた。
顔真っ赤にして涙出るまで踏ん張らないと出ない人も多い。
でも女は多分、外出先でうんこする率は低いんじゃないかなあ、おそらく。男よりは。
ソースもないので私がそう思うだけですけど。
男もバラムツを食べてナプキンをつけて冬に重ね着して外出し、トイレのタイムを計ってみてほしい。
尻から油が出てくる肥満治療薬のやつでもいいや。二郎を食べてからね。
バラムツならお尻までガードできる夜用じゃないと不安だと思う。
さすがに夜用はでかいからズボンのシルエットにも出てしまうので、お尻まで隠せる上着を着る方が安心だ。
なので冬の方が試しやすいのではないだろうか。
まあでも12~50歳くらいの間ずっと28日周期で月に6日間は生理があるとして、生理中の女は雑に10~20%くらい?
その施設利用者の年齢層にもよるだろうけど。
私の体感的には、女子トイレで時間食ってるのはスマホポチポチ勢ではない。
自分の後ろにもめっちゃ並んでて、あの個室全然出てこねえな…とか思われる中でポチポチできる強メンタルはあんまりいないと思う。
脱ぎ着が大変そうな服の人はやっぱりちょっと時間かかっとると思う。
めちゃくちゃ重ね着とか矯正下着がピタピタとか、着物なんかは大変そう。
ワイドパンツ的なものはおろすと服が床につくから、マジックテープ的なもので留めたり、太ももくらいまで折ってから下げたりする。
これは結構手間取るよな。床が濡れてるとやっぱりちょっと…服がつくのは嫌だよね。
同じ理屈で髪が超ロングの人も髪をまとめたりすると思う。
それと子供連れはかなり時間かかってる。複数連れている人も多いしトイレはなかなかの戦場だ。
親が使用中に子供にドア開けられてギャー!とか、用を済ませて手洗いしてる時に「ままーやっぱりおしっこ」とか言われて絶望したり。
あとはお年寄り。単純に服の上げ下ろしで時間食うんだと思う。関節も痛いだろうから大変だね。
荷物を置く場所がない事も多い。ドア上部にひっかけたいが届かなかったりもするんだろう。
それと外国人。トイレの使用方法に戸惑ったり「流す」ボタンがわからなくてオロオロしている人が結構多いのではないだろうか。
外国人や近所のヤバい人対策でテプラや注意書きだらけのトイレも多い。読むものが多いと時間かかる人が増えそう。
高速道路のSA、大型の道の駅、イオンなんかの大型モールは並ぶ時間も少ないし数も多いし
このへんに並んで、全部の扉が見渡せて空いたらすぐわかって、トイレ使って手を洗っての導線がわかりやすかったりで大変ありがたい。
掃除用具入れが奥にあるとみんな一度は確認に行ってしまうので、行列の先頭から見える場所に大きく書くか、手前に配置してくれると嬉しい。
同じく和式・洋式もわかりやすくしてほしい。子供連れ・お年寄り・着ている服で和式は難しい事があるから。
和式なら空いてますよ~という善意の声掛けしてくれる人は神だ。
列の後ろでもわかるようになってたり、和式ファストパス列なんてあると嬉しいけどこれは難しいな。
市街地にある若者向けのファッションビルとかは待つことが多い。駅とか、地下街とかも。
地価が高いからできるだけトイレなんかに手間もコストもかけたくないんやろな、と思っている。
そういや学校も並んだなー、休み時間に集中してみんな行くから仕方がないのかな。
これはもうちょっとどうにかなるといいな。
まあそんな感じの事をいろいろ思いました。
俺は増田。旧統一教会の祝福2世だった男だ。大学入学を期に実家を離れて世間を知り、やっぱなんか違うなと思って教会を離れた。両親は信仰があり、絡むといちいち面倒なのでLINEでのやり取りするぐらいで、疎遠にしていた。結婚して地方都市に住んでいる妹も教会を離れているが、用もないのに連絡をする仲ではない。不仲と言うほどでもないが、一般的に兄妹ってそんなもんだと思う。
少し前に父が亡くなったので、何年かぶりに帰省した。持病があるのに医者と喧嘩して病院に行くのをやめていたので当然の結果だった。死に際は人に迷惑をかけるような状況じゃなかったのが救いだった。
この記事を読んでいる人の中で、ひょっとすると統一教会の葬式に出る人がいるかも知れない?ので、思い出がてら書いておく。
まず、服装がおかしい。男は黒スーツに白ネクタイ、女は白っぽいジャケットとスカートを着る。式場は教会の人ばかりだったのであまり気にならなかったが、火葬場で浮きまくって居心地が悪かった。
そして、葬式(統一教会では「聖和式」と言う)は肉体という殻を脱ぎ捨て霊界への新しい出発をするお祝いというていになっていて、万歳三唱がある。世間一般とかけ離れたことばかりする集団にも顔色ひとつ変えず親切に対応してくれた式場の人にはプロ意識の高さを感じた。
その他、家庭盟誓(やばい会社の社訓みたいな奴の統一教会バージョンだと思ってほしい。8番まであって長い)を唱えたり、聖歌(教会の歌。何かと歌う)を歌ったりした。毎週の礼拝ってこんな感じだった。
もう何年も教会に行っていないので結構忘れていたが、やっていたらなんとなく体が覚えていて、嫌なノスタルジーを感じた。
妹は式の間ずっと口をつぐんでいた。
親族は感染症を理由にほとんど参加しなかったが、教会の人が足を運んでくれてそれなりに人が集まった。自分や妹の顔を見ると皆にこやかに「久しぶりだね〜」と言った。
教会の人って基本的に親切で優しくて、家の隣に住んでいても良き隣人であるような人が多いのだが、時々地雷がある。
父も反ワクチン・反マスクだったが、他にもいそうな雰囲気だった。ある人に「増田くんもワクチン打ってしまったんでしょう…?」と言われた。(そう言った彼の職業は中学校の教師だったと記憶している)やっぱりカルトと陰謀論は親和性が高い。
また別の人に「お父さんは増田君の気持ちわかってたと思うよ…」っと慰めるように言われて何の話?となったりした。俺は「憎まれっ子世に憚る如く長生きするかと予想していたが、案外ポックリ逝ってくれて助かった」と言うのが本音だった。言える訳がないので「はぁ……そうですか……」曖昧に相槌を打った。
親切でちぐはぐで、柔らかくてグロテスク。言いようのない不快感があった。
父方の親戚で、一人の老紳士が通夜葬式の両日参列してくれた。もちろん、両親が教徒だと言うことは知っている。通夜の日、黒いネクタイを締めてきた彼は「明日は白いネクタイで来るね」と言った。色々思うところはあるだろうに、嫌な顔ひとつしなかった。なんて人間のできた人なんだと思った。こんな人を意味の分からない儀式に付き合わせて申し訳ないと思った。
市内に住んでいる父のきょうだいは出席しなかった。
後から聞いた話だが、葬式の時点で妹は妊娠していたらしい。「夫も子供も教会に関わらせたくない。必要ならできる限り経済的な支援はするが、それ以上は期待しないでほしい」と言われた。それでいいと思った。
教会には「氏族メシヤ」という考え方がある。教徒の親族に布教して家庭内の救世主になろう、という囲い込み戦略だ。しかし、実際は葬式に兄弟は来ず、子供達すら離れている。
小学生の時、夏に暑くて「先生、暑いです」って言ったら「みんな暑いんだから我慢しなさい!」って言われた。教室に冷房は付いてるし、よくネタにされるけど職員室は涼しくて、なんで教室はダメだったんだろう。クラクラするくらい暑かった。
それから水道の水は冬に冷たすぎて手が痛かった。ショッピングモールのトイレは温水だったから、大人っていいなあと思っていた。授業参観で来た親が水道で手を洗って悲鳴を上げて、「いつもこんなんで手洗ってんの」と驚いていた。
トイレはタイル張りで、和式ばかりだった。1階のトイレには1室だけ洋式があって、なるべくそこに行くようにしていた。学校の教えではなるべく和式を使うようにと言われていたけど、トイレ掃除の時の和式の汚れ方にはゲンナリしていたので、全室洋式にしてほしいと思っていた。
中高は私立に進学したので綺麗だった。
国立大学に進学した時、そこの講堂もかなり年季が入っていて昔を思い出したものの、空調設備もトイレも水道も大人基準になっていたので特に困ることはなかった。投票権という言葉が脳裏によぎった。
世の中が大きく変化していく中で、小学校だけは何十年も前のままだ。生活の中に嫌な思い出がたくさんあって、もし記憶を引き継いだままあの頃に戻って人生をやり直せるとしても戻りたくない。学区を選べば最新式の綺麗な校舎の小学校に通わせられるだろう。しかしそもそもそういうガチャ要素が国や自治体の施策で用意されているのが気に入らない。親が工夫すれば解決するということは、親が無頓着な限り子どもは苦しむのだ。かといって、調べればクリアできる課題を一つ一つ潰していくなんて面倒くさい。
子どもを持たない理由が一つ増えてしまった。その他にも性犯罪教師の存在や、PTAのめんどくささ、旗振り当番のめんどくささ、オムツの値段、食費のこと、保育園のこと、時短勤務のことなど考えることは山積みで、もうどうしようもない。どうでもいい。犬や猫でも飼って心穏やかに暮らしたい。
今年も一年が終わろうとしている。
今年もまた、脅迫や脅迫まがいのことを生業として過ごしてきた。ただし相手は間違えていない。
つまりどういうことかというと、社会的正義のための脅迫や脅迫まがいのために飼われている立場である、ということである。
だからガッツリ脅迫をしてもし相手が被害届を出したとしたら、相手はこちらサイドが洗いざらい警察に告発するとやましいことがめくれるため、それをされることは無い。
はずだった。今年も一年、無事に終わろうとしていた先月のことだ。ちょうど一ヶ月前になる。
前日が華金であったため立ち飲み屋に何軒か寄り、終電で帰宅していた翌朝だ。
眠りに落ちたのは午前2時頃であっただろうか。不眠なのでいつも通り眠剤も入れた。
そういうわけで10時になってもまだ深い眠りの中に居たところを、ケーサツ達にゾロゾロ入ってこられて寝込みを襲われた。
治安もいいし盗まれるものもないからだ、強いて言えばPS5、レア物のスニーカー、某アパレルブランドの洋服などは総取りされれば30万円程度の被害額にはなるかもしれない。
(盗んで売った者は10万円程度は手にするだろう)
それで難なくケーサツ達は俺の部屋に入ってこれたわけだ。まあそれでいい。鍵が開かないからと大家さんに連絡されれれば警察沙汰がバレる。バレずにいたいからな。
まどろみの中、メガネもないままおぼろげに確認すると8人もケーサツが乗り込んできている。しかも10時に。「ケーサツでーす、ケーサツでーす、起きてー」などと声を発しながら。
ふつうこういう時は近所への配慮から早朝ピンポンでこっそり連れていかれるものじゃないのか?それをこんな時間にゾロゾロと。配慮など無いようだ。
逮捕令状、ガサ状、押収令状の三枚の紙を見せられ、ぼうっと寝ぼけているとガサがさっそく始まった。
本棚やタンスの引き出しなどを漁られ、「本と服が好きなんだねえ」と言われたぐらいであとは机の上のサバイバルナイフをチェックされた。
これは何をは言わないが、何かの時に使用するために持っているもので、刀身は長いが切れ味は悪い。ま、そういうことだ。
ナイフについては「こういうものを持っていてはいけない」とだけ言われて押収はされなかった。どうやら押収令状に書いてあるもの以外は押収できないらしい。
令状には「スマホ」「パソコン」と書いてあり、素直にスマホとノートパソコンを差し出した。パスワードを聞かれたのでそれも素直に吐いた。どうせ即開けられるからな。
ちなみに、俺はAndroidだがiPhoneのパスワードはケーサツでもロック解除は困難という話だ。
どうしても見られたくなかったらパスワードを黙っていることも可能だろうが、それが取り調べにプラスに働くかマイナスに働くかは分からない。
基本的には素直に吐いたほうがいいだろう。容疑の唯一の証拠たりえるものがiPhoneの中である、というならワンチャン賭けるのもありかもしれない。
逮捕状がすでに出ているので手錠はされてもしかたなかったのかもしれないが、近所の目も気にしてくれたのか、そのまま連行されハイエースというのか、ケーサツがよく使う大きな車に押し込められた。俺などという小物、この小さな事件でケーサツが8人も来ているのはよっぽどおおげさだな、2台も車で来てよ、と思った。
署へ向かうことになった。
正直あちこちへ脅迫まがいや脅迫をしていたので、どこでだれが被害届を出していて、どこの署に連れていかれるのかわからなかった。
数十分ほどの距離を走り、署へ到着。東か。あいつかよ。この一年まるまるかけてお互いのサイドが弁護士までつけてやりあってきた宿敵だ。
やつの不法行為ももちろん許せなかったが、俺の中に燃えている社会的正義という炎がやつを許さなかった。
やつはそれなりに地元で悪い意味で有名な人物であったが、雲隠れをし連絡もとれないという状態で完全に逃げをうっていた。
依頼者としても手の出しようがなく、行政やケーサツに訴えても助けになってくれないからこちらに話が回ってきたというわけだ。
結論から言えばネットを介した仄めかしレベルの文面が脅迫の容疑ということで、それが半年前に出ていた被害届でやっと逮捕にきたということのようだった。
こちらとしては仕事としてやっているので、証拠が残るネットを介してのものでもラインを超えないレベルのやり方というのも心得ている。はて、どうなるかなと思った。
だからこそ細心の注意を払っていたはずだが、と。思案。
前回は略式起訴で罰金10万円で済んだが、「繰り返し」「同じ罪状で」「危害性が高い」となると今回はどうなるか分からないな。
それはある業界の日本ナンバー2、この県でもトップで、隣接する業界の様々な肩書のある立派な人物からのチクリからであった。
その男は「この業界で悪事を働く者は許さない」と常々言っていた人物であったが、その人物にまんまとハメられ「ぼやき」をスクショされ宿敵に証拠として提供されそこから被害届が出たというわけだ。まぁ耳を疑ったね。後に検事にも聞かれたが、「そことそこが繋がっているとは思わなかったわけだよね?」と。「悪事をなす者とつながりませんと言っている者がつながっているとは思わないじゃないですか」ということで、俺は業界の偉いさんから目をつけられて留置所へ行くことになったわけだ。この腐った業界、根本から変えなくてはいけないなと今は思っている。「魚は頭から腐る。俺はウンザリしてるんだ。」
逮捕されたら通常どうなるか。まず48時間(最大72時間だが、まあ48だろう)の勾留が決定されていて、取り調べが行われる。俺の場合、3~4時間。
もっと複雑だったり容疑が多かったりすると最初の勾留も取り調べも長くなるだろう。俺の場合は事実確認とどういう意図でやったか、簡単にまとめられ取り調べ終わり。
細身の感じのいい刑事だったな。雑談も交えながらな。俺も素直に応じたしな。で、そこで前科前歴のことも聞かれる。素直にその時前回の脅迫の前科のことも話した。
俺はとことん正直だから「あると思いますがねえ」と言ったが、無いという。これは当然あとから出てくるわけだが。日本の警察の調査能力・捜査能力は世界一だから隠しても無駄であるからすべて話したほうがいいというのは留置所で話す被疑者仲間や弁護士先生とも共通の見解であるから、舐めないほうがいい。無能ケーサツ神奈川県警ならばどうにかなるかもしれないが。
前歴の二十歳の時にやった自転車どろぼうで微罪即日釈放の紙ペラが一枚出てきただけで、「これだけだよ」と言われたが。
まあこの時は「それが出てこないということは俺に有利だ。幸運だ。略式起訴で罰金払ってすぐ出られるだけだな」と思っていたが、当然あとで前科が出てきて、「起訴(裁判をするため拘置所へ行って1ヶ月~二ヶ月、檻の中に居なきゃいけなくなる)か略式か半々」という心理的にかなりしんどい気持ちで過ごすことになる。
ここら辺りで「家族に連絡を取るか」聞かれるが、これはそれぞれの事情によってそうしてもいいししなくてもいいと思う。
が、有罪になった場合はどっちみち身元引受人に家族・親族に来てもらわなくてはいけなくなるから、言ってもいいだろう。
ちなみに保釈金を200万円だか積めば出られる可能性もあるから、弁護士と家族と相談してその道をとってもいい。認められない場合が多いが。逃げられたら大変だし。
補足情報として保釈金協会とかいうビジネス団体もある。これは大体、10万~50万ぐらいで、その200万円を肩代わりしてくれるという団体だ。
いいビジネスもあるもんだ。俺のとこは6万円と、かなり良心的だったが辛くとも中に居ることを選択した。
前回もやったのだが、次は「鑑識」だ。
全体の写真を撮られ、正面、斜め、後ろ、顔(メガネ有り/無し)を撮られ、指紋掌紋、チョップのとこの紋を取られて、身長体重を測られて終わりだ。
その後いよいよ警察署に併設されている留置所への扉が開く。その時にはもう手錠をされていたと思う。手首の骨に当たる冷たい金属の感触はなかなかに人権的ダメージをくらうよ。
刑事が「また」と言うので、ああ、48時間勾留→検察での弁解録取→裁判所で勾留10日延長はほぼ確定だよな、と覚悟は出来ていた。48時間勾留で返される人は中には居るだろうが、誤認逮捕とかそういう人たちだろう、99.9%の人は警察がやれるマックス20日勾留延長をくらう。その後、再逮捕でさらに延長、一ヶ月以上留置所で調べを受ける被疑者も居る。
「弁護士」についてだが、まずは当番弁護士というのがその日のうちに来るだろう。わけもわからない状態なら色々聞いてみるといい。
時間は30分ぐらいで、と決まっているらしいが、それはあくまでも目安なので後ろに面会が詰まっているとか弁護士が忙しいとかじゃなければ1時間でも話してくれるだろう。
そして、+10日の勾留(最大20日の勾留が認められている)が認められたら、裁判所で国選弁護士か私選弁護士を選ぶこととなる。
国選弁護士は資力が50万円以下の場合、つまり貧乏人の場合タダで公費から雇える弁護士だ。半ば公務員のようにこの状態でなるため、もしこの弁護士の助言などによって思ったより刑が軽くなったからといってもお礼になにか渡してはならない。感謝の気持ちがあってもだめなものはだめなのである。
それよりお金があれば私選弁護士といって、各々が交渉して報酬を話し合って弁護士を決めることになる。が、裏技もあってそれ以上お金があったとしても国選ルートに無理やりズラすことも出来る。うまくやれ。弁護士はこれまでの経験からどれぐらいの刑罰になりそうか(起訴か略式起訴か不起訴か、釈放まである)とか、法律の知識とか、不安を和らげるとか、雑談相手になってくれる。俺などはずっと雑談をしていたが。その時にもらえるかどうか分からないがもしその時たまたまお金を持っていなくてノートも買えない(お金を持っているとお菓子とかノートとか、その程度のものは買える)ようなら、「弁護士からのアドバイス」という小冊子と「被疑者ノート」という取り調べの記録をしておくための冊子をもらっておこう。ヒマ潰しに絵でも書いていてもいいし、俺のように中であったことを文章にしてこのように残しておいてもいい。本来の使い方としては、取り調べに暴行や脅迫や威圧がなかったか、署名の捺印を強制されなかったか、容疑以外のことで聞かれなかったか(原則、容疑以外のことで、これやあれもやってるだろ吐け、というのはNGだ)とかを記録しておいて裁判の時に自分の身を守るためのものだ。
いよいよ「留置所」だ。
俺はチャックのある皮パンに、チャックのあるダウンジャケットを着ていたからそれが金属探知機に引っかかるからということで預かられ、というか持ち物身ぐるみすべて剥がされ取られるのだが(財布や免許証や靴から靴下まで)、ジャージと長袖とトレーナーに着替えさせられ、これも何百回されたか分からない「身体検査」という全身を触ってへんなものを持っていないかのチェックがなされる。足裏まできっちり金探されるよ。
では「留置所の中」についてだ。
どんな感じかというと、硬い畳が三枚敷かれていて奥に和式便所と扉があり、外を覗けるようになっている(金網越しだが)。
その広さは1人で居るには少し広いし、2人だと狭いといった程度だ。つまり留置者が増えて同室になることも想定されているということ。
この頃はまだなんということもなかったのだが、留置最後のほうになると忘れもしない12/3、留置所の警察官(看守)の若い兄ちゃんが昨日雪降ったんスよ。
というぐらい俺の居た期間というのは季節のちょうど移ろい時で、暖房は一応効いているのだが奥の金網の向こうは外と繋がっていてケーサツが時々通る通路になってる。
そのためそこから冷気が入っていて寒くてやれなかった。毛布か布団か何か出してくれないかと言っても駄目だ。耐えるしかない。
なんにもない、なんにもすることのない部屋で。時計もカレンダーも鏡もない(鏡は割られたら自殺自傷の恐れがあるから当然だろうが)。
そこでじっと過ごすことになる。大体の人がマックス20日と+最初の勾留48時間の20数日はそこで監禁されることが確定となるわけだ。
時計は留置室からひょいと覗けば時間は分かる。が、時間の進む遅さの苦痛に耐えられないため見ないほうがいいかもしれない。
今日が何月の何日か、というのも分からない。それは一日に30分だけ読ませてくれる新聞で確認するしかない。ちなみに新聞は産経新聞でかなり「右」だった。
俺は「左」の人間なので、反対側のイデオロギーから見た新聞の見解というものを見れたことはけっこう収穫であった。右の人たちの考えを知ることが出来たからだ。
時はちょうど台湾有事発言を高市がして、さてあれはどうなったかな、オールドメディアと呼ばれるものでは実際どう報じているのかな、と覗いてみた。
(ちなみにテレビにも一応イデオロギーはあるがあれはもうすべてがエンタメなのでメディアと呼べないと俺は思っている、うちにはテレビもないし知らないが)
記事自体はファクトであり何も偏りは感じない、ちゃんとしているじゃないか、と意外に思った。が、あの社説というのか、あの窓のところだけとんでもなく偏っていた。
小誌(産経)意外は高市発言を批判しているがうちはしていない、国民の支持率は高い、テレ朝のコメンテーターの発言に不満がある、とかなり寄って語られていたな。
それは日々のことでおもしろがって見ていたが、そのイデオロギーは時々記事にも漏れ出していて、特にコラムのような自由欄については櫻井よしこの大枠での起用や、へんなおっちゃんが関西弁での口語調で「中国とは断交したらええねん」レベルの発言をさせていたのは気になった。「右」の人にとっては気持ちの良いものだろう。私はまあ逆の立場だから、苦笑いするのみであったが。
ともかく、それでもそれは情報食いの俺にとって日々の確実な楽しみとなったし、今日が何月の何日で何曜日なのか・・・を知るためのたった1つの与えられたものだったので意義が大きかった。
ちなみに留置者に何か影響を与えそうな記事は白い厚紙で厳重に読めなくしてあり、恐らく犯罪関連のことは知らせてもらえないのだろう。中にいて一度も山上の記事などは見なかった。
ただ、ごく小さな記事で死刑を求刑されていた者が、発達障害ということで情状酌量して無期になった、という記事ぐらいは見ることが出来た。
基本的に障害があるからといって刑務所に入らなくていいなんてことはなくて、むしろ刑務所には障害者が一般世界より多い。
ただ、最近おもしろかったのは「哲学的ゾンビ殺人事件」で2人ぐらい殺した統合失調症が無罪になった、というWikipediaの記事を読んだことだ。
何回読んでも俺には理解出来なかったが、何やら哲学的ゾンビという概念があるらしく、それを人だと思わなかったから殺してしまったということで無罪?という話だった。
とはいえ、そういう人はこの先一生精神病院で暮らすことになるのだろうが。
まあ別に今何時か、とか、今日は何月の何日か、ぐらいは看守に聞けば教えてくれるのだが。
そして「官本」だな。言わなきゃもらえないこともあるらしいが、本のリストをくれる。そこから読みたい本を選んで伝えると本をくれる。
暇な読書家はそれを1番から順に読んで行って、今何番まで読んだ、と話す人もいた。
俺も特に十代の頃は孤独な読書青年であったから、興味を持ってリストを眺めてみたが面白そうなものはほぼ見当たらない。
唯一筒井康隆の本があって、2014年ぐらいに書いた短編集を頼んだ。あのジジイまだ生きていてまだ書いていたのか・・・。そう思った。
内容自体は相変わらずの筒井節はあれどさすがに枯れたか、面白い話はなかった。その後本を読むことをやめ、空想の世界で生きることで時間を費やすことにした。
「食事」は3食食わせてくれる。これは普段ろくなものを食っていない俺にとってはかなりの楽しみとなった。
また、私語禁止が基本だが看守たちは黙認してくれるので、留置者同士、「今日はあれが美味しかったな」とか「たまに魚がくるとテンション上がるね」とか、あとで語るが留置者同士が交流出来る「洗面・歯磨き」「運動場」での共通の話題となるのでそれもまたお互いの境遇を励まし合うという意味でいいものであった。
中身は3食、ご飯がギッチリ入っていて揚げ物中心のメニューである。毎日代わり映えしないので飽きてくるが、中ではそれぐらいしか楽しみがないのでなかなかに美味しいと感じてしまう。
基本的には留置者が被らないように1人1人出されるようにしているように感じたが、それをやっていては2時間も3時間もかかってしまう。
別に誰も運動なんてしないのだが、外の空気を吸えて、そこで捕まっている自分がどんな顔をしているか確認出来る「鏡」がある。
これを見てどう思うかね。俺は、変わらんな、と思った。月水金にはヒゲを剃らせてくれる。
20日ほど居て運動場でたまに会う他の留置者との交流が一番楽しみであった。
そこでもやはり私語禁止とデカデカと貼ってあるのだが、警察官も交えてトークをするのが楽しみとなっていった。
看守の業務に任じられると24時間勤務・休み・休みというシフトになるためしんどいでしょ?と若い看守に聞いてみたり、ナイフを持った相手との闘い方は・・・とか様々な雑談をした。
その若い看守とは3日に1回しか会えなかったので20日ほど居て5回ほどしかそこで話していないがよく話したものだ。
他には、一番最初に運動場に出された時、白髪のじいさんがいて「君は何の病気か」と尋ねてきたので、いや、別になにもと答えたが気になって看守や弁護士に「ここは精神に問題のある者が収容される専門の留置所なのか」と聞いてみたりした。そうではない、ということだった。看守は、相手にしなくていい、と一様に答えた。
あと4名の「仲間」の話をしておこうか。
暴行で捕まったというが、残りの犯罪についても向こうには既にバレていて、「警察の調査能力は凄いですから全部話したほうがいいですよ」と。
中国のトイレ、ホテルは最新だがレストランや会社はまだ汚れた和式&紙ない・紙流せないところも多くて、これはやだな~なんで進化しないんだ?と思ったが、それが普通になってて比較で不便を実感できないと進化しない、という話だった
どう考えても片方だけが一方的に不便負担だし外国人は別姓でやってるし戸籍はすでに別姓対応してて旧姓使用のほうが面倒が発生するし国際論文が旧姓と繋がらないとか仕事にも差し支えるのに、なぜか選択別姓を認めない
むしろ汚いトイレで女だけに用を足させてる遅れた差別社会みたいなものなのに、男が不便を実感していないからで変えないのははるかに悪質
あ、男だけじゃなくて男好きヨイショ女もいるしもちろんマトモな男もいますよ、ね(だる)
若くはない。既婚。復職の目処は立っている。
ASDと診断された時、正直な感想としては「ほっとした」だった。
なんとなくずっと生きづらいと感じていたから、そこに理由がついて安心した。
けれど、安心したのはその診断を下された時だけだった。
そのあとに残ったのは2つの考え。
「子供を作るべきではないのだろうな」
仕事に関しては、休職した時点で諦めていた。もうすぐ昇給、というところでの休職だったから、休むことで評価は下がると人事から伝えられていた。
上司からは「希望すれば昇給できる位置にいる」と言われているが、職種と特性がとにかく向いていない。
地道にコツコツと同じことを繰り返すのが好きだ。けれど自分の職場では毎日が「突発」の仕事ばかりで、とにもかくにも他部署との調整業務が発生する。不測の事態と対人折衝が苦手な自分にとっては、あまりにつらすぎる。
先輩からは可愛がられ、後輩からは信頼され、仕事をバリバリこなしている同僚を思い出すと、ああ、自分はもうこの土俵には立てないのだな、と痛感する。
自分ができることといえば、PC作業が人より少し早いぐらいだ。それだけだ。
子供の頃から憧れていた「仕事のできる人間」にはなれないのだと、諦めるしかないのに、それでも醜く縋りたくなる。
ASDの遺伝性は今はまだ証明されていない。しかし、その傾向は強くあるように感じられる。
自分の両親は健常者だったと思われるが、自分の遺伝子を継ぐ子はやはりASDになるのだろうか。そうだとしたら、生まれてくる子が不憫だ。
知的障害のない自分でさえ、こんなに生きにくいと感じているのに、万が一知的障害を持って生まれたとしたら? 自分より辛い人生を送らなければいけないとしたら?
妻は子供を望んでいる。自分がうつ病になってしまったせいで妊娠適齢期を逃した妻は、好物の酒を我慢して妊娠の準備を進めている。
妻。出来損ないの自分を努力家だと評し、愛してくれている、自分には勿体なさすぎる妻。
自分がうつ病のときに支えてくれ、自分よりも仕事を評価され、収入も安定している、よくできた人間だ。
その妻に向かって、子を諦めろというのは、酷だろうか。自分以上に障害の重い子が生まれるかもしれないが、彼女はそれでも子を望むのだろうか。
申し訳ないが、自分には育てられる自信がない。自分の面倒を見るだけで精一杯なのに、その上、人の命まで背負う覚悟が足りていない。
子は欲しい、と思う。友人達が我が子を愛する姿を見ていると、自分もそうありたいと思う。何より、愛する妻の子は、それは世界一可愛いだろうと思う。そんな我が子に会いたいと思う。
けれど、そんな愛おしい我が子に、自分よりも辛い人生を送らせられるのか。大変な人生を進まなくてはいけない我が子を、自分は支えられるのか。それだけの覚悟を決められるのか。
悩んでも悩んでも、結論が出せずにいる。
勇気がなくて、子を授かることについて自分の意見を妻に言うこともできずにいる。
そもそも自分は本当に自閉症スペクトラム障害なのだろうか。
なまじ知的な遅れがないから、この「生きづらさ」以外で自分の特性を実感することがほぼない。
確かに、こだわりは強い方だろう。仕事はなる早よりも納得がいくまでやりぬきたいし、趣味のプラモデルも自分が良いと思えるまで時間をかけたい。
少し潔癖気味かもしれない。濡れたものはなんとなく汚く感じるから、一度使ったハンカチはあまり使いたくない。ウォッシュレットも清潔に思えないし、そもそも他人が座った便座に座りたくないから和式の方が好きだ。
食べ物は味の苦手さよりも食感の苦手さの方が強い。あんかけかた焼きそばの、柔らかさと固さが混ざった歯触りが嫌いだ。数の子を噛み砕く時の、ぎゅむぎゅむという歯触りがつらい。
人との会話についていけない。1対1ならば落ち着いて話せるが、複数人となるとどのタイミングで口を挟めば良いのか見当もつかない。コミュニケーションではなく、タイミングよく相槌を打つだけのリズムゲームになる。
そもそも、人の声を聞き分けられない。お立ち台に上がった部長がマイクを使って話していても、周りのざわめきの声が大きく感じられて、部長が何を話しているのか全然聞き取れない。食堂で同僚の話を聞きたくても、高速道路で運転手が何か話していても、周囲の音にピントが合ってしまって何もわからない。
何より、会話の塩梅がわからない。相手に不快な思いをさせたくないから下手に出れば「何を言いたいのかわからない、お前の意見はないのか」と言われ、それを踏まえて自分なりの見解を伝えようとすると「こちらの考えを無視して強引に事を進めようとしている」と言われる。上司は「練習すれば治る」と言うが、子供の頃からそうだったのに今更治るのだろうか。
カウンセラーが自分をASDと判断したのは、上記の内容が理由だ。
正直、自分はグレーゾーンだと思っていた。けれど、中度のASDと診断された。自分は、そんなに社会に溶け込めていないのだろうか。
将来のことを考えると、不安が重なって波のように押し寄せてくる。そうして、漠然と死にたくなる。
復職に向けて準備をしていると、元に戻れるのか怖くてたまらない。
わかっている。ただ、うつ病が治っていないだけだ。ただのうつ症状だ。そうして頓服薬を飲んで、不安を紛らわせている。
自分がASDでなければ、こんな思いをしなくて済んだのだろうか。いや、自分が弱いだけだろうな。
それでも、弱音を吐き出したくてたまらない。
早くうつ病を治して元の生活に戻りたい。いや、元の生活に戻るとしたら、またあの残業地獄に戻らなきゃいけないのか。それも嫌だ。何がサブロク協定だ。
けれど、妻を置いていくのは嫌だ。
ああ、なんて儘ならない人生なんだ。
定期的に、"清潔"にしているのに"清潔感"が無いって言われるのは差別の言い換えだ、容姿の良さってことだろ、って誤った理解で憤る人がいるんだけど、違うよ。
これは「ナチュラルメイクは、まったくナチュラルじゃない」とかと同じで、別に"清潔感"に限った誤解でも無いんだけどね。
不細工だから清潔でも清潔感が無くて、容姿端麗なら不潔でも清潔感があるって言われるのがズルいみたいな捉え方をする人がまだいるんだけど、そもそもの前提が間違ってるんだよ。
分かりやすく説明すると、2つの軸があって、その綱引きで決まっています。たぶんそこから説明が必要だと思う。
ものすごくざっくり言うと、キアヌ・リーヴスが無精ひげでボロボロの格好していてもイケてるのは清潔感があるからなじゃくてキアヌだから。
プレデターバッドランドで(作中の設定として)超不潔なはずのエル・ファニングに清潔感が見えるのは、ある条件を達成しているから。
どんなに(化学的/衛生的)清潔でも条件を達成してないと清潔感があるとはみなされないんだけど、ある条件の達成には(通常は)清潔である方が楽なの。
まず大前提として、清潔感って非常に不自然な状態で、天然ではそうはならんのよ。ここの誤解が男女ともに非常に多い最初のつまづきだと思う。
分かりやすいところで行くと、髪ね。
キューティクルとか言われるけど、入院なんかで病気にならないように管理されている状態で清潔にしているだけだと、ああはならんのよ。
衛生的には適切にごみやほこりが洗い流せて頭皮に皮脂が過剰に溜まって無ければ清潔なの。でも、パサついた髪の毛とか、ごわごわしてるとか、清潔なだけだとそうなるのよ。
キューティクルがとか、天使の輪がとか、ああいうのは、人工的に不自然に手を入れて初めて手に入る、作られたものなのです。
そして髪の手入れと言うのは基本的には清潔ありきでさらに作りこんで初めて手に入るんだけど、一度手に入っちゃえば不潔でも維持することは不可能ではないのよ。
そして、上級者になると、不潔なんだけど外見だけそっくりまねて清潔感だけ出すことも出来たりするわけよ。
ものごっつ肌荒れしてても化粧とテクニックでごまかすことはできるんだけど、やっぱ素地になる肌が清潔で丁寧にお手入れされている方が楽できる。
でも、清潔なだけだと、絶対に化粧が完成した顔にはならんわけでしょ?だって化粧してないんだし。
もちろん、一部例外的にほとんどすっぴんでも化粧が完成した顔になる人はいるけど、そういう例外だけ取り上げるのは良くないと思うな。
脂ぎってて太ってて不潔な人は、清潔感が無い。
髪を洗ってなくてフケが飛び散るような人は、清潔感が無い。
何日も洗ってないようなヨレヨレの服を着て、襟とか袖に汚れが見える人は、清潔感が無い。
スニーカーが汚れてたり、合皮のカバンがボロボロだったり、ゴチャゴチャゴミが入ってるような鞄を持ってる人は、清潔感が無い。
その反対側にいるように見える、そういった不潔さと真逆にいるように見える人のことを、清潔感がある、というのよ。
当然なんだけど不潔で無いなら清潔感がある、ではないわけよ。清潔感がある人は、不潔であるようには見えない、なのよ。
例えば、歯を磨いてなかったら汚いから不潔じゃん。でも笑った時に白い歯が光ってれば清潔感があるように見えるのよ。不潔であるようには見えない、というところがポイントね。
ブコメに清楚と近いのかなって言ってる人が居たけど、俺もそう思う。清楚とか可憐とか透明感とかって言うのの言い換えの一種として清潔感があると思っている。
純真無垢とか可憐って、男性に使うにはちょっとニュアンスが違うじゃない。芸能人なんかに使う透明感をより現実に近づけたものが、清潔感、だと思うわけよ。
Yシャツがパリッとしてるとか、パンツのラインがきれいとか、そういうのを清潔感って表現してるわけで、つまり不潔とは程遠く見える。
暴飲暴食しても普段から歩く速度が速くて趣味がボルダリングみたいなやつは基礎代謝が高いから筋肉質な体つきになってシュッとしてたりするじゃん。
まったく同じ飯食ってても、ドカ食い気絶部とか言って飯食った後歯も磨かなければ風呂も入んないで寝るやつはやっぱ不潔だからそっから生活立て直すしかないじゃん。
ぶっちゃけ、小汚い連中を差別する為に作られた言葉だ、みたいな精神性が良くないと思うわけよ。
シュッとしててカッコええわぁ、パリッとしてクリーニングから帰ってきたYシャツみたいやわ!を短く言い換えると清潔感がある、みたいになるのよ。
清潔感がある人が良いって表現、小汚い人が嫌の言い換えじゃね?って思うの、俺は違うと思うのよ。
生き生きしてる人が良いって言うの、目が死んでる人が嫌の言い換えじゃないじゃん。
品川駅を歩く目が死んだサラリーマンと、ハワイでフルマラソンを走り切って生き生きしているスポーツマンの間にはさ、もっと無数の果てしない状態遷移があると思うわけよ。
廃墟の和式便所と、タワマンのネオレストNXの間には、無数の便器があるわけですよ。
清潔で隅々まで磨かれてその場の雰囲気に合った装飾でスムーズに用が足せれば、必要な時に必要なことが出来る信頼性があれば、ちゃんと評価はしてもらえるのよ。
それはね、所属してるコミュニティが良くない。そういう共同体じゃないところに所属しよう。
このおばあちゃん清潔感あるなって人、テレビのインタビューでも見かけたりしない?政治家でも芸能人でも良いけどさ。体型は分からんしイケメンではないし、でもなんか清潔感あるな、みたいな。
俺は武井壮は苦手なんだけど、あの人が良く言う思った通りに体を動かせる選手が少ないって言うのに近いと思う。手塚治虫がフリーハンドで新円が描けたでも良いけど。
結局のところ、適切な方向性を見出して、そこに向かって近づける労力をかけないかぎり、そこには近づかないのよ。
目標を決めてソコとの差を埋めるべく、仮説を立て、実験し、結果を得て、検証し、仮説を修正して、近づけて行くしかないの。
もし清潔感が無い、もっとこうしたら?って言われたら、「そこは清潔感があるように見えなかったんだな」と思ってトライしてみるしかないわけよ。
でもね、これが一番大切なことなんだけど、もしフィードバックを得ても自分を変えたくないなら、そこからは離れるのが良いの。向いていないことしても苦しいだけだから。
ぶっちゃけ、男なら全身医療脱毛した上で、毎週末にQBハウス通ってツーブロック維持して、週に10キロ分チャリ漕ぐだけで、髪型で清潔感が無いって言われることは無いと思うよ。
もちろんそんなことしなくても、手持ちのちょっとしたものだけで清潔感を維持できる人はいるけど、それはさ、積み重ねがあるからできるわけなのよ。
というか、繰り返しになるけど、もし「清潔感が無いと叩かれている」と感じるなら、そういう場所からは離れるべきなの。もっと世の中楽しいこといっぱいあるんだからさ、嫌なことにリソース割くの勿体ないよ。
まあそもそも、人はみな詩人や作家では無いので、正確に物事を定義して表現しきれるかっていうと、世界はもっと雑で曖昧なものだと思うよ。
映画メッセージのもとになった、テッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」に収められている「顔の美醜について」を読んで、ルッキズムとはなんなのか、美醜が無くなった世界で何が起こりうるのかを考えるのも悪くないよ。
和式リベラルの「女性の社会進出は良いことだが…ただし高市テメーはダメだ!」が止まらないわけである。
“初女性首相”の名誉を(彼らにとっての悪の根源アベの眷属たる)高市に取られたという腹立ちがあるんだろうな。
それに対抗して「自分は女性として素直に嬉しい」と表明する人もいる。
https://note.com/morinatsuko/n/ndec92cd41e0a
しかし「初の女性首相」はひとつのメルクマールであって、それ自体が何かの達成ではないのだ。双方ともに「女性」というファクターに拘泥しすぎている。
女性首相はただの首相。みながその前提で首相の実際の仕事をニュートラルに批評するようにならないといけない。
一連の高市批判の中で「キャピキャピしている」「男に媚びている」といったものがリベラルを標榜する女性からも多くなされたことは記憶に値する。初めてのことだからそういうバックラッシュが起きるのは当然と言えば当然だが、それにしてもなんとも幼稚な反応ではないか。
とりわけ酷かったものとして「雌犬が首相になった」というのがあったが、それは実はソトン秋元のポストである。今更説明は不要だろうが、ツイッター草創期からずっとそういうこと言ってるだけの愉快犯だ。
高市が気に食わないあまり勇み足な批判をしている和リベ勢と、単なる愉快犯はさすがに区別しなければならない。又聞きで「リベラルは首相を雌犬呼ばわりしている!」とか言い出したら異常者の思うツボだ。
公立学校の設備の古さ、教員による性犯罪、刑罰の軽さ、再犯防止施策の遅さ――これらを並べて見ると、日本という国は子どもを「大人なら耐えられない環境」に放置して平然としているんだな、と思う。
まず物理的環境の話だ。トイレが汚くて和式だらけ、夏はエアコンが入らず教室は蒸し風呂、老朽化した体育館や給食室。これらは単なる不便どころか、子どもの健康や学習環境に直結する問題だ。安全で清潔な学びの場を用意することは、教育投資の基本中の基本であるはずなのに、予算配分や更新計画が後回しになっている学校が多い。
次に教員の性犯罪とその処遇の問題だ。教育現場で起きる性犯罪は、被害者が子どもであるという点で影響が甚大だ。被害の長期的な精神的被害、学校への信頼喪失、家庭の不安――その代償は測り知れない。しかし、発覚しても処罰や処遇が緩く、再発防止策が後手に回るケースが多い。被害の事実を隠そうとする組織的な対応も指摘されてきた。子どもを守る立場にある者が加害者になることの恐ろしさと、それを許してしまう制度的欠陥を直視すべきだ。
刑罰の軽さと再犯防止の遅さが追い打ちをかける。性的犯罪に対する量刑や運用が被害の重さを反映していなければ、加害者の責任は軽く扱われる。しかも立件や起訴のハードル、被害者が声を上げにくい現実、支援制度の不足が重なれば、抑止力は機能しない。再犯防止のための治療プログラム、登録制度、監視と支援の仕組みが不十分なままでは「また同じことが起きる」構図は変わらない。
こうした学校現場の劣悪な環境と制度的怠慢は、少子化の社会的背景とも無関係ではない。自分が子ども時代に嫌な思いをした人間は、自分の子どもに同じことを経験させたくないと考えるのが自然だ。教育施設の安全性や教員の信頼性が不安定な社会で、子どもを産み育てる決断をする人が増えるはずがない。つまり、学校の現場と国の子育て支援政策の摩耗は、少子化を加速させる構造的要因になっていると思う。
対策は単純だが緊急性が高い。施設の全面的な更新・衛生改善・エアコン設置などのインフラ投資を急ぐこと。教員採用と研修で児童保護の知識と倫理教育を徹底し、採用時の身辺調査や定期的な監査を強化すること。性犯罪が発覚した場合の透明な処分基準と被害者支援体制の確立、再犯防止のための医療的・心理的プログラムの導入。さらに、被害報告が無視されないよう第三者機関による監視と通報ルートを整備すること。これらは全部、子どもの安全と将来の社会を守るための投資であり、先送りにする理由はない。
結局のところ、子どもを「大人なら耐えられないけど子どもだから大丈夫」と放置する社会は自滅的だ。教育の現場に最低限の安全・清潔・信頼を取り戻せば、親たちの不安は和らぎ、子どもを産み育てる社会的条件は改善される。少子化対策も福祉も経済支援も大事だが、まず学校から手を付けるべきだと思う。社会が子どもをまともに扱わない限り、未来は明るくならない。
うんちしたい
中座するのもなと思ってごはんを食べてからトイレに行こうとした
便意を逃さないようにずっと和式トイレのポーズをして映画を見ていた
映画が終わったと思ったら、夫が「晩ごはんの下ごしらえ」するねと言い出した
玉ねぎのみじん切り、にんにくのみじん切り、しょうがのみじん切りetc
夫の作業が始まった
ところで我が家のトイレはキッチンの真横で、キッチンにいるとトイレの音が聞こえてしまうようになっている
また我慢が始まった
夫に16時には終わらせるからねと言われる
長かった
16:10、下ごしらえを終えた夫が声をかけてきた
トイレに来た
沢山は出なかったが、少しだけ出た
本当は夫が下ごしらえをしてくれている間にやりたいことがあったが、和式トイレのポーズを優先してソファでうたた寝をして過ごした
便秘は悪