基礎控除の拡大問題はいよいよ切迫してきました。この間の報道や議論を見るに、次のような事柄が重要ポイントだと思います。
①報道機関が多用する「103万円の壁」という表現は不適切である。それは副次的な事項にすぎない。誰かの扶養家族としてパートタイムで働く人が103万円以内に収入を抑えた方が世帯全体の実質所得の観点からして有利だから、「壁」が発生するわけで、基礎控除の本質からすれば、二次的な話だ。ところが、報道はあたかもこれが本質であるかのように報じている。論点のすり替えである。
②「103万円の壁」を取り除いても、そのすぐ上に「○○万円の壁」「××万円の壁」が控えており、「103万円の壁」を取り除いても意味がない、との報道のシャワー。要するに、社会保障との関係でそれらの「壁」が存在するわけだが、この仕組みが大変ややこしく複雑なので、わけがわからなくなる。このわけがわからない話を聞かされると、多くの人は、「やっぱり103万円を178万円に引き上げても、意味ないんだ」と思うことになる。このように誘導することこそまさに、こうした報道の狙いである。
③では、基礎控除の本質とは何か。それは基本的人権の尊重であるはず。憲法の三大理念のひとつである基本的人権の尊重に基づき、憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている。同条は生存権条項とも呼ばれる。この考え方から、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保護するために、生活のために必要な最低限の所得は保障されなければならなくなる。ゆえに、所得のうち最低限の生活費に相当する部分が、課税対象から除外される。これが、基礎控除が存在する理由である。
そして、現行の103万円という金額で、われわれは最低限の生活を送ることができるか? できない。ゆえに、この低すぎる基礎控除は、人権侵害の水準にあたる過酷な徴税をまかり通らせていることがわかる。基本的人権の理念を護る気があるなら、178万円程度への引き上げは当然である。現に諸外国では、160~200万円(日本円換算)の基礎控除を認めている国が多い。
ちなみに、憲法25条は、生活保護制度が存在する根拠としてよく参照される条文であり、また最低賃金が法によって雇用者に強制される根拠でもある。基本的人権の観点から、基礎控除・生活保護費の支給水準・最低賃金の水準の三者は原則的に一致なければならない。基礎控除の水準が突出して低すぎるのである。
④以上を踏まえると、話の順序は、本質であるところの人権としての基礎控除をまずは適切な水準に引き上げ、その結果として「壁」を突破してしまって実質的な減収が起ってしまうのであれば、それは不条理なことなので、「壁」を取り払うべく制度の変更を行なう、というのが物事の正しい順序であることが理解できるはずである。「壁が云々~、意味ねえ~」という報道が、どれほど本質を外し、世論を惑わせるものであるか、明らかである。
基礎控除の拡大問題はいよいよ切迫してきました。この間の報道や議論を見るに、次のような事柄が重要ポイントだと思います。…
— 白井 聡/Shirai Satoshi(新刊、『マルクス 生を呑み込む資本主義』出ました) (@shirai_satoshi) November 11, 2024
テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済
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