琥珀色の伝説
関口一郎は、1914(大正3)年5月26日に浅草付近の松葉町(現:松が谷)で生まれた。その地にかつて江戸三十三間堂が建てられて‘通し矢’が行われたからだろうか、関口一郎は「アーチェリーの名手」だった。1973年の第2回全日本パイプスモーキング選手権大会チャンピオンである関口一郎は、「パイプの世界の超人」と日本パイプクラブ連盟(PCJ)に称された。永田一脩が著した『大物釣り』(文藝春秋新社:刊 1961)に釣り仲間として登場する関口一郎は、「日本のスポーツフィッシングの草分け」とジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)に呼ばれた。銀座「カフェ・ド・ランブル」は「珈琲だけの店」であるが、関口一郎は「珈琲だけの人」ではなかった。そして、関口一郎は関口一郎であり、井上誠(1898-1985)でも三浦義武(1899-1980)でも襟立博保(1907-1975)でも安藤久蔵(1911-2017)でもなかった。関口一郎は、「琥珀色の伝説」の人である。
《昭和23年、前身の「アルカロイド飲料研究所」から出発して、銀座電気通りに初代「カフェ・ド・ランブル」が登場した。路地裏の小さな店が、文字通り、日本の自家焙煎シーンをリードし続け、いまなおその輝きを失っていないのは誰もが認めるところだろう。現在の店は、昭和48年10月に移転したもの。場所は変わっても、銀座の路地裏に強烈な存在感をもって、この店は存在する。ランブルを支え続けた関口一郎さん(73歳)は、今なお若々しい感性を保ち続けて、コーヒーととりくんでいる。しかも、そこには暗い閉鎖的な頑迷さはなく、大らかで明るい、しかも相対的に物事を見つめられるたおやかさを感じさせるものがある。》 (小山伸二:構成 「田口護の全国自家焙煎行脚」 最終回 カフェ・ド・ランブル/『月刊 喫茶店経営』1987年8月号 柴田書店:刊)
《ミルチャ・エリアーデの『大地・農耕・女性』(未来社 堀一郎訳)をひらくと、不老不死をたのむ「生命の泉」や「木」の存在が多くの神話、伝説にあることを説いている。(略) エリアーデを読み替えるなら、関口一郎が紡ぎだす場所「ランブル」は、このおよそ四〇年、都心銀座にありながら、特異な存在として遠隔の地ということもできる。そこに、まるで怪物のように「生命の水」珈琲をまもる関口一郎、同時に「泉」あるいは「木」ランブルがある。(略) 独身でかろやかで、しかし頑固で清潔で、なによりも健康な老人は、不老や不死、あるいは異なる存在を、ふと感じさせる。「ランブル」にまつわる伝説的な言説は、すべてこのひとの存在を通過しなければ、でてこないのだ。珈琲そのものを、この存在が書き替えたのかも知れない。しかし、そんな手強さには、気づかずにいたほうが、よい。》 (森尻純夫:文 「ランブル伝説」 最終回/『月刊 喫茶店経営』1986年1月号 柴田書店:刊/後に『銀座カフェ・ド・ランブル物語 ──珈琲の文化史』 TBSブリタニカ:刊 1990 に収載)
「カフェ・ド・ランブル」が《いまなおその輝きを失っていない》と紹介されてからなお、関口一郎が《不老や不死、あるいは異なる存在を、ふと感じさせる》と言われてからさらに、いずれも三十年余を経た。『月刊喫茶店経営』1985年2月号から森尻純夫による「ランブル伝説」が連載されて《「ランブル」にまつわる伝説的な言説》が語られた時、関口一郎は生ける「琥珀色の伝説」となったのである。「なんだか死ぬ気がしないんだよ」(ブログ『嶋中労の「忘憂」日誌』 「98歳-60歳=やる気?」 2012)と言っていた関口一郎は、「コーヒーに憑かれた男」であっても「コーヒーに疲れた男」ではなかった。だが、実際に不老不死でもなかったし、つくったコーヒーは疲れていた。
関口一郎は、「琥珀色の伝説」の人となる前、少年期から科学が好きで、音響や映像に関わる電気技師だった。いや、古代ギリシア語でエレクトロン(élektron)が「ランブル」(L'ambre)のアンバー(amber:琥珀)を意味するに加えてエレクトロ(electro:電気)の語源であることを思えば、関口一郎の37914日の人生全てが琥珀色だったのかもしれない。「琥珀色の伝説」は遺るだろうか? 関口一郎は、2018(平成30)年3月14日に死んだ。
《昭和23年、前身の「アルカロイド飲料研究所」から出発して、銀座電気通りに初代「カフェ・ド・ランブル」が登場した。路地裏の小さな店が、文字通り、日本の自家焙煎シーンをリードし続け、いまなおその輝きを失っていないのは誰もが認めるところだろう。現在の店は、昭和48年10月に移転したもの。場所は変わっても、銀座の路地裏に強烈な存在感をもって、この店は存在する。ランブルを支え続けた関口一郎さん(73歳)は、今なお若々しい感性を保ち続けて、コーヒーととりくんでいる。しかも、そこには暗い閉鎖的な頑迷さはなく、大らかで明るい、しかも相対的に物事を見つめられるたおやかさを感じさせるものがある。》 (小山伸二:構成 「田口護の全国自家焙煎行脚」 最終回 カフェ・ド・ランブル/『月刊 喫茶店経営』1987年8月号 柴田書店:刊)
《ミルチャ・エリアーデの『大地・農耕・女性』(未来社 堀一郎訳)をひらくと、不老不死をたのむ「生命の泉」や「木」の存在が多くの神話、伝説にあることを説いている。(略) エリアーデを読み替えるなら、関口一郎が紡ぎだす場所「ランブル」は、このおよそ四〇年、都心銀座にありながら、特異な存在として遠隔の地ということもできる。そこに、まるで怪物のように「生命の水」珈琲をまもる関口一郎、同時に「泉」あるいは「木」ランブルがある。(略) 独身でかろやかで、しかし頑固で清潔で、なによりも健康な老人は、不老や不死、あるいは異なる存在を、ふと感じさせる。「ランブル」にまつわる伝説的な言説は、すべてこのひとの存在を通過しなければ、でてこないのだ。珈琲そのものを、この存在が書き替えたのかも知れない。しかし、そんな手強さには、気づかずにいたほうが、よい。》 (森尻純夫:文 「ランブル伝説」 最終回/『月刊 喫茶店経営』1986年1月号 柴田書店:刊/後に『銀座カフェ・ド・ランブル物語 ──珈琲の文化史』 TBSブリタニカ:刊 1990 に収載)
「カフェ・ド・ランブル」が《いまなおその輝きを失っていない》と紹介されてからなお、関口一郎が《不老や不死、あるいは異なる存在を、ふと感じさせる》と言われてからさらに、いずれも三十年余を経た。『月刊喫茶店経営』1985年2月号から森尻純夫による「ランブル伝説」が連載されて《「ランブル」にまつわる伝説的な言説》が語られた時、関口一郎は生ける「琥珀色の伝説」となったのである。「なんだか死ぬ気がしないんだよ」(ブログ『嶋中労の「忘憂」日誌』 「98歳-60歳=やる気?」 2012)と言っていた関口一郎は、「コーヒーに憑かれた男」であっても「コーヒーに疲れた男」ではなかった。だが、実際に不老不死でもなかったし、つくったコーヒーは疲れていた。
関口一郎は、「琥珀色の伝説」の人となる前、少年期から科学が好きで、音響や映像に関わる電気技師だった。いや、古代ギリシア語でエレクトロン(élektron)が「ランブル」(L'ambre)のアンバー(amber:琥珀)を意味するに加えてエレクトロ(electro:電気)の語源であることを思えば、関口一郎の37914日の人生全てが琥珀色だったのかもしれない。「琥珀色の伝説」は遺るだろうか? 関口一郎は、2018(平成30)年3月14日に死んだ。
コメント
to:嶋中労さん
帰山人
URL
[2018年03月25日 02時50分]
労師、会葬お疲れ様でした。巷では関口一郎のアポテオーシス(神格化)が始まっています。コーヒーの業界人やマニアが美辞麗句を連ねた面白くもなんともない追悼集とか出そうな気配。何故に、そして何時から、ランブルのコーヒーは耄碌したのか? それを遠慮なく言挙げする機が訪れたのに…。アーチェリーのように関口さんの人生そのものを射抜く「通し矢」の伝記、労師書いてもらえませんか?
この記事にコメントする
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
https://kisanjin.blog.fc2.com/tb.php/1114-bcd86d5e
https://kisanjin.blog.fc2.com/tb.php/1114-bcd86d5e
たしかに関口一郎はコーヒーだけの人ではなかったようです。葬儀にはコーヒー関係の人ではなさそうな人たちがいっぱいいました。棺を担ぎながら、弟子たちは泣いていました。心のこもった飾らない、関口さんらしい葬儀でした。関口さんにとって100歳の長寿も好きなことをやり遂げるには短かったようです。合掌。