
カーディフ中央駅の開業は1850年だそうだ。ザ・サウス・ウェールズ・レイルウェイ (the South Wales Railway "SWR") がグラスター (Gloucester) からスワンスィー (Swansea) への路線を開通した時のことだった。1930年代の再建の際には、大きな時計を設置したキューポラが加えられた。
タフ・リヴァー (the Taff River) 河口に面する建物だが、元々は石炭を輸送のために埠頭に運ぶために南北に路線は走っていたと言う。1849年にタフ・リヴァーの流れを変えたことから、駅の西側を流れる現在の形になった。川の流れを変えた事で、川底が露出したままになっていたタフ・リヴァーの東側が、当時、健康被害の元凶になっていたらしく、市当局が関係者に苦情をあげたことから、現在のスタジアム (the Principality Stadium)や公園 (Cardiff Arms Park) 設置されることになったという経緯が面白い。

無事に空港行きのバスに乗車:ブリストル (Bristol, Wales) 空港に到着。お昼ご飯を食べる時間的余裕があったので、白身魚のフライ、スモークド・サーモン、アヴォカド/アルギュラのサラダ、ポテト・チップスを注文。海産物が美味しい土地だ。

お別れの時間。車内に入ってみれば、ほぼ独り占め状態。大きめのテーブルがある座席の配置が使いやすかったが、アメリカほどではないけれど、大きめの人が多いこの地でこの広さで窮屈ではないのかと少々気がかり。

座席は背中を支える形状で心地良い。手前左の袋には、友人の差し入れがたくさん入っていた。これもありがたい。

この線はブリストル海峡 (Bristol Channel) に沿って走っており、走り始めはカーマーゼン湾の河口を見ながら。

ちょうど引き潮も時間だったらしく、泥が見える状態になっていた。途中、別の友人の息子たちが通う大学のあるスワンスィー (Swansea, Wales) を通過。夜の繁華街が賑やかだそうだ。大学町は学生たちのお陰で経済的にも活発化するので、文化も発展し易い。詩人ディラン・トーマス (Dylan Thomas) が誕生した町としても知られている。
スワンスィーの人口は25万前後。首都カーディフ (Cardiff, Wales) に比較して生活コストは高い様子:学生たちの需要が住宅需要を押し上げている可能性もあり?!


赤い公衆電話ボックス:日本ではほとんど見られなくなった電話ボックス。赤色であるところが想像を刺激して面白い。

ウェールズの首都カーディフ (Cardiff, Wales) へ行くのはこの列車だったと思う。色合いが黄色、白、ブルーと言うのは、珍しい?

列車から赤い公衆電話ボックスと軽食屋さん "The Coracle Buffet" 方向を見たところ。やはり田舎の駅の雰囲気だ。

カーマーゼンは人口が15,000前後の街で、これまで見てきた大聖堂やビショップの宮殿が立派に大きく建設されたカーマゼン・キャッスル (Carmarthen Castle) がある。車の中から高台にある姿を見ることができた。この町はタウィー・リヴァー (Towy River) に沿ってある。
イギリスの町の形成がどうのように起きたのかを調べている時に、水路を使って人々が移動し、肥沃な場所に住み着いたという説が一番有力だった。丸木舟でも小さな船でもあれば、陸路を進むより、水路を利用した方がずっと楽で速いのは明白だ。古代地図と地形のよく分かる地図を重ねて見ると、それはさらに立体的に浮かび上がる。できればゆっくり観たい所だが、今回は時間が無い。
カーマーゼンから中継点となるウェールズの首都、カーディフ (Cardiff, Wales) の駅で空港行きのバスに乗る時間は10分しか無い。カーマーゼンで次の列車を利用することは不可能。

好天。赤系煉瓦の駅舎の古い感じも良い。カーマーゼンの町にとって、この駅舎は3番目のものになるそうだが、人口が減少しているこの町にあった北方面行きの路線は廃止になっていると言う。

1902年開業のこの駅、アガサ・クリスティーのミステリー映画の撮影にも使えそうだ。日本はオリンピック前、駅舎の改装/改築が進められて、古い駅舎はどんどん無くなっていたが、日本らしさが無くなるのは観光業にとってはマイナスだと思うのだが、どんな考えなのだろう。(ウェールズでも超未来的な建築のニューポート・ステーション (Newport Station) がある:それはそれでアトラクションにはなるが。)

電車の本数も少ない。ロンドンのパデウィントン行きの列車は1日に1本だそうだ。
